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2011年11月

普天間移設問題の正体見たり !

沖縄防衛局長を更迭=防衛相「弁解余地ない」地元は政府不信強める・女性侮辱発言 (『ウオール・ストリート・ジャーナル 日本版』より)

一川保夫防衛相は29日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設先の環境影響評価書の提出時期に絡んで女性を侮辱する発言をした田中聡沖縄防衛局長を同日付で更迭し、官房付にした。当面、及川博之沖縄防衛局次長が局長事務代理を務める。政府は普天間の名護市辺野古移設の前提となる環境影響評価書を年内に沖縄県に提出する方針だが、県外移設を唱える沖縄側は政府への不信を一段と強めており、評価書の手続きに影響を与える可能性もある。

 防衛相は29日夜、防衛省で記者会見し、更迭の理由について「弁解の余地はない。引き続き沖縄の業務を担当させるわけにいかないと判断した」と説明した。防衛相自身の監督責任に関しては「防衛省のいろんな懸案事項を責任を持って実行することが私に与えられた当面の仕事だ。それに全力投球したい」と述べ、辞任を否定した。

 防衛相は「沖縄県民の皆さまに心からおわび申し上げたい」と陳謝。その上で、普天間移設の評価書について「今年中に提出できる準備を進める方針は変わっていない」と強調した。

 これに対し、名護市の稲嶺進市長は記者団に「ごり押ししようとすると、(政府と県民の)信頼関係は地に落ちる」と述べ、評価書の提出断念を求めた。 

[時事通信社]  

『ウォール・ストリート・ジャーナル 日本版』(11月29日23:46)
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_352280

                       *
【私のコメント】
 それにしても「ヒドイ発言」が飛び出したものである。一川防衛相が、発言主の田中聡沖縄防衛局長(50)を早々と更迭したのは当然である。いな「官房付」への降格処分は大甘だ。懲戒免職、公務員身分剥奪に相当するような許されざる暴言である。

 問題の暴言は28日夜、記者団と那覇市内の居酒屋でオフレコを前提に行われた懇談の席で飛び出したという。どうせ酒の席だからと気が緩んだのか、一川防衛相が米軍普天間飛行場移設先の環境影響評価書の年内提出を断言しないことに関して、「(女性を)犯すときに『これから犯しますよ』と言うか」と発言したというのだ。
 「あれはオフレコじゃないか」と、スッパ抜いた各記者を非難出来るようなレベルの問題ではない。

 この暴言は二重に問題だ。
 
 一つはこれは「女性侮辱」発言だということである。というより「強姦容認」発言だ。(もう少し穏やかな表現を用いれば、「婦女暴行容認」「レイプ容認」ということだが、意味は皆同じである)。この田中局長なる者は、多分に心の奥深くに「強姦願望」が潜んでいて、酩酊して心のタガが外れ本音がむき出しで出てしまったのだろう。
 巷の性犯罪予備者の話ではない。レッキとした防衛省のトップクラスに、それに類する変質者もどきが現存するのだ。
 上がこれだから、近年防衛省関係者や自衛隊員の性犯罪が多発するわけである。

 二つ目は「女性を犯す」ことを、普天間移設問題の比喩として用いたことである。
 事の本質としてはこちらがより深刻だ。同基地の県内移設を強姦(暴行)に例えたのだ。沖縄県民に対する侮辱以外の何物でもない。

 それでなくても「犯す」という言葉に、沖縄県民は今でも強い拒否反応を持っているのである。
 それはそうだろう。真っ先に思い出されるのは、1995年(平成7年)の米兵による少女暴行事件である。沖縄県の市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の桑江テル子幹事(73)は「沖縄を、人をバカにするにも程がある」と憤慨し、続けて「あのとき犯されたのは少女一人ではなく、沖縄全体なんです。だから事件以来、米軍基地撤廃が県民の総意になった」と語っている。

 事実この事件が発端となって、普天間基地の返還が動き出したのである。田中局長には、普天間移設問題には、そういうデリケートな背景が横たわっていることへの認識がまるでなかったのだろう。人間的にも職務上も欠陥者、更迭は遅きに失したというべきである。

 桑江さんはさらに続ける。
 「沖縄戦で犠牲になり、戦後は米国に差し出され、本土復帰後も基地や不平等な地位協定はそのまま。沖縄は何度も国に踏みつけられ、犯されてきた」「だから『犯す』という言葉はある意味、その通り。差別が繰り返されようとしていることがはっきりした。局長個人の問題ではない。これが国の姿勢だと思う」
 
 桑江さんの上の発言で本質がはっきり見えてきた。本当の意味で沖縄を犯し続けているのは、日本政府であり米国政府なのだ。この状態が続くかぎり、沖縄県民の国と米国へのレジスタンスが止むことはないだろう。

参考・引用
『毎日jp(毎日新聞)』(11月29日 21時50分)
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111130k0000m010087000c.html?toprank=onehour

 (大場光太郎・記)

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橋下大勝利後の政局について

 -独裁志向の橋下、石原を加えてもいいから、一日も早い新党結成を強く望む-

 橋下徹(はしもと・とおる)という人物について、私の一貫した見方は「軽薄短小」だった。思い出していただきたい。橋下の名前が知られるようになったのは、島田紳助がすべてを仕切っていた、いわくつきのテレビ番組『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)だったことを。同番組のレギュラー弁護士として、少しばかり気の利いた発言が評判となり一躍名前が全国区となったのだ。
 同番組を足がかりに大阪府知事に転身したのは、少し前お笑い芸人のそのまんま東(東国原英夫)が宮崎県知事になったケースと似たり寄ったりである。

 小泉純一郎、そのまんま東、橋下徹など、テレビを目一杯利用する政治家に共通の要素がある。その第一の特徴は、国民、選挙民受けするパフォーマンスに長けていることである。その政治手法の根っこにあるのはポピュリズム、大衆迎合なのだ。
 しかし今日の「テレビ政治」「劇場型政治」的状況下では、彼らお得意の手法を多くの政治家が羨望のまなざしで見ているのらしい。

 このように、私の「橋下徹観」は決して好意的なものではなかった。だから橋下が府知事になってからも、彼の政策などについてさほど興味が湧かなかった。と言うより『どうせ首都圏から離れた所の首長なんだし、何を言おうとしようと…』と、あえて無視するようにしてきたといった方がいいかも知れない。
 だから橋下のこれまでの府知事としての言行録や具体的政策などは、あまりよく知らないのである。

 そんな橋下徹が、どういうわけか(「大阪都構想」実現のため?)自らは大阪市長に降格立候補し、府知事には彼の息のかかった松井一郎氏を担ぎ出し、ダブル選に持ち込んだ。
 そして思惑どおり府知事選、市長選のダブルで、民主党や自民党という二大政党を寄せ付けない圧倒的勝利を得たのである。そのことが今後国政にも大きな影響を及ぼしそうだとなると、従前のように、“とっちゃん坊や”的風貌の橋下を軽薄短小とばかりは言っていられなくなる。

 今回の大躍進によって、橋下徹率いる「大阪維新の会」が台風の目となって、中央政界にも“維新の新風”を吹き込んでくれれば大変ありがたいことである。
 民主、自民、公明、みんなの党…。どの党を見ても「原発存続」「ТPP推進」「消費税増税」などで大差のない「米官業の利益が第一」である。これでは各政党の存在意義などないではないか。また国民の選択が予め奪われているにも等しいのである。

 大阪ダブル選直前「オールジャパンでわが国の国力をアップする方策を考えないといかん」と、亀井静香国民新党代表が「新党構想」をぶち上げた。野田現政権の財務省主導、米国ポチ政策では、国力はますます低下し、下手すれば永久に「落日の大国」米国の属国状態になりかねない状況である。亀井新党構想は、そんな売国政権と真っ向対決する意思表示の表れとみられている。
 「オールジャパン」である以上、ダブル選での勝利濃厚な橋下「維新の会」へのラブコールの意味もあったようだ。それに対して勝利を確信した橋下は、「亀井構想に乗るつもりはない」とそっけない返事だった。

 ただ権力志向が人一倍強いらしい橋下のこと。今回の躍進を足がかりとして「次は中央政界へ」との想いが一段と強まったことだろう。自分を高く売りつけ、新党結成でイニシアティブが取れるのなら、前言を翻して加わる可能性が高いのではないだろうか。

 それにしても「オールジャパン」の亀井構想。橋下はもとより、石原慎太郎都知事、平沼赳夫たちあがれ日本代表そして小沢一郎民主党元代表…とびっくりのメンバーである。
 この年末か来年春頃か。これが本決まりになれば、さらに鳩山由紀夫、田中康夫、田中真紀子、鳩山邦夫、桝添要一、松木謙公らも加わることになるのかも知れない。まさに圧巻、壮観である。
 だが、そう言っちゃあ身も蓋もないけれど。こんな一癖も二癖もある「オレが、オレが…」の連中を、一体誰が束ねるの?亀井さん、アナタ一人でまとめきれるの?という疑問が湧いてくる。

 そこでやはり注目は小沢一郎である。小沢元代表は、民主党では“座敷牢”に閉じ込められていた。仮に離党ともなれば、政界随一の豪腕が野に放たれるのである。
 それでなくてもここのところの小沢元代表は、消費税増税などで野田政権への批判を強めている。いざとなれば、小沢グループなどを引き連れての100人規模での集団離党となるのだろう。
 一気に政界再編が視野に入ってくるのである。

 有志は脱原発、ТPP反対、(霞ヶ関改革抜きの)増税反対、郵政民営化見直し…などの政策で一致しているとみられている。小沢一郎にとっては、改めて「国民の生活が第一」の政策を掲げ直す絶好の機会でもある。

 是非このまま新党結成に突き進んでいってもらいたいものである。
 ただメンバーの中で調子っ外れなのが二人ほどいる。石原都知事と橋下大阪新市長である。二人は「独裁志向」で共通している。この二人に牛耳られるようだと、この国は先々かえってヤバイことになりかねない。
 新党結成により石原首相誕生、さらには橋下が一気に全国的な力を蓄え「ハシズム」(橋下によるファシズム)の足がかりとすることだけは願い下げである。
 その重しとしても、小沢一郎の存在はどうしても不可欠である。

 そんなことは後でじっくり対処するとして。民主、自民という対米従属“亡国”政党に対抗し得る、新政党の一日も早い結成を強く望むものである。

 (大場光太郎・記)

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ミノリス・メッセージ-「暗黒の3日間」

 「暗黒の3日間」についは、昔からカトリックの聖人たちによって予言されてきました。私がこれを知ったのは今から25年以上前のことです。その時点で「近未来に起るかも知れない」ということでしたが、およそあり得ない事態に思われあまり深刻に考えることはありませんでした。
 
 ところが今回のミノリス・メッセージによりますと、それがいよいよ間近に迫っているというのです。地上に一切光が届かない、電気関係が一切使えない。とにかく暗黒の真っ暗闇の3日間です。そのような“現実離れ”とも思える「暗黒の3日間」が、いよいよ起きそうだというのです。新年明け早々のことだと言います。(別の情報では、来年1月4日から6日の期間と特定されています。)
 
 もし本当に起れば大大変、起らなければとんだデマの類いです。しかし実際起きた場合、本文中にもありますが、何も知らなければ大パニックとなり気が狂う人もけっこう出てくるかもしれません。

 「純粋に、宇宙科学、宇宙物理的な現象」とのことですが、私には起きるとも、起きないとも断定は出来ません。ただ個々人の“リスクマネジメント”の観点から、その時期を十分留意して迎えた方がいいように思われます。仮に何事もなく過ぎるようだったら、それが一番望ましいわけです。
 今回の情報は、「自己責任」で慎重に判断されることを希望します。 (大場光太郎・記)

出典元
『ミノリス Minoris の UREGENT MESSAGE(緊急情報)』
http://blog.goo.ne.jp/minoris_2010

                       *

「暗黒の3日間」今年2011年の終わりか、来年2012年の始め」未来人2011.10.4

今年の終わりか来年早々、
フォトンベルト「ヌル・ゾーン」を通過することで
「暗黒の3日間」が、(必ず)起こる。

そして、未来人からのメッセージによれば、
来年2012年の初夏から夏、
二ビルが猛スピードで太陽系を横切る際に、
地球の地軸が逆転する可能性が高い。
(その頃は同時に、地震、津波、大陸の隆起と沈降が激しいだろう)

「暗黒の3日間」は、
電気関係が一切使えない(乾電池も使えない)から、
車も、電車も、新幹線も、エレベーターも使えない上、
3日間完全に止まったままになる。
中に入っていれば、閉じ込められることになる。

年末年始、特に一月上旬は、
なるべく出掛けない方がいいだろう。
(家に居て、じっとしている以外にない)

灯油ストーブ、火鉢、巻時計、
ろうそく、マッチ、水、非常食などが必要だ。

今まで、スピリチュアルなアセンション情報を笑っていた方々も、
この「暗黒の3日間」で顔色が変わってしまうだろう。

ただ、この「暗黒の3日間」は、ずっと続くわけではない。
たった3日間だけ、真っ暗になる。

それを知っていれば、かなり気は楽になる。

何も知らずにいきなり体験する多くの方々の中には、
ショックと恐怖で、気がおかしくなる人たちもたくさんいるだろう。

なるべく、今から情報だけでも知らせておいたほうがいい。


ただの怪しいアセンション情報でもなんでもなく、
純粋に、宇宙科学、宇宙物理的な現象なのだから、
信じるとか、信じないとかの思い込みのレベルの話ではない。

物理的に確実に起こる本当のことだ。

このような非常に重要な、生死にも関わる情報は、
本来メディアで告知するべきものだ。

(一部の世界の主要な科学者と政治家と経営者たちは非常によく知っている)

「二ビル」も、「フォトンベルト」も、
多くの人々に、ほとんど何も知らされていない。

ならば、ここでメディアの代わりに全世界に告知するのみである。


世界中探しても、
暗黒の3日間の時期を明言している情報は、他にない。

この情報は、世界的にもトップクラスの情報だということを
ご理解いただきたい。

(海外の方々にもなるべく伝える必要がある)


この地球の歴史はそれでも、自分の居た未来に比べて
かなり違った、恵まれた路線を進んでいる。

自分の居た未来では、もう既に日本は壊滅的になっており、
東京も水に沈み、国内各地の原発は地震で崩壊して、放射能地獄になっている。
そして、世界は、ユダヤ・イルミナティの謀略によって
大きな核戦争に突入し、人工的な気象と地殻変動に見舞われ、
ほとんど人が居なくなってしまった。
さらに、二ビルが地球に侵攻し、ユダヤ・イルミナティを破壊し、
その二ビルを最後に宇宙連合が滅ぼすという悲惨な歴史だった。


まだ、この地球には、それに比べて
たくさんのチャンスが残っている。

地球人類は、意識がシフトする時期(フォトンベルト)に入った。
2012年とは、意識の変化の年だ。

この銀河の巨大な波は、地球を舞台にした
宇宙の歴史でも未だかつてない壮大なドラマとなる。

この巨大な波(コズミック・ウエーブ)は、
人為を超えてなされる宇宙の進化の波だ。

この波に対しては、人は二つの道しかない。

波に乗るか、拒絶するかだ。

あなたはこの宇宙の変化の波に乗る準備ができているか?

ハートを中心に生きる準備はできているか?

過去と現在と未来が交錯し、
物質と精神と神が交錯する「多次元の世界」。

銀河の中心より放射される強いフォトン(神の光)によって、
あなたは、細胞のDNAレベルから変化し、
ライトボディ(光の身体)に進化する。

その時、あなたの「内なる神」が動き出す。

あなた自らで意識のシフトを起こし給え。

そしてあなたの人生の中で最高の愛を選び給え。


「この地球に良い未来はあります。その世界は光が満ちあふれた明るい世界です」未来人メッセージ 2011.8.5

「地球の運命行く末は良い方向とそうでない方向と二つの可能性は6:4くらいです」未来人2011.6.9


日本と地球を巡る緊張状態について NO12 未来人のメッセージ 「2012」



※この未来人のメッセージは、
このブログで掲載する最後のメッセージになる。

………………………………………………………
未来人 メッセージ 2011.10.4
………………………………………………………

(ミノリス:これから地球は何が起こるのでしょうか?)

北半球と南半球が逆転します。


(地軸が逆転するということですか?)

はい。


(それはいつですか?)

来年2012年の夏。


(最近のメッセージでは、地球の人類の生き残る人数が
 大きく減ってしまうといわれていますが、
 どのような理由で人数が減ってしまうのでしょうか?)

今の地球での人口が多いのは、それはそれで役目があって、
たくさんの人口を地球が受け入れているという役割が終わります。

そして、その中でこれから生き残っていく人たちがいます。

それは少人数です。


(地球、太陽系は、銀河の中心から照射されている
 フォトンベルトを通過中であり、
 これから通過するといわれているフォトンベルトの
 一番濃い部分を通る際に、太陽の光も届かない真っ暗な
 暗黒の3日間があるといわれています。
 それはこれから起こりますか?)

はい。真っ暗になります。


(それはいつでしょうか?)

今年2011年の終わりか、来年2012年の始めくらい。


(それは突然なるのでしょうか?)

はい。


(では、全世界の、すべての国々の人々は大パニックになりますか?)

はい。

この3日間のことを知っている人は、本当に少ないからです。


(ドルは、アメリカの国債が実質、返済不可能な状態になっており、
 アメリカの国家財政が既に完全に破綻している事実から、
 まもなく崩壊するといわれています。それは起きますか? 
 また円は、その時、ドルの暴落を受けて、
 特に海外との貿易関係で甚大なダメージを受けると思われますが、
 国内の経済は継続することから、ある程度の流通信用を保って
 使われると考えられます。しかしどうなるのでしょうか?)

