「フェルミ推定」とは何ぞや(3)
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「日本全国に電柱は何本あるか?」
この格好の「フェルミ推定」問題の、細谷功氏の模範解答は以下のとおりです。
まずフェルミ推定は、与えられた問題をただ闇雲(やみくも)に解いていけばいいというものではないようです。ちきんとした手順があるのです。それは「アプローチ設定」「モデル設定」「計算実行」の三つのプロセスです。
この問題でまず(1)アプローチ設定とは。
「この切り口で計算すれば、全国の電柱の数がわかるのではないか」という仮説を立てます。この段階で細谷氏は、「単位面積当たりの電柱の本数を、面積に掛けて総本数を算出する」というアプローチをしています。
その際、電柱の本数は「市街地」と「郊外(山間部を含む)」ではまるで違いますから、二つを分けて計算し、それを足して総本数を導き出す(という芸の細かい)手法を取っています。(独り言 なるほど、確かに)
それを計算式にすると以下のようになります。
●市街地の本数(A) = 市街地の面積×単位面積当たりの本数
●郊外・山間部の本数(B) = 郊外・山間部の面積×単位面積当たりの本数
●A+B = 日本全国の電柱の数
こういう計算式めいたものを並べられただけで、「ウンザリだ」という人もおられるかもしれません。ならば好都合です。めんどくさがらずに、上の計算式を何度も反芻してみてください。普段敬遠しているからめんどくさく感じるのであって、なんとか解ろうと取り組むことによって、これまで余り使ってこなかった頭の回路-ニューロン+シナプス-が開かれていくはずです。(ついでに申せば。当ブログを訪問され、かつ各長文記事を丹念にお読みの方は、「考える素養」十分と推察します。)
ずば抜けた理数回路をお持ちの細谷氏は、上の計算式ではまだ「因数分解」が不十分だと言います。
なぜならこれだけでは、各エリアの「面積」や「単位面積当たりの本数」を推測することは非常に困難だからです。前回の私の解答のような「当て推量」ではなく、できるだけシビアな推測が求められるようです。
そうでなければ、本当の意味での問題解決には役立たないわけです。
そこで計算式の各要素がある程度推測可能なものになるまで、さらに因数分解しなければなりません。その因数分解の方法を加味した(2のモデル分解に相当するプロセス)は、同記事の囲みの中で示してあります。
しかし煩雑になるため割愛します。(関心がおありの方は、本シリーズで示した本を実際お読みください。)
結果的に計算式に数値を代入して計算していく(3の計算実行)と、「3千万本」と概算できます。
たった3分という制限時間内でこれだけの計算手順が閃くとは、ただただ「凄い !」の一語です。しかし「ローマは一日にして成らず」。細谷功氏の場合、東大工学部に入り卒業したくらいですから、小学校時代から算数、理科などが得意でまた興味もあり、人より何倍も熱心に勉強してきた積み重ねの成果であるわけです。
その上さらに社会的に重要なポジションにある今でも、フェルミ推定などによる「地頭力 = 考える力」の鍛錬を、おさおさ怠りなく継続している賜物でもあるのでしょう。
他の記事でも何度か触れたことがありますが、私の中学入学時の担任の先生はТ先生という当時30代半ばの女性教師でした。私の半生で一番の恩師ですが、その時の教室の黒板の右隣に、Т先生の達筆な毛筆で縦書されていた言葉を今でも思い出します。
「有能な人とは常に考える人である」
ゲーテの言葉だそうです。
また、米IBM社の標語は「THINK THINK THINK」です。
いずれも「考えること」の重要性を強調しています。
しかしこの私がまさにそうであるように、「下手の考え休むに似たり」という我が国のことわざもあります。さらには、「世界中でいちばん難しいことは“考えること”である」という誰かの言葉もあります。
