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2012年1月

ある外国人女性と間伐の必要性について

  料峭(りょうしょう)の遠き港の煙りかな   (拙句)

 ここのところずっと寒い日が続いています。冬帝が日本列島を隈なく領し各地に無数の寒兵を遣わして、ために連日のこの厳しい寒さか、といった按配です。
 今は暦の上でも「寒中」です。暦上と実際の季節感ではかなりのズレを生じがちですが、この「寒の季節」だけは毎年一致しています。

 30日当地では快晴の一日となりました。冬の日は中空(なかぞら)で燦々と輝いているのに、なにせ風は北風でピューピュー吹きつのり、そのため外を歩いていると寒さが余計厳しく体感されてきます。
 さて、この日の午後から横浜に行ってきました。今年二度目となります。これまで、横浜に着いてから見聞したことを小紀行文的に度々綴ってきました。しかし今回は横浜に着く手前の電車内での「二題」について述べてみようと思います。
                       *
 まず最初は、海老名駅から横浜駅間の相鉄の電車での事です。
 2時半過ぎ、海老名駅始発の横浜行き電車に乗りました。神奈川県庁担当部署への申請のためですが、一部に書類不備があります。そこで車中でその仕上げと総チェックを行って完璧な申請書類とするつもりです。
 それには乗客がズラッと並んで座る長座席では不都合です。それもあって私は、「行き」はたいがい電車中ほどの4人がけの対面座席に座ることにしています。

 この日その座席はどれも2、3人の人たちが既に座っていました。その中で日差しを浴びた側に外国人女性が一人だけで座っているのを認めました。彼女は進行方向に向かって窓際に座っていますから、私はその対面の彼女とは対角線になる席に座らせてもらいました。空いた窓側の席にバックを置きました。

 外国人女性は真っ赤なコートを着た、長い見事な金髪の若い白人女性です。私はすぐにバックから書類を取り出して“作業”にかかりましたし、失礼ですからあまり見ないようにしましたが、それでも視野には入ってきます。
 顔は本当に白く綺麗な女性です。スタイルが良くかなり長身のようです。顔立ちからしてこの国によくいがちなアメリカ人ではなさそうです。どちらかというとドイツ系、フランス系、北欧系といった感じです。

 松本清張の社会派推理小説『ゼロの焦点』の鍵を握るのが「赤いコートの女」。日本人女性は滅多に着ることのない赤いコートのこの外国人女性は、どうしてこの時間この電車に乗ることになったのか、そもそも彼女はどうして遠いこの国にやってくることになったのか。
 幾重にもミステリアスな雰囲気をまとった異国の女性と、こうして時間と空間をつかの間共有したのでした。
                       *
 次は相鉄に乗る手前、地元の本厚木駅から次の海老名駅に向かう小田急の電車内での事です。
 数分もすれば降りるのですから、この時は立ちながら窓上部の電車広告を眺めていました。するとある広告の一文に目が止まりました。それは次のような内容です。

 - 山崩れから守るためには森林の働きを活性化することが必要です。その方法として「間伐」によって木を間引くことが大切です。間伐がなぜ山崩れを防ぐことになるのか説明しなさい -

 どうやらそれは「問題」のようです。よく見ると広告主は中学受験塾として有名な「日○研」。さらに見ていくと、これは「2011中学入試 自●館中等教育学校」で実際に出題された問題のようです。
 全国的にかなり以前から「森林の荒廃」が深刻な社会問題の一つになっています。社会科の問題なのでしょうが、その事を踏まえれば、受験児童たちの関心を森林保護に向けるためにもなかなか良い出題といえます。

 それにしても『中学入試にしては少し難しすぎないか?』と思ってしまいます。中学入試というからには、これを解くのは小学校6年生であるわけです。ということは今の彼らは、こんな“高度な社会問題”について、既に社会科の授業で学習済みということになるのでしょうか。
 何十年も前私たちが小学生だった頃とは、えらい違いです。

 そう言えば、私は今から10余年前、“頭の体操”のつもりで文庫サイズのパズル本を買ったことがあります。それは主要各教科の、当時の有名私立中学校の入試問題を選りすぐったものでした。いざ一つひとつの問題に挑戦してみると、ドッコイ大人顔負けの難問ぞろいなのです。『小6でよくもこんな難しい問題が解けるなぁ』と舌を巻いてしまいました。
 こういう難問をスラスラ解いて有名私立中学に入れる子どもは、本当に「優秀な子」なのでしょう。そのような際立った学力をペースに、入学後はさらに高いレベルの学習へと進むわけです。

 下手すれば私らが高校で習ったようなことを、今は小学校高学年で習っているのかもしれません。それが時代の要請なのでしょう。
 それは反面、授業についていけず、学校嫌いや落ちこぼれや不登校の問題にも直結しているはずです。
 少数の「出来る子」と大勢の「ダメな子」。「階級社会化」しつつある今の世の中の縮図を見る思いがします。教育格差は卒業後の社会格差につながるのはほぼ確実ですから。

 ところで、「間伐が山崩れを防ぐことになるのはどうしてか?」。一つじっくり考えてみてください。

 (大場光太郎・記)
                       
                       

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首都圏直下型地震カウントダウン !?

 -「4年以内に首都圏地震70%の確率」ということはきょう、あすかも知れない-

 28日(土)早朝首都圏で地震がありました。同日午前7時43分頃、関東地方を中心に地震があり、山梨県河口湖町や忍野村で震度5弱、神奈川県厚木市や静岡県三島市で震度4を観測したのです。
 震源地は山梨県東部富士五湖で、震源の深さは約20km、マグニチュード(M)は5.5と推定されています。

 私は、今回名前の出た厚木市に居住していますので、この地震バッチリ体感しました。同時刻前後数分置いて二度ほど大きな揺れがきました。
 昨年3月11日の大地震では当地でも、かつて経験したことのないような長い横揺れでした。あれが問題の長周期振動であることを後で知りました。
 3・11に比して今回のは大きい揺れが来たかと思ったら、すぐに収まる体のものでした。それも横にゆらゆらというのではなく、下からドスンと突き上げられるような感じです。それによって震源地は遥か遠方ではなく、近いことが分かりました。

 これと同じような揺れを元旦にも経験しました。同日午後2時半頃、関東から東北にかけた広い地域を震度4の揺れが襲ったのです。先ずもって地震からスタートする元旦というのは、あまり気分のよいものではありません。
 それにこの国は、昨年の東日本大震災直後の2、3ヶ月は、そこそこ体で感じられる地震を繰り返し経験し、その間はまるで列島全体が船酔いの中にいるような状態でした。

 その頃も「近いうち次は首都圏が直下型地震に見舞われる」と囁かれたものでした。今またそのとおりです。元旦早々の地震が利いているためなのか、夕刊紙『日刊ゲンダイ』などは連日のように「地震警戒情報」を掲載しています。
 同紙1面最上段には、以下のような大見出しが踊っています。

 「平田教授 首都直下巨大地震の根拠」 (1月25日)
 「M7臨海液状化 芝浦・銀座危ない」 (1月26日)
 「異様データ 首都大地震 切迫」 (1月27日)
 「北関東M8迫る 地震に強い街ランキング」 (1月28日)
 「けさも富士五湖5弱 関東地震恐怖マップ」 (1月30日)

 これは一応は、夕刊紙という商業紙ならではの、ドギツイ大見出しをドンと掲げて消費者の目を引きつける「売らんかな商法」ともいえます。
 しかし日刊ゲンダイあたりがここにきて「首都圏地震」を連日取り上げるのは、過日東大地震研究所が「4年以内にM7級の首都圏直下型地震70%」という衝撃的な発表をしたことが背景にありそうです。

 東大地震研のこの発表には、長年積み重ねてきた各種地震データの緻密な裏づけがあり、かなり説得力がありそうです。
 「4年以内にM7以上の首都圏地震が起きる確率70%」。これはもうそれまでに首都圏を直下型地震が襲うのは、ほぼ間違いないとみていいのでしょう。東大地震研がこの時期にそれを公表したということは、「今からその心積りで備えておいてくださいよ」という、警告・警報の意味合いがあるとみるべきです。

 昔から「地震、カミナリ、火事、親父」は、“おっかないもの”の代名詞でした。分けても地震はその筆頭に挙げられています。「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の有名な言葉がありますが、地震はその最たるものです。天気予報のように前もって日にちを予測できれば、被害は最小限に食い止められるでしょうに。
 3・11大震災がまさに降って湧いたような天災でした。それに同震災は直後に“想定外”の大津波が襲いかかり、多くの方がお亡くなりになり、また宮城、岩手など太平洋沿岸の広範囲の地域を壊滅的に破壊しました。

 仮に首都圏がM7級の大地震に襲われたら、東日本大震災とは比較にならないほどの激甚災害となるのは明らかです。
 当厚木市も首都圏周縁部に位置しています。当市21万余市民の大半は、相模川流域の市街地に居住しています。同川によって形成された沖積層の上に当たり、いわゆる軟弱地盤です。本厚木駅周辺では昭和40年代頃、70cmも掘れば水が沁み出してきたほどです。そのため当時は「厚木の街中に10階のビルを建てるのは無理だ」と言われていました。しかしその後地盤改良や(数10メートル下の岩盤まで基礎杭を打ち込む)深基礎工法などの進歩により、駅周辺には10何階ものビルが林立しています。
 しかしいざとなったら、かなりヤバイと思います。

 仮に東日本大震災時の大津波が相模湾を襲ったら、厚木市庁舎くらいまで波が押し寄せるという試算もあるようです。そうなったら海岸べりのお隣の平塚市はひとたまりもないわけです。それ以外にも大磯、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉、逗子、横須賀、横浜など沿海地域…。
 しかし何と言っても最大の被害地は首都東京の23区です。人口が密集している上、耐震がロクにされていない古いビル、建物、設備がどれほどあることやら。そこに日本の主要な機能が一極集中しているのです。首都が壊滅したら国全体の機能が麻痺し国中大パニックに陥りかねません。

 当該自治体は今回の東大地震研の公表を受けて、市民の「生活と安全」を守るための、今まで以上に真剣な防災対策が求められます。それに国と東京都は、橋下徹大阪市長の「大阪都構想」を至急検討するなど、首都機能分散を真剣に考え実行に移してもらいたいものです。
 忘れていました。一番大切なのは、私たち3、4千万首都圏民の、地震に対する常日頃からの備えですね。

 (大場光太郎・記)

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続・人間はあの世にも同時に存在している

 -この世の事象だけの知覚では制限多い3次元世界に呪縛されたままである-

 私たち人間はこの世だけではなくあの世にも同時に存在している。これはにわかに信じられることではありません。
 これについてかつて、(水と波動の研究家として世界的に有名な)江本勝という人が分かりやすい例を引いて説明していました。

 江本勝氏は、電球や蛍光灯といった電気照明を例に取っています。例えば蛍光灯のスイッチが入って灯りが点くと、私たちはこれを連続した光として認識します。しかし電気照明というのは、瞬間的に点いたり消えたりを繰り返しているのだそうです。
 ただそのオン/オフの切り替えは、1秒の何千分の1、何万分の1という“目にもとまらぬ”素早さであるため、私たちの目には連続した照明光として見えているというのです。

 江本氏はまた、数学のサイン曲線でも示していました。ご存知サインカーブは、グラフ中央の真横に引かれたゼロ基線を基準として、一定の長さ(波長)と幅(振幅)をもつ上方のピーク(山)をつくり、次に下方にもそれとまったく同じ長さと幅のピーク(谷)をつくります。これと同一のパターン(波形)を連続して繰り返していくわけです。
 
 これは基線の上側を「プラス」または「陽」、下側を「マイナス」または「陰」などとさまざまに置き換えることが可能です。今回は上を「この世」下を「あの世」と見ることにします。するとサインカーブは、他でもないこの私たち人間が各人固有の振動を発しながら、電気照明のオン/オフのように目にもとまらない速さで、この世とあの世を往還している姿と考えることもできるのです。
 ただこの世に固定されている私たちの顕在意識は、蛍光灯などを見る場合と同じで、こちら側の世界に住しているという認識しかないわけです。

 『ニュートン世界と量子世界』シリーズでもみましたとおり、分子以下の超ミクロ体は、「粒子」であるとともに「波」としての性質を有しているのでした。そして粒子とは物質性であり、波とは非物質性なのでした。
 天文学的数のこれら超ミクロ体が私たちの身体の基本的構成要素であるからには、私たち自身も見たとおりの物質体であると同時に非物質的なエネルギーそのものであるのに違いありません。
 このことからもまた、私たちの本質は「霊的存在」であることが裏付けられるのです。

 「あなたがたの肉体のなかには実に膨大な量の空間が存在しているのですから、中身の詰まった固体であるというのは幻想です。あなたがたの科学も、人の肉体の99パーセント以上は空間であることを解明しています。わたしたちが人の肉体を見る場合も、固体としてでなく空間として知覚します。そうした知覚の仕方は、あなたがたの仕方と同じではありません。わたしたちはあなたがたを、文字どおり人の姿をした星ぼしの銀河として見ているのです。」 (『ハトホルの書』第二章より)

 我が国を代表する神示である『日月神示(ひつくしんじ)』では、来るべき新しい世では人間は「半霊半物質」になると預告されています。しかし私たちの身体は、上記のような観点から捉え直すと、今このままの肉体が既に半霊半物質体であると言っていいようです。
 問題はそのことを実感できていないことです。この3次元物質世界のみにフォーカスしている五官頼みの知覚レベルは、低波動レベルなのです。その認識が自らの波動を下げています。制限多いこの世に呪縛された思考、行動しかできなくなっているのです。

 この世を古来から我が国では「現世(うつしよ)」と言い習わしてきました。今現れているすべての事象は、ただ写っているだけの「結果」にすぎません。霊的なあの世こそが「原因次元」であるのです。よって物事の根本的解決を図るには、原因次元に立ち返ることがどうしても必要です。 
 そのために古代から、瞑想や座禅などさまざまな行法が行われてきました。禅家では「動中の工夫、静中の工夫」と言っています。「2012」の今この時、自らが「霊的存在」であることを全身全霊で解ることが必要であると思われます。  - 完 -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ハトホルの書 アセンションした文明からのメッセージ』 (トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著、紫上はとる訳、ナチュラルスピリット刊)
関連記事
『人間はあの世にも同時に存在している』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7a9b.html

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人間はあの世にも同時に存在している

 -私たちの意識はこの世だけに向いている。が、それは「錯覚」であるらしい-

 今回のテーマは、『ニュートン世界と量子世界』シリーズの結論部にしようかと考えていたものです。しかし同シリーズではシナプスやニューロンなど、脳を中心として述べてきたため同シリーズに含めるのは止めにしました。
 同シリーズ(1~4)で、脳内のシナプスが「ニュートン世界と量子世界が出会う場」である可能性をみてきました。それでは私たちの「身体」にまで広げた場合どうなのでしょうか。今回はそれについてあらためて考えてみたいと思います。