ドルは崩壊します。

円も今とは変化すると思います。

新しい通貨に変わるかもしれません。

リッチRICHの意味が、今とは違ってきます。

豊かさ、精神面の豊かさを重視することで、
本当の豊かさを意味するようになります。

お金だけのことを考えると、
本当の豊かな状態RICHになれず、遠のいていきます。

価値観が、全く変わると思います。

お金がたくさん持っていればいるほど、
執着して悲惨な状態になっていく人が出てきます。

ほとんどの人が執着していくでしょう。


(現在の地球の歴史は、アカーシックレコードに記録されている
 大きな戦争・第3次世界大戦に突入しておらず、
 また、日本も沈没せずに生き残っています。
 日本の地震もアカーシックレコードに記録されている大きなものが起こらず、
 それによる原発の破壊や放射能の拡散による甚大な被害が抑えられています。
 この時間軸の地球の歴史は、私がいた未来の地球の世界と比べて、
 良くなっているのでしょうか?)

ある意味良い方向に進んでいます。


(その違いは何ですか?)

今回の、この時間軸の地球は、目覚めている人、目覚め始めている人の数が違います。

目覚めるために、いろいろなことが更に起きてくることはあり得ます。

それは新しい世界に入るための出来事であり、方法でもあります。

私たちが居た未来の世界では、当時、目覚めている人たちの数が非常に少なく、
人間のエゴのまま進んだ結果、滅んでいきました。

核が使われています。


(では、この時間軸の地球では、
 パラレルワールドでは起こった破壊的な核戦争が回避されているのでしょうか?)

はい。  (転載終わり)

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ペルセウス、故国に帰還し王となる

 ペルセウスは、アンドロメダの父ケペウス王に謀反を起こした王弟のピネウスを滅ぼしました。その後1年ほど、王女アンドロメダとのとろけるような蜜月を過ごしました。その結果男の子が生まれますが、この子をこの国の跡継ぎとして残し、夫婦一緒に母ダナエの待つセリボス島へと帰りました。

 いざ育ちの故郷へと帰ってみると、ペルセウスは「嵐を呼ぶ」風雲児なのか、ここでも厄介事の真最中なのでした。事の原因はやはり国王のポリュデクテスのダナエへの恋情でした。息子のペルセウスをゴルゴン退治に追い出してから、ポリュデクテスのダナエへの横恋慕は募る一方だったのです。

 この頃では母のダナエはもう40代だったと思われます。だから以前の容色もかなり衰えたと思いきや。今我が国でも空前の熟女ブームです。当今は、40代でもお色気ムンムンの美熟女がけっこういるようです。
 分けてもダナエは、かつて主神ゼウスの寵愛を受けペルセウスを授かったほどの美貌の持ち主です。美しさに益々磨きがかかり、ぞくぞくするほどの色香を発散させていたとしてもおかしくはありません。

 ポリュデクテス王はその魅力にぞっこんまいってしまったわけです。しかし気位の高いダナエは、田舎王の求愛など歯牙にもかけず拒み続けます。横恋慕男の心理として王の恋情はいよいよ燃え盛り、セクハラ、バワハラはエスカレートする一方。とうとう兵を遣わしてダナエの拉致を企てました。
 ダナエはたまらずゼウス神殿に逃げ込み庇護を求めました。当時の風習では、神殿の中へは兵を進めることができなかったのです。
 しかたなくポリュデクテス王の軍勢は神殿を取り囲み、兵糧攻めの持久戦に持ち込みます。

 そこにペルセウスが帰還したのです。
 「おのれ悪王め。この私にはゴルゴン退治を命じ、今度は母の拉致を企てるとは。何たる悪行。ええぃ、もう許せん」
 ペルセウスはポリュデクテス王の非道さに激怒し、王宮に乗り込みます。そして王と取り巻き連中や警護の兵士たちが集まっている中で、例の「秘密兵器」を取り出しました。
 「皆の者。この“生首”が目に入らぬか !」
 ご存知『水戸黄門』の決め台詞のようなことを言ったかどうか。ペルセウス自身は顔を背けて見ないようにして、メドゥサの首を高々と掲げました。それを見たポリュデクテス王をはじめ大勢の者たちは、たちまち石に変わってしまったのでした。

 こうしてペルセウスは無事母を救出しました。ペルセウスは、母と行動を共にし一貫して母を守ってくれたディクテスを、この地の王に推挙しました。(ディクテスはポリュデクテスの弟で、そもそも流されてきた親子を助けてくれた時からの恩人。)
 その上でペルセウスは、ゴルゴン退治にあたって協力してくれた神々への感謝の詞(ことば)を奏上しました。さらに隠れ兜と飛行靴をヘルメス神に返し、アテナ女神にあらためてメドゥサの首を献上したのでした。アテナはこの首を、自身の盾にアクセサリーとしてはめ込みました。

 すべての冒険譚が終了し、ペルセウスは母のダナエと妻のアンドロメダという二大美女を伴って、生国のアルゴスへと帰還したのでした。
 とは言っても、ペルセウスにもダナエにも、自分たちを箱に詰め込んで海に流したアクリシオス王(ダナエの父)への復讐心などはありませんでした。ただ単純にダナエは生まれ故郷への望郷の想いが募っただけ。またペルセウスも自分の祖父に一度会ってみたかっただけなのです。

 ところが、娘ダナエと孫のペルセウスの帰郷を知ったアクリシオス王の驚くまいことか。
 「汝の孫に殺されるであろう」
 昔のこの神託は、王にとって今も有効に機能していたのです。そこでアクリシオスは、二人の帰郷は自分への復讐のためだと確信します。そこで王は、何十年もこの国を治めてきたのに、さっさと王宮から逃げ出してしまいました。

 アクリシオス王が行方不明になったことにより、王の血筋を引くペルセウスが自動的にアルゴスの王となりました。王位を継承したものの、ペルセウスは祖父王の行方を捜し続けていました。
 一方逃走したアクリシオス前王は、新王ペルセウスと顔を合わせる危険が最も少なそうな田舎暮らしを選びます。

 そうこうしているある時、ペルセウスは祖父探しの旅の途中、アクリシオスの隠遁の地テッサリアで競技大会が開かれることを知ります。腕に覚えのある若くて逞しいペルセウスも参加することにしました。
 その噂はテッサリア中に広まり、アクリシオスは孫の活躍を一目見たくなり、ついつい大会会場へと足を向けてしまったのです。

 「引き寄せの法則」(第二)の、「何かを考え(続け)ると、望んでも望まなくてもそれが現われる」という法則が働いた結果なのでしょうか。
 競技大会の最中、ペルセウス王の投げた円盤は誤って客の方向へと飛んで行き、観客の老人を直撃し即死させてしまったのです。
 この観客こそアクリシオス王であったことは言うまでもありません。

 不本意ながら、ペルセウスは「祖父殺し」の責めを負うことになりました。
 ペルセウスは、かつてアクリシオス王と領有争いをしたプロイトス王の子メガペントスに、領国の交換を申し出ます。プロイトスはアクリシオス王と和解し、旧アルゴスの地の一部であるティリュントスの王となり、その子のメガペントスが王位を継いでいたのです。
 当時肉親殺しのような重罪を犯した者は、他国の地で穢れを祓ってもらう風習がありました。ペルセウスの領国交換は、そういう目的があったものと考えられます。

 こうしてティリュントスの王となったペルセウスは、自らの罪滅ぼしと同国の復興に力を注ぎました。そして彼の築いた二つの砦から、メディアとミュケナイという二つの古代ギリシャにおける重要な都市国家が生まれることになったのです。
 またペルセウスとアンドロメダは子宝にも恵まれ、この国でさらにたくさんの系譜が発生しました。その中には、ギリシャ神話一の英雄とされるヘラクレスも含まれています。

 最後に。ペルセウスは死後天に挙げられ(夏の風物詩となった感のある流星群で有名な)ペルセウス座に、妻のアンドロメダはアンドロメダ星雲に、義母のカシオペアはカシオペア座になりました。
 ギリシャ神話でも稀な「星座一家」と言っていいようです。 - 「ペルセウスの項」完 -

【注記】本「ペルセウス』シリーズは、阿刀田高著『ギリシャ神話を知っていますか』と、サイト『建国物語 3.ペルセウスの伝説』を参考にまとめました。特に後者に負うところ大です。深く感謝申し上げます。
http://lenai.sakura.ne.jp/myth/text/founder/3.html

 (大場光太郎・記)

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立川談志師匠、壮絶人生に幕

 -「談志の前に談志なく、談志の後に談志なし」。最後まで破天荒な落語家人生-

 落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名 ・ 松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日、喉頭(こうとう)がんのため死去しました。享年75歳。親族だけで密葬を済ませ、後日都内で「お別れ会」を開く予定とのことです。喪主は妻の則子(のりこ)さんです。

 とここまでは、某大手紙のネット版記事からほぼそのまま拝借したものです。どこの新聞・テレビも横並びでだいたい同じような内容でしょうから、何新聞など表記するまでもないでしょう。

 「落語」は日本文化の一側面であり、それなりにそのエキスが凝縮されている一伝統芸能としてある程度の敬意は払いつつも、テレビの落語中継などをたまたま見るくらいなもの。落語にテーマを絞ってじっくり聴いてみた、というようなことはありませんでした。
 立川談志師匠もその延長線上にありました。私などの若い頃(昭和40年代前半)既にテレビに出ていたこと、ビートたけしなどよりずっと前から「毒舌」でならしていたこと、その後参院議員になり長く国会活動をしていたこと。談志師匠について知っているのは、おおむねそんなことくらいです。

 あっ、そう言えば。何年前だったか、NHK総合で談志師匠を取り上げた深夜番組がありましたっけ(BSなどの再放送だったかもしれません)。その頃では病がかなり進行し、往年の迸るような気力が陰をひそめ、よれよれになって、生きるのも辛そうな談志師匠の姿がそこにはありました。

 頬はこけ顔に精気なく言葉の張りは失いつつも、なお高座復帰に賭ける日々を追ったドキュメンタリー番組だったでしょうか。その番組を通して、「落語道」をなおも追及し続ける執念と言おうか、いっそ鬼気迫るとでも言ってしまおうか。談志師匠のそういう気迫が画面を通してビンビン伝わってきました。
 その時初めてと言っていいくらい、『談志ってのは、スゲエ(凄え)落語家だなぁ !』と認識を新たにさせられたのです。

 その番組を見て実感した談志師匠の「ただならぬ生き様」が、師匠の死の直前如実に出たようです。
 ここ何日か、談志師匠は、昨年11月に再発した喉頭がん治療のために声帯を取ることは、「プライドが許さない」と本人が拒否したという報道が駆け巡っていました。そのため声帯切除はせず、自宅療養と入院を続けたものの、今年10月27日に容体が急変し、そのご3週間は意識が戻らずじまい。遂に21日亡くなったわけです。

 ただならぬ生き様が、即「ただならぬ死に様」に直結することになってしまったようです。しかし「生き様」は十人十色です。生き様がそうであるのなら、「死に様」とてそうあってしかるべきです。

 「今この時」は生き方のみならず、死に方も一人ひとりが各人でプロデュースする時代になってきているようです。
 なおも生きたければそういう処置をしてもらえばいいだろうし。『もうここらへんでいいや』と本人が思えば、変な延命措置など不要だろうし。これまでのように、「葬式仏教」式のステレオタイプのお葬式にこだわる必要はないのだし。いっそ葬式やお墓など「不要」という人がいてもいいのだし。
 その意味で立川談志師匠の死に方の何と見事なことよ、と思わずにはおられません。

 生前談志師匠自らがつけた戒名は洒落(しゃれ)っ気たっぷりで、「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。家族に見守られながら、安らかに眠りについたといいます。「どうだ、オレの戒名は。アッハッハッハ」。談志師匠の高笑いが聞こてきそうです。
 「大往生間違いなし」でしょう。ですが一応世間のしきたりとして。ご冥福心よりお祈り申し上げます。

参考・引用
『日刊ゲンダイ』11月25日(9面)

 (大場光太郎・記)

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天皇ご不在の新嘗祭

 直前の『新嘗祭と天皇』でみましたように、今年の新嘗祭は天皇陛下ご欠席の下で執り行われました。この異例な今年の新嘗祭はどのように行われるのか。陛下ご不在という事態によって、かえってにわかにクローズアップされた感があります。『msn産経ニュース』が詳しく解説していますので以下に転載します。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111122/imp11112222520001-n1.htm

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きょう新嘗祭 陛下ご不在は初めて 掌典長が代拝
2011.11.22 22:50

天皇陛下が自らその年の収穫を神々に感謝する儀式で、宮中祭祀(さいし)の中で最も重要とされる「新嘗(にいなめ)祭」が23日、行われる。しかし、今年は陛下が祭祀にお出ましにならないことが決まっている。病気を理由に陛下がご不在となるのは初めて。今年の新嘗祭は、どのように執り行われるのか。

 新嘗祭は皇居・宮中三殿の近くにある「神嘉殿(しんかでん)」で行われる。殿上に上がるのは伝統的な装束を身につけられた陛下と皇太子さまに限られ、ほかの皇族方は庭から拝礼される。

 例年だと儀式は陛下が主体となって行われる。陛下は全国から献上されたり、皇居で収穫したりした米とアワの新穀、新米から造った酒などを神前に供えられる。続いて神前に拝礼、「御告文(おつげぶみ)」を奏上した後、供え物を神々とともに食べる「直会(なおらい)」の儀式に臨まれる。

 午後6時からの「夕(よい)の儀」と午後11時から未明にかけての「暁の儀」があり、各2時間ずつ、計4時間のほとんどを正座で過ごされるといわれる。皇太子さまは、自身の拝礼時以外は、陛下とは別の部屋で終了まで控えられている。

 今年は宮中祭祀をつかさどる掌典職のトップ、掌典(しょうてん)長が陛下に代わり供物を供え、祝詞を読み上げる「代拝」を行う。宮内庁によると、皇太子さまはご自分の拝礼時に殿上に上がり、皇族方のご拝礼前に退出される。昭和時代の前例に従ったものだという。

 祭祀関係者は「陛下が出られる場合、着替えるだけで30分の準備がかかる。その重い装束で神嘉殿まで歩くのも大変だ」と明かす。

 宮内庁によると、昭和天皇は69歳で暁の儀へのお出ましをやめ、70歳で夕の儀も途中からとなった。陛下は来月78歳を迎えられる。

 国事行為の臨時代行などを務める皇太子さまだが、新嘗祭では儀式を代わりに行われることはない。祭祀は明治時代に制定され戦後廃止された「皇室祭祀令」に準じて行われ、陛下の代拝は掌典長がするものとされているからだ。

 祭祀関係者は「神とともに供え物を食すのは陛下以外誰にもできない。それだけ重要な儀式だが、陛下のご健康が一番大切。今年はゆっくり休んでいただきたい」と話している。
  (転載終わり)
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【追記】
 まことにの慶ばしいことに、天皇陛下がほぼ快癒され、近く東大病院を退院される予定とのニュースが入ってきました。以下に『47NEWS』記事を転載します。
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011112301002137.html

天皇陛下近く退院へ 発熱やせき、ほぼ回復

 気管支肺炎で東大病院に入院中の天皇陛下が近く退院される見通しとなった。発熱やせきの症状は、23日までにほぼ治まったという。

 医師団は「今月いっぱいは皇居・御所で静養していただきたい」としており、体力の回復具合をみながら公務復帰の時期を検討する。

 宮内庁関係者によると、天皇陛下はお見舞いに訪れた皇后さまと食事を共にし、音楽をかけながら室内を歩くリハビリもしている。

 6日に入院。高熱やせきが続く症状から、マイコプラズマが病原体となった可能性があると診断された。入院中は抗生物質投与などの治療が行われた。  (転載終わり)

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なお本記事とともに、直前の所感『新嘗祭と天皇』も併せてご一読ください。
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-681d.html

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新嘗祭と天皇

 -新嘗祭の簡単な意義と、同祭への天皇陛下ご欠席についての少考です-

 きょう11月23日は勤労感謝の日です。この祝日の意義については、昨年の『勤労感謝の日に思うこと』などで述べてきました。そこで今回は取り上げません。
 今回は天皇陛下のご病状との関連で、同日に行われる宮中祭祀について考えてみたいと思います。

 11月23日は「新嘗祭」(通常の読み方は「にいなめさい」、他に「にいなめのまつり」「しんじょうさい」とも)という宮中祭祀が執り行われる日でもあります。起源は飛鳥時代頃からとかなり古く、戦後の昭和23年(1948年)から国民の祝日として施行された勤労感謝の日は、戦前の新嘗祭が装いを変えたものなのです。
 新嘗祭は宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われ、祭主である天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんしんちぎ-天地の神々)に勧め、また自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する儀式です。
 収穫祭は世界的に広く見られます。特に戦後日本にとって、米国の「Thanksgiving Day(感謝祭、収穫感謝祭)」(11月の第4木曜日)はおなじみです。

 我が国は稲作が始まった縄文時代末期以降戦後の高度経済成長までの2千年以上、農耕社会が連綿と続いてきました。その土台の上に、古代天皇家が祭祀化する以前から、各地で五穀の収穫を祝う風習がありました。
 その伝統から言えば、古墳時代に大和や畿内の諸豪族を束ね、次第に中央集権的王権を確立していった天皇とは、本来的性格として「自然(ビュシス)王」であり「農業王」だったのです。そこで重要な意味を持つのが、その年の五穀の収穫を祝う各地のお祭りです。
 古代天皇家は自然王、農業王としての基盤を磐石なものとするため、各地の収穫祭を天皇家が集約的に一元化する祭祀を意図したと考えられます。「五穀の収穫を制する者が国を制す」だからです。

 新嘗祭が文献上初めて登場するのは歴史書『日本書紀』からです。同書中の、皇極天皇元年(642年)11月16日(同月2番目の卯の日)に新嘗祭を執り行ったという記述が最初です。有名な大化の改新(645年)の3年前のことです。
 律令制度のもと、11月の2番目の「卯(う)の月」に新嘗祭を行うよう規定されました。なお新天皇が即位した最初の新嘗祭を特に「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼び、天皇の即位を天下に広く知らしめる大きな祭典となっています。

