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2011年12月

今年行く

  年の瀬の暮色の街に見入りけり  (拙句)

 30日午後3時過ぎ、近くを散策し、妻田薬師裏の坂道を上っていきました。
 左手の妻田薬師の本道裏を見、右手の小さな稲荷社を見ながら上ります。薬師の敷地と反対の墓地の間は車3台ほどが駐車できそうな砂利の空き地になっていて、それに直交して高いネットフェンスが張り巡らしてあります。
 その先薬師に隣接しているのは厚木市立清水小学校です。まん前に同校の校庭がずっと先まで広がっています。鉄筋3階建ての校舎は右にあります。広々とした校庭にはさすがにこの年の瀬児童たちの姿はほとんどなく、その一角でサッカーボールを夢中で追いかけている3人の少年の姿があるばかりです。

 向こう側にもネットフェンスが張り巡らされ、その先にはご多分に漏れず一般住宅がびっしり建て混んで並んでいます。さらにその先に視線を向けると、当市のシンボル的な山である大山の堂々たる山容が目に飛び込んできます。
 夏と冬では太陽の軌跡はかくも違うものなのか。それが大山がでんと聳えていることによってはっきりと分かるのです。夏ならば山のずっと右寄りの丹沢連峰の一角に沈みます。それがこの季節では山のずっと左寄り(平塚市との境でならばちょうど富士山の見える辺り)に沈むのです。

 見ればこの時刻冬陽はもうじき大山の山の端に沈みそうです。最後のまぶしい残照を町並みに投げかけてきています。少し冷え込んできたこの時間、少しでも暖かい所をと、校庭端の高い並木の長い影をよけて、日向の所まで移動してやおら一服しました。

 私が時折りここに来るのは、先ずは大山に対面したいからなのです。まさにこここそが大山を真正面に見られる最高スポットなのではないか。そう思われるほど、大山山頂を頂点とした左右になだらかに広がる裾野まで、晴れ渡った冬空を背景に黒々としたその全容がよく眺められるのです。
 ことに鋭い山頂。あそこには、日本最古社の一つと言われている大山阿夫利神社の奥宮が鎮座しているはずです。そこまでゆうに十キロ以上はあることでしょう。一服しながらで不調法ですが、私はここに立ちながら、その奥宮に想念を飛ばしているつもりなのです。それを促しているのは、私の中の「古代の心」なのでしょうか。

 視線を落とすと、相変わらずサッカー少年たちが熱心にボールを追いかけています。いつぞやは4時を過ぎ寒風吹きすさぶ中、大勢が夢中で野球の練習をしていました。小学生高学年なのでしょうか、ユニフォームが板についています。それ以上に皆、打つ、受ける、投げるといった野球の一つ一つの動作が実にうまくて、しばらく関心しながら見入ってしまいました。
 こういうハイレベルな少年野球の広がりがあるからこそ、WBCで日本は米国などを下して世界一にもなれるわけです。

 向こう側の住宅地は既に日翳っていて早や暮色が兆している感じです。近隣とはいえ、あの辺りにはどんな家族のどんな人たちが住んでいるのか、皆目分かりません。もちろんこういう大変なご時世、それぞれの家庭には人知れぬご苦労もおありのことでしょう。
 しかし今暮色はそんな一々の家庭の事情などやわらかく包み隠してくれていて、平穏そのものの静けさが漂っています。
 あの住居の連なりの持つどっしりした安定感。かくも「住」が保証されている限り、安定志向の日本人が自ら「変化」を求めることなどないのだろうな、などと余計なことを考えました。

 坂を下って帰る途中、妻田薬師境内端の大きな楠(くすのき)に注意が向かいました。境内中ほどの「大クスノキ」(神奈川県100名木の一つ)に次いで大きな楠です。根元近くで大木が2本あるかのように二つに分かれしています。
 ところがこの木、今年の初夏頃、高所作業車によって7、8メートルくらいの所で無残にも枝々を伐られてしまったのです。ですから常緑の葉はもうほとんどありません。
 この木が、豊かに葉を繁らせていたからこそ、妻田薬師は鬱蒼たる古刹の雰囲気が醸し出せていたのです。ところが今は哀れな丸坊主状態。これによって確かに薬師本堂は遠くからでもよく見えるようにはなりました。
 しかし思うのです。樹齢何百年もの老木を勝手無残に伐ってしまっていいのでしょうか。

 実は当厚木市では被害はこの老楠だけではないのです。これに類することが当市の方々で起きています。
 厚木中学校沿いの舗道の見事な桜並木。これが一本置きくらいに根元から伐られてしまいました。県の北合庁の桜並木の太い枝がバツサバッサと伐られました。お隣の厚木警察署や水引マックのある国道246沿い舗道の街路樹も一本置きに根元から伐られました。伐る前の但し書きが振るっています。何でも「この秋の台風によって倒れそうで危ないから」とか。いやいや決してそうは見えなかったんですけどねぇ。

 余人はいざ知らず。私は木々のこういう痛々しい姿をみると、まるで自分の体の一部が伐られたような心の痛みを感じてしまうのです。
 容赦ない木々への暴力は、厚木市、神奈川県行政に一貫しているのでしょうか。あるいはその上の国土交通省、現政府にまで一貫した「自然観」なのでしょうか。

 このような樹木軽視の傾向は「人命軽視」にもつながると思います。そのいい例が福島原発事故の初期段階で、時の菅直人政権が「スピーディ情報」を握りつぶし必要避難地域住民を緊急避難させなかったことです。そのため子どもたちを含む多くの住民が被爆したと言われています。
 人命最優先より、避難地拡大による国家補償を抑えることに主眼を置いたのです。

 一木一草の命も大切に。私たちは、地球上で共に共生している動植物をもっともっと慈しんでいかなければならないのではないでしょうか。
 これをもって、今年最後の結びとさせていただきます。

 どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。

 (大場光太郎・記)

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マスコミが決して取り上げない重大ニュース

 -他ブログ記事ですが、大変正鵠を得た内容なので特に転載致します-

今年も残すところ今日を含めて後3日となった。今年の日本の重大ニュースのトップは福島第一原発事故を含む東日本大震災で、2番は「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝になる。おそらくこれに異論を挟む人は居ないだろう。だが3番目以下になると、意見が分かれることと思う。マスコミは、原発事故による放射能汚染問題、大相撲八百長問題、野田内閣誕生などを挙げている。

そこで筆者は【マスコミが決して取り上げない重大ニュース】を取り上げる。紙面の都合で、全ては一連の小沢事件に関連したものになる。一つは陸山会事件裁判の登石裁判長に対する弾劾裁判の動きである。次に、小沢氏を起訴相当と2度議決した東京第5検察審査会の事務局に対する真相追究の動き。そして三番目は一連の小沢事件の捜査を指揮した大鶴基成元東京地検次席検事の辞職と弁護士への転身である。

証拠がなくても推認だけで有罪判決を下した登石裁判長に対し、多くの訴追請求が国会の訴追委員会に出されている。年が明けると国会議員を含む団体による訴追請求も出される。判決直後にこそ一部のマスコミが、その判決内容に疑問を投げかけたが、それで終りだった。冤罪や冤罪の疑いの強い事件が次々と明らかになっている今、証拠のない有罪判決を批判する。それが真のジャーナリズムではないだろうか。

小沢氏を起訴相当と2度議決した第5審査会の審査員の平均年齢が2度とも、統計学的にみてあり得ない34.55歳と全く同じだった。それにより多くの人が、第5審査会では恣意的な審査員選任が行なわれた疑惑や幽霊審査会の疑惑を抱いた。中でも民主党の森ゆう子議員は国会でその疑惑を追及したのだが、マスコミは全くそれを報道しなかったし、その疑惑を追及しようともしなかった。

検察審査会事務局は、最高裁事務局が実質的に管理する組織である。そういう組織であるからこそ、そこで生じた疑惑は追及されて然るべきなのだ。今、この疑惑を追及する市民団体と呼ぶより数人の人が、第5審査会事務局と戦っている。それに対し、最高裁事務局は、伝田第5審査会事務局長を人事異動させた。何かの拍子に真実が吐露されることを怖れたのだろうとしか思えない。

小沢公判で、東京地検特捜部田代検事が捏造報告書を作成したことが明らかになり、また、木村主任検事が「これは特捜部と小沢一郎の全面戦争だ」と言ったことも明らかにされた。裁判長の推認によって予想外の判決になった陸山会裁判であるが、もし無罪判決が下っていれば、陸山会事件の訴訟指揮をした大鶴元東京地検次席検事に対する検察官としての適格審査申請が出されるのは必至であった。

大鶴元次席検事の辞職・転身は、当初こそは、検察官適格審査会での審査を懼れたのかと思われた。それならば佐久間元特捜部長も転身しただろう。検察調書の多くを証拠採用しなかった裁判所が、狂気の判決を下した裏には必ず理由があるはずだ。大胆な推理になるが、大鶴氏の辞職と有罪判決はセットではなかったのか。石川議員の弁護士がヤメ検で、その弁護内容を考えると、裏取引の疑惑さえ浮かぶのである。

なぜそう推理したか。村木さん事件で、取調べ検事が「執行猶予になるから」と言ったことに対し、村木さんが反発を感じたと述べていた。一般人にとって有罪か無罪かは天地の差だが、検事や判事には、執行猶予は無罪に近い感覚だと言うことが、これにより分る。そこで、検察を辞めるなら検察の面子を保つ。執行猶予なら身柄拘束はない。いずれ高裁で無罪。そう云う談合があったとしても不思議ではないと考えた。

昨年は大阪地検特捜部の前田主任検事による証拠捏造が発覚し、「検察が正義」の神話が崩壊した年であったが、今年は以上の3つを纏めて、【法務官僚の腐敗】が明らかになり、裁判所の正義に崩壊の兆しが見えた年だと言える。別の言い方をすれば、国民主権の憲法下で、一番民主化が遅れているのが司法=裁判所であることが明らかになった年だと言うことだ。

これは決して暗いニュースではない。小沢一郎という稀有な存在の政治家が居たからこそ、彼に脅威を感じた官僚たちが束になって襲ったのが、一連の小沢事件である。
そして日本の民主主義が未成熟であることが明らかにされた。だから「暗いニュースではない」と言うのだ。後は国民が、民主主義をどう育てて行くかである。
最後になりましたが、読者の皆さまが良い年を迎えられることを祈念いたします。
                   <徳山 勝> ( 2011/12/28 18:30 )
引用
『oliven ewsver1.0』
http://www.olivenews.net/news_30/newsdisp.php?m=0&i=12

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民主党決壊 ! 離党予備軍90人超

 -役立たずの与党が壊れるのは大歓迎だ ! (『日刊ゲンダイ』から転載)-

<松木謙公らが「新党」立ち上げ><小沢Gに限らず党全体に拡大>

 民主党の離党ラッシュが止まらない。八ツ場ダム建設再開に反対して離党表明した中島政希衆院議員(比例北関東・当選1回)に続き、28日午前、9人の中堅・若手議員が離党届を提出した。年末年始をはさんでさらに離党者が膨張するのは間違いない。いよいよ民主党の内部崩壊が始まった。
 28日離党届を出したのは、いずれも衆院議員で内山晃(千葉7区・当選3回)と豊田潤多郎(比例近畿・2回)、渡辺浩一郎(比例東京・2回)。他に、石田三示(比例南関東)、小林正枝(比例東海)、斎藤恭紀(宮城2区)、中後淳(比例南関東)、三輪信昭(比例東海)、渡辺義彦(比例近畿)の1回生議員たちだ。

 民主党を除名になり現在は無所属の松木謙公(北海道12区・3回)と新党を立ち上げる見通しだ。
「離党者は十数人まで膨れ上がりそうです。彼らは、野田政権が09年の政権交代で国民と約束したマニフェストをことごとく破り、マニフェストになかったTPPや消費税に猛進することに、もう我慢ならない、と本気で怒っている。ずいぶん前から、小沢グループの1年生は、松木さんに対し『新党をつくって下さい』という相談をしていた。小沢さんは『もう少し待て』とブレーキをかけてきたが、八ツ場ダムの建設中止という目玉公約を投げ捨てたことで、離党の動きに拍車がかかり、抑えが利かなくなった」(関係者)

 雪崩を打ったような離党騒ぎだが、見過ごせないのは、小沢一郎元代表が号令を掛けているわけではないことだ。24日に離党届を出した中島は小沢グループではなく、松木たちの新党には合流しないとみられ、中間派の1年生も水面下で「民主党ではもうダメだ」とサジを投げている。
 つまり、民主党の離党ドミノは、もはや小沢グループに限った話ではなく、党全体に広がっているのだ。完全に決壊し始めている。

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏がこう言う。
「表立って『離党』とは口にしていなくとも、民主党が政権交代の原点を忘れ、変質していることに失望している議員は、取材すると1年生中心に相当数います。次の選挙は民主党では戦わないと決心している人もいる。『離党』か『新党』か『みんなの党』へ行くのかなど、悩みに悩んでいて、あとは飛び出すタイミングを計っている状況です。これからどんどん離党者が出るでしょう。最後のヤマは、小沢グループの集団決起。60~70人規模で新党もしくは分党の旗揚げになるのではないか」

 小沢グループを入れれば、“離党予備軍”は90人を下らない。
 年末年始、民主党議員は地元で支援者から、「自分たちの身も切らずに、消費税を増税するのか!」と罵声を浴びせられるのは必至。年明け、永田町に戻れば、離党の渦はますます拡大する。
 野田が消費増税に突き進み、マニフェスト違反を続ける限り、民主党は空中分解するしかない。  (転載終わり)

引用
『日刊ゲンダイ』12月29日号3面
http://gendai.net/articles/view/syakai/134431 (『ゲンダイネット』)

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クリスマスの起源はサタンの祭り !?(3)

 -X^マスはイエスの生誕にみせかけてサタンが仕掛けた周到な罠である-

 これまで、クリスマスとはイエスキリストの生誕を祝うものではなく、ニムロド(NIMROD)の生誕を祝うのが起源であるらしいことを見てきました。
 古代バビロニアに人類初の都市国家を築いたとされるニムロドこそが、「サタン王」であったのです。そして12月25日はこのニムロドの誕生日だったというわけです。
 ただなに分ニムロドは紀元前(数千年前)の人物です。バベルの塔を建造したくらいですから、「神への反逆者」つまり「サタン王」だったことは明らかですが、その悪魔性を示す事跡が詳細に分かっているわけではありません。

 しかしサタン結社である「イルミナティ」が今日まで伝えるところにより、二ムドロの悪魔性の一端をうかがい知ることができます。
 かつてイルミナティのド中枢にいた人物が、「クリスマスはニムドロの生誕を祝うもの」であることを明らかにしているのです。以下にそれを掲載しているサイトの当該部分を引用してみます。

「Merry Xmasの『X』というのは、二ムロドの象徴で、merry Xmas は『Magical or Merriment Communion with Nimrod』という意味である。
ニムロドの誕生日は12月25日の日曜日で、それはバビロニアの安息日である。したがって、クリスマスはイエスではなくニムロドの生誕を祝うものである。
ニムロデのシンボルが『X』の十字であることは重要である。多くの魔女(例えばチャールズ・マンソンの女性たち)の額の上にこのマークがある」-ジョントッド
 (サイト『カレイドスコープ』より)

 こう記したジョン・トッドなる人物は、「悪魔の13血流」随一の強力なオカルティストの家系であるコリンズ家の一員でした。ジョン・トッドは上記文を含む『イルミナティと魔術』という小冊子を著し、同結社のおぞましい秘儀を世間に暴露したため同結社によって暗殺されています。
 ここで「イルミナティの悪魔の13血流」とは、英国王室を筆頭に欧州各王室や元貴族、それにロスチャイルド、ロックフェラーなどのアシュケナジー系の“偽”ユダヤなどの、世界を裏から支配している“白人種スーパーエリート”の血流(血統)を指すと思われます。
 ケネディ家、ブッシュ家、クリントン家など米国大統領を出した家系の多くは、この13血流にまで遡るイングランドなどの元貴族の家柄だとみられているのです。

 私見では、この血流は元からの地球人ではなく、サタン性を有する(地球外生命体の)レプティリアン(爬虫類人)と地球人のハイブリッドであると思われます。欧州貴族の代表格である英国王室(ウィンザー家)の現女王、そして初代女王の「エリザベス」の文字を分解して読み解くと「トカゲの女王」となることは近年つとに知られています。
 この「悪魔の13血流」の始祖がニムロドだったかどうかは分かりません。が、まったく無関係ということはないでしょう。

 確実な情報かどうかは不明ですが、ニムロドは「一つ目」だったという説があるようです。「一つ目」、これは最近の『きゃりぱみゅ「PONPONPON」は呪いの動画 !?』で見ましたように、サタンやイルミナティの重要なシンボルなのでした。
 代表例はご存知米国1ドル紙幣に描かれた「ピラミッドの一つ目」です。別名「万物を見通す目」や「プロビデンスの目」とも言われますが、多くの研究家によってこれは「サタン(ルシファー)の目」とされているのです。
 二ムロドが一つ目だったとしたら、彼自身がサタンそのものではなかったとしても、サタンの霊流を受けたまさに「サタン王」だったと見ていいと思います。

