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笹目秀和師に託された重要な大本神業

-「地球の裏表がひっくりかえるようなときがくる」という事態が本当にあるのか?-

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笹目秀和師

 いつぞや取り上げました笹目秀和著『モンゴル神仙邂逅記』を読んで、笹目師の正真正銘の波乱万丈伝の一端を知ると、今の世で喧伝されている人たちはせいぜい“波乱百丈”くらいに思えてしまいます。
 その全部をご紹介することはとても出来ません。今回は私が特に注目しているエピソードだけに絞って見ていきたいと思います。ただそれではいかにも不親切ですから、そこに至るまでの師の略伝を簡単に箇条書きにしてみます。

 (1)笹目秀和師は、中央大学法学部の学生だった大正13年(1924年)の夏(22歳)、単身中国大陸旅行に出かけた。
 (2)その旅行中一人の“道士”と出会い、(現在の北朝鮮と中国の境にある)白頭山(ペクトゥサン)山頂の天池(チョンジ)付近の洞窟に棲む呂霊来(リョ・リンライ-「来」は正確には来を二つ並べる)神仙の命により「あなたを迎えに来た」と告げられる。
 (3)道士の先導で難路を克服して白頭山の洞窟にたどり着いた笹目師は、“207歳”の呂神仙から、笹目師と天池との三千年来の関係や、今後師が果たすべき使命などを伝えられる。
 師は普通の人のような生涯は送れず、日本という国のカルマ(業)を背負って、常人には到底耐えられない苦難を味わわなければならないというのである。
 (4)呂神仙は続けて、「北西の方向の(モンゴル)遊牧民を救済する手段を講ずることが汝の使命である」と告げ、さらに十二年後に崑崙山に行くことになると予言した。
 (5)呂神仙に「使命を果たす」ことを誓った笹目師は、モンゴル平原へと向かう。その過程で、王家の血筋を引く貴婦人と義母子の契りを結ぶなど、多くの数奇な出会いを経験しながら、何年もモンゴル国内や日本や北京を奔走する。
 (6)笹目師の最終目標はモンゴル独立運動を起こすことである。その前段階として優秀なモンゴルの少年たちを日本に連れてきて、東京で正規の教育を受けさせることを企画する。
 (7)その目的のため日本で奔走中、大本聖師・出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)と巡り合い、窮地に陥った際援助を受け、彼らを無事早稲田大学などへ就学させることに成功する。(彼らの多くは後に母国に帰り、モンゴル独立運動の中心的存在になっていく。)

 …昭和10年(1935年)12月4日。堂々たる30代になっていた笹目秀和師は、再び大陸に向かう直前、何ものかに呼ばれるように、京都の綾部(あやべ)の大本教本部に出口聖師を訪ねます。
 出口聖師と会うなり、次のような謎の言葉を言われます。
「ご苦労さんやなあ、笹目さん、今度のご神事はわたしの代わりに行くんやさかえ、しっかり頼みまっせ」
 続いて、笹目師の活動を妨害している、「金毛九尾(きんもうきゅうび)の狐」の凄まじい魔障と『霊界物語』との関連について、解説を受けたりしました。