 今日のように11月23日に変わったのは明治以降です。近代国家を装う以上日にちを固定する必要が生じ、新嘗祭のこの日を国民の祝日と定めたのです。
 戦後の昭和23年(1948年)から「勤労感謝の日」と名を変え、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日と、我が国の新嘗祭と米国の感謝祭を折衷したような意義が賦与されました。

 以上簡単にみてきたような歴史と意義を有する新嘗祭。今年は大変残念ながら、ご病気の快癒に至らず今上陛下のご列席は適わない状況です。

 新嘗祭の意義について特に重要なのは、「天皇が五穀の新穀を天神地祇に勧め、また自らもこれを食し」という事です。これは「神人共食」と言われている秘儀です。祭祀中に神殿で、不可視の神々と天皇が共食するというところに深い意味があるのです。
 それは本来余人には替えられないものです。なぜか?天皇は即位の儀式の中で特別に「天皇霊」が賦与されるとされているからです。だから天地の神々の地上代行者は時々の天皇しかいないのです。

 とは言え今上陛下は現在も東大病院にご入院中とみられます。さほど深刻なご病状ではないにせよ、新嘗祭は夕方から始まり深夜にまで及ぶ長時間激務です。同祭祀の意義など陛下ご自身が痛いほどお分かりでしょうが、今後の差し障りとなっては大変です。

 今回のご病気は気管支炎などと報道されていますが、3・11大震災と直後の福島原発事故という立て続けに起こった未曾有の災害・事故へのご心痛からではないのか?と、私は密かに考えています。
 3・11以降の社稷を預かる者たちが、どれもこれも私利私欲に凝り固まった不忠の者たちばかりで。あるのは己の政権維持の念のみ、国を憂う心も国民を思う心もかけらもありはしません。
 これでは陛下のお心が休まることがありません。

 私たち人間にとって「自然」は想像以上に大切です。今日のように食糧自給率40%という、先進各国でも異常なほどの立派な(?)脱農業社会へと変貌しようと、私たちは「自然の法則」から逃れることは決して出来ません。
 ですから天皇が、昔も今も自然の力を国民に媒介する自然王、農業王であることに変わりありません。時代に合わせて、天皇が「ハイテク王」に変身するなどあってはならないのです。

 言うまでもなく、私たちの“身魂(みたま)”にとって「食」は極めて重要です。古来我が国で言い伝えてきたことの一つは「身土不二(しんどふに)」が大切だということです。身近な土地で取れた五穀、野菜類を食するのが、一番理に適った健康法なのです。
 それともう一つ言えば。日本と米国・豪州などとは「大地の気」が根本的に違います。大本聖師・出口王仁三郎はずっと昔、「日本は陽の国、アメリカは陰の国。お土の成分がまるで逆なのじゃ」と言い切っていました。

 アメリカで同じコシヒカリを育て日本に持ってきても、本場コシヒカリとは似て非なる「マイナス・コシヒカリ」なのです。小麦、大豆、牛肉など他のすべての食品がそうです。こんなものをせっせと食べ続ければ早晩病気漬けになること請け合いです。
 それに加えてロックフェラー系の巨大企業・モンサント社は、自然の摂理に反する遺伝子組み換え食品を日本で大量に流通させることを画策しています。同社は元々ベトナム戦争時の枯葉剤で大もうけした、血も涙もない“レプティリアン”冷血企業です。
 こういうことが、ТPP参加後の日本に待ち受けている事態の一端なのです。

 「このままでは日本と日本人は滅亡ざぞ」
 今回の天皇陛下の新嘗祭ご欠席は、「日月の神」など天地の真の神からの警告なのではないでしょうか。

 天皇陛下の一日も早いご快癒と、皇室の幾久しい弥栄(いやさか)を心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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フランク・ミルズ『詩人と私』

 今回取り上げましたフランク・ミルズの『詩人と私』。中には『懐かしい !』と思われた方もおられるのではないでしょうか。
 それもそのはずです。曲自体は今聴いても何ら新鮮さを失ってはいませんが、私がこの曲を初めて聴いたのは昭和57年(1982年)のこと。今からかれこれ30年近く前にもなるのです。

 確か当時の職場で、ある日の午後ラジオから流れてきたのだったと記憶しています。私は聴きながら熱いものがこみ上げてきました。もし周りに人がいなければ、ボロボロ涙をこぼしていたかもしれません。当時の心境など思い出す由もありませんが、なぜかそれほど深く感動したのです。
 その時「フランク・ミルズ」というピアニストの作品らしいと分かり、早速この曲を含む『フランク・ミルズ・ベストコレクション』というカセットテープを買いました。

 その中には『街角のカフェ』『愛のオルゴール』といった、フランク・ミルズファンならご存知の代表曲がすべて網羅されていました。それでも私のお気に入りはやはりこの『詩人と私』、当時繰り返し聴きました。
 それとそのカセットで掘り出したのですが、『リフレクションズ』という曲も“お気に入り”になりました。こちらはまた別の機会に取り上げたいと思います。

 ついきのうの事のようですが、『もう30年も経ったとはねぇ…』という感懐にとらわれます。あの頃33歳と決して若くはなかったものの、30代前半は私の人生の最盛期だったように思います。
 頭と体のバランスが一番良く取れていた年代だったと思うのです。もちろん体のどこかに不調感を感じることなどあまりなく、「天人が雲の上を遊行するように」はかなりオーバーとしても、時に自分に体があることすら忘れてしまうくらいでしたね。頭は今よりずっと明敏に働き、想い描いたイメージどおりの事を、間髪入れずに即行動出来てしまえたのです。

 つい余計な事に脱線してしまいました。とにかく昔聴いた印象深い曲というものは、ずい分経ってから聴き直してみると、当時の事が次々に懐かしく思い出されてくるものです。

 当時は、『午後の旅立ち』などの名曲のあるリチャード・クレイダーマンというピアニストも人気でした。どちらかというとクレイダーマンの方が圧倒的人気だったかもしれません。当時こちらもカセットで聴いていましたが、フランク・ミルズの方が私の感性にはよりフィットしたようです。

 『詩人と私』に特別季節というテーマはないと思います。今回引用したYouTube動画の背景が「奥森吉の秋」で、ちょうど今の紅葉の季節にぴったりなのでこの時期の紹介となりました。それに「秋は誰をも“詩人”にする」と言いますし。
 なお「奥森吉」(おくもりよし)は北秋田市の森吉山県立自然公園内にある、白神台地並みにブナなどの原生林が広がる景勝地のようです。画像中紅葉している木々は、きっとブナであることでしょう。

 『詩人と私』。今改めて聴いても、さながら「天上の楽の音(がくのね)」という趣きがします。また(当時はそんな概念はありませんでしたが)優れた「ヒーリングミュージック」だと思います。


 (大場光太郎・記) 

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資本主義が終わり、次は何主義?

 以下に掲載する一文は、『日刊ゲンダイ』(11月21日)2面の全文です。一読、再読に値する内容なので、『阿修羅掲示板』に転載されたものを再転載します。http://www.asyura2.com/11/hasan74/msg/229.html

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資本主義は終わりの局面 冷静な目で考える次の世界経済
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-4309.html
2011/11/19 日刊ゲンダイ :「日々担々」資料ブログ

◆ギリシャ破綻の次はイタリアの破滅、そしてドイツ、アメリカ、日本と連鎖する危機の実相

 ギリシャ危機はアッという間にイタリアに飛び火し、その火はEU全土に燃え広がる勢いだが、どうしてこんなことになったのか。立ち止まって、冷静に考えてみる必要がありそうだ。

 たかが、ギリシャのデフォルトである。小国の財政問題で、なぜ世界経済が沈没の危機に瀕するのか。ギリシャの財政危機はとっくの昔から分かっていたし、イタリアやスペイン、ポルトガル危機も予想できたことだ。イタリアの政治的な不安定さもいつものことで、何もベルルスコーニだからという話ではない。つまり、天変地異のようなことが起こったわけではないのに、世界が沈むような大恐慌になりつつあるのはなぜなのか。それをハッキリさせる必要があるのだ。

 慶大教授の金子勝氏(財政学)は「欧州危機の本質は、国家の財政危機ではなく金融危機だ」と言った。
 ギリシャ一国が破綻したところで、世界は困らない。欧州の金融債を保有する金融機関が困るのである。そして、金融がダメになると、連鎖で世界経済が破滅する。歪んだ金融資本主義をつくり上げてきたツケだ。それがモロに回ってきたのだ。
 「リーマン・ショックで弱った銀行は、きちんと不良債権処理をしてこなかった。そこに欧州の国債危機が重なったため、耐えられなくなったのです。債権処理をしようにも、複雑な証券化商品は、あちこち混ざり合って、どこに何があるか分からない。何から手をつけていいかも分からない。これは市場原理主義のなれの果てです」(金子勝氏 = 前出)

◆1%のために世界が崩れるアホらしさ

 ここでもうひとつの疑問。そうやって共倒れにならないように、各金融機関はリスクヘッジをしてきたのではなかったか。CDSに代表されるようなデリバティブを発行し、どこかが潰れても連鎖しないように金融工学を応用してきたのではなかったか。
 「それがまた裏目に出たのです。高度に進化した金融工学は、コンピューターを駆使する。世界中が同じようなルール、プログラミングでリスクヘッジしているものだから、ひとつの綻(ほころ)びが生じた途端、みんなが共倒れになってしまう。恐ろしいのは、金融工学を過信して、各金融機関はリスクを平気で拡大してきたことです。ヘッジしているから大丈夫とタカをくくり、抱えきれないリスクを背負った。だから、ギリシャの小さな問題が世界中をのみ込んでしまったのです」(金融ジャーナリスト・浪川攻氏)

 愚かな話だ。金融工学への過信もアホなら、それによっていい思いをしたのはたった「1%」の富裕層だけなのだ。
 米議会予算事務所の統計によれば、上位1%の平均年収は96万ドル(約7500万円)で、彼らが米国資産の半分近くを保有している。富を独占しているのは、ウォール街のバンカーたちだ。コイツらのせいで、世界経済が音を立てて崩れようとしている。公共サービスはカットされ、年金カット、増税を余儀なくされる国々が続出することになる。こんなバカバカしい話はない。

◆マネー資本主義は完全に終わった

 ハッキリしたのは、もうこのシステムは持たないということだ。マネー資本主義、金融資本主義の終焉である。福井県立大教授の服部茂幸氏(経済学)は、こう言う。

 「米国発の新自由主義経済システムは、完全に行き詰まった。出口がありません。これまで、米国の『金融立国』の成功を1%のエリートが享受し、自画自賛してきました。しかし、この1%の成功でさえ、砂上の楼閣だった。住宅バブルがはじけて、楼閣はもろくも崩れ去ったのです。冷静に考えれば、いつかこうなることは分かっていた。とうとう“その日”がやって来たということです」

 金融が機能しなくなれば、資本主義はもうオシマイだ。今はグローバル経済で、みんなつながっている。日本だけが助かるなんて、あり得ない。危機はやがて、フランス、ドイツに波及し、世界を巻き込み、当然、日本も直撃する。これが今回の危機の実相なのだ。

◆ルールなきジャングル経済に向かう世界

 だとすると、資本主義が終わって、次に来るのは何なのか。欧州もダメ、米国もダメ、もちろん、日本もメタメタで、先進国は総崩れ。どこもリーダーとなり得ない。

 元相愛大学長の高橋乗宣氏と同志社大教授の浜矩子氏が書いた「2012年 資本主義経済大清算の年になる」(東洋経済新報社)には、こんなくだりが出てくる。

 〈ドルはいまや、世界の迷惑通貨になっている。基軸通貨とは、その国にとっていいことが世界中にとってもいいことである、ということだ。19世紀の「パックス・ブリタニカ」の時代はポンドがその役割を担った。第二次世界大戦後、「パックス・アメリカーナ」が幕開けした。今やその関係は明らかに成り立たなくなっている〉

 その上で、今後の地球経済は「ルールなきジャングル経済に向かう」と書いていた。そうした混乱期には戦争や恐慌が起こる。それが過去の歴史だ。混乱期が過ぎれば、おそらく、中国やインドなどの新興国が台頭してくるのだろう。元財務官で青山学院大教授の榊原英資氏は本紙のインタビューでこう言っていた。

 〈近い将来、国際社会のリーダー的存在になっているのは中国かもしれない。近代資本主義は終わり、国家資本主義の時代になるのではないか。市場経済はそのままだろうが、バックには国家がつく。そうした国が繁栄し、日本も含めて、先進国は衰退していく〉

 新自由主義経済の後は中国型資本主義ということだ。一言で言えば、戦後日本の官僚主導経済に似ているかもしれない。今後は先進国が衰退し、新興国の時代になる。新興国は保護主義にならざるを得なく、国家の統制が強くなる。そこには資源ナショナリズムも絡み、世界がブロック経済化していく。

◆国家資本主義もおぞましい社会

 問題はそれがいいことなのかどうか、ということだ。野放しの弱肉強食社会であった新自由主義の勝者は1%だったが、そこに国家の規制とコントロールが加われば、そこまで格差は広がるまい。統制された競争であれば、勝者は10%くらいに増えるかもしれない。とはいえ、それだって格差社会であることには変わらない。資本主義は格差を生む。格差は民主主義の危機を招く。世界経済が混沌とし、民主主義が危機に瀕し、民族主義やナショナリズムが台頭する。そんな時代になるのである。

 金融ジャーナリストの須田慎一郎氏は「金融危機は世界経済の低迷を招く。今後は国家統制経済になり、貧者のキャッチボールの時代になる」と言う。つい最近も中国経済を視察してきた経済ジャーナリストの井上久男氏はこう言った。
「中国では教育に投資するんですよ。親戚が金を出し合って、ひとりの子どもの教育費を出す。その子が出世してくれれば、みんなが潤う。期待に応えられない子どもが自殺したりする。こうした競争社会もまた、おぞましい」

 歪んだ社会主義下の競争社会もまた怖い。世界経済は本当にジャングル化し、暗中模索の時代になる。未曽有の混乱が長く続くのは避けられない。  (転載終わり)

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清武解任で内紛一応決着?

 -日本シリーズを平気で吹っ飛ばす、「球界の足ひっばり盟主」は永遠に不要です-

 日本シリーズ直前に持ち上がった、巨人軍の清武英利球団代表(61)と渡辺恒雄球団会長(85)との内紛。
 これは、口の悪い『日刊ゲンダイ』によれば犬も食わない「痴話喧嘩」だそうですが、実際清武vs渡辺の醜い罵り合いに付き合わされた国民はウンザリ、ゲンナリでした。
 それがほぼ1週間が経過して一応の決着をみようとしています。

 18日桃井恒和球団オーナー(64)が記者会見し、「清武代表解任」を発表したのです。桃井オーナーは、解任の理由として次の5項目を挙げています。
 ①独断で会見を行い巨人と社会を混乱させた
 ②会見で誤った事実を公表し巨人と読売グループの名誉を傷つけた
 ③コーチ人事など機密事項を暴露した
 ④反省せず敵対行為を取った
 ⑤取締役辞任と引き換えに渡辺会長の解任と常勤監査役就任の不当な要求をした
 桃井オーナーは「日本シリーズの妨害になるのでは」の質問に、「不正常な状況をこれ以上は放置できないということで、この時期の決定となった」と説明しました。

 11日文科省内という公共施設を使って内情暴露、渡辺批判会見を行いながら、自ら辞任する意思など毛頭なく、以後も悪びれず代表として球団業務をこなしてきたような“いいツラの皮”の清武氏です。
 解任以降は、球団に関する一切の身分は剥奪され、球団内への出入り禁止という厳しい処断が下りました。これで一気に意気消沈かと思いきや。清武氏は至って意気軒昂、「私は間違ったことはしていない」と一歩も引かぬ構えです。

 解任に対して早速「今日のことは不当だと思っている」と反論し、強気の姿勢を崩していません。そもそも前回会見時、清武代表の弁護士は「あまりに理不尽なことがあれば対応を考える」と話しています。
 つまり今回の解任を不当として法的措置も辞さないとみられるのです。

 仮に訴訟となった場合、清武氏は勝てる見込みがあるのでしょうか?
 刑法の専門家である板倉宏氏(日大名誉教授)は、「清武氏の勝ち目は非常に乏しい」と結論づけています。
 その理由として「桃井オーナーが上げた①~⑤の解雇理由はいずれもまっとうと言えるもので、彼の行動が巨人に対しての信頼を貶めたことになったのは確かです」と言い、また「内輪もめに大王製紙やオリンパスを引き合いに出したことで、巨人から名誉毀損で訴えられもおかしくはない」と述べています。

 こうしてみるととても勝ち目がなさそうなのに、清武氏が「これから本当のことが明らかになる」(母校での講演)などと強気に出ているのはどうしてなのでしょうか?
 何らかのスキャンダルを握っていて、内情暴露などの行為に出ることも十分有り得るようです。何と言っても同代表は04年から巨人の編成に携わってきたわけですし、それ以前は長く読売新聞の社会部部長を務めていた御仁です。表ざたになるとヤバイ、渡辺会長や巨人軍の悪事を握っていてもおかしくはないわけです。火種はなおくすぶったままと言うべきです。

 以前は盾つくなど考えられなかった「ナベツネ独裁体制」でしたが、今回は飼い犬に手をかまれ大怪我をしてしまった格好です。しかも謝罪を求める猶予まで与えたのに、逆に反論される始末です。一連の出来事は、ナベツネの威光に翳りが見え初めていることの証明と言えます。
 だからこそ余計、ここは何としても強硬手段に出ざるを得なかったとみることができるのです。

 こうしてナベツネも深く傷を負った今回の内紛劇。「清武解任」で一番得したのは原監督(53)とみられています。
 とにかく近年の清武代表との関係は最悪で、トレードや新外国人補強に関してはカヤの外。清武代表が独断で連れてきた新外国人を自分より先にスポーツ紙が報道し、それを通して知るという屈辱も味わってきました。
 コーチ陣も同様で、これまでも監督と関係良好なコーチは降格させられたりクビにされたり。このオフのコーチ人事も清武主導でした。

 球団新代表に決まったのが原沢敦氏(55)です。同新代表は19日、早速秋季キャンプ地の宮崎市を訪れ、原監督や選手たちと顔合わせをしています。清武氏にさんざん煮え湯を呑まされてきた原監督とすれば、今後は補強やコーチ人事などに自分の意見が反映され、監督業がしやすくなるのは確実です。

 アンチ巨人の私は、来季も渡辺-清武-原というグチャグチャ体制が存続することを願っていました。しかし結果として渡辺-原はそのとおりでも、騒動の原因となった清武氏のみが外れることとなりました。
 ウ~ン。これはあまり歓迎できない展開ですね。どうせだったら清武クーデターが成功し、清武は球団内独裁体制を揺るぎないものとし、渡辺-原の両名が放逐されるという逆パターンが次善だったんですけどね。
 野球オンチらしい清武氏が、今後も的外れなトレードや外国人補強をしまくり、コーチ陣も清武お気に入りの人事とする。これだと、来季以降誰が監督でも巨人のますますの弱体化が確実だったわけです。

 原沢新代表が有能か無能かに関わらず(どうせナベツネのイエスマンでしょう)、これで巨人内部の風通しが一気に良くなられると困るのです。まして長期政権を目論む原“独裁”監督にとって、目の上のタンコブだった中日の落合監督の退任が決まっています。もう怖い者なしです。
 トレードや新外国人補強に成功した来季の巨人は、スタートダッシュから順調、5月連休明け頃にはブッチギリの首位に立ちそのまま独走し続け、前半で早くも他球団は追撃をあきらめる。そんな展開も予想されそうです。ア~ァ、嫌だ嫌だ。

 今回の一連の騒動が、巨人にとって「雨降って地固まるにならなければいいがなぁ」と思うのは私だけでしょうか?

