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2012年3月

奥山清行氏のこと

-今まで知らなかったが、山形県出身有名人にこの人を加えないわけにいかない-

 昨年12月の『山形県内高校事情』の中で、山形県出身の有名人としてタレントのあき竹城、広島カープの前田健太内野手、京大カンニング騒動のaicezukiの3名を挙げました。その時の私にはそれくらいしか思い浮かばなかったからです。
 直後、「遥」様より同記事にコメントをいただきました。私はまったく知りませんでしたが、山形県出身で須藤満という一流ベーシスト(ミュージシャン)がいるというのです。以下は遥様の同氏紹介の一文です。

ご存知ないようでございましたので、是非ともご紹介したい山形出身の素晴らしいミュージシャンがおられます。
ベーシスト須藤満(すとうみつる)さん。
元T-SQUAREのベース奏者で、フュージョン、ジャズ界では彼の上をいくベース弾きはおられません。
チョッパーベースという奏法では‘神技’で定評があります。 (転載終わり)

 その後『ウィキペディア』などで少し調べてみましたが、遥様のご文は須藤満氏について簡潔に紹介してあり、現在のミュージック事情に疎い私はこれ以上述べることはできません。ただ一つだけ学歴について触れれば、同氏は(東北で1、2を争う進学校の)山形東高等学校卒業後、東京学芸大学に進学し、同大学の軽音楽部に所属したことが後のベーシストへの道につながったようです。
 同氏がミュージシャンとしてさらに高みを目指しますよう、陰ながら声援を送っていきたいと思います。

 さて今回取り上げるのは、別の同県出身有名人についてです。この人もつい最近までまったく存知上げなかった人物です。
 奥山清行(おくやま・きよゆき)という人です。この人を知るきっかけとなったのは、今年2月『フェルミ推定とは何ぞや?』の元となった雑誌『「継続できる人」の習慣 「続ける」技術』です。
 その中の第1章『続けるだけで人生が変わる!「1日30分」の成功習慣』に、奥山氏インタビュー記事があったのです。ちなみにこの章のトップにはワタミの渡邉美樹会長、奥山氏の前が、同記事で紹介した「フェルミ推定」「地頭力」の細谷功氏となっています。

 奥山清行氏は、渡邉氏などと肩を並べるくらいですから相当際立った業績を上げている人物であるわけです。
 奥山氏は工業デザイナーで、世界的にもカーデザイナーとして知られているというのです。海外では「ケン・オクヤマ Ken Okuyama」の名前で活動しているそうです。
 フェラーリ創業55周年を記念して作られた「フェラーリ・エンツォ」という、創業者の名を冠した車をデザインしたのが奥山氏なのだそうです。

 奥山氏の仕事はただ単に自動車のデザインに留まらないようです。
 「KEN OKUYAMAレーベル」ではメガネを、地元の「山形工房」では木工家具や鋳物の製造販売を行うなど、「日本の地場産業の再生」を目指した活動にも積極的に取り組んでいるというのです。
 さらには2007年~08年には、デザインから製造まで一貫して携わったスポーツカー「k.o7」「k.o8」を発表するなど、国内外を問わず、モノ作り全体を俯瞰したダイナミックな活動を展開しているということです。

 まさに「世界を舞台に活躍する日本人」の一人といっていいようです。
 こんなパワー溢れるマルチ人間が、東北の山国・雪国である山形県から出ようとは ! 折角ですから、そこに至るまでの同氏の経歴を簡単にご紹介します。

 奥山清行氏は1959年山形市生まれ。須藤満氏(1964年山形市生まれ)と同じく山形東高校を経て、武蔵野美術大学卒業。
 1985年、米国アートセンター・カレッジ・オブ・デザインを卒業後、ゼネラルモーターズ(米)、ポルシェ(独)のチーフデザイナー、母校のアート・カレッジの工業デザイン学部長を歴任。2004年、ビニンファリーナ(伊)のデザイン・ディレクターに就任。2006年に独立し、「KEN OKUYAMA DESIGN」のCEOに就任し、現在に至っています。

 同氏はさらにその上、米国母校、中国中央美術学院、多摩美大、金沢美術工芸大などの国内外六大学の客員教授、グッドデザイン賞選考副委員長などの華麗な肩書きが加わります。
 同じ県の出身なのに何でこうも違うのかと、私などはクラクラする頭を抱えたくなるようなまばゆいばかりの経歴です。氏は50代前半の働き盛りですから、今後さらに大きな業績を積み重ねることになるのでしょう。

 そんな奥山氏の「成功習慣」は、
 「言葉の力だけを頼りに コミュニケーションしてみよう」
です。ハイレベルな結論を導き出す力は、言葉を意識的に操ることで身につく、と氏は言うのです。
 「勤勉さ」「他人への気配り」といった日本人としての美徳だけでは、世界を相手のビジネスでは通用しないということです。これは、長年米国人、ドイツ人、イタリア人などと互角以上の交渉事をこなして成功させてきた奥山氏の経験則から導かれたものだけに説得力があります。

 それについての奥山哲学も紹介したいところですが割愛して。コミュニケーション能力アップのために今でも氏自身が実践しているのは、
 「1日1回は見ず知らずの人と会話をする」
ことだそうです。見ず知らずの人と「中身があってなおかつ心地よい会話ができるように言葉をつないでいく。やってみるとわかりますが、慣れないと意外にむずかしいものです。」

 確かに、確かに。奥山氏の場合、家庭環境の良さや山形一の都市育ちですから、小さい時からニミュニケーション能力の土台は培われていたのかもしれません。ただそれだけで一流の国際人になれるわけではもちろんなく、その上絶えざる継続的努力によって大輪の花を咲かせたわけです。
 わたくしめは、せめて奥山清行氏の爪のあかでも煎じて飲ませていただきたい、と念願致すきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『「継続できる人」の習慣 「続ける」技術』(「THE21」BOOKS、「THE21」編集部編、PHP研究所刊)
関連記事
『山形県内高校事情』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-63bd.html
『〈フェルミ推定」とは何ぞや(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-5d7f.html

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日本は世界一著作権法に厳しい国?

 -この問題でも根っこにあるのは、日本型官僚支配システムの弊害なのだろう-

 過日の『こんな理由でブログ「全面削除」 !?』記事のURLがあるサイトで紹介されました。たまたま同記事へのある人のアクセス元をたどってそれを知ったのです。
 このサイトは<著作権と肖像権に関して多面的かつ体系的に問題点を掘り下げ、抉り出しています。

 ある人のブログが全面削除されたことを知り、私も『名曲-所感・所見』カテゴリーで多くの歌を取り上げてきましたから、今までさほど気にもしていなかった著作権問題について多少なりともアンテナが働くようになってきました。
 そこで、『日本が世界一著作権・肖像権に厳しい国であることの理由まとめ』という同サイトをプリントアウトし、読ませていただきました。

 といっても、奥行きの深いのが著作権法問題です。全部で1~16までの項目があるうちの、「まえがき」「1.歌詞の引用問題」の数ページのみです。本文の合間に当ブログ記事など20弱の関連サイトURLが紹介されています。
 それぞれに1行から数行くらいのコメントがついています。ちなみに当ブログ紹介コメントはー。
 「ブロガーが以前のブログで歌詞を引用しただけで契約違反として事前通告なしにブログが削除されたことについて、歌詞の引用をすることがいかに困難であることかが伝わってきます」
というものです。

 全体のほんの一部ということになりますが、何読かして大変参考になりました。その結果改めて思い知らされたのは、我が国著作権法の法外な厳しさです。
 中でも特に、同記事で問題となったJASRAC(財団法人日本音楽著作権協会)の厳しさは際立っています。この文を読むと、出版物はもとより、インターネット上での「歌詞の引用」は事実上不可能のようです。

 同記事(続)でも紹介しましたが、著作権法では「著作権を無断で利用できる例外」規定を設けています。前回はそのうち「私的使用のための複製」(同法30条)についてでしたが、
 「引用」(32条)
についても例外的に利用できることになっています。自分の著した文章なり論文なりが「主」であり、著作物相当の他人の文章、論文等の一部が「従」であり、かつ典拠が明示されている場合は無断引用が認められているのです。

 ところが音楽著作物の場合、例えばネットなどでの歌詞の引用は一切まかりならんというのです。そう断定しているのは、音楽著作権を一元的に管理しているJASRACです。「歌詞」だけが引用の例外中の例外扱いなのです。
 仮に引用した場合、JASRACから高額な使用料が要求されるそうです。
 歌詞はその歌の全歌詞ということではありません。著作権有効な歌の少しのフレーズでも書き込むだけでアウトなのです。その場合でも「窃盗以上の犯罪」とみなされ、仮に逮捕されれば高額の罰金ないしは10年以下の懲役刑に処せられることになるのです。

 確か著作権法のどこにも、「無断引用にあたって、音楽著作物の歌詞の引用は例外とする」という条文はなかったはずです。同法の関連法律の中にあるいは「歌詞の一節であろうとも引用してはならない」というような条文なり規定なりがあるのかどうなのか。
 もしこんな強権的なことを、国会の承認も経ずにJASRACが独断で発動させているのだとしたら、同協会は大変な独裁団体と言うべきです。
 「歌詞の引用禁止の根拠」は何なのか、JASRACは国会の場に出てきて、国民に根拠を明らかにすべき説明責任を負っています。

 我が国著作権法の厳しすぎる縛りは、すべて、著作者、著作権者(両者はケースによって同一者の場合もあり違う場合もある)、音楽の場合JASRAC、レコード製作・販売など音楽関係会社の権利擁護、もっと言えば利益確保のためです。そしてJASRACやレコード会社には官僚が天下っていて主要ポストを占めています。

 特に我が国の場合、世界各国の著作権法に比しても「ビジネス最優先」目的が顕著であるようです。そのため、世界各国の著作権法と異なり「使わせない権利」となっているのが現状なのです。
 アメリカは訴訟大国であり、確か著作権保護期間も70年と我が国の50年より長かったはずです。しかしアメリカには、日本にない優れた点として「フェアユース法」というのがあるそうです。このフェアユース法は、「非商業目的ならば文章でも歌詞でも画像でも引用可能とする」法律です。これが我が国に導入されれば、無料ブログの場合、存分に歌詞引用が可能となります。

 例のТPPによって日本にも米国式のフェアユース法が導入されることになるのか、というとどうもそうはならないようです。日本では音楽・映像・書籍など利益を独占したい著作権団体が多く存在しているため、同法導入は困難とみられているのです。
 それのみかТPPによって、今でも世界一厳しいのにさらに一段と厳しくなることが予想されるというのです。著作権保護期間はさらに伸びて70年、100年…。罰則がさらに厳しくなって、歌詞引用の場合はブログ削除などではなく即逮捕。歌詞だけではなく全てのテキストの引用禁止…。

 著作権法一つ取ってみても、「21世紀は諸規制が緩和されて暮らしやすい社会になる」などはとんだ幻想だったわけです。実態は「規制強化」「言論統制」「国民監視」が一段と進行中です。
 すべては「対米隷属」「官僚支配」のしからしむるところです。こういう旧勢力支配から脱却して、この国を「国民の生活が第一」というまっとうなあり方に戻すことが、09年政権交代時の国民との約束じゃなかったのかい?えっ、真逆民主党よ。真逆野田佳彦さんよ。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
サイト『日本が世界一著作権・肖像権に厳しい国であることの理由まとめ-NEVER まとめ』
http://matome.naver.jp/odai/2131038376804734301l

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ラビリントス&クノッソス宮殿

 前回の『伝説のミノス王』では、ミノス王が偽の牡牛を生贄としたことに対して海神ポセイドンが激怒し、牡牛を凶暴にした上、王妃パシパエがその牡牛に強烈な恋心を抱くように仕向けた次第について述べました。
 ここでは、王妃の「牡牛への恋」という、柳田國男の『遠野物語』中の美しい娘が馬に恋をする説話に勝るとも劣らない、世にも奇妙な出来事の顛末について述べていきます。

 牡牛への恋の虜となったパシパエは思いを遂げるため、クレタ島随一というよりギリシャ神話中でも名高い名工ダイダロスに相談します。するとダイダロスは木で牡牛の像を作り、内部を空洞にして表面に牡牛の皮を張りつけました。
 その上像を牧場に運び、パシパエをその中に入れて牡牛と交わらせたのです。その結果パシパエは身ごもり、体は人身ながら牛の顔を持つ怪物ミノタウロスを産み落としました。

 「人間と牛ではそもそも染色体の数が違うのだから、そんなことあるわけがないだろう」と言うのは、人間世界の定理に縛られた思考です。神話世界は「夢の中の世界」と似たところがあります。夢の世界では、現実世界では思いが及ばないような奇想天外な事がまゝ起こるものです。

 さあミノス王はこれを知って激怒するまいことか。王妃にとんでもない入れ知恵をしたダイダロスを捕まえ牢に幽閉しますが、王妃が救い出したと言われています。
 なにせ生まれたミノタウロスは、牛頭人身という怪物の上、ポセイドンが凶暴化した父牛譲りの凶暴さです。この扱いにはさしものミノス王も困り果て、つまりは王もダイダロスを使うしかなくなります。ミノタウロスを閉じ込めるための建造物を造るよう命じたのです。

