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歴史を知れば横浜はもっとおもしろい

                                山崎洋子 (作家)

 意外かも知れないが、横浜の歴史はなぜかあまり興味を持たれていない。街としては知名度も人気も抜群なのに、その歴史となると、一般的には「ペリーが来たんでしょ?」くらいにしか認識されていないのだ。2009年に開港150周年を迎えたが、その折り、横浜市役所、中区役所といった中心地の行政にすら、開港の歴史に興味のない人が多いことを知って驚いた。
 それでいて「特異な歴史のある街」というイメージだけは強い。私は数年間、横浜観光親善大使の審査員を務めさせていただいたが、「横浜の魅力はなんだと思いますか?」という問いに対して、応募者のほとんどが「古さと新しさが混在していること」と答えた。
 「新しさ」は「みなとみらい」だ。しかし「古さ」となると、なぜかみんな曖昧になる。「洋館がたくさんあって……」「開港の歴史が……」と実に大ざっぱで、具体的なものが出てこない。じつのところ、古い洋館も決して多くはない。県庁、税関、開港記念館という横浜三塔も、山手にある観光名所の洋館も、大正・昭和のものだ。「外交官の家」は明治43年の建設だが、東京の渋谷から移築したもの。開港場横浜を彩った幕末・明治の建造物は、残念ながら関東大震災、横浜大空襲で消えてしまったのである。
 「物」が見えないと、歴史は頭に入りにくい。また、横浜には年々、新しい名所が出来ていく。昨年はみなとみらいにカップヌードルミュージアムが誕生した。赤レンガ倉庫や象の鼻パークは歴史を残したものじゃないか、と言われるかしれないが、ショッピングビルと化した赤レンガ倉庫や象の鼻パークから、いにしえの姿を偲ぶのは難しい。他所から来た友人に、「雰囲気を味わいながらこの街の歴史を知りたいわ」などと言われるたびに、さてどこへ案内して、どんなふうに話そうかと悩んだものだ。
 で、いまはもうコースを決めている。開国・開港のエピソードを語るには、山下公園通りを歩くのが一番。元は砂洲だったこのあたりに、素朴な横浜村があった。そこが思いかけずに米和親条約交渉の場に選ばれ、さらに港が築かれて「冒険者の都」となった。元町も中華街もその過程で生まれたのである。
 そんな話をしながら歩くうちにホテルニューグランドが現れる。華やかな国際都市だった横浜は大正12年の関東大震災で焦土と化した。そこからの復興シンボルとして、このホテルが建造された。横浜でもっとも伝統と格式のあるホテルだが、終戦後は米軍に接収され、最高司令官だったマッカーサーを迎えている。横浜の光と影を色濃くまとったこのホテルは、ドラマチックな秘話の宝庫だ。
 そこでこういった話を一冊の本にまとめてみた。タイトルは『横浜の時を旅する-ホテルニューグランドの魔法』(春秋社)。この街の賑わいや美しい夜景を堪能されたら、胸躍る歴史のエピソードにも、ぜひ目を向けていただきたい。 (転載終わり)

                       *
【私のコメント】
 上の一文は、有隣堂書店(本店横浜市中区伊勢崎本町1-4-1)の広報紙『有鄰』最新号の2面右上段コラム『「海辺」の創造力』に寄せられた横浜エッセイです。昨年10月の藤原帰一氏の『ほんとうの横浜』に次いで2回目となります。

 山崎洋子という作家は今まで存知上げませんでしたが、少し調べましたので略歴を簡単にご紹介します。
 山崎洋子(やまざき・ようこ)氏は、1947年京都府宮津市生まれ。少女時代横浜市に転居し市内の県立新城高校卒業。コピーライター、児童読物作家、脚本家を経て、1986年『花園の迷宮』で第32回江戸川乱歩賞を受賞し小説家デビュー。1995年『熟月』で第16回芳川英治賞受賞。夫は脚本家の山崎巌氏。テレビ朝日系『スーパーモーニング』のコメンテーターとして出演していた。最近では、『横浜開港絵巻 赤い崖の女』(2008年)『港町ヨコハマ異人館の秘密』(2010年)などの“横浜モノ”がある。

 同じ神奈川県内とは言っても、県東端の横浜市と県央地区の当厚木市ではずい分離れています。
 業務の関係上県の本庁舎や分庁舎などに月に1、2度行くことがあります。横浜は“好きな街”なので、その時見聞きした横浜なかんずく県庁舎近辺の“ディープ横浜”の小紀行文をこれまで折りに触れてずい分公開してきました。
 横浜三塔のうちの県本庁舎、開港記念館。横浜スタジアム、山下公園、馬車道、大桟橋、赤レンガ倉庫。ランドマークタワーにみなとみらい地区などなど。

 しかしそれらはたまに横浜を訪れた余所者がちらっと見聞し、あくまでのぞき見しただけの横浜スケッチにすぎません。
 それは現在見えている姿であり、山崎先生ご指摘のとおり、考察が横浜の歴史に及ぶことはめったにありません。私自身が横浜の歴史などあまりよく知らないのですから。それに私の小紀行文の及ぶ範囲はせいぜいみなとみらい地区から山下公園くらいまで。
 いつか業務を離れて、山手の洋館群、外人墓地、みなとが見える丘公園あたりをじっくり散策してみたいものとの想いすら、今の私には望外な望みのようです。

 山崎先生が上の文で指摘されている事は、ひとり横浜だけの問題ではないのかも知れません。函館、神戸、長崎なども横浜と同様の事情で、幕末期その地の様相がにわかに急変し、以後エキゾチックな歴史性を帯びた街として一大観光都市となっていきました。これらの街並みにも似たり寄ったりの事情がありはしまいか、と思うのです。

 さらには関東大震災、大空襲による由緒ある街並みの消失に加えて、戦後はもう一つ重大な要因も考えなければなりません。それは「歴史的街並みの保存」という思想をそっちのけにした、都市開発、都市整備という名の「旧市街破壊」です。これによっても、横浜をはじめ東京、京都、鎌倉、名古屋、大阪などの全国各都市の下町情緒などがずい分失われてしまったのではないだろうかと思うのです。      (大場光太郎・記)

引用
『有鄰』2012年1月1日号2面『「海辺」の創造力』
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