参考・引用
『日刊ゲンダイ』11月21日(36面)など
関連記事
『巨人軍、渡辺vs清武の仁義なき内紛』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-fd21.html
『かくてナベツネ体制はなおも続く』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b388.html

 (大場光太郎・記)

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ミノリス・メッセージ(4)

 久しぶりの「ミノリスメッセージ」です。
 これには理由があります。ミノリス・ブログ、8月15日の『須佐之男命様メッセージ』を最後に、その後更新がばったり止まっていたからです。多くのミノリスファンもそうだったかと思いますが、『ミノリスさんの身に何か起きたのだろうか?』と心配していました。

 これまで何度か当ブログでもメッセージをご紹介してきました。それをお読みの方ならお分かりかと思いますが、世界中の主要“闇のマスメディア”が絶対伝えない、真実の核心に触れた驚愕の内容です。それは闇の勢力にとっては甚だ「不都合な真実」情報であるわけです。
 ですから私は、『ミノリスさん、ひょっとして闇の勢力によってどこかに拉致されてしまったのか?』などと、あらぬ気をもんでいました。

 またこうも考えました。『ミノリスさん、問題の2012年12月22日を待たずに、既にアセンションを遂げてミノリス星に帰星されたのか?』
 いずれも考えすぎで、今回久しぶりにミノリスブログを訪れたところ、今月7日から再開されていたことを知りました。その間のブランクは、通信が不自由な人里離れた所に移動されていたことなどによるもののようです。

 ともあれ「メッセージ再開お慶び申し上げます」と言いたいところですが。今回転載メッセージの冒頭にありますとおり、このメッセージを含めてあと10回限定ということのようです。
 まことに残念ですが、「時がそれくらい迫っている」ということなのでしょうか?その後もどんどんお出しになっていますからもう残りあとわずかということなのでしょうか。
 私も含めて心ある方々は、今現在と2010年の初めからのメッセージ、今のうちしっかりと味読しておきたいものです。

 ミノリス様には、是非メッセージの存続をお願いしたいものです。もしゆえあって(高次元のご存在方のタイムスケジュールで)終了となりましても、今しばらくは貴ブログそのままお残しいただければ幸甚に存じます。  (大場光太郎・記)

『ミノリス Minoris の UREGENT MESSAGE(緊急情報)』
http://blog.goo.ne.jp/minoris_2010

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「闇の者たちは最後の時を迎える準備をしている。しかし彼らは失敗するだろう」 リンドバーグ 2011.10.27

このミノリスのブログもあと10回ほどで、通信を完了することになる。

残されているメッセージは、次の内容だ。

…………………………………………………………

・ユダヤ・イルミナティの崩壊について

・日本の行く末と世界情勢について

・福島と放射能について

・マヤの暦の「終わりの日」について

・フォトンベルトと「暗黒の3日間」について

・地球のアセンションと、必要な意識の変容について

・二ビルの接近と、地球の地殻変動について

・地球外生命体(宇宙連合)の地球への出現と交流について

…………………………………………………………


まず、現在の日本は、
夏の最大の危機を乗り越えて、無事に済んでいる。

複数の地震計画と、富士山の噴火工作は、行われずに至った。
(これは、多くの人々の祈りが非常に効果を為している)

イルミナティは、日本を潰すことができずにいる。

今年2011年の夏が、日本と地球の運命の分かれ道だった。


日本を東西に分断し、経済と国政を破壊する彼らの計画は流れた。

しかし、福島原発と日本の民主党の国政の推移は、あまり良くない。
日本は、国民の意識の低迷と混乱の手前にある。


また、ユダヤ・イルミナティが計画している
リビア、エジプト、シリア、イラン、トルコ、中国などを巻き込んだ
中東・第3次世界大戦は、起こらずに現在に至っている。

(日本が福島以後、ほぼ無傷で生き残っていることが、
 世界の安定につながっている。)


今後の世界情勢と地球の流れは、次のようになる。

まず、来年早々、かなり大きなショッキングな出来事が起こる。
これによって、人々の意識が大きく変わるだろう。
(このブログで時期を公表する)


ユダヤ・イルミナティの計画していた、
「人工的な地球の大変動と戦争とHAARPによる天災」は、
その多くは失敗したり、
彼らの計画する大規模なものから小規模のものに変わったりするだろう。

多数の核を撃ち合う大規模な核戦争は、可能性が低くなってきている。
よって、人工的な災害や核戦争による地球人類の滅亡は、
その可能性が減ってきている。

しかしながら、今後、それに変わって、
非常に問題になってくるのが、「二ビルの最接近」だ。

二ビルは、独自の太陽(恒星)を持つ、巨大な星々だ。
それが、太陽と地球に近づいている。

木星サイズの巨大な星が、物凄いスピードで、
太陽系の中心をこれから横切る。

その結果、地球は、ほかの惑星と同じく、非常な潮汐力を受ける。

つまり、地球の地殻が、二ビルの非常に強い引力によって変動を起こす。

(既に太陽が既に一回転したり、
 他の太陽系の惑星の地軸が変化したりしている。)

これによって、地球は、
地軸と地殻に非常に大きな変化を起こす可能性が高い。

(二ビルの最接近は、来年2012年5~6月)


地球は今後、、二ビルによる天変地異を経験するだろう。
(多くの人々がそれによって亡くなる可能性がある)

そして、来年からは、
世界各地で、(良い)UFOと宇宙人が姿を現すだろう。



…………………………………………………………
リンドバーグ メッセージ  2011.10.27
…………………………………………………………

闇の者たちは最後の時を迎える準備をしている。

しかし、彼らはそれに失敗するだろう。

彼らの世界中の人々を滅ぼし、

自分たちの世界を作るという計画は、失敗するということだ。


彼らは今、躍起になって、様々な企てを実行に移している。

地震、津波、洪水、ハリケーンetc・・・

戦争、内紛、彼らの描いたシナリオが各地で進められている。

大勢の人々が彼らの犠牲になっている。

しかし、彼らに神の鉄槌が下される日が来るだろう。

悪はやはり、滅びるのだ。   (転載終わり)


ミッション・セントルイス(リンドバーグ・メッセージ) 

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写真を発明した人

  想像力は世界を制する  (ナポレオン)

 例によって18日のGoogleまた「変わりロゴ」でした。長方形の額縁のような黒っぽい図案の中に、19世紀西洋人家族と思しき肖像が描かれています。
 『今度は誰の、どんな仕事をした人の生誕日なんだろう?』。最近ではグーグルさんの趣旨を心得て、真っ先にそんな疑問を持てるようになりました。

 その変わりロゴのどこかにカーソルを移動させると、「ルイ ダゲール 生誕 224周年」というのが表示されます。『ルイ・ダゲール?聞いたことないぞ』。ルイというくらいですからフランス人らしいことは分かりましたが、初めて目にする名前です。もちろんこの人物がどんな業績を残したのかなど知る由もありません。
 そこでロゴにもう一度カーソルを動かせ、そこをクリックしてみます。すると気が利いたことに、グーグル検索に飛び「ルイ ダゲール」の項のトップ面が表示される仕組みです。

 検索総数「38,900件」。表示されているトップ面最上部はウィキペディアです。そこで「困った時のウィキペディア頼み」。これまでもずい分ウィキペディアさんにはお世話になりましたし、当ブログ記事作成でも実際急場を助けられてきました。
 早速それをクリックすると、真っ先に飛び込んできたのは、
 「ウィキペディア創設者ジミー・ウェールズから
              の
        お願いをお読みください」
の大きな文字。左サイドにはウェールズ氏の肖像もあります。

 これもつい最近まではなかったと思います。ただ2年前くらいも確か同じような呼びかけがありましたから、趣旨は読まなくても分かります。多分「ウィキペディアの運営上資金が厳しくなりました。今度はあなたがウィキペディアを助ける番です。あなたのカンパをお待ちしています」ということでしょう。
 前回はカンパしませんでしたが、今回は『そのうち何とか考えますね』と思いました。ウィキペディアさんには何がしかのカンパでもしないと、本当に罰が当たりそうですから。

 さて肝心の「ルイ ダゲール」についてです。
 「ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール(1787年11月18日-1851年7月10日)は、フランスの画家、写真家。写真を発明した人物として知られる。写真の研究を行う前は、パリで舞台背景画家・パノラマ画家・ジオラマ作家として活躍していた。」と冒頭説明してあります。
 ここまで簡潔に説明されれば、『そうだったのか。世界で最初に写真を発明した人だったんだ』とたちまち了解です。

 
     ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール 

 そういえば今回のグーグルロゴ、よく見るとセピア色めいていて、当時の上流家庭の写真を模したものと思えなくもありません。
 ルイ・ダゲールは同じ画家で、先に写真研究を開始していたニセフォール・ニエプスとともにカメラの研究を開始。ニエプスは1826年に最初の写真術であるヘリオトグラフィーを発明し、世界最初の写真を残しているものの、露光時間8時間と極端に長くとても実用化できるものではありませんでした。

 ダゲールはニエプスの死後も研究を続け、1839年に銀板写真を発表しました。このカメラは発明者の名前を取って「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、露光時間を最終的に1、2分にまで抑えることに成功し、肖像写真の撮影も容易なものになりました。

 私はこれまで、写真術は19世紀半ば頃の西洋発くらいの認識は持っていました。しかし誰か特定の人物によるものではなく、必要上多くの人たちの参画と改良によって自然発生的に生み出されたものとばかり思っていました。
 しかし実際はルイ・ダゲールが発明したものだったわけです。

 ダゲールは本来「画家」だったというのも、発明家の概念からすれば意外に思われます。芸術家と発明家はあまりダイレクトに結びつくものではありません。
 しかし考えてみれば、画家は本質的に外界の事物をカンパス(画布)に描く仕事。写真も外界の事物を乾板(当時)に写す技術。絵筆を使って描かないだけで、絵画と写真との間には基本的にそんな極端な違いはないわけです。
 そう考えてみると、画家が写真を発明することになるのは必然だったのかもしれません。

 写真技術はその後、カメラや撮影技術やハイテクの進化により今日のデジカメなどに見られるような驚異的進化を遂げてきました。また写真から派生した幻燈(スライド写真)、トーキーは遂に今日の映画・テレビ産業として独自の発達を遂げ、今日の3D映画や液晶テレビにまで進化してきました。
 人類が自在に「映像」を操作できるようになったことが、文明にどれほどの進化をもたらしたことか。仮にもし「写真(映像)技術」なかりせば、人類の文化・文明レベルは今日のようなものではあり得なかったはずです。

 そんなことを言えば、写真のみならず電気照明、電話、車、飛行機、コンピュータなど何でもそうです。これらはすべて、この時点での人類の進化のステージにどうしても必要不可欠なものだったように思います。
 だから例えば写真をダゲールが発明していなくても、エジソンが電球などを発明していなくても、遅かれ早かれ他の誰かが必ず発明していたはずです。しかし結果的に写真はダゲール、電球はエジソン…が発明したのは紛れもない事実です。その偉業は大いに讃えなければなりません。

 (大場光太郎・記)

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晩秋の横浜

  晩秋の午後のかもめと云うものは群れて広場でうずくまりおり   (拙歌)

 抜けるような晩秋晴れとなったきょう16日昼過ぎ、久しぶりで横浜に行ってきました。
 もちろん業務上のことで、遊びやショッピングなどといった優雅な横浜行ではありません。行き先は毎度の神奈川県庁です。

 ただ神奈川県も他の都道府県同様、バブル以前の県内各地のハコ物粗製濫造、乱脈県政等のムリ・ムダ・ムラのつけにより、とうの昔に債務超過転落県となってしまっています。本来ならふくれ上がる一方の県業務にかんがみ、手狭な本庁舎、新庁舎の他に新々庁舎を建てたいのは山々なのでしょう。
 しかしこのご時世に用地買収、建設費など捻出出来るはずもなく、仮にそんな話でも持ち出そうものなら多くの県民から突き上げられるのが目に見えています。そこで仕方なく、部局によっては近くの民間ビルの何階かを賃貸して「分庁舎」と称しているケースもあります。

 私がいつも行く建設業課もその一つです。何年か前のある記事で述べたことがありますが、本庁舎などとは日本大通りを挟んで対面の街区にある○○横浜本社ビルの4階を間借しています。
 そして毎月定期的に行われる今回の申請会場は、ややっこしいことに同分庁舎の大通りの反対側、つまり新庁舎のある街区の奥まった区画にある中小企業●●ビルの何階かの一室を借り切って行われています。
 天下の神奈川県の実情は、かくのごとく「間借県政」であるのです。

 …本日は桜木町駅で降りて、会場までは徒歩ということにしました。少し長い距離です。第一が県庁舎群は横浜港にほど近い奥まった所にあります。そのため桜木町駅にせよ関内駅にせよ、2、3キロは歩かなければならないのです。
 雨の日や厳冬の季節はずい分こたえますが、本日はさほど苦にもなりません。晩秋というのに寒からず暑からず、今の時分から初冬頃のほどよい暖かさを「小春日和」というのでしょうか。

 いつもながら乗降客でごった返す駅構内を抜けて外に出ます。と、人が大勢行き来しているだだっ広い広場、その向うのご存知ランドマークタワー、クイーンズタワー、さらにその先のみなとみらい21の大観覧車などがいやでも目に飛び込んできます。それら超ノッポ建造物の上には、雲一つなく澄み切った青空が広がっています。
 それらタワー群を左手に振り仰ぎながら、外エスカレーターに乗ります。すると上は下の車道を跨ぐ遊歩道となり、やがてそのまま「CROSS GATEビル」の2階通路に沿って歩く形になります。同ビル入り口のスタバ・コーヒーの外テーブルでは、陽気のせいか何人もの人がそこに座ってコーヒーをすすったりしています。

 同通路の窓から下をのぞくと、車道の街路樹が少し紅葉しかかっているのが認められます。通路を通り抜けて階段を降り、少し行くと弁天橋にかかります。横浜市街を流下してきた何とか川は後少しで横浜港に流れ入り、海水と交じり合うのです。
 橋から川下の方を見ると、折りしも港の方から大きな屋形船が引き上げてきたところでした。橋にほど近い左岸に接岸しようとしています。船方さんならぬ船主さんらしい人が船首に立って、どこかにいる誰かへの合図なのかしきりに大きく右手を振っています。
 船尾はと見ると、その後方の川に水脈(みお)を広げています。

 川下のさらに遠くを見やると、先ほど見たランドマークタワーなどがデンと真正面に聳え立っています。とは言え川がそこまで流れているわけではもちろんなく、そのずっと手前で右にカーブして横浜港へと注ぐのです。

 この佳き日和、橋の上を行き交う人たちの表情もいつになく和んで見えます。浜からの風も凪いでいて、ほんの微風程度です。私のように仕事の事で気が急いている人も中にはいるのでしょう。が、何となくめんめめんめに横浜散歩を楽しんでいる風情に感じられました。
 右岸は遊歩道となっていて、所々にベンチもあります。そこに腰かけた何人かの人たちは川を眺めたりして、てんでに昼過ぎの日向ぼっこを楽しんでいるようです。

 橋を渡り切ると、舗道沿いにアスファルト舗装のだだっ広い空き地か広場かがあります。浜の一等地だろうに一体何の用地なの?周囲に高いネットフェンスを巡らし、前面の扉はがっちり施錠されていますから、駐車場としても使っていないのです。
 この場所については昨年11月の『晩秋の横浜随想』でも触れました。その頃の横浜で何があったか、もうお忘れかと思いますが…。
 ちょうど「横浜APEC」開催直前だったのです。オバマ大統領、胡錦濤主席など世界的要人が横浜に集結するとあって、当時の桜木町界隈も厳重警戒態勢だったのでした。