 こうして造られたのが「ラビリントス」です。ラビリュントス、ラビリンスとも表記されるこの建造物は、世界の歴史でも類を見ない「大迷宮」だったのです。ラビリントスに入ったが最後、複雑に入り組んだ迷路に迷い込み、二度と外に出られないという代物です。つまりは“ラビリントスの主”のミノタウロスに見つけ出され、その餌食になってしまうのです。

 ラビリントス(迷宮)は後世の作家や芸術家たちの想像力を大いに刺激してきました。例えば以前取り上げたマーク・トェインの『トム・ソーヤーの冒険』のラストのハイライトは迷宮のようなマグドゥガル洞窟が舞台になっています。
 この洞窟に迷い込んだトム少年と“婚約者”の少女ベッキーは、数日間絶体絶命で迷宮洞窟からの脱出を試みます。そのようすが、映画『インディ・ジョーンズ(魔宮の伝説)』もかくやと思われる迫真の筆致で描かれています。

 ラビリントスがあったとされるのは、クレタ島北方のクノッソスです。ここが古代ミノア文明の都だったからです。
 ところでクノッソスには、もう一つ「クノッソス宮殿」という名高い建造物があります。この宮殿と思しき遺跡が既に発掘されており、ギリシャ観光におけるクレタ島コースの目玉になっているといいます。

 このクノッソス宮殿も不思議な建造物のようです。今から30年ほど前、それを唱えたのはヴンダリーヒというドイツ人地質学者です。
 ヴンダリーヒは、この建物は宮殿ではなく「霊廟」ではないのかと言うのです。もし宮殿なら王の一族が住まう優雅な建物、しかし霊廟となれば死者の魂を祀(まつ)る建物、性格がまるで異なってきます。
 これは歴史学上認知されているわけではないので仮説ということになりますが、ヴンダリーヒはその根拠として次のようなことを挙げています。

 まず王の住む宮殿なのに、外敵を防ぐ城壁がないこと。また王宮の入り口が凶とされている西の方角にあること。日が昇る東の方角が「誕生と再生」を表すのなら、日が沈む西の方角は「死と黄泉の国」の象徴であるので王宮の入り口としてはおかしいのです。
 また建物内には浴槽らしきものがありますが、小さすぎて人が入れないのです。浴室には排水溝もありません。小さすぎる浴槽は、死者をポッキリ折って収める柩(ひつぎ)だったと仮定するとつじつまが合ってくるわけです。

 一方のラビリントスはまだ見つかっていません。そこで、地下深くに埋もれているという説や、実はクノッソス宮殿こそがラビリントスだったのだという説など諸説あるようです。
 さて次回からは、妖し気な大迷宮を巡ってつむぎ出された「アリアドネの糸」という物語について見ていこうと思います。

 (大場光太郎・記)

参考・引用 本文中、クノッソス宮殿に関する記述は、以下のサイトを参考・引用させていただきました。
サイト『BeneDict「地球歴史館」』-「クノッソス宮殿に死者は住む~クレタ島の謎~」
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-4.htm
関連記事
『クレタ島、エーゲ海、ミノア文明』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-b77d.html
『伝説のミノス王』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-08a9.html

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フォレスタの「花言葉の唄」

 -女声フォレスタによって現代に蘇った、暗い時局に咲いた『花言葉の唄』-

      (「フォレスタ 花言葉の唄」YouTube動画)
      (1曲目が「花言葉の唄」、2曲目は「花の街」)
       http://www.youtube.com/watch?v=H3pmbz_wGOk

                         *                                                  
 それにしても。この歌が発表されたという昭和11年は、2・26事件が起きた年です。そして翌12年は、泥沼の日中戦争の発端となった盧溝橋事件が勃発。時局は戦時色一色に染まりつつあった世相の中で、よくもこんな明るい清新な歌が生まれたものです。詩人・西條八十。あえて、そんな時代へのアンチテーゼの意図を込めたのでしょうか。
                       * 
 上の一文は、「二木紘三のうた物語」の『花言葉の唄』の私のコメント(2008年2月4日)の一部を引用したものです。その後思い出しましたが、昭和12年発表の『春の唄』もこれと同じことが言えそうです。共に、暗い時局に花咲いた「奇跡の歌」という感がします。

 とエラそうに言っても、私自身『花言葉の唄』を知ったのはほんの数年前のことです。若い人は余計ご存知ないことでしょう。二木先生はこの歌の《蛇足》で、「歌謡曲っぽいフレーズが少しあるものの、歌詞・曲とも、現代なら小中学校の音楽教科書に掲載されていておかしくない、きれいなワルツです」と述べておられます。
 若い人のみならず、多くの人に知って口ずさんでいただきたい歌の一つです。 

 この歌をなんと、フォレスタがちゃんと歌ってくれていたではありませんか !
 3人による女声コーラスです。この歌は3番までありますが、3人がそれぞれを独唱するという構成になっています。独唱を他の2人が息の合ったコーラスでしっかり支えています。
 1番独唱は小笠原優子さん、2番は白石佐和子さん、そして3番は中安千晶さんです。この3女性は共にソプラノですが、同じソプラノとは言っても各人の声の個性がよく表われています。2番の中の歌詞をもじって言えば「三花三色」といった趣きがします。

 私が勝手に想像するに、独唱は“年の順”であるようです。つまり最年長の小笠原さん、次にお姉さんの白石さん、最年少の中安さんという順番です。
 残念なことにネット上で探しても、フォレスタメンバーは男女とも「年齢不詳」です。それでこれまた勝手な推測をしてみるに(その根拠は、女声5人全員で歌っている歌を取り上げた時に“披露”します)、小笠原優子さんは推定年齢38歳前後、白石佐和子さんは同30歳前後、中安千晶さんは同28歳前後となるのではないでしょうか?(すべての「フォレスタ女声コーラスファン」のために、どなたか正確にご存知の方はお教えください。)

 若い彼女たちは当然、この歌が発表された前後の情勢などあまり知らないことでしょう。しかしそれがかえって幸いしていると言っていいようです。つまり戦前のこの歌を彼女たち自身のまっさらな感性でとらえ直し、自由に解釈し、リニューアルされて現代に蘇った『フォレスタの花言葉の唄』になっていると思われるからです。

 小笠原優子さん、白石佐和子さんの安定した歌唱力は他の歌で十分実証済みです。それは中安千晶さんとて同じですが、2人のお姉さんを引き継いだラストの中安さん、この歌に限って言えば少し割りを食ってしまったかな?という感じがしないでもありません。

 この歌では前面中央に位置し、動画の最初と最後に大映しされているのが小笠原優子さんです。そのせいか圧倒的な存在感があります。小笠原さん、花に例えれば大輪の薔薇(バラ)といったところでしょうか。
 ある人が他の歌で「(フォレスタの5人の女性陣は)皆さん女優さんのようだ」とコメントしていますが、中でも小笠原さんは本当に女優と見まごうほどにお綺麗です。さらに賛美して言えばこの歌の小笠原さん、気品ある女王様のようです。

 「♪咲いたらあげましょ…」と、3人のうちのどなたかから花がもらえたら…。「いやあ、人生最高 !」ですね。

 (大場光太郎・記) 

関連記事
『フォレスタの「汽車・」汽車ポッポ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e894.html
『美しすぎるフォレスタ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-1920.html

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ものの種

             日野 草城

  ものの種にぎればいのちひしめける

…… * …… * …… * …… * ……
 日野草城(ひの・そうじょう) 明治34年、東京上野生まれ。京大法科卒。二十歳で「ホトトギス」巻頭、課題句選者になるが、新興俳句運動を推進、「ホトトギス」同人を除籍された。俳句を中断。戦後、病床にあり俳句再開。昭和24年「青玄」を創刊主宰。才気ある感覚的な前期の句風と、重厚真摯な後期の句風とが接続する。句集に『花氷』『青芝』『昨日の花』『転轍手』『旦暮』『人生の午後』『銀』など。昭和31年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

《私の鑑賞ノート》
 「ものの種」「物種」「種物」などは春の季語です。春は五穀・野菜・草花の種まきの季節であるためそう決められたようです。

  ものの種にぎればいのちひしめける
 この句にあって「種」以外はすべて平がなです。そのため種がより強調されている効果が感じられます。詠まれていることはいたって平易です。
 「ものの種を手で握りしめてみた。すると、手の中で種の中の命がひしめきあっている気配が伝わってきた」というのです。

 もしそのことを本当に実感したのなら、日野草城は種の中に宿る生命すら感じられる稀れなエスパーということになるでしょう。しかしそんなことではなく、草城が「いのちひしめける」と感じたのは想像(イマジネーション)の中でのことだったと推察されます。
 そこが日野草城という俳人の非凡なところです。凡人が朝顔の種でも何でもいいから“ものの種”を手で握ってみても、黒っぽい小さなただの塊りとしか感じられません。「いのち」の片鱗すら思い浮かんでは来ないものです。

 何の変哲もない殻に覆われた小さな一粒の種。それでも実際その種を地に蒔けば、米や麦などの小さな双葉が生え出て、茎を伸ばし花を咲かせ、たくさんの実を結ばせるのです。さらにはその実を刈り取っていただくことにより、人の命を支えてくれるのです。

 かつて我が国の古い暦には「一粒万倍日」というのがありました。地に蒔いた一粒の種が万倍もの実を実らせるように、この日たった一つの善行でもすれば、それがやがて複利がついて万倍にもなって天がご褒美を返してくれるのだよ、という庶民への善行の勧めのようなものだったのでしょうか。
 これなどは、私たちの先祖が今よりずっと大地や農耕と密着していた時代だからこそのように思われます。

 一見すると種は、死んだように動かない小さなかけらのような物体にすぎません。しかし種は日野草城が観照したように、その中に玄妙不可思議な「いのちのひしめき」を宿しているわけです。ものの種は、真言密教で説くところの「胎蔵界曼荼羅」を蔵(ぞう)しているミクロコスモス(少宇宙)と言っていいのかもしれません。

 もし今後ものの種に接する機会があれば、私たちもそれをまざまざと見、手で握りしめてみて「いのちひしめける」さまをイメージし得るようでありたいものです。

 (大場光太郎・記)

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モーパッサン『脂肪の塊』

 先日『赤い鳥運動」について』を公開しました。その後にわかに「赤い鳥童話」が読みたくなりました。そこで、初めて読む有島武郎の『一房の葡萄』、小川未明の『赤いろうそくと人魚』、新美南吉の『ごん狐』の三篇を「青空文庫」からプリントアウトして読んでみました。
 三篇とも噂にたがわず、余韻がいつまでも残るさすが名童話です。

 もっと読みたいと思っていたら、新潮文庫から『赤い鳥傑作集』(壷田譲治編)というのが出ていることを知りました。何かのついでに本厚木駅すぐの有隣堂に行って聞いてみたところ、「もう絶版です」とのこと。このご時世、本でも何でも、中身は良くても「売れないもの」は、すぐに絶版となり製造中止になってしまうのです。

 そうなると余計読みたくなるのが人情です。幸い、同書店の近くに厚木市立中央図書館があります。『あそこにならあるだろう』という訳で、同図書館のカウンターに行って検索してもらいました。
 するとやっぱりありました。ただし借り手がなく、倉庫に眠っているとのこと。持ってきてもらう間、カウンター近くの岩波文庫陳列棚を眺めていました。久しぶりで何かコクのある西洋文学を読みたくなったのです。しかし、ただ今継続中の『ハックルベリ・フィンの冒険』のように6百何十ページもの長編では、読むのにえらい骨が折れます。

 『薄っぺらいので何か』と思っていたら、手ごろなのが見つかりました。モーパッサンの『脂肪の塊』。わずか90ページほどしかありません。それにこの本は高校の頃から知っていて、いつかそのうちに…と思いながら読まずにこの年まで来てしまったのでした。
 こうして『赤い鳥傑作集』と『脂肪の塊』を借り、両方同時に読み進めました。結果、『脂肪の塊』を先に読みきってしまいました。

 この短編小説の背景には、ブロシャ(プロイセン王国-ドイツ)とフランスが戦った「普仏戦争」(1870~1871年)があります。同戦争はブロシャの圧倒的勝利で終わり、フランスの主要都市は占領されてしまいます。
 ノルマンディー地方の一都市ルーアン市も同様です。この物語はまさに同市がプロシャ軍によって占領されるところから始まります。

 占領状態を嫌って、未占領の遠い港町ル・アーヴルに避難する計画を立てた者たちがいます。金持ち(ブルジョワ)連中です。ブロシャ軍司令官に働きかけ、出発の許可を得ます。
 4頭立ての大きな乗合馬車が用意され、馬車屋に10人の者たちが申し込みます。人目を避けるため、朝がまだ明けきらないうちに出発しました。

 10人の顔ぶれはー。時に汚い手も使って成り上がったぶどう酒卸商人のロワゾー夫妻。綿糸業界で押しも押されもせぬ勢力家で、県会議員を務めレジオン・ドヌール勲章受勲者でもあるカレ・ラドマン夫妻。ノルマンディーでも指折りの名貴族であるユベール・ド・プレビィル夫妻。顔一面あばた面の老婆と可愛らしくも病的な顔の若い女の2人の尼僧。よく人に顔の知られている民主主義者のコルニュデという男。
 そして最後に、この物語の主人公である娼婦エリザベット・ルーセ。