 ところで「一つ目」と言えば。大晦日のNHK紅白歌合戦にレディー・ガガが出場することが正式に決定したようです。ただしニューヨークからの生中継だそうです。
 レディー・ガガお得意のパフォーマンスの一つが、目の回りで作る親指と人差し指を丸めた「一つ目のポーズ」です。ガガのこの一つ目は、サタンそのものを示すとともにニムロドを示すものだと言われているのです。そして伸ばした他の3本指も含めて「666」も表しているのです。

 レディー・ガガについては機会があれば改めて記事にするつもりですが、彼女は今世界一の「サタニスト・ミュージシャン」であることは紛れもない事実のようです。
 あるサイトで「レディー・ガガを出場させるようではNHKも終わりだ」という、最近の記事タイトルを見かけました。いいえ、もうとっくに終っています、NHKは。

 ・ 二ムロドとサンタクロースの共通性
 ・ ニムロドとクリスマスツリーの関係
 ・ ニムロドと母親妻(究極の近親婚)でバビロニア女神のセミラミスとその子タン
   ムズの「三位一体」と、キリスト教の「三位一体」との関係
などについて、一つ一つ見ていくつもりでした。しかし新年のカウントダウンが始まっているのに、いつまでもクリスマスでもないものです。そこでより詳しくお知りになりたい方は、下記サイト『カレイドスコープ』をご訪問ください。

 最後に是非強調したいことは、「クリスマスはサタンが仕掛けた周到な罠」であるということです。そしてクリスマスは、人間性の奥底に潜む邪悪さが一気に露呈する「場」だそうです。我が国のクリスマス狂乱から「なるほどそのとおり」と実感させられるのです。  - 完 -

参考・引用
米国1ドル紙幣の「ピラミッドの目」(画像)
http://livedoor.blogimg.jp/ki2ch/imgs/b/d/bd901f5a.jpg
レディー・ガガの「一つ目のポーズ」(画像)

http://blog-imgs-35-origin.fc2.com/k/a/l/kaleido11/20111206-14.jpg
カレイドスコープ「クリスマスはニムロド(ニムロデ)生誕を祝うもの』
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-291.html
関連記事
『きゃりぱみゅ「PONPONPON」は呪いの動画 !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-537c.html
『ロックフェラーセンターのこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-33d1.html

 (大場光太郎・記)

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クリスマスの起源はサタンの祭り !?(2)

 -クリスマスの起源は古く、遥か古代バビロニアの一人の王の生誕に遡る-

 前回は、12月25日はイエスキリストの誕生日とは関係ないこと、この日をクリスマスとしたのはミトラス教(ミトラ教)の「無限の太陽の生誕日」という冬至祭の換骨奪取だった可能性が高いことなどをみてきました。

 冬至は、太陽の「死と再生」を意味する重要な日として、古来世界各地の民族や宗教において神聖な日とされてきました。ミトラス教もその流れに則ったものと一応は言えそうです。
 しかし冬至は12月21日か22日であって、12月25日ではありません。25日では冬至の日から3、4日経過しており、冬至の「一陽来復」の太陽を神聖視する意義とはずれてしまいます。
 実は12月25日を冬至や太陽に結びつけたのは、ミトラス教が初めてではありません。同教もそれに先行する祭祀を受け継いだだけなのです。

 その祭りの起源をさらに遡っていくと、どうやら古代バビロニアにまで行き着くようです。そこで12月25日の日曜日に生まれた人物がいたのです。
 その人物の名は「ニムロド」(NIMROD)といいます。古代バビロニアの王で、その名は旧約聖書の『創世記』にも登場します。大洪水を免れたノアは、その後セム、ハム、ヤペテの3人の息子をもうけました。そのうちのハムの子がクシ、クシの子がニムロド(ニムロデ)とされているのです。

 『創世記』には次の記述があります。
 「このニムロデは世の権力者となった最初の人である。彼は主の前に力ある狩猟者であった。」
 これでみるとニムロドは、この世で最初の権力者(王)になったという以外に、取り立て問題にすべき人物でもなさそうです。

 ところが『ミドラーシュ』という後世にまとめられた旧約関係の別伝によると、(おそらく何らかの根拠ある伝承に基づいてでしょうが)少し様相が違って、よりネガティヴな人物として描かれているのです。
 まずその名前ですが、ニムロドとはヘブライ語で「我々は反逆する」を意味しているといいます。狩猟者としての彼の行為もまた、凶暴かつ残虐に描写されています。またニムロドは、イスラエルの始祖アブラハムと同時代のバビロニア王であり、バベルにおいて偶像崇拝をしなかった青年アブラハムを捕まえ、神学論争を持ちかけたものの巧みに切り返され、業を煮やしたニムロドは燃え盛る炉に投げ込みます。しかしアブラハムはまったく焼けずに無事救出されたというのです。

 さらにミドラーシュには、かの有名な「バベルの塔」の企画発案者こそがニムロドだとしているのです。バベルの塔についてはどなたも概略ご存知でしょうが、復習のため『創世記』の記述をみてみることにします。
 「彼らはまた言った。「さあ、町と塔を建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた。「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉を通じないようにしよう」。こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。これによってその町の名はバベルと呼ばれた。」

 バベルの塔建造の張本人がニムロドだったとすると、彼こそはまさしく「神への反逆者」(サタニスト)の最たる者だったことになります。

 神(主)は全地に悪がはびこったことに激しく怒り、ノアの家族と多くの生き物のつがいを乗せた方舟だけを残し、地上に大洪水を起こし悪を一掃したはずでした。しかしノアからほどなくして、しかもノアの血統の中から神への反逆者が出たことになります。
 これはその昔、エデンの園での蛇の人類の始祖への誘惑によって流れ込んだ「サタンの血流」は、大洪水という「水の洗礼」では消去出来なかったことを意味します。

 人類の完全浄化にはもはや「火の洗礼」(その真意義は「霊(ひ)の洗礼」)しかないのかな、というのはまた別の話です。  (以下次回につづく)

参考・引用
『ウィキペディア』-「ニムロド」の項
日本聖書協会版『聖書』(口語訳)

 (大場光太郎・記)

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クリスマスの起源はサタンの祭り !?(1)

-クリスマス気分が抜けたところで「クリスマスの本質」について考えてみます-

 さてのっけから変な話で何ですが。直近の『日刊ゲンダイ』記事の中に、クリスマスイヴは例年都内などではホテルやラブホテルが若いカップルで満室状態。と言って並んで順番待ちしていては、その間にお二人さんの“やる気”もしぼんでしまう。そこで取って置きの“穴場情報”を、と言うような内容の記事がありました。
 イエスキリストの生誕を祝うはずの厳粛な「聖夜」が、非キリスト教国の我が国にあっては、若者を中心にとんだ乱痴気な「性夜」になってしまっているわけです。

 そこまでいかずとも。我が国では特に戦後クリスマス行事がさかんになりました。
 気の早いことに店によっては11月からクリスマスソングがガンガン鳴り、イヴをピークに夜の街にはギンギラギンのイルミネーション。何日か前からスーパーなどでは、レジの店員が真っ赤なサンタ姿での応対。若い女の子ならそりゃ可愛いけれど、多くがパートのおばさんたちのサンタ姿であり何とも興ざめです。
 イヴからの2日間は、菓子屋などでクリスマスケースやローストキチンの店頭販売。何でも今や定番となりつつあるローストキチンは、本場の欧米では見られない日本独特の習慣なのだそうな。

 若いカップルたちの乱痴気騒ぎに、クリスマス商戦を当て込んで経済界が毎年仕掛けるバカ騒ぎ。これらは、何でも猿真似をする本場・アメリカ様方式にならったものなのでしょう。
 しかし世界中がクリスマスにバカ騒ぎしているかというとさに非ず。西欧の地方などでは、今でも聖夜の意義をしっかり守り、各戸ごとに敬虔な気持ちで祈りを捧げ静かに過す所も少なくはないのです。

 我が国の行き過ぎた風潮に対して、「迷える子羊」たちを教導するのがお役目の日本カトリック教会やプロテスタント教会あたりが声明を出し、警鐘を鳴らしてもよさそうなものです。しかしそんなことはついぞありません。もっとも今のバチカンにも米国の大教会にも、上層部にかなりのサタニスト(悪魔崇拝者)がおり、むしろそれらの組織の方向性などについて主導権を持つに至っています。
 彼らは「クリスマスの真相」など百も承知です。そして日本をターゲットにしている彼ら(キリスト教会だけとは限らない)は、日本人の「一億総愚民化」こそが大命題。だからクリスマスのバカ騒ぎなどまさに思う壺、「バカな日本人がまんまと罠にかかりおって。ウッヒッヒッ」と陰でほくそ笑み、悪魔譲りの長い舌をぺロッと出しているに違いないのです。

 いずれにして今年のクリスマスは過ぎました。したがってもうせっかくの「クリスマス気分」をぶち壊すこともないわけですから、「クリスマスの真相」をバラすことにしたいと思います。このシリーズをお読みになった方々は、今後くれぐれもその時期の「乱痴気騒ぎ」「バカ騒ぎ」に組みしないでいただきたいと思います。

 そもそも、クリスマスの本旨である「12月25日に救い主イエスキリストが生まれた」というのには、何の根拠もありません。イエスの生涯について各方面からそれぞれ述べている、新約聖書の「4福音書」の中に、イエスの誕生日は12月25日であることを示す記述はどこにもないのです。
 わずかに手がかりとなるのは、『ルカによる福音書』の中の次の記述です。
 「彼ら(ヨセフとマリア)がベツレヘムに滞在している間に、マリアは月が満ちて、(とある家の馬小屋で)初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。
 さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿をしながら羊の群れの番をしていた。」(日本聖書協会・口語訳より)

 中東の12月下旬の夜は、私たちが思うほど温暖ではありません。逆に砂漠地帯特有の放射冷却現象で我が国の真冬並みの寒さなのです。とても野宿どころではなく、羊飼たちが野宿できるとしたらせいぜい10月いっぱいまでだろうと言われています。
 イエスの死直後の原始キリスト教会では、イエスの生誕などさほど重要視されておらず、クリスマスの祝い事もなかったのです。西暦3世紀になってさえ、時の神学者のオリゲネスは「クリスマスを定めることは異教的である」と非難していたほどです。

 それが4世紀前半の教皇ユリウス1世が「イエスの生誕(クリスマス)は12月25日である」と布告し、その後キリスト教国全体で大々的に祝われるようになっていったのです。
 要は早い話が、その過程でオリゲネスが指摘しているとおり、12月25日にキリスト教に先行して行われていた「異教徒の祭り」をパクったということです。

 これについては冬至説など諸説あるものの、中でもミトラス教(ミトラ教)から換骨奪取したというのが主流のようです。当時最大のライバル教だったミトラス教の最大の祭りは、同教で「無敵の太陽の生誕日」とされる冬至祭でしたが、これがまさに12月25日に行われていたのです。
 なおこれ以外でも、同教では「太陽の日」が聖なる日とされていましたが、キリスト教を国教とした時のローマ皇帝・コンスタンティヌス帝はこれをキリスト教の安息日と合一させ、「日曜日は帝国の公の休日」と決定しています。現代にまで至る「日曜日は休日」の起源の一つがここにあるのです。

 クリスマスの制定は実は、ローマ教会がイエスの真の教えから逸脱していく大きな第一歩だったのです。 (以下次回につづく)

【注記】この度この記事も含めて新たに『悪魔・666・イルミナティ』カテゴリーを設けることにしました。大変おどおどろしいタイトルですが、私たちはこれらに関する情報を避けてはいけないと思います。

 (大場光太郎・記)

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ブログ背景替えました(11年12月篇)

  街路樹が冬のオブジェになっている   (拙句)

 神奈川県県央地区の当地では、ここ2、3日寒い日が続いています。早くも西高東低の冬型の気圧配置に列島が覆われてしまっているのか。この気圧配置にままありがちな好天気なのに、風はやたらピューピュー冷たく吹き付ける北風、そのせいもあって外に出てみると、冬本番の寒さを体感してしまうのです。

 しかし地方によっては、このくらいの寒さなどどうということのない所がけっこうあるわけです。2日ほど前、田舎の親戚の叔母たちから電話がありました。例年郷里(山形県南陽市宮内)の親戚2軒から向こうの果物が送られてきて、お返しに私が何がしかのお品をお送りした、そのお礼の電話なのです。
 年末の品のやり取りは、ここのところめったに帰郷していない私なので、お互いにその後の近況の確認、そして私にとっては田舎の様子などを知るいい機会となるのです。

 もっとも今年は、3月11日の東日本大震災の何日か後、気になってそれらの家に電話しました。まだご記憶に新しいかと思いますが、震災地の宮城県、岩手県のみならず、東北全県で広範囲に何日も停電が続きました。
 日々の地震ニュースによって山形県内はさほど被害はないようだとは分かっていても、来る日も来る日も電話がつながらずついつい心配になりました。同震災から3日後ほどしてようやくつながり、様子を聞いたところ案の定、「おがげ様でこっちはそんなに被害ねがった。…わざわざ電話してけっちぇ、どうもおしょうすななっすぅ」というようなことでした。(一部意味不明なところがおありかもしれませんが、全体的な文脈から大意をお汲み取りください。)

 話が脱線しますが。震災時の電話と言えば、仙台市に叔父がいます。山形市役所を10年以上前に退職し、3年程前に山形市内の家はそのまま残し、叔父夫婦だけで仙台市のマンションに越したのです。こちらは震災をもろに受けた地域ですから、本当に安否が気になりました。しかし当然のことながら山形よりさらに何日も電話出来ません。山形の叔母たちに確かめても、当たり前ですが「心配すてんだげんどよう、ホントにどうなったんだべねぇ」という返答でした。
 日に2、3度電話してみるのが日課になって、震災から数日後くらいにやっと叔父の携帯電話につながりました。そして無事な声が聞けたのでした。同マンションは仙台の山手の区にあり、震動はかなりだったものの上から物が落ちた程度で済んだようです。ただ若林区などを丸ごと呑み込んだ大津波は、同地区の1キロくらい先まで迫ったとのことでした。

 このたびの山形の叔母たち(80歳前後)の電話に話を戻します。
 二人とも、郷里はもう雪が降ってえらく寒いと話していました。そのうちの一人の叔母とは郷里町で家が近く親しく行き来していたこともあり、少し長電話になりました。
 「このまま根雪だごではぁ。こっちはたいした雪でもねぇげどよ、水林あだりはもうずい分積もってんべねぇ」と叔母。水林(みずばやし)とは以前の『雪に埋もれし我が故郷(1)』でも述べましたが、亡母の実家のある山奥の七軒部落のあった所です。
 元はと言えば皆ここに住んでいたのです。母が一時里帰りし私もこの部落で生まれました。下荻(しもおぎ)という下の部落から、山坂道を登って峠を下った小盆地状の平地にある部落でした。

 冬中は一面雪に閉ざされ下の小学校に通うことが無理なため、部落の小学生のために冬場だけの分校があったくらいの豪雪地帯です。ただ中学生ともなると、皆セミプロ級のスキーヤー(?)に成長していますから、冬でもスキーをはいて中学校に通っていたようです。私は夏と冬の学校休みに、そこにはよく行っていました。

 ひとしきり水林の思い出話に花が咲きました。今から25年も前、郷里町で親戚の子の結婚式があって親族が集まった折り、既に廃村になっていましたが、墓参りを兼ねて一同でそこの部落跡を訪れました。
 頃は6月初旬の緑したたる良い季節。晴天の日で、まず部落の外れのお墓にお参りして、長い風雪でぺしゃんこに押し潰された各家の残骸を見て回り、その後山に分け入ってフキやワラビやゼンマイといった山の幸をいっぱい採って帰ったのでした。その中には私の母をはじめ既に物故した人が何人もいます。互いに水林を懐かしみながらも、叔母は足が不自由で行けず、私は遠くてめったに行けず…。
 「コタロ君、体にばり気つけでな」「えや、どうもなっすう。オバチャも元気でえでおごやぇ」と言って、名残惜しく電話を切ったのでした。

 ところで今年は関東地方「木枯らし」が吹いたでしょうか。それと分かる木枯らし1号、私はついぞ確認できず終いでした。ただ目立った木枯らしは吹かずとも、とっくに町並みの木々は葉を落とし尽くしすっかり冬木のさまです。今年はブログ背景の「もみじ」を長く引っ張りすぎたきらいがありますが、ここで模様替えと致します。
 当ブログ開設の08年冬以来おなじみですが「本を開いて」。

 末尾ながら。「メリークリスマス」。良いクリスマスイヴをお過ごしください。

関連記事
『雪に埋もれし我が故郷(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-2ddb.html

 (大場光太郎・記)