 その時は神奈川県警のみならず、他県からも応援部隊が横浜に集結する物々しさでした。そして警官・機動隊員の拠点の一つとなったのが、この広場だったのです。同記事でも書きましたが、パトカーや大型車など警察車両で溢れ返っていました。
 ということはここは国有地か市有地なのでしょう。いずれ何らかの形で有効活用するのでしょうが、不況下の今次なかなか買い手、借り手がつかず、もったいないことに遊休地状態となっているのでしょうか。

 一年前とは打って変わって静まりかえる同広場の中央あたりに、今回は何と「かもめ」たちが群れをなしてしゃがみ込んでいるのです。その数ざっと数十羽ほど。丸い輪を描くようにして白い塊りとなって、うずくまりながらじっと動こうとしないようです。
 「猿ダンゴ」の季節には早いだろうし、この小春日和の午後に日向ぼっこを楽しんででもいるのでしょうか。

 そう言えばいつもなら、川の上を何羽かのかもめが飛んでいたりしますが、きょうに限っては一羽も飛んでいません。群れによっては、川の右岸側に設けられた手摺の上に並んで止まったままやはりじっとしています。

 役所での申請が無事終了し、帰りも同じルートを通り、気になってそちらをのぞいてみました。1時間以上経つのに、やはり広場にはまったく同じようにじっとうずくまったままのかもめたちの姿がありました。

 橋に差し掛かり川下の遠くを見るに、ランドマークの西側最上部のガラス壁面に西日が照り映え、まるでそこから日の出の太陽が光芒を放つような眩しさ。それが日の差していない川に照り返し、港から寄せくるさざ波めく水面(みなも)がキラキラ光っていました。

 (大場光太郎・記)

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かくてナベツネ体制はなおも続く

 -現体制は維持?ただ清武に代わる新代表、江川入閣問題がくすぶり予断許さず-

 今回の一連のゴタゴタ内紛劇。巨人ファンでない者にとってはどうでもいい話です。と言うより、ハレの日本シリーズに水をさす、さすがは唯我独尊的伝統の巨人軍らしい迷惑千万な話でしかありません。
 こんなことを繰り返せば、「巨人離れ」「プロ野球離れ」がますます加速するばかりでしょう。世間を騒がせた責任を取って、ナベツネ、清武、原の三独裁者は、全員辞任して真ッサラな新体制で来季を迎えたらどうか。それが(アンチ巨人などという立場を超えて)大乗的見地から、読売巨人軍ひいては日本プロ野球再生には必要だと思うのだが…。

 今回は、『zakzak』(11.15)の以下の記事を転載させていただきます。

                       *

巨人・渡辺会長“沈黙”の理由・・・代表を飼い殺しにして“地獄送り”
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20111115/bbl1111151136001-n1.htm

週末の日本シリーズも吹っ飛ばした巨人の内紛問題。清武英利球団代表兼GM(61)は14日、何事もなかったように都内の球団事務所で通常業務をこなした。一方、コーチ人事をめぐり公然と批判された渡辺恒雄球団会長(85)は、不気味に沈黙。親しい関係者は「手を汚さず清武代表を“飼い殺し”にする可能性が高い」とみる。果たして次の一手は…。 (宮脇広久)

 週が明けた月曜日。清武代表は「今のところ処置(処分)がないので、やることをやるだけ」と予告した通り、球団事務所に出社。この日契約を更新した野村克則2軍バッテリーコーチ(38)は「いつも通り。変わったことはなかった」と語った。

 トップの渡辺会長批判でノロシを上げたものの、今のところ同調者ゼロ。球団事務所では針のむしろに座らされる心境では? と想像するのだが“カエルのツラに小便”というのか、大した度胸だ。

 一方の渡辺会長はこの日、口を開くのではと“期待”するマスコミ陣が日ごろの立ち回り先に張り込んだのだが、姿をみせず沈黙を守った。

 清武代表が11日に「不当な鶴の一声」「巨人軍を私物化」と会見した翌日、渡辺会長も「会社法の『取締役の忠実義務』違反に該当する」と応戦。だが今までなら烈火のごとく怒りをあらわにして、「即刻解任」くらいブチ上げそうなものだが妙に静かなのだ。

 嵐の前の静けさなのか。渡辺会長の描くシナリオを、親しい間柄の関係者がこう推察する。

 「渡辺さんはきっかけを待ち、あくまで“さりげなく”清武代表を切ろうとするだろう。たとえば、定期的な人事異動とか。もともと渡辺さんと清武代表の社内的立場は、横綱とふんどし担ぎほど違う。これ以上同レベルでいがみ合うのは不本意だろう。手荒に解雇して訴訟になるのも面倒だ。しばらくは“飼い殺し”状態で泳がせるのではないか」

 たとえば、当面はかねてからの内示通りGMの肩書を剥奪。球団取締役はそのまま、来年5月のグループ役員人事で任期満了を理由にサヨナラ-とか…。

 計画を練っていた江川卓氏(56)の招請がほぼ不可能となった現状では、清武代表の希望通り岡崎郁ヘッドコーチ(50)留任の公算が大きい。「それを飲むかもしれない。渡辺さんは、もともと『巨人の人事には首を突っ込みたくない』と言っていた。クライマックスシリーズの惨敗がよほど頭に来たうえ、江川を推す人間がいたんだろう」と関係者。

 また読売グループ関係者は「独裁体制が10年続けば、後継者は一掃されるものだ。渡辺会長の体制は10年どころか20年続いている。今年も、後継者候補と目された内山斉・読売新聞グループ本社社長(76)、老川祥一・東京本社社長(70)がそろって退任。もはや周囲にもの申す人間などいない」と証言する。

 まるで付け入るスキのなさそうな渡辺体制。さて、清武代表の側には次の一手があるのかどうか。  (転載終わり)

関連記事 『巨人軍、渡辺vs清武の仁義なき内紛』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-fd21.html

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何で今?由紀さおり、欧米で大人気

 今年7月の『由紀・安田姉妹、福島避難所で「故郷」を熱唱』の続編ということになるのでしょうか。今何と歌手の由紀さおり(63)が、海外特に欧米で大人気になっているというのです。
 近年の由紀は同記事のように、国内では実姉の安田祥子とのデュエットによる「童謡歌手」としてのイメージが定着しています。

 しかし由紀さおりの歌手としてのデビューは、童謡歌手としてではありません。1969年シングルレコードとして発売された『夜明けのスキャット』が大ヒットし、一躍メジャーデビューとなったのです。

 それはそれは鮮烈なデビューであり、鮮烈な曲でした。その時のレコードジャケットを画像に用いているYouTube動画もあります。確か3日前まではオーケーでそちらを拝借するつもりが、本日では「著作権法上の問題でEMIさんよりブロック」されてしまって視聴できなくなりました。そこで画像だけでも、別のところからヨッコイショッと。

      

 そう、これですこれです。何といったってもう40年以上前ですからね、いやぁ懐かしい !
 白を基調としたシンプルで斬新なジャケット。由紀さおりは1948年11月13日生まれなら、私は半年ほど遅い1949年春の生まれ。当時20歳前後の私は、これを『何と綺麗な人なんだろう』と“雲の上の人”でも見るようにぼんやり眺めていました。
 それに何と言ってもこの歌です。「ルルルルルー、ルルルルルー」「ランララララー」「パッパパパパパー」…。『んっ?こんな歌ありかよ』。タイトルどおりスキャットが主体のこの歌、しかし不思議な透明感があり聴くほどに魅せられていったのです。

 もちろん私だけではなく、多くの人がこの歌に魅力を感じたらしく、『夜明けのスキャット』は1969年オリコンの年間ヒットチャートで1位の大ヒットになりました。
 なおこの歌がスキャットが主体なのは、当初深夜ラジオ番組のBGMとして流されていたことによるもののようです。なるほどBGMなら、歌が主体ではむしろ邪魔くさいわけです。

 さて由紀さおりは今年、世界的人気の米国のジャズ・オーケストラ「ピンク・マルティーニ」とのコラボレーションアルバム『1969』を世界20カ国で配信。これは収録曲の大半を日本語で歌っているにも関わらず、11月2日付のiTunesジャズ・チャートとカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位を獲得。ギリシャのIFPI総合アルバム・チャートでも4位に食い込んだというのです。

 また10月17日には、ロンドンの音楽の殿堂「ロイヤル・アルバート・ホール」でライヴも行いました。『夜明けのスキャット』などを披露し、聴衆からスタンディングオベーションを受けたといいます。
 12月には米ツァーも予定されているそうです。

 この人気アルバム『1969』のタイトルは、由紀が『夜明けのスキャット』でメジャーデビューを果たした年のことです。由紀さおりの歌う全12曲のうち、1曲だけフランス語で残る11曲は日本語です。自身の大ヒット曲『夜明けのスキャット』、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』、佐良直美の『いいじゃないの幸せならば』などを歌っています。

 1969年(昭和44年)は当ブログでも何度か触れましたが、1月の東大安田講堂攻防戦、同年の東大入試中止、10月の新宿駅騒乱事件など、学生運動がピークの年でした。また海外に目を向ければ、アポロ11号が人類初の月面着陸を果たした年でもありました。
 しかし騒然・激動の世相と流行歌の世界はまた別物です。上の3曲のほかにも、『港町ブルース』(森進一)、『恋の季節』(ビンキーとキラーズ)、『長崎は今日も雨だった』(内山田洋とクール・ファイブ)など多くのヒット曲が生まれた、歌謡曲の当たり年だったのです。

 コラボを組んでいる「ピンク・マルティーニ」は、世界的に知られた米国オレゴン州ポートランドのジャズ・オーケストラ。このメンバーの一人が約40年前の由紀のLPレコードを「ジャケットの美しさ」で衝動買いし、その歌声に魅了されたのが、今回由紀とコラボするきっかけになったといいます。

 今回の海外での大人気ぶりに、今さらながら『由紀さおりは童謡だけの歌手ではなかったんだ』と再認識させられました。60歳を過ぎても大活躍の由紀さおりは、同世代の者として大いに励みになります。人間幾つになっても「新たなチャレンジ精神」が大切です。
 ただ国内の一ファンとして望みたいのは、海外の大人気に気を取られ過ぎて、(今では本業の感のある)童謡を忘れないようにしていただきたいということです。

 (大場光太郎・記) 

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巨人軍、渡辺vs清武の仁義なき内紛

 -仲直りして来季も渡辺、清武、原体制でお願いしますよ。(アンチ巨人ファンより)-

 12日からプロ野球の日本シリーズが始まりました。泣いても笑っても今年限りの勇退が決まっている落合監督の中日ドラゴンズと、秋山監督率いるソフトバンクホークス。共にリーグを制覇したチームによる、事実上の日本一決定となる興味深いシリーズです。
 福岡ヤフードームでの第1戦(デーゲーム)は、ソフトバンクと中日両者がっぷり四つに組んだ白熱した好ゲーム。1-1のまま互いに譲らず延長戦へ。10回表の中日の攻撃で伏兵の小池にソロホームランが飛び出し、虎の子の1点を同回裏岩瀬につなぐ継投で守り抜き、アウェイながら先ずは中日の1勝でスタートしました。

 今日本シリーズに水を差しかねない事態が起きています。日本プロ野球といえば、泣く子も黙る球界の盟主の読売巨人軍。「我が読売巨人軍は永遠に不滅です」という、遠い昔(昭和49年)の引退セレモニーでのあの長嶋茂雄(現名誉監督)の言葉を、今でも金科玉条と心得る巨人軍。
 強力助っ人、FA対象の日本人選手、ドラフトの目玉選手…。それを守り抜くために、他球団の迷惑など顧みず、世の顰蹙もなんのその。札ビラで頬っぺたひっぱたいて、毎年のように豪華な大型補強を繰り返してきました。

 その上監督は、何年か前WBCで米国など並みいる強豪国を蹴散らして見事日本チームを世界一に導いた、希代の名将・原辰徳です。読売ジャイアンツはどこからどう見ても、どこぞのネットビジネス会社(DeNA)に身売りが決まったらしい横浜ベイスターズ、広島カープなど弱小球団垂涎の大チームです。
 なのに今ペナントレースでは苦戦を強いられ3位に食い込むのが精一杯。CSシリーズではヤクルトに敗れ、ジャイアンツの今シーズンはジ・エンド。原監督の下、3年連続で日本シリーズ進出を阻まれています。

 ライバル球団である中日の落合監督、阪神の真弓監督の退任が決まったのに、なぜか巨人の原監督だけは早々と継投決定。
 こんなヘボ監督の下のヘボ球団。来季を期してひたすら黙々と秋季キャンプで汗だけ流していればいいものを。よりによって日本シリーズスタート時期を見計らったような間の悪さで、11日午後清武英利球団代表兼GM(61)が文部科学省内で記者会見し、「コーチ人事をめぐって不当な圧力があった」と、渡辺恒雄会長(85)を痛烈批判したのです。

 同会見で清武代表は、10月下旬岡崎ヘッドコーチの留任を渡辺会長に報告し了承されたとしています。なのに今月になって渡辺会長から「ヘッドコーチは江川卓氏、岡崎ヘッドは降格させる。江川氏との交渉も始めている」と聞かされたというのです。
 そして代表権のない渡辺会長の一方的な指示は、「巨人軍とプロ野球を私物化するような行為だ」と涙ながらに糾弾。また桃井恒和オーナー(64)が、オーナー職を突如、剥奪されたことを「会社の内部統制、コンプライアンス(法令遵守)に大きく違反する」と断じたのです。

 つまり清武代表は会見によって、読売巨人軍のひどい「渡辺恒雄独裁体制」を世間に広く知ってもらいたかったわけね。分かる分かる、その気持。でもね清武さん、そんなこと世間の皆さんはとうの昔に知っちゃってるんですけど。今さら内部事情をばらしてどうなさるおつもりだったんですかねぇ。
 つまりは何でざましょう。機先を制して渡辺ジイサンを攻撃することで、ご自身の立場を守り、あわよくば渡辺老害を押しのけて、より強固な「清武体制」を作りたかったんざましょう?
 そういう意図がありありだから、球団内外であなた様への今回の会見を支持する味方はあまりいないようですね。

 さて一方、初めて球団幹部から公然と批判を浴びた渡辺恒雄会長です。こちらも負けじと、12日談話発表の形で早速反論をしています。
 例えば、清武代表が大王製紙やオリンパスを引き合いに出して「球団人事に口出しした」と批判したことに対し、「両社は刑事犯罪的事案であり、巨人軍の人事問題とは次元が異なる」と主張。「清武声明はまことに非常識で悪質なデマゴギー」と指弾しています。

 またコーチ人事を覆して江川氏を起用しようとしたと指摘されたことに対しては、「原君(原監督)から提案された」と説明。その上で「構想段階ゆえの企業秘密にも関わらず会見で公表され「江川助監督」を直ちに実現することは困難になった」として、「これは会社法の『取締役の忠実義務違反』に該当する」と清武氏を逆攻撃しています。

 さらに清武代表への評価についても触れ、「読売社内や巨人関係者から『尊大になった』などと批判が届いていた。ゼネラルマネージャーは適任ではなかった」「今年の『清武補強』のほとんどは失敗。原監督も勝手な補強に不満だったようだ」と指摘しています。

 まあ同じ穴のムジナ同士がここまで言い合うか、と部外者には呆れるほどケチョンケチョンな言いようです。
 「渡辺反論」に一言だけコメントさせていただれば。“ナベツネ”、学生の頃は共産主義活動家でした。図らずもこの反論はその頃の左翼的論調が色濃く反映されているようです。「転び左翼」(転向者)は、菅直人、仙谷由人がそうであるように、反対の極のヒドイ権力者になるケースがままあります。ナベツネはその代表格でしょう。

 それにしても。「お家(巨人軍)の一大事」のこの時に、世間に恥をさらすような内輪の暴露合戦もないものです。
 子供の時からの筋金入りのアンチ巨人の一人として、『そんなにやりあって、関係修復が不可能になる前に互いに矛を収めてくださいよ』と思ってしまいます。渡辺談話では「今後は本人(清武代表)の反省次第。現時点ではただちに処分を求めるつもりはない」と結んでいます。

 ああよかった。清武さん、あなたの負けですよ。内心はどうであれ、一刻も早く渡辺会長に詫びを入れてください。そして来季も是非是非、渡辺-清武-原というグチャグチャ体制でお願いしますよ。来季も絶対リーグ制覇にも至れないように…。(ムッ、ヒッ、ヒッ !)