 この娼婦はまだそんなに年はいっていないはずなのに、でっぷり肥っているため評判が高く、ブール・ド・シュイフ(脂肪の塊)というあだ名で呼ばれているのでした。ただしこの娼婦、肥ってはいても木嶋佳苗のようなブ女ではなく、容姿的に魅力的な面をいっぱい持っていたのです。
 缶詰状態でしかも長旅が予想される馬車の中に、よりによって「淫売」「売女(ばいた)」(両方とも今では差別用語でしょうが、この訳では用いられている)が乗り込んできたのです。尼僧は無関心を装うとしても、特にブルジョワの3人の奥方には場が汚されたようでたまらないわけです。

 以後この物語は、雪中を走る車中でのようす、宿泊した宿で意外にも何日も足止めをくらい、旅行者たちが次第に焦燥といらだちを募らせていくようすなどを、脂肪の塊(娼婦)を中心として述べられていきます。
 そもそも足止めをくらわしたのは、この宿を拠点としているプロシャ軍の美男仕官なのでした。そしてそれは、脂肪の塊が“ある事”を拒否したことが原因なのです。この時の娼婦は、打ちひしがれた祖国を心底愛する、誇り高き淑女だったのです。

 雪に閉ざされた宿で何日続くか分からない足止めに、ブルジョワたちは次第にその表面上の上品な仮面を脱ぎ捨て、少しずつ本性を現していきます。脂肪の塊がいない留守に、彼女を「生贄の子羊」にする策謀を巡らすのです。謀議が白熱するにつれて、三婦人特に美貌のカレ・ラドマン夫人などはエロチックな妄想を膨らましていきます。
 この謀議に決定的な免罪符を与えたのは、尼僧のうちの老婆でした。

 シェークスピア(実際の作者はサンジェルマン伯爵)は、何かの作品で「綺麗は穢い。穢いは綺麗」と、意味深な警句を発しています。まさにこの状況にぴったりです。
 ブール・ド・シュイフは皆の窮状を救うため、自身を犠牲にする決断をします。この時ほど我が身の上が恨めしかったことはないはずです。しかしこの時淫売女は純真な聖女に変身したのです。
 ブルジョワ連中とその奥方たちは、その夜仕官の部屋から聞こえてくる音を聞き漏らすまいと聞き耳を立てます。尼僧たちは描かれていませんが、きっとロザリオを繰りながら空疎な祈りで誤魔化していたのでしょう。
 コルニュデは、終始この連中から離れ一人物思いに耽ります。

 こうして翌日足止めは解かれ出発の許可が出、一行は雪道を出発します。「恩人」である脂肪の塊が一番遅れて乗り込むとブルジョワ連中は…。
 コルニュデはニヤリと笑い、口笛でラ・マルセイエーズ(フランス国歌)を吹き始めます。そして彼は宵闇の、真っ暗闇の雪道を、馬車が到着地に着くまでずっとそれを吹き通したのです。

 「一方ブール・ド・シュイフは相変わらず泣いていた。そして時々、抑えようとしても抑えきれないすすり泣きが、歌のあいまあいまに、闇の中へ漏れるのであった。」(結びより)

 これだけでは不十分かしれませんが、ここに至る一連の物語に導かれてのこの結末です。私はブール・ド・シェイフに感情移入して、しばらくこの物語が頭から離れませんでした。

 「あとがき」によると、この作品を発表したのはモーパッサン30歳の時。まだ無名の青年でしたがこれが彼の出世作でもあり、代表作の一つになりました。
 厳格な師であったフローベール(代表作『ボヴァリー夫人』)は、この結末をたいそう喜んだといいます。「これは傑作だ。後世に残ることは俺が保証する。」と愛弟子に書き送り、フローベールはほどなく急逝してしまったのだそうです。

 なおこの作品の娼婦は実在の女だったといいます。実際「脂肪の塊」と呼ばれた女の身の上話を聞いて潤色し、類稀れな名作に仕立てたのです。女とは直接の面識はなかったものの、後年偶然にも、ルーアンの劇場で2人は不思議な巡り合いをしたそうです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『脂肪の塊』(モーパッサン作、水野亮訳、岩波文庫)
参考サイト『青空文庫』(ただし『脂肪の塊』はありません。)
http://www.aozora.gr.jp/

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阿修羅掲示板閉鎖-危険水域に突入

【緊急速報記事】
【阿修羅掲示板見られない-28.6.26】大丈夫です。1日以内に復旧の見込みのようです!
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-8e8f.html

 -戦時中の治安維持法的な、国家の言論統制を断じて許すわけにはいかない !!-

 21日、個人的に考えて、二つの問題がネット上で発生しました。

 その一つ目は、最近ひんぱんに聴いているloveforstaさん提供のYoutube「フォレスタコーラス」がすべて削除され、この人が提供してくれていた歌が聴けなくなってしまったことです。ある歌を聴こうとすると、真っ黒な動画画面上に、

この動画をアップロードしたユーザーが YouTube アカウントを削除したため、この動画も削除されました。
申し訳ありません。

と表示されます。

 これを素直に受け取るなら、loveforsaさん提供の全曲が聴けなくなったのは、Youtubeによる強制削除ではなく、loveforstaさんご自身の何らかの事情によるもののようです。
 聴けなくなったものは仕方ありません。幸いにも、フォレスタについてはもうおひと方のnewminamiさんが、loveforstaさん以上のフォレスタ曲をカバーしておられます。ただ私はこれまで音量が大きくて、ボリュームの調節がしやすいloveforstaさん中心に聴いてきましたから、残念といえば残念ですが。

 次は上の問題など比較にならないほど深刻な大問題です。
 天下の大掲示板「阿修羅掲示板」が、21日とうとう閉鎖されたらしいのです。同掲示板にアクセスしようとすると、( http://www.asyura2.com/ )

Internet Ewplorer ではこのページは表示されません


という、例の取りつく島のない表示がされるのみです。
 最近の『いよいよ「ネット規制」の始まりか !?』で見ましたように、今月7日に長時間アクセス不能状態に陥るなど、その兆候はちらほら見えていました。その後も一つ一つの記事に拍手が出来ない、拍手ランキングが表示されないなどのトラブルに見舞われてきました。
 そして遂に来るべき時がきて、この日閉鎖となってしまったのです。

 「阿修羅掲示板」は、昨年3月の『★阿修羅掲示板♪のこと』でも触れましたが、かつて久米宏の『ニュースステーション』でも取り上げられたこともある老舗掲示板です。以来17、8年間、時々刻々生起した政局、事件、事故などについて、忌憚のない、歯に衣着せぬネット評論などが同掲示板に集約されてきました。
 仔細には覚えていませんが、その間の総アクセス数は5千万件以上にも上ったのではなかったでしょうか。これ一つ取ってみても「国民的掲示板」と言えたはずです。
 また名だたる記事には何百ものコメントが寄せられ、侃々諤々、白熱の議論が展開されるなど、「ネット公論の場」としての役割も果たしていました。

 そんな天下の、国民的大掲示板がある日突然閉鎖され、アクセス不能になってしまうのです。かつてなかった異常事態が、今の野田政権下で進行中だということです。この異様な事態に薄ら寒い思いを抱くのは私一人だけでしょうか?
 今野田政権を名指ししました。こんなとんでもない暴挙は、後ろで霞ヶ関官僚群が糸を引く野田政権、時の国家権力以外考えられないではありませんか。

 彼らが今回「阿修羅閉鎖」に踏み切ったのはなぜなのでしょう。きっと何らかの理由があるはずです。
 当局ならぬ私には分かりかねますが、考えられることが二つほどあります。

 その一 阿修羅掲示板に掲載される記事は、小沢一郎民主党元代表擁護論が圧倒的に多かったこと。

 つい先日の19日、東京地裁における小沢第一審裁判が結審しました。同日行われた小沢弁護団による最終弁論では、「特捜部の妄想から始まったゼネコン収賄事件の捜査は敗北に終わった。本件はその残滓である」などと、圧巻の弁論を展開したようです。
 その中では、小沢元代表に禁固3年を求刑した指定弁護士による、「ヤクザの親分理論」などの小ざかしいデッチアゲに対して、グーの音も出ないほど明快に反論したのです。
 もはや有罪の根拠は何一つ残っておらず、誰がどう考えても「小沢無罪」は確実な情勢です。

 ただ09年3月の大久保隆則元秘書逮捕以来、「小沢抹殺」のための謀略の限りを尽くしてきたのが、検察、最高裁事務総局など司法一派です。仮に小沢無罪となれば、その間の謀略のすべてが白日の下にさらされかねません。そうなれば、法務省組織全体の解体的改革につながりかねないわけです。
 オール霞ヶ関それに現野田政権幹部らも似たり寄ったりの理由で、「小沢有罪」を望んでいるはずです。
 4月26日の第一審判決を前に、これ以上の「小沢擁護」の拡大を阻止したかった。阿修羅閉鎖にはそんな理由がまず考えられます。

 その二。福島第一原発が今危機的状況にあるのかもしれないこと。

 私はこちらの理由の方がより強いのではないだろうか?と考えます。阿修羅の小沢擁護論は何も今に始まったわけではありません。3年前の西松事件以来一貫してそうだったようです。だとしたら、いくら判決間近とは言え閉鎖の理由しては少し薄弱な気がします。
 しかし最近の『福島原発4号機がヤバい?』で見ましたように、本当に4号機建屋が倒壊寸前で、ちらばらの使用済み燃料棒から超努級の放射能が漏れ出す危険性が高まっているとしたら?

 それでなくても阿修羅掲示板には「原発板」というのがあって、1年前の原発事故以来各種の警告記事で大賑わいでした。最近は4号機問題などが多く取り上げられていたようです。

 4号機が差し迫った状態ではないにしても。
 菅前政権が「ネット規制」に乗り出すきっかけとなったのが、やはり原発事故の「流言蜚語」「風評被害」を避けるのが名目でした。菅前政権、そして原発事故終息宣言の野田政権と、こと原発問題に取り分け過敏になっていて、阿修羅という大掲示板で原発問題をこれ以上拡散するのを恐れた、ということは十分考えられます。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『★阿修羅掲示板♪のこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-a1d2.html
『いよいよ「ネット規制」の始まりか !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-eda2.html
『野田政権下で進む「言論統制」「国民監視」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-dfe0.html
『福島原発4号機がヤバい?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-421e.html
『安倍官邸ついに阿修羅掲示板強制閉鎖、ネット弾圧本格開始か!?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-c7d2.html

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アメシストが我が手に

 (今宵「アメシスト」を手に入れた次第を、ショートストーリー風にー)

 

  アメシスト (私が入手したものとは違います)

                         
 一

 19日夕方所用で本厚木駅周辺に行きました。所用が済んで帰りのバスに乗るため、同駅内の両側に花屋さん、コーヒーショップ、ラーメン店などが並ぶミロード内の広い通路を通りました。
 その中ほどではいつも何かしら催事の店が出ています。本日出店しているのは、ネックレスや時計や数珠や丸い玉のような開運グッズなど、どちらかというと年配者向けの店のようです。

 そこのすぐ側を通りました。と陳列台の端の方にさまざまな「石」がまとまって置いてあります。中でも奥の方の、こんもり盛り上がった石に目がいきました。色はうす紫、形は氷水をカップに目いっぱい掻き入れた、ちょうどあんな具合です。大きさも氷水と同じくらいのホリュームです。形だけなら、ろうそくの炎の形にそっくりです。ただ上の先端は尖ってはいず、なだらかです。
 その時はそれが何という石なのか気がづきませんでした。しかしやわらかいうす紫色に惹かれた私は、値段が知りたくなりました。しかし値札がどこにも見当たりません。

 うす紫の氷水形の石は、チョコレート色のプラスチックの台座の上に乗っています。『ひょっとして』と思い、落としたら大変なので、両手に包み込むようにそっとその石を持ち上げてみました。ずしりと重く、1キログラムほどありそうです。
 すると案の定、台座の上部に値段シールが貼ってあります。5,800円。意外な安さです。とっさに『買おうか』と思いました。が、またいつものクセで衝動買いしていいのか、と思いなおし元に戻しました。
 それにしても良い石だこと。なお少しその石を眺めていました。

 その時催事場にいた客は私一人。近くで店員が私の一連の動きを見ていたようです。40代くらいの背の高い男です。店には他に店員がいないところを見ると、男はこの催事の一人店主なのかもしれません。
 さすがは商売人。私の「買いたい気」をとっさに察知したようです。帰りかけた私に「今なら5千円でいいよ !」と、右手の五つの指をさっと広げて、「5千円だよ。さあ、買った買った」というシグナルを出しています。

 ウ~ン。私は一拍置くため「あの石は何ていうの?」と聞きました。店主と思しき男は「アメシスト」とぶっきらぼうに言い、続けて「水晶ですよ」と付け足しました。
 えっ、あれがあのアメシスト !?クリスタルの、紫水晶の、宝石のアメシスト !?
 「よし、買った !」と言おうと思いました。が思い止まって「5千円でいいんだね」と念を押しました。「また来るから。いつまでやってんの?」と聞くと、「明日まで」と言います。

