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グーグル連続で“変わりロゴ”

 2月6日からグーグルロゴが3日連続で「変わりロゴ」となりました。

Google フランソワ・トリュフォー生誕80周年

 初日の6日は「フランソワ トリュフォー 生誕80周年」ロゴです。これにつきましては、当ブログでも早速『仏映画界の鬼才トリュフォーのこと』記事にしました。
 このロゴはやはりトリュフォー映画のワンシーンのようです。あらためて見てみると、男の足元に寄せ来る波は、「ヌーヴェルヴァーグ」(新しい波)という気がしないでもありません。



 続いて上は7日のロゴです。何やら17世紀から18世紀初頭頃の、ヴィクトリア王朝期あたりの図案化のように思われます。
 さてテーマは「チャールズ ディケンズ 生誕200周年」ということです。

 チャールズ・ディケンズ(1812年2月7日~1870年6月9日)は、ご存知イギリスの代表的作家の一人です。
 ポーツマス郊外の生まれですが、この大作家とて“銀のスプーンをくわえて”生まれてきたわけではありません。生家こそ中流階級だったものの、父親、母親とも金銭感覚に乏しく、ために家は貧しく、ディケンズが学校教育を受けたのは2度の転校による4年間のみだったといいます。

 1822年暮れ一家はロンドンに移住するも、1824年両親の浪費によって生家は破産。父親は債務不履行によって監獄にぶちこまれます。
 12歳だったディケンズは独居し、親戚が経営していた靴墨工場へ働きに出されました。この工場での待遇や仕打ちは酷く、“女工哀史”ならぬ少年工哀史的生活で、彼の精神に深い傷を残すことになりました。
 1827年から法律事務所に事務員として勤務しますが、後にジャーナリストになることを決意し、1834年ある新聞社の報道記者としての活動を始めます。

 定職の片手間に雑誌へエッセイの投稿をはじめ、1836年第一作『ボズのスケッチ集』を発表し、優れた批評眼が注目を浴びました。続いて発表した『ピクウィック・ペーパーズ』が大人気となり、一流の小説家として一躍文才を認められました。
 その後は『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『ディビッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』など、世界文学史に残る作品を次々に生み出していきました。

 私は高校2年の時、そのうちの『クリスマス・キャロル』と『二都物語』を読みました。いずれも今となっては信じられないほどの超速読でです(それとて実際の「速読法」の足元にも及ばないと思いますが)。特に『二都物語』は大長編でしたが、とにかく最初から最後まで一行も飛ばさずに読んだのです。

 二都とはロンドンとパリを指します。フランス革命が背景とのことで、大の「フランス革命好き」だったことから読んだのでしたが、読み進めていくうち「恋愛がテーマ」と分かり途端に興味をなくしたことを覚えています。
 『赤と黒』や『嵐が丘』など最初から恋愛小説と分かっているのならともかく、どちらかというと「恋愛小説苦手」の私はペテンにかけられた気がしたのです。
 そのため、同じ頃血沸き肉躍らせて読んだ『モンテクリスト伯』なら今でもだいたいのストーリーを覚えていますが、こちらはさっぱりです。

 しかしそれは私の“独断と偏見”というもの。『二都物語』は発表(1859年刊)後英国のみならず世界中で読み継がれ、累計何と2億冊だそうです。
 他の古典文学がどれくらいなのか分かりませんからうかつなことは言えませんが、ひょっとして『聖書』に次ぐ超ロングセラーなのかもしれません。
 以来一度も読んだことはありません。しかし今再読する機会があれば、『二都物語』も『クリスマス・キャロル』も、当時とは違った深みや面白さが発見できるのかもしれません。

 8日の「伊藤若冲 生誕296周年」についても、本記事で概略述べるつもりでした。しかしディケンズについ熱が入り長くなってしまいましたので、これについては次回改めてということに致します。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』「チャールズ・ディケンズ」など
関連記事
『仏映画界の鬼才トリュフォーのこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-d0a4.html

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