 (大場光太郎・記)

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日本政府に対米交渉力なし

 野田首相は11日夜、ТPP交渉に参加する方針を表明しました。
 正式参加ではなく、あくまで「交渉参加に向けて関係国と協議に入ることにした」とはいうものの。一度どんな形であれ「参加」の意志表示をしてしまえばもう後戻り出来ないことは、これまでの戦後の日米力学から明らかです。

 日本政府がこの問題で米国に対して強い姿勢で臨むつもりなら、野田首相は同「交渉参加」表明会見の中で、「今後の協議の過程でもし我が国として受け入れがたい条件等があれば、ТPP正式参加そのものを見送ることもあり得る」ということを予め言明しておくべきでした。

 今後の参加交渉プロセスで、我が国は米国相手にはっきりモノが言えるのか。そのことを鋭く分析した記事が阿修羅掲示板に掲載されています。「あっしら」さんという人の記事です。
http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/867.html

 BSフジ『プライムニュース』(6日)に元財務官の榊原英資青山学院大学教授と伊藤元重東京大学大学院教授が出演し、ТPP問題などについて議論を交わしたようすを再現したものです。
 ТPPに対しては、榊原氏は反対、伊藤氏は賛成の立場です。全文紹介したいところですがかなり長いので、後段のみ以下に転載させていただきます。
                        *

『TPP:榊原英資氏「日本政府に対米外交力なし」(理由)「マスコミが後ろから鉄砲を撃つ」「外務省は半分米側につく」』

  
(前略)

 伊藤氏が説明した抽象的な参加意義の多くは榊原氏によってほぼ否定され(榊原氏の主張を紹介する折りに触れる)、つまるところ、「既得権益の温存で沈滞し内向きにもなっている日本を、TPPという“外圧”を利用することで変革し、世界に攻めていける未来を切り拓く」というものに収れんした。

 榊原氏は、“外圧活用論”について、「私も15年前は外圧を利用してなんとか変えようとした。外圧の活用はかつて有効だったが、今の外圧は、維持すべき日本的制度を破壊するもの」と指摘した。

 伊藤氏やフジテレビの論説委員長若松氏が交渉に参加して日本の言い分を強く主張すればいいという見解を示すと、榊原氏は、内政はともかく、外交はまったくダメと反論し、その理由として:

● 対米交渉はシビアで、米国は勝手な国。対米保険交渉に実際に携わったが、後ろに控えているAIGなどの企業利益をむりやり求めてくる。TPPでも、国有化されたAIGが「混合診療」解禁を押すはず。

● 日本は米国のマスコミを使ってアメリカ国民の世論を動かすことはできないが、米国は日本のマスコミ対策に長けており、今回のTPP問題でも、反対が1、2社あってもいいのに、日本のマスコミすべてが参加に賛成しているのはそのせいだと思っている。

● そのような日本のマスコミは、対米交渉に臨んでいると後ろから鉄砲を撃つようなものなので、交渉力を発揮できない。

● 外務省は、対米交渉で、半分アメリカ側につく。

ということをあげた。

 榊原氏が番組内であげたTPP参加に反対する理由:

○ 伊藤氏などの「開国」論に対し、日本はすでに十分「開国」している。関税率も、コメを除けば、先進国で一番低い。

○ 米国の言うグローバリゼーションとはアメリカナイゼーションのことであり、「混合診療」の解禁に代表されるように多くの分野に関わるTPPへの参加は、“日本をアメリカにする”ということだ。
 TPP参加は、アメリカの制度やシステムでつくられた“EU”に加盟するようなものだ。
 米国とのFTAは必要だと思うが、危険なTPPの交渉に飛び乗る必要はない。

≪伊藤氏:TPPのルールが世界化する可能性もある。早く入って関与すべきで、遅れて入ると不利になる≫

○ TPPは関税撤廃を原則ではなく前提とする経済同盟であり、FTAと違ってコメなどが例外(永続的に)になることはない。日本がコメの関税をゼロにすることなんかできるはずもない。
「事前協議」で関税撤廃を承知して交渉に参加するわけだから、あとになって関税撤廃の例外品目化がダメだったのでやめるというわけにはいかない。

≪伊藤氏:農業はこの10年、20年なにをしてきたのか。このままでは農業は衰退する。(「外圧活用派」だから、)TPPを機会として、新しい農業経営の道を築くべき≫

○ 「混合診療」を認めるようになれば、公的保険の一部が崩れる。「政府調達」の開放でも、地方の建設業者10万社がばたばたと倒れていく。「金融」では、ゆうちょ、かんぽが問題になる。

≪伊藤氏:「混合診療」も解禁で問題はなく、保険診療とうまくバランスがとれればよい。医者不足など今の医療制度はひどい≫

○ 米国や豪州がTPPを進めているわけは、成長著しい東アジアに入りたいからである。
  日本にとってはASEAN+3のほうがより重要な経済連携である。国益をかけてそこに入りたい米国や豪州をいつまでもはねつける必要はないが、こっちから乗る必要もない。
 冗談めかして、TPPは、米国とオーストラリアが大きな国で、日本が参加して初めて実体的なものになる。米国が日本を必要としているのだから、待っていればいい。

≪伊藤氏:日中韓のFTAはこの10年間まったく進んでいない。TPPを進めれば、中国はわからないが、韓国は入ってくる≫

○ TPPで確固たる中国包囲を敷き、中国を誘いこんでTPPのルールで中国の内政を変えていくという考え方に対し、中国が入るようなことは絶対ないと笑い飛ばした。

○ TPP=「日米同盟」という考え方に対し、なんでも米国に従わなければならないという立場ならそう言えるが、もう米国のいいなりになっていればいいという時代は終わった。
 心は右、財布は左という話が通用するのかという問いに、安全保障は米国、経済はアジアということも可能で、日本も国益を追求すべきだと切り返した。

○ すっとTPP参加に乗ってしまった野田首相の資格(資質)を問いたい。  (以下省略)(転載終わり)

※ 榊原英資氏関連記事-『どうなる?「世界恐慌と日本沈没」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-cd1b.html

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ペルセウス、アンドロメダを救出

 アンドロメダがどうして海辺の岩場に鎖で繋がれていたのか。それは次のような理由からでした。

 アンドロメダはエチオピア王のケペウスと王妃カシオペアの娘でした。母親のカシオペア。これが大変な器量自慢だったのです。「天上天下唯我独“美人”」とばかりに、
 「この世にはいろいろ綺麗な人はいるけれど、私くらいの美人はいないんじゃない?言っちゃあわるいけど、海神ネーレウスの50人の美しい娘たちの誰一人として私の足元にも及ばないわね。ウフフフフ…」

 グリム童話『白雪姫』の継母(新しい妃)のように
 「鏡よ鏡。この世で一番美しいのは誰?」
と、毎日魔法の鏡に自分の姿を映してはうっとりしながらそう言ったかどうかは知らないけれど。美貌でも才能でも何でも、「自惚れ」は思わぬ災いの元となりがちです。

 案の定、それを漏れ聞いた50人の美しい娘たち(「ネーレイデス」と呼ばれた)は、
 「まあ何というひどい自惚れ。許せないわ !」
と怒り狂いました。ネーレイデスたちは祖父のポセイドン(元祖海神)に頼んで、エチオピアに大津波を襲わせ、怪獣の蹂躙するままに任せたのです。

 これにはエチオピア王のケペウスもほとほと困ってしまいました。「困った時の神頼み」は今も昔も同じこと。王は神託を仰ぎます。その結果、
 「娘のアンドロメダを人身御供として捧げよ」
とのご託宣を賜り、父ケペウスと母カシオペアは泣く泣くアンドロメダをくだんの岩場に鎖で繋ぎ、娘を置き去りにして帰ってきたのでした。

 ここで王妃カシオペアについてもう一度ふれておきます。
 王妃は死後、天に上げられてカシオペア座となりました。北の空にあり変形Wの形をした有名な星座です。しかしポセイドンは彼女が海の下に下りて休憩することを許さず、そのため彼女は常に天空を巡り続けているのです。(カシオペア座は、北半球の大部分の地域では水平線下に没することがない。)

 …この時のアンドロメダ姫、前回掲げた絵のようにルネッサンスからこの方の、西洋絵画お得意の全裸だったのかどうかはさておき。美貌自慢のカシオペアの娘ならそりゃあ母親譲りの美しさだったに違いありません。
 たまたま岩場を通りかかって、故・団鬼六ばりの美女緊縛の場面に出くわしたペルセウスは、ついクラクラ。父ゼウスの血が騒いだか美姫に一目惚れしてしまいます。

 そこで矢も盾もたまらず、すぐさま姫を救出するかと思いきや。緊縛の姫は一先ず置いといて、その前にやっておくことがあります。ペルセウスは冷静沈着にも、ケペウス王の館に向かったのです。
 さすがは、「契約社会」が当たり前の欧米人の遠い祖先と言うべきです。事前に救出の見返りについて、救出損にならぬよう、姫の父王としっかり取り決めておく必要があったのです。

 ペルセウスは単刀直入に切り出します。
 「この私が姫を救い出して進ぜましょう。首尾よく救出できた時には、姫を私の妻として迎えたいがよろしいか」
 「相分かった。その暁には娘をそなたの妻とするがよかろう」
 王としても大切な娘がみすみす海獣の餌食となるよりは、見ず知らずとは言え、何か勝算がありそうな美青年に嫁がせた方がずっといいわけです。交渉成立。

 再び岩場に戻ってみると、何という絶妙なタイミングか、今しも海獣(巨大鯨だったらしい)がアンドロメダに襲いかかろうとしているのでした。間一髪、ペルセウスは海獣の前に立ち塞がります。そしてすかさず、ゴルゴン退治の大戦利品である“メドゥサの首”を海獣に突きつけたのです。(こういう危急の時のためか、アテナ女神にはまだ献上してしなかった。)
 
 何しろこれを見た者は皆石に変えられてしまうのです。怪獣だろうが何だろうが一切例外はなし。海獣はあっと言う間に石に変わってしまいました。こうしてペルセウスはアンドロメダ救出に成功したのでした。
 エチオピアの岩場には、今でも巨大な海獣の姿をした岩塊が残っているのだそうです。

 「勇者に非ざれば美女を得る事能わず」。勇者ペルセウスは、美姫アンドロメダを伴って意気揚々とエチオピアに凱旋しました。
 しかしいざ結婚の段となり、厄介事が持ち上がりました。ケペウス王の弟のピネウスが元々アンドロメダとの結婚を申し込んでいたのです。姫への未練からピネウスは、
 「あんなどこの馬の骨とも分からんヤツに、我が国の王女を嫁がせるなんて危険極まりない」
などと触れ回りました。と共にアンドロメダには再び婚姻を迫り、兄である王にはペルセウス追放を唆します。

 しかし二人ともピネウスの陰謀には断固応じません。そこでピネウスは「この際王位も奪ってしまおう」と邪な考えを抱き、一党を引き連れて兵を挙げます。しかしここでも絶大な威力を発揮したのが“メドゥサの首”でした。
 ペルセウスはピネウス軍の前にメドゥサの首を高々と掲げます。するとピネウスとその一党はたちまち石に変わってしまいました。

 こうして邪魔者がいなくなり、ペルセウスとアンドロメダはめでたく結婚したのでした。  (ペルセウスの項「最終回」につづく)

 (大場光太郎・記)

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平成版「桜田門外の変」でも起らないか !

 -変革のエネルギーが充満していた幕末ならいざ知らず。亡国寸前の今はねぇ…-

 環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉参加をめぐり、民主党の経済連携プロジェクトチーム(PT)は9日夜の総会で、「党PTの議論では『時期尚早・表明すべきではない』『表明すべき』との賛否両論があったが、前者の立場に立つ発言が多かった。政府には、以上のことを十分に踏まえた上で、慎重に判断することを提言する」との提言を了承した。野田佳彦首相はこれを受け、10日に記者会見を開き、交渉参加を表明する。

 以上は、『民主党PТ、ТPP提言を了承 慎重な判断求める』という11月9日23時4分付朝日新聞(Asahi.com)の記事である。http://www.asahi.com/politics/update/1109/TKY201111090584.html

 予定されている野田首相のТPP記者会見を10日に控え、民主党PТが総会を開き、党内の意見集約を図ったことについての記事であるが、ざっと見たところ、他のメディアもほぼ同じような内容である。

 しかし面妖ではないか。PТ総会では賛否両論出たものの、「時期尚早・表明すべきではない」という意見の方が多かったわけである。ならば党内民主主義の常道として、PТは「そのような次第だから、今回の参加表明は見合わせていただきたい」と政府に提言するのが道理というものだろう。
 それが「以上のことを十分踏まえた上で、慎重に判断することを提言する」と、前原誠司政調会長らの手にかかるとこんな曖昧な表現となってしまうのが、先ず第一の問題点である。

 最大の問題点は、「野田首相はこれを受け、10日に記者会見を開き、交渉参加を表明する」という結論である。
 おいおい、それはないだろう。「これを受け」たんだったら、「野田首相は、10日の参加表明は見送りとすることを決定した」とならないと文脈的に意味が通じないだろう。違うか、朝日新聞。少なくとも、そう指摘するのが「社会の木鐸」というものの務めだろうがよ。

 「天下の朝日新聞」なんてもう誰も思っちゃいまいが、ここまで脈絡のない意味不明な記事を書いたんじゃ、ホントますます「朝日離れ」が加速するんじゃないのかい。もっとも、おかしいのは朝日だけではなく、他の新聞・テレビも似たり寄ったりだけどさ。

 つまりは「始めにТPP参加ありき」ということだったんだな。党内の「ТPP反対」の声がうるさいから、直前にPТ総会なるものを開いてガス抜きをさせたというわけだ。“ガス抜き総会”は、そもそも「平成の開国」などといって昨年10月突然ТPPを持ち出した菅直人前首相の時から、何かにつけ反対派を封じ込めるのによく使ってきた現売国党幹部らの常套手段だ。

 ТPPなるものは、以前も述べたようにどう考えても「アメリカのアメリカによるアメリカのためのТPP」である。もっと言えば、ウォール街デモ騒動の発端となった「米国の1%の富裕層(ユダ金系大企業)のためのТPP」ということである。
 日本にとっては「デメリット9、メリット1」くらいにメリットに乏しい、いな日本という国の根幹を揺るがしかねない由々しき「壊国」協定なのである。
 それを十分な党内熟議、国会論議、国民への周知徹底なしに、首相の独断で参加表明することが本当に許されるのだろうか。

 一国の指導者は時として、国の命運を左右しかねない大決断をしなければならない事がる。今から150年以上前の江戸幕末にもそういう大難問に直面した。ぺりー来航をきっかけとして、同じ米国が江戸幕府に開国を迫ったのである。
 時の大老・井伊直弼は、苦渋の選択により日米修好通商条約を批准した。また後には、吉田松陰や橋本左内らが処刑された安政の大獄も断行した。
 これによって井伊直弼は、安政7年3月3日(1860年3月24日)の降りしきる雪の朝、桜田門外で水戸浪士らによって暗殺されたのである。

 井伊大老暗殺の大きな要因となった日米修好通商条約は、確かに我が国に関税自主権のない不平等条約だった。同条約が解消されたのは日清戦争勝利後の明治32年(1899年)のこと。実に40年弱かかっているのである。
 しかし井伊直弼は彼なりのポリシー、国の将来像によって同条約を批准したのであって、私心によってではなかった。その鮮烈な生き様が後世の作家・船橋聖一の心をとらえ、井伊直弼の生涯を描いた『花の生涯』という作品となった。これはNHK大河ドラマの第1回作品(1963年放送)にもなって、全国のお茶の間の好評を博した。

 今回のТPPも同条約同様の「不平等協定」である。しかも今回は、農業、漁業、金融、医療、保険、公共事業、雇用など、日本のありとあらゆる分野にユダ金ハゲタカ外資が乗り込んできて我が国資産をかっさらって行くのだ。ぺんぺん草も生えない大惨状となることは明らかなのである。
 同協定に参加表明する野田首相にポリシーがあるのだろうか。おそらく一片だにないことだろう。あるのは国を売ってでも米国に取り入れば長期政権になる、という薄汚い打算だけなのである。

 もちろん今の世の中暗殺などされる心配もなく、野田売国奴はこの先ものうのうと「野ブタの生涯」を生き続けることだろう。

 (大場光太郎・記)

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「世界皇帝」の息子、被災地訪問の怪

 -「犯罪者は現場に返る」 (『47NEWS』当該記事のツィートより)-

 7日午後から、以前の『えっ、ディビッド・ロックフェラー失脚?』(10月)記事へのアクセスが急増しました。『何で?』と思っていましたら、以下『47NEWS』が伝えるような次第だったようです。

                        *

ロックフェラー氏が被災地訪問 仙台市長に弔意




 米国ロックフェラー財団会長デービッド・ロックフェラー・ジュニア氏と妻スーザンさんが7日、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた仙台市若林区の荒浜地区を訪れ、奥山恵美子市長に弔意を伝えた。

 夫妻は外国人観光客に、日本への渡航が安全だとアピールするほか、日本への継続的な支援を訴えるため来日した。

 荒浜地区で被災した小学校やがれき撤去の状況について、市長から説明を受け「これほど大きな被害は見たことがない。海はいろいろな物を与えてくれる。生活再建を祈っています」と述べた。

 壊滅的な被害を受けた宮城県東松島市の野蒜地区や、同県石巻市の漁港も視察。

 2011/11/07 10:27  【共同通信】

『47NEWS』より転載
http://www.47news.jp/CN/201111/CN2011110701000138.html


 ご注意いただきたいのは、私もうっかり勘違いしそうになりましたが、今回被災地を訪れたのは一族の総帥のディビッド・ロックフェラー(96)ではなく、子息のジュニア氏夫妻だということです。(独り言-へえ~、財団会長はジュニア氏だったのか。“偉大”な親父の陰に隠れて影が薄かったけど、初めて見た。)
 この記事には400ものツィートが寄せられています。その中で特に秀逸なツィートを以下にご紹介します(順不同)。皆さん、裏の裏の事情をよくご存知のようで。

                       *

よくもまあ堂々と出て来れたもんだな

人工地震、人工津波を行った当事者のロックフェラー氏が被災地訪問。何しに来たんだ !極悪人が善人のフリをして訪問なんてふざけたやつらだ。怒りがおさまらない

犯罪者は現場に返る。気になるんだろうね。小学校訪問したり、子供使うのもいつもの手。あくどい気持ちとバランスさせようとするんですね。

同行しているスパイの状況確認などが目的でしょ。新たなテロのロケーションかもね。

むむ?アメリカの真の支配者ロックフェラーがなぜ被災地を訪問?ТPPがらみか?

本当の目的はТPPをごり押しに来たのではないか?

ロックフェラー傘下のモンサント社はТPPで日本の農業に打撃を加える可能性のある巨大企業。ベトナム戦争の枯葉剤や遺伝子組換え作物や除草剤ラウンドアップや世界の種子95%の特許をもつ事で有名

残念ながらこれで野田さんのAPECでТPP参加表明は確定。

                       *

 中には「お父さんはどこにいるんでしょうね(笑)」というのもありました。『えっ、ディビッド・ロックフェラー失脚?』を公開した手前、私が一番引っかかるのはそのことなのです。

 「ディビッド以下一族はインドの核シェルターに隠れているところを、ロスチャイルド側に探し当てられた」「ディビッドは命を取るか財産を取るか迫られ、命を取って全財産を失った」
 この驚愕情報は結局「ガセ」の類いだったのでしょうか?それとも事実で、ロスチャイルドはわけあって、「父の悪」の足元にも及びそうもないジュニア氏は泳がせて、自分たちの目的達成の手駒として使うつもりなのでしょうか?