 何歩か歩き出したものの、『あれはオレのアメシストだ。誰にも渡したくない』という思いが募ってきました。そこでくるっと踵(きびす)を返しました。
「やっぱり、あれ買うことにするわ」
 店主は『あゝそうかい』という風で、驚きもせずにその石を台の中央に移し、石と台座別々で梱包しビニール袋に入れて渡してくれました。

                      二

 バスを待ちながら、バスに乗ってからも考えました。
「本物のアメシストだとしたら、安すぎないか?」
 ひょっとして模造品かもしれないぞ、という疑念が湧いてきたのです。きっとそうに違いない。とんだマンパツ物(とはうちの郷里で「粗悪品」「駄物」を指す言葉)を掴まされたんだ。買うんじゃなかった、と後悔しました。

 『あの店主のヤツ』とも思いました。しかしさっきの無愛想な対応がかえって「本物」であることを示してもいそうです。もみ手しながらお追従されたら、それこそ模造品確定のようなものです。
 “アメシストもどき”かもしれない。そんな疑念のために、手にした時の喜びはとうに失せています。

 鉱石についてはズブの素人のくせして、家に着くなり「石改め」にかかりました。取り出した石を、ひっくり返したり、角度を変えて見たりしました。私の疑念をよそに、やっぱりなかなかの色合いです。
 つまりは、東窓とお隣の壁際に接した事務机の左端の中間(お隣との壁際)に台座ごと置くことにしました。(この机の上のパソコンで、私は当ブログを発信しています。今もパソコンの前角から左斜め前の“アメシスト”をちらちら見やりながら、この記事を作成しています。)

 しげしげと見てみるに、うす紫の色といい、室内照明を受けて光ったさまといい、けっこうな逸品のように思われてきました。
 手に取って裏返してみると、台座に接する平べったい底面には安定しやすいように研磨した跡が見られます。本物だとすると、まさか原石が初めからこんな形ではなかったことでしょう。それを示すように、表面の一部にもやはり研磨の跡が見られます。それが大いに“玉に瑕”と言えそうです。

 よく見ると表面は、たくさんの小さなピラミッド形が組み合わさって出来ています。小さい中にもまた大小があります。ピラミッドの比率そっくりなものが幾つもあります。
 こうして見ると、ギザのピラミッドに代表される「ピラミッド形」は人間が考え出したのではないことが分かります。自然のクリスタル結晶体の中に備わっていたのです。
 よく考えてみると、これだけのレプリカをつくるとなると逆に相当高くつくのではないでしょうか。

 冒頭の画像は、私が入手したものと色合いがよく似ているため掲げました。こちらは正真正銘のアメシスト、「宝石」といっていいものなのでしょう。無疵のようですし、光沢がまるで違います。“私のアメシスト”はくすんでいてこのような輝きはありません。
 同じアメシストとは言っても、価格数千円のものから何百万円(場合によっては何千万円?)までピンからキリまであるということなのでしょう。

 しかし“縁あって”私の所有となったからには、この石は私にとっての「宝石」であり「宝物」です。そう言えば思い出しました。アメシスト、30代後半の頃から欲しいと思っていたのです。
 今思いもかけず「聖(セント)ジャーメインの石」が私の所有となりました。安物でも何でも今後大切にしていきたいと思います。

 (注記)アメシストがなぜ聖ジャーメイン(サンジェルマン伯爵)の石なのか、いずれまた語る機会があるかもしれません。

 (大場光太郎・記)

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続・横浜国大の卒展に思うこと

   建築をつくることは
   未来をつくることである  (Y-GSAのコンセプト)

 横浜国立大学の卒展の作品に投影されているものが、若い彼らが建築を通して創ろうとしている未来なのでしょう。
 展示された作品群は、例えば現実の横浜市の中心街のようにビルがびっしり建て込んだひどい状態ではありません。ビルでも住居でもゆったりとしたスペースが取られており、現実の都市が抱える問題が解消された先にある未来都市の姿のようです。

 私は同卒展作品群をチラッと見渡しただけで、じっくり見て回ったわけではありません。たとえ時間をかけて見たところで、門外漢の私には、それらの一つ一つについて建築学的見地から批評することなど出来はしません。
 そこでここからは、もし建築学のプロがお読みなら「おいっ。一体何言ってるんだ !」とお叱りを受けそうな、うんと飛躍した話をしていきたいと思います。

miho_tominaga_1_460.jpg













 富永美保作品「展開する中心」(一例であり卒展に展示されていたかは不明)

 この卒展の作品群を見て思ったのは、彼ら横浜国大生たちの発想は、なんだかんだ言っても結局は、現在の都市建築の延長線上にある未来なのではないだろうか、ということです。
 例えば彼らの作品群はどれも、ビルでも戸建住宅でも、建物はあい変わらず「四角四面」です。当然のことながら。
 そもそも建築学の根っこには、「建築物は四角いものであらねばならない」という、強固な固定観念がありそうです。

 建築設計の先達にあたる足立育朗氏は、1990年代半ば頃に出版し大きな話題となった『波動の法則』(PHP出版刊)の中で、地球上の四角四辺の建物は、周囲の波動を歪め悪影響を及ぼしている、と述べています。
 そして建築に「波動」を取り入れることの重要性を訴えているのです。足立氏自身、高波動建築物として「円形」を基本とした建築物の設計を多く手がけています。

 それかあらぬか。以前『「蛍の光」は1万2千年前の歌?』シリーズでご紹介した、米国シャスタ山の地中都市テロスは、市の中心にあるピラミッド形の大神殿を囲む市民の住居は円形とされているのです。
 テロスの神官アダマやボーソロゴス図書館長のミコスは、円形建物の中は気流が滞りなく循環し、ゴミやホコリがまったく堆積せず、室内は常に清浄に保たれると言っています。

 それともう一つ。
 同卒展のテーマがそうなのでしょうから仕方ありませんが、作品の中で中心となるのは「人工建築物」です。しかし思うのです。なぜ発想を転換して、豊かな自然に囲まれた都市建築を思い描かなかったのだろうかと。
 21世紀の人類にとっての喫緊の課題は「自然との共生」です。今ある世界中の都市は、夥しい自然破壊の上に築かれてきました。都市の抱える諸問題の根底には、そのことがあるように思われてならないのです。

 またまた飛躍します。
 地球より数万年進化していると言われる「プレアデス」では、地球人類が抱える戦争、人口爆発、飢餓、自然破壊などの深刻な課題は全てクリアーしているようです。彼らプレアデス人には既に「都市」という概念すらないようです。それこそ自然に埋もれた中に彼らの住居は点在し、プレアデス人共通の趣味は園芸やガーデニングだそうです。

 何もプレアデスなどという遠い星系だけではありません。
 ミコスのメッセージでも、空洞地球内のカタリナ市もほぼ同じようです。自然は手つかずのまま残され、大気は清浄、水は地上のように“死んだ水”ではなく“生きた水”だそうです。そこの水は「本当に生きていて意識がある」といいます。これらの優れた環境が、彼らの不死性を支えているのです。

 今回の作品を制作した若い横浜国大生たちは、自分たちの手で未来を切り開き、その未来で実際自分たちが生きていかなければならないのです。
 これまでの建築学がどうであれ、一人くらいは、豊かな自然と共生した円形の都市建築物のあり方を追求して欲しかったな、と思います。ただそういう作品は途中でスポイルされ、“優秀作品”には上がって来られないでしょうが。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

関連記事
『横浜国大の卒展に思うこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-5357.html
『地底都市テロス・空洞地球』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat43851721/index.html

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横浜国大の卒展に思うこと

   かもめ飛ぶ春の光を散りばめて  (拙句)

 「暑さ寒さも彼岸まで」の春のお彼岸を間近にしてようやく春めいてきました。晴天となった16日夕方、横浜に行ってきました。いつもながら業務上の所用によるものですから、どっちみち目指すのは神奈川県庁などです。だから通るルートは桜木町駅からと関内駅からの、毎度おなじみの二つのルートしかありません。
 それでも毎回、その道順で一つ、二つハッとさせられる事に出会うのです。
 「刺激をくれる街」。だから私は横浜が好きなのです。

 きょうもそういう体験をしました。
 桜木町駅で降りて、7、8分ほど歩き、もう少しで一つ目に目指す(国の)横浜第2合同庁舎です。広い道路の先には十何階かの同庁舎の威容が見えています。ただ信号は赤です。そこでその先20メートルほど手前の左側にある建物の角で待つことにしました。
 何気なくその1階の奥に目をやりますと、何やら展示会が行われているようすです。何の展示だ?と興味を抱き入り口の案内板を見ると、「横浜国立大学建築デザイン卒業優秀作品展」などとうたってあります。

 どおりで見えているのは、都市建築のミニチュアのようです。どうやら出入り自由のようだし、信号赤のうちにと、さっと中に入りました。
 一つの教室くらいの広さです。国立大学の展示会とあってあまり予算がないらしく、いたって簡素です。十幾つかの作品群が、床に直置きなのです。規格があるらしく、どれもみな一作品が約1メートル×70センチくらいです。その大きさをそのまま地面になぞらえ、その上に建物群を各自趣向を凝らして立ち上げています。素材は樹脂板らしく、それを加工したのでしょうか、全作品ほぼすべて白色で統一されています。

 会場には同大学の学生なのか若い男性が3人ほど、てんでに見て回っています。入り口側隅と対角線の向こう側に長机があり、それぞれ男女学生2人が座っています。皆下を向いて本か何かを一心に読んでいる風、来場者を気にかけるようすはありません。

 ざっと見渡せば、優秀作品と銘うっただけあって皆素晴らしい出来ばえです。
 おおむねフラットな地面が多かったようですが、中には坂の多い横浜市街を意識したのか、小高い丘をこしらえそこには一般住宅を3棟ほど並べ、低地にはビル群というのもあります。
 または居住用マンション群なのか、一つ一つの建物の周りをゆったりと緑地帯が取り囲んだものもありました。なお緑地帯だけ、例外的にうすい緑色が用いてあります。

 と文章にすれば長いですが、パッと中に入り、歩きながら見て回ったのは1分に満たない時間です。折角ですから、一つ一つじっくり見て回りたかったところです。
 しかし最近よく聴いている『フォレスタの船頭小唄』の「♪わたしゃ これから利根川の…」ではないけれど、わたしゃこれから、急ぎ信号の道路を渡って、向こうの庁舎に駆け込まなければならない身です。

 時刻は既に4時40分ころ。もたもたしちゃおられません。これから同庁舎6、7階の横浜地方法務局の3部署でそれぞれ証明書を取り、さらにそのうちの1通を、そこから数百メートル先の県分庁舎内の一部署に届ける算段なのです。
 近年各役所の多くが5時15分までの業務時間になっています。このたった15分の延長が利用者にはずい分ありがたいのです。

 めまぐるしく頭を回転させながら、私としては珍しくほぼ手際よく物事が進み、合同庁舎1階の特設喫煙ブースで一服する余裕が生まれました。
 中には大勢の男性がいて煙がもうもうと立ちこめています。それを見た近くの年配者が「これじゃ、タバコ吸わなくてもいいや。ただいるだけで煙が入ってくんだから」などと苦笑いしながら話しています。愛煙家の私も、自己矛盾ながら受動喫煙が心配になり、そそくさと外に出ました。

 所用が完了し、やはり気になったのは先ほど見た横浜国大展です。
 後でネットで調べたところ、このような大学の卒業作品を展示して一般公開する試みを「卒展」と言うのだそうです。横浜国大のみならず、多摩美大、武蔵野美大、東京芸大など多くの大学が催しているようです。
 ネットには『卒展2012』というのがあり、のぞいたところ横浜国大卒展もしっかりありました。会場となった建物は、ヨコハマ創造都市センター。
 同卒展の正式名称は、「横浜国立大学卒業設計+Y-GSA優秀作品展覧会」だそうです。

 「Y-GSA」とは同大学大学院建築コースの略称のようです。Y-GSAのページを見てみますと、そのコンセプトは、
 「建築をつくることは
  未来をつくることである」
 確かにその通り。異議なし。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

参考サイト
『SOTSUTEN 卒展2012』
http://acy.yafjp.org/sotsuten/syuttenkou/3gatukaisai.html
『Y-GSA』http://www.y-gsa.jp/
『Y-GSA』-「2011年度Y-GSA優秀作品展」開催のお知らせ
http://www.y-gsa.jp/update/news/2012/02/2011y-gsa.html

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続・こんな理由でブログ「全面削除」 !?