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ここまでヒドかった小沢捜査

 有りもしない「裏金疑惑」をデッチ上げ、とことんこだわった検察幹部。小沢一郎の「人格破壊キャンペーン」を執拗に繰り返し、小沢の政治生命を抹殺しようとしたマスゴミ。2度目に「起訴相当」議決を出した検察審査会の11人の審査員の“幽霊”疑惑。それに関する情報開示をいくら求めても一切応じない検察審事務局。判事(裁判官)と検事(検察官)の両方に睨みを利かせ、重要裁判をコントロールしている最高裁事務局。無罪を百も承知で小沢の徹底排除シフトを敷いた管前政権幹部…。
 いずれは、この連中の「犯罪性」を白日の下に明らかにしなければなりません。

 今回は、小沢捜査の謀略の一端が垣間見える『日刊ゲンダイ』記事の転載です。
 要は、今この国を牛耳っている連中がどれだけヒドく腐っているかという、由々しき問題に帰着するのです。  

                        *

小沢裁判「捜査報告書」を捏造 

悪質特捜検事は逮捕されるのか

 
「陸山会事件」の裁判で暴露された、元東京地検特捜部の田代政弘検事(44)による捜査報告書の「捏造」。捏造された報告書は、検察審査会(検察審)が小沢一郎を強制起訴する“決め手”になったものだ。強制起訴の議決書にも引用されている。田代検事が、“小沢起訴”に誘導したのも同然である。

 「取調べ側が一方的に作成する『捜査報告書』の“捏造”は、たまに地方の警察で発覚して問題になるが、検察では異例です。まして今回は起訴、不起訴を判断する検察審の材料になったのだから問題は重大です」(司法ジャーナリスト)
 捜査報告書は立派な公文書。捏造すれば、場合によっては、虚偽公文書作成罪に当たる。村木事件で証拠改ざんした元検事の前田恒彦受刑者(44)と同じ構図だ。

 田代検事が捕まることはないのか。勝手に文書を作り、人ひとりを被告人にしたのだから、おとがめなしはおかしい。元東京地検検事の落合洋司弁護士はこう言う。
 「ポイントは虚偽の認識の有無です。最高検は、『故意ではない』という本人(田代検事)の説明を支持しているのでしょう。しかし、今後、(田代検事が)告発された場合、(最高検などが)捜査に乗り出す可能性は十分にあります」

 どの道、小沢に無罪判決が出て「国策捜査」批判が噴出すれば、前田受刑者と同様、最高検が組織防衛のために田代検事をいつパクってもおかしくない。田代検事はクビを洗っておいた方がいい。
 それにしても小沢裁判は何から何までおかしい。インチキ裁判はいい加減やめるべきだ。  (転載終わり)

【補注】 田代検事による「捜査報告書捏造」とは、
 小沢元代表を「起訴相当」とした検察審査会の昨年4月の1回目議決を受け、田代検事は改めて同年5月に石川知裕議員から事情を聴きました。その際、あえて不利なことを認めた理由として、石川議員が語ったという報告書の生々しい言葉は、実は架空のものだったとされるものです。(文中「あえて不利なことを認めた」というのは、石川議員が同年1月の逮捕時、担当検事の恫喝により、「政治資金収支報告書にうそを書くと元代表に報告した」と認める署名をしたこと。)
 過日の小沢裁判公判に証人として出廷した田代検事が、同報告書を捏造したことを自ら認めたのです。

 なお、「小沢無罪」を見越したアリバイ作りのためなのか、“小沢嫌い”の朝日、読売までが検察批判に転じています。小沢公判の過程で、ここまで検察がぼろぼろとボロを出し、限りなく小沢無罪に近づけたのは、広中弁護士をはじめとした小沢弁護団の優れた手腕の賜物と言えます。

参考・引用
『日刊ゲンダイ』12月23日2面
『朝日新聞社説』-「うその報告書―検察は経緯を検証せよ」12月18日朝刊
 (同紙のネット版社説の保存期間は数日。必読ですからお早めに。)
http://www.asahi.com/paper/editorial20111218.html#Edit2
関連記事
『小沢茶番裁判すぐ中止しろ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-b55d.html

 (大場光太郎・記)

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金総書記死去は超激動の「2012年」の序曲 !?

 -超激動が予想される「運命の2012年」。金総書記死去はそのきっかけに?-

 金正日(キム・ジョンイル)総書記の死は単なる一国のリーダーの死、今後世界及び我が国に「ただちに影響を及ぼすものではない」などと、悠長に構えている政府関係者、国会議員、専門家、国民はそう多くはないことでしょう。
 北朝鮮という国の特殊性を考慮し、なおかつ我が国の置かれている地政学的意味合いからも、万が一の最悪の事態すら想定しておかなければならないからです。

 北朝鮮という国の特殊性とは何でしょうか。
 一つ目は同国がガチガチの共産主義国家であるということです。二つ目はそんな国を、金(キム)一族が世襲的に独裁支配していることです。
 そして三つ目。これが一番問題ですが、北朝鮮は「先軍主義」を唱える軍事最優先の軍国主義国家であるということです。

 北朝鮮は例えてみれば私の出身県である山形県一県のGDPくらいしかない、世界有数の経済小国です。こんな弱小国をかつて米国は極度に警戒して、イランなどとともに「ならず者国家」に指定しました。
 これには生前の金総書記も、「アンタの国だけには言われたくないよ」と怒ったかどうかは分かりませんが。ともかくこんな世界有数の経済劣等国が、世界一の超大国・米国相手に外交交渉などで一歩も引かず互角に渡り合い、時にさんざん手こずらせてもいるのです。

 そんな北朝鮮のしたたか外交の源泉になっているのが、軍事力です。ただし通常兵器では我が国自衛隊の足元にも及ばないほどヨレヨレ、世界の三流、四流にすぎません。戦車や戦闘機は旧ソ連や中国お下がりの旧式に加え、貧乏で燃料がないためロクに訓練すら出来ない状態です。
 しかし「核」や「生物兵器」となると段違いです。既に相当数の核を保有し、各地の山をくり抜いた秘密基地に実戦配備していると言われています。またわずか1グラムで数万人を殺せる生物兵器を1トンも保有している(韓国の国防白書)とみられているのです。

 東アジアの弱小国である北朝鮮は、核や生物兵器を目一杯利用し、有効なカードとしてちらつかせ、老獪かつ際どい綱渡り外交を展開してきたわけです。
 しかしこれまで北朝鮮発の「朝鮮有事」が起こらなかったのは、金正日総書記のしたたかなバランス感覚によるところが大きいと思われます。金総書記は独裁者には違いありませんが、少なくとも狂気に駆られて暴走することはなかったのです。自国を取り巻く韓、中、日、米、ロという五カ国のパワーバランスを冷静に読みきり、巧みに泳ぎまわる賢さがあったとみるべきです。

 そんな金正日総書記が死去しました。その結果北朝鮮・金王朝は、金正日三男の金正恩(キム・ジョンウン)に引き継がれることになりました。
 初代の金日成(キム・イルソン)から正日への後継世襲は、完了まで数年かかっています。しかし三代目の正恩が、北朝鮮国内と世界に向かって登場したのは昨年のことです。わずか1年余で、北朝鮮の命運は28歳の若き金正恩に握られることになったのです。

 今年1月の『朝鮮有事は起こりえるか?』記事は、「もし仮に金正日総書記が死んだ場合」の朝鮮有事の可能性について述べたものでした。それがこのたび、金総書記の死が現実のものとなってしまいました。
 若い正恩は父・正日からどれほどの“帝王学”を授かっていたのか、外交・内政の指導力がどれだけあるのか、軍部をどれだけ掌握できているのか…。すべては未知数です。
 その上心配なのは、正日のようなバランス感覚が正恩にはあるのかという問題です。これを欠いているようだと、ある日突然暴走しかねず、韓国はおろか我が国も深刻な脅威に巻き込まれることになりかねません。

 今年はエジプトのムバラク長期政権が倒され、リビアの独裁者・カダフィ大佐も死去しました。そして今年の締めのように金正日が死去したのです。
 その上「世界皇帝」ディビット・ロックフェラーの消息までも不明です。一説にはロスチャイルドによって失脚させられたとも噂されますが、真偽のほどは不確かです。何やら世界中の「勢力者地図」の総塗り替えのようにも思われるのです。

 これについては、昨年「政治とカネ」で方々の旧勢力から総攻撃を受けていた小沢一郎が、「2012年には世界中の指導者が皆変わるから…」と、おそらくこの年こそ「自分の復権のチャンスだ」という含みなのでしょうが、何やら予言めいたことを言っていたことを思い出します。
 そういえばもう間近に迫った来年は、米国大統領選の年です。今の情勢ではオバマ再選はまずないとみられています。また一方の大国・中国も、来年秋の共産党大会で中国の最高権力ポストである共産党総書記に、習近平が就く見通しです。(但し国家主席を胡錦濤から譲り受けるのは2013年春の全人代において。)
 明日満78歳の誕生日をお迎えになる、今上天皇陛下のご健康も気になるところです。

 本来「2012年問題」とは、マヤ暦の終わりとされる「2012年12月22日」を見据えたスピリチュアルな問題です。本日は冬至で、この日までちょうど1年ということになりました。 
 この日の意義については毎年述べてきましたが、「地球がアセンション(次元上昇)する」「この日時間がタイムゼロになる」「地球がフォトンベルトに丸ごと浸ることになる」などと言われてきました。
 ただ今年になって、「マヤ暦の終わりは、2012年12月22日よりも前らしい」(船井幸雄氏説)とか、「正確には2011年12月28日である」(ミノリス説)などと、どうも根拠があやふやになってきています。

 スピリチュアルはさておき。現実問題として、2012年は今年以上の超激動が十分予想されます。主だった世界的指導者の交代もそうです。朝鮮有事の懸念もまたしかり。
 米国は金総書記の(10月中の)死去を、今回の発表直前まで掴んでいなかったそうです。イラン・イスラエル対立の状況分析で北朝鮮どころではなさそうで、もし仮にこの両国間で戦争が勃発すれば、「最終戦争は(イスラエルと)イランとの衝突によって起こる」という旧約聖書からの預言が成就し、ハルマゲドンに突入しかねないのです。

 イ・イ戦争がないとしても、例のEU・欧州各国の金融危機が、いよいよ年明けにもメルトダウンか?という観測もあります。米国の財政破綻だってあり得ます。中国も欧州との貿易がかなりの比重を占めているため、欧州がバンクすれば相当のダメージをこうむります。
 そんな中日本はどうなるのかですって?「今後の生き方」も含めて、それはこれをお読みのお一人お一人がお考えください。

関連記事、
『朝鮮有事は起こり得るか?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-d45e.html
『えっ、ディビッド・ロックフェラー失脚 !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-626c.html
『資本主義が終わり、次は何主義?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-ceb8.html
『アセンション情報カテゴリー』(『2012年12月22日』など)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat42266063/index.html

 (大場光太郎・記)

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山形県内高校事情

 -本記事は大変ローカルながら、出身地への郷土愛と母校愛から綴ったものです-

 手っ取り早く。『夕刊フジ』12月15日1面に掲載された「全国高校偏差値ランキング」から、私の出身県である山形県の高校ランキングを見てみることにします。

  70  山形東
  65  山形西  山形南  鶴岡南  酒田東  米沢興譲館
  62  長井

 以上7校ですが、これらはすべて公立校です。直前の『全国高校偏差値ランキングから』でみたように、「地方は公立校が頂点に立っている」という典型例のようです。
 私の出身校である長井高校が名を連ね、ОBである私の面目をつないでくれました。

 山形県は「県別GDP」といった各指標で見た場合、47都道府県で下位の方にランクされることが多い目立たない県といっていいようです。
 全国区で名前が知られているものといえば、Jリーグのモンテディオ山形くらいなもの(残念ながら来季のJ2降格が決定)。また山形県出身の有名人としては、タレントのあき竹城(米沢市)、プロ野球・広島カープの大型内野手の栗原健太(天童市)、そして今年2月世間をお騒がせした京大カンニング騒動の「aicezuki」君(新庄市)くらいなものです。

 そんな地味な山形県。今回のランキングで判明したことには、何と「東北一の教育県」としての素顔です。大都市・仙台のある宮城県や関東に隣接する福島県をしのいで、高ランキング校が一番多いのです。
 これは同県出身者の私にとっても意外でした。全国的な各指標の低ランクに、かつての県内リーダーの方々が、「これではダメだ。何とかしなければ !」と発奮し、その一環として着目したのが「すべての基盤となる教育」だったのでしょうか。そういう基本方針がきっちり定まっていなければ、とてもこのような成果となって結実しないはずです。

 それは我が母校の長井高校にも言えそうです。昔3年間通学しましたからよく分かっていますが、母校のある長井市は、当時これといった特色も産業もない小人口の町でした。それが最近では「エコロジーの町」として、全市挙げたエコへの取り組みが数年前のNHK教育で紹介されたほどでした。
 我が母校は以前の『万物備乎我』シリーズで述べましたが、大正8年創立の旧制中学校が前身の、置賜地方では米沢興譲館高校と共に地域の名門校ではありました。私が在学中の昭和40年代前半「偏差値」なるものはありませんでした。しかし仮にあったとして比定するに、当時はこの私がそうでしたが、2年から「就職コース」2クラスがあり簿記やソロバンを習っていたレベルでした。

 そのくらいですから当時の母校、確かにずば抜けたヤツがいるにはいましたが、私のようなボンクラ生徒などを平均すると、偏差値50ちょぼちょぼくらいではなかったでしょうか。それが現在の偏差値になるまでには、長井市、母校関係者、そして私たち以降の生徒諸君、それぞれの並々ならぬ自助努力があってのこと、ОBとして深く敬意を表したいと思います。

 2年ほど前の母校は確か60。そして今回の62にいたのが、地域のライバル校の米沢興譲館高校でした。同校は米沢上杉藩の藩校として江戸時代からの歴史と伝統を有する、我が郷里ではトップの名門校です。中学時代漠然と憧れていて、大の勉強嫌いがたたって入れませんでした。
 そういった事からつい気になります。母校が62に追いついたかと思ったら、敵さんは65と逆に水を開けられてしまいました。
 いずれにしても母校と同校、今後とも地域の良きライバル校として互いに切磋琢磨していってもらいたいものです。

 山形西、山形南、鶴岡南、酒田東は、私の郷里とはずい分離れていることもあって、実情はほとんど知りません。ただトップの山形東高校のことに触れないわけにいきません。
 山形東、県内随一の進学校として全県下知らない者はいないと思います。「東大には10人程度、東北大にはトップクラスの60人程度を毎年送り込んでいる。東北の県立進学校では1、2番といっていいでしょう」(進学雑誌編集者)
 そういえば以前、日本テレビの『クイズ甲子園』で同校が見事優勝、全国制覇したことがあったかと記憶しています。

 すぐ上の山形東評は、『日刊ゲンダイ』12月19日(5面)記事の一部です。そして同紙面、実は同校で最近起こった不祥事について述べているのです。タイトルにいわく、
  山形・予備校生切りつけ事件
  県内一の進学校でなぜ 地元に走る衝撃
 これはつい先日、山形東出身の予備校生(19)が、同校に忍び込み女子生徒に切りつけたという事件です。動機は「受験勉強で悩んでいた。乱暴しようと思った」というものです。
 いやはや。aicezukiに続いてまたかと、折角ここまで良い事を書いてきたのに、同県出身者の一人として嫌な気分になる出来事です。

 しかし硬直化し、歪み、制度疲労が限界に達しつつあるような今の社会、多くの人が鬱屈した感情を抱えています。たまたま山形東高で事件が起きましたが、これに類した不祥事は全国どこの有名高校でも起きる可能性があります。
 何ヶ月か前の阿修羅掲示板のある記事に、
 「現役の東大生だけど、いいことなんて何もない」
というようなコメントがありました。もちろん匿名ですから、この人物が本当に現役東大生なのかどうか確認しようがありません。
 しかし今の世の中つらつら思い見るに、こういう学生がいても不思議ではありません。

 どこぞの高偏差値の名門高校出身で、僕自身の奮闘努力と両親の教育投資の甲斐あって東大に入りました。が、実情はこのような荒涼とした心象風景なんです。就職超氷河期の現下、東大生でありながら、既に幾つもの会社の面接を受けてもまだどこからも内定がもらえてないんです。お先真っ暗ですよ。寝る間も、遊ぶ間も惜しんでこれまで勉学に励んできたのは、何のためだったんでしょうね。

関連記事
『全国高校ランキングから』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-4cfd.html
『犯人が分かってみれば…』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-aef0.html
『万物備乎我(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_305b.html

 (大場光太郎・記)

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金総書記死去に気づくまで

 -本記事は金総書記死去についての正式な論評ではありませんので、あしからず-

 金正日総書記が17日死去したニュースはどなたも既にご存知のことでしょう。激動の今年の最後を飾ることになるかもしれないビックニュースですから、私もいち早く一文にまとめたいと思いました。しかし何分急なことで、にわかにまとめても気の利いた文に仕上げられるか心もとありません。
 そこでしかるべき一文は後日ということで。無テレビ生活者の私が金総書記死去を知ることになった経緯などを、雑記風に記してみたいと思います。