 身体はこの世に現れている典型的な例と考えられてきました。例えば「霊と肉の戦い」は、キリスト教における最重要テーマの一つです。キリスト教的文脈では、肉(肉体的、身体的なるもの)は霊の対極に位置するもの、という二項対立的概念として捉えられてきたわけです。
 それは宗教のみならず、現代医療においてもそうです。中には精神分析や心身医療などという分野もあるにはありますが、主流は精神や意識と体はまったく別物として切り離し、身体各部位の器官や臓器などを独立してそれらの異常(疾病)を治療することが目的です。

 私たちの身体は本当にニュートン世界に丸ごと浸りきっている存在なのでしょうか。どうもそうではないようなのです。
 私たちの身体は、骨格、頭脳などの器官、心臓などの臓器、筋肉、神経、血液、リンパ腺などによって構成されています。それらをさらに細かく見ていくと、例えば胃腸などは膨大な数の細胞が集まって形成されているわけです。
 ここまでは確かにニュートン世界に属しているといえます。

 しかしさらに分け入って見ていくと、細胞の一つひとつを構成しているのは分子の集合体です。分子はさらに原子、電子、陽子、中性子、素粒子となり、みごとに量子世界に入ってしまうわけなのです。
 『ニュートン世界と量子世界(2)』で見たところ、高分子のサイズである「20nm(ナノメートル)」がニュートン世界と量子世界を分ける境界値なのでした。そこから飛躍して考えると、ニュートン世界は「この世」、量子世界は「あの世」となるのでした。

 私たちの顕在意識はほぼ100%「この世の事象」に固定されており、身体はこの世だけに存在しているものとつい思いがちです。しかし上のように超ミクロレベルまで探っていくと、私たちの身体は量子世界の超ミクロ粒子によって支えられていることが了解されてきます。そしてこれら各部位の超ミクロ粒子群は、潜在意識下で絶えず脳に情報を伝えてきているのです。
 
 そのことから、私たちの身体はこの世だけではなく「あの世」にも半身を浸している、別の表現をすれば「この世とあの世に同時に存在している」ということになるのです。

 こうしてみると、仏教で法然や親鸞などの浄土宗系では「極楽浄土は西方十万億土という遥か彼方にある世界」と説いていますが、あの世はそんな彼方にある世界ではないということです。というより、「この世とあの世は合わせ鏡」というのが真実です。
 最も阿弥陀経でそう説かれているのは、五濁悪世の衆生が極楽往生を遂げるのはそれほど難しいことなのだ、「だから称名念仏に専念し弥陀の本願に救い取らるべし」ということが本意だったのかもしれません。

 少し余談になりましたが。つまり私たちは実は「生きながら死んでいる存在」なのであり、死んでからあらためてあの世に行くのではないということです。また私たちの身体は、この世だけで単独に離れ小島のようにぽつんと存在しているのではないということです。

 とは言っても、肉体人間としての私たちは、そんなことをおいそれと得心できるものではありません。私たちの感覚器官である五官は、その代表例の視覚がそうであるように、ニュートン世界であるこの世の事象のみを見るように固定されているからです。
 聴覚、味覚、触覚、嗅覚すべてそうです。その意味で五官という感覚器官こそが私たちをこの世に縛りつけている根源といっていいのかもしれません。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『ニュートン世界と量子世界(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6068.html
『ニュートン世界と量子世界(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-bfea.html
『ニュートン世界と量子世界(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-0c99.html
『ニュートン世界と量子世界(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-bfea-1.html

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汚れつちまつた悲しみに・・・・・・

             中原 中也

  汚れつちまつた悲しみに
  今日も小雪の降りかかる
  汚れつちまつた悲しみに
  今日も風さへ吹きすぎる

  汚れつちまつた悲しみは
  たとへば狐の皮裘(かはころも)
  汚れつちまつた悲しみは
  小雪のかかつてちぢこまる

  汚れつちまつた悲しみは
  なにのぞむなくねがふなく
  汚れつちまつた悲しみは
  懈怠(けたい)のうちに死を夢む 

  汚れつちまつた悲しみに
  いたいたしくも怖気(おぢけ)づき
  汚れつちまつた悲しみに
  なすところなく日は暮れる・・・・・・

…… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 中原中也の代表的な詩の一つであるこの詩は、はじめに昭和5年(1930年)4月の『白痴群』6号に発表されました。中也22、3歳頃に作られたと思われます。
 「汚れつちまつた悲しみに」
 ツッパリ少年のやけっぱちな捨てゼリフのようなこんな表現こそは、中原中也の真骨頂です。それまではついぞ現れたことのない画期的な新しい詩表現だったはずです。

 この詩の主語であり主題であるのは「悲しみ」です。それもこの詩における「悲しみ」は、乙女チックな甘い悲しみなどではなく、もっと切実な、生の根源にも関わりそうな悲しみです。都合8回もの「汚れつちまつた悲しみ」のリフレインが、そのことを示しています。
 さらに言えば、詩には表れていない本当の主語であり主題は、中原中也その人と言えそうです。
 「悲しみの主(ぬし)」の中也が町をさ迷い行くに、小雪は降りかかるし、風さえ容赦なく吹きつけると言うのです。
 中原中也の悲しい心模様の表出であるかのように。

 かくまでに中也をして「悲しみ」に陥れたものは何だったのでしょうか。
 それは、故郷(山口県)の父母の期待に添いたい想いは強いのに、実際は東京で後の坂口安吾や織田作之助といった「無頼派」の走りのような生活をしている、中也自身によってもたらされたものなのかもしれません。
 また時代背景も見逃すことはできません。この詩の発表の前年の昭和4年、芥川龍之介が「ただぼんりした不安」という言葉を遺して自殺しています。欧米式の近代化を急ぎすぎる、当時の唯物社会を覆う得体の知れない不安感を的確に捉えた言葉です。
 若き詩人の中原中也は、そんな時代の空気を人一倍敏感に感じ取っていたに違いありません。

 若くて純粋な心の持ち主ほど、自身が「汚れつちまつた」ことに敏感なものです。分けても中原中也は過敏すぎる神経の持ち主でした。それだから心のセンサーは、「悲しみ」という感情をびんびん伝えてくるわけです。
 その意味でこの詩は、近代詩中の代表的な「青春の詩」の一つと言えると思います。

 「悲哀の中に聖地あり」 (オスカー・ワイルド)
 80余年の時空を超えて中原中也のこの詩は、今の若い人たちにも響くものがあると思います。「悲しみ」という感情を味わうのは辛く苦しいものです。しかし砥石のようなこの感情があればこそ、魂は磨かれ成長できるのです。
 世知長けて感情を鈍磨させた大人のようになるなかれ。バラエティ番組などに安直に逃避することなかれ。悲しみは悲しみとしてしっかり味わってほしい。

 -初雪が降った夜更けに

 (大場光太郎・記)

中原中也の詩
『帰郷
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-e068.html
『サーカス』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ec4a.html        

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「下山の時代」について考える

  大峠には上りもあれば下りもあるぞ  (『日月神示』より)

 『日刊ゲンダイ』中ほどの13面左上段に、月曜日から金曜日連載の『流されゆく日々』というコラムがあります。このコラムの作者は作家の五木寛之(敬称略)です。既に連載回数は8870回以上にも上っています。おそらく同紙で最も息の長い名物コラムといっていいのでしょう。

 話は少し脱線しますが。私が日刊ゲンダイという夕刊紙を知ったのは、今から30年以上前の昭和54年(1979年)のことでした。30歳を過ぎてから初めて都内某所で勤務したことにより、帰宅時駅の売店で買ってそれを読みながら電車に乗って帰るのが日課のようになったのです。
 当時からもう一方の“夕刊紙の雄”が『夕刊フジ』でしたが、私には『日刊ゲンダイ』1、2面の「反権力的論調」が好きでこちらをもっぱら読んでいました。

 その後私は3、4年で都内勤めを辞め、同時に日刊ゲンダイ購読もしばらく休んでいました。購読を再開したのは2003年のことです。この年イラク戦争が起こりましたが、私は米国べったりのイラク戦争報道に嫌気がさし、20歳の頃から購読していた朝日新聞をスパッと止めました。
 とは言っても「日々のニュース」には飢えていました。そこで日刊ゲンダイをまた読み出したのです。その頃では近くのコンビニで同紙が気軽に買えるシステムになっていましたし。

 昭和54年当時から五木寛之の『流されゆく日々』コラムはありました。五木寛之といえば若い頃は『青春の門』『青年は荒野をめざす』『蒼ざめた馬を見よ』(直木賞受賞)なとの小説によって、私の同世代から支持の高い作家の一人でした。
 それ以前に五木が男性雑誌だかに寄稿した一文を読んでみたことがあります。結構過激なことが書いてあったと思いますが、私にとってさほど関心を引く作家でもなく、彼の小説は一冊も読んだことがありませんでした。

 そのくらいですから、当時から五木寛之の『流されゆく日々』を熱心に読んだことはありません。たまに気になるタイトルがあった時に、ざっと流し読みするくらいなものでした。しかしさすがは五木寛之です。さりげない日常的なエッセイにも、時にキラッと光る一文があり、そのつどハッとさせられてきました。
 そんな五木寛之は50代の頃大病をし、それを契機に「命」や「人生」についてより深く考察するようになっていったようです。その一つの表れとして「親鸞思想」に深く傾倒し出したのもこの頃からです。(同氏の『親鸞上・下』は、何百万部という大ベストセラーです。)

 過激だった五木寛之を多少知っている私には、何か変に悟り澄ましちゃった印象が否めません。が、これは同氏の闘病による思想的深化というべきもので、余人があれこれいうことでもありません。
 しかし時折り『流されゆく日々』に目を通すに、同氏の観方の底流にはどうも仏教式の「諦観(ていかん)」が色濃く流れているようで、『どうもいただけないなあ』という感を抱かせられることもあるのです。

 そんな五木寛之。昨年秋頃から同コラムで「下山の時代」という同氏独特の用語を時折り用いておられます。長期低迷化する我が国経済。追い討ちをかけるような東日本大震災と福島第一原発事故。加えて我が国がいつ呑み込まれてもおかしくないユーロ危機。さらにささやかれる欧米資本主義の終焉…。
 世界なかんずく日本はこの先もはや上がり目など望むべくもない。そこから着想した言葉だったのだろうと推察されます。

 我が国を取り巻く深刻な状況から、五木寛之はこの時代を「下山の時代」と命名したのです。確かに言いえて妙なところがあります。(同氏の近著に『下山の思想』あり。)
 かつてバブル絶頂期を頂点に、国民全体がひたすら上(経済的繁栄)を目指して進んで行けばいい時代は完全に終わりました。
 下山の今の時代は、経済一辺倒ではない新しくて深いビジョンが求められるとする同氏の考えには同感です。
 また闇雲に上を目指していた時代よりも、下山の時代は下界に広がる景色をじっくり眺めて降りていける、より精神的な豊かさも発見できるという考え方にも共感できます。

 ところで話はいきなり飛躍しますが、冒頭に掲げた神言です。
 「大峠には上りもあれば下りもあるぞ」
 「大峠(おおとうげ)」とは、大本(教)以来唱えられてきたことで、人類は「この世始まってかつてない“世の大変”」を迎えるという事態を指しています。あらゆる指標から、今がまさにそのプロセスの真っ只中とみることができそうです。

 その観点から、五木寛之の「下山の思想」は一面ではその通りと思うのです。しかし『日月神示』では「上りもあるぞ」とのお示しです。もの皆下りゆく一方のようなこの時代、何が「上り」だというのでしょうか。
 それは五木寛之が下山に一緒に含めてしまっている「精神的豊かさ」を向上させていかなければならないということだと思われます。今の局面は、物質的豊かさ(体)から見れは「下り」であり、精神的豊かさ(霊)からみれば「上り」だということです。言い換えれば、今ほど精神的豊かさの追求にとって好条件の時はないということです。

 そのことから私流の浅読みでは、「大峠」とは「霊と体」との絶妙なバランス地点のことなのではないだろうか、と思われます。この世は今後ますます精妙世界に進化していくことが予測されます。しかし当面「霊のみの世界」にはなりません。半分は体的側面が残るのです。
 「霊に偏してもならず、体に偏してもならず」。「霊五体五」の絶妙なバランスこそ必要だということです。

 「すり鉢に入れてこね回しているのざから、誰一人逃れようとて逃れられんのざぞ」という厳しいお示しもあります。「世の大変」に巻き込まれないためにも、今地上にいるすべての人に、「霊五体五」の生き方が求められているのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

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懐かしき『西遊記』


 上の絵は、18日のグーグルトップの「変わりロゴ」です。『西遊記』をモチーフにしたものであることは明らかです。
 今回も「グーグル遊び心」満点です。孫悟空のところをクリックすると、悟空はくるっとこちらに向き直り目をギョロつかせて笑うし、(別嬪天女が大勢いる天界の不老長寿の)桃は食われるし、伸縮自在の如意棒はロゴを飛び越えて画面いっぱい予測不能な右回転、左回転をし出すし…。

 で今回は、『西遊記』の作者の「生誕何100周年」ということか、それにしてはいつになく大昔の話だぞ、と不審に思いました。
 と、やはりそんな大昔のことではなく、「万籟鳴 万古蟾 生誕 112周年」ということなのでした。すると今度は「万籟鳴 、万古蟾」なる人物と、『西遊記』との関わりがさっぱり分かりません。

 検索の結果、万籟鳴(ウォン・ライミン)万古蟾(ウォン・グチャン)は双子の兄弟で、1941年長編アニメ映画『西遊記 鉄扇公主の巻』を製作したことが分かりました。
 えっ。1941年とは、日本の年号で言えば昭和16年ですよ。第二次世界大戦の真っ只中で、この年の12月8日の真珠湾攻撃によって日米戦争の火蓋が切って落とされた年でもあります。日中間でも、1937年(昭和12年)以来中国各地で日中戦争が泥沼化していた時代です。

 そんな暗雲垂れ込めた時代に、よくもアニメ映画など作れたものです。やはり製作地はアジアの一大文化都市上海だったのでしょうか。大連、北京、南京そして上海…。ということは、次々に日本軍に蹂躙されつつある中で、祖国愛に燃える万兄弟による大きなレジスタンスの意味合いがあったことでしょう。
 民族の心を奮い立たせるにしても、「中国三大奇書」の『三国志』や『水滸伝』は当時の技術ではアニメ化は難しい。その点、孫悟空のキャラクターから『西遊記』が選ばれたのでしょうか。