 ある人がご自身のブログの音楽記事で、著作権を侵害したことは事実のようです。著作権保護期間内にあるものを含む、著作権が現在有効な音楽著作物(具体的にはある歌の歌詞)を、ブログに掲載してしまったわけです。
 たとえ善意(この法律的意味は「知らずに」ということ)での掲載だったとしても、その管理団体であるJASRAC(社団法人日本音楽著作権協会)がその事実を知れば、何らかの処罰の対象になることは致し方ありません。
 
しかしそのことと、ブログの全面削除は別次元の問題であるように思われます。

 前回ご紹介した同氏コメント文では、ヤフーの理不尽な対応を特にお怒りでした。ヤフーブログの利用規約の「何の事前通告なしに、全ての記事を削除できる」という条項に基づいて、直接的に全削除という強硬手段に出たのはヤフーであるからです。
 しかし私は、ヤフーはJASRACの通告ないしは要請に基づいて、その意向を汲んでそうしただけ、と言えるとも思うのです。つまり、より問題視すべきは、この件に対するJASRACの対応です。

 著作権法の関連法として「著作権等管理事業法」というのがあります。著作物利用者が一々各著作者と交渉して利用契約などを行う煩雑さを避ける目的などのため、著作物の種類ごとに管理する団体が設立されていて、ここが一括管理し、利用者と使用契約などを行うシステムになっているのです。
 今回問題のJASRACは、その中の音楽著作物を一元管理する団体です。その他に映画、脚本、シナリオ、美術などの分野ごとに管理団体があり、その数はざっと数えて39にも上ります(平成16年時点)。 

 ちなみに問題のJASRACは、それら諸団体の中でも登録番号「第1号」です。諸著作物の中でも「音楽」の占める比重がいかに大きいかを物語っているようです。このことで同協会の鼻息が荒く、今回の暴挙の一因になっているのかもしれません。
 いずれにしてもご多分に漏れず、これらの諸団体には文部科学省、文化庁ОBたちがわんさか天下りし、それらのトップに君臨して各団体を牛耳っているわけです。

 上記のようなことから、私見では今回のブログ全面削除の件は、JASRAC、ヤフー一体として考えた方がいいように思います。同氏の場合、無料ブログで“善意”で歌詞を掲載してしまったのです。
 「その行為は著作権侵害に該当しますが、今回は注意だけに留めておきます。該当記事だけは削除してくださいね。次回はそうはいきませんよ」くらいで留めるべきだったのではないでしょうか。

 それをいきなり通告もなしで全面削除は誰が考えても常軌を逸しています。
 それでなくても著作権対象外として『船頭小唄』や『カチューシャの唄』のような古典的な歌しか思い浮かばない現状といい、同氏の「あんまり著作権がうるさいと、かえって文化の衰退を招くのでは」とのご懸念はもっともです。

 JASRACが依拠とするのはもちろん著作権法ですが、同法は民法の特別法であり、民法を支えている根本法は言うまでもなく日本国憲法です。つまり星の数ほどもある国内法はすべて最高法典である現憲法に収斂されていくのです。
 分かりきったことながら、現憲法は「国民の権利」に含むものとして「国民の自由権」が謳ってあります。これは少し踏み込めば「国家からの自由」という国民にとって大切な権利とされるものです。
 今回の件に関連することとして、「思想及び良心の自由」(第19条)、「集会、結社、表現の自由」(第21条)などが挙げられます。

 JASRAC及びヤフーは、著作権法という木ばかり見て、憲法という森を見ていないようです。結果、同氏という一国民の権利や自由を大きく踏みにじっているのです。

 ここでは特に憲法が保証する、国民の「集会、結社、表現の自由」について、少し考えてみたいと思います。
 著作権法では、「著作物を無断で利用できる例外」として、「私的使用のための複製」(同法30条)など利用範囲が限定されており、著作権者への影響が少ない場合などは、著作物の無断使用を認めています。
 JASRAC及びヤフーが、その例外と認めず、同氏の旧ヤフーブログに対して厳しい処断を下したということは、同ブログを私的なものではなく「公共的なものである」と判断したからだと思われます。

 確かに同ブログは、同氏が記事更新を頻繁に行い、ご自身の思想・信条を不特定多数の読者に向けて発信し、多くの読者を引きつけ、一つの記事に幾つものコメントが寄せられていました。
 これは立派に、ネット上に存在した、憲法で言うところの「集会、結社」とみなし得るものなのではないでしょうか。「集会、結社」であるならば、その自由は保証されなければなりません。

 JASRACとヤフーの両者には、果たしてそこまでの認識があったのかどうなのか。下された一方的な処断を見る限り、なかったことは明らかです。
 つまりこの両者は、憲法が保証する「集会、結社」をある日突然根こそぎ破壊し、同氏を含む人たちの「表現の機会」を奪ったのです。憲法の精神を踏みにじるこんな暴挙が本当に許されていいものなのでしょうか。
 特に問題とすべきはそのことだろうと私は考えます。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ビジネス著作権検定上級公式テキスト』(編著:知的財産教育研究所、発行:ウイネット)
関連記事
『こんな理由でブログ「全面削除」?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-d28c.html
『いよいよ「ネット規制」の始まりか !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-eda2.html

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こんな理由でブログ「全面削除」?

 最近ある人より、『いよいよ「ネット規制」の始まりか !?』に連続でコメントが寄せられました。それによると、同氏が数年間続けてきたヤフーブログが先月下旬、その中の音楽記事が「著作権法違反に該当する」という理由で全面削除となったというのです。

 「ネット規制」とは少し事情が違うかもしれません。が、それにしても“当局”の姿勢は居丈高過ぎます。この一件は、近年ネット規制のみならず国民全体への「言論統制」が強まりつつある流れに沿った動きとも言えそうです。
 歌好きの私も、当ブログで『名曲-所感・所見』カテゴリーを設け、懐かしの叙情歌などを取り上げています。とても他人事とは思えません。よって今回は、この一件について述べていきたいと思います。

 同氏はご自身のブログタイトルのすぐ下に、「ブログは私の命である」と銘うっていたこともあります。ブログに全精力を傾注していたわけです。
 それが突如「全面削除」されたのです。無念、憤り…。そこに至る具体的な経緯は部外者には分かりませんが、心中察するにあまりあります。
 概略についてご当人が述べておられますので、そのコメントを以下に転載致します。
                       *

この件については、近く著作権に詳しい弁護士と相談したいと思っています。
私もJASRACに3回電話を入れ、いろいろ説明を受けました。非は私にありますが、もの凄く細かい事まで著作権が絡んでいますね。
不明の至りですが、例えば歌詞は原則としていっさい紹介できません。JASRACなどの許可が必要です。
もちろん、音楽が好きで善意で歌詞を引用したのですが、それも駄目です。もう音楽の記事は書く気がしません(笑)。止めようと思います。あんまり著作権がうるさいと、かえって文化の衰退を招くのではないでしょうか。

問題はヤフーです。「利用規約」を初めてよく読むと、利用者の立場が全く無視されています。いつでも何の事前通告もなく、全ての記事を削除できるのです。初めて知りましたが、これには驚きました。
利用者の著作権や知的財産権、人権などは全くありません。あまりにも一方的です。
いかがわしいブログが多いのは分かりますが、これはやはり問題だと思います。
なお、JASRACには旧文部省時代から、かなりの官僚が天下っているようです。何かありましたら、またご連絡します。 (転載終わり)
                       *
 上記文中のJASRACとは、音楽著作権を一手に取り仕切っている「社団法人日本音楽著作権協会」の略称です。(今回の件では、こことヤフーの対応が問題視されるわけです。)
 私もかつて著作権法をかじり、だいぶ前同法に関する記事を書いたこともあります。
 著作権法は民法の特別法に当たり、あまたある特別法の中でもやたら条文が長い法律です。それだけ「縛り」が多いと見ることができます。

 私がその時学習したテキストには、今回問題となる「著作権の侵害」について、以下のように記述してあります。
 「著作権者は著作権を独占的排他的に有し、著作者は著作者人格権を有する。
 したがって、正当な権原なく、第三者が他人の著作物を利用した場合には、原則として、著作権者、著作者の権利を侵害することになる。」(知的財産教育研究所編著『ビジネス著作権検定・上級公式テキスト』109ページより)

 著作権には「保護期間」というのがあって、これがなかなかの曲者なのです。文学、音楽などの著作物の場合、上で見たように「独占的排他的な権利」が賦与されますが、これは生存中のみならず、著作者の「死後50年間」存続するのです。

 だから例えば文学で言えば、1948年(昭和23年)死去の太宰治の場合、もう保護期間を過ぎていますから、その作品は公共的知的財産として、誰でも出版物やネットなとで自由に引用することができます。しかし1970年(昭和45年)死去の三島由紀夫の場合はまだ保護期間内なので、三島のほんの短いエッセイなどを使っただけでアウトとなります。

 音楽で言えば。例えば私は、そのうち童謡『かなりや』を記事にしようと考えていますが、大変残念なことに歌詞の掲載は不可です。少し前見ましたように、西條八十が童話雑誌『赤い鳥』にこの童謡を発表したのは1918年(大正7年)のことです。今から90年以上前なのですからオーケーだろうと言うと、さに非ず。
 なぜなら西條八十はその後も長く音楽界の重鎮として活躍し、死去したのは三島と同じ1970年なのです。だから、西條の作詞した『東京行進曲』『サーカスの唄』『旅の夜風』『蘇州夜曲』『青い山脈』など全部アウトです。

 詳しいことは分かりませんが、同氏が著作権法違反を指摘されたのは、氏のブログに掲載したある歌の歌詞が、保護期間内のものだったためではなかろうかと推察されます。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『いよいよ「ネット規制」の始まりか !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-eda2.html

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福島原発4号機がヤバい !?

 -4号機一つ取ってもこのとおり。こんな状態のどこが「終息」なのか?-

 野田首相は昨年12月、福島第一原発事故に関して「終息宣言」を出しました。しかしこれに対しては、「フクシマ」をシピアに受け止めている海外のメディアなどから、早速疑問の声が挙がりました。

 事実そのとおりです。終息宣言後も、各号機の温度計が突発的に高温状態を示すなどの異常が起きています。それに今もって各号機の建屋内に自由に入ることも出来ない危険な状態であることに変わりなく、1号機から4号機までの原子炉内部がどうなっているのか、誰も正確には把握できていないのが現状です。

 何しろ人類史上初の複数原子炉同時多発テロ、ではなかった、複数原子炉同時多発事故なのです。
 放射性物質はこの間一体どれだけの量が飛散したのか。将来的に見て本当の危険地帯はどこまでなのか。汚染された肉類、野菜、魚介類が市場に流通していることはないのか。地下水は本当に大丈夫なのか。具体的な除染プロセスをどう進めていくのか、総額30兆円という同予算をどうやって捻出するのか。この先何十年もかかると見られる石棺作業はいつになったら開始できるのか…。

 こういうことの一つ一つに明快な回答が示せるのでしょうか? おそらくすべての答えに窮することでしょう。なのに、再稼動させたいお役人からの入れ知恵なのか、「終息したとみられる」などと無責任なことを国民と世界に向かってよく言えたものです。
 昨年3月12日に1号機が爆発を起こしてから丸1年。終息どころか依然予断を許さない状態が続いているとみるのが正解なのではないでしょうか。

 中でもここにきて不安視されているのが4号機建屋の倒壊です。4号機といえば核燃料がプールに入ったまま野ざらし状態になっていて、今でも放射能が出っ放しの状態なのです。 
 同原発内で日々危険な作業に携わっている人は次のように言っています。
 「その建屋が見た目でハッキリ分かるほど、傾いているんですよ。一応、補強しているというけど、突貫作業でしょ?さっき言ったようにボルトが緩いのかもしれない。今度地震が来たらどうなんだろう」(注 危険と隣り合わせの作業のため、ボルトをさっと締めてさっと帰ってくるしかない)

 これについて京都大学の小出裕章助教授は、「4号機が崩壊すれば日本は“おしまい”です」と述べています。小出助教授は改めて言うまでもなく、我が国に原発が導入された頃から脱原発を叫んでいたとして一躍脚光を浴びている人物です。
 小出助教授のような専門家が見て「日本はおしまい」と判断するのはどうしてなのでしょうか。その理由を同助教授は次のように説明しています。

 「(4号機建屋上部に)プールがあって、その底に使用済み燃料がたくさん溜まっている。もしこれから大きな余震でも起きて、ここの壁が崩壊するようになれば、使用済みの燃料を冷やすことができなくなる。そうするとどんどん更に溶けてしまうということになって、使用済み燃料がたぶん全て溶けてしまうだろうと思います。そうなると、使用済み燃料の中に含まれていた膨大な放射能が何の障壁もなく外に噴き出してしまう」

 だったら地震が来ないうちに、鬼っ子の「使用済み燃料棒」をさっさと抜き出して、近くに急造した新プールに移せばいいようなものです。
 しかし小出助教授は「それは出来ない」といいます。なぜなら、問題の燃料棒をむき出しで空中に吊り上げる形になるため、その際周辺住民が即死するほどの膨大量の放射能が放出されるというのです。いやはや。

 そこで“鬼っ子燃料棒”を安全に移すための、小出助教授のプロセスはこうです。
 「やらなればならないことはたくさんあって、まずは使用済み燃料プールの中に崩れ落ちてしまっている瓦礫などをどけなければいけない。そしてどけた後に巨大な容器を沈められるように、クレーンを現場で動かさなければいけない。外から巨大なクレーンで吊るということができるでしょうから、その準備をする。
 そして沈めて、もうたぶん何がしか壊れているであろう使用済み燃料を巨大な容器に入れて、それをまた外に吊り上げるということをやらなければいけない」

 ただ問題は、そういう工程を全部やるには「何年もの歳月を要することになる」というのです。「その間に建物を壊すような地震が来たら?」の質問に対して、小出助教授はただ一言、
 「おしまいです」
 