 19日は昼前から外出し、横浜市内の某社に伺いました。帰宅したのが夜の7時過ぎ。一通り雑用を済ませて、本日午前10時以降のアクセス状況のチェックに入りました。

 当ブログ、3月11日の東日本大震災以降(あくまでも当ブログ基準ですが)しばらくはアクセスが急上昇していました。私が一番重視しているのは純訪問者数(ユニークアクセス数)ですが、大震災以前は一日平均300人~400人でした。それが大震災以降、同震災や原発事故関連記事をけっこう公開したこともあり、右肩上がりで急上昇していったのです。ピーク時は4月から6月頃で、純訪問者数が連日1000人を超える勢いでした。

 『このままずっとこの調子で行ってくれればいいんだがなぁ…』と淡い願望を抱いていました。しかし被災地や福島原発関連報道がめっきり減りだしたという7月頃から、当ブログ訪問者数も減少していきました。
 1000人から900人、800人、700人…。多事多難の今年も終わろうとしている今では、死守したかった500人をここ3日ほど遂に切ってしまっていました。訪問者数、アクセス数は記事を更新し続けるための大きな励みになるので、急下降は「とほほほ」なのです。

 本夜アクセス状況をチェックするに当たっては、『きょうは500人台に戻ってくれればいいがなぁ』くらいのものでした。ところが、本日のアクセス集計を見てびっくりです。夜7時過ぎの段階で、なんと1400人以上もの純訪問者数だったのです。
 こういう場合は過去の例から、どれか一つの記事にアクセスが集中しているものです。それはどれか?『さては「きゃりぱみゅ呪いの動画」か?』と推測しました。つい最近公開し、わりと人気があったからです。
 レディー・ガガが紅白の「サプライズゲスト決定か !?」と噂されることもあって、これが例によってツイッターで取り上げられたのか?と当たりをつけたのです。

 そこで次に記事毎アクセス数を見てみました。すると私の見当は大はずれで、集中していたのは『池田大作氏死去?』記事だったのです。
 いつか書こうと思っていましたが、『池田大作氏死去?』は3・11直前に公開したものですが、当ブログ総記事数1300弱の中でアクセスの多さではダントツです。2位は昨年2月の『朝青龍が暴行した相手』ですが、1年以上遅れて出したにも関わらずこれに数倍くらいの差をつけているはずです。

 公明党の支持母体の絶対的権力者だけに、「一体生きているのか、死んでいるのか」、その動向には多くの人が並々ならぬ関心を寄せているようです。この記事だけで1日200人~300人という日がかなり続きました。しかしマコトかウソか、今年10月頃からにわかに創価学会の機関紙である『聖教新聞』などで、池田センセイご健在の報道が続き出したようです。
 真贋(しんがん)のほどは定かではないものの、お元気な「御真影」まで掲載されたようです。その頃からアクセスががた減りとなり、昨日は45人(64件)となっていました。

 突然の同記事へのアクセス集中に、私はとっさに『層化も遂に隠し切れなくなって、池田死去を発表したのか?』と思いました。
 アクセス状況をもっと詳細にチェックするに、集中が始まったのは昼12時過ぎから。ピークは3時台でした。さては昼のNHKニュースで報道し、一気に火がついたのかと思ったのです。(結局同日の同記事総数は、1169人-1365件)

 「池田大作死亡」などの検索フレーズをたどると、膨大な検索数の中で、当ブログの『池田大作氏死去?』が1面のしかもトップになっていることは前から知っていました。ほかの記事ならいざ知らず、警察、検察、裁判所、弁護士会などに多数の学会員を送り込んでいる、天下の創価学会が相手ですから決して喜べないのです。
 今回も気になってたどってみました。確かヤフーだったかと思いますが、1面右サイドに「聖教新聞」サイトの広告が出ていました。本家に当たって見るのが、一番手っ取り早いわけです。そこで同サイトを訪問したところ「池田先生御崩御」などの見出しはどこにもなく、あろうことか「どこそこ国の何とか大学から、池田名誉会長に名誉博士号が授与された」という、お決まりの記事の類いがあるばかりです。

 その時点で「池田死去報道」が事実あったのかどうか、分からなくなりました。もしそんな事実がなかったとしたら、ではなぜ突如アクセスが殺到したんだ?ますます頭がこんがらがってきそうです。

 そうこうしているうちに、グーグルやヤフーなどさまざまなところからアクセスがありましたが、特にあまり聞きなれないURLからのものが圧倒的に多いことに気づきました。それはこちらです。
http://www.ig.gmodules.com/gadgets/ifr?exp_rpc_js=1&exp_track_js=1&url=http%3A%2F%2Fwww.gstatic.com%2Fig%2Fmodules%2Frealtime_trends%2Fv20%2Frealtime_trends.xml&container=ig&view=home&lang=ja&country=JP&sanitize=0&v=8c8a8a65259f74eb&parent=http://www.google.co.jp&libs=core:core.io:core.iglegacy:auth-refresh&is_signedin=1&synd=ig&mid=149

 やたら長いURLで、よく分からないサイトです。「グーグル検索」とあり、1から10までのフレーズが表示されています。
 そのトップに「金正日」があり、そして「金正日総書記死去」というのがあったのです。ずいぶん回りくどくなりましたが、そこで初めてその事実を知り『これは大変だ』となったのでした。

 それにして面妖な話です。金正日死去ニュースの日に、なんで『池田大作氏死去?』記事にアクセスが殺到したのか?そして池田氏とは何の関係もない上記URLから、同記事へアクセスできたのか?今もって謎だらけです。

 前者について勝手に推察するとすれば。北朝鮮の独裁者の金正日をわが国に当てはめれば、創価学会の池田大作。1兆円もの個人資産を海外に隠しているとされる池田大作ですから、かの国の金王朝に対して池田王朝といっていいのでしょう。
 さらには池田大作こと成太作(ソン・テチャク)率いる創価学会と、北朝鮮との親密な関係に関心を寄せている方もおいでなのかもしれません。
 金正日死亡となれば、一方死亡が噂されている池田大作はどうなんだ?と疑問に思った人が多かったのかもしれません。

関連記事
『池田大作氏死去?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-d3f9.html
『きゃりぱみゅ「PONPONPON」は呪いの動画?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-537c.html
『朝青龍が暴行した相手』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-8c45.html

 (大場光太郎・記)

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全国高校偏差値ランキングから

 高校受験の追い込みが佳境に入っているこの時期、先週『夕刊フジ』が東京、大阪、神奈川をはじめとした全国高校の偏差値ランキングを掲載しました。
 同じ夕刊紙でも「日刊ゲンダイ派」の私は、夕刊フジはめったに読みません。が、同紙1面最上部の、
  47都道府県別全国高校偏差値ランキング
などという大見出しにつられ、3日分ほど購読してしまいました。

 同紙のこの特集は先週月曜版からスタートし、しょっぱなは大票田(?)の東京、大阪だったようです。あいにく月曜版は読めなかったため、今回同都府の詳細情報は分かりません。(ただし両都府のランキング特上校のみ、15日版に再掲載されました。)
 一連の同紙企画は、47都道府県別の偏差値の高い順に62とか60とかまで表にして紹介し、専門家や記者が最近の高校事情について分析し寸評を加えるというような趣向です。
 すべてを網羅して取り上げることはできません。そこで、主だったものをかいつまんでご紹介してみたいと思います。

 「78」というブッ飛びの超高偏差値をたたき出し、全国数千校の高校の頂点に立つのが以下の3校です。
  開成高校        (私立・東京)
  筑波大学附属高校  (国立・東京)
  灘高校         (私立・兵庫)
 この3校は東大合格者ランクでも、開成(171人)を筆頭に、筑大附(107人)、灘(99人)とやはりベスト3となっています。これに桜蔭(私立・東京-75人)、麻布(私立・東京-71人)が加わり、東大合格者の不動のベスト5を形作っているといいます。

 このように首都圏、大阪・関西圏では、私立高校がランキング上位を陣取っているものの、全国的傾向として、地方の大半は公立校が頂点に立っているのが大きな特長です。
 これについて専門家は次のように解説しています。
 「地方では、地元政財界を地域の公立トップ校出身者が占める場合が多く、出身大学より高校が重視されるところが多い。自治体ではその公立校に優秀な教員、生徒を集中させて高い大学進学実績を維持する傾向も強く、その結果、志願先が“一本かぶり”になって偏差値が上がる」(都内出版社『大学通信』の大野香代子編集長)
 そしてそのような公立校に入学するため、「今でも高校浪人する生徒がいる」(大野氏)というのですから驚きです。

 「共学」も重要なキーワードのようです。それまで冴えなかった女子高が、男女共学制にしてから目覚しく偏差値アップした例が全国各校で出ているといいます。
 また近年の傾向として、不況の煽りからなのか「高専」(国立高等専門学校)が東大への近道として見直されてきているというのです。
 この高専、福島、群馬、長野、島根、宮崎などでは偏差値で最上位クラスに位置し、難易度が高いといいます。その上東大、京大(理系学部)に編入する生徒も少なくないため、今後とも注目を集めそうなのです。

 全国各地の高校事情をご紹介するわけにはいきません。そこで私は神奈川在住ですから、特に神奈川県のみご紹介してみたいと思います。
 同紙の神奈川県ランキングは、「75」から「60」まで7ランクに分けられています。さすがは全国有数の進学県だけあって、42校が名を連ねています。(切りがないので)そのうち68までは以下のとおりです。
  75  慶應高校(私立)  慶應湘南藤沢(私立)
  72  湘南(公立)
  70  柏陽(公立)  横浜翠嵐(公立)  桐蔭学園(私立)  厚木(公立)
  68  横須賀(公立)  神奈川総合(公立)  横浜緑ヶ丘(公立)  光陵(公立)
      日本女子大学附属(私立)  平塚江南(公立)

 私が特に注目するのは、私の居住市である厚木市にある厚木高校の快進撃です。確か2年ほど前までは67くらいだったかと記憶していますが、今回「70」とランクアップし、全県でもトップクラスの進学校としての地位を、一層揺るぎないものとしたようです。
 私が当地にやってきた昭和40年代から、厚高は神奈川県県央地区の名門校として通っていました。しかしいつもその行く手を阻んでいたのが、隣市にある平塚江南高校でした。これまでは偏差値で、厚高はずっと平塚江南の後塵を拝していたのです。しかし遂に今回それに追いつき、あっさりと抜き去ってしまったようです。
 地元でもあり、駅頭や通りで、見るからに賢(かしこ)そうな厚高生徒をけっこう見かけます。「良かったね ! これからも頑張ってね !」とエールを送りたいと思います。

 『夕刊フジ』高校ランキング掲載で真っ先に気になったのは、他でもない、我が出身高校の山形県立長井高校がどうなっているかでした。母校の消息や山形県の高校事情などについては、次回改めてご紹介させていただきます。

【注記】『夕刊フジ』高校ランキングは、日本最大の高校受験サイト『高校受験ナビ』(運営会社ジーナス)の「2011偏差値ランク」に基づいたものです。
『高校受験ナビ』 http://www.zyuken.net/

 (大場光太郎・記)

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小沢茶番裁判すぐ中止しろ

この国の検察、警察はデッチ上げで犯罪、犯人を捏造している
 (『日刊ゲンダイ』12月19日3面より転載)

特捜検察の恐るべきデタラメ次々暴露

「小沢一郎と特捜部の全面戦争だ、負けたら特捜部の終わりだ」と上層部にいわれたと前田元検事受刑者が証言

 一体この裁判は何なのか。強制起訴された小沢一郎元代表(69)の裁判がグチャグチャになってきた。
 きのう(16日)の第10回公判には、例の村木裁判でフロッピーを改ざんして有罪になった元検事の前田恒彦受刑者(44)が証人として出廷。大久保隆則元秘書を取り調べた担当として呼ばれたのだが、口にしたのは、2年前当時の東京地検特捜部の驚くべき内情だった。「裏金があったと“妄想”を描いている(特捜)幹部もいた」と平気で証言し、「私が裁判官なら(小沢)無罪で判決を書く」とまで言い放ったのだ。もはや地検特捜部は捜査機関の体をなしていない。瓦解も同然だ。こんなデタラメ検察がつくり上げた小沢裁判を続ける必要があるのか。


                       *
小沢茶番裁判すぐ中止しろ  (以下本文)

これは莫大な税金のムダ遣いの典型だ

 青のジャージーに安っぽいフリースを羽織り、刑務官に付き添われて出廷した前田元検事。丸刈りの頭髪には白髪が交じり、「大阪地検のエース」がウソみたいに変わり果てた姿だった。それ以上に法廷を驚かせたのは、前田が昨年1月,陸山会事件で大久保秘書を取り調べるため、大阪から東京地検に応援に呼ばれたときの状況だ。前田は着任早々、事件を担当する木村匡良主任検事(49)からこう言われたという。
「これは特捜部と小沢一郎の全面戦争だ ! 小沢をあげられなければ我々の負けだ !」
 まるで昔の軍人かヤクザの親分のセリフだが、ここに小沢捜査の本質が凝縮されている。「ジャマな小沢は必ず抹殺する」-そういう決意表明なのだ。何が何でも小沢を逮捕するという予想通りのシナリオが最初からあったのだ。

 きのうの前田証言がそれを裏付けてもいた。当時の特捜部幹部は水谷建設などのゼネコン企業から小沢サイドへの裏献金を洗い出すことに血眼になっていた。しかし、現場の検事がいくらゼネコン担当者や下請け業者から聴取しても裏金の存在が出てこない。「当時の雰囲気を言うと、現場は厭戦ムードでした」と前田はこう証言を続けた。
「陸山会事件を積極的に小沢さん(立件)までつなげたかったのは、当時の佐久間特捜部長と木村主任検事、大鶴次席検事ら一部の幹部でした。次の(大林)検事総長(当時、東京高検検事長)も乗り気ではありませんでした。それでも(幹部らは)1億や2億、場合によっては4億円を出してこいと(現場に)言ってくるのです。私は率直に『裏献金は難しい』と言いました。ほかの検事も『無理』と言っていました。

 一部の幹部が、消極的な部下のシリを叩き、ありもしない「裏金1億円」ストーリーをデッチ上げる。組織が狂気に向かって突っ走る。恐るべき姿が目に浮かぶようだ。

特捜部は検察審査会に不利な証拠を隠した

   (中略)
 午後になると、前田はフリースを脱いで、ますますヒートアップした。さながら独演会で、「検察が検察審に提出したもので証拠になっていないものがある。石川(知裕)議員の調書には問題があったんじゃないですか。弁護士からクレームがバンバンあった印象があります」「ゼネコンや下請けの捜査員を増やしたのに調書がないでしょう?裏金を渡しているという検察の想定と違う取り調べ内容は証拠化しないんですよ」などと、恐るべきことを次々と暴露していった。これだと、どんな事件もデッチ上げられ、誰でも犯人にされてしまう。あっちこっちで村木事件がつくられているのだ。

 そんな一方的な検察資料をもとに、検察審査会の一般11人は、小沢不起訴を「不当」と議決し、現在の小沢裁判となっているのだから、恐ろしい。ムチャクチャだ。
 そして、冒頭の「私が裁判官なら無罪と判決を書く」となったのだが、小沢裁判を傍聴し続けているジャーナリストの江川紹子氏が言う。
「最大の問題は、検察が証拠を隠したり調書を作らなかったために、検察審査会に正確な情報が伝わらず、正しい議決に結びつかなかった可能性があることです。もちろん、国民の判断を誤らせてきた新聞やТVメディアの責任も重大です」

 前日の公判では証人台に立った田代政弘検事(44)の証言が問題になった。小沢強制起訴の最大の根拠である石川議員を再聴取した際の捜査報告書を、以前の“記憶”とゴチャ混ぜにして捏造していたことが明らかになった。検察と一体になって小沢叩きを展開した読売新聞までが、1面トップで「有罪立証にダメージ」と書かざるを得ない非常事態になってきた。もはや勝負ありだ。

 検察のデッチ上げ体質、証拠隠しはバレバレである。この先いくら小沢裁判を続けたところで、「無罪」は動かなくなった。いくら「推認」好きの裁判長だとしても、小沢をクロにすることは無理だ。それならサッサと裁判を中止すべきだ。こんな茶番裁判に莫大な税金を使い、小沢一郎を幽閉して何の意味があるのか。百害あって一利なしだ。  (転載終わり)

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きゃりぱみゅ『PONPONPON』は呪いの動画 !?