 日米開戦前夜の極東の一等国日本には、もうアニメ映画を作る余裕も遊び心もありはしません。その映画がどんな出来ばえだったのか知る由もありませんが、いずれにしてもアジア初の記念碑的アニメーション映画となったのです。
 どんな出来ばえ?手塚治虫は戦後『ぼくの西遊記』を描きましたが、「万兄弟アニメ」から強い影響を受けたほどのものだそうです。

 私にとって最初の『西遊記』は漫画でした。昭和33年頃(私が小学校2、3年頃)当時の少年漫画雑誌に『西遊記』が連載されていたのです。
 当時の少年は誰もそうだったことでしょう。まだテレビもゲーム機などもなかった時代、「漫画」は子どもたちの大きな娯楽でした。私もいっぱしの「漫画少年」で、当時お世話になっていた町の母子寮で、毎月各戸に回ってくる『少年画報』『少年』『冒険王』などの漫画雑誌(月刊)が待ちどおしくてたまりませんでした。

 その中に『西遊記』があったのです。漫画家の名前もはっきり覚えています。「杉浦茂」です。当時子どもたちに最も人気のあった竹内つなよしの『赤胴鈴之助』が正統漫画とすると、こちら『西遊記』は“変てこ”な描き方の漫画なのです。
 それで私より2つほど年上の先輩などは「何だよ、こんな漫画」と吐き捨てていましたが、私には存外面白かったのです。第一主人公の孫悟空からして笑っちゃうキャラクターで、愉快なしぐさで…。

 あゝこんな感じだったんですかねぇ。何せもう半世紀も昔読んだもの、うすらぼんやりとしか覚えていませんし、少し違ったイメージもあったのですが…。ただやっぱり懐かしいですね。

 私は小学校4年生から今度は「本の虫」になり、以後漫画からは遠ざかりました。だからマンガ事情はほとんど分からず、作者の杉浦茂も『あんな変てこ漫画を描いてたくらいだからどうせ三文漫画家だろ』とばかり思っていました。
 しかしなかなかどうして。杉浦茂(1908年~2000年)は手塚治虫などとともに、戦後漫画家を代表する一人だというではありませんか。戦前は『のらくろ上等兵』の田河水泡に師事し、戦後は独特のナンセンスギャグ漫画が熱狂的に支持され、その作風は赤塚不二夫などに受け継がれていったのだそうです。
 代表作は『猿飛佐助』。こちらは私が漫画に熱中した頃既に連載を終えていたようです。『猿飛佐助』も『少年西遊記』もずっと後になってから復刻版が出されています。

 次の記憶は、小学校高学年の時に観たアニメ映画『西遊記』です。調べましたら1960年公開の東映作品だそうです。手塚治虫の『ぼくの孫悟空』をベースに、東映黄金期に若い芸術家たちのエネルギーが結集した娯楽力作だったそうです。国内では文部省選定映画となり、海外での評価も高く「ベニス映画特別大賞」を受賞しています。
 後の「アニメ大国日本」のきっかけとなった映画だったのかもしれません。

西遊記のストーリー画像1

 どこかでも触れましたが、当時の田舎町の小学校では月に一度くらい、午後から町の映画館で映画を観ることもレッキとした授業の一環でした。この映画もそれで観たのです。

 確かこの映画についてだけは、国語の宿題として感想文を出させられました。ある日の夕方外で遊んでいて、そのことがふと頭をよぎり『どうやって書いだらえがんべ』と思ううち、頭の中で映画の中の美しいシーンがパーッと広がり思わずうっとりしてしまいました。
 それは冒頭まもなく、孫悟空や仲間の猿たちが元気に遊び回る、大きな滝つぼのような洞窟のシーンでした。実際映画館で観た時も、そのシーンのあまりの美しさに息を呑んだのでした。

 (大場光太郎・記)

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ニュートン世界と量子世界(4)

-脳の鍛錬でニューロンもシナプスも増えていき高度な「あの世情報」が得られる-

 量子力学によって科学は、「あの世のとば口」にようやく辿り着いたようです。
 「万物は波動なり」。最先端科学では、素粒子やクォークが最極微の単位といわれています。しかしどうやらさらにその奥に、「幽子」「霊子」「神子」と仮称し得るような超々微細要素が無限に連なっていそうです。
 「あの世のあの世、さらにまたその奥のあの世」。仏教の「空観」でいえば、「空の空のまた空の、そのまた空の空々の」という想像を絶する超々精妙波動世界…。

 話を少し現実的なところに戻します。
 私たちの脳内のシナプスは「この世とあの世が出会う場」である、というのは大変刺激的です。「インスピレーション」「直観」「閃き」などと呼ばれる超高度情報は、シナプスを飛び越え幾多のニューロンを経て「この世の私たち」にもたらされる、究極の「あの世情報」なのかもしれません。
 インスピレーションは「霊感」と訳されます。この訳語は、それがどこからもたらされたのかを言い得て妙といえるのではないでしょうか。

 世に言う「天才」とは、脳内の「ニューロンハイウェイ」の通りが良く「シナプスジャンクション」との連結もうまくいき、かつ脳内くまなく張り巡らされきちんとネットワーク化されているような非凡人をいうのかもしれません。
 例えば西洋音楽史上最高の天才と讃えられるモーツァルトは、交響曲でもピアノソナタでもバイオリン協奏曲でも、作曲する前にその曲全体のイメージを頭の中で完璧に把握していたと伝えられています。だからモーツァルトにとっての作曲とは、脳内で既に存在している「天来の楽の音(ね)」を、ただ五線譜に書き写すだけの作業に過ぎなかったのです。
 並みの作曲家が曲想につまり、ウンウンうなりながらワンフレーズごとを「ああでもない、こうでもない」とこねくり回すのとはおよそ訳が違うのです。

 モーツァルトは別格としても、歴史上の芸術的天才にはこのようなエピソードがまゝみられます。
 ルネッサンスの天才ミケランジェロは、かの『ダビデ像』を、彫刻する前の大理石の中に既に鮮明な3Dイメージとして思い描いていたに違いありません。
 同じくルネッサンスの偉大な作家ダンテは、美しい恋人ベアトリーチェの死の痛苦によって本来の天才性が呼び覚まされ、かの『神曲』の地獄篇、煉獄篇、天国篇の各篇の構想が怒涛のように押し寄せてきたのかもしれません。

 今回の一方の主役であるニュートンですら、木からリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したといわれているではありませんか。もっともこの有名なエピソードは、後世の誰かによって流布された根拠のないものだそうですが。
 いずれにせよ「この世の大法則」であるニュートン力学完成の元となったのは、インスピレーションという「あの世の情報」だったことは間違いなさそうです。

 「天才」たちの逸話には大いに興味をそそられますが、ひと先置いといて。
 問題は私たちです。凡人たる私たちは、どうして自在にインスピレーションや閃きが得られないのでしょうか。芸術的インスピレーションなど要らないとしても、日常生活や仕事上のことで、ちょっと卓抜なアイディアでも得られれば、それによって今より明るい未来が開けるかもしれないのですから。

 しかし悲しいかな、いくらこねくり回しても駄作的なものしか出てこない。やはり天才と凡俗は頭の構造が根本的に違うのでしょうか。
 以前はそう信じられていました。しかし最近の脳科学の進歩により、人間に持って生まれた頭脳の優劣などあまりないことが定説になりつつあります。大脳新皮質だけでも約140億個もの脳細胞があるといわれています。通常人はそのうちわずか数パーセントしか使っていないそうです。これをあと10パーセント使っただけで、アインシュタインレベルに到れるといいます。

 要は頭脳も筋肉などの身体機能と一緒で、使わなければどんどん萎縮し、使えば使うほどニューロンやシナプスなどの未使用の回路が開かれていくらしいのです。使えば使うほど頭は良くなっていくのです。

 脳にとっての何よりの栄養素は、「希望」「自信」「信念」「感謝」「感動」「好奇心」「探究心」などの明るい前向きな気持ちのようです。それと、より高度な情報は「あの世」からもたらされるわけですから、「優れたスピリチュアル情報」を得る努力も不可欠です。
 また「左脳偏重」が現代人の特徴ですから、大容量のイメージ脳である右脳を開発し、左右両脳のバランスを取る心がけも必要です。天才たちは例外なく抜群のイメージ力を有しています。

 「加齢によって脳も退化する」などという怠惰な常識は打ち破りましょう。70歳でも80歳でも、ニューロンやシナプスを増やすことは可能なのですから。
 「脳の若さは体の若さ」。共々生きている限りは創造性に溢れ、身も心も若々しく、元気溌剌でありたいものです。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『マグダラの書』(トム・ケニオン、ジュディ・シオン著、鈴木里美訳-ナチュラルスピリット刊)
『ウィキペデイア』-「ニュートン力学」「ニュートン」「シナプス」など
『相対性理論とニュートン力学』
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kareno/zatudan/soutairon2/soutaironm04.htm
東京都神経科学研究所サイト『シナプスとは』(なお同サイトから、本シリーズ(2)中のシナプスの図と、シナプスの記述の概略を借用致しました。)
http://tmin.igakuken.or.jp/medical/17/synapse1.html

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ニュートン世界と量子世界(3)

 -ニュートン世界は「この世」、量子世界は「あの世」という仮説について-

 冒頭お断りしておきます。前回「ニューロン」について触れませんでした。ニューロンとは、既に述べた「神経細胞」のことをいいます。神経細胞というよりニューロンといった方が一般的なので、今後はその表記に替えさせていただきます。

 そこで前回の要約をすればー。
 脳内に無数に張り巡らされたニューロンのネットワークによって、私たちの脳は想像以上の情報を得ることが可能となり、かつその情報を記憶するなどの大きな働きをして、日常生活をいっそう豊かなものにしています。
 このニューロンとニューロンの間にある間隙が「シナプス」なのでした。

 20nm(20ナノメートル) = 0.00000002m
 このような極微のサイズが、ニュートン世界と量子世界を分ける境目なのでした。
 神経が捉えた刺激はニューロンを通って伝わり、次のニューロンにたどりつくためには、この極微の間隙を飛び越えなければならないわけです。
 それはニューロンの距離を通り、ハードルを飛び越えて次のニューロンに移るリレー競争をしているようなものです。実際にハードルを飛び越えるのは、「神経伝達物質」と呼ばれる分子です。

 こうして無数の神経伝達物質が、常にシナプスのハードルを飛び越えているわけです。だから毎瞬が、約20nm未満の分子による「量子イベント」ということができます。神経伝達物質の中には、ジャンプに成功するものと失敗するものとがあります。ジャンプに成功した神経伝達物質のみが、次のニューロンで反応を起こすのです。

 五官(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)による感覚知覚のみならず、私たちの「思考」も常にこのステップを経ています。これらのハードルが脳内の思考を司る部分(大脳新皮質)にあると、私たちは思考を体験するということになるのです。
 このように私たちの思考の源は、量子的現実の不思議な“トワイライト・ゾーン”に存在しています。時として、奇抜で予測不能な思考が出てきたりするのはこのためです。

 ここからは、これまでの科学的知見から、思い切って「量子的飛躍」(クォンタム・リープ)してみましょう。
 今から20年以上前天外司朗(てんげ・しろう)という人が、『ここまで来た「あの世」の科学』という本を出しベストセラーになったことがありました。
 この本の中で同氏は、量子力学の育ての親といわれるニールス・ボーアが打ち出した「明在系」「暗在系」という用語を巧みに使っていました。明在系とは本考におけるニュートン世界で、暗在系とは量子世界ということになります。

 ところが天外氏は、明在系を「この世」暗在系を「あの世」と大胆な仮説を打ち出したのです。思い切ってこの仮説に乗っかってしまえば、私たちは脳内のシナプスによって、「この世とあの世が出会う場」を有していることになるわけです。
 思考を例に取れば分かりやすいかと思いますが、その結果私たちの思考の本源は「あの世」(量子世界、暗在系)だということになるのです。だから幾つものニューロンを通りシナプスというハードルを飛び越えながら、私たちに“思考の素”を届けてくれる“思考伝達物質”である分子は、あの世からの“メッセンジャー”のようなものといえるのです。

 既にみたとおり、分子、原子、電子、素粒子などは、「粒子」であるとともに「波」でもあるのでした。粒子は物質性、波は非物質性、エネルギーなのですから、分子以下の超ミクロ体は物質にして物質に非ず、という何とも摩訶不思議な性質を持っていることになります。分子以下の超ミクロ物質は、この世とあの世を行ったり来たりできるようなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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ニュートン世界と量子世界(2)

 -ニュートン世界と量子世界が、私たちの脳内神経組織「シナプス」で出会う-

 通常の大きさの物体はニュートン力学に従います。しかし前回みたように、分子、原子などの超ミクロレベルになると必ずしもニュートン力学に従うことはなくなるのでした。その非ニュートン力学的運動や性質などを探求するのが、量子力学の役割であるわけです。

 目に見えるたいがいの物体は、上から下へと、落差が大きいほどより重力加速度を増して落下します。これはその物体にニュートンの万有引力の法則が働いていることの動かぬ証拠です。なぜそうなるかと言えば、りんごでも石コロでも何でも、これらの物体は重力場を持つに十分な質量(密度、重さ)を有するからです。

 ところが分子以下の超ミクロの世界では様相が一変してしまいます。
 分子でも原子でも電子でも、一定方向への引力が働いていようがいまいが、上にも下にもスピンしたりと自在に飛び回るのです。
 なぜこんな勝手気ままな振舞いが出来るかと言うと、分子以下はあまりにも幽(かす)かな質量であるため、重力場の影響を受けずに運動できるからです。

 ここから分かることは、ある物体(分子や原子も一応物体とみなします)がニュートン力学の影響を受けるか否かの境目となるのは、その物体の「サイズ(大きさ)」にありそうです。
 ある一定サイズ以上だとニュートン力学の影響を受け、それ以下のサイズだとその影響を免れ、量子力学のアプローチに待たなければいけないということです。

 ではニュートン力学と量子力学とを分ける境目となるのはどれくらいのサイズなのでしょうか。
 これはズバリ「20nm」です。
 「nm」とは「ナノメートル」ということで、1nmは1/10億mです。だから20nmは「0.00000002m」ということになります。いずれにしても人間の肉眼で可視できる範疇を遥かに超えた、想像を絶する超ミクロな不可視の領域です。

 今ひとつピンときませんので、不可視の物体を大きいものから順にたどってみましょう。
 アメーバ→1/1万m、赤血球→1/10万m、バクテリア→1/100万m、牛痘ウイルス→1000万mと小さくなり、次に高分子(大きな分子)→1/1億m、(通常サイズの)分子→1/10億m、小さな分子、原子→1/100億mと続きます。
 もうこのレベルともなると通常の顕微鏡では見えず、電子顕微鏡でようやく可視できるレベルです。