人間は1日に、約6万もの思考、想念が頭の中を駆け巡っているといいます。だから「考える葦」である人間は、誰しも「思考」し「考え」てはいるわけです。しかし問われるべきは「考えの質」であり「中身」です。
「思考は現実化する」が真理ではあっても、うたかたの取りとめもない思考が現実化することはありません。いな通常人は普段は、下らない、ネガティヴな、邪悪な想念の方が多いはずなので、何でもかでも「思考が現実化」されたら大変困ることになってしまいます。
現段階のレベルにある人間は、むしろ「思考の現実化」が遅いことに感謝すべきです。
「思考を鮮明に結晶化せよ」(米国の誰かの言葉)
そこで純度の高い、前向きで建設的な(破壊的ではない)「考え」「思考」の結晶化が重要になってきます。それを持続させてはじめて「思考は現実化する」のです。
集中した純度の高い「思考力 = 考える力」を涵養するための格好の教材が「フェルミ推定」であるようです。例えば例題にならって「日本全国に八百屋さんは何軒あるか?」「日本全国にラーメン屋さんは何軒あるか?」「日本全国に信号の数はいくつあるか?」からはじまって、「夏に鳴く蝉の数は全国でどれくらいか?」「砂浜の砂の数はどれだけあるか?」などなど。
自分でどんどん質問を作って、短時間で答えに至る手順を考え、自らがちきんと答えを出す。この繰り返しはかなり効果的だと思います。
現実の問題解決のためにも、よりよき未来を開くためにも「考える力」の鍛錬は不可欠ですから。 - 完 -
【補注】どんなネガティヴ思考でも、悪想念でも、短時間思っただけで現実化(物質化)することがないことは本文で述べたとおりです。ただそれが習慣になってしまうと確実に悪現実化してしまいます。常に自分の思考をチェックし、そういう思いや考えが起こった時は、すかさず明るい方向に「観(かん)の転換」をする習慣を心がけましょう。
(大場光太郎・記)
参考・引用
『「継続できる人」の習慣-「続ける」技術』(「THE21」BOOKS PHP研究所刊)
この格好の「フェルミ推定」問題の、細谷功氏の模範解答は以下のとおりです。
まずフェルミ推定は、与えられた問題をただ闇雲(やみくも)に解いていけばいいというものではないようです。ちきんとした手順があるのです。それは「アプローチ設定」「モデル設定」「計算実行」の三つのプロセスです。
この問題でまず(1)アプローチ設定とは。
「この切り口で計算すれば、全国の電柱の数がわかるのではないか」という仮説を立てます。この段階で細谷氏は、「単位面積当たりの電柱の本数を、面積に掛けて総本数を算出する」というアプローチをしています。
その際、電柱の本数は「市街地」と「郊外(山間部を含む)」ではまるで違いますから、二つを分けて計算し、それを足して総本数を導き出す(という芸の細かい)手法を取っています。(独り言 なるほど、確かに)
それを計算式にすると以下のようになります。
●市街地の本数(A) = 市街地の面積×単位面積当たりの本数
●郊外・山間部の本数(B) = 郊外・山間部の面積×単位面積当たりの本数
●A+B = 日本全国の電柱の数
こういう計算式めいたものを並べられただけで、「ウンザリだ」という人もおられるかもしれません。ならば好都合です。めんどくさがらずに、上の計算式を何度も反芻してみてください。普段敬遠しているからめんどくさく感じるのであって、なんとか解ろうと取り組むことによって、これまで余り使ってこなかった頭の回路-ニューロン+シナプス-が開かれていくはずです。(ついでに申せば。当ブログを訪問され、かつ各長文記事を丹念にお読みの方は、「考える素養」十分と推察します。)
ずば抜けた理数回路をお持ちの細谷氏は、上の計算式ではまだ「因数分解」が不十分だと言います。
なぜならこれだけでは、各エリアの「面積」や「単位面積当たりの本数」を推測することは非常に困難だからです。前回の私の解答のような「当て推量」ではなく、できるだけシビアな推測が求められるようです。