 ※ 冒頭お断りしておきます。「きゃりーぱみゅぱみゅ」では長いので、ギャル語にならって、本文では「きゃりぱみゅ」と略記しました。

 先日取り上げました「きゃりぱみゅ」動画、予期せぬ展開になってきました。問題提起してくださったのは「ほりまゆ」様です。この人の『「きゃりーぱみゅぱみゅ」って何だ?』コメントの主要部分は以下のとおりです。
                       *
PONPONPONのPVを逆回転させて聞いてみると かなり危険な言葉がサブ音声?で入っています

そして PVには悪魔のシンボル、イルミナティの使用しているシンボルがそこかしこに溢れ出しているとのこと

興味があったら 調べてみてくださいm(__)m
                       *
 えっ、なになに。「悪魔のシンボル」「イルミナティシンボル」、それらが同記事で掲げたPVのそこかしこに溢れている?「悪魔」や「イルミナティ」などは一応私の守備範囲ですから、ほりまゆ様のお勧めもあることだし、私は実際逆回転(逆再生)をただちに確かめ、またくだんのPV動画もあらためてチェックしてみました。
 問題の逆回転動画は以下のとおりです。

 http://www.youtube.com/watch?v=vrkX3lUQ8oE

 この逆再生動画では、元の動画と同じような音楽が流れています。デジタル化の今は、昔のテープレコーダーの逆巻き戻しとは違う手法で、容易に逆操作や逆再生が出来てしまうようです。
 問題はこの動画で再生された内容です。きゃりぱみゅちゃんらしき声で、驚くべき言葉が次々に飛び出してくるのです。

 「死ね」「まじないするね」「もういない」「もーいないね」「もー出るね」「運命にしようよ」「世界も終るし」「死のうよ」「死ね」「まじないするね」「もーいないね」「もう何もないの」「もーいないね」「止めるぜ」「世界も終るし」

 投稿者さんによって親切にも、その都度上の言葉の字幕が付けられています。しかし上のように聞こえる言葉が、字幕なしでもハッキリ確認できます。
 ここまでくれば、これは単なる「空耳(そらみみ)」の類いではあり得ません。何者かが、元の『PONPONPON』動画に、上のような禍々しい呪いの言葉を意図的に組み込んだことは明らかだと思われます。

 言われてみれば。元の『PONPONPON』動画、あまりにも切り替えが早いのでさほど気にも止めていませんでしたが、「ドクロ」「一つ目」「脳ミソや心臓の模型」など、怪しい画像が次々に投げ込まれています。
 私はそれを初めて視聴した時、何となくぐったり疲れました。けばけばしい背景のせいかとばかり思っていましたが、潜在意識で、隠された意図や言葉を感知してのことだったのかしれません。

 レディー・ガガがその代表例だそうですが、表面上は普通のミュージックのように見せかけて、実は視聴者を知らず知らずのうちに「サタニズム(悪魔崇拝主義」)に誘導していく、という「サブリミナル音楽」が今日かなり流布しているというのです。
 今回の『PONPONPON』は、その顕著すぎる例なのではないでしょうか?

 「死ね」「世界は終るし」「死のうよ」「もーいないね」…。
 このようなオドロオドロしいフレーズから、私は以前公開した『有色人種40億人殺戮キャンペーン?』シリーズを思い出してしまいました。
 投稿者さんの加工によって、この動画中に関連動画に飛んでいけるようになっています。その2、3をざっと見てみました。日常をボンヤリ過ごしている私たちの知らない間に、何やら得たいの知れない身の毛のよだつような事態が密かに進行しているらしい、と認識を新たにさせられるのです。

 なお、「逆再生しなければ判明しない言葉に、何か“呪い”としての効果があるの?」という疑問をお持ちの方がおられるかもしれません。これについても投稿者さんが説明しています。
 「バックワード」(逆さ言葉)については、20世紀前半の魔術師(黒魔術師)として有名で、自ら「666の獣」を自称したアレイスター・クロウリーの魔術書の中に、その“効用”などが記されているといいます。
 ・もし悪魔の力を欲しければ、バックワードを聞け !
 ・その者にバックワードの書き方を学ばせよ !
 ・フォノグラフ・レコードを逆回転で聞かせよ !

 『PONPONPON』などは、サタニック的伝統を有する、「バックワードマスキング」という潜在意識に訴えかけるレッキとしたサブリミナル洗脳手法なのです。
 問題は、こういう「サタニズム動画」がネットを通して世界中にばらまかれていること、特に何も知らない“おらが国”の女子中高生を中心に熱心に視聴されている事実です。

 今回用いられている呪詛の言葉は、
  NWO(New World Order) = 新世界秩序 = 世界統一政府
の進行と大いに関連がありそうです。
 私たちを支配している“ご主人様”(スーパーエリートたち)は、「ゴエム」(ユダヤ教において異教徒を指し、「家畜」を意味する)である私たちその他大勢の人類の、大削減を目指しています。70億人に迫るような現在の世界人口ではとてもコントロールに余るからです。
 そのため「戦争」「細菌兵器」「生物兵器」「ワクチン接種」「気象兵器」「人工地震」…。人類に対して、可能な限りの削減方法をかなり以前から密かに実行しています。

 この曲をプロデュースした中田ヤスタカ、歌っているきゃりぱみゅ、製作スタッフ、配信元会社…。彼らは、こんなおぞましい「NWО協賛動画」を通して、レディー・ガガ同様サタン勢力の“使いっパシリ”をしているのでしょうか?

 【補記】今回の件をきっかけとして、問題は多方面に広がりそうです。当ブログの主要テーマの一つとして、また随時取り上げていきたいと思います。

参考
『ウィキペディア』-「アレイスター・クロウリー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%BC
関連記事
『「きゃりーぱみゅぱみゅ」って何だ?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-448a.html
『有色人種40億人殺戮キャンペーン?(1)~(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat43851635/index.html
 (大場光太郎・記)

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今年の漢字は「絆」

「隣人」とは、日々あなたが出会うすべての人のことである。(あるマスターの言葉)

 師走の一日一日が、まるで走り去るようにあっという間に過ぎてしまいます。今年も残すところ後半月余となってしまいました。
 今月初めには「なでしこジャパン」という「2011流行語大賞」が発表され、それを早速記事にしました。それとは別に発表されるはずの「今年の漢字」(主催:日本漢字能力検定協会)も、それとなく気になっていました。こちらも毎年記事にしてきたからです。(調べたところ昨年のみ記事にせず。)
 気がついたら12日にこちらも発表となっていました。

 今年の漢字に決まったのは「絆」。応募総数は過去最多の49万6997票で、トップの「絆」は6万1453票を集めました。
 恒例のとおり清水寺(きよみずでら-京都)の森清範貫主が「清水の舞台」で、縦1.5メートル、横1.3メートルの越前和紙に特大の筆で墨痕鮮やかに「絆」を揮毫しました。

 猛暑の夏だった去年は「暑」。以下ここ数年間は「新」「変」「偽」「命」「愛」。何となくその年の世相が偲ばれますが、今年の「絆」、東日本大震災関連かと思いますがなるほどドンピシャリの漢字です。
 私も当然大震災や原発事故のことが頭にあり、独自に「震」「災」「波」「核」などを思い浮かべていました。これは私のみならず、多くの国民が共有する思いらしく、以下2位に「災」、3位に「震」、4位に「波」となっています。
 ちなみに5位以下はかなり外れて、「助」「復」「協」「支」「命」「力」となりました。すべて大震災関連と言っていいようです。

 本日午後当市中心部に近い街中を歩いていて、「絆」の大きな文字が入った、自民党の撤去し残しのポスターをたまたま目にしました。そう言えば「絆」は、昨年頃から自民党の谷垣禎一総裁が語っていたようです。
 そして菅直人前首相が、大震災後の海外での首脳会議の折りにバクって、世界に「絆」という漢字をアピールしたこと。歩きながらそんなことが思い出されたのでした。

 確か昨年の「流行語大賞」のベスト10の中に「無縁社会」が入っていました。経済至上主義、大都市一極集中化、地方の過疎化などさまざまな要因から、世の中全体の人間関係が希薄となり、都市部を中心に無縁社会化がどんどん広がりつつあります。
 そんな時代の人の心の虚無を衝くように、振り込め詐欺が横行したり、通り魔殺人が多発したりと殺伐とした世相になって来ています。

 そんな中今年は3・11大震災という大衝撃の事態が起りました。続いて起きた福島第一原発事故もそうですが、「千年に一度」が真に迫るほど、文明化した今の日本に測り知れない激甚な被害をもたらしました。
 確かに起きた事は甚だ悲劇的なものでした。が、これをきっかけとしてボランティア活動や募金活動などが活発化し、「人と人との助け合い」「触れ合い」「結びつき」の大切さを、多くの日本国民が再認識したとしたら得がたい教訓だったと言うべきです。

 思いみれば、古来から日本民族は「和の民族」と讃えられてきました。これは何かの記事でも述べたことですが、戦意発揚の手段として、敵に敢然と立ち向かうというような意味で、戦前「大和魂(やまとだましい)」がしきりに喧伝されました。しかしこれは、一面的解釈を誇張して意図的に流布したものです。

 真の大和魂とは、読んで字のごとく「大調和精神」ということです。この精神に基づいて世界平和実現に貢献することこそが、日本民族の真使命なのです。
 しかるに戦後ニッポンは、米国の奥の院“闇の勢力”によって、
 「悪の仕組みは、日本魂(やまとだましい)を根こそぎ抜いて了(しも)うて、外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ」(『日月神示』-昭和20年1月20日)
さながらの状況です。
 祖神から受け継いだ「日本魂のDNA」を、今こそ甦らせなければならないと思います。

 大津波などによって多くの方が亡くなられました。それらの方々の尊い犠牲を無にしないためにも、平常に戻った今もそしてこれからも、ずっと「絆」の大切さを忘れず、より良き未来社会を築く努力をしていきたいものです。

参考
『夕刊フジ』12月14日(5面)
関連記事
『2011流行語大賞』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-a21e.html

 (大場光太郎・記)

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小沢元代表、今こそ決起せよ

 -昨年末離党の機会を逃し今は“座敷牢”状態。小沢一郎はなぜ動かないのか-

 ヌルヌルベタベタ気色悪いし、いざ捕まえようとして甚だ掴みずらいし。そんな「ドジョウ」に自らを擬しているのが野田佳彦首相である。かかるドジョウ首相の政権ウオッチなどバカバカしく、あまり関心が湧かずに政権発足後3ヶ月が無関心のうちに過ぎた。
 ふと気がついたら、審議すべき重要法案や国家的課題は山ほどあるだろうに、今月9日で国会を閉じてしまったというではないか。

 バブル以前のように“バカチョン首相”でも務まる上げ潮の時期なら、どんないい加減な政策をこねくり回しても、各官庁の官僚たちに丸投げの政権運営でも構わなかった。国会など、規定どおりの通常国会だけで十分だったろう。
 しかしバブル以降、下降し続け長期化している景気低迷のこの時代、中央官僚たちはその打開策、景気浮揚のビジョンなど示せるはずがないのである。だからおんぶにだっこの官僚依存ではダメなのである。

 それが自明だから一昨年9月の政権交代時、民主党は「国民の生活が第一」の公約実現の大きな柱として、「政治主導」「脱・官僚依存」「霞ヶ関改革」を掲げて新政権発足したのではなかったのか。
 それがどうだ。菅直人前政権そして野田現政権と、ますます官僚依存が強まる一方ではないか。国家予算中の特別会計や天下り、公務員給与大幅引き下げなどの官僚聖域にはほとんど踏み込めず、国民に大きな負担を強いる消費税増税を既定事実化しようとしている。自公政権に勝るとも劣らずヒドイ民主党現政権である。

 それでなくても今年は「千年に一度」という東日本大震災の復興、チェルノブイリ級の福島第一原発事故収束、欧州発の世界金融不安、国内景気対策など深刻な諸問題が次々に襲いかかってきている。財務省などの振り付けによるТPPや消費増税など後回しにして、こちらの諸課題解決が先決だろうと言いたくなるのだ。
 この国難的状況下、国会を閉会するなどもってのほか。国民の負託を受けた政権としての自覚が本当にあるのなら、各野党にも呼びかけて、年末年始を返上しての通年国会とするくらいの意義込みを示してもらいたいのである。

 憤懣やるかたなく、ついつい回りくどい話になってしまった。早々と国会を閉じたのは、参院で問責決議を受けた一川防衛相と山岡国家公安委員長問題への野党の攻撃をかわすのが狙いだという。
 この国難下、法案成立は34%と過去20年間で最低にも関わらず、ただそのためにだけ国会を閉じてしまったのだ。ひたすら長期政権しか念頭にない野田首相らしいではないか。ТPPや消費増税でもそうだが、都合が悪くなるといつも「逃げの一手」。一国の最高指導者として、困難な諸課題に正々堂々真正面から立ち向かい、打開していこうという姿勢や気概がまるでないのだ。

 そういう野田首相の本質に、国民もうすうす気がつき始めたようだ。政権発足後3ヶ月、直近の世論調査では、各社とも支持率が40%台半ば以下にまで急落し、しかも不支持が支持を上回り、早くも政権末期のような危険水域に入りはじめている。それをみて、野田政権擁護の姿勢だった各マスコミもここのところ腰が引け、政権批判を強めている。

 こうなると「ポスト野田」が囁かれ始めるのも時間の問題だろう。しかし国民の審判を仰ぐことなしの「政権たらい回し」はもう許されない。野田首相は代表選の来年9月まで解散はしないつもりらしいが、そこまで持つとでも思っているのか。とにかくありとあらゆる指標から、国民は「現民主党政権ではダメだ」とレッドカードを突きつけていることは明らかである。
 政権担当能力のない民主党にダラダラ政権を任せておく猶予は今のこの国にはない。民主党を下野させるために、一日も早い解散、総選挙が望まれるのだ。

 こういう情勢になってくると、いつも注目されのが小沢一郎元代表である。小沢は今何を思い、今後どうするのだろうか。
 小沢元代表は既に、ТPP参加問題以降現政権批判を強めている。特に消費税増税問題は、自身の掲げた「国民の生活が第一」をまっこう否定するものだけに、一段と批判のトーンを強めないわけにはいかない。

 来る20日には、今や“時の人”である橋下徹大阪新市長が上京するに当たって、小沢元代表との対談を希望しており、実現しそうだ。違いも目立つものの、この国の抜本的改革の必要性の認識で2人は共通している。「どんな話になるのか」と、永田町、民主党内、各マスコミが今から固唾を呑んで見守っているという。
 単なるセレモニーで終って欲しくない。もちろんいきなりの「小沢・橋下新党」ぶち上げなど望むべくもない。しかしこの国のよりよき未来のため、今後につながる実りある対談であることを望むばかりである。

 この国のメディアの中で唯一「小沢びいき」なのが、夕刊紙『日刊ゲンダイ』である。その日刊ゲンダイも最近はしびれを切らして、「小沢なぜ動かぬ」「小沢決起せよ」などの大見出しが踊っている。これは多くの小沢支持者たちの本心を代弁したものだろう。
 政倫審出席問題で大揺れだった昨年末、私は小沢グループの集団離党を期待していた。政党助成金の関係で年末がリミットだからだ。しかし小沢元代表は動かなかった。その結果今年2月「党員資格停止処分」をくらい、以後座敷牢に閉じ込められ身動きが取れない状態である。直後の大震災や原発事故という一番“豪腕”が必要な時に、目立った動きができなかったのだ。
 あの時松木謙公などコアな人たちと思い切って離党していれば、局面は大きく変わっていたのではないだろうか。

 小沢元代表は最近、消費税がらみの話の中で、「国民が望むなら」という条件付で離党も考えていると述べている。しかしマスコミマインドコントロール国民の7割以上は、今もって「小沢一郎 = 悪人」と思い込んでいる。官報複合体合作による小沢事件の真相が分かっている国民など依然少数なのだ。
 また“いかさま小沢裁判”などこの際どうでもよい。仮に来春“いかさま法務一派”らによって「有罪」とされたら、ますます動きずらくなるばかりではないか。

 このまま民主党に留まって「国民の生活が第一」政党への再生を望んでも、もう無理な状況なのではないだろうか。野田、仙谷、前原、岡田、枝野、玄葉ら性悪な「米官業べったり派」とは水と油。彼らを改心させられる手立てなどないのではないか。
 小沢元代表自身の読みどおり、次期総選挙は大惨敗、即下野確定であろう。もういい加減「ダメ民主党」には見切りをつけて、さっさと離党、新党結成するのが最善なのではないだろうか。それとも「豪腕」「壊し屋」の異名は、単なるこけおどしだったのだろうか。

 (大場光太郎・記) 

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オノ・ヨーコの近況

 -「オノ・ヨーコ 胸」に注目する以上に、彼女の「精神」に注目する必要がありそうだ-

 11日深夜11時台から12日未明にかけて、『オノ・ヨーコの胸』記事にアクセスが集中しました。これはほぼ1年前の記事ですが、おかげ様でこれまでも何回か波状的にアクセスが集中したことがあります。
 しかし今回はその中でもダントツです。11時台だけで、この記事へのユニークアクセス数(純訪問者)が250人にも達したのです。あくまで当ブログ基準ながら、これは驚異的な数字です。
 
