哀愁の街に霧が降る
霧の夜(よ)の殊(こと)に灯(ひ)の無き路地裏よ (拙句)
5日土曜日の夜、当地では雨が降りました。晩秋の夜の雨の風情でしたが本降りとはならず、しとしと小雨程度に降っていました。
10時過ぎ外に出てみたところ、とうに雨は上がっていて、代わって夜霧が立ちこめていました。とは言っても、何十メートルか先はまるで視界不良というような濃霧ではなく、薄っすらと遠くの街区を包み込むような具合の夜霧です。
霧発生のメカニズムなどは詳しくは知りませんが、地表面とそこに接する大気温とにある一定の温度差が生じた場合、霧は発生するのだったでしょうか。そして今年はこれまで出ることがなかったようなので、寒さが増し加わるちょうど今頃の季節特有の現象なのかもしれません。
そのためなのか、霧は俳句において「秋の季語」となっているのです。
いずれにしても今年初めてと思しき夜霧の中を少し歩きながら、普段見慣れた街並みが薄く煙っていて、常とは違う叙情的な風情を醸し出していたのでした。
ことほど左様に夜霧というものは、つかの間詩的、幻想的な気分に誘(いざな)ってくれるもののようです。そのためか、夜霧は我が国の歌謡曲でも格好の素材として多く歌われてきました。
私の乏しい知識では、夜霧が流行歌のタイトルに使われたのは、今年9月の『ディック・ミネ「上海ブルース」』の末尾でも触れましたが、戦後間もなくディック・ミネが歌った『夜霧のブルース』だったのではないかと思われます。
そしてまるで「夜霧ブーム」であるかのように、タイトルや歌の中で「夜霧」がさかんに使われた時代がありました。昨年11月の『昭和30年代前半は「夜霧の時代」?』でみましたように、昭和30年代前半です。
その先駆けとなった感があるのが『哀愁の街に霧が降る』(昭和31年)です。
流行歌における「夜霧効果」を目一杯活かしたような、ロマンティックな歌詞とメロディです。
日暮れが青い灯(ひ) つけてゆく
宵の十字路
泪色(なみだいろ)した 霧がきょうも降る
出だしの3行だけ特別に掲げましたが、何とも詩的な歌詞です。
また2番の出だしも印象的です。
花売り娘の花束も
濡れる十字路 ……
かつてご自身の音楽サイトでこの曲の見事なmp3をアップした方は、この歌の解説の中で、N県からW大学進学のため上京した当初、注意して探したのがこの歌の「花売り娘」だったと言います。
しかし昭和30年代半ばともなると、東京のどの街角にも花売り娘の姿は見当たらずガッカリしたそうです。しかし歌にも歌われているくらいですから、30年代初頭頃までは確かに花売り娘はいたのでしょう。
発表当時この歌を歌ったのは、山田真二という歌手でした。しかし良い歌はある歳月をおいて繰り返しリバイバルで歌い継がれていくものです。その後久保浩(代表曲は昭和39年のこれまた『霧の中の少女』)が歌い、最近では山川豊が歌っています。
今から半世紀以上前の夜霧の歌。毎度繰り返すようですが、世の中干からびてしまって、こういう潤いのある叙情的な名曲は残念ながら生まれにくい時代になってしまいました。
(大場光太郎・記)
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