『別れのブルース』秘話
(淡谷のり子が歌う『別れのブルース』ユーチューブ動画は削除されました。)
昭和12年(1937年)、淡谷のり子が歌って大ヒットした『別れのブルース』(作詞:藤浦洸、作曲:服部良一)。今ではあまり聴かれることも、歌われることもなくなりました。しかしこの歌は『影を慕いて』『君恋し』などとともに戦前を代表する、昭和モダニズムの名曲だと思います。
1番の出だしからノスタルジックで情緒的な港夜景が浮かび上がってきます。そしてこのフレーズから既に、「この歌はどこで作られたのか」「この歌で歌われている港はどこなのか」が分かってしまうのです。
あけた「窓」とは、ホテルニューグランドの窓です。作詞家・藤浦洸(ふじうら・こう)は戦前のその時期、このホテルの3階に宿泊してこの歌を作詞したのです。
「ホテルニューグランド」とは、横浜市中区の山下公園通りを挟んだ山下公園の真向かいの街区にある由緒あるホテルです。この一帯の建物は大正12年(1923年)の関東大震災でほぼ倒壊し、同ホテルは同大震災後に建造されたものです。
ニューグランドは、それまで横浜を代表する外国人ホテルだったグランドホテルに因んで、地域的にその跡地と近接していたこともあり、海外客に対して後継館であることをアピールする狙いから建造されたのです。
開業時から、来日した喜劇王のチャーリー・チャップリンや大リーガーのベーブ・ルースといった有名人、皇室や英国王室といった賓客、国内の作家や文人などが数多く訪れた格式高いホテルです。
また連合国軍司令官のダグラス・マッカーサーも、日本進駐直後ここに滞在しています。
ホテルニューグランドの3階の窓からは、山下公園を挟んだその先に、横浜港に突き出した大さん橋が見えます。だからこの歌のメリケン波止場とは「大さん橋」であるのです。
ただ一般的に「メリケン波止場」と言う場合、兵庫県神戸市の神戸港にあった第三波止場を指したようです。同波止場のすぐ近くに明治維新直後に米国領事館が置かれたことから、「アメリカン」の原語発音が転訛して「メリケン」波止場と呼ばれるようになったものです。
ただし横浜港の大さん橋も同じく「メリケン波止場」と呼ばれていましたから、歌詞としてはつじつまが合うわけです。
藤浦洸はホテルニューグランド3階客室の窓を開けて、自身が実際に横浜港の夜景を眺めたのです。そこから、うら若き女性が同じ窓辺に佇み、メリケン波止場が潤んで見える叙情的な港夜景を見つめているうちに切ない別れを回想する、という一連の歌詞のストーリーを得たのだと考えられます。
最後に今からちょうど4年ほど前、有名な音楽サイト「二木紘三のうた物語」の『別れのブルース』にコメントした一文を転載します。それ以後何ヶ月か、同サイトのコメントスター(?)として同サイトを大いに盛り上げ(大いにお騒がせした?)、さらには同年4月の当ブログ開設にもつながった、そのきっかけのような一文だけに今読み返しても感慨深いものがあります。(なお、ほんの少し手直ししています。)
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1999年9月22日淡谷のり子さん逝去。92歳。直後某テレビ局で追悼番組が組まれました。その中で、生前の淡谷さんが『別れのブルース』にまつわる印象的なエピソードを語っていました。
・・・太平洋戦争末期。淡谷さんは各戦地を慰問に訪れていました。ある航空基地でのこと。集まった兵士たちが途中で淡谷さんに敬礼しながら、次々に去っていくのです。事前に「特攻隊員たちが出征のため、中座するかもしれませんので」と上官に説明を受けていましたから『あゝ、飛び立っていくのね』と思いながら、歌い続けました。しかし
「よく見ると、まだあどけなさの残る、私の弟のような年頃じゃありませんか」
そんな彼らが、屈託のない天真爛漫な笑顔で淡谷さんに敬礼しながら、死地に赴いて行くのです。
「途端に涙があふれて、声がつまって続きを歌えませんでしたよ」・・・
「二度と逢えない 心と心」。 究極の「別れのブルース」です。
参考
コロンビアレコード原盤『別れのブルース』 (歌のテンポも少し早く、戦後の淡谷さんの歌い方とだいぶ違います。)
http://www.youtube.com/watch?v=GXm0mSmj8ks
『ウィキペディア』-「ホテルニューグランド」「メリケン波止場」の項
関連記事
『歴史を知れば横浜はもっとおもしろい』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9cbf.html
(大場光太郎・記)
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