 無テレビ生活者の私には仔細には分かりませんが、おそらく12月8日のジョン・レノンの命日に因んで、今年もその前後、昨年同様のイベントが都内のどこかで行われ、オノ・ヨーコがイベント後にどこかのテレビ番組のインタビューに応えたか何かしたからなのでしょう。
 そしてその時は、例によって「お決まり」の、たわわすぎる胸を惜しげもなくはだけたスタイルで登場したことでしょう。それを観た視聴者の一部の方々が、ぶっ魂消(たま)げて「オノヨーコ 胸」などの検索で当フログに訪問された、というような次第かと思われます。
 それが証拠に12日の「検索フレーズランキング」では「オノヨーコ 胸」が1位、その他10位以内に同様のオノ・ヨーコ胸フレーズが4つも入ったのでした。

 「オノ・ヨーコ 胸」。同記事ではその検索総数が31,600件と記しました。今回改めてこのオノ・ヨーコ記事を書くにあたり、今現在どうなっているのか、再度同検索フレーズでググってみました。(既にお分かりかと思いますが、「グーグルを検索する」ことをこう省略するそうです。)
 その結果分かったことには。この1年間で「オノ・ヨーコ 胸信者」が急増殖したようです。何と今回は「330,000件」にもハネ上がっていたのです。
 さらに驚くべきことに。「オノ・ヨーコ 胸」第1ページのトップに、何と当ブログの『オノ・ヨーコの胸』が表示されているではありませんか。
 これはひとえに、全国に広く散らばる「オノ・ヨーコ 胸信者」の皆様の熱きご支援の賜物です。深く感謝申し上げます。

 と冗談はさておき。ここからは、オノ・ヨーコの近況について、サイト『Aoi Music.』の記事(12月9日2時00分)を転載させていただきます。
http://music.aol.jp/2011/12/09/john-lennon-death/

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ジョン・レノン没後31年、オノ・ヨーコが現在の心境語る

ジョン・レノンが亡くなって31年という月日が流れたが、やはり今年も彼の命日である12月8日には、世界中から追悼の意を込めた声明が多く届いたようだ。



<the Vancouver Sun>のインタビューの中でオノ・ヨーコは、亡き夫の死後の'使命'について語っている。

「ジョンは魂の存在になってから、生前とは違う影響を人々に与えるようになったの。魂からのメッセージは、どんなことにも邪魔をされずに、とても純粋に人々の元へ届くわ。例えばその人がどんな格好しているかって言う様な、見た目のことに気をとらわれずに済むわけでしょう。そうやって彼がこの世を去ってからも、残した曲の数々に彼のメッセージが、今でも息づいているわけなんだけど、こんなに月日が経った今でも、もう少し違う運命だったならと願わずにはいられないの。だってジョンが今も生きていたなら、その方がいいに決まっているもの」と語った。

彼女はジョンの死後、ジョンのトリビュート企画を行い、彼の音源の編集、アートワークの提供など、ジョンの残した文化を広める活動に関わってきたが、今でも腰を据えて彼の音楽を聴くことは、気もちが揺さぶられて大変な作業なのだという。「楽しみのために聞くって言うことは無いわね。どの曲を聴いたって、それが書かれた当時のことを思い出して胸が苦しくなるから」

ジョンの活動家としての遺産の影響が、反ウォール街運動にもにまで及んでいる現在、彼の残したメッセージの数々が、今ほど力強い響き方をしている時代は無いと、ヨーコは実感しているという。しかし今の状況を伺いながら、「もうそろそろ角を曲がる頃じゃないかしら」とも推測している。

また、リンゴ・スターも同じくジョンの命日に、"結ばれた銃"の彫刻を発表し、ジョンへのトリビュートを表明。銃身が駒結びのように結ばれて、弾丸が出なくなってしまった様子を描いた彫刻で、非暴力運動機構のために作成されたものである。そのお披露目イベントの中で彼は、「俺はできることのすべてを行っていますが、あなた達はどうですか?」とオーディエンスに問いかけていた。  (転載終わり)

                       *
 オノ・ヨーコは、3・11直後から日本びいきのレディー・ガガなどとともに全米に母国への支援を呼びかけ、全米中に波及するきっかけにもなりました。また今12月「ジョン・レノン追悼チャリティコンサート」のため来日してからも、連日のように被災地や避難児童たちを激励のため訪問して回っています。
 かつて地上に、ジョン・レノンとして現れた偉大な魂が残した「Love&Peace」の精神は、オノ・ヨーコにしっかりと受け継がれているようです。
 私たちは「オノ・ヨーコ 胸」に注目する以上に、彼女の「精神(スピリット)」に注目すべきなのではないでしょうか。

関連記事
『オノ・ヨーコの胸』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-f5bc.html

  (大場光太郎・記)                                     

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白菜がうっふんうっふん

                        俵 万智

  白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる

…… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》

 『サラダ記念日』で述べましたように、短歌界に新風を吹き込んだ俵万智の、これもその好例と言えそうな作品です。

 白菜は大根などとともに「冬菜」です。初冬の今頃、スーパーなどで丸々と太った白菜がうず高く積まれているのを目にします。
 そういえば思い出しました。一昔前まではこの季節、街の八百屋さんの一番前に、この短歌のように、真ん中に幅広の赤帯をしめた白菜たちがどんと立ち並んで売られていました。

 もっとも最近では少子化、核家族化の当今、保存に余るせいか、半分、四分の一、さらにはもっと小さく切って、ラップにくるまれ、赤帯に代わって幅狭の紺色のテープを巻かれてバラ売りされることが多いようです。
 それに今では大型店舗の進出によって、街の八百屋さんはどんどん姿を消してしまいました。だからこの短歌は、それ以前の街の寸景としてある種の懐かしさすら覚えます。

 この作品は俵万智の、日常に密着した「生活目線」がしっかり貫かれています。女性ならではの視点で捉えた、生活感溢れる作品といってよさそうです。

 それまでの短歌でも生活を詠むことは当然ありました。がそれは、生活の中で突如起った特異な出来事を切り取って歌にする、ということが主眼だったように思われます。確かにそういう日常が垣間見せる非日常的で非凡な断面を詠むことも、短歌の大きな役割の一つではあります。

 対して俵万智は、「生活」「日常」を詠み切ることに徹しているのです。短歌をぐいと身近な生活レベルに引きつけたといってよさそうです。

 一般的に現実の生活上の事柄をそのまま短歌に詠み、なおかつそれが作品として高い評価を得るというのは至難の技のように思われます。
 なぜならこの例のように「白菜」というありふれた素材を使って、一篇の上質な短歌に仕上げるのは意外と難しいだろうからです。
 短歌の本質は「詩」です。詩であるからには、日常の単なる生活報告文であってはいけないわけです。

 「白菜」という素材を前にして、それをいかにまともな短歌に昇華させるか。俵万智はその困難な課題を、後半部でいとも簡単にやってのけています。
  うっふんうっふん肩を並べる
 白菜をそう擬人化してみせたのです。いや店先に立ち並ぶ白菜たちを間近に見て、俵は実際そう連想し、自分でもおかしくなってつい『ウフフフフッ』と含み笑いをしたかもしれません。

 それほどこの擬人化はリアルてす。真ん中に赤帯しめた、まん丸く太った白菜たちの上部に腕白坊主な顔があって、互いに押し合いへし合いして「うっふんうっふん」肩をそびやかしているようすが目に浮かんできます。

 生活感覚をしっかり踏まえながら、日常生活というもののありふれた位相を少しずらしてみる。しかしあまりずらしすぎると、現実から遊離してしまってかえってつまらなくなる。だから、生活感と非現実との微妙なさじ加減こそが必要ということなのでしょう。
 それに成功すると、かくもユーモラスな生き生きとした作品が生まれるわけです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『サラダ記念日』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-9525.html

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皆既月食観望記

   冴ゆる夜(よ)のかの月食に見入りけり   (拙句)

 10日夕方市内の顧客を訪問し、そのまま道草してしまいました。夜10時40分頃、帰宅のためのなかなか来ないバス待ちの間、一服しながら月はどこだろうと空を見上げました。夕方東の空に大きな冬満月が昇っていたからです。
 月はほぼ中空にありました。だが何と三日月状ではありませんか。満月の具合が見たかった私は、一瞬『あれれれっ』と面食らってしまいました。しかし三日月にしてはどうもようすが変です。隠れて見えないはずの大部分が、赤銅色に見えているではありませんか。

 でもすぐに事態がのみ込めました。『おっ、月食じゃないか』。半年以上テレビから遠ざかって、日々のニュースにはつい疎くなりがちですが、そういえばネットで確か「近日中に皆既月食が見られる」というようなニュースがあったような。今夜がそうだったわけか。
 なるほどと了解しました。

 道路対面奥にあるアパート一室の薄暗いドアの前で、この寒い中女性のじっと動かない後姿が、さっきから気になっていたのでした。『さては』と思ってくだんの女性のようすを見るに、なるほど今度は横向きになっていて空を見上げたり、時折りケータイをかざしたりしています。あの人も月食見たさに、この寒い中外に出っぱなしだったわけだ。

 今回の月食は、ニュースネタとして広く周知されていたようです。舗道をこっちに来る中年の男性も空を振り仰いで近づいてきました。このバス停は遊歩道の一角にありますが、少し離れた所にあるベンチに腰かけた年配男性が、月食について何かしきりに話しています。
 「月食があるってんで、ずっとここで眺めてんだよ」
 「えっ、そうなんですか」
 話相手は、今しがたバス停横を通り過ぎていった若い男性です。何も知らなかったらしく、ベンチの側に立ち止まり一緒に空を見上げています。

 最終のバスですが、本厚木駅の方からバスはなかなか来ません。待ち客は私一人だけです。普段なら10分も待っていると、イライラじりじりしてしまいます。しかし今夜ばかりは違いました。その間じっくり月食ショーが観察できるのですら。
 
当ブログプロフィールに臆面もなく記しているように、私は「森羅万象探求者」を自称しています。11年ぶりという皆既月食ともなると、とにかく無条件で関心が湧いてくるのです。

 そんな時間経過の中で、なるほど確かに月食は進行していて、三日月部分はより細ってきています。ふと月を照らしている太陽はどこにあるんだろうと気になりました。月の右の部分がまだ残っているということは、その延長線上のずっと先にかなどとあらぬことを考えました。
 しかしよく考えてみると、皆既月食が始まるからには月の真反対側、つまり私が今立っている日本国の真裏のずっと遥か先にあるのだと気づき、自分でもおかしくなりました。

 中空とは言っても、月は天頂に届く手前のわずかに東寄りのようです。すぐ下にオリオン星座が認められ、さらにその下には全天一の輝度をもつシリウスも輝いています。
 今夜の主役の満月の周りにはうっすらと雲があり、時たまそこに隠れたりしています。

 完全に皆既にならない生煮えの11時に近い頃、あいにくバスが来てしまいました。余裕があれば見送ってなお見続けていたいところです。しかし後がないのであれば仕方ありません。
 乗客でバンバンに膨れたような土曜の最終バスに乗り込みました。二つ先のバス停で降りる人がいます。最先端の一人の私は、普段なら器用に身をよじってでも車内にしぶとく残ります。しかしこの時ばかりは、はい降ります降りますとばかりに率先して外に出ました。

 すぐに月食のようすを振り仰ぎました。まだ三日月を留めています。一緒に降りた高校生らしき男子、小さい女の子、その若いお母さん、皆一緒に空を見上げました。バスに戻ってみると、近くで「月食どうなったのかしらね」と話している女の人の声が聞こえました。

 気になりながら、それから四つ先のいつものバス停で降りました。真っ先に中空を見上げると、仔細には分からないものの、もう皆既月食状態のようです。11時10分少し前。光っているところはどこにもなく、ただ鈍い赤銅色の月がぼんやり浮かんでいるだけです。
 バス停から3mほど大きなレンタルDVD店の駐車場に入り、隣地とのフェンス越しの防火用水の表示板の支柱に寄りかかって、なお15分ほど見続けました。おかげで首が痛くなったほどです。

 先ほどより雲が厚くなったのか、皆既のまま月は雲間隠れし、まったく見えなくなることもあります。月食のせいなのか雲のせいなのか、星も二つ、三つ鈍く光っているのみでした。
  み雪は咽(むせ)びぬ 風さえ激しく
  
月も星も 影をひそめ 
  みたまよ何処(いずこ)に 迷いておわすか
  帰れ早く 母の胸に
 そんな歌を口ずさみながら帰宅しました。 

 (大場光太郎・記)

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ミノリス・メッセージ(5)

 「マヤ暦の終わりの日」と「暗黒の3日間」についての重大情報です

出典元 『ミノリス Minoris の UREGENT MESSAGE(緊急情報)』
http://blog.goo.ne.jp/minoris_2010

                       *

「マヤの暦の終わりの日は2011年12月28日です。皆に知らせる必要があります」古代マヤ人2011.10.6

マヤ暦とは、シリウスからもたらされたものであり、
この3600年の間、有効だった地球と銀河の暦であった。

それは、約3600年ごとに、
二ビルが太陽系を巡っていることに関係している。

3600年ごと、二ビルが太陽系を通過する度に、
太陽系の惑星群は、軌道の変化、地軸の移動といった大変動を経験し、
太陽系の全惑星が、混乱から秩序を回復して、安定軌道を運行するまで、
新しい暦は不明となる。

3600年ごとに、地球の一日、一年が変わる。

地球は、二ビルの強い引力を既に受けており、
来年から、正しい暦が(変動の為に)不明となる。
(来年から地球の一年は365日ではない。)

そのために、正確なマヤ暦は、
今年2011年の年末で終わっている。

そし同時に、宇宙の非常に不思議な秩序によって、
この期間に、地球は、
銀河の中心より放射されているフォトンベルトに入る。

マヤの暦(シリウス・銀河暦)は、
この二つの大きなサイクルの終焉を、クロスさせて、
終わりの日として設定された。

通称云われているところの、2012年12月21日は、
正確な「マヤ暦の終わりの日」から、ほぼ一年ずれている。

また、カール・コールマン博士は、その日を
2011年10月28日としている
が、
これは、非常に近かった。
しかし、正確には、2ヶ月ずれている。

正確な「マヤ暦の終わりの日」は、
2011年12月28日
 であった。
(古代マヤ人に直接確認した。)


そして、この約一週間後に、「暗黒の3日間がある。

この3日間は、じっと家に居るしかない。
外出したり、友人知人を助けることは実質無理だろう。

家で、静かにろうそくを灯して、
なごやかに、できれば、
頭が錯乱したり、混乱したりしている多くの方々のために
静かに祈ってほしい。
(外は激しい騒乱状態になる)

飛行機もなるべく避けていただきたい。
(運行中の飛行機も、フォトンベルトに入った瞬間から
 電気系統が止まり墜落する。)

3日間後に、太陽が見え、明るく、
何事もなかったような地球の毎日が始まる。



自分が、未来を見た時、そこに見えたのは、
1 4 1 7 という数だった。

2012年1月4日から 2012年1月7日までの
3日間、私は、「暗黒の3日間」が来ると予言する。


2012年1月上旬、すべての方々に、
「暗黒の3日間」のための準備をするよう要請する。


………………………………………………………
古代マヤ人 メッセージ 2011.10.6
………………………………………………………

(ミノリス:あなた様はどちらの方ですか?)

古代マヤ人です。


(それではお伺いいたします。
 あなた様はマヤ暦についてどんな知識をお持ちですか?)

私は、シリウスから直接コンタクトを受け、
その暦を使うことになった者です。


(マヤ暦の特徴を教えてください。)

星々のエネルギーを感じ
それらを暦として扱っています。


(マヤの暦の終わりの日は、不明となっており、
 それは、現在、2012年12月21日であるとか、
 2011年10月28日であるとも言われています。
 本当のマヤの暦の終わりの日は、いつですか?)

2011年12月28日です。

それから1週間後くらいに暗黒の3日間があります


その間はお祝いの日にちです。


(お祝いとはどんな祝いを意味しますか?)

新しい世界に移行するための準備期間であり、
新しい世界に入るというお祝いの一週間です。


(それでは、2011年12月28日から、
 「暗黒の3日間」までの期間は、
 地球が新時代に突入することをお祝いすると良いわけですね?)

そうです。


(「マヤ暦の終わりの日」の後は、
 今と違って、どんな価値観へと変化していくのでしょうか?)

その終わりは終わりではなく、
今まである惑星のエネルギーを受けていたというのが
そこで違う惑星にチェンジするということです。

全く違ったエネルギーの惑星のものに変わります。

それは、今、現在の
人間のエゴ、戦い、対立するようなエネルギーから

それが新しいエネルギーに変わることになります。

「調和のエネルギー」に変化していきます。

しかし、その「暗黒の3日間」までの期間が、
(多くの人々には)新しい世界が来るということがわかっていないので、
「お祝いの期間」というのは、
分かっている人のみのお祝いの期間になります。

その暗黒の3日間を過ぎると、本当に違う世界、
新しいエネルギーの世界にシフトしていきます。


(ニビルの位置づけは、マヤ暦ではどうなっていますか?)