そうでなければ、本当の意味での問題解決には役立たないわけです。
そこで計算式の各要素がある程度推測可能なものになるまで、さらに因数分解しなければなりません。その因数分解の方法を加味した(2のモデル分解に相当するプロセス)は、同記事の囲みの中で示してあります。
しかし煩雑になるため割愛します。(関心がおありの方は、本シリーズで示した本を実際お読みください。)
結果的に計算式に数値を代入して計算していく(3の計算実行)と、「3千万本」と概算できます。
たった3分という制限時間内でこれだけの計算手順が閃くとは、ただただ「凄い !」の一語です。しかし「ローマは一日にして成らず」。細谷功氏の場合、東大工学部に入り卒業したくらいですから、小学校時代から算数、理科などが得意でまた興味もあり、人より何倍も熱心に勉強してきた積み重ねの成果であるわけです。
その上さらに社会的に重要なポジションにある今でも、フェルミ推定などによる「地頭力 = 考える力」の鍛錬を、おさおさ怠りなく継続している賜物でもあるのでしょう。
他の記事でも何度か触れたことがありますが、私の中学入学時の担任の先生はТ先生という当時30代半ばの女性教師でした。私の半生で一番の恩師ですが、その時の教室の黒板の右隣に、Т先生の達筆な毛筆で縦書されていた言葉を今でも思い出します。
「有能な人とは常に考える人である」
ゲーテの言葉だそうです。
また、米IBM社の標語は「THINK THINK THINK」です。
いずれも「考えること」の重要性を強調しています。
しかしこの私がまさにそうであるように、「下手の考え休むに似たり」という我が国のことわざもあります。さらには、「世界中でいちばん難しいことは“考えること”である」という誰かの言葉もあります。
人間は1日に、約6万もの思考、想念が頭の中を駆け巡っているといいます。だから「考える葦」である人間は、誰しも「思考」し「考え」てはいるわけです。しかし問われるべきは「考えの質」であり「中身」です。
「思考は現実化する」が真理ではあっても、うたかたの取りとめもない思考が現実化することはありません。いな通常人は普段は、下らない、ネガティヴな、邪悪な想念の方が多いはずなので、何でもかでも「思考が現実化」されたら大変困ることになってしまいます。
現段階のレベルにある人間は、むしろ「思考の現実化」が遅いことに感謝すべきです。
「思考を鮮明に結晶化せよ」(米国の誰かの言葉)
そこで純度の高い、前向きで建設的な(破壊的ではない)「考え」「思考」の結晶化が重要になってきます。それを持続させてはじめて「思考は現実化する」のです。
集中した純度の高い「思考力 = 考える力」を涵養するための格好の教材が「フェルミ推定」であるようです。例えば例題にならって「日本全国に八百屋さんは何軒あるか?」「日本全国にラーメン屋さんは何軒あるか?」「日本全国に信号の数はいくつあるか?」からはじまって、「夏に鳴く蝉の数は全国でどれくらいか?」「砂浜の砂の数はどれだけあるか?」などなど。
自分でどんどん質問を作って、短時間で答えに至る手順を考え、自らがちきんと答えを出す。この繰り返しはかなり効果的だと思います。
現実の問題解決のためにも、よりよき未来を開くためにも「考える力」の鍛錬は不可欠ですから。 - 完 -
【補注】どんなネガティヴ思考でも、悪想念でも、短時間思っただけで現実化(物質化)することがないことは本文で述べたとおりです。ただそれが習慣になってしまうと確実に悪現実化してしまいます。常に自分の思考をチェックし、そういう思いや考えが起こった時は、すかさず明るい方向に「観(かん)の転換」をする習慣を心がけましょう。
(大場光太郎・記)
参考・引用
『「継続できる人」の習慣-「続ける」技術』(「THE21」BOOKS PHP研究所刊)
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