 以上ここまで長々と述べてきたのは、他でもない、私たち人間の脳内にニュートン世界と量子世界の出会う場所があるとされるからなのです。
 私たちの脳内の神経細胞間にはごく小さな間隙が隠れています。このような神経細胞間の空間は「シナプス」と呼ばれ、これらの間隙の平均距離がおよそ「20nm」で、ニュートン力学と量子力学との境目のサイズと一致するのです。



 上の図はシナプスの概念図です。シナプスを簡単に説明します。
 脳には千億とも言われる膨大な数の神経細胞が存在し、これらの神経細胞はお互いに情報をやりとりすることで、外界あるいは内臓からの膨大な情報を処理しています。そしてこれらは特定の神経細胞同士が連絡し合い、回路を形成しています。その神経細胞間のつなぎ目の特殊な構造をシナプスというのです。
 例えば目が赤いリンゴを見た場合、網膜の感覚細胞が光や色を感受し、その信号が神経を伝わって脳の奥の方に入っていって「赤いリンゴ」と認識するわけです。

 それまでに幾つもの神経細胞を乗り換えて信号が伝わります。その信号が乗り換えるところを、神経のつなぎ目ということで、ギリシャ語で「繋ぐ」という意味のシナプスと呼ぶのです。(シナプスには、電気シナプスと化学シナプスの2種類があります。)
 つまりシナプスは神経細胞が他の神経細胞や、その効果器官(筋肉、腺細胞)などに情報を伝える場です。今日では、シナプスの数が増加したり減少したり、あるいはシナプスの形態が変化することが、脳の機能すなわち学習、記憶、運動機能に直接的に反映されると考えられています。

 近年電子顕微鏡で見た結果、神経と神経のつなぎ目(シナプス)には、約「20ナノメートル」の間隙があることが分かり、このシナプスこそがニュートン世界と量子世界が出会う場所として関心を集めているわけなのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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ニュートン世界と量子世界(1)

 -まずは、ニュートン力学と量子力学の決定的な違いなどについて-

 のっけから何ですが。「私たち人間の頭脳の中に、ニュートン世界と量子世界が出会う仕組みがある」、そう言われたらどうお感じでしょうか。
 今回は脳内にそんな驚異の仕組みが本当にあるのかどうなのか、その辺について述べてみたいと思います。

 その前に、ニュートン世界と量子世界とは何か、この両世界の違いとは何かなどについて、簡単にみておかなければなりません。

 まず「ニュートン世界」とは、ニュートン力学が通用する世界ということです。ニュートン力学とは、近代物理学の祖といわれるアイザック・ニュートン(1643年~1727年)が体系化した一連の物理法則のことです。中でも「万有引力の法則」は有名ですが、現代物理学においても、ニュートン力学は「我々が日常扱うスケールでは有効な理論」と捉えられています。
 この地球上のことのみならず、太陽系、銀河系さらには230万光年離れたアンドロメダ銀河のことも、要は観測できる宇宙のすべての現象は万有引力の法則で計算しています。

 ところが20世紀前半古典的なニュートン力学に異を唱える理論が出されました。アルバート・アインシュタイン(1879年~1955年)の相対性理論です。
 大ざっぱに言って、この両者の大きな違いは「空間の曲がり加減」だとされます。ニュートン力学の方は「空間は曲がっていない」と仮定したときに成立する理論なのです。方や相対性理論では「光や重力によって、空間は曲がっり伸び縮みしたりする」ことを前提としています。
 ただブラックホールなど特殊な場以外の宇宙のほとんどすべてはニュートン力学が通用することは既述のとおりです。

 20世紀前半以降もう一つの重要な理論が形成されていきました。量子力学です。(「量子世界」とは、量子力学が適用される世界ということになります)。
 その過程で、分子、原子、電子、素粒子などの非常に小さなスケールの現象を扱う場合、ニュートン力学などの古典力学では説明できない現象がまま見られることが分かってきたのです。
 一般に広く知られてきたこととして。これら超ミクロな原子や電子などは、「粒子(物質性)」を持つと同時に「波(非物質性、エネルギー性)」も有していることが分かってきたのです。また光や電磁波も、波としての性質を持つと同時に粒子としての特徴を持つことも分かってきました。

 さらに驚くべきこととして、よく引き合いに出される「光の実験」があります。光には波性と粒子性の両方があることは上でみたとおりです。実験者が「波」として光を探している場合、光は実験者のリクエストに応えるかのように「波」として現れるのです。次に実験者が「粒子」として光を探した場合は同様に「粒子」として現れるのです。
 実験者の「意識」によって、光はその性質を変えるということです。

 何とも奇っ怪な話ではないでしょうか。
 地球世界を今日の形に導いてきた西洋近代科学は、そもそも「主体」と「客体」を厳密に峻別することから始まったのでした。その上で各時代の科学者たちは、外なる自然万物に向かって、営々と仮説・実験・実証を繰り返し、成果を次代に引継ぎながら今日に到っているわけです。

 実験者(主体)が実験対象である光(客体)に影響を及ぼすなど、およそ有り得ざる“想定外”の事態です。今日まで世界をリードしてきた西洋近代原理の否定にもつながりかねません。
 しかし大丈夫です。私たち人間が可視できる通常の物体では、上の量子力学的現象はまず起こり得ず、したがってその影響を考慮しなくてもいいからです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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美しすぎる「フォレスタ」

-うら若い美女たちが日本の古き良き歌を歌ってくれていたなんて。感謝、感激 !-

    (「フォレスタ 別れのブルース」YouTube動画)
     https://www.youtube.com/watch?v=nm7FAa85xnc
     
 過日の『「別れのブルース」秘話』作成過程で、スゴイ“掘り出し物”を見つけました。それはコーラスグループ「FORESTA」(フォレスタ)を知ったことです。
 淡谷のり子さんの歌う『別れのブルース』ユーチューブ動画から、たまたまフォレスタの歌う『別れのブルース』を見つけたのです。

 何の気なしにそれを聴いてみました。いやあ、びっくりしたのなんの ! しびれるほどうまい『別れのブルース』ではありませんか。まずもって独唱の女性の声量の豊かさと美声に驚きました。そして後に続く3人の女性コーラスが、この歌の雰囲気をさらに高めてくれています。
 ウ~ン、まいった ! 私はこの歌を一度聴いただけで「フォレスタファン」になってしまいました。

 彼女たちの歌う『別れのブルース』は、淡谷さん独特のクセのある歌い方とは明らかに違います。特に際立っているのが独唱の吉田静(よしだ・しずか)さんです。この歌は低音から高音まで音域の幅があり、歌うのが難しい歌だそうです。それをメゾソプラノという彼女は軽くクリアーし、見事自家薬籠中のものとして歌い上げています。
 吉田さんは豊かで伸びのある声量ですが、さりとて目いっぱい声を張り上げるのではなく、抑制の効いた歌い方です。この歌の歌詞を深く理解しているようです。
 多くの人が「名唱」と讃え、ある人は別の歌のコメントで「吉田さんは“平成のブルースの女王”だ」とまで激賞しています。

 吉田静さんを支える3人のコーラスも含めて、不純物をすべて取り去ったような、完成度の高い澄み切った『別れのブルース』といえると思います。それもそのはずで、彼女たちは全員音大声楽科卒業の実力者ぞろいなのです。一人一人が立派にソロを張れ、実際他の歌では互いにソロが入れ代わっています。
 しょっぱなに聴いてひときわ印象深いせいか、『フォレスタの別れのブルース』はフォレスタの代表曲の一つといっていいかもしれません。
 彼女たちが歌うこの歌を聴いて、泉下の(今時の歌手には取り分け厳しかった)淡谷さんも、「あらまあ、あなたたちずい分うまいわねェ !」と生前の名調子で舌を巻き、ひそかに喜んでいるかもしれません。

 「フォレスタ動画」は、昨年7月一人の人が、さらに1ヶ月後別の人が大量に投稿してくれています。私は既に30曲ほど聴きましたが、まだまだありそうです。
 イヤホーンで聴いている私には、後から投稿された「loveforesta」さんの方が音量が大きくて聴きやすいので、主にそちらを中心に聴いています。そのloveforestaさんのあいさつコメント。
 「フォレスタが大好きです。
  懐かしい曲と新しいハーモニーで中高年を魅了します。
  もっと有名になりいろんなところで出演してほしく
  応援する心でアップします。」
 私も全面的に賛意を表させていただきます。

 「噂のフォレスタ」。私が今まで知らなかっただけで、今から7、8年前の2003年、BS日本テレビ『BS日本・こころの歌』(月曜夜10時~)開始に当たり、番組オリジナルの混声コーラスグループとして結成されたのだそうです。「混声」ですから男性グループも別にあります。歌によっては男性のみあるいは混声コーラスという場合もあります。
 ただ今回は『美しすぎる・・・』ですから、女性グループのみ取り上げます。

 女性メンバーは2006年オーディションで選ばれた4人が始まりのようです。その時のメンバーは、白石佐和子さん(武蔵野音楽大学大学院修了)、矢野聡子さん(武蔵野音楽大学卒業)、小笠原優子さん(東京音楽大学卒業)、中安千晶さん(国立音楽大学卒業)の4人でしょうか。この4人で多くの歌を歌っていますからそう思うだけで、断言は出来ません。(なお『別れのブルース』コーラスは、右から白石さん、矢野さん、中安さん。)

 吉田静さん(武蔵野音楽大学大学院修了)は前の4人より遅れての加入のようです。以来吉田さんの出番が増えて、代わって「ミス東京音大」だった小笠原さんが抜けるケースが多いようです。ただ歌によっては5人そろって出演している場合もあります。
 フォレスタの歌のほとんどはピアノ伴奏のみ、たまにアカペラの時もあります。ピアノを演奏するのは南雲彩さん(武蔵野音楽大学卒業)と、吉野翠さん(武蔵野音楽大学卒業)です。(『別れのブルース』は南雲綾さん。)

 こんなうら若い美女たちが、日本の古き良き歌謡曲、童謡、唱歌などを歌ってくれている。そういう歌をこよなく愛する“中高年”の一人として、心から嬉しく思います。以前の「坂入姉妹」さんもそうですが、本当に「フォレスタ」がどんどん有名になって、若い人たちもそれらの歌を好きになっていってもらいたいものだと思います。
 (「フォレスタの歌」、これからもずい時取り上げていきたいと思います。)

【注記】3月21日、loveforstaさん提供のすべてのフォレスタ動画が聴けなくなりました。大変残念ですが、これはloveforstaさんご本人の都合によるもののようですので仕方ありません。そこで今回、冒頭の『別れのブルース』動画をnewminamiさんご提供の動画に差し替えました。ただし本文のloveforstaさん引用部分はそのまま残しました。

 (大場光太郎・記)

関連サイト
フォレスタ公式サイト『フォレスタ通信』
http://foresta.music.coocan.jp/main/foresta.html
関連記事
『「別れのブルース」秘話』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-aeeb.html
『坂入姉妹と童謡「ないしょ話」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-74c6.html

【注記】
 4月13日「newminami」さん投稿動画がすべて視聴できなくなってしまいました。ということは当然この『別れのブルース』も。とガッカリしていましたら、21日新しい人が『別れのブルース』を含む、『ブルー・シャトー』『学生時代』『コーヒールンバ』『赤いランプの終列車』などを新たにアップしてくれました !
 この勢いですべてのフォレスタ曲の復元を期待したいものです。ラブ、フォレスタ !  (4月23日)

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かなえの殺人レシピ(16)

-プロ捜査員が「こんな手強い女初めてだ」と根をあげた“かなえ”の公判始まる-

 09年11、12月以来久しぶりの「かなえの殺人レシピ」です。木嶋佳苗被告(37)の初公判が10日、埼玉地方裁判所で行われました。

 この初公判によって、当ブログも“お祭り状態”です。10日から『かなえの殺人レシピ』シリーズにアクセスが殺到しているのです。もっとも兆候は数日前からありました。その頃から2年余前のこのシリーズへのアクセスが増え始めたのです。
 事件発覚当初からそうでした。さすがのテレビ・週刊誌なども「美人詐欺師」とは銘打てなかった、肥満体30代女が起こした一連の事件に、世間は際立った関心を寄せたのです。それに目をつけ(?)私も同シリーズを思い立ったのでした。

 『かなえの殺人レシピ』は(1)から(15)まで続きました。私の意図として、後々この事件に関心を持った人が、この事件の全容、木嶋佳苗の生い立ちや人間性などについてあらまし分かるような資料的なシリーズにしたい、というのがありました。
 そのため当時は、夕刊紙、スポーツ紙、週刊誌、ネット情報など可能な限りの資料を集め、取捨選択してより確度の高い情報に組み立てなおしたつもりです。が、果たしてその任に堪えていますことやら。

 今もって世間的関心が高いのは、結婚話を餌に分かっているだけでも十数人もの男性を手玉に取り、合計“億単位”もの金を巻き上げた天才詐欺師としての側面に対してなのでしょうか。あるいはそれに飽き足らず、証拠も残さぬ手際で数人の男性を殺害した、残忍な殺人鬼としての側面にでしょうか。本裁判員裁判が木嶋にどんな判決を下すのかに注目しているのでしょうか。
 いずれにしても木嶋被告は、稀に見る天才詐欺師、殺人鬼で、まさに「平成の大毒婦」と呼ぶにふさわしいようです。

 10年初頭から小沢一郎民主党元代表の陸山会事件が火を吹きました。こちらは木嶋事件などとは次元が異なります。検察・マスコミという官報複合体による、この国の根幹に関わる、政界のキーマン抹殺のための由々しき「冤罪」事件なのです。
 そのため私の関心は勢いそちらに向かい、木嶋事件や押尾事件への関心が薄れていきました。以来今回の初公判まで、木嶋佳苗に関する情報は私もほとんど知りません。そこで今回は、『日刊ゲンダイ』の同初公判記事を転載することに致します。 (大場光太郎・記)

                       *

「無罪主張」 有罪に持ち込むのは難しい

 「私は殺していません」ー。“婚活殺人犯”こと木嶋佳苗被告(37)は10日の初公判殺人容疑をきっぱり否認した。検察にとって前途多難の雲行きだ。
 木嶋が逮捕されたのは09年9月。このときは50代男性への詐欺容疑だったが、その後、大出義之さん(当時41)、寺田隆夫さん(当時53)、安藤健三さん(当時80)の3人を殺害した容疑で再逮捕された。大出さんと寺田さんは練炭による中毒死、安藤さんは焼死だった。

 木嶋は金銭目的で男たちに近づいてカネを詐取し、関係を断ち切るために殺害したー。これが検察の見立てだが、なにしろ証拠がないのである。
 「事件には練炭やコンロ、さらに睡眠導入剤という共通項があります。木嶋がこれらを購入していたことは立証できるし、大出さんと安藤さんの体内からは同じ睡眠導入剤が検出されている。だけど木嶋がクスリを飲ませ、練炭に火をつけたという証拠がないのです。寺田さんにいたっては司法解剖もしていないので睡眠導入剤を飲まされたかも不明です」(捜査事情通)