今の段階ではニビルのことはわかりません。


(「暗黒の3日間」は、すべての電気が使えなくなるといわれています。
 それは本当ですか?)

すべて使えなくなります。

混乱が予想されます。

この3日間によって、たくさんのことが起きていきます。

人々はその3日間を知らない為に、
ほとんどの人がパニック状態に陥ります。

亡くなる人も多いと思います。

まず病気の人は助からない人が多いでしょう。

病気の度合いにもよりますが、
入院している人たちは、生命を維持することが難しいと思います。

そして、気がふれていまう人や、
略奪する人たち、多くの人が平常心を失います。

この3日間のことは、皆に知らせる必要があります。

聞くか聞かないかは、その人たちの判断です。

情報として発信することは必要です。

この情報を見ることによって、
心の準備ができている人たちがいるからです。

しかしそれは、怖いことではなく、
ただ星の運行上の問題なだけです。

その3日間は、何もできないので
自分たちのその時の状況を、
しっかりと見つめることになります。

それにより、大きな差が生まれてきます。

意識が向上する者、
そして、平常心を失い、意識が下降する者も出て来て、
二極化になります。

そして新しい世界に入っていきます。


(当時のマヤ文明についてお伺いいたします。
 伝承では、古代マヤ文明では、
 ある日突然に人々が全員いなくなったとか、
 パレンケの石版のように宇宙船で旅立ったとか、
 アセンションしてどこかの次元に行ったとか、
 様々に推測されています。
 実際には、どうなったのですか?)

古代マヤ文明では、
ここでも(今の地球と同じく)二極化が起こっていました。

亡くなった人も大勢います。

他の惑星に行った者たちも多くいます。

もともとシリウスから来た者たちが多いので、
シリウスに帰った者たちもいます。   (転載終わり)

関連記事
『ミノリス・メッセージ-「暗黒の3日間」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-3950.html

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「きゃりーぱみゅぱみゅ」って何だ?

 -この「ファッション芸人」(当人の“将来の夢”)の動画が世界中でバカ受けらしい-



 「きゃりーぱみゅぱみゅ」。このヘンテコかつケッタイな固有名詞をご存じでしょうか?今夏歌手デビューした18歳女子のレッキとした芸名なのだそうです。
 彼女は09年秋から読者モデルとして活躍を始め、歌手デビュー前から不動の「原宿のカリスマモデル」の地位を揺るぎないものとしていたといいます。
 なにせ「かわいい !」「憧れの存在 !」と、今全国の女子中高校生から圧倒的支持を受けているというのです。

 さらにご紹介を続ければ。
 本名(?)は、「きゃろらいんちゃろんぷろっときゃりーぱみゅぱみゅ」と、あの“じゅげむ”にも迫ろうかという舌をかみそうな長いお名前です。ただ芸名の由来をバラしちゃえば、「ぱみゅぱみゅ」は、お笑いコンビ・サバンナの八木真澄の同名の一発ギャグから拝借したものだそうで、この辺から彼女の芸の立ち位置が何となくうかがえそうです。

 職業を「メルヘン倶楽部」と自称し、将来の夢を「ファッション芸人」と公言しているきゃりーぱみゅぱみゅちゃん。歌手デビューに当たって、「テッテレー ! 音楽×原宿を世界中に広めたいです !」とコメントし、なおも、

「世界においでよ\(^o^)/ 革命起こすぜ! レボリューション☆」

と、“きゃりーワールド全開”で意気込んでいます。

 しかしこれは大ボラでも何でもないようです。
 というのは、以前「Perfume」を手がけた中田ヤスタカがプロデュースした今年7月のデビュー曲『PONPONPON』が、ユーチューブ動画で再生回数が1000万回を超えて、世界的に大ブレークしているのです。日本はもとより、フィンランドチャートで1位になったほか、米国、ベルギー、スウェーデンでトップ10入りしているというのです。
 オフィシャルブログも大人気で、「一日200万アクセス」を記録したそうです。

 さらに新曲『つけまつける』(「つけまつげをつける」のギャル語?)が、日本人歌手最多の世界73ヵ国から配信されることになったそうです。こうなるときゃりーぱみゅぱみゅちゃん、今やかのレディー・ガガに迫る勢いなのではないでしょうか??

 冒頭動画は『PONPONPON』です。当然何回か再生して視聴しました。美系なのに“かわい子ぶりっこ”してなくて、三枚目芸人っぽいのには大いに好感が持てます。
 ただ一言で言ってしまえば「あ~あ、疲れた !」。そりゃあ歌のテンポとしては『落葉しぐれ』の方がしっくりくるのは当然ですが、こちらはまあいいとして。バック(CG)の何とカラフルなこと。何じゃこりゃ。これがメルヘンチックというものなのか。パステルカラー調というのか(いっそナンセンスギャグ調といった方がよさそう)全編その調子です。
 こういう色調が今の若い女の子たちに受けるのでしょう。中には部屋をこの感じで飾り立ている向きもいるようです。しかし「明るけりゃいいってもんじゃないんだよ。こんな色の部屋で過ごして、よく具合悪くならないもんだ」。

 ところで私の場合、こういう得体の知れない新物に「ピピッ」と何かのアンテナが動きがちです。そこで当ブログでは以前、『「初音ミク」って誰だ?』『「みくだまし」って何だ?』などを記事にしてきました。
 これらはネット情報を当たってみた結果、まあまあ「理解度 80%」くらいには至りました。しかし今回の「きゃりーぱみゅぱみゅ」、今どきの“ギャル語”同様「理解度 50%」くらいにしか至っていません。

 今から15年以上前、かの船井幸雄先生(船井総研創業者)が『百匹目の猿』という著書の中で述べていたあることを思い出します。
 「百匹目の猿現象」とは、宮崎県辛島のサルの一頭がイモを洗って食べるようになり、同行動を取るサルの数が一定値を超えた時、その行動が群れ全体に広がり、さらに遠く隔たった大分県高崎山のサルの群れでも突然この行動が見られるようになったことです。

 船井説では、辛島のサル群の中で最初にイモを海水で洗って食べたのは年若いメスザルだったそうです。そこから船井氏は、「人間社会もこれから急速にいい方向に変化していく。その変化をリードしていくのは若い女性たちだろう」という趣旨のことを述べていました。
 さらに同氏は「この変化に一番抵抗し、対応できないのは40代半ば以上の男性たちだ」と、当時該当しはじめた私には耳の痛いことも述べていたのです。その根拠は、島で「イモ洗い」に最後まで抵抗したのが、ボスザルをはじめとした年寄りのオスザルたちだったからというのです。

 ということは、時代遅れなわたくしめなどは、「きゃりーぱみゅぱみゅ様」の動画を人の何倍も繰り返しよくみて、そのチョー先端の薫り高い音楽性と類い稀なパフォーマンスをしっかり学ばなければいけない、ということですね。よく分かりました。なるべくそのように致したいと存じます。
 あ~あ、これだからこのチョーヘンカク(超変革)の波についていくのは、ホント大変だぁ~。

 (注記)船井説に対して、当時「今の若い女は横柄で、一番マナーが悪いんじゃないか?」という反論がありました。また「百匹目の猿現象」自体、最初に唱えたライアル・ワトソン教授の“創作”であることが判明しました。辛島の群れ全体、ましてや高崎山のサル群への伝播などは信憑性がなかったのです。

参考
『ウィキペディア』-「百匹目の猿現象」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%8C%B9%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%8C%BF%E7%8F%BE%E8%B1%A1
紹介 
『きゃりーぱみゅぱみゅオフィシャルWEBSITE』
http://kyary.asobisystem.com/
新曲『つけまつける』
http://www.youtube.com/watch?src_vid=yzC4hFK5P3g&feature=iv&v=NLy4cvRx7Vc&annotation_id=annotation_912115

 (大場光太郎・記)

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笹目秀和師に託された重要な大本神業

 -「地球の裏表がひっくりかえるようなときがくる」という事態が本当にあるのか?-

 いつぞや取り上げました笹目秀和著『モンゴル神仙邂逅記』を読んで、笹目師の正真正銘の波乱万丈伝の一端を知ると、今の世で喧伝されている人たちはせいぜい“波乱百丈”くらいに思えてしまいます。
 その全部をご紹介することはとても出来ません。今回は私が特に注目しているエピソードだけに絞って見ていきたいと思います。ただそれではいかにも不親切ですから、そこに至るまでの師の略伝を簡単に箇条書きにしてみます。

 (1)笹目秀和師は、中央大学法学部の学生だった大正13年(1924年)の夏(22歳)、単身中国大陸旅行に出かけた。
 (2)その旅行中一人の“道士”と出会い、(現在の北朝鮮と中国の境にある)白頭山(ペクトゥサン)山頂の天池(チョンジ)付近の洞窟に棲む呂霊来(リョ・リンライ-「来」は正確には来を二つ並べる)神仙の命により「あなたを迎えに来た」と告げられる。
 (3)道士の先導で難路を克服して白頭山の洞窟にたどり着いた笹目師は、“207歳”の呂神仙から、笹目師と天池との三千年来の関係や、今後師が果たすべき使命などを伝えられる。
 師は普通の人のような生涯は送れず、日本という国のカルマ(業)を背負って、常人には到底耐えられない苦難を味わわなければならないというのである。
 (4)呂神仙は続けて、「北西の方向の(モンゴル)遊牧民を救済する手段を講ずることが汝の使命である」と告げ、さらに十二年後に崑崙山に行くことになると予言した。
 (5)呂神仙に「使命を果たす」ことを誓った笹目師は、モンゴル平原へと向かう。その過程で、王家の血筋を引く貴婦人と義母子の契りを結ぶなど、多くの数奇な出会いを経験しながら、何年もモンゴル国内や日本や北京を奔走する。
 (6)笹目師の最終目標はモンゴル独立運動を起こすことである。その前段階として優秀なモンゴルの少年たちを日本に連れてきて、東京で正規の教育を受けさせることを企画する。
 (7)その目的のため日本で奔走中、大本聖師・出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)と巡り合い、窮地に陥った際援助を受け、彼らを無事早稲田大学などへ就学させることに成功する。(彼らの多くは後に母国に帰り、モンゴル独立運動の中心的存在になっていく。)

 …昭和10年(1935年)12月4日。堂々たる30代になっていた笹目秀和師は、再び大陸に向かう直前、何ものかに呼ばれるように、京都の綾部(あやべ)の大本教本部に出口聖師を訪ねます。
 出口聖師と会うなり、次のような謎の言葉を言われます。
「ご苦労さんやなあ、笹目さん、今度のご神事はわたしの代わりに行くんやさかえ、しっかり頼みまっせ」
 続いて、笹目師の活動を妨害している、「金毛九尾(きんもうきゅうび)の狐」の凄まじい魔障と『霊界物語』との関連について、解説を受けたりしました。

 それからの次第は、少し長いですが『モンゴル神仙邂逅記』の原文を引用させていただきます。

                       *
「あんたはん、いつ発たれますか」
 わたしがまだなんの説明もしていないのに、突然そうたずねられた。モンゴルにいつ行くかという問いである。
「今夜にも発ちたいと思っています」
「今夜は日出麿(ひでまる-注 3代目の女婿で聖師の補佐役)との出会いが必要だっせ。崑崙山に納まり願うご神体、夜半に勧請(かんじょう)しておきますさかえ、ゆっくり休まれて、明日の朝きておくれやす」
 ということなので、その夜は、夕食は王仁三郎師ご夫妻とともにし、宿泊は日出麿邸ということになった。
 八時すぎに、祖霊社の近くにある日出麿師の住居にお伺いすると「待ってましたがな、早うおあがりやす」と、気軽に迎えてくれた。
 しかし、お茶などいただいたのちは、きびしい口調になり、
「西北の天地は暗雲低迷していて、ご神業の展開は容易なことではない。けれどもあなたをおいてはこの任務を遂行できる人は見当たりません。だからあえていばらの道を押し進んでもらうよりほか、ないですね。任務のかなめは、崑崙山中に大本のご神体を納めてくることです。主神(すしん)はあなたに絶大な期待をかけておられますから、自重してください」
 つまり、わたしに大本のご神体を託すから、崑崙山にお鎮めしてこいということなのだ。
 突然の話である。それを当然のことのように言われるのは、どうしたことだろう。わたしが今日、ここにくるのがわかっていたようではないか。
「白頭山の呂神仙のおっしゃることには、寸分の間違いもないでしょうね」
「あの仙師は、素尊(注-神素盞嗚尊・かむすさのおのみこと)の御代様として降臨しておられ、いっさいの俗を離れておられる方ですから、言語動作に寸毫(すんごう)の誤りもないことを断言します」
「十二年前に命じられた崑崙山行きを決行するわけですが、大本のご神体のことと、使命は別ですか」
「いずれも素尊からでていることで、決して別のことではありません」
 そのほかに細かいことをいくつかたずねた。最後に日出麿師はこういって哄笑された。
「やがて地球の裏表がひっくりかえるようなときがくると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないともかぎらないからね」
 その笑い声はわたしの腹の底にしみ通った。日出麿師のこの言葉が何を意味するか、おそらく百年後でなければだれにもわからないであろう。

 翌朝は未明に起きて、鶴山に登っていった。王仁三郎師はすでに起きて、玄関に立ってわたしを待ち受けておられた。
「笹目さん、これが大本のご神体です。崑崙山の神仙があなたのくるのを待っておられるはずですから、その案内に従い、その指示するところに、このまま埋めてください」
 そう言って渡されたものは、直径六センチ、長さ三十センチくらいの孟宗竹に密封され、全体に黄色の漆が塗られていた。
「確かに使命を果たさせていただきます。なにか、尊奉すべき言葉がございますか」
「なにもない。ただ口外を慎むこと」
 この聖師のお言葉に千金の重みを感じた。
 竹の筒からは、紫色の光彩が放たれているように感じられた。  (引用終わり)

                       *
 
 こうして出口聖師から「大本のご神体」という途方もないものを託された笹目秀和師は、その日のうちに大陸へと発ち、“齢500歳”という疏勒(シュロ)神仙の棲む崑崙山へと向かうことになるのです。

 そして、ご神体を預かった日から3日後の昭和10年「12月8日未明」、日本のその後の歩みにとって極めて重要な意味を持つ「第二次大本弾圧事件」が起きたのです。

関連記事
『笹目秀和「モンゴル神仙邂逅記」(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-d518.html

 (大場光太郎・記)

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三浦洸一『落葉しぐれ』

 1953年(昭和28年)大ヒットした歌です。歌ったのは三浦洸一。三浦はこの歌で一躍注目を集めました。

 私はこの歌を昭和31年頃、おふくろが口ずさんでいるのを聞いていつしか覚えてしまいました。当時私は小学校1年生でしたが、この歌は流行歌を覚えた第一号だったことでしょう。まあその年頃の子供というものは、学校で習う歌よりもこういう歌に敏感に反応し、かつ素早く吸収してしまうものです。

 当時は子供ですから意味などまるで分からなかったと思います。しかし近年晩秋から初冬のちょうど今頃になると、決まってこの歌が思い出され、亡母の真似でもないけれど、つい口ずさんでしまうのです。

 戦後歌謡曲中の名曲の一つと言っていいでしょうね。三浦の歌をしっかり追うような、ギターの爪弾きの音(ね)が何ともたまりません。
 三浦洸一には他に『踊り子』や『東京の人』などのヒット曲もありますが、何といってもこの歌が彼の出世作であり代表曲でしょう。

 三浦洸一(みうら・こういち)は、1928年神奈川県三浦市生まれ。本名は桑田利康で、芸名は出身地から取りました。実家は浄土真宗のお寺で、元の勤務先は神奈川県庁。どうりでいかにも実直そうなわけです。
 でもこの人の歌唱力は折り紙つき、他の歌手の追随を許さないうまさがあります。

 タイトルの『落葉しぐれ』。当時は何の違和感もなく受け入れられたのでしょうが、半世紀以上経った今になってみれば何とも地味な感じがします。以来急速な変貌を遂げたこの社会、まったくの新曲のタイトルとして発売したらあまり売れないかもしれません。

 ただ近年(2005年)この歌を氷川きよしがカバーして歌っているようです。もっとも氷川の場合は何を歌ってもヒットしてしまいそうです。

 これは余計な事ながら。なおタイトルにこだわりますが、「落葉」も「しぐれ(時雨)」も共に冬の季語です。そこで「落葉しぐれ」は“季重なり”となり、俳句では原則用いてはならない決まりになっています。なぜなら一つ一つの季語には、蓄積されてきた膨大なイメージがその背景にあるため、季語を重ねてしまうと一句が壊れてしまう場合が多いからです。

 でもこれは俳句とは何の関係もない流行歌じゃないか。ケチつけるとは何事だ。いえ、決してそんなつもりでは…。吉川静夫先生とこの歌のご関係の方、どうぞ平にご寛恕ください。