 もう少し注意深く、今後のロスチャイルド、ロックフェラー両ユダ金(ユダヤ国際金融資本)の動きを見極める必要がありそうです。

【追記】
 本ニュースに関して、以下の2ちゃんねるが突っ込んだ議論を展開しています。7日だけで「1スレ-1001コメント」を超えてしまうほどの白熱ぶりです。なおその中で、当ブログ『ディビッド失脚?』記事のURLが紹介されています。http://unkar.org/r/newsplus/1320632399

 (大場光太郎・記)

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キュリー夫人のこと

 -大原発事故に見舞われ、「ラジウム発見」には複雑な思いもあるにはあるが…-

 11月7日はご存知キュリー夫人の生誕日だそうです。そこでこの日のGoogleロゴは、キュリー夫人に因んだものとなっていました。研究室らしき所でキュリー夫人と思しき人がフラスコをかざしている、というような図案でした。

 例によって半端ながら、今年はキュリー夫人生誕(1867年)144周年にあたるそうです。
 以前Googleの“変わりロゴ”をヒントに『メンデル生誕189周年』記事を出しました。その後も何人かの世界的著名人の周年記念ロゴが出され、その中には南米を代表する作家のガルシア・マルケスもおり、記事にしようかとも思いました。
 しかしガルシア・マルケスをよく知っているわけでもなく、『さて、どうやってまとめるか?』と思案しているうちにタイミングを逸してしまいました。

 その点キュリー夫人の場合は、私たちが小学生だった昭和30年代前半頃は、数多(あまた)いる偉人たちの中で最も人気が高く、私も小学5年生の頃図書館で借りて「少年版偉人全集」の中の『キュリー夫人』を読みました。

 高校時代は私の生涯で唯一の「乱読の時代」でした。西洋文学が主でしたが、それ以外でもその時々に関心のあったものは片っ端から“乱れ読み”していました。その中に少年版よりはかなりレベルの高い『キュリー夫人伝』があったのです。
 とにかく手元の一冊を早く読み終えて、次の本に移ることが主眼といったメチャクチャな読み方です。味読も熟読もあったものではありません。そこで当時読んだどの本も、ストーリーや内容のポイントなどほとんど覚えていないありさまです。
 その時読んだ『キュリー夫人伝』、今思い返せば次女エーヴ・キュリーが母の死後3年にして第三者的立場でまとめた伝記だったようです(白水社刊)。多感のピークだったあの頃、読む本、聴く音楽に恍惚(サマーディ)的感動を覚えましたが、この本もそうだったことは記憶しています。

 今でもキュリー夫人は子どもたちに人気があるのでしょうか。と言うより、今の子どもたちは「偉人伝」そのものを夢中で読んでいるものなのでしょうか。

 今回改めてキュリー夫人(Madame Curie)のことが知りたくなって、『ウィキペディア』の「マリ・キュリー」の項を繰ってみました。偉大な業績を残した人だけあって18ページにもわたってびっしり記述されています。それを印字し、ざっと一読してみました。
 貧困と戦いながらのラジウムの発見、夫・ピエールの事故死、女性初にして史上初の二度のノーベル賞授賞。そのくらいしか覚えていませんでしたが、ウィキペディアの簡単な略伝でもそれ以外に多くのことを知りました。

 「神が死んだ」今の時代は、すべてのものが相対化されている時代です。宗教でも哲学でも科学でも芸術でも、もう絶対的価値の置けるものなど何一つないのです。
 偉人とてそのとおりです。かつて私たちが少年の頃は、各偉人たちの輝かしい業績にもっぱら光が当てられていました。「この人を見よ」。ゆえに子どもたちにとっての偉大な道しるべ、目標、お手本たり得たのです。
 しかし今の時代は、ネットの2ちゃんねる掲示板が端的なように、ありとあらゆるのが批判の対象となります。光の裏側の影、虚像の奥の実像が容赦なく暴かれる「怖い時代」なのです。

 大キュリーにもスキャンダルはありました。夫ピエールの死後、ピエールの弟子だった若い既婚の男と一時期不倫関係にあったのです。口さがないフランスマスコミがかぎつけ、当時世論の猛烈なバッシングも受けました。しかしキュリー夫人の場合、そんなのは取るに足らないことに思えてきます。
 ずば抜けた才能は言うまでもないとして、特に感銘を受けるのは、彼女が終生持ち続けた「高い志操」です。『ウィキペディア』を読んでは初めてですが、所々で熱いものがこみ上げてきました。

 キュリー夫人には「女性初」という言葉がついて回るように、当時のアカデミーは女性蔑視的傾向があり、一度目のピエールらと共に授賞したノーベル物理学賞(1903年)ではキュリー夫人は授賞者リストから外されかかっています。
 またポーランド出身の彼女は終生母国愛を持ち続けた人ですが、学問の必要上20代後半でパリにやってきて、以後念願の帰国が適わずフランスに骨を埋めました。彼女にとってフランスは第二の故郷のようなものでしたが、頑迷なフランスアカデミーはなかなか外国出身の彼女の優れた業績を認めようとはしなかったようです。

 不倫騒動による非難中傷のさなか、キュリー夫人はノーベル賞二度目の受賞(化学賞-1911年)となりました。その際キュリー夫人は「科学者とは、その業績によって評価されるべきであり、性別や出身および私生活などではない」という強い意志を持ち、毅然たる態度で授賞記念講演を行ったそうです。

 ノーベル賞で初の二回受賞という偉業達成からほどなく、第一次世界大戦の勃発によりヨーロッパ中が戦火に巻き込まれます。直前に設立したラジウム研究所の所員の多くが戦地へと赴き、研究どころではなくなります。
 パリに残ったキュリーは、レントゲンが発見したX線の医療貢献に着目します。そこで彼女は赤十字放射能局長の役職で、軍に働きかけて「プチ・キュリー」と名づけられた移動式レントゲン車を何十台も走らせたり、病院や大学など200箇所にレントゲン施設を設置するなど奔走しています。

 その後も多忙を極め自身の研究はもうままならず、1920年にキュリー財団を設立したことなどにより、キュリー夫人の活動の力点は後進の育成に注がれることになります。その成果の一端は、娘のイレーヌとその夫フレデリック・ジョリオ・キュリーの人工放射能の研究による1935年のノーベル科学賞授賞となって結実しました。
 キュリー夫人自身はその前年の1934年7月4日亡くなりました。死因は放射能被曝によるものと長い間言われてきましたが、とうやら第一次大戦中「プチ・キュリー」の中で浴びたX線被曝が原因だったようです。
 死後60年後夫妻の業績を讃え、二人の墓はパリのパンテオンに移され、ようやく正式にフランス史の偉人の一人に列せられることとなったのです。

 ラジウムを発見したての頃、キュリー夫人はその青く輝く光に「妖精のような光」と驚嘆したといいます。いかな聡明なマリ・キュリーと言えども、それが人類に寄与する側面しか念頭になかったわけです。当初は誰も、これが放射能被曝の元となり、人類にとって諸刃の剣となることなど予想もしていなかったのです。
 その後我が国は原爆による唯一の被爆国となり、今回またしても大原発事故に見舞われました。そんな中での「キュリー夫人伝」、う~んと唸るところはありますが、その業績・足跡の偉大さは率直に認めたいと思いますね。

 (大場光太郎・記)

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哀愁の街に霧が降る

   霧の夜(よ)の殊(こと)に灯(ひ)の無き路地裏よ   (拙句)

 5日土曜日の夜、当地では雨が降りました。晩秋の夜の雨の風情でしたが本降りとはならず、しとしと小雨程度に降っていました。
 10時過ぎ外に出てみたところ、とうに雨は上がっていて、代わって夜霧が立ちこめていました。とは言っても、何十メートルか先はまるで視界不良というような濃霧ではなく、薄っすらと遠くの街区を包み込むような具合の夜霧です。

 霧発生のメカニズムなどは詳しくは知りませんが、地表面とそこに接する大気温とにある一定の温度差が生じた場合、霧は発生するのだったでしょうか。そして今年はこれまで出ることがなかったようなので、寒さが増し加わるちょうど今頃の季節特有の現象なのかもしれません。
 そのためなのか、霧は俳句において「秋の季語」となっているのです。

 いずれにしても今年初めてと思しき夜霧の中を少し歩きながら、普段見慣れた街並みが薄く煙っていて、常とは違う叙情的な風情を醸し出していたのでした。

 ことほど左様に夜霧というものは、つかの間詩的、幻想的な気分に誘(いざな)ってくれるもののようです。そのためか、夜霧は我が国の歌謡曲でも格好の素材として多く歌われてきました。
 私の乏しい知識では、夜霧が流行歌のタイトルに使われたのは、今年9月の『ディック・ミネ「上海ブルース」』の末尾でも触れましたが、戦後間もなくディック・ミネが歌った『夜霧のブルース』だったのではないかと思われます。

 そしてまるで「夜霧ブーム」であるかのように、タイトルや歌の中で「夜霧」がさかんに使われた時代がありました。昨年11月の『昭和30年代前半は「夜霧の時代」?』でみましたように、昭和30年代前半です。
 その先駆けとなった感があるのが『哀愁の街に霧が降る』(昭和31年)です。

 流行歌における「夜霧効果」を目一杯活かしたような、ロマンティックな歌詞とメロディです。

  日暮れが青い灯(ひ) つけてゆく
  宵の十字路
  泪色(なみだいろ)した 霧がきょうも降る
  
 出だしの3行だけ特別に掲げましたが、何とも詩的な歌詞です。
 また2番の出だしも印象的です。

  花売り娘の花束も
  濡れる十字路 ……

 かつてご自身の音楽サイトでこの曲の見事なmp3をアップした方は、この歌の解説の中で、N県からW大学進学のため上京した当初、注意して探したのがこの歌の「花売り娘」だったと言います。
 しかし昭和30年代半ばともなると、東京のどの街角にも花売り娘の姿は見当たらずガッカリしたそうです。しかし歌にも歌われているくらいですから、30年代初頭頃までは確かに花売り娘はいたのでしょう。

 発表当時この歌を歌ったのは、山田真二という歌手でした。しかし良い歌はある歳月をおいて繰り返しリバイバルで歌い継がれていくものです。その後久保浩(代表曲は昭和39年のこれまた『霧の中の少女』)が歌い、最近では山川豊が歌っています。
 今から半世紀以上前の夜霧の歌。毎度繰り返すようですが、世の中干からびてしまって、こういう潤いのある叙情的な名曲は残念ながら生まれにくい時代になってしまいました。

 (大場光太郎・記)

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反ТPP民主党議員よ、集団離党せよ

 -ТPP参加の是非は「米国従属か否か」の格好の指標となる。今この国には「自主独立」「対米従属」の二大政党による政界再編が必要である-

 今この国の焦眉の急の政治的課題となっているのが、「ТPP参加」問題である。現野田政権は米オバマ大統領にせっつかれ、今月中旬ホノルルで開催されるAPECに「参加表明」を土産として持っていく方針である。
 そのためAPEC出発直前の10日にも、“ダメナ野田”首相がТPP参加を表明するとみられている。

 今回のТPP問題では、植草一秀氏が命名した「米官業政電-悪徳ペンタゴン」がそろって参加賛成に回っている。
 先ず今後の米国益上どうしても我が国をТPPに引き入れなければならない米国が、我が国に強力な参加圧力をかけてきている。米国追随の経済産業省や財務省ら官僚たちは無条件で賛成し、推進の旗振り役を努めている。ほとんどデメリットの中で唯一メリットに預かれる可能性のある経団連を中心とした財界、大企業はもちろん賛成。それらスポンサーの意向を受けた「電(電波産業)」の新聞・テレビが、もっぱらメリットばかりを強調した報道に終始している。

 極めつけが「米官業」の臭い息がかかった野田“売国”政権が、政府として「参加表明」をして、国内的、国際的にТPP参加を規定事実化する。
 何とも見事な悪徳旧勢力の連係プレーではないか。
 
 これと似たようなことが行われたことがあった。沖縄の普天間基地移設問題である。
 国民の圧倒的支持を受けて発足した鳩山政権は、発足当初から普天間基地移設問題と真正面から取り組んだ。「対米従属」の旧自民党政権から「日米対等」の新民主党政権へ。その違いを明らかにするのに、この問題は打ってつけだった。
 そこで鳩山首相(当時)はいち早く「出来れば国外、最低でも県外」の方針を打ち出した。沖縄県民の多くがそれを強く望んだ。もちろん利権まみれの辺野古沖で決定していた米国、自公勢力、外務省・防衛省などの官僚群は猛反発した。

 しかし本当の敵は民主党内部にいたのである。当時の岡田克也外相、北澤俊美防衛相、前原誠司国交相(兼沖縄担当相)ら、米国、官僚に取り込まれた獅子身中の虫に足を引っ張られ続けたのだ。
 岡田外相は鳩山首相に早々から「(移転先は)辺野古しかありませんよ」といい、北澤防衛相に至っては、移転先を巡って混迷を極めていた昨年4月下旬頃、自身の任命権者である鳩山首相に向かって、「辺野古しかないのにまだ分からんのか」と机を叩いて恫喝したというのだ。

 輪をかけて新聞・テレビが、「米国の言いなりにならない」小沢一郎と鳩山由紀夫を標的にした。小沢幹事長(当時)については、検察と一体となって陸山会土地問題で集中砲火的報道を繰り広げ、国民に「小沢一郎 = 悪人」のイメージを徹底的に植え付けた。
 また鳩山首相については、母親からの巨額献金問題と普天間問題をセットで攻め続けた。小沢事件と普天間基地問題などで毎週のように世論調査を実施し、鳩山内閣支持率の続落を嬉々として伝えた。
 「米官業政電」の総攻撃により鳩山・小沢は辞任し、国民の圧倒的支持を受けて発足した鳩山政権はわずか8ヶ月余の短命に終わったのである。

 {6・2クーデター」により正統政権を奪取したのが菅直人政権であった。あまりの無能・無策によって、菅直人も短期間で政権を投げ出さざるを得なかったが、現在の野田政権の中枢に巣くう幹部連中のほとんどはその流れを汲んでおり、野田佳彦をはじめ正統性を有しない面々である。
 小沢・鳩山が掲げた「国民の生活が第一」の公約をことごとく否定し、「米官業の利益が第一」に転換したのが菅前政権であり現“ダメナノダ”政権である。
 今回のТPP参加問題は、「米官業の利益が第一」主義の最たるものである。

 先日の『どうなる?「世界恐慌と日本沈没」』でみたように、今や「欧米主導の資本主義の終焉」「米国の没落」が明らかである。沈みゆく米国と同一歩調を取り続けるかぎり、日本も今後いっそうの沈没を免れないのだ。
 米国追随の鼻息が荒かった小泉政権時代、元駐タイ大使の岡崎久彦が、テレ朝日曜朝の『サンデープロジェクト』(当時)で「日本はアングロサクソンに従っていけば子孫末代心配ない」と言い放っていた。そんな変てこな“安心理論”などもう金輪際通用しないのだ。

 幸いなことに民主党には、野田、前原、仙谷、岡田、枝野、安住、玄葉らガチガチの対米隷属の売国政治屋ばかりではない。山田正彦元農相をはじめТPPに反対の議員も多数いるのだ。今やТPPが党内を二分していると言っても過言ではないのである。
 とは言え、今の民主党は対米隷属議員に牛耳られているのが実情である。今まで各問題が起った時もそうだったが、いくら党内抗争を繰り広げてみても、結局は人事権と党費を握っている現幹部らに押し切られてしまうのだ。

 山田元農相らТPP反対派は、当然ながら小沢グループが多くを占めるのだろう。しょせん水と油で、この先も親小沢、反小沢の不毛な路線対立が続くのだ。だとしたらこの際、小沢一郎や鳩山由紀夫が先頭に立って、思い切って党を離党するのも選択肢として大有りなのではないだろうか。仮に100人規模で集団離党すれば、野田政権は存続できないくらいのインパクトを与え、ТPPなど吹っ飛んでしまうだろう。
 野田“売国”政権は「この国の形」を根本から変えてしまう政治課題を、ロクに国民的議論も経ないで遂行しようとしている。この亡国的流れを阻止するには、最早心ある議員らの捨て身の行動しかない。

 ТPP参加に慎重派、反対派は党派を越えて多数いる。集団離党後はそことの大同団結も視野に入ってくることだろう。今この国に強く求められているのは、従来の「対米従属政党」ではなく、真の独立を目指す「自主独立政党」である。
 ТPP問題が政権再編の大きなきっかけとなることを願うものである。

関連記事
『ТPP参加-米国属国化確定の道』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-0d40.html
『どうなる?「世界恐慌と日本沈没」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-cd1b.html
『ТPPは国力劣化をたらす毒薬だ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-30c8.html

 (大場光太郎・記)

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文化の日に思うこと

   半月も地軸も国も傾ぶけり   (拙句)

 11月3日は「文化の日」でした。この日はまた以前から「晴れの特異日」として知られてきました。統計的にこの日は晴れる日が多いというのです。
 しかし今年の文化の日、当地はどんより曇った一日となってしまいました。ただここのところ続いた寒さは和らぎ、街には子供たちや家族連れの姿が目立ちました。行楽にもってこいの日和で、各地の行楽地も賑わいをみせたことでしょう。

 文化の日は恒例の文化勲章の親授式が皇居・宮殿で行われます。今年の受勲者は作家の丸谷才一さんら5人でした。勲章授与後、86歳と最高齢の丸谷さんが代表して天皇陛下に、「それぞれの仕事でこれまで通り励んでいきたいと存じます」と挨拶したとのことです。
 他の叙勲者は、陶芸家の大樋年朗さん(84)、半導体電子工学の赤碕勇さん(82)、日本政治外交史の三谷太一郎さん(75)、分子遺伝学・分子生理学の柳田充弘さん(70)でした。