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出口王仁三郎聖師

 それからの次第は、少し長いですが『モンゴル神仙邂逅記』の原文を引用させていただきます。

                       *
「あんたはん、いつ発たれますか」
 わたしがまだなんの説明もしていないのに、突然そうたずねられた。モンゴルにいつ行くかという問いである。
「今夜にも発ちたいと思っています」
「今夜は日出麿(ひでまる-注 3代目の女婿で聖師の補佐役)との出会いが必要だっせ。崑崙山に納まり願うご神体、夜半に勧請(かんじょう)しておきますさかえ、ゆっくり休まれて、明日の朝きておくれやす」
 ということなので、その夜は、夕食は王仁三郎師ご夫妻とともにし、宿泊は日出麿邸ということになった。
 八時すぎに、祖霊社の近くにある日出麿師の住居にお伺いすると「待ってましたがな、早うおあがりやす」と、気軽に迎えてくれた。
 しかし、お茶などいただいたのちは、きびしい口調になり、
「西北の天地は暗雲低迷していて、ご神業の展開は容易なことではない。けれどもあなたをおいてはこの任務を遂行できる人は見当たりません。だからあえていばらの道を押し進んでもらうよりほか、ないですね。任務のかなめは、崑崙山中に大本のご神体を納めてくることです。主神(すしん)はあなたに絶大な期待をかけておられますから、自重してください」
 つまり、わたしに大本のご神体を託すから、崑崙山にお鎮めしてこいということなのだ。
 突然の話である。それを当然のことのように言われるのは、どうしたことだろう。わたしが今日、ここにくるのがわかっていたようではないか。
「白頭山の呂神仙のおっしゃることには、寸分の間違いもないでしょうね」
「あの仙師は、素尊(注-神素盞嗚尊・かむすさのおのみこと)の御代様として降臨しておられ、いっさいの俗を離れておられる方ですから、言語動作に寸毫(すんごう)の誤りもないことを断言します」
「十二年前に命じられた崑崙山行きを決行するわけですが、大本のご神体のことと、使命は別ですか」
「いずれも素尊からでていることで、決して別のことではありません」
 そのほかに細かいことをいくつかたずねた。最後に日出麿師はこういって哄笑された。
「やがて地球の裏表がひっくりかえるようなときがくると、大本神業の地場が崑崙山中に移らないともかぎらないからね」
 その笑い声はわたしの腹の底にしみ通った。日出麿師のこの言葉が何を意味するか、おそらく百年後でなければだれにもわからないであろう。

 翌朝は未明に起きて、鶴山に登っていった。王仁三郎師はすでに起きて、玄関に立ってわたしを待ち受けておられた。
「笹目さん、これが大本のご神体です。崑崙山の神仙があなたのくるのを待っておられるはずですから、その案内に従い、その指示するところに、このまま埋めてください」
 そう言って渡されたものは、直径六センチ、長さ三十センチくらいの孟宗竹に密封され、全体に黄色の漆が塗られていた。
「確かに使命を果たさせていただきます。なにか、尊奉すべき言葉がございますか」
「なにもない。ただ口外を慎むこと」
 この聖師のお言葉に千金の重みを感じた。
 竹の筒からは、紫色の光彩が放たれているように感じられた。  (引用終わり)

                       *
 
 こうして出口聖師から「大本のご神体」という途方もないものを託された笹目秀和師は、その日のうちに大陸へと発ち、“齢500歳”という疏勒(シュロ)神仙の棲む崑崙山へと向かうことになるのです。

 そして、ご神体を預かった日から3日後の昭和10年「12月8日未明」、日本と世界のその後の歩みにとって極めて重要な意味を持つ「第二次大本弾圧事件」が起きたのです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『笹目秀和「モンゴル神仙邂逅記」(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-d518.html
もう一つの「12月8日未明」
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-5be6.html
笹目仙人と夏八木勲氏(1)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-bb72.html
笹目仙人と夏八木勲氏(2)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-a1f2.html

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コメント

初めまして。
笹目恒雄師を追って、こちらへお邪魔しました。
「モンゴル神仙邂逅記」と「神仙の寵児」を読みました。
笹目師が存命ならお目にかかりたかったのですが、
こちらの記事を拝見して嬉しかったです。
ありがとうございました。

投稿: LORAN | 2012年8月17日 (金) 22時45分

LORAN様
 どうもありがとうございます。『神仙の寵児』までお読みとは、かなりの研究家ですね。
 笹目秀和師は、常人とは桁外れの密度で生涯を送られたお方でしたね。本文冒頭でも触れましたが、真の意味での「波乱万丈伝」、本当に「大陸ロマン」横溢です。
 大本の出口王仁三郎聖師、合気道の植芝盛平翁、世界救世教の岡田茂吉明主、白光真宏会の五井昌久先生など、近代日本は幾多の霊的巨人を輩出しました。笹目師もその系譜に連なる「神仙の人」だったように思います。
 ところで「LORAN」というハンドルネームの元は、あの「楼蘭」でしょうか?もしそうなら、スゥエン・ヘディンの『さまよえる湖』や井上靖の『楼蘭』、これまた歴史ロマンをかき立てられます。