 この歌の一番から三番までの歌詞、一つ一つが秀逸です。情景がくっきりとイメージされて浮かんで来るのです。
 主人公は、渡り鳥のように各地をさすらう流れのギター弾き。季節はあたかも主人公の憂愁な心模様であるかのように時雨がしとしと降っていて、旅の落葉が濡れている。ここから始まる以下の歌詞は、まるで短編小説のような物語性、ドラマ性があります。
 名曲の大切な要素だと思います。

 (大場光太郎・記)

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川上未映子のこと

 『日刊ゲンダイ』(12月2日・5面右下段)に、
   史上初 芥川賞カップル 川上未映子阿部和重と“デキ婚”
という見出しのやや短めの記事がありました。

 女優でもあり、08年『乳と卵』で芥川賞を受賞した川上未映子(35)が、同じく05年『グランド・フィナーレ』で同賞授賞の阿部和重(43)と結婚し、史上初の“芥川賞カップル”としてちょっとした騒ぎになっているというのです。
 2人は知り合って3年、共に“バツイチ”ながら阿部の方がメロメロで今年川上に求愛し、押しの一手で同居するまでになっていたそうです。結果この10月に婚姻届を提出。新婦は既に妊娠中の“デキちゃった婚”で、来年の初夏に出産予定といいます。
 2人の相性はすこぶる良く、書斎も一緒で、互いに刺激し合いながら創作活動に励んでいるそうです。

  

 ここのところ当ブログ、『加藤ミリヤ-芥川賞狙える?』『金原ひとみ-今注目されている理由』などすっかり芥川賞づいています。そこで一応は今回記事もその関連と言うこともできます。
 しかし実のところそれだけではありません。川上未映子については、ずっと以前から取り上げたかったのです。ただなかなか機会がなく、今回の『日刊ゲンダイ』記事がちょうどいいキッカケになってくれた格好です。

 ここからは少し気安く「川上未映子さん」と書かせていただきます。と言っても向うさんは、押しも押されもせぬ芥川賞作家、女優その上人の妻と、こちとらとはまったく何の接点もない“雲の上”のような存在です。
 唯一わずかな接点があるとすれば、(川上さんから「それがどうしたの?」と言われそうですが)共に「ココログブログ仲間」であるということです。

 私が、星の数ほどもあるココログブログの中で、「川上未映子ブログ」があることを知ったのは、当ブログを開設した08年春のことでした。
 ブログを開設したはいいけれど、当初はどんな記事を書いていいのやら分からず。取りあえず当時あったココログカテゴリーの中から、「身辺雑記」「雑記」「日常」「日々のこと」などを選び、それに沿った内容の記事をせっせと書いていました。(当ブログでは、これらのカテゴリーを今でも用いていますが、ココログとしては昨年春から新カテゴリーに移行。)
 
 その中に「詩」カテゴリーもあり、その時に作った詩や、ずっと昔に作った詩を時折り公開していました。そのくらいですから、ココログ全体としてどんなブロガー仲間がどんな詩を作っているのか興味が湧いてきます。
 ブロガーたちのそんな需要を充たすためか、当時は詩なら詩カテゴリーをココログとして統括するページが用意されていました。そのページを訪問すると、新着の詩のタイトルと最初の部分がズラッと表示されていました。また同ページ上部には、どの詩にアクセスが多いか、「デイリー(日ごと)」「マンスリー(月ごと)」で1位から5位までタイトルのみが表示されていました。

 ある時「マンスリー」である詩だけが単独ぶっちぎりで、何日も何日も表示されっ放しなのに気がつきました。タイトルは『結ぼれ』というのです。ふと気がついて、俄然興味が湧いてきました。
 『変わったタイトルだけど、一体誰のどんな内容の詩だ?』。タイトルをクリックすれば、当該ブログの当該詩に飛んで行けます。そこで早速そこを訪れてみました。
 もうお気づきでしょう。その『結ぼれ』の作者こそが川上未映子さんだったのです。

 そのブログ名は『未映子の純粋“悲”性批判』というのです。これはかの哲学者カントの名著『純粋理性批判』をパロったものと直ぐ分かりました。それくらいですから川上未映子なる女性の才知のほども。
 実際の詩を読む前にまず驚いたのはそのブログ構成の質の高さです。私など逆立ちしても適わないほどの、白を基調としたセンスのいいハイ・クオリティブログです。本記事が真ん中で、左右にサイドがあります。

 左サイドトップには、川上さんご本人の堂々たる横向きの画像。しかも念が入ったことに左手にマイクまで持って、何かを歌っているもののようです。それまで名前は知らなかったものの、『さては真鍋かをりなみの芸能人か?』と、その頃ココログダントツ人気の真鍋かをりさんを連想してしまいました。
 真鍋ブログとは趣きがまったく異なるものの。私の勘は間違いではなく、後で知ったところでは、川上さん元は大阪出身のミュージシャンだったのです。

 とだいぶ長くなりましたが、肝心の『結ぼれ』です。
 かなりの「長編詩」ですが、これがほんの2、3聯目を通しただけで、『ウーン、お主ただ者じゃないな』と、ショックを受けるほどの“優れもの”だったのです。これじゃあ、ココログ内外の詩愛好家からのアクセスが殺到し、何年もマンスリー首位独走もムリないわ。
 『こんなプロの詩人がココログにいたんじゃ、とても適わないや』。後でプロの詩人というわけではなかったことが分かりましたが…。

 ますます川上未映子さん興味が湧き少し調べたら、何と現在では「芥川賞作家」と知ってさらにびっくりです。
 『結ぼれ』自体05年10月の作であるように、川上さんがココログのブロガーになったのはかなり早かったようです。当初はミュージシャンとして売り出すためというのが開設理由だったようです。
 しかしこのブログがユーザーからバカ受けし、ついでに小説を書いてみたところ『乳と卵』で芥川賞を取っちゃって。「どうせだから小説家を本業にしちゃえ」というような次第だったようです。

 『結ぼれ』。作家になる前の川上さんの才能が迸っているような詩です。著作権法の関係で掲載できませんが、一読、再読して決して損はないです。
 いち早く「お気に入り」に入れて、当時はしばしば訪問していました。その後私自身詩を作らなくなった関係ですっかり訪問が途絶えていました。今でも時たまエッセイを更新しておられますし、これを機会に「新たな刺激」を受けにまた訪問開始したいと思います。

『未映子の純粋悲性批判』(『結ぼれ』)
http://www.mieko.jp/blog/2005/10/post_a2c8.html

 (大場光太郎・記)

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2011流行語大賞

 -痛ましい出来事を忘れないためにも「東日本大震災」にすべきだったのでは?-

 こういうニュースに接すると『あヽ今年も後わずかなんだなぁ』と思わせられます。1年の世相をよく表わすとされる、毎年恒例の「ユーキャン新語・流行語大賞」が、12月1日都内で発表されたのです。
 「恒例」といえば当ブログでも、2年前の09年からこの話題を取り上げてきました。そこで今年も、恒例の独断と偏見に基づいたコメントをしていきたいと思います。

 1日発表された大賞10点は以下のとおりです。
 「なでしこジャパン」「絆」「どじょう内閣」「どや顔」「帰宅難民」「こだまでしょうか」「3.11」「風評被害」「ラブ注入」
 その中で栄えある最高賞の「年間大賞」に輝いたのは「なでしこジャパン」。今年の女子サッカーW杯で優勝した日本代表なでしこジャパンのことは、その時期記事にもしました。だからとやかく言うつもりはありません。と言いながらとやかく言いますけど、「なでしこ」を流行語にしてしまうのはいいがなものか、という思いがあります。

 と言うのも、なでしこジャパンには今年の世界一に満足することなく、今後とも世界のヒノキ舞台で大活躍し続けてもらわなければ困るからです。
 それが「流行語」では、まるで今年の大偉業はまぐれ当たりのフロック、どうせ今年だけの1回限りのものなのだから特に流行語の最高賞を与えましょう、そんな感じがしないでもありません。

 既に国民栄誉賞や紫綬褒章などを受章しているなでしこジャパンに対して、失礼なのではないでしょうか。
 そのせいでもないでしょうが、授賞式には澤穂希など各選手や佐々木則夫監督の姿はなく、代わって日本サッカー協会の上田栄治氏(女子委員会委員長)が出席しました。同氏は選手・監督が来なかった理由を聞かれ、「ワールドカップ以来ずっと忙しくて、きようは練習だと思います」と苦笑いしていたそうです。
 もっとも大賞10点の授賞式に姿を見せたのは「こだまでしょうか」のCMを製作したACジャパンの担当者と、「帰宅難民」を実際体験した会社員女性のみで、例年に比べて寂しい発表会となったようです。

 それと「なでしこ」は確かに一時期大フィバーでした。しかしW杯(7月)からだいぶ経った今では世間の関心もだいぶ薄れてきています。なのにこの言葉を後の世に「今年の代表的流行語」として残してもいいの?という疑問もあります。
 昨年は「ゲゲゲの」。20%強のNHKの朝の連続小説『ゲゲゲの女房』ファンくらいしか知らない言葉でした。昨今の大不況下トヨタをはじめとした大企業でも四苦八苦の中、受信料などで増収・増益で内部留保ザックザク、その実報道・ニュース番組では露骨過ぎる偏向報道。まさかそんなNHKにおもねったわけでもあるまいね?と疑問符のつく年間大賞でした。

 だから昨年ほどではないにせよ。この流行語大賞の選考メンバー、と言うよりバックに控える主催者のユーキャンなど、少し世間の感覚とズレてんじゃないの?と思わないでもありません。

 やはり今年最大の出来事として、後世まで語り継いでいかなければならないのは、東日本大震災であり福島第一原発事故です。さすがに、それを表わす「絆」「帰宅難民」「こだまでしょうか」「3.11」「風評被害」と、10のうち半分を占めています。
 「アリバイでしょうか」。
 
 被災地や福島第一原発周辺地の方々のみならず、すべての日本国民の受けたショックの大きさからして、私は今年はすべて大震災、原発事故関連が占めてもおかしくはなかったと思います。
 そう思って思い出してみると、出てくるは出てくるは。
 「東日本大震災」「大津波」「避難所生活」「福島第一原発事故」「被災地」「水蒸気爆発」「計画停電」「内部被曝」「放射性物質」「セシウム」「メルトダウン」「汚染牛」「除染」「がんばろう日本」「人工地震」「HARRP」(最後の2つは当ブログなど一部で)……。

 それがいかに悲惨なものだったとしても。やはり後世にしっかり語り継ぐためにも、今年の年間大賞は「東日本大震災」ではなかったでしょうか。

 また少し(大いに)皮肉を込めれば。枝野幸男官房長官(当時)の名文句、「ただちに健康に影響が出るものではありません」略して「ただちに影響ありません」が、あれれれっ、ベスト10にも入ってない?
 これに関しては、金子みすず「こだまでしょうか」のパロディまで出来たのに。さすがに最高賞とは言わずとも、時の菅直人政権(と東電、経済産業省、原子力保安院など)がいかに非道(ひど)い対応をしたかを長く記憶に留めるためにも、ベスト10にこれを入れない手はなかったと思うのです。

 流行語大賞関係者には、批判精神が大いに欠けているのではないでしょうか。それともこの賞も、そういう事を発揮してはいけない官僚・業界システムに組み込まれているの?

関連記事
『このごろ永田町で流行る詩』(11年4月)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-2e01.html
『2010流行語大賞』(10年)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-a0b6.html
『「流行語大賞」に思うこと』(09年)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-34db.html

 (大場光太郎・記)

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マーク・トウェインのこと

 11月30日、グーグルがまた「変わりロゴ」になりました。それも縦は通常ながら、横は画面いっぱいの超ワイドロゴです。その中に牧場かどこかの柵らしいものを背景に、アメリカ少年らしき2人の少年の3カットが描かれています。その柵にペンキで「Google」の文字を描くプロセスのようです。

 今年の同日は、アメリカの作家マーク・トウェインの「生誕176周年」にあたるのだそうです。すると2人の少年のうちの一人は「トム・ソーヤー」ということなのでしょうか。
 これまでにない超ワイドロゴにはびっくりしましたが、グーグルさんの「遊び心」には感心させられます。また時折りのこういう企画によって、過去の偉人たちの優れた業績を再認識するきっかけが与えられます。

  マーク・トウェインの代表作『トム・ソーヤーの冒険』は、アメリカのみならず世界中の子どもたちから愛されている作品です。ただ私自身は、これを含めてトウェインの作品を一冊も読んだことがありません。だからその略歴・業績よく分かりません。
 しかしそれではこの記事後が続きませんので、いつものとおり『ウィキペディア』の力を借りて、トウェインの事跡を簡単にご紹介してみたいと思います。

 

 マーク・トウェイン(1835年11月30日~1910年9月21日)は、米合衆国ミズーリ州フロリダで判事を父に持つクレメンス家の6人兄弟の5番目として生まれました。同家は17世紀半ば米合衆国バージニア州に移民してきた旧家で、家伝によれば、(17世紀初頭のイングランド王・スコットランド王)チャールズ1世治下の判事グラム伯爵にまで溯る名門だそうです。
 ただトウェインが生まれた頃は没落していて、トウェイン自身は経済的に厳しい中で幼少期を過ごしました。

 トウェインが12歳の時、父が多くの負債を抱えて死去し、直後から2年ほど長兄が経営する新聞社の仕事に就きます。以後印刷工、蒸気船の水先人見習い、資格を取得して同水先人、米連合国軍の少尉、新聞記者などさまざまな職業を経験しています。
 作家になったのは34歳(1869年)からですが、『トム・ソーヤー』をはじめ彼の作品にはその経験が大いに生かされています。それ以後数多くの小説やエッセイを発表し、当時最も人気のある著名人になりました。

 マーク・トウェインはペンネームで、本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンス。「マーク・トウェイン(Mark Twain)とは、川を蒸気船が航行する際の測深手の水先人への合図、“by the mark,twain”から採ったものだそうです。「twain」は約3.6mということで、これは蒸気船が座礁せず安全に通航できる限界の浅さとのことです。
 トウェインの作家としての、人生上のスタンスがうかがわれるネーミングです。

 後世の著名な米国作家の「マーク・トウェイン評」を紹介します。
 「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」(ウィリアム・フォークナー)
 「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」(アーネスト・ヘミングウェイ)

 大いに変わったエピソードとして。
 マーク・トウェインが生まれた1835年はハレー彗星が観測された年でした。そのためトウェインは後年「自分はハレー彗星と共に地球にやってきたので、ハレー彗星と共に去っていくだろう」と周囲に吹聴していました。事実次に同彗星が到来した1910年に世を去り、彼の“予言”は見事に成就したのです。
 「ハレー彗星と共に去りぬ」。いいではありませんか、宇宙的ロマンがあって。
 「願はくば花(桜)の下にて春死なむかのきさらぎの望月(もちづき)のころ」と歌に詠み、実際そのとおりに寂静したのが西行法師です。トウェインも、予め「自分の死をプロデュース」出来た数少ない一人のようです。

 マーク・トウェインは多くの名言・警句を残しています。彼の数々の言葉は今でも、世界中で群を抜く頻度で使用されているといいます。今回各サイトをのぞいて、その一端に触れることができました。私が独断で「これだ !」と思ったものを幾つか以下にご紹介してみます。

 中には思わず「クッ、クッ」と笑ってしまった格言もありました。しかし立ち止まって考えてみると『なるほど確かに』とうなずけます。じっくり味わってみると、トウェインは何と「この世通」「人生通」の智者だったんだろうと、その透徹した洞察力、批判精神には脱帽です。
 このような人間世界の種々相を鋭く抉った言葉が、彼の作品中に散りばめられているのでしょう。この年になって何ですが、改めて『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィン』を読んでみたくなりました。

                       *

 持っているもので満足できるのが豊かということだ。もっとお金が欲しいと思っている限り、その人は豊かではない。

 もし、人間と猫をかけ合わせて新しい動物をつくることができるのなら、人間には改良だが、猫には退化となろう。

 死にそうな犬を拾って助けてやればその犬が君にかみつくことはない。
 そこが犬と人間の大きな違いだ。

 人間は誰もかも頭がおかしいということを思い出せば、謎は消え、
人の世がすっきりとわかる。

 アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない。
 禁じられたから食べたのだ。

 真実が靴の紐を結ばぬうちに、虚偽のニュースは世界を一周してしまう。

 人間が人間を創造していたなら、自分のしたことが恥ずかしくなるだろう。

 もしもキリストがこの世におられたら、最もなりたくないものが一つある。
 -キリスト教徒だ。

 多数派は常に間違っている。自分が多数派にまわったと知ったら、
それは必ず行いを改めるか、一息入れて反省する時だ。

 人間はみな月だ。誰にも見せたことのない暗い面を持っている。

 じゃ、また。いずれあの世で会えるんだから。   (引用終わり)

参考・引用
『ウィキペディア』-「マーク・トウェイン」の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%B3
『マーク・トウェイン-悪魔のことわざ』
http://park23.wakwak.com/~fujix/kMarktwin.htm
『マーク・トウェイン格言集』
http://kuroneko22.cool.ne.jp/Twain.htm

 (大場光太郎・記)

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