 「何が終息だ。国民は何も知らないと思って。ナメるのもいい加減にしろ !」ではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』(3月3日4面)-「福島原発 現場作業員が語った、今そこにある「生」の恐怖」
阿修羅掲示板
『小出裕章:4号機燃料プールが崩壊すれば日本は“おしまい”です』
http://www.asyura2.com/12/genpatu21/msg/661.html

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東日本大震災から満1年

人とはなんと美しいものだろう。人が人であるときには (古代ギリシャの言葉)

 3月11日、忘れもしない東日本大震災から満1年を迎えました。この節目に当たり何か大震災記事を書こうと思いました。
 私は何度も述べましたように、昨年4月から無テレビ生活者、もう8年ほど大新聞不購読者です。それで普段は特段痛痒を感じません。かえってネガティヴニュースなどから開放されて爽快ですらあります。
 ただ今回の場合のように大震災について書こうとするような時には困ります。いきおい関連の情報量が少なすぎるのです。

 そこで私は同日夕方本厚木駅に行ったついでに、有隣堂書店に立ち寄りました。同店2階の隅に「震災関係コーナー」が設けられていることを知っていたからです。そこから何か震災関連のまとまった情報となるものを得ようというわけです。
 各新聞社の大判の写真集や関係書籍が並んで陳列してあります。その中で「語り継ぐ永久保存版」と銘うった、朝日新聞出版社の『大津波、原発事故、復興への歩み 震災1年全記録』という写真集を買いました。

 百数十ページの同本の前半はもっぱら写真だけです。各写真にはごく短く説明文がついていますが、被災した各地の生々しい惨状が大きく映し出されています。とにかく「写真の力」は凄いです。一枚の大きな写真には、いくら文章で伝えようとしても伝えきれないような核心がズバッと映し出されていて、強いインパクトで見る者に迫ってきます。
 この写真集では特に大津波被害が深刻だった宮城県、岩手県の太平洋沿岸部にフォーカスしているようです。

 中に被災直後の惨状と、今年1月中旬頃の同一地点を並べた写真がありました。かつてはひどい瓦礫の山だったのが、約10ヶ月ほど経過して見比べてみると、予想以上に撤去されキレイに片付いているのでした。
 それにしても人間の力は凄いものです。もちろんしかるべき予算の力、最新の建設重機の力でもあるのでしょうが、どんな悲惨な状況でもこのように何とか復元しようとするのです。

 宮城県南三陸町、名取市、岩手県陸前高田市など、市ごと町ごと全滅したような地域では確かに瓦礫はほぼ撤去され、全域が更地状態になってはいます。ただしそれだけです。津波で残ったビルがポツリポツリとあるだけで、新たな建物は一つも建っていません。それくらいですから、人っ子一人の姿もないわけです。
 これを元のように血の通った生気溢れる町にするのはどうするのか。多分白紙の状態なのでしょう。また同規模の巨大津波が襲ってきた場合を想定すれば、かつて懐かしい人々の生活のあったこの地に住み続けていいものかどうか、そこから検討しなければならないのです。

 国、県、各市町村それに各方面の専門家を交えて、衆知を傾けてグランドデザインをきっちり策定する。そうしないと、肝心のもの事は進まないわけです。その意味で本当の復旧、復興には、数年もの歳月を要することになるのでしょう。

 この写真集には被災された方々の表情も映し出されています。瓦礫の山と化した町を背後にして、首うなだれて歩くお年寄りの姿があります。小学2年生だったわが子を教室で亡くした母親が、校舎に向かって手を合わせている姿もあります。このように「悲」が多いのは当然ですが、中には天使のような子供の笑顔があったりして、余計胸迫るものがあります。

 中に自衛隊員と米軍共同で瓦礫処理している、いわゆる「トモダチ作戦」の写真もありました。それを見て多くの国民は米軍に好意を示したようですが、私は今でも「?」と思っています。
 震災当日、まるでこれから我が国に何事か起こるのを予期していたかのように、米原子力空母ジョージ・ワシントンが太平洋上の日本近海で待機していたのはなぜなのか?あまりにもタイミングがよすぎないか?

 米国はいつもこうなのです。2004年12月のスマトラ島沖地震の折りにも、マラッカ海峡に米艦隊が集結してスタンバイオーケー状態でしたし。
 震災直後の『天の怒りか、HRAAP攻撃か』で紹介しましたが、国際戦略情報専門家の原田武夫氏は、「地震は起きるものではなく、起こすものだ。2004年以降、そうなっている。知らないのは日本人だけだ」と述べています。

 3・11の真の原因はHRAAPなど人工地震で、原発事故が「原発テロ」だったとしたら…。
 以前何かの記事で触れたように、続いて首都圏直下型地震、富士山大噴火に導き、日本をまず壊滅状態にし、同時に中東で第3次世界大戦の口火を切らせる予定だった。すべてはスーパーエリートたちが管理しやすいように、世界人口を大幅削減する目的で。しかし結果的に「彼ら」は失敗した。
 日本政府や関係機関そして大マスコミは口が裂けても言わないでしょうが、この可能性については今後ともシビアな検証が必要だと考えます。

 昨年の“今年の漢字”は「絆」でした。予期せず発生した未曾有の大震災、原発事故によって、忘れかけていた民族の大切な心が喚び起こされた感があります。かつての阪神大震災同様、今回も全国各地から大勢のボランティアがかけつけ、無私・無報酬の奉仕を続けました。
 悲惨な体験の中で、改めて人と人との心の触れ合いを実感した人も多かったことでしょう。それこそは何にも勝る大切な宝物です。

 反対にこのような写真集には現れませんが、トラブル、喧嘩、略奪などもあったことでしょう。やむを得ません。何せ明日をも知れぬ極限状態だったのですし、政府の対応があまりにも遅すぎたのですから。いつもは「良いこと(?)」を書いているこの私とて、そういう場に置かれればどんな下手をやらかすか知れたものではありません。

 この1年間に起きた悪いことはすべて過ぎ去り、消えていきました。被災した方々は決して夢をあきらめることなく、全国の誰よりも幸せになられますようお祈り申し上げます。

 (注記)冒頭の言葉は、朝日新聞『天声人語』(昨年3月17日付)の中で引用していたものをさらに拝借したものです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『天の怒りか、HRAAP攻撃か』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-0d40-1.html

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禁固3年求刑で「小沢有罪」が強まった?

-「小沢無罪」の衝撃波を最もこうむるのが司法一派。一審無罪はないのでは?-

 予想されたこととは言え、開いた口がふさがらない求刑ではないか。9日の小沢裁判第15回公判で、検察官役の指定弁護士が、小沢一郎民主党元代表(69)に対して「禁固3年」を論告求刑したのである。
 何を血迷っているのか指定弁護士 !

 そもそも小沢裁判の立脚点となっているのは、検察審査会による2度目の「起訴相当」議決である。これによって小沢一郎民主党元代表は強制起訴されたのだ。その際11人の素人審査員が起訴相当議決の判断根拠としたのが、田代政弘検事による問題の捏造調書なのである。
 検察審査会による強制起訴の前提となった検察調書が捏造だと発覚した段階で、もうこの裁判を続ける意義は消滅しているのも同然である。

 本当なら小沢裁判を担当している東京地裁の大善文男裁判長(51)が「調書は違法不当なもので許容できない」と厳しく断じ、田代検事が作成した捏造調書を却下した段階で、この裁判は控訴棄却して終わりにすべきだったのである。
 しかしこの国は法治国家などと言うも恥ずかしい、悪徳司法組織「放置」国家である。まともな「法の常識」が通用する国ではないのだ。

 検察、最高裁を含めたオール霞が関にとって、最大の邪魔者が小沢一郎である。戦後65年以上かけて営々と築いてきた自分たちの利権構造が、「脱官僚」を掲げる小沢によって根底からひっくり返されかねなかったからだ。
 そこで、“霞ヶ関ゴロツキ砦”の用心棒として駆り出されたのが東京地検特捜部である。彼らオール霞ヶ関の総意は「小沢一郎の政治生命抹殺」である。09年3月3日の大久保隆則元秘書逮捕に端を発する西松事件、そして今裁判の陸山会事件はその意図に沿って捜査開始されたのである。

 だから一連の小沢事件は、昨年発覚した村木厚子事件の前田恒彦元大阪地検検事のFD改ざんとは、司法全体の謀略性においてスケールがまるで違うのである。
 もし新聞・テレビがまともな報道機関であるのなら、かつて小沢一郎の「人格破壊キャンペーン」を執拗に繰り返した以上の熱意を込めて、検察、検察審査会、最高裁事務総局、日弁連一体となった恐るべき謀略の実態を徹底追求すべきなのである。

 意義喪失の小沢裁判はダラダラ続けられ、あろうことか指定弁護士は証拠がまったくないのに「憶測」「決めつけ」「邪推」によって、禁固3年というありえざる論告求刑をしたのである。石川知裕衆院議員ら3元秘書を有罪にした、“ミスター推認”こと登石郁郎裁判長も真っ青の求刑ではないか。
 この法外かつメチャクチャな求刑には、「小沢の政治的復活を可能にする無罪にだけはさせない」という、司法さらにはオール霞ヶ関の蛇のような執念を感じるのは私だけだろうか。

 素人考えではあるが、今回の論告求刑の「禁固3年」と「無罪」との間には相当の開きがある。ここに大善裁判長に対する強烈な圧力を感じるのである。
 「オマエさんも司法官僚の一員だよな。オレたちはここまでお膳立てしてやったぞ。どういう判決を出せばいいか、言わなくても分かってるよな」
 つまりは小沢裁判も、前回の登石裁判長による3元秘書有罪のケースと同じパターンをなぞることになるのではないのか、と一抹の不安を感ぜざるを得ないのである。

 検察も司法全体もオール霞ヶ関も、まさか実刑判決までは望んでいないはずである。そんなことをすれば、真実を知り抜いているネット市民が司法の中枢の最高裁事務総局にまで直談判に押しかけている当今、暴動が起きかねないことくらい先刻承知のことだろう。
 だから「懲役3年 執行猶予1年6月」くらいでちょうどいいのである。どっちみち小沢有罪には変わりなく、最高裁での最終審で無罪にするにせよ、その間の2、3年、大メディアは鬼の首を取ったように騒ぎ立てるだろうし、小沢一郎は今以上に政治的に身動きが取れなくなるのだ。立派に目的達成である。

 東大法学部閥が占める“赤レンガ組”法務省エリート群にあって、大善裁判長は早稲田大学卒だそうである。早大の気骨ある校風にならって、圧力をはね返して「無罪」判決を出すのか。そうすれば名判事として大善文男氏の名前は長く語り伝えられるだろう。
 しかし圧力に屈したり、己の出世欲に目が眩んでしまえば、「有罪」判決となろう。その場合は、登石郁郎とともに不名誉な名前が長く残ることになるであろう。
 ベテランの大善裁判長は堅物で、一度も無罪を出したことがない、と言われるのも気になるところである。

 いずれにせよ、今後のこの国の命運を大善裁判長が握っていると言っても過言ではない。4月26日か27日とされる判決日には、一点の曇りもない明鏡止水の心境で法廷に臨んでもらいたいものである。

 (大場光太郎・記)

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野田政権下で進む「言論統制」「国民監視」

 -TPP、消費税増税挙句は言論統制。ロクでもない野田政権は即刻退陣せよ !-

 直前の『いよいよ「ネット規制」の始まりか !?』で、7日阿修羅掲示板に長時間アクセス出来ないトラブルが発生したことを問題視しました。また同記事の中で、その件での「当局」「国家権力」によるネット規制の可能性について触れました。
 そうしたらタイムリーなことに、直後『日刊ゲンダイ』で「やっぱりね !」と思うような記事が掲載されました。野田政権下で「言論統制」「国民監視」が着々と進んでいるというのです。ネット規制などよりさらに深刻かつ恐ろしい事態が密かに進行中であるようです。

 時の政府つまり国家権力による「検閲」や「言論統制」が行われるのは健全な世の中とは言えません。いな、かつての戦時中の過酷な言論弾圧を思い浮かべるまでもなく、大変不幸な暗い世の中です。
 よってこういう事態が現に進行中であることを、全ての国民はしっかり認識し、その流れをストップさせる方向で世論を喚起していく必要があります。

 しかし国民にとって主な情報源である大新聞・テレビは、こういう恐ろしい事態が進行中であることを一切報道しようとしません。
 大マスコミは「権力のチェック機能」としての役割を放棄し、今やいわゆる「米官業」のお先棒を担ぎ、その利益代弁機関に過ぎない現政権の大政翼賛的報道に終始しています。
 だから多くの国民は、新聞・テレビが画一的に伝える表向きのニュースに引きずられ、その裏で何が起こっているかなど知りようもありません。

 新聞紙として唯一“真実情報”を伝えている『日刊ゲンダイ』は、孤軍奮闘の感がありますが、各方面の圧力に屈することなく、今後とも国民が真に知るべき報道を続けていっていただきたいものです。
 ある日突然「阿修羅掲示板閉鎖」「日刊ゲンダイ休刊」などという事態に立ち至ったら、もうこの国は「亡国への危険水域に突入した」というシグナルです。

