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風蕭々として易水寒し(2)

 秦の人質となった燕の太子丹は、秦王政に冷遇された事によって憎悪をたぎらせていきます。丹は遂に秦を脱走し、故国に逃げ帰ったのです。
 以来丹の念頭にあるのは、秦王政に復讐したいという悲願だけでした。
 これは太子丹の私怨というべきものですが、強大化しつつある秦に対して何らかの手を打たなければ燕が遠からず滅ぼされるという、切実な国内事情もまたあったのです。

 しかし当時の秦は旭日昇天の勢いで、天下併呑も間近とみられるほどでした。逆に燕は次第に衰退しつつありました。両国の国力の差はいかんともし難く、尋常な事では太子の悲願は遂げられそうにありません。
 現実問題として、秦は斉(せい)楚(そ)三晋(さんしん)を伐ち、諸侯の領土を次々に蚕食しながら燕の領土にまで迫ろうとしているのです。

 この国難を前にして燕の国論の多くは和平論に傾きつつありました。そんな中恨み骨髄の太子丹は主戦派の最右翼です。「せめて一矢だけでも報いたい」との丹の想いは想いとして、強大な秦を相手に真っ向勝負を挑んだのではとても勝負にはなりません。
 とは言っても、斉、楚、三晋など諸国との“合従連衡”を探っていてはまどろっこしくて話になりません。

 「さてどうしたものか」
 そこで考え出したのは「奇策」。つまり「テロ」だったのです。起死回生の策としてこれしかないという結論に至ったのでした。
 
 太子丹のこの策を聞いた侍従長は、「奇策は並みの人間には荷が重過ぎます。我が国の文武百官を見渡しても適任者はございません」。そして侍従長は「田光先生なら…」と、田光(でんこう)という処士の名を挙げたのでした。
 そこで太子丹は田光を宮殿に招き、“却行”という賓客に後ろを見せずに後ずさる作法を終始取り続けるなど、異例ずくめの待遇でもてなし密命を頼みました。

 「秦始皇帝暗殺」は、その後の歴史の流れを大きく変えることにもなるわけです。深い知恵と沈着な勇気、胆力が要求される男子一代の大業です。若い頃は英才として名を馳せた田光も既に老境、今では精気消耗し、そのような大業を為すパワーは最早ありません。
 「わたくしめのような老いぼれでは、かような大国事を謀ることはできません。そこで代わりの者を推薦したいと存じます」
 田光はそう言って荊軻の名を挙げたのです。

 荊軻は衛(えい)の人です(生年不詳)。
 衛は周の武王の弟・康叔を始祖とする由緒正しい国でした。いわゆる“中原(ちゅうげん)の中の中原”に位置し、文化は発達し住民たちも自分たちの国に誇りを持っていました。
 しかしこの衛も戦国時代には弱小国に転落し、荊軻の時代(戦国末期、紀元前3世紀)には魏(ぎ)という国の属国となっていました。

 荊軻は読書と剣術を好み、若くして諸国を放浪し遊説術を学んでいました。諸国遍歴の末に生国衛に帰国した荊軻は官僚を志し、君主である元君に謁見し大いに国家論を説いたのでした。しかし元君はまったく聞く耳を持たず仕官の道は絶たれてしまいました。
 志が挫折した荊軻はそれ以降遊侠に身を投じることになったのです。

 ちょうどこの頃荊軻は燕に滞在していました。この国の市井に分け入って酒を飲み、時に悲憤慷慨し涙することもありました。それでも荊軻は、各地の賢人や豪傑・有徳者たちとの交流を忘れることはありませんでした。
 そして燕にある今は、当地の実力者である田光の下で賓客として遇されていたのです。

 そのような経緯から、田光は太子に「自分に代って国事を謀れる者」として荊軻を推挙したのでした。宮殿から帰った田光は憔悴しきったようすで、剣を杖の代わりにしながらよろよろと荊軻の部屋を訪れます。
 事の次第を語った田光は荊軻の眼を見つめながら、「そのようなわけで太子の宮殿に出向いては下さるまいか」と訊ねました。
 「言うまでもないことです」
すべてを了解した荊軻はそう即答します。その瞬間に「始皇帝暗殺」を引き受けたのです。

 「ところで」と、田光は口辺に微笑をたたえながら後ずさりしつつ言いました。
 「私が辞去する時、太子は門まで送ってくださった。そして、今までの話はすべて国事の大事、願わくば他言なさらぬように言われたのじゃ。この田光ともあろう者が秘密を口外せぬよう言われようとは、いやはや節侠の士の名がすたるわ」
 「荊卿(けいけい)よ、これから太子の宮殿に赴き、はっきり申し上げていただきたい。田光との間のことは、他に漏れる恐れは最早絶対にないと」

 田光はそう言いながら、太子丹の却行を真似るふりをして荊軻から離れ、戸に手が届く所まで来た時、突然杖にしていた剣を抜いたかと思うと、我の喉にあてがい自らの首をはねたのです。
 これぞ節侠の士の見事な最期と言うべきです。太子との秘密を完璧に守りつつ、やがて死地に赴く荊軻へ、己の命を投げ出して無言の励ましとしたのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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