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今年行く

  年の瀬の暮色の街に見入りけり  (拙句)

 30日午後3時過ぎ、近くを散策し、妻田薬師裏の坂道を上っていきました。
 左手の妻田薬師の本道裏を見、右手の小さな稲荷社を見ながら上ります。薬師の敷地と反対の墓地の間は車3台ほどが駐車できそうな砂利の空き地になっていて、それに直交して高いネットフェンスが張り巡らしてあります。
 その先薬師に隣接しているのは厚木市立清水小学校です。まん前に同校の校庭がずっと先まで広がっています。鉄筋3階建ての校舎は右にあります。広々とした校庭にはさすがにこの年の瀬児童たちの姿はほとんどなく、その一角でサッカーボールを夢中で追いかけている3人の少年の姿があるばかりです。

 向こう側にもネットフェンスが張り巡らされ、その先にはご多分に漏れず一般住宅がびっしり建て混んで並んでいます。さらにその先に視線を向けると、当市のシンボル的な山である大山の堂々たる山容が目に飛び込んできます。
 夏と冬では太陽の軌跡はかくも違うものなのか。それが大山がでんと聳えていることによってはっきりと分かるのです。夏ならば山のずっと右寄りの丹沢連峰の一角に沈みます。それがこの季節では山のずっと左寄り(平塚市との境でならばちょうど富士山の見える辺り)に沈むのです。

 見ればこの時刻冬陽はもうじき大山の山の端に沈みそうです。最後のまぶしい残照を町並みに投げかけてきています。少し冷え込んできたこの時間、少しでも暖かい所をと、校庭端の高い並木の長い影をよけて、日向の所まで移動してやおら一服しました。

 私が時折りここに来るのは、先ずは大山に対面したいからなのです。まさにこここそが大山を真正面に見られる最高スポットなのではないか。そう思われるほど、大山山頂を頂点とした左右になだらかに広がる裾野まで、晴れ渡った冬空を背景に黒々としたその全容がよく眺められるのです。
 ことに鋭い山頂。あそこには、日本最古社の一つと言われている大山阿夫利神社の奥宮が鎮座しているはずです。そこまでゆうに十キロ以上はあることでしょう。一服しながらで不調法ですが、私はここに立ちながら、その奥宮に想念を飛ばしているつもりなのです。それを促しているのは、私の中の「古代の心」なのでしょうか。

 視線を落とすと、相変わらずサッカー少年たちが熱心にボールを追いかけています。いつぞやは4時を過ぎ寒風吹きすさぶ中、大勢が夢中で野球の練習をしていました。小学生高学年なのでしょうか、ユニフォームが板についています。それ以上に皆、打つ、受ける、投げるといった野球の一つ一つの動作が実にうまくて、しばらく関心しながら見入ってしまいました。
 こういうハイレベルな少年野球の広がりがあるからこそ、WBCで日本は米国などを下して世界一にもなれるわけです。

 向こう側の住宅地は既に日翳っていて早や暮色が兆している感じです。近隣とはいえ、あの辺りにはどんな家族のどんな人たちが住んでいるのか、皆目分かりません。もちろんこういう大変なご時世、それぞれの家庭には人知れぬご苦労もおありのことでしょう。
 しかし今暮色はそんな一々の家庭の事情などやわらかく包み隠してくれていて、平穏そのものの静けさが漂っています。
 あの住居の連なりの持つどっしりした安定感。かくも「住」が保証されている限り、安定志向の日本人が自ら「変化」を求めることなどないのだろうな、などと余計なことを考えました。

 坂を下って帰る途中、妻田薬師境内端の大きな楠(くすのき)に注意が向かいました。境内中ほどの「大クスノキ」(神奈川県100名木の一つ)に次いで大きな楠です。根元近くで大木が2本あるかのように二つに分かれしています。
 ところがこの木、今年の初夏頃、高所作業車によって7、8メートルくらいの所で無残にも枝々を伐られてしまったのです。ですから常緑の葉はもうほとんどありません。
 この木が、豊かに葉を繁らせていたからこそ、妻田薬師は鬱蒼たる古刹の雰囲気が醸し出せていたのです。ところが今は哀れな丸坊主状態。これによって確かに薬師本堂は遠くからでもよく見えるようにはなりました。
 しかし思うのです。樹齢何百年もの老木を勝手無残に伐ってしまっていいのでしょうか。

 実は当厚木市では被害はこの老楠だけではないのです。これに類することが当市の方々で起きています。
 厚木中学校沿いの舗道の見事な桜並木。これが一本置きくらいに根元から伐られてしまいました。県の北合庁の桜並木の太い枝がバツサバッサと伐られました。お隣の厚木警察署や水引マックのある国道246沿い舗道の街路樹も一本置きに根元から伐られました。伐る前の但し書きが振るっています。何でも「この秋の台風によって倒れそうで危ないから」とか。いやいや決してそうは見えなかったんですけどねぇ。

 余人はいざ知らず。私は木々のこういう痛々しい姿をみると、まるで自分の体の一部が伐られたような心の痛みを感じてしまうのです。
 容赦ない木々への暴力は、厚木市、神奈川県行政に一貫しているのでしょうか。あるいはその上の国土交通省、現政府にまで一貫した「自然観」なのでしょうか。

 このような樹木軽視の傾向は「人命軽視」にもつながると思います。そのいい例が福島原発事故の初期段階で、時の菅直人政権が「スピーディ情報」を握りつぶし必要避難地域住民を緊急避難させなかったことです。そのため子どもたちを含む多くの住民が被爆したと言われています。
 人命最優先より、避難地拡大による国家補償を抑えることに主眼を置いたのです。

 一木一草の命も大切に。私たちは、地球上で共に共生している動植物をもっともっと慈しんでいかなければならないのではないでしょうか。
 これをもって、今年最後の結びとさせていただきます。

 どうぞ皆様、良いお年をお迎えください。

 (大場光太郎・記)

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