続・人間はあの世にも同時に存在している
-この世の事象だけの知覚では制限多い3次元世界に呪縛されたままである-
私たち人間はこの世だけではなくあの世にも同時に存在している。これはにわかに信じられることではありません。
これについてかつて、(水と波動の研究家として世界的に有名な)江本勝という人が分かりやすい例を引いて説明していました。
江本勝氏は、電球や蛍光灯といった電気照明を例に取っています。例えば蛍光灯のスイッチが入って灯りが点くと、私たちはこれを連続した光として認識します。しかし電気照明というのは、瞬間的に点いたり消えたりを繰り返しているのだそうです。
ただそのオン/オフの切り替えは、1秒の何千分の1、何万分の1という“目にもとまらぬ”素早さであるため、私たちの目には連続した照明光として見えているというのです。
江本氏はまた、数学のサイン曲線でも示していました。ご存知サインカーブは、グラフ中央の真横に引かれたゼロ基線を基準として、一定の長さ(波長)と幅(振幅)をもつ上方のピーク(山)をつくり、次に下方にもそれとまったく同じ長さと幅のピーク(谷)をつくります。これと同一のパターン(波形)を連続して繰り返していくわけです。
これは基線の上側を「プラス」または「陽」、下側を「マイナス」または「陰」などとさまざまに置き換えることが可能です。今回は上を「この世」下を「あの世」と見ることにします。するとサインカーブは、他でもないこの私たち人間が各人固有の振動を発しながら、電気照明のオン/オフのように目にもとまらない速さで、この世とあの世を往還している姿と考えることもできるのです。
ただこの世に固定されている私たちの顕在意識は、蛍光灯などを見る場合と同じで、こちら側の世界に住しているという認識しかないわけです。
『ニュートン世界と量子世界』シリーズでもみましたとおり、分子以下の超ミクロ体は、「粒子」であるとともに「波」としての性質を有しているのでした。そして粒子とは物質性であり、波とは非物質性なのでした。
天文学的数のこれら超ミクロ体が私たちの身体の基本的構成要素であるからには、私たち自身も見たとおりの物質体であると同時に非物質的なエネルギーそのものであるのに違いありません。
このことからもまた、私たちの本質は「霊的存在」であることが裏付けられるのです。
「あなたがたの肉体のなかには実に膨大な量の空間が存在しているのですから、中身の詰まった固体であるというのは幻想です。あなたがたの科学も、人の肉体の99パーセント以上は空間であることを解明しています。わたしたちが人の肉体を見る場合も、固体としてでなく空間として知覚します。そうした知覚の仕方は、あなたがたの仕方と同じではありません。わたしたちはあなたがたを、文字どおり人の姿をした星ぼしの銀河として見ているのです。」 (『ハトホルの書』第二章より)
我が国を代表する神示である『日月神示(ひつくしんじ)』では、来るべき新しい世では人間は「半霊半物質」になると預告されています。しかし私たちの身体は、上記のような観点から捉え直すと、今このままの肉体が既に半霊半物質体であると言っていいようです。
問題はそのことを実感できていないことです。この3次元物質世界のみにフォーカスしている五官頼みの知覚レベルは、低波動レベルなのです。その認識が自らの波動を下げています。制限多いこの世に呪縛された思考、行動しかできなくなっているのです。
この世を古来から我が国では「現世(うつしよ)」と言い習わしてきました。今現れているすべての事象は、ただ写っているだけの「結果」にすぎません。霊的なあの世こそが「原因次元」であるのです。よって物事の根本的解決を図るには、原因次元に立ち返ることがどうしても必要です。
そのために古代から、瞑想や座禅などさまざまな行法が行われてきました。禅家では「動中の工夫、静中の工夫」と言っています。「2012」の今この時、自らが「霊的存在」であることを全身全霊で解ることが必要であると思われます。 - 完 -
(大場光太郎・記)
参考・引用
『ハトホルの書 アセンションした文明からのメッセージ』 (トム・ケニオン&ヴァージニア・エッセン著、紫上はとる訳、ナチュラルスピリット刊)
関連記事
『人間はあの世にも同時に存在している』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7a9b.html
| 固定リンク
「所感」カテゴリの記事
- 【2枚の写真】あなたはどっちがいいですか? 1986年と2011年の入社式風景(2020.10.03)
- 【乙なアウトサイダー】東大エリート学部の学生が中核派・全学連のトップに!(2018.09.09)
- 謙虚な人(byアンの館)(2017.01.09)
- 米大統領選、トランプ勝利に思うこと(2016.11.11)
- 2016新年に思うこと(2016.01.01)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント