« 天皇ご不在の新嘗祭 | トップページ | ペルセウス、故国に帰還し王となる »

立川談志師匠、壮絶人生に幕

 -「談志の前に談志なく、談志の後に談志なし」。最後まで破天荒な落語家人生-

 落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし、本名 ・ 松岡克由=まつおか・かつよし)さんが21日、喉頭(こうとう)がんのため死去しました。享年75歳。親族だけで密葬を済ませ、後日都内で「お別れ会」を開く予定とのことです。喪主は妻の則子(のりこ)さんです。

 とここまでは、某大手紙のネット版記事からほぼそのまま拝借したものです。どこの新聞・テレビも横並びでだいたい同じような内容でしょうから、何新聞など表記するまでもないでしょう。

 「落語」は日本文化の一側面であり、それなりにそのエキスが凝縮されている一伝統芸能としてある程度の敬意は払いつつも、テレビの落語中継などをたまたま見るくらいなもの。落語にテーマを絞ってじっくり聴いてみた、というようなことはありませんでした。
 立川談志師匠もその延長線上にありました。私などの若い頃(昭和40年代前半)既にテレビに出ていたこと、ビートたけしなどよりずっと前から「毒舌」でならしていたこと、その後参院議員になり長く国会活動をしていたこと。談志師匠について知っているのは、おおむねそんなことくらいです。

 あっ、そう言えば。何年前だったか、NHK総合で談志師匠を取り上げた深夜番組がありましたっけ(BSなどの再放送だったかもしれません)。その頃では病がかなり進行し、往年の迸るような気力が陰をひそめ、よれよれになって、生きるのも辛そうな談志師匠の姿がそこにはありました。

 頬はこけ顔に精気なく言葉の張りは失いつつも、なお高座復帰に賭ける日々を追ったドキュメンタリー番組だったでしょうか。その番組を通して、「落語道」をなおも追及し続ける執念と言おうか、いっそ鬼気迫るとでも言ってしまおうか。談志師匠のそういう気迫が画面を通してビンビン伝わってきました。
 その時初めてと言っていいくらい、『談志ってのは、スゲエ(凄え)落語家だなぁ !』と認識を新たにさせられたのです。

 その番組を見て実感した談志師匠の「ただならぬ生き様」が、師匠の死の直前如実に出たようです。
 ここ何日か、談志師匠は、昨年11月に再発した喉頭がん治療のために声帯を取ることは、「プライドが許さない」と本人が拒否したという報道が駆け巡っていました。そのため声帯切除はせず、自宅療養と入院を続けたものの、今年10月27日に容体が急変し、そのご3週間は意識が戻らずじまい。遂に21日亡くなったわけです。

 ただならぬ生き様が、即「ただならぬ死に様」に直結することになってしまったようです。しかし「生き様」は十人十色です。生き様がそうであるのなら、「死に様」とてそうあってしかるべきです。

 「今この時」は生き方のみならず、死に方も一人ひとりが各人でプロデュースする時代になってきているようです。
 なおも生きたければそういう処置をしてもらえばいいだろうし。『もうここらへんでいいや』と本人が思えば、変な延命措置など不要だろうし。これまでのように、「葬式仏教」式のステレオタイプのお葬式にこだわる必要はないのだし。いっそ葬式やお墓など「不要」という人がいてもいいのだし。
 その意味で立川談志師匠の死に方の何と見事なことよ、と思わずにはおられません。

 生前談志師匠自らがつけた戒名は洒落(しゃれ)っ気たっぷりで、「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわうんこくさいいえもとかってこじ)。家族に見守られながら、安らかに眠りについたといいます。「どうだ、オレの戒名は。アッハッハッハ」。談志師匠の高笑いが聞こてきそうです。
 「大往生間違いなし」でしょう。ですが一応世間のしきたりとして。ご冥福心よりお祈り申し上げます。

参考・引用
『日刊ゲンダイ』11月25日(9面)

 (大場光太郎・記)

|

« 天皇ご不在の新嘗祭 | トップページ | ペルセウス、故国に帰還し王となる »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。