 裁判で、検察は木嶋と男性の関係を追及した。木嶋が大出さんに「避妊しなくて構わない」というメールを送ったことを明かし、セックスをちらつかせて金銭を要求した点を浮き彫りにしようとした。ところが木嶋は「私は結婚することを真剣に考えていました」「お金を取っていません」と“純愛”をアピール。したたかだ。

 さらに木嶋の弁護士は寺田さん、大出さんと別れた事情を「性交渉がうまくいかなかった」と説明。セックスの相性が悪いため木嶋のほうから愛想を尽かしたというのである。別れを切り出されるや、大出さんは木嶋の自宅にあった練炭とコンロを譲ってくれと頼んだとか。クルマに練炭を積んで2人で出かけ、木嶋は駐車場で降ろされた。そのあと大出さんが練炭自殺したという主張だ。

 元東京地検検事の落合洋司弁護士はこう分析する。
 「目撃者も指紋もゼロ。これまでの裁判員裁判で一番難しいケースです。検察は和歌山の毒入りカレー事件のように状況証拠を積み上げいく方針でしょうが、あちらはヒ素という特殊な物質を使っていたからこそ有罪に持ち込めた。この事件は練炭という誰もが入手できる道具を使っているため証拠としては弱い。裁判員が事実認定に臆病になることも考えられ、まさに予断を許さない裁判です」

 当の木嶋はこの2年余り、支給食をペロリと平らげるうえに、自前でハンバーグやシャケ、幕の内などの弁当を取って食べている。この日もでっぷりと太っていて、健康そうだった。検察はどう考えても苦しい。 (転載終わり)

引用
『日刊ゲンダイ』1月12日7面
なお『かなえの殺人レシピ(1)~(15)』のURL表示は致しません。必要でしたら、グーグルやヤフー検索、または当ブログトップの左サイト下の検索窓などでご検索ください。                   

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小沢一郎インタビューpartⅡ

-小沢元代表が「マヤ暦」に言及したのには驚いた。(『日刊ゲンダイ』より転載)-

「野田じゃダメだ」「政界再編に動く」覚悟

 2012年はどういう年になるのか。世界恐慌の足音は日増しに高まっているし、消費税増税に入れ込む野田政権はひたすら、自爆の道を突き進んでいる。未曾有の政治的混乱は避けようがなく、どう考えてもロクな年になりそうにないのだが、小沢一郎・元民主党代表の「見立て」も同じだった。「カオス」の年の“展望”と“覚悟”を聞いてみた。

小沢一郎元代表大いに語る 

2012年は世界中がカオスになる

 今年は何が起こるのか。こう問うと、小沢はいきなり、「マヤ暦を研究した方がいいんじゃないか」と言った。
 マヤ暦とは2012年に人類が滅亡するという終末論のひとつだ。(注 当ブログで再三述べたとおり、人類が新たな進化のステージを迎えるということで、滅亡予言ではありません)。もちろん、小沢は象徴的な意味合いで「マヤ暦」を持ち出したのだが、実際、大混乱の年になりそうだ。
<だって、世界中の指導者が代わる可能性があるわけでしょう。アメリカ、フランス、ロシア、韓国は大統領選があるし、中国は国家主席が代わる。EUもグチャグチャでしょう。世界中がカオスの年になる。もちろん、日本も例外ではありません>

この年だけど、黙って見ているわけにはいかない

 こういう小沢は、具体的に政局のシミュレーションを語り始めた。
<国会議員はみんな正月に地元に帰った。消費税増税や年金問題について、散々怒られて帰ってくると思う。野田政権は政権発足後、毎月、10%ずつ支持率が落ちている。そういう政権が消費税増税を打ち出した結果、どうなるのか。僕は、本当の世論は大新聞の世論調査結果よりもはるかに厳しいと思っています。それを国会議員たちは実感して国会に帰ってくる。この調子で下がれば、1月は20%になるかもしれない。現実はもっと厳しいから、ほとんど支持者がいない状況です。そんな時に選挙になったら、民主党はほぼ全滅ですよ。かといって、自民党も過半数を得られない。今年は選挙の年になるとみられていますが、このままでは、自民も民主も安定した政権をつくれません>

 政治は何も決められずに漂流していく。小沢は、「それを避けるために、野田政権は確固たる信念を持ち、政権交代の原点に戻るべきだ」と言う。しかし、それができれば苦労はしない。野田が原点回帰などやるわけがない。その時は、党分裂、政界再編の動きにならざるを得ないのではないか。

消費税増税に国民は賛成するか?

<「国民の生活が第一」という民主党政権の原点を野田政権が忘却のかなたに追いやるのなら、国民サイドから動きが出てくると思います。正月早々消費税増税の路線を明確にした場合、国民は“よかった”と言うだろうか。政権運営は極めて難しくなる。その場合、あらゆる選択肢があります。せっかく政権交代したのに、このままではオシマイ、全員アウト。そういう状況になった時は、民主党内も野田政権ではダメだ、となるんじゃないか>

 小沢氏はそう言ったうえで、付け加えた。
<世界が混乱する中で、日本の政治もカオスになる状況だけは絶対に避けなければいけない。僕は、民主党が潰れても、自民党なり他の党が安定した政権をつくってくれるのであれば、心配はしない。しかし、そうならないのなら、この年だけど、もうひと働きしなきいけない。このまま日本がカオスになり、泥沼に落ち込むのを黙って見ているわけにはいかない。過半数をとって安定する政権、体制を考えなければいけないと思う>

 安定多数とは衆参で過半数を得ている政権を指す。小沢はそれを目指すという。つまり、政界再編だ。小沢は民主党の惨敗、自民党のメルトダウンを見越している。その前後に、政界再編の流れが出てくる。その時のリーダーは誰なのか。
<きちんと自分の政治理念を掲げ、自分の責任でそれを訴え、自ら決断、実行していくリーダーです。ただし、その理念には高い見識と志が不可欠。ただ、郵政改革だけすればいい、といった次元ではない。日本をつくり替える理念です。今は平時ではない。真のリーダーが必要なのだが、なかなかいないですね>

 自身が先頭に立つ覚悟を決めているのは間違いない。裁判は1月に小沢自身への質問が行われる。「春に晴れて無罪になったらどう動く?」と聞いたらこう言った。
<世界も日本も僕の裁判とは関係なく進んでいく>
 大政局は春まで待たずに動き出す。  (転載終わり)

引用
『日刊ゲンダイ』1月5日3面
関連記事
『「小沢一郎」インタビュー』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-3c3b.html

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『別れのブルース』秘話

 (淡谷のり子が歌う『別れのブルース』ユーチューブ動画は削除されました。)

 昭和12年(1937年)、淡谷のり子が歌って大ヒットした『別れのブルース』(作詞:藤浦洸、作曲:服部良一)。今ではあまり聴かれることも、歌われることもなくなりました。しかしこの歌は『影を慕いて』『君恋し』などとともに戦前を代表する、昭和モダニズムの名曲だと思います。

 1番の出だしからノスタルジックで情緒的な港夜景が浮かび上がってきます。そしてこのフレーズから既に、「この歌はどこで作られたのか」「この歌で歌われている港はどこなのか」が分かってしまうのです。
 あけた「窓」とは、ホテルニューグランドの窓です。作詞家・藤浦洸(ふじうら・こう)は戦前のその時期、このホテルの3階に宿泊してこの歌を作詞したのです。

 「ホテルニューグランド」とは、横浜市中区の山下公園通りを挟んだ山下公園の真向かいの街区にある由緒あるホテルです。この一帯の建物は大正12年(1923年)の関東大震災でほぼ倒壊し、同ホテルは同大震災後に建造されたものです。
 ニューグランドは、それまで横浜を代表する外国人ホテルだったグランドホテルに因んで、地域的にその跡地と近接していたこともあり、海外客に対して後継館であることをアピールする狙いから建造されたのです。
 開業時から、来日した喜劇王のチャーリー・チャップリンや大リーガーのベーブ・ルースといった有名人、皇室や英国王室といった賓客、国内の作家や文人などが数多く訪れた格式高いホテルです。
 また連合国軍司令官のダグラス・マッカーサーも、日本進駐直後ここに滞在しています。

 ホテルニューグランドの3階の窓からは、山下公園を挟んだその先に、横浜港に突き出した大さん橋が見えます。だからこの歌のメリケン波止場とは「大さん橋」であるのです。
 ただ一般的に「メリケン波止場」と言う場合、兵庫県神戸市の神戸港にあった第三波止場を指したようです。同波止場のすぐ近くに明治維新直後に米国領事館が置かれたことから、「アメリカン」の原語発音が転訛して「メリケン」波止場と呼ばれるようになったものです。
 ただし横浜港の大さん橋も同じく「メリケン波止場」と呼ばれていましたから、歌詞としてはつじつまが合うわけです。

 藤浦洸はホテルニューグランド3階客室の窓を開けて、自身が実際に横浜港の夜景を眺めたのです。そこから、うら若き女性が同じ窓辺に佇み、メリケン波止場が潤んで見える叙情的な港夜景を見つめているうちに切ない別れを回想する、という一連の歌詞のストーリーを得たのだと考えられます。

 最後に今からちょうど4年ほど前、有名な音楽サイト「二木紘三のうた物語」の『別れのブルース』にコメントした一文を転載します。それ以後何ヶ月か、同サイトのコメントスター(?)として同サイトを大いに盛り上げ(大いにお騒がせした?)、さらには同年4月の当ブログ開設にもつながった、そのきっかけのような一文だけに今読み返しても感慨深いものがあります。(なお、ほんの少し手直ししています。)
                      *
 1999年9月22日淡谷のり子さん逝去。92歳。直後某テレビ局で追悼番組が組まれました。その中で、生前の淡谷さんが『別れのブルース』にまつわる印象的なエピソードを語っていました。
 ・・・太平洋戦争末期。淡谷さんは各戦地を慰問に訪れていました。ある航空基地でのこと。集まった兵士たちが途中で淡谷さんに敬礼しながら、次々に去っていくのです。事前に「特攻隊員たちが出征のため、中座するかもしれませんので」と上官に説明を受けていましたから『あゝ、飛び立っていくのね』と思いながら、歌い続けました。しかし
 「よく見ると、まだあどけなさの残る、私の弟のような年頃じゃありませんか」
 そんな彼らが、屈託のない天真爛漫な笑顔で淡谷さんに敬礼しながら、死地に赴いて行くのです。
 「途端に涙があふれて、声がつまって続きを歌えませんでしたよ」・・・
 「二度と逢えない 心と心」。 究極の「別れのブルース」です。

参考
コロンビアレコード原盤『別れのブルース』 (歌のテンポも少し早く、戦後の淡谷さんの歌い方とだいぶ違います。)
http://www.youtube.com/watch?v=GXm0mSmj8ks
『ウィキペディア』-「ホテルニューグランド」「メリケン波止場」の項
関連記事
『歴史を知れば横浜はもっとおもしろい』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9cbf.html

 (大場光太郎・記)  

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歴史を知れば横浜はもっとおもしろい

                                山崎洋子 (作家)

 意外かも知れないが、横浜の歴史はなぜかあまり興味を持たれていない。街としては知名度も人気も抜群なのに、その歴史となると、一般的には「ペリーが来たんでしょ?」くらいにしか認識されていないのだ。2009年に開港150周年を迎えたが、その折り、横浜市役所、中区役所といった中心地の行政にすら、開港の歴史に興味のない人が多いことを知って驚いた。
 それでいて「特異な歴史のある街」というイメージだけは強い。私は数年間、横浜観光親善大使の審査員を務めさせていただいたが、「横浜の魅力はなんだと思いますか?」という問いに対して、応募者のほとんどが「古さと新しさが混在していること」と答えた。
 「新しさ」は「みなとみらい」だ。しかし「古さ」となると、なぜかみんな曖昧になる。「洋館がたくさんあって……」「開港の歴史が……」と実に大ざっぱで、具体的なものが出てこない。じつのところ、古い洋館も決して多くはない。県庁、税関、開港記念館という横浜三塔も、山手にある観光名所の洋館も、大正・昭和のものだ。「外交官の家」は明治43年の建設だが、東京の渋谷から移築したもの。開港場横浜を彩った幕末・明治の建造物は、残念ながら関東大震災、横浜大空襲で消えてしまったのである。
 「物」が見えないと、歴史は頭に入りにくい。また、横浜には年々、新しい名所が出来ていく。昨年はみなとみらいにカップヌードルミュージアムが誕生した。赤レンガ倉庫や象の鼻パークは歴史を残したものじゃないか、と言われるかしれないが、ショッピングビルと化した赤レンガ倉庫や象の鼻パークから、いにしえの姿を偲ぶのは難しい。他所から来た友人に、「雰囲気を味わいながらこの街の歴史を知りたいわ」などと言われるたびに、さてどこへ案内して、どんなふうに話そうかと悩んだものだ。
 で、いまはもうコースを決めている。開国・開港のエピソードを語るには、山下公園通りを歩くのが一番。元は砂洲だったこのあたりに、素朴な横浜村があった。そこが思いかけずに米和親条約交渉の場に選ばれ、さらに港が築かれて「冒険者の都」となった。元町も中華街もその過程で生まれたのである。
 そんな話をしながら歩くうちにホテルニューグランドが現れる。華やかな国際都市だった横浜は大正12年の関東大震災で焦土と化した。そこからの復興シンボルとして、このホテルが建造された。横浜でもっとも伝統と格式のあるホテルだが、終戦後は米軍に接収され、最高司令官だったマッカーサーを迎えている。横浜の光と影を色濃くまとったこのホテルは、ドラマチックな秘話の宝庫だ。
 そこでこういった話を一冊の本にまとめてみた。タイトルは『横浜の時を旅する-ホテルニューグランドの魔法』(春秋社)。この街の賑わいや美しい夜景を堪能されたら、胸躍る歴史のエピソードにも、ぜひ目を向けていただきたい。 (転載終わり)

                       *
【私のコメント】
 上の一文は、有隣堂書店(本店横浜市中区伊勢崎本町1-4-1)の広報紙『有鄰』最新号の2面右上段コラム『「海辺」の創造力』に寄せられた横浜エッセイです。昨年10月の藤原帰一氏の『ほんとうの横浜』に次いで2回目となります。

