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懐かしき『西遊記』


 上の絵は、18日のグーグルトップの「変わりロゴ」です。『西遊記』をモチーフにしたものであることは明らかです。
 今回も「グーグル遊び心」満点です。孫悟空のところをクリックすると、悟空はくるっとこちらに向き直り目をギョロつかせて笑うし、(別嬪天女が大勢いる天界の不老長寿の)桃は食われるし、伸縮自在の如意棒はロゴを飛び越えて画面いっぱい予測不能な右回転、左回転をし出すし…。

 で今回は、『西遊記』の作者の「生誕何100周年」ということか、それにしてはいつになく大昔の話だぞ、と不審に思いました。
 と、やはりそんな大昔のことではなく、「万籟鳴 万古蟾 生誕 112周年」ということなのでした。すると今度は「万籟鳴 、万古蟾」なる人物と、『西遊記』との関わりがさっぱり分かりません。

 検索の結果、万籟鳴(ウォン・ライミン)万古蟾(ウォン・グチャン)は双子の兄弟で、1941年長編アニメ映画『西遊記 鉄扇公主の巻』を製作したことが分かりました。
 えっ。1941年とは、日本の年号で言えば昭和16年ですよ。第二次世界大戦の真っ只中で、この年の12月8日の真珠湾攻撃によって日米戦争の火蓋が切って落とされた年でもあります。日中間でも、1937年(昭和12年)以来中国各地で日中戦争が泥沼化していた時代です。

 そんな暗雲垂れ込めた時代に、よくもアニメ映画など作れたものです。やはり製作地はアジアの一大文化都市上海だったのでしょうか。大連、北京、南京そして上海…。ということは、次々に日本軍に蹂躙されつつある中で、祖国愛に燃える万兄弟による大きなレジスタンスの意味合いがあったことでしょう。
 民族の心を奮い立たせるにしても、「中国三大奇書」の『三国志』や『水滸伝』は当時の技術ではアニメ化は難しい。その点、孫悟空のキャラクターから『西遊記』が選ばれたのでしょうか。

 日米開戦前夜の極東の一等国日本には、もうアニメ映画を作る余裕も遊び心もありはしません。その映画がどんな出来ばえだったのか知る由もありませんが、いずれにしてもアジア初の記念碑的アニメーション映画となったのです。
 どんな出来ばえ?手塚治虫は戦後『ぼくの西遊記』を描きましたが、「万兄弟アニメ」から強い影響を受けたほどのものだそうです。

 私にとって最初の『西遊記』は漫画でした。昭和33年頃(私が小学校2、3年頃)当時の少年漫画雑誌に『西遊記』が連載されていたのです。
 当時の少年は誰もそうだったことでしょう。まだテレビもゲーム機などもなかった時代、「漫画」は子どもたちの大きな娯楽でした。私もいっぱしの「漫画少年」で、当時お世話になっていた町の母子寮で、毎月各戸に回ってくる『少年画報』『少年』『冒険王』などの漫画雑誌(月刊)が待ちどおしくてたまりませんでした。

 その中に『西遊記』があったのです。漫画家の名前もはっきり覚えています。「杉浦茂」です。当時子どもたちに最も人気のあった竹内つなよしの『赤胴鈴之助』が正統漫画とすると、こちら『西遊記』は“変てこ”な描き方の漫画なのです。
 それで私より2つほど年上の先輩などは「何だよ、こんな漫画」と吐き捨てていましたが、私には存外面白かったのです。第一主人公の孫悟空からして笑っちゃうキャラクターで、愉快なしぐさで…。

 あゝこんな感じだったんですかねぇ。何せもう半世紀も昔読んだもの、うすらぼんやりとしか覚えていませんし、少し違ったイメージもあったのですが…。ただやっぱり懐かしいですね。

 私は小学校4年生から今度は「本の虫」になり、以後漫画からは遠ざかりました。だからマンガ事情はほとんど分からず、作者の杉浦茂も『あんな変てこ漫画を描いてたくらいだからどうせ三文漫画家だろ』とばかり思っていました。
 しかしなかなかどうして。杉浦茂(1908年~2000年)は手塚治虫などとともに、戦後漫画家を代表する一人だというではありませんか。戦前は『のらくろ上等兵』の田河水泡に師事し、戦後は独特のナンセンスギャグ漫画が熱狂的に支持され、その作風は赤塚不二夫などに受け継がれていったのだそうです。
 代表作は『猿飛佐助』。こちらは私が漫画に熱中した頃既に連載を終えていたようです。『猿飛佐助』も『少年西遊記』もずっと後になってから復刻版が出されています。

 次の記憶は、小学校高学年の時に観たアニメ映画『西遊記』です。調べましたら1960年公開の東映作品だそうです。手塚治虫の『ぼくの孫悟空』をベースに、東映黄金期に若い芸術家たちのエネルギーが結集した娯楽力作だったそうです。国内では文部省選定映画となり、海外での評価も高く「ベニス映画特別大賞」を受賞しています。
 後の「アニメ大国日本」のきっかけとなった映画だったのかもしれません。

西遊記のストーリー画像1

 どこかでも触れましたが、当時の田舎町の小学校では月に一度くらい、午後から町の映画館で映画を観ることもレッキとした授業の一環でした。この映画もそれで観たのです。

 確かこの映画についてだけは、国語の宿題として感想文を出させられました。ある日の夕方外で遊んでいて、そのことがふと頭をよぎり『どうやって書いだらえがんべ』と思ううち、頭の中で映画の中の美しいシーンがパーッと広がり思わずうっとりしてしまいました。
 それは冒頭まもなく、孫悟空や仲間の猿たちが元気に遊び回る、大きな滝つぼのような洞窟のシーンでした。実際映画館で観た時も、そのシーンのあまりの美しさに息を呑んだのでした。

 (大場光太郎・記)

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