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文化の日に思うこと

   半月も地軸も国も傾ぶけり   (拙句)

 11月3日は「文化の日」でした。この日はまた以前から「晴れの特異日」として知られてきました。統計的にこの日は晴れる日が多いというのです。
 しかし今年の文化の日、当地はどんより曇った一日となってしまいました。ただここのところ続いた寒さは和らぎ、街には子供たちや家族連れの姿が目立ちました。行楽にもってこいの日和で、各地の行楽地も賑わいをみせたことでしょう。

 文化の日は恒例の文化勲章の親授式が皇居・宮殿で行われます。今年の受勲者は作家の丸谷才一さんら5人でした。勲章授与後、86歳と最高齢の丸谷さんが代表して天皇陛下に、「それぞれの仕事でこれまで通り励んでいきたいと存じます」と挨拶したとのことです。
 他の叙勲者は、陶芸家の大樋年朗さん(84)、半導体電子工学の赤碕勇さん(82)、日本政治外交史の三谷太一郎さん(75)、分子遺伝学・分子生理学の柳田充弘さん(70)でした。

 最近そういえば名前を聞かなくなった丸谷氏でしたが、もう86歳とは驚きです。同氏は過去にも芥川龍之介賞、谷崎潤一郎賞、読売文学賞、野間文芸賞、川端康成賞、泉鏡花文学賞など名だたる文学賞を授賞しており、総なめの感があります。
 その上「屋上屋を重ねる」ような文化勲章ですから。
   学了(お)へてより誉めらるることもなし   (拙句)
 こんな私の来歴からみれば、同氏は栄誉人身を極め尽くした感じがします。『同じ人間でありながらどうしてこうも違うのか』との思いを深くします。が、ともかくも同県出身者の一人として心よりお祝い申し上げます。(ただし同氏は日本海に面した鶴岡市のご出身、内陸部出身の私とはかなり離れています。)

 そうでした。山形県とくれば、自ずと郷里での文化の日のことが思い出されます。08年11月の『菊祭りの思い出』でも述べましたが、その前後郷里の置賜郡宮内町(現南陽市宮内)では菊祭りの真っ最中なのでした。
 寒冷が増し加わる郷里のこの季節、「菊見」にはもってこいの季節でもあったのでしょう。近隣に名が響いている熊野神社の秋祭りに菊花展がドッキングし、名称も「菊祭り」と呼ばれることになったもののようです。

 我が宮内小学校は熊野神社に隣接しており、校庭には近隣の人たちが丹精込めて作った数々の名菊が所狭しと展示されていました。私たち当時の児童は、休み時間や下校時など何度と飽かずに眺め歩いたものでした。
 それとともに神社参道沿いには二階建ての大きな小屋が作られ、「菊人形展」が毎年催されました。同記事でも書きましたが、学校行事の一環として毎年菊人形を見て回り、小学校生活での楽しみの一つでした。今では小屋掛けではなく、神社から少し離れた双松公園の屋外での展示となり、菊人形のテーマも「直江兼続」「坂本龍馬」というように、毎年のNHK大河ドラマに沿ったものになっており、山形県内外から結構観光客が訪れているようです。

 同記事では書きませんでしたが、確か文化の日に行われていた催しがありました。「仮装行列」です。この日の昼過ぎ頃から、思い思いのいでたちに仮装した各地区の人たちが、熊野神社門前から何時間かかけて町内を練り歩くのです。
 私も実はこの行列には小、中学時代何度も加わりました。当時お世話になっていた宮内町立母子寮も、例年同行列に参加していたからです。もちろん出し物は毎年違い、「赤銅鈴之助」「「名月赤城山」「花咲かじいさん」などなど。時にはチョンマゲのかつらをちょこんとかぶり、顔に化粧を塗られ、手に十手を持った小さな岡っ引き姿で街中を練り歩いたり。時代ものの背景が描かれた大トラックの荷台に、それらしい若侍姿で乗ったり…。
 
 ある年仮装行列が終って寮に引き上げた全員に、集会場でラーメンが振舞われました。その一杯のラーメンのおいしかったの何の。あれほど旨いラーメンは後にも先にも初めてです。小学生でもっぱら歩く役でしたから、余計そうだったのでしょう。
 ちなみに次の年も例のラーメンを期待していましたが、その年は出ませんでした。
 仮装行列自体、町の都合なのかやがて行われなくなったようです。

 さて「文化の日」は、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨として戦後制定された国民の祝日の一つです。1946年(昭和21年)のこの日日本国憲法が公布されました。日本国憲法は「平和と文化」を重視していることから、1948年(昭和23年)この日を文化の日にすることとしたようです。
 決して偶然の一致ではないと思いますが、前年までは明治天皇の誕生日を祝う「明治節」でやはり祝日でした。

 占領した日本を民主主義のモデルケースにしようと、マッカーサーはじめGHQ首脳たちは本気で考えていたところがあったようです。「自由、平和、文化」などの謳い文句が躍る、世界に冠たる平和憲法の制定などはその表れでしょう。しかしその後のソ連との深刻な対立、いわゆる東西冷戦構造が日本の立場を大きく変えることになりました。
 我が国は米国から、極東における格好の橋頭堡の役割を担わされていき、日米双方のリーダーたちにとって、「戦争の放棄」などを謳った現平和憲法が邪魔になっていったのです。

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上に努めなければならない。」 (日本国憲法第25条)
 小泉・竹中の新自由主義導入により、この国は極端な格差社会になってしまいました。格差は拡大する一方で、リストラ、失業、事業の失敗などで一度低い方に落ちてしまうと容易には這い上がれない硬直化した社会になってしまっています。
 この条文の「文化的な最低限度の生活」のレベルが、どんどん下がっていっているのが実情です。

 そんな中での文化の日。「文化」とは何か。孫引きで申し訳ありませんが、広辞苑には「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果であり、特に人間の精神生活にかかわるものを文化、技術判手のニュアンスが強いものを文明と区別する」とあるようです。
 「伝統文化」「企業文化」「若者文化」「サブカルチュア文化」などなど。文化は極めて広範な概念を含んでいるとしても、すべての文化に上の定義の「精神生活」さらに言えば「スピリチュアリズム」が根底にある。そう解釈すれば、文化の本質は明確に了解されるのかもしれません。

 名もなく貧しく路地裏の一隅でひっそりと暮らしていようとも、余人に引けを取らない「固有の文化生活」を営んでいくことは可能なわけです。もう政治家や官僚、お役人たちに自分たちの生活の面倒を見てもらうことなど期待できない以上、自主独立の気概を持って「最低限度以上の文化生活」を各自が築き上げていく以外道はなさそうです。

 (大場光太郎・記)

 

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