 以下に『日刊ゲンダイ』(3月9日3面)記事を転載します。 (大場光太郎・記)
                      *

許すな ! 野田政権下で進む「言論統制」「国民監視」

「脱原発」検閲に予算8300万円
「2チャンネル」強制捜査は“対岸の火事”じゃない

 大手ネット掲示板「2ちゃんねる」が強制捜査を受けていたことが分かり、ネット上では大騒ぎになっている。容疑は、覚醒剤売買の書き込みを放置した麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助。警視庁が昨年11月から今月にかけ、2ちゃんねるの関係先など10カ所を家宅捜索したという。

 ネットの書き込みを巡って掲示板が強制捜査を受けるのは異例中の異例だ。IТに詳しいジャーナリストの井上トシユキ氏がこう言う。
 「薬物取引や売買春は、ほかのネット掲示板や携帯ゲームサイトでも行われています。今回は、その中で最も目立っている2ちゃんねるを一罰百戒で、見せしめにしたのでしょう。世論も“覚醒剤なら仕方ない”と同調しますからね」

 今回の摘発がネット上でしか騒ぎになっていないのは、2ちゃんねるが便所の落書きと同じ“無法地帯”で、「強制捜査は当たり前」と思っている人が多いからだろう。
 しかし、摘発の本当の狙いが別にあるとしたらどうか。見過ごせないのは、野田政権が「言論統制」「国民監視」を急加速させていることだ。

 「震災以降、ネットには政権批判や原発批判があふれかえっている。こうした書き込みにビリビリしている閣僚がいる」(永田町事情通)という。
 実際、経産省の資源エネ庁は昨年の1次補正予算で、「ネット上の不正確情報の監視」と称して年間8300万円を計上した。原発事故後に飛び交う「脱原発」の書き込みを監視するためだ。

「コンピューター監視法」で通信データ丸裸

 昨夏に成立した、いわゆる「コンピューター監視法」も恐ろしいの一語だ。反対運動に参加していたジャーナリストの田中龍氏は言う。
 「この法律は、令状なしでネット通信履歴の差し押さえができるほか、令状があれば、通信相手のデータまで押収できるものです。Aさんの令状を取れば、その通信相手全員のデータを押収できる。野田政権が今国会で提出しようとしている『秘密保全法』(機密漏洩した国家公務員の罰則強化)とセットで、内部告発もできない世の中になりかねません。こうした法律は外務省や法務省がやりたがっていて、官僚の言いなりの野田政権は利用されている構図です。役人は、記者クラブを通じて新聞ТVをコントロールしているが、手付かずだったネットの情報も統制しようというわけです」

 ほかにも、国民を黙らせるための法案は着々と準備されている。
 「野田政権が制定を目指している『新型インフル対策特措法』は、政府が緊急事態を宣言すれば、外出自粛や集会中止を強制的に指示することができる法律です。“現代版の治安維持法だ”と批判の声が高まっています。最たるものは、国民一人一人に番号を付ける『マイナンバー制度』。税金や年金、病歴などの個人情報をヒモ付け、一元管理しようというもの。国民は家畜のように管理されます」(政界関係者)

 消費税にシャカリキのドジョウを尻目に役人たちはやりたい放題だ。  (転載終わり)

関連記事
『いよいよ「ネット規制」の始まりか !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-eda2.html             
                       

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いよいよ「ネット規制」の始まりか !?

 -米国では政府批判サイトが次々に閉鎖されている。日本もそうなっていく?-

 7日、天下のネット掲示板「阿修羅掲示板」をめぐって“事件”が発生したようです。
 同日のかなり長時間、阿修羅掲示板にアクセスできないトラブルが発生したのです。おそらく考えるに、これは管理人側の操作ミスとかそんなレベルではないような気がします。背景に国家権力あるいはどこかの勢力による「ネット言論規制」の意図があるように思われます。
 だとしたら、国民の「言論の自由」に関わる由々しき問題です。

 同日は業務の関係で昼前から横浜に出かけたりして多忙だったため、腰を落ち着けてパソコンと向き合ったのは深夜11時過ぎになりました。いつものとおり、何はともあれマイブログのアクセスチェックを真っ先にしました。
 この日に限って、アクセスランキングの十何位かに『★阿修羅掲示板♪のこと』があったのです。滅多にないことですから、もうこれだけで「阿修羅の身」に何かあったことは推察できます。ただそれだけでは具体的に何があったのか判断はできません。

 昨年の東日本大震災前後から何ヶ月か、七転八起さんによって、当ブログ記事を連日のように阿修羅掲示板に掲載していただきました。その頃は当ブログ記事の、阿修羅読者の評価(拍手ランキングやコメント)が気になり、日に何度も阿修羅を訪問していました。
 しかし同年7月以降、『阿修羅の「特定人規制」について(1)~(3)』で述べた次第で、突出した投稿者だった七転八起さんは、管理人にしっかりマークされ、つまりは阿修羅から排除されてしまいました。それに伴って当ブログ記事も阿修羅から消えました。
 そうなると現金なものです。私の阿修羅訪問は3日に1回くらいになっていました。

 「七転八起事件」以降、阿修羅へのアクセスが激減しているという噂もあります。またいくら管理人さんが、阿修羅で「目立つ人間」がお嫌いな傾向のあるお人だとは言え、同掲示板が今でも数少ない「ネット公論の場」であることに変りありません。その時々の名だたるネット言説が阿修羅に集められている、と言って過言ではありません。

 その阿修羅掲示板に何か異変が?
 そのことが気になって、阿修羅アクセスを中心にアクセスの推移を丁寧にたどっていきました。 
 すると『★阿修羅掲示板♪のこと』などに、「阿修羅 消えた」「阿修羅掲示板にアクセスできない」「阿修羅 削除」などでの検索フレーズが続いています。『えっ、阿修羅にアクセスできない。阿修羅が消えた??』
 これは大変な事態です。百聞は一見に如かず。アクセスチェックを中断して、ホントかどうか直接阿修羅に行って確かめてみることにしました。

 時刻は深夜11時15分ころ。その結果、消えたはずの阿修羅掲示板、通常どおり開けるではありませんか。念のため掲載記事が読めるかどうか、「拍手ランキング」10位のうち特に関心のある記事をクリックすると、これもきちんと読めます。
 ただどうも直前まで本当にアクセスできなかったようです。多くの人がそのことについてコメント欄で問題にしています。例えばその一つを引用すれば、

15. 2012年3月07日 22:05:08 : 7zV2GEa3YA
皆さん、阿修羅の投稿記事が読めなくなってしまいました。記事をクリックすると
www.asyura2.comのところが出てきて訳のわからない英語のサイトの画面にしかなりません。なんか?当局の妨害なのでは?と思ってます。
(『小沢元代表に9日論告求刑 検察官役、状況証拠重ね立件へ(共同通信)』記事より)
http://www.asyura2.com/12/senkyo127/msg/345.html

 再び当ブログアクセス推移を遡ったところ、「阿修羅アクセス不能」状態はどうも午前11時台から始まったようです。ある人は午後2時過ぎ“ヤフー知恵袋”に「阿修羅掲示板にアクセスできません。どうすればいいのでしょうか?」といった質問を出しています。

 私には、阿修羅がどうして半日以上アクセス不能状態に陥ったのか皆目分かりません。しかしいくら何でも、予告なしに管理人サイドがそんなことをするはずがありません。どうしても「外部からの圧力」を考えざるを得ないのです。
 阿修羅記事は、一連の小沢事件について当初から検察などに厳しい眼を向けています。容赦ない政権批判、官僚批判を浴びせてもいます。記事に続くコメント群も辛らつを極めます。「こういうサイトはネット読者の目に触れさせたくない」、こう考えている“当局”は米国筋、政府筋、官僚機構問わずけっこう多いはずです。

 昨年の『ネット規制という名の言論統制』記事でみましたとおり、時の菅政権は、原発事故の“風評被害拡大防止”にかこつけて、枝野幸男官房長官(当時)が中心となってネット規制の方向に動き出しました。実際それ以降閉鎖に追い込まれたサイトも幾つかあります。
 現野田政権は菅政権の亜流政権です。ネット規制もそのまま引き継いでいるとみて間違いないと思います。そして野田政権は財務省など官僚にオンブにダッコです。したがってそれはそのまま、「不都合な真実」を国民に知られたくない霞ヶ関官僚上層部の意思でもあります。

 この国の新聞・テレビが歪曲・偏向・捏造報道に終始している以上、玉石混交とは言え多くの真実が含まれている「ネット情報」は大変貴重です。それを日々集約しているのが阿修羅のような掲示板です。このようなサイトが次々に閉鎖に追い込まれるようなら、この国にはもうどこにも「真実」を伝える媒体が存在しないことになります。
 現憲法で保障された国民の「(真実を)知る権利」「言論の自由」をこれ以上踏みにじられないためにも、阿修羅掲示板などへの規制の動きをこれからも注視していきましょう。

 (大場光太郎・記)

参考
『阿修羅掲示板』http://www.asyura2.com/
関連記事
『★阿修羅掲示板♪のこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-a1d2.html
『ネット規制という名の言論統制』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-0d40-1.html

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伝説のミノス王

 ミノス王は、クレタ島北方のクノッソスに都を創設し、エーゲ海を広く支配していました。ミノス王にまつわる神話はいくつものバリエーションがありますが、代表的なものは以下のとおりです。

 ミノスはゼウスとエウロパとの子であるとされています。ここでも無類の“エロ大神”ゼウスは、またも妻神ヘラの目を盗んで浮気をしたのです。事の次第はこうです。

 時のフェニキア王には、エウロパというたいそう美しい娘がいました。フェニキアは当時地中海沿いのアジア寄りに栄えた国でした。これには前回見ましたように、クレタ島のミノア文明とフェニキアとの盛んな交易が反映されているようです。
 ともかく。千里眼のゼウスは、かねてからこの娘に目をかけていたもののなかなかうまくいかないのです。そこでエロ大神は、他のところでも使い古した奥の手の“変身の術”を使うことにします。

 ある日のこと、エウロパが侍女たちと海岸で遊んでいると、雪のように白い牡牛が泳いでくるではありませんか。それがあまりに美しく、おとなしそうだったので、エウロパはつい気を許しその背に乗ってみたのです。
 あっという間に牡牛は海中に飛び込むと、地中海の波の上を、まるで大地を走るように駆け出しました。そして「わしはゼウスだ。わしの言うことを聞け」と、わななくエウロパを背に海を走り渡って、クレタ島に上陸しました。

 エウロパは、この島で3人の子を産んだと言われます。その最初の子供がゼウスの子のミノスだとされているのです。
 ところで、それ以前クレタ島以北は前人未到の地といわれ、エウロパはその土地に初めてやってきた人間だということで、同島以北の陸地は「ヨーロッパ」と呼ばれるようになりました。またゼウスが姿を借りた牡牛は、「おうし座」として空に上げられたのです。

 名にしおう“種馬神”であるゼウスは、己の欲情を満たし、種付けさえしてしえば後は知らん顔、さっさとトンズラしてしまいます。無責任な親権放棄もいいところです。
 見知らぬ島に乳飲み子を抱えて残されたエウロパは、たまったものではありません。「慰謝料や子供の養育費をどうしてくれんのよ !」。裁判を起こそうにも、何せ相手はゼウス大神なのですから、そうもいかず。

 と、これが神話の矛盾するところです。前人未到のはずのこの島には、実は「王」が存在していたのです。クレタ王アステリオスです。
 やむなくエウロパはアステリオス王の妻となりました。その子ミノスはアステリオス王の庇護の下で成人します。やがてミノスはパシパエを妻とし、カトレウス、デウカリオーン、アンドロゲオス、アリアドネ、バイドラーらの子供をもうけました。
 このうちデウカリオーンは、トロイア戦争の勇将イードメネウスの父にあたります。ということは、実在さえ定かではないミノス王は、イードメネウスの祖父ということになり、(紀元前1250年頃とされる)トロイア戦争より前の、紀元前14世紀頃のクレタ王だったことになります。

 さて義父であるアステリオス王が死ぬと、古今東西のどの国の例に漏れず「後継争い」が勃発します。ミノスは長子である自分が継ぐべきだと王位を要求したものの、反対勢力は「そなたはどこの誰とも分からぬ氏素性ではないか」と、これを受け入れません。

 そこでミノスは王国が神々によって授けられた証(あかし)に、自分の願いは何でも叶えられると大見得を切ります。そしてミノスは王位継承の証として「牡牛」を海から送ってくれるよう、海神ポセイドンに祈ります。願いが聞き届けられた暁には、その牡牛をポセイドンに生贄として捧げることを誓います。
 この願いは叶えられ、海中から1頭の牡牛が現れ、ミノスは王位を得ることができたのです。

 海神との約束どおり牡牛を生贄に捧げなければなりません。が、ミノス新王は送られた牡牛のあまりの美しさに、欲を出して別の牡牛を生贄としました。
 さあポセイドンの怒るまいことか。仕返しにポセイドンは、牡牛を凶暴に変え、さらに王妃となったパシパエがこの牡牛に強烈な恋心を抱くように仕向けました。

 美しい牡牛に化けてエウロパを誘惑したゼウスといい、今回の美しい牡牛といい、同工異曲的な「牡牛」が登場します。当時この地には「牡牛信仰」がありこれはその名残なのかどうか、それは定かではありません。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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エーゲ海、クレタ島、ミノア文明