 山崎洋子という作家は今まで存知上げませんでしたが、少し調べましたので略歴を簡単にご紹介します。
 山崎洋子(やまざき・ようこ)氏は、1947年京都府宮津市生まれ。少女時代横浜市に転居し市内の県立新城高校卒業。コピーライター、児童読物作家、脚本家を経て、1986年『花園の迷宮』で第32回江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。1995年『熟月』で第16回芳川英治賞受賞。夫は脚本家の山崎巌氏。テレビ朝日系『スーパーモーニング』のコメンテーターとして出演していた。最近では、『横浜開港絵巻 赤い崖の女』(2008年)『港町ヨコハマ異人館の秘密』(2010年)などの“横浜モノ”がある。

 同じ神奈川県内とは言っても、県東端の横浜市と県央地区の当厚木市ではずい分離れています。
 業務の関係上県の本庁舎や分庁舎などに月に1、2度行くことがあります。横浜は“好きな街”なので、その時見聞きした横浜なかんずく県庁舎近辺の“ディープ横浜”の小紀行文をこれまで折りに触れてずい分公開してきました。
 横浜三塔のうちの県本庁舎、開港記念館。横浜スタジアム、山下公園、馬車道、大桟橋、赤レンガ倉庫。ランドマークタワーにみなとみらい地区などなど。

 しかしそれらはたまに横浜を訪れた余所者がちらっと見聞し、あくまでのぞき見しただけの横浜スケッチにすぎません。
 それは現在見えている姿であり、山崎先生ご指摘のとおり、考察が横浜の歴史に及ぶことはめったにありません。私自身が横浜の歴史などあまりよく知らないのですから。それに私の小紀行文の及ぶ範囲はせいぜいみなとみらい地区から山下公園くらいまで。
 いつか業務を離れて、山手の洋館群、外人墓地、みなとが見える丘公園あたりをじっくり散策してみたいものとの想いすら、今の私には望外な望みのようです。

 山崎先生が上の文で指摘されている事は、ひとり横浜だけの問題ではないのかも知れません。函館、神戸、長崎なども横浜と同様の事情で、幕末期その地の様相がにわかに急変し、以後エキゾチックな歴史性を帯びた街として一大観光都市となっていきました。これらの街並みにも似たり寄ったりの事情がありはしまいか、と思うのです。

 さらには関東大震災、大空襲による由緒ある街並みの消失に加えて、戦後はもう一つ重大な要因も考えなければなりません。それは「歴史的街並みの保存」という思想をそっちのけにした、都市開発、都市整備という名の「旧市街破壊」です。これによっても、横浜をはじめ東京、京都、鎌倉、名古屋、大阪などの全国各都市の下町情緒などがずい分失われてしまったのではないだろうかと思うのです。      (大場光太郎・記)

引用
『有鄰』2012年1月1日号2面『「海辺」の創造力』
関連記事
『ほんとうの横浜』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b57f.html
『「赤い靴の女の子の像」実見記』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_2c19.html
『横浜の秋風に吹かれて(1)~(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/index.html
『神奈川県庁本庁舎にて(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/index.html

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美しすぎるバイオリニスト

 -「ミス日本」に選出された事もある美貌のバイオリニスト・松本蘭さんのこと-   

松本蘭の画像 

 まずは今回のヒロイン松本蘭(まつもと・らん-28)さんの素顔をご覧いただきました。掛け値なしの超美形です。目鼻立ちのくっきりしたモデルタイプ。身長170センチの長身でスレンダー体形。長い黒髪。艶然とした笑みとたおやかな身のこなし…。
 25歳の時「ミス日本」に選出されたのも当然と思わせられます。

 そして何よりプロのバイオリニストというのですから。私のような門外漢からすれば、バイオリニストは女性、それも美人というのが通り相場のイメージです。実際他に美人バイオリニストは多いことでしょう。その中でも松本蘭さんは、「天は二物を与えず」ということわざをいともあっさり破り、美貌と音楽的才能という二物を与えられたような美しい女性です。
 こうなれば、当ブログの「美しすぎる○○」シリーズの一人に是非とも加わっていただかなければ収まりがつきません(笑)。

 松本蘭さんはプロのバイオリニストとして、異ジャンルのアーティストとのコラボレーション、ステージでの情熱的なパフォーマンスで今注目されています。加えて美貌の独身女性ときていますから、目ざとい男性ファンが急増中なのです。

 松本蘭(以下敬称略)は埼玉県川越市出身。家庭は特に音楽一家ではなかったそうです。それが3歳から近くの音楽教室でバイオリンを習うことになったのは、両親が「バイオリンを弾いてる女の子」に憧れたためだそうです。
 しかしそんな両親のおかげで彼女自身バイオリンの魅力に取りつかれてしまったのです。そのくらいですからどんどん上達していき、幼い頃からステージに立つ喜びを感じていたといいます。

 地元の公立小学生の時に転機が訪れます。母親の「国立音大附属小の編入試験を受けてみない?」という薦めに従って試験に臨み、15人中一人だけという難関に見事合格したのです。
 彼女はそのまま附属高まで進みます。ただ大学は桐朋学園大学に進み、同大学では徳永二男同大教授に師事します。徳永教授は東京交響楽団やNHK交響楽団などでコンサートマスターを努めた人です。

 バイオリニストとして既に有名な高嶋ちさ子も徳永教授の弟子だそうです。その縁で松本蘭は高嶋ちさ子と出会います。それによって彼女のバイオリニスト人生が劇的に変わることになります。
 松本自身、高嶋の「クラシックをもっと身近なものにしたい」という活動に共感していました。そこで早速『高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト』のメンバーに加わり、3年間活動しました。その頃の感想を松本は次のように話しています。
 「ステージから見るお客さまは飛びっきりの笑顔で演奏を楽しみ、万雷の拍手で応えてくれる。荘厳な雰囲気の中で行われるクラシックのコンサートとは別世界でしたが、本当に充実した毎日でした」

 25歳、ソロとして活動する直前、母親の一言に驚かされます。「ミス日本コンテストの書類選考を通ったよ」。母親という人はいっぱしのステージママタイプだったらしく、彼女に内緒で応募していたのです。最終審査でグランプリこそ逃したものの、ミス日本「ミス着物」に選ばれました。
 同時期にアルバム「蘭ing」でCDデビュー。先行配信されたiTunes限定バージョンは、クラシックチャート1位を獲得しました。

 今後の意気込みなどについて、松本蘭は次のように熱く語っています。
 「言葉では《伝えられない》ものでも、バイオリンを通して《感じあえる瞬間》があると思います。たとえば切ない旋律を弾いた時、単に切ない音色を聴いて物悲しくなるのではなく、お客さまそれぞれの切なくて悲しい記憶を呼び覚ますことが出来るー。そういう力が音楽にはあると信じています。賛否両論がありますが、異ジャンルとのコラボなどを通してバイオリンの持っている可能性、私自身の可能性を求めてチャレンジしたいと思っています」

 「美貌のバイオリニスト」松本蘭さんの弾くバイオリンの“美貌の音色”を、一度生の演奏で聴いてみたいものです。

参考・引用
『日刊ゲンダイ』-「あなたがナンバーワン」シリーズ(2011年11月28日12面)
参考サイト
『松本蘭 オフィシャルサイト』
http://www.j-two.co.jp/ran/
『高嶋ちさ子 12人のヴァイオリニスト オンステージ』-YouTube動画
http://www.youtube.com/watch?v=BJF8NTi5uLo&feature=relmfu

 (大場光太郎・記)

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「感謝」について

   感謝のこころは
   奇跡の扉を次々と開き、
   天の恵みを倍増する !
   もし人生で恵まれていないと思うなら
   あるいは人生の質をいまより
   もっと高めたいと願うなら、
   この古代からの手法を磨きなさい、
   人生のあらゆる分野を向上させるために、
   もちろん、豊かになるためにも。

       -テロスの大神官アダマ・メッセージより

 前回の『ツキを呼ぶ魔法の言葉』で、「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」「運がいい」の4つの言葉をご紹介しました。これらの「魔法の言葉」の根底にあるのは「感謝の心」ではないでしょうか。そこで今回は「感謝」について少し考えてみたいと思います。

 子ども時代親や学校の先生から、あるいは長じては仕事上の対人関係やさらにはものの本などから感謝の重要性を教わり、また自ら経験の中で身をもって学んできました。しかしいざ日常という肝心のレッスンの場では、つい忘れがちなのが感謝ではないでしょうか。
 物がふんだんにある現ニッポンに生きる私たちは、おごりの心がつい出てしまい、欲しい何かがあって当たり前、もしなければ不満たらたらとなりがちです。
 ましてや五日市剛氏のように「イヤなことがあったらありがとう」など、それをやり続ければ「確実にツイてくる」と分かっていても、なかなかやり続けられるものではありません。

 それは、私たちは今ひとつ「感謝の重要性」への認識が足りないからなのかしれません。

 「感謝」を考える時私が思い浮かべるのは、「世界人類が平和でありますように」の提唱者の五井昌久先生(1916年~1980年)のエピソードです。
 五井先生は「感謝の達人」と言っていいような人で、「神様ありがとうございます」という“感謝の祈り”一筋で、誰も達し得ないような高い境地に到ったのだそうです。30代の修行時代のある日、五井先生は満員電車に乗っていたそうです。その時の先生は片方の足が化膿して腫れ上がった状態だったのです。その足を近くにいた人から思い切って踏まれてしまったのです。飛び上がるほどの痛さです。しかし謝るその人に向かって真っ先に出た言葉が「ありがとうございます」。
 ここまでくると全託、全肯定、全感謝です。これでしょうね、感謝の極意とは。

 冒頭のアダマメッセージの中に、「この古代からの手法を磨きなさい」とありました。どうやら一口に感謝といっても、奥行きはうんと深く、限りない高低、浅深がありそうです。

 以前『喜びのタネをまこう(3)』(09年8月)で「意識の地図」について触れました。意識の状態を数値化した場合、「勇気 200」を中心として、「プライド」「怒り」「欲望」「恐怖」「悲惨」「無感動」「罪悪感」「恥」は、物理法則のエントロピー増大をモロに受ける負のスパイラルの低レベルなのでした。(中でも「恥」が最低で20。)
 対して勇気より上の「中立」「意欲」「受容」「論理」「愛」「喜び」「平和」「悟り」は、上に到達するほどこの世の物理法則(3次元の呪縛)を免れ、自由度が拡大する高い意識レベルなのでした。

 この意識の地図では、どこにも「感謝」は出てきません。しかし少し考えてみれば、ブライド以下の意識状態は感謝とは無縁らしいことが分かります。そして感謝とは、勇気、中立より上の意識状態において生じてくるらしいことも。
 ここから言えることは、感謝を習慣にしている人ほど「意識レベルが高い」とみてよさそうだということです。
 この意識の地図は「アセンション」に関わるものです。感謝の深い人ほどガイアアセンションの流れに乗っている人なのです。

 最後に「感謝の重要性」について述べている本についてご紹介します。それは『ザ・シークレット』で、世界中で2000万部を突破したという驚異的な大ベストセラーです。この本の中で著者のロンダ・バーン女史は次のように述べています。

 これまで、いろいろな本を読み、「秘密」を使って様々な経験をしてきました。その中で、感謝することの効果が何よりも高いことが分かりました。もし「ザ・シークレット」の中の知識をただ一つだけ選ぶとしたらそれは感謝です。感謝があなたの生き方になるまで、習慣化しましょう。

引用
『レムリアの真実』(オレリア・ルイーズ・ジョーンズ著、片岡佳子訳、太陽出版)
『ザ・シークレット』(ロンダ・バーン著、山川紘矢・山川亜希子・佐野美代子訳、角川書店)
関連記事
『ツキを呼ぶ魔法の言葉』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-84e3.html
『喜びのタネをまこう(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-ec49.html

 (大場光太郎・記)  

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ツキを呼ぶ魔法の言葉

 新しい年のスタートに当たり、取って置きの「魔法の言葉」をプレゼントします。
 「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」「運がいい」

 昨年暮れ、相当量たまって床に積み上げっ放しのネット情報のA4印刷物を整理していました。その時すぐに読み返したい幾つかの記事があり、別に取り分けました。その一つが今回ご紹介する『ツキを呼ぶ魔法の言葉』です。関連記事が2、3あり、それぞれホッチキス止めしてあります。
 プリントアウトしたのが2005年11月、各記事もまたその直前のものとずい分前の記事です。今回改めて読み返してみて、新たな気づきが得られたのです。

 これらの記事は、当時大評判だった『ツキを呼ぶ魔法の言葉』という小冊子によるものです。小冊子の著者は五日市剛(いつかいち・つよし)という人で、同氏の講演録をまとめたものだそうです。
 04年8月に発売されましたが、口コミで全国に広まりあっと言う間に20万冊以上(05年10月時点)も売れる大ベストセラーとなったのです。それで当時ネットでも、幾つものサイトでその小冊子のことが取り上げられたわけです。これをお読みの方の中にも、既にご存知の方がおいでかもしれません。

 五日市剛氏は昭和39年7月生まれで、国立宮城高専卒業後、豊橋技術科学大学に編入学。その後米マサチューセッツ工科大学に留学、工学博士号を取得。帰国後某大手企業で新規事業及び研究開発に従事。現在は企業経営の傍ら、数社の研究顧問を務め、またツキを呼ぶコンサルタントとして全国を講演して回っています。
 そんな五日市氏、26歳の時のイスラエル旅行の際一人のユダヤ人のおばあさんに出会います。宿泊する宿が見つからず難儀していたところ、そのおばあさんが親切にも自分の家に泊めてくれたのです。

 このおばあさんの親切はそれだけではありませんでした。しょぼくれていた五日市青年に含蓄に富む話をいろいろ聞かせてくれたのです。その中でも特に感銘を受けたのは、以下のような話です。

 「ツキというのは、実は簡単に手に入るものなのよ」
 「あのね、ツキを呼び込む魔法の言葉が二つあってね。一つは『ありがとう』、もう一つは『感謝します』。普段何気なく使っている言葉だと思うけど、使い分けるといいわ。・・・そうね、どんな些細なことでもいいから、イヤなことがあったら『ありがとう』。逆に、良いことがあったら『感謝します』。何度も繰り返し繰り返し言うのよ。そしたら、絶対にツイてくるわ。本当よ」
 
 またおばあさんは次のようなことも言いました。
 「絶対に人の悪口は言ってはダメ。言えば言うほど、あなたからツキはなくなっていくわ。人の口から発せられる言葉はね、魂を持っているものなの。だからネガティブな言葉を言ってはダメ。「てめえ !」「クソったれ !」「死んじまえ !」などと汚い言葉を平気で使っている人はね、そういう人生を歩むのよ。だから、きれいな言葉を使いなさい」

 以上が「ユダヤのおばあさんの教え」のエッセンスです。小冊子『ツキを呼ぶ魔法の言葉』はこれが骨子となっているようです。五日市剛氏の非凡なところは、この教えをそのとおり即実行し続けたことです。
 「ありがとう」「感謝します」それに加えて「ツイてる」「運がいい」。
 これらの「魔法の言葉」を口グセにしたところ、それまでつかなくて悩んでいたのがウソのように、信じられないようなツキにどんどん恵まれて人生が好転していったといいます。