投稿: 時遊人 | 2012年8月18日 (土) 00時13分

時遊人様
 ご親切なご返事をいただきまして、ありがとうございました。
 恐縮ですが、もしもご存知でしたら教えていただきたいことがあります。
 笹目師がお二人の神仙とお目にかかり、帰る時に、40年後と50年後の再会を約されたと「神仙の寵児」に書かれていました。
 私はまだ、笹目師が神仙と再会されたことを書かれた本の存在を知りません。書かれた本をご存知でしょうか?
とても気になっていたので、お尋ねしました。
よろしくお願い申し上げます。

投稿: LORAN | 2012年8月19日 (日) 22時09分

LORAN様
 折角のご質問ですが、私は『神仙の寵児』を読んでおらず、その件は初耳でお答えのしようがありません。
 ただ少しばかり私見を述べさせていただければー。その時から40年後、50年後は、笹目秀和師は既に日本に帰り、大岳山頂の道院に籠もりきりだったものと記憶しています。
 しかし「神仙の世界」を常人が推し量ることはできません。その指定の時期、たとえば白頭山のリョ・リンライ神仙とは幽体離脱のような状態で、また崑崙山のシュロ神仙とは天の鳥船でシュロ神仙が大岳山にやってきて、というような何らかの方法できっちりお会いになったのではないでしょうか?

 

投稿: 時遊人 | 2012年8月20日 (月) 02時59分

時遊人様
お忙しいところを2度もご返事いただきまして、まことにありがとうございました。
笹目秀和師がその頃は道院に居られたら、多分、白頭山や崑崙山へ登山しなかったのでしょうね。

私事ですが、30年来信仰していた宗教に失望してすべてをやめて我流の瞑想に徹した結果、神仏と出会うことができました。
お釈迦様から「言葉を与える」と言わた瞬間、それまでの自分が死体になって昇天していきました。
お陰様で生まれ変わることができました。
3年前には「火の神様」が紅蓮の焔の中に立たれて、怒りの形相で、「なぜ人類は、火をもてあそぶのか?」と叱責されました。
私はお答え仕様がなく、「皆に伝えます。」とお答えしました。
その後、福島第1原発の事故が起き、叱責された火が原子力であることに気づきました。
時遊人様にはご理解していただけると思い、お伝えさせていただきました。
ありがとうございました。

投稿: LORAN | 2012年8月20日 (月) 22時54分

LORAN様
 いいえどう致しまして。こちらこそ貴重な体験の一端をご披露いただき、ありがたく存じます。
 お釈迦様の示現、新しい人間に生まれ変わった体験。凄いの一言です。地球レベルで考えても、かなり高度なイニシエーションだったのではないでしょうか?
 ええおっしゃるとおり、直前の『秋の字に永久に棲む火』でも少しふれましたが、私も「原子力=火」だと認識しています。それも原子力は火力文明の「究極の魔姿」ですね。
 昨年は福島原発事故関連記事をけっこう公開しました。その一つに『「プロメテウスの火」と原子力』があります。その中で、人類の現歴史は「火」一辺倒の歴史であり、これは必ず行き詰る。人類滅亡を回避するには、これからは「火」と「水」とのバランスと調和の取れた文明に転換していかなければならない、というようなことを述べたかと思います。
 「運命の2012年」の今年は、そのターニングポイントの年なのではないでしょうか? 

投稿: 時遊人 | 2012年8月21日 (火) 02時46分

時遊人様
ご返事まことにありがとうございました。
私の体験をご理解いただけて、嬉しかったです。
ところで、「本質」の存在をご存知ですか?
「本質」との体験をアメブロに書きましたので、
もしもご興味がありましたらご覧ください。

http://ameblo.jp/mwloran/

投稿: LORAN | 2012年8月28日 (火) 11時38分

 「本質」について、興味深く読ませていただきました。
 ただ当ブログでは、当記事内容と直接関係のない、それ以外の、他ブログの内容についての踏み込んだコメントは控えさせていただいております。あしからずご了承ください。

投稿: 時遊人 | 2012年8月29日 (水) 02時16分

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