« 北の子は遊び疲れて・・・ | トップページ | 「フェルミ推定」とは何ぞや(1) »

近代童謡の創始者、本居長世

 少し前の『フォレスタの「汽車・三部作」』で本居長世(もとおり・ながよ)の名前が出ました。フォレスタが最後に歌っていた『汽車ポッポ』(昭和2年)を作詞・作曲したのが本居長世なのでした。
 この『汽車ポッポ』は歌詞が面白く、それに合わせたメロディも軽快でテンポよく、フォレスタ混声コーラスがラストに持ってくるにはうってつけの歌でした。

 それ以来私も本居長世という作曲家に興味を抱き、少し調べてみました。その中で本居を紹介している冊子がありました。「日本音楽教育センター」発売の『美しき歌 こころの歌-新・叙情歌ベスト選集』というCD集の別冊付録です。『鑑賞アルバム-私の好きな歌』と銘打っています。
 全編「叙情歌とは何か」を追及した構成になっていて、鮫島有美子(ソプラノ歌手)と喜早哲(ダークダックスの一員)の対談、ダークダックス4人による「僕たちの叙情歌」と題した座談会などが収録してあります。

 その中に、音楽文化研究家の長田暁二による「叙情歌作家物語」があったのです。瀧廉太郎や山田耕筰など何人かの著名な作曲家が取り上げられ、その冒頭が本居長世なのです。
 少々回りくどくなりましたが、経歴には興味深い部分もあります。以下にこれを基に紹介してみたいと思います。

 本居長世は明治18年4月、東京下谷に生まれました(昭和20年10月逝去)。「本居」という姓が示すとおり、江戸時代の偉大な国学者・本居宣長の子孫で、実家は代々「本居学」を継いで来たといいます。

 だから当然長世も、国語、文学の道に進むと思われていました。しかし若き日の長世は思うところあって音楽家を志し、旧制中学卒業とともに敢然と東京音楽学校(「東京藝術大学」の前身)に進みます。
 同期の学生には山田耕筰がいましたが、本居はドイツ人教師ケーベルに師事し明治42年、同学校をトップの成績で卒業しました。

 本居は卒業後、ただちに母校の教壇に立ちます。ここで弘田龍太郎、中山晋平、成田為三、草川信など、叙情歌ファンなら誰でも知っている、俊才作曲家たちにピアノや作曲の指導をしました。
 また、文部省邦楽調査官主査を兼任して、長唄や近世三味線音楽の研究にも没頭しました。彼の作風が古典的で日本的色彩が濃いのは、家学である国語学、国文学の造詣に加えて、このような背景があったためといわれています。

 作曲にあたって本居長世は、原作の言葉を重んじ、アクセントに忠実なメロディ作りをしています。初期にはオペラの作曲に精力を傾注しましたが、やがて童謡に転じて野口雨情とコンビを組むことになります。
 ことに『十五夜お月さん』(大正9年)は、初めて日本の子供の心を芸術的に作曲した作品として、のちの童謡のお手本となりました。『七つの子』も、野口と相談しながら作ったといわれています。
 二人のコンビはその他に、『赤い靴』『青い目の人形』俵はごろごろ』など、今でも歌い継がれている不朽の名作をたくさん残しています。

 それに『汽車ポッポ』『通りゃんせ』『めえめえ子山羊』などなど。国学、邦楽の素養に、東京音楽学校で学んだ西洋音楽の造詣も加わり、本居の音楽世界はハイカラなものから日本調のものまで、和洋折衷、自由自在に広がっていったさまが見てとれます。
 それを受け継いだ、後続の弘田、中山、成田、草川らが後に身を投じた「赤い鳥運動」によって、この国に官製ではない、本当の意味での童謡がしっかり根付いていくことになるのです。 

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタの「汽車・三部作」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e894.html

|

« 北の子は遊び疲れて・・・ | トップページ | 「フェルミ推定」とは何ぞや(1) »

名曲ー所感・所見」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。