 特に、嫌なことがあった時こそ「ありがとう」あるいは「ありがとうございます」。これは直接言葉に出さずに心の中で唱えてもいいのでしょう。しかしいざ実践するとなると存外に難しいものです。
 確かこれを読んだ当時私も『これはいいことを知ったぞ !』と小躍りし、当座何度かイヤな場面で試したかと思います。そして実際効果てき面だったのです。
 イヤなことがあった時にイヤな対応を返しては、ますますイヤな負の連鎖が重なるばかりです。そこで逆転の発想で、イヤなことがあった時こそ「ありがとう」。これで負の連鎖は断ち切られるわけです。

 ただ頭で分かるのと実践し続けるのとでは大違いです。
 私の場合、素直な気持ちは長続きしなかったのです。すぐに『嫌な目にあったのはあっちのせいだ。オレは悪くない。なのにどうして“ありがとう”だ?』というような人間心(悪魔心?)が鎌首をもたげ出したのです。そしてついには『ありがとう』も『感謝します』もすっかり忘れ、関係記事も長らく積読状態だったというわけです。

 以来6年ほど、何かというとすぐ出てくるのは「不平」や「不満」ばかり。道理で、ツキに見放され逆に「不幸感」が増すばかりだったわけです。
 今回改めて『ツキを呼ぶ魔法の言葉』関係記事を読むことになったのは、何かの「気づけシグナル」なのかもしれません。年も改まったことですし、もう一度初心に返って、特に「イヤな時こそありがとう」を、今度こそ習慣にできるよう努めていきたいと思います。

 当ブログでも今後なるべく人様の悪口は慎みたいと思います。と言いながら、「人」の中には例えば時の首相、閣僚、政権幹部、官僚、経済界、マスコミ、事件を起こした芸能人、闇の勢力なども含まれるわけです。
 だからこれらに対する批判も「悪口」だから一切ダメ?生長の家の谷口雅春教祖のように「悪魔にでも礼を言え」?ウ~ン、難しいところですね。最近では政治記事、事件記事、イルミナティ記事などが当ブログの目玉のようなところもあり、こういう記事がお目当てで訪問される方もおありなのですから。

 なるべく婉曲に、ユーモアを交えてという風な工夫は考えますが。それでは面倒なのでやはりどうしてもストレートに。
 悪口は日常生活の中で厳に慎むことにして。こういう人たちや組織は「公け」のもの、「公憤」゜義憤」に駆られ不正を告発するものであるということで、何とぞご了承くださいませ。

関連サイト 
『五日市剛のツキを呼ぶ魔法のサイト』http://itsukaichi.jp/

 (大場光太郎・記)

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黒幕“最高裁事務総局”の恐るべき正体 !

 『一市民が斬る !!』というサイトが、小沢裁判関連で問題視されている「最高裁事務総局」の実態に迫っています。最高裁事務総局は、小沢裁判のみならずこれまでの重要な裁判を裏でコントロールし、自分たちの都合のいい方向に判決を誘導してきた可能性があります。戦後66年も経過するのに、「法の番人」であるべき司法の中枢に、法を無視しねじ曲げる暗黒組織が存在しているのです。恐るべき前近代性であり、民主主義、法治主義の否定です。以下に転載します。
                       *

黒幕“最高裁事務総局”の恐るべき正体 ! 罠を仕掛けて小沢起訴 !


<小沢裁判でっち上げの黒幕は最高裁事務総局 !>

最高裁判所は法の番人として公正なジャッジを絶えず下してくれるところだと、多くの国民は信じてきた。
ところが、これはきれいごとで、最高裁は全く別の顔も持っているようだ。

最高裁判所の中には事務総局という強力な役所が存在する。ここが最高裁の別の顔だ。

この事務総局が、イカサマ審査員選定ソフトを開発し、他所から手嶋健課長を検審事務局に異動させ、彼にそのソフトを使わせて、"審査員にしたい人"を審査員にし、起訴議決をしてしまった。
陸山会裁判で、登石を裁判長に起用したのも事務総局のようだ。
その登石裁判長は、事務総局の意を受けて、推認に次ぐ推認で、3人の元秘書の有罪判決を下した。

一市民Tは、小沢事件の黒幕が最高裁事務総局だと確信したが、未だほとんどの国民はそれに気づいていない。

国民は事務総局の存在を知らないからだろうか。
あるいは、法の番人である最高裁判所が、そのような悪行に手を染めるはずがないと思っているからだろうか。

<最高裁事務局とは?>

事務総局について詳しく書かれている本があるので紹介したい。
岩波新書 新藤宗幸著
『「司法官僚」裁判所の権力者たち』

この著書の一節紹介(17~18ページ)
『日本の司法は、最高裁判所の内部に、巨大な権限を実質的に持つ司法行政機構=最高裁事務総局を整備してきた。そして一般の職業裁判官とは別に、一部のエリート職業裁判官を選別し司法行政に当たらせてきた。裁判官の裁判所内ばかりか地域社会における自由闊達な活動は、司法内部の行政機構によって、制約されているのではないか』

<最高裁事務局は強大な権力を持ち、司法行政を意のままに動かしている>

上記の本によると、戦後日本の司法行政を牛耳ってきたのが事務総局だ。

彼らは、以下の6つの機能を駆使し、自分達の権力の維持・拡大に日々怠りない。
事務総局の6つの機能
1.最高裁の規則・規定の作成
2.法律・政令の制定に関する法務省との交渉・調整
3.人事機能
裁判官に任命されるべき者の指名、裁判官の異動や報酬の決定
裁判官以外の職員の任命・異動など
4.予算に関する機能
5.裁判官合同会議・協議会の実施
6.司法関連の調査

<検察審査会事務局も、事務総局の完全管理下 !>

これも国民が全く知らない事実だ。

検察審査会は、立法、行政、司法の三権から独立した第四の権力であり、その検察審査会に入り込んで調べたり、強制したりすることはできないと、最高裁は言う。
これは全く違う。
最高裁は嘘をついている。

検察審査会事務局は、地方裁判所と同じように、最高裁事務総局の管理下の組織だ。

検察審査会に関する「規則・規定」は事務総局が作る。 
人事管理の全ては事務総局が受け持っている。
裁判所の職員が事務局に配属され、ローテーションされる。
予算管理も経理も、一切事務総局が行う。
使用機材やツールの作成も事務総局だ。
広報の仕事もやっている。
検察審査会の所在地は地方裁判所内だ。
一市民Tがよく訪れる東京第五検察審査会も東京地方裁判所内にある。

検察審査会事務局がやっているのはたった2つ。
審査員選定と審査会議の開催だけだ。

検察審査会事務局に頭脳はない。手足だけの存在だ。事務総局が頭脳なのだ。

<最高裁事務総局は国民の知らない裏で小沢起訴議決の準備をした>

事務総局は国民がわからないところで、以下の工作をした。
①09年4月 東京の2つの検察審査会事務局を第一から第六の6つに分け、局員2人の東京第五検審事務局を設立
②09年4月 東京第一検審事務課長に手嶋氏起用
③09年4月 東京第五検審事務局長に傳田氏を起用
④09年5月 "審査員にしたい人"を審査員に出来る審査員選定ソフトをつくり、検察審査会事務局に配布
⑤弁護士会に、起訴議決を誘導できる審査補助員を選定させた

<最高裁事務局の筋書き通りに踊った手嶋課長と傳田事務局長>

手嶋第一検審事務課長と傳田第五検審事務局長は、事務総局が敷いたレールの上を忠実に走った。
手嶋氏は、イカサマソフトを使って審査員にしたい人を傳田氏のところに供給した。傳田氏は審査会議を開催し、補助員と検察官の助けを借り起訴議決を勝ち取った。
手嶋課長が議決を公表した。
インチキ審査員の平均年齢をそのまま公表して物議をかもすことになった。事務総局は、平均年齢呈示の方法などについてまでこまかく指示していなかったと推察する。
事務総局のヤラセに乗ってしまった手嶋氏の狼狽振りをもう一度頭に刻み込んでほしい。
http://hatakezo.jugem.jp/?eid=6

<登石裁判長も、事務総局の意を受けて有罪判決を下した>

一市民Tも、陸山会裁判では無罪判決が出ると思っていた。
収支報告書の期ずれ記載など修正すればよいことで、裁判をするほどのことではないからだ。
ところが、登石裁判長は、「裏金授受があったと推認する」として、有罪判決を下した。これには驚いた。あまりにむちゃくちゃな判決だ。
こういう判決を言い渡せる裁判官だからこそ、最高裁事務局は登石裁判官を裁判長に指名したのだろう。
登石裁判長は、最高裁事務総局に尾っぽを振り、裁判官としてのプライドを捨て恥ずべきジャッジを下した。
まさに、一裁判官が巨大司法行政機構に飲み込まれたということだろう。

小沢さんは事務総局が張り巡らした網にかかってしまった。
事務総局にとって、小沢さんは余程都合の悪い存在ということなのだろう。

今年は、事務総局の正体を明らかにしていきたい。

2012年1月 3日  (転載終わり)

引用
『一市民が斬る !!』
http://civilopinions.main.jp/2012/01/13.html

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『トム・ソーヤーの冒険』を読んで

 グーグルロゴでの「マーク・トウェイン生誕176周年」に触発されて、昨年12月『マーク・トウェイン』記事を公開しました。その作成過程で私は『よしっ、トム・ソーヤーを読んでみよう』と密かに決めたのでした。

 そこで後日本厚木駅近くの厚木市中央図書館に立ち寄り、『トム・ソーヤーの冒険』(新潮文庫・大久保康雄訳)を借りて、その日から読み始めたのでした。ただ最近は活字を読むととにかく目が疲れることもあり、一気にという訳にはいきません。だから毎日気が向いた時に少しずつとなります。
 その結果年は越してしまいましたが、この元旦遂に332ページのこの本を読了することが出来たのです ! (と、誇らしげに語るほどの事でもありませんが。)

 マーク・トウェインが41歳で出版した『トム・ソーヤーの冒険』は、トウェイン自身の少年時代の自画像であったり、何人かの学校友だちの合成だったりしているようです。だから物語中の出来事にも作者自身や他の少年たちの体験が投影されているといいます。
 1835年クレメンズ家の五男としてフロリダで生まれたトウェインは、家族とともにミシシッピ河の流れに沿ったハンニバルという美しくて小さな村に移り住み、少年時代を過ごしました。だから『トム・ソーヤー』の舞台となる、谷間の小さな村や夢見るようなカーディフの丘や一大迷宮のマグドゥガルの洞窟などはこの村近辺そのままなのです。

 読み始めてすぐに「第二章 栄光のペンキ塗り」があり、規格外に大きかったグーグルロゴはここから採ったものだったのか、と直ちに了解されました。
 物語は両親を亡くしたトム少年を育て養ってくれているポリー伯母さんの家での出来事、機略に富むトムの村の少年たちとの遊びやいたずら、村の教会の日曜学校や学校で型破りなトムが巻き起こす大騒動などがユーモラスな筆致で描かれていきます。

 読み進めながら私は、『あれっ、これと同じようなストーリー、何かで読んだぞ』というデジャヴュにとらわれました。そしてその既視感をたどってみるに、それは08年の「生誕100周年」に読んだ『赤毛のアン』なのでした。
 同書でも村の日常生活、日曜学校、学校生活などの出来事が、並外れて活発で利発な赤毛の少女アン・シャーリーを通して生き生きと描かれていたのでした。

 L・M・モンゴメリが『赤毛のアン』を出版したのは1908年です。マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』出版の1876年から既に30年以上経っています。その間『トム・ソーヤー』は大ベストセラーとなり、欧米の英語圏を中心に広く読まれていたことでしょう。
 勝手な推察ながら、カナダの女流作家モンゴメリはこの冒険譚に強い刺激を受けて、「女の子版トム・ソーヤー」を着想したのではないでしょうか。
 もちろんアンは女の子ですから、トム・ソーヤーのように後半になるほど破天荒さを増していく行動半径の広がりはありません。それでも少女アンの活躍ぶりは『アン・シャーリーの冒険』としてもいいほどの痛快さがありました。
 なお、息を呑むほどに美しい自然描写は両作品に共通した欠かすことの出来ない要素です。

 ところで60歳を過ぎた者がこんなことを言うのも何ですが。私は以前『インナーチャイルド』という詩を作ったように、私自身の“内なる子ども”である「インナーチャイルド」を大切に育てていきたいと考えています。
 大人たちの実人生でインナーチャイルド性が発揮されるほど、より独創的で若々しく生きることが出来ると考えるからです。その面でも普段は心の奥深くに押し込めて外に出ないようにしている、私の中のインナーチャイルドを呼び覚ますのに、好奇心、茶目っ気、冒険心に満ちたトム・ソーヤーの物語は大変有効であるはずです。

 この一文をお読みになって、実際『トム・ソーヤーの冒険』を読んでみたいと思われた方もおいでかもしれません。ですからストーリーのあらましを述べることはしない方がいいでしょう。
 ただ一つだけ指摘しておきたいのは。この冒険譚の四分の一くらいのところで、“婚約”した少女ベッキーと仲違いして傷心のトムが学校を抜け出し、カーディフの丘の頂上にやってくる場面があります。トムはそこの槲(かしわ)の木陰の草むらに腰をおろし、再びベッキーの歓心を買うための少年らしい夢想に耽ります。

 道化役者、軍人、インディアンの大酋長。しかし最後に取って置きの事を思いつきます。
 「いや、待てよ、もっといいことがある。海賊になるのだ ! それにかぎる ! そう思いつくと、目の前にはっきりと展望が開け、想像できないほどのすばらしさで輝いた。」
 こうして「海賊のトム・ソーヤー」「カリブ海の恐怖の復讐者」をまざまざと想い描いてから、トムの実際の冒険譚はにわかに精彩を帯び出したように思われます。
 以来村人たちも滅多に寄りつかないような場所へと冒険は進み、トム少年はそれまでの日常生活の延長線での腕白坊主から、いっぱしの小悪漢(リトルピカレスク)へと成長を遂げていったようなのです。

 日常性を超えた異界的な場所への冒険には、何かしら異界性をまとった仲間が必要です。そこで登場するのが、ハックルベリー・フィンという村外れの大樽などをねぐらにしいつもボロ服を着ている浮浪児です。
 読みながらトムとハックと冒険を共有しているつもりの私は、二人の足元にも及ばないものの、私の少年時代の思い出の断片が懐かしく甦ってきたのでした。これはこの冒険譚を読んでの思いがけない功徳というべきです。