 最近そういえば名前を聞かなくなった丸谷氏でしたが、もう86歳とは驚きです。同氏は過去にも芥川龍之介賞、谷崎潤一郎賞、読売文学賞、野間文芸賞、川端康成賞、泉鏡花文学賞など名だたる文学賞を授賞しており、総なめの感があります。
 その上「屋上屋を重ねる」ような文化勲章ですから。
   学了(お)へてより誉めらるることもなし   (拙句)
 こんな私の来歴からみれば、同氏は栄誉人身を極め尽くした感じがします。『同じ人間でありながらどうしてこうも違うのか』との思いを深くします。が、ともかくも同県出身者の一人として心よりお祝い申し上げます。(ただし同氏は日本海に面した鶴岡市のご出身、内陸部出身の私とはかなり離れています。)

 そうでした。山形県とくれば、自ずと郷里での文化の日のことが思い出されます。08年11月の『菊祭りの思い出』でも述べましたが、その前後郷里の置賜郡宮内町(現南陽市宮内)では菊祭りの真っ最中なのでした。
 寒冷が増し加わる郷里のこの季節、「菊見」にはもってこいの季節でもあったのでしょう。近隣に名が響いている熊野神社の秋祭りに菊花展がドッキングし、名称も「菊祭り」と呼ばれることになったもののようです。

 我が宮内小学校は熊野神社に隣接しており、校庭には近隣の人たちが丹精込めて作った数々の名菊が所狭しと展示されていました。私たち当時の児童は、休み時間や下校時など何度と飽かずに眺め歩いたものでした。
 それとともに神社参道沿いには二階建ての大きな小屋が作られ、「菊人形展」が毎年催されました。同記事でも書きましたが、学校行事の一環として毎年菊人形を見て回り、小学校生活での楽しみの一つでした。今では小屋掛けではなく、神社から少し離れた双松公園の屋外での展示となり、菊人形のテーマも「直江兼続」「坂本龍馬」というように、毎年のNHK大河ドラマに沿ったものになっており、山形県内外から結構観光客が訪れているようです。

 同記事では書きませんでしたが、確か文化の日に行われていた催しがありました。「仮装行列」です。この日の昼過ぎ頃から、思い思いのいでたちに仮装した各地区の人たちが、熊野神社門前から何時間かかけて町内を練り歩くのです。
 私も実はこの行列には小、中学時代何度も加わりました。当時お世話になっていた宮内町立母子寮も、例年同行列に参加していたからです。もちろん出し物は毎年違い、「赤銅鈴之助」「「名月赤城山」「花咲かじいさん」などなど。時にはチョンマゲのかつらをちょこんとかぶり、顔に化粧を塗られ、手に十手を持った小さな岡っ引き姿で街中を練り歩いたり。時代ものの背景が描かれた大トラックの荷台に、それらしい若侍姿で乗ったり…。
 
 ある年仮装行列が終って寮に引き上げた全員に、集会場でラーメンが振舞われました。その一杯のラーメンのおいしかったの何の。あれほど旨いラーメンは後にも先にも初めてです。小学生でもっぱら歩く役でしたから、余計そうだったのでしょう。
 ちなみに次の年も例のラーメンを期待していましたが、その年は出ませんでした。
 仮装行列自体、町の都合なのかやがて行われなくなったようです。

 さて「文化の日」は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として戦後制定された国民の祝日の一つです。1946年(昭和21年)のこの日日本国憲法が公布されました。日本国憲法は「平和と文化」を重視していることから、1948年(昭和23年)この日を文化の日にすることとしたようです。
 決して偶然の一致ではないと思いますが、前年までは明治天皇の誕生日を祝う「明治節」でやはり祝日でした。

 占領した日本を民主主義のモデルケースにしようと、マッカーサーはじめGHQ首脳たちは本気で考えていたところがあったようです。「自由、平和、文化」などの謳い文句が躍る、世界に冠たる平和憲法の制定などはその表れでしょう。しかしその後のソ連との深刻な対立、いわゆる東西冷戦構造が日本の立場を大きく変えることになりました。
 我が国は米国から、極東における格好の橋頭堡の役割を担わされていき、日米双方のリーダーたちにとって、「戦争の放棄」などを謳った現平和憲法が邪魔になっていったのです。

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上に努めなければならない。」 (日本国憲法第25条)
 小泉・竹中の新自由主義導入により、この国は極端な格差社会になってしまいました。格差は拡大する一方で、リストラ、失業、事業の失敗などで一度低い方に落ちてしまうと容易には這い上がれない硬直化した社会になってしまっています。
 この条文の「文化的な最低限度の生活」のレベルが、どんどん下がっていっているのが実情です。

 そんな中での文化の日。「文化」とは何か。孫引きで申し訳ありませんが、広辞苑には「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果であり、特に人間の精神生活にかかわるものを文化、技術判手のニュアンスが強いものを文明と区別する」とあるようです。
 「伝統文化」「企業文化」「若者文化」「サブカルチュア文化」などなど。文化は極めて広範な概念を含んでいるとしても、すべての文化に上の定義の「精神生活」さらに言えば「スピリチュアリズム」が根底にある。そう解釈すれば、文化の本質は明確に了解されるのかもしれません。

 名もなく貧しく路地裏の一隅でひっそりと暮らしていようとも、余人に引けを取らない「固有の文化生活」を営んでいくことは可能なわけです。もう政治家や官僚、お役人たちに自分たちの生活の面倒を見てもらうことなど期待できない以上、自主独立の気概を持って「最低限度以上の文化生活」を各自が築き上げていく以外道はなさそうです。

 (大場光太郎・記)

 

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ТPPは国力劣化をもたらす毒薬だ

 『日刊ゲンダイ』11月3日(4面)の『田中康夫 にっぽん改国』(毎週水曜掲載コラム)からの転載です。適宜空けをしています。
                       *

国力劣化をもたらす毒薬だ

 「大増税・ТPP・放射能」。我が日本は焦燥感、閉塞感に包まれています。
 昨日夕刻、衆議院本会議で代表質問に立ち、不公正な日本の税制を放置し、トロイの木馬的なТPPに猪突猛進するNОDA(発音:ノ~ダ?)内閣を諌めました。
 
小村壽太郎翁を始めとする数多くの先達が血を吐く思いで努力を重ねた末、日本は1911年(明治44年)に関税自主権を回復します。
 が、その100年後に当たる2011年(平成23年)秋、我が日本は、国家の根幹たる関税自主権を自ら放棄しかねぬ深刻な局面に陥っているのです。

 環太平洋の一員であるカナダもメキシコも、中国も韓国も、更にはインドネシアもフィリピンもタイも、ТPP = 環太平洋戦略的経済連携協定に参加していません。いいえ、参加すらアメリカから求められていないのです。
 邦訳では「環太平洋」を名乗るも、英文では太平洋の「向こう側」を意味するTrans-PacificのТPP。「環 = 輪っか」を意味するPan-PacificのPPPに非ず。これぞ日本政府の意図的誤訳に他なりません。

 ТPPは日米連携の中国包囲網だと、したり顔で語る“媚米派”が居ます。勘違いも甚だしい。ТPPはアジアと日本を分断し、日本の国力劣化を齎(もたら)す毒薬です。
 故に、ТPPは羊の皮を被った狼。自由貿易でなく保護貿易。それもアメリカ一人勝ちの時代錯誤的なブロック経済。日本にとっては貿易自由化協定ならぬ貿易阻害協定だと、繰り返し申し上げてきました。

 所謂(いわゆる)「農業」の問題に留まりません。暴露メディア王のリチャード・マードック氏が日本のТV局に君臨しかねぬ電波・情報通信の開放も含まれ、既述の如く、日本経済を支える製造業にも甚大な影響を与えます。
 が、「ТPP協定への交渉参加らついて」「しっかりと議論」と所信表明した宰相NОDAは、一体、何時、何処で「しっかりと議論」するのかも明言しません。民主党内の議論すら纏(まと)まっていません。

 「今こそ『国会』を機能させねばなりません」「『ТPP交渉協議への参加表明』を是が非でも阻止しようではありませんか!」と僕が述べると期せずして、与野党を超えて拍手が議場に沸き起こりました。
 「日本の壊国ТPP参加表明」を防ぐべく、党派を超えた戦略が間もなく胎動します。  (転載終わり)

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超高学歴ギャル、町議選トップ当選

 ローカルなニュースながら、一躍全国的に有名になった女性がいます。「時の人」は、10月30日の新潟県津南町議会議員選挙でトップ当選を果たした桑原悠(くわばら・はるか)さんです。
 話題になった大きな要因は、桑原さんは現役の東大大学院生でありながら、25歳でぶっちぎりのトップ当選で新潟県内の町議として最年少議員となったことです。

  

 超高学歴であるため“タカピー女”かと思いきや。ごらんの通り何となく親しみの持てそうな女性です。どちらかというと「可愛い系」ギャルといってもいいでしょう。
 彼女はこの画像からも分かるとおり「農ギャル」でもあるのです。田んぼの用水路コンクリート上にドッコイショとあぐらをかいて坐りほほ笑んでいる姿は、健康ではちきれんばかりの農家の可愛いお嫁さん風で、実にさまになっています。

 それもそのはずです。桑原悠さんが生まれ育った津南町は、長野県との県境にあり、人口1万1000人の典型的なじいちゃん・ばあちゃん農家の多い過疎の町なのです。
 彼女の生家の詳細は不明ながら、農業の何たるかを体で感じながら育ったのではないでしょうか。「♪うさぎ追いしかの山 こぶな釣りしかの川」、自然には恵まれているものの、学習環境としてはかなり不利だったことでしょう。にも関わらず彼女は県立国際情報高校を卒業し、早稲田大学社会科学部に進みます。同大学卒業後さらに東大大学院(公共政策教育学部)に進んだという、かなりの才媛です。
 これだけでもおそらく、津南町始まって以来の秀才として後々までの語り草となることでしょう。

 これだけ華麗なエリートコースをたどれば、普通はそれこそ“お高く”なって故郷など見向きもせず、都内の有名企業なり官庁なりを目指しがちです。
 しかし桑原悠さんは違ったのです。故郷への想いが人一倍強い人らしく、先ず県内の魚市場を希望し、既にそこでの就職が内定していたといいます。そして今回25歳になったことにより、郷里の町の町議選に立候補したというわけです。
 そして2位の559票に2倍の差をつける1144票を獲得して、めでたくトップ当選を果たしたのです。

 以上高学歴はともかく、“可愛いギャル”には目がない私の好意的な紹介でした(笑)。続いて「公人」としてのバランス上、『日刊ゲンダイ』お得意の少し毒舌的な記事も紹介してみます。

 そもそも津南町議は定員16名に対して、今回は17名の立候補(有効投票数は7452票)。つまり(実にお気の毒ながら)落ちたのは一人だけ。16番目の当選者はたった270票で議員になれたのです。少し意地悪な見方をすれば、同町議選は一人の落選者を決めるための選挙だったともいえます。
 津南町議の待遇はどうでしょうか。議員報酬は月19万2000円、政務調査費が月額5000円。議員の活動は原則として本会議開催中に限られ、定例会が3月(予算)、6月、9月(決算)、12月の年4回。議員年収としては少々安いとはいえ、仕事量や地方で生活することを考えれば十分といえます。

 総務省による直近の地方選挙結果調べによれば、今回の町村議会議員選の平均競争率は「1.14倍」。市議会議員も似たようなもので「1.21倍」、統一地方選後半の一般市議選では、北海道赤平や滋賀県栗東、熊本県合志などで計116人が無投票当選しているといいます。

 地方選挙では大学院生の当選も珍しいことではなく、今年3月には名古屋市議選で桑原さんと同じ25歳の東大院生の山田まなさんが当選しています。同紙には山田市議(「減税日本」所属)の写真も載っていますが、こちらは「美しすぎる市議」として取り上げたいほどです。
 そこで『日刊ゲンダイ』は結びとして言うのです。「地方の選挙では若くてちょっとかわいければ簡単に当選できるのだ」「“オイシイ”なんて言われないように、議員になってから汗をかいて欲しいものだ」

 まさにそのとおり。桑原悠町議さん。あなたのその優秀な頭脳と燃える郷土愛で、限界集落が方々にありそうな津南町の活性化と、巨大津波のように襲いかかり、我が国農業を壊滅させようとしているТPP参加圧力に敢然と立ち向かってください。
 (元岩手県知事の増田寛也氏の弟子らしいのが少し気になるけど)ご健闘、ご活躍お祈りしています。

参考・引用
『日刊ゲンダイ』11月1日(3面)、2日(5面)

 (大場光太郎・記)

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日々雑感(12)

   十月の終わりの街の暮色かな
   ハロウィンの空にさやかな三日(みか)の月  (以上拙句)

 「SFの抒情詩人」レイ・ブラッドベリの『10月はたそがれの国』については、08年記事にし、以後2年続けて再掲載し、またこの月アクセスが増えてきます。「10月」を形容するのにこれほどふさわしい表現はないと思われるほど秀逸なタイトルです。
 しかしこのタイトルは、同記事でもふれましたがブラッドベリの原題ではなく、邦訳として初めてこの作品集を刊行した時(1965年12月24日初版発行)に創元社がつけたタイトルなのでした。

 1年の季節の推移を1日になぞらえた場合、なるほど「10月はたそがれの国」であると納得させられます。この月は米をはじめとした五穀や果物の収穫の時期であり、晩秋に向かい寒さが徐々に増し加わる時期。まさにたそがれ、夕暮れに打ってつけの季節です。

 その10月も今日で終わり。早いもので今年もあと「夜の国」の2ヶ月を残すのみです。
 改めて言うまでもなく我が国は今年、3月11日の東日本大震災、直後の福島第一原発事故と、未曾有と形容される二大災厄に見舞われました。
 しばらくは、喪に服しているような悲しみと沈んだ絶望感がこの国全体を覆いました。

 しかし「時」というものは、どんな痛ましい出来事も、人をして忘却の彼方の岸へと追いやってくれるものです。また「夜の明けない朝はない」の格言もあります。1ヵ月、2ヶ月と経過するとともに、世の中は徐々に平穏・元気な生活を取り戻していきました。
 特に懸念されたのが、原発事故による広範囲な放射能汚染と、事故原発が使えないことによる電力不足でした。放射能汚染については、まだ完全に安全とは言い切れないところがありますが、避難指定地域外は「まあ安全」とみなして生活していくしかないのでしょう。

 今日の私たちの日常生活に直結しているのが「電力」です。事故直後『夜の停電を経験して』記事でも述べましたが、夜の長時間の停電があれほど不便とは思いもよりませんでした。今でも、昭和50年前後の生活レベルと思しきこの私ですらそうなのです。
 「オール電化生活」を満喫しているご家庭は別格としても。今もって列島の広範囲で計画停電が続いているとしたら。夜も照明がつかない、暑さ寒さにもエアコンが使えない、遠出したくても電車が止まって動かない…。

 電力はふんだんに使えてあたり前のこの時代。「電力不足」一つで、いくらおとなしい国民性と言えども、各地でパニックや暴動もどきが起きていても不思議ではありませんでした。
 こう考えてみると、電力は私たちの心理面にまで大きな影響を及ぼすものであることを、図らずも今回の原発事故で気づかされました。
 同時に我が国が電力を確保する手段として、いかに「原子力発電所」に依存しているかということも浮き彫りになりました。

 唯一の被爆国である我が国は、水力、火力など他の方法で電力を確保する道を選択するべきでした。しかし実際は、CIAエージェントの正力松太郎や中曽根康弘らによる、米国発の「原子力の平和利用」という美しいプロパガンダにまんまと引っかかり、今回の悲惨な事故に至ったわけです。
 その意味では、今挙げた両人、旧自民党、通商産業省(現・経済産業省)、原子力保安院、東電・九電など、この狭い国土に52基もの原発を建設してきた組織や連中こそは「A級戦犯」です。それとともに、今まで快適な電化生活を享受してきた私たち国民にも責任の一端はありそうです。

 現実問題として、震災の復興も原発事故原子炉の収束も遅々として進んでいません。被災地の瓦礫処理、道路、港湾、漁港などの復旧、高台への住宅地移転計画。原発事故各号機の安定化と廃炉、汚染水の地下水や海中への浸入防止、放射能汚染土の除染などなど。一定の目途がつくまでは途方もない時間とお金がかかりそうです。

 私は震災直後の『超巨大地震発生』記事で、「復興には200~500兆円くらいかかるのでは?」と当てずっぽうなことを書きました。後で『いくら何でもベラボーすぎたかな?』と思っていました。しかし原発事故の「除染」一つ取ってみても、除染とその中間貯蔵施設の建設に40兆円もかかるという試算があります。それからすれば私の当初概算(?)は、当らずといえども遠からずだったのかもしれません。
 そんな莫大な費用の大半は、結局は国民が負担することになるのです。歴代政権の度重なるヘマによる長期の不況でそれでなくても青息吐息なのに、「やってらんねえや」ではないでしょうか。

 本当はこの記事、「身辺雑記」でまとめようと考えていました。しかしいつの間にか、震災と原発事故などへの「憤り」になってしまいました。

 10月31日は米国などでは「ハロウィン」でした。近年我が国でも、若い人を中心にかなり浸透してきているようです。『どうせまた米国が発祥のバカ騒ぎだろ』と思っていました。気になって調べましたら、元々はケルト人の収穫感謝祭が起源のようです。
 「坊主憎けりゃ…」とは言っても、私は米国の何から何まで嫌いなわけではありません。嫌なのは、我が国に従属を強いるような「一国突出主義」「ハゲタカ強欲主義」なのであって、米国の文化にはそれなりに敬意をはらってもいるのです。

 【注記】月も変わることだし、背景を『十五夜』から『もみじ』に替えました。定期訪問の方々、またしばらくはこの背景でお付き合いください。

 (大場光太郎・記)

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