 主人公のトム・ソーヤーに勝るとも劣らず魅力的なのが「宿なしハック」です。ところがこの物語の結末で、
 「どちらを向いても文明の手かせ足かせで身動きとれず、手も足も出なかった。」
という状況に押し込められることになります。「天性の自由児」ハックの運命やいかに。
 私は間髪を入れずに、次はハックを主人公とした『ハックルベリ・フィンの冒険』を読み出しています。こちらは文庫本で650ページくらいと、いささか骨が折れそうですが。

関連記事
『マーク・トウェインのこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-bd5d.html
『「赤毛のアン」読みました(1)(2)』(『読書』カテゴリー)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat32006041/index.html
『(拙詩)インナーチャイルド』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_0b57.html

 (大場光太郎・記)

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「小沢一郎」インタビュー

 既存の新聞・テレビが小沢一郎民主党元代表にインタビューし、それを記事にしたり放送したりすることなどまずありません。小沢元代表自身真実を伝えない新聞・テレビを嫌って、もっぱらネット番組などに出演してその場で存分に所信を語っています。
 そんな中新聞紙として唯一の「小沢シンパ」が日刊ゲンダイです。その日刊ゲンダイが、「新春特別号」7面で『独占 小沢一郎激白-「検察と裁判、そして野田首相」』と(1面最上段で)銘打ったインタビューを掲載しています。「小沢一郎を首相に !」と思うのは私だけでしょうか。
 少し長文ですが、以下に全文転載します。
                      *

 2011年の政治は腹が立つことばかりだった。大震災・原発に対する不可解対応。菅政権は倒れたが、次の野田政権は増税路線一直線。国民にしてみれば「フザケンナ !」だが、こうした政治状況に、もっとも怒っているのはこの人ではないか。ふがいない民主党政権に対し、小沢元代表はどう動くのか。

小沢一郎 インタビュー (以下本文)

大震災は国を変えるチャンスだった

 民主党は09年総選挙のマニフェストで「地域主権の確立」を掲げました。僕は、東日本大震災は災いを転じてそれを実現する最大の機会だったと思います。
 地方に金を渡して、好きなように道路や橋、堤防を造ってくれ、と言えばいい。あれだけの惨状を目にすれば、中央の官僚だって反対できない。中央の官僚がいちいち査定し、補助金を出すのではなく、地方が考えて自分たちの予算を使う。そうすれば、地域主権が実現して、それが地方経済の活性化をもたらす。地方が自分で考えて、予算を作れば、事業のスピードが違うし、本当に必要な予算で、地元の企業に発注する。国、地方を通じて行政の無駄がなくなり、効率的になります。ユーロ危機で日本の輸出がメタメタになる中、内需拡大にもなる。
 それなのに、民主党政権はそうしなかった。政治家が「とりあえず、被害のひどい福島、宮城、岩手の3県だけでもやろう」と決断すれば、地域主権確立の突破口になったのに本当に残念です。
 依然として、中央省庁が被災状況を査定して霞ヶ関に持ち帰り、紋切り型の事業にばかり予算を付けている。それに、中央が補助金を出すシステムだと、地方の大きな事業は中央の大手企業が取ってしまうんです。被災地の仮設住宅にしても大手プレハブメーカーが受注して、東京から人を送って造った。これでは地方経済に役立たない。
 復興庁も「絶対反対」とは言いませんが、新しい役所をつくって、役人のポストを増やしてどうするのか。各省庁の機能を効果的に使えばいいんです。屋上屋を架せば、官僚支配の肥大化になる。そんな法律を通すのに膨大な時間をかけて、発足は春ですよ。それよりも早く地方が自由に使える金を配った方がよっぽどよかった。
 結局、民主党政権は中央省庁の権限を奪えず、従来の国の統治機能を変えられないままでいる。官僚の抵抗はありますが、政治の側に覚悟がないからです。明治以来の中央集権の官僚機構を根底から変える。そうした強い理念がないのだと思います。その点、大阪の橋下徹市長とは考え方が一致している。旧体制、すなわち既存の官僚機構、国の統治機構をぶっ壊す。それをやり遂げなければ、真に国民のための政治はできない。彼はそう考えていると思います。それなら僕も賛成です。我々民主党が主張していたことなのに、お株を奪われた格好です。
                      *
 裁判でずっと座っているのはきついですよ。しかし、僕が検察・法務官僚に屈してしまうと、日本の民主主義は崩壊してしまう。
 この問題は僕個人の問題ではなく、政権交代を目的にした野党第一党の党首に対して、何の証拠もないのに、検察が強制捜査を行ったということなんです。それが許されるなら、日本は法治国家でも民主主義国家でもない。
 これまでの田代検事、前田元検事らの証言などで、国民の皆さんも「やっぱり国家権力の乱用だった。最初から小沢を起訴して裁判にかけようと意図して捜査した」ということが分かってきたと思います。犯罪をなくすのが警察、検察の仕事なのに、犯罪人をつくろうとしたのか、それがあなたたちの仕事なのか、と言いたい。
 公判が進んでいる以上、「日本は民主主義なんだ」という結論をきちんと出さなければいけない。僕自身がみんなにそれを示さなければならない。そういう覚悟で闘っています。

野田政権の出方次第で「ありとあらゆる選択肢がある」

 野田政権のTPP交渉も疑問です。国内と国外で言うことが違う。向こうではアメリカにいいことを言って、日本に帰ってくると言い訳をする。こういう二枚舌の手法、姿勢が一番いけない。国内だけでなく海外からも信頼されなくなる。「何だ、アイツ。自分で言ったくせに、発表を訂正しろとか、ふざけるな」となっちゃう。
 野田首相が本当にTPP参加が正しいと思っているのであれば、「政治生命をかけてもやる」と言えばいいんです。そうやって、政治家が覚悟を決めなければ、外交になりません。
 僕は1980年にタフな日米交渉を経験した。通信や建設の市場開放に関する協議です。当時は1週間か10日間、朝から晩までギャンギャンやりあった。でも、最後は「いい仕事をしたね」と握手して別れた。

民主党は次の選挙で全滅だ

 政治家が筋道の通った話しをすれば、相手も分かってくれるものです。その前提として、政治理念やビジョンが必要なことは当然です。それがないと、官僚の言いなりになる。官僚の代弁者みたいなことになってしまう。彼らは事なかれ主義だから、それだと真の交渉はできないんです。官僚に対しても同様です。自分の理念を語り、筋道の通った政治方針をきちんと示す。そのうえで、「責任はオレが取る」と言えばいい。
 なぜ、それができないのか。よい言い方をすると、やり方を知らないのです。知恵と胆力ですね。今の民主党議員はその辺の基礎的訓練ができていない。ディベートの技術は勉強したのかもしれないが、制度論とか、政治の哲学、理念、それに基づく国家統治などを本気で議論してきたとは思えない。だから、どうしたらいいのかがわからない。官僚の言う通りにしか動けない。
 官僚の言いなりで、国家の統治機構の改革に手をつけなければ、いつまでたっても、マニフェストで国民に約束した「国民の生活が第一。」の政策を実行する財源なんか出てきません。自民党時代と同じことをやっていたら、金なんか余るわけがない。財源がないから増税だ、ということになってしまう。でも、先の総選挙から4年間、制度改革に手をつけずに、ただただ消費税増税なんて、国民は絶対に許さない。だから、僕は反対しているんです。
                       *
 こんなやり方では民主党は次の総選挙で全滅すると思います。しかし、起死回生の方法はある。2年前の夏の原点に返って、一つでも二つでもマニフェストを本気になって実行するしかない。国民は今も自民党がいいとは思っていません。「民主党が今度は本気になったな」と思ってもらえればまた勝てる。僕はまだ、野田政権が原点に返ることを期待しています。

安定政権を作るためには何でもやる

 例えば、先ほど話した地域主権を、せめて暫定的にでも震災地域でやる。「子供手当」もやるべきです。これは子どもはみんなで育てるという理念の話であって、財源や名称の問題ではない。
 では、野田政権が原点に戻る決断をしなかった場合はどうするのか。その時は、ありとあらゆる選択肢を考えます。どんな選択をしてでも、政治を落ち着かせなければならない。その一点につきる。
 金正日亡き後の朝鮮半島の緊張、ユーロ崩壊の危機、加えて、2012年は各国の指導者が代わり、カオスの年になる。どんなことをしても、差し迫った危機に対応できる政権をつくらなければいけません。 (転載終わり)                                  

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「2012年」年頭に思うこと

 新年あけましておめでとうございます

 
私はこの年をだいぶ前から意識してきました。それは開設以来その日に毎年「2012年12月22日」記事を出してきたことからもお察しいただけるかと思います。私にとってこの年は「運命の2012年」という認識をもってきたのです。
 かと言って「2012年問題」はスピリチュアル問題ですから、これと元旦早々真正面から取り組むのもどうかと思われました。そこでどうまとめていいのか思いあぐねていた時、大晦日の晩に読んだ、マーク・トウェィンの『トム・ソーヤーの冒険』の次の一節が思い浮かびました。

 「老齢や失敗を重ねることで心の弾力を失わないかぎり、いつしかその源泉がよみがえるのが、希望というものの性質なのだ。」 (新潮文庫版・大久保康雄訳より)

 この本全体の感想は全部を読み切ってからにしますが、この一節は後40ページ余を残してのトム・ソーヤーの冒険もいよいよ佳境、トムは絶体絶命かという場面での一節です。
 なるほどねえ。マーク・トウェインはいつぞやご紹介しましたように、皮肉たっぷりな警句が今でも世界的によく引用されているのでした。しかし時には、このようにハッとするような「光明の言葉」も散りばめていたわけです。

 この「希望」というキーワードによって別の連想が呼び起こされました。それは『ギリシャ神話選』カテゴリーのきっかけとなった「パンドラの匣(はこ)」物語です。
 “災い天女”パンドラは、ゼウスから託された大きな壷を持って人界に下りてきたのでした。そして知恵者プロメテウスの留守をいいことに、その弟のエピメテウスを蕩(とろ)かしてその妻に収まったのでした。夫の留守中暇を持て余したパンドラは、自分が持ってきた壷の中身を知りたくなります。そこでそっと封印を解いて開けてみると、中からは病気、悪意、戦争、嫉妬、災害、暴力など、ありとあらゆる「悪」が地上に飛び散り、その底に唯一残ったのが「希望」だったのでした。

 昨年我が国は東日本大震災、福島第一原発事故という二大災厄に見舞われました。その直後は被災地、原発周辺地のみならず、日本中が暗いムードに覆われました。しかしこの国総体としての「心の弾力」はまだ失われておらず、徐々に平静さを取り戻していったのでした。これは言い換えれば、国民が前途に「希望」を見出していった姿かと思われます。
 その意味で「百年に一度」「千年に一度」と形容された昨年の二大災厄は、日本にとっての「パンドラの匣」が開けられた出来事だったと言っていいのかもしれません。それではそれによって日本全体のカルマ(業)はきれいさっぱり祓われ、今年からはもう「希望」のみになると見ていいのでしょうか。
 我が国の置かれている状況を思いみるに、とてもそんな楽観視できる状況ではないように思われてならないのです。

 大震災、原発事故は昨年だけの一過性のものではありません。描かれたグランドデザイン通りに震災地復興のおおよその形が見えるまで数年はかかるのでしょう。
 原発事故の方はさらに深刻です。同時に4基もの原子炉が事故ったのは人類史上初です。廃炉して完全収束させるには、数十年どころか数百年という気の遠くなる話なのかもしれません。その間ずっとこの問題は、この国ののど元に刺さったトゲであり続けるわけです。

 これ以外にも難問山積です。ヨーロッパの金融危機の影響をいかに最小限に食い止めるか。それでなくても動脈硬化を起こしたように金が回らない、日本経済の景気回復をどう図っていくのか。少子高齢化社会の今後のあるべき国家モデルをどう構築していくのか。欧米資本主義の終焉が叫ばれる中、従前の対米従属で本当にいいのか。
 昨年末の金正日死去による金正恩への権力委譲はすんなりいくのか。東アジアに緊張が走る事態は起こらないのか。米国、中国、ロシアなど主要各国の首脳が軒並み交代する中、我が国外交は今後どうあるべきなのか。

 挙げれば切りがなさそうです。そんな中私が特に注視したいのは、イランを巡る情勢の緊迫化です。
 スーパーエリートたちが、一昨年からエジプト、リビアなど中東諸国の暴動、政変、革命を仕掛けたのは、「世界統一政府の完成」に独裁国家は邪魔だからです。同勢力は今イランに照準を定めているもようです。米国の産軍複合体とイスラエルは協調して、イランが戦端を開いてくれるようさかんにけしかけているのかもしれません。
 
 万一イラン・イスラエル戦争が勃発すると大変です。今から25年以上前「聖書預言」に興味を持って関係書を読んだことがあります。私の記憶に誤りがなければ、旧約聖書のどこかに、「イスラエルとイランとの戦端がやがて全世界を巻き込む最終戦争に拡大する」とあったかと記憶しています。(ただしイランは同国を表す古名で)。最近も触れましたが、イ・イ戦争は本当に『ヨハネの黙示録』で描かれたハルマゲドンに直結しかねないのです。

 イルミナティというのか、闇の勢力というのか、ユダヤ国際金融資本というべきか、あるいはそれらが複合した勢力なのか。いずれにしても聖書預言を成就させるべく動いている世界支配勢力が存在することは明らかなようです。
 これらの動きはすべて「NWО」(新世界秩序)により一層近づいているとみるべきです。これは闇の勢力による、「世界統一政府」「666管理社会化」がより一層進むことを意味します。

 ざっと見ただけですが、国内的にも国際的にも、年頭これだけの重大問題を抱えながら船出しなければならない年は今までなかったのではないでしょうか。
 戦後日本の総決算、欧米資本主義の終焉…。こんな表現ではとても足りず、数千年の現歴史そのものが根底からひっくり返る予感すらしてきます。まさに「マヤ暦の終わり」にふさわしい状況のようなのです。
 2012年の今年は、世界中の「パンドラの匣」が一気に開くことになるのでしょうか。であったとしても、飛び出すべき災厄がすべて飛び出せば後残るのは「希望」のみです。

 以前「産みだし」は「膿(ウミ)出し」だと述べたことがあります。まっさらな新しい世界を産み出すには、旧世界で溜め込み化膿している膿(カルマ・業)をすべて出し尽くさなければならない道理です。国々、処々、家々、人々。すべて出し切ってしまえば、後はスカッと日本晴れです。
 とにかく独立個人として今年一年を無事乗り切り、問題の「2012年12月22日」を希望を持って迎えたいものです。

関連記事
『マーク・トウェインのこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-bd5d.html
『パンドラの匣』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-98fb.html
『アセンション情報』(「2012年12月22日」など)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat42266063/index.html

 (大場光太郎・記)

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