 「ペルセウス英雄譚」から間が空きましたが、『ギリシャ神話選』また再開します。

 今回一連の物語の舞台となるのは、主神ゼウスなどギリシャの神々が鎮座ましますオリュンポスの山のあるギリシャ本土ではありません。そこからずっと南下して、エーゲ海の只中に浮かぶ島・クレタ島が舞台です。

エーゲ海

 上の図でもお分かりのとおり、エーゲ海(Aegean Sea)とその先に広がる地中海(Mediteranean Sea)との境目に、まるでエーゲ海を穏やかに囲い込むように横に細長く伸びている島がクレタ(Creta)島です。(注 ギリシャ半島上部の▲印が、オリュンポス山。)
 我が国の四国の半分ほどの大きさのこの島に、紀元前2千年以上前から古代文明が栄えていたのです。その名を「ミノア文明」といいます。物語に先立って、予備知識としてミノア文明の概略をみていきたいと思います。

 ギリシャ本土の古代ギリシャ文明に先行して、エーゲ海とその周辺で栄えていた文明を特に「エーゲ文明」と呼んでいます。つまり全盛期がBC2000年~BC1400年だったこの文明こそが、古代ギリシャにおける最古の文明だったのです。
 全盛期のエーゲ文明は通常三つの文明に分類されます。今回のミノア文明とトロイア文明、ミケーネ文明です。

 ミノア文明(クレタ島で栄えたため「クレタ文明」とも)は、歴史区分法上は青銅器文明と位置づけられます。ミノアという呼称は、本シリーズでも登場する伝説の王・ミノス王に因んで名づけられました。
 島嶼部に栄えた文明であるため、エーゲ文明全体がそうですが、基本的に大きな戦争もなく比較的平和な文明だったとみられています。人類史上ユニークな「開放的海洋文明」というイメージです。
 なおミノア文明は、後に大隆盛することになるギリシャ文明とは、本来民族も文化も異なります。

 中期ミノア文明期に、地中海交易によって発展し、クノッソス、マリア、ファイストスなどクレタ島各地に地域ごとの物資の貯蔵・再分配を行う宮殿が建てられました。ミノア文明は多神教でしたが、宮殿は信仰の中心地でもありました。
 また貿易を通じてエジプトやフェニキアの芸術も流入し、高度な工芸品を生み出しました。紀元前18世紀頃には「線文字A」(現在に至るも未解読)を使用する段階に至りました。

 紀元前1600年頃の後期ミノア期には、各都市国家の中央集権化、階層化が進み、クノッソス、ファイストスが島の中央部を、マリアが島の東部をそれぞれ支配することになります。
 当初は島全体を豊かな森林が覆っていましたが、時代が下るにつれて木材の大量伐採による自然破壊が進み、文明そのものの衰退を招くことになります。そして紀元前1400年頃にミュケナイのアカイア人がクレタ島に侵入し、略奪され、ミノア文明は崩壊しました。

 以上駆け足で見てきました。本シリーズは、そのうちの中期ミノア期の「ミノス王の時代」に展開される神話群です。
 「クノッソス宮殿」「ミノタウロス」「ラビリュントス」「アリアドネの糸」「イカロスの翼」などのキーワードをちりばめながら、一連のエーゲ海・クレタ島物語のスタートです。

 (注記)以前のシリーズがそうだったように、本シリーズもまただいぶ間隔を空けた飛び飛びの公開になると思います。予めご了承ください。

 (大場光太郎・記)

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次の経済モデルを創るのは日本 !?

 -米国も欧州も中国も、一歩先のモデルケースとして日本を大いに見習うべし-

 最近の『日刊ゲンダイ』2面か3面に、「もう経済復活は無理なのか」という“緊急インタビュー”記事が連載されています。

 欧州経済や米国経済などを襲っている深刻な金融危機は、グローバル経済に完璧に囲い込まれてしまっている我が国とて決して無縁ではあり得ません。
 そこでその被害を最小限に抑え、なおかつしたたかに「経済復活」を図るにはどうすればいいのか?毎回著名な経済ジャーナリストや経済人などが提言を行っています。

 その中で第11回として、「ウォール街占拠」の仕掛け人・カレ・ラースン氏が、
 「米国型に代わる経済モデルは日本がつくる」
という、大変興味深い見解を示しています。
 同氏の“予言”が本当ならば、「失われた20年+α」によって、今やよれよれのこの国経済と、何よりも長期化する景気低迷によって、明日への希望を見出せないでいる国民全体にとって大朗報です。

 ただ世界において日本を再評価しているのは、カレ・ラースン氏が初めてではありません。

 昨年日本は、東日本大震災、福島第一原発事故という未曾有の大災厄に見舞われました。そんな日本を哀れんででもないでしょうが、(おそらくロスチャイルド傘下の)イギリスの大手経済誌『エコノミスト』が、同年11月18日版で「日本特集号」を組んだのです。
 それは、国際的な責任を果そうとしない日本、グローバル経済への対応を間違えた日本というような、それまでの「ジャパンバッシング」論調ではありません。どういう意図からなのか、日本に対してえらく好意的なのです。
 以後世界的に、同誌論調にならった日本論が多くなってきているようです。

 エコノミスト誌の要旨は、バブル崩壊後長期的景気低迷に苦しんできて、なおかつどの国も経験したことのない超高齢化社会に突入しつつある日本は、今苦しみに喘いでいる欧州、米国の未来の姿であり、今後の我が国の対応次第では、世界に「第2のジャパンモデルを示し得る」というものです。

 そのことを踏まえて、以下に転載する『日刊ゲンダイ』(2月28日2面)記事をお読みください。  (大場光太郎・記)
                       * 

米国型に代わる経済モデルは日本がつくる

  第11回 「ウォール街占拠」の仕掛け人 カレ・ラースン

 評論家はしたり顔で、
「世界経済はゆっくりと回復基調にあり、雇用も戻ってくる」と言うが、本当はどこが不況の底なのか誰にもわからない。はっきりしているのは、成長一辺倒で格差を拡大させた米国型経済が危機に陥っていることだ。

 大企業幹部の年収が倍増する一方で、多くの人が家を差し押さえられ、職を失っている。サブプライム問題を引き起こしたウォール街の経営幹部は裁きを受けるどころか、国民の税金で救済され、再び莫大なボーナスを受け取っている。
「それはフェアじゃない、何かがおかしい」と多くの人が感じ、「ウォール街占拠」運動へと発展した。
 その仕掛け人で、カナダの雑誌「アドバスターズ」発行人であるカレ・ラースン氏は、「米国資本主義の時代は終わった。次のモデルをつくるのは日本だ」と予言する。

「しばらくすれば、米国型の経済モデルは、戦後50年間豊かさをもたらした過去のものとして、人々に記憶されるでしょう。米国人の多くは別荘や2台目の車を買うどころか、医療費を払えるか、仕事に就けるかどうかの心配をしなければならなくなった。地球には70億人が住んでいるが、すべての人に十分な水や食料、資源などがあるのかわからない。世界各地で気温が上昇し、政治腐敗が進み、経済危機にも見舞われています。私たちがいま問われているのは、新しい経済モデルが必要なのではないかということです」

和の文化が世界を驚かす

 中国は一党独裁体制による国家型資本主義で効率的に運営し、高い経済成長を維持している。しかし、ラースン氏が注目するのは中国ではなく、「失われた20年」を体験している日本だ。

「私は1960年代半ばから約10年間、日本の経済成長の秘訣や文化、教育、社会問題などのドキュメンタリーを製作しました。当時日本は、優秀な官僚集団の通産省(現・経済産業省)が主導し、驚異的な経済成長を持続していた。もちろん働き過ぎや女性の低い地位、閉鎖性などの問題もあったが、社会にはダイナミズム、創造性、情熱、闘争心があふれていた。日本はバブル崩壊後の長期不況に苦しんでいる。しかし、そういう経験をしたからこそ、満足に生活できる安定した経済モデルを実現できるのではないか。それは米国型の成長至上主義でも中国型の独裁主義でもない、日本独自の“民主主義経済モデル”です」

 日本は下を向く必要はない。衰退しているのは米国や欧州である。
「日本には第2の経済大国の原動力となった和(チームワーク)の文化や創造性などが、まだ強く残っている。この混迷の時代に、日本がもう一度世界の国々を驚かすことは可能でしょう」(インタビュー = ジャーナリスト・矢部武)  (転載終わり)

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「赤い鳥運動」について

 -今日に至るまで歌い継がれている名童謡の嚆矢となった「赤い鳥運動」-

 先日の『近代童謡の創始者・本居長世』の中で、本居の薫陶を受けた、弘田龍太郎(『浜千鳥』)、中山晋平(『雨降りお月さん』)、成田為三(『浜辺の歌』)、草川信(『夕焼け小焼け』)などの俊秀作曲家が、後に「赤い鳥運動」に参加していったことに触れました。(カッコ内はそれぞれの代表曲。)

 同運動の母体となったのが童話雑誌『赤い鳥』です。「赤い鳥」、どなたも一度は聞いたことがおありのことでしょう。
 しかしそれはいつ頃のことでどんな運動だったのか、近代日本文化の歩みの中でどんな役割を果したのかなど、あまりよく知られていません。
 
 今のこの閉塞状況を打破するためには、一人ひとりの「内なるルネッサンスの目覚め」が求められています。目覚めた人たちによる、静かながら大きな新潮流が巻き起こる必要があると思われるのです。
 「温故知新」。そのために、「大正ルネッサンス」的意味合いのあったこの運動は大いに参考になるかもしれません。そこで以下に簡単にご紹介していきたいと思います。

 「赤い鳥運動」が興ったのは大正7年(1918年)のことです。平成も24年を数え、「昭和は遠くなりにけり」のさらに前の年号の時代です。今から90年以上前のことですから、私たちのほとんどは生まれてもいません。
 1918年は世界的には、1914年に始まり主にヨーロッパ中を戦火に巻き込んだ、第一次世界大戦がようやく終結をみた年です。その頃では列強国の一角を占めることになった日本は、この年米国の要請によりシベリア出兵をしています。
 国内的には同年7月末、“越中女一揆”に端を発した「米騒動」が全国に拡大し、9月には寺内正毅内閣が総辞職に追い込まれています。

 国内外ともに物情騒然としていたこの年の7月1日、鈴木三重吉(すずき・みえきち)によって『赤い鳥』が創刊されたのです。
 鈴木三重吉(1882年~1936年)は、東京帝国大学英文科在籍中夏目漱石門下の一人になり、当初は小説家を目指していました。長編小説『桑の実』などは世の評価を得たものの、三重吉自身は早々と小説を断念、児童文学作家への道を歩み出し、これが『赤い鳥』創刊につながっていくことになります。

 『赤い鳥』創刊にあたって鈴木三重吉は、「低級で愚かな」政府主導の唱歌や説話に対し、子供の純粋な情操を育むための童話・童謡を創作して世に広める一大運動を興すことを宣言しました。
 創刊号には芥川龍之介、有島武郎、泉鏡花、北原白秋、高浜虚子、徳田秋声ら、近代日本文学史に大きな足跡を残している作家たちが賛同の意を表明しました。
 芥川の『蜘蛛の糸』『杜子春』、有島の『一房の葡萄』は同誌に掲載された作品です。

 同誌にはその後、菊池寛、小山内薫、西條八十、谷崎潤一郎、三木露風、久保田万太郎なども作品を寄稿しています。新美南吉の『ごん狐』や小川未明の『赤いろうそくと人魚』なども同誌から生まれた作品です。
 さらに意外なことに、太宰治の『走れメロス』や中島敦の『名人伝』も、昭和に入ってからの『赤い鳥』に発表された作品なのです。『赤い鳥』は、三重吉の死の1936年(昭和11年)まで196冊刊行されました。

 この間、坪田譲治、新美南吉ら童話作家、巽聖歌ら童謡作家、成田為三、草川信ら童謡作曲家、清水良雄らの童画家など、多士済々な人材がここから世に出て行きました。

 一流作家たちの寄稿、発表により、『赤い鳥』からレベルの高い児童文学の名作が次々に生まれていき、従前の児童読み物が、一気に芸術的に高められていく機運を作り出していったのです
 『赤い鳥』を母体としたこのような運動は、誌名からいつしか「赤い鳥運動」と呼ばれるようになっていきます。また同誌に刺激を受け、翌1919年に『金の船』、翌々年には『童話』といった類似の児童雑誌が創刊されていきました。

 『赤い鳥』にあって特に顕著な足跡を残したのが、北原白秋と西條八十という二人の詩人です。
 北原白秋は同誌に『雨』『からたちの花』など自作の童謡を発表するかたわら、寄せられた投稿作品の選者として重要な役割を果しました。

 創刊の年の11月号に西條八十の童謡詩として『かなりや』が掲載されました。これに成田為三の作曲した楽譜のついた童謡が初めて、翌年の5月号に掲載されました。
 元々「童謡」は文学的運動として始まったもので、当初は鈴木三重吉も童謡担当の北原白秋も、童謡に旋律をつけることは考えていなかったといいます。しかし『かなりや』の楽譜掲載は大反響を呼び、音楽運動としての様相さえみせるようになっていきます。
 当時の人々は、それまでの唱歌とは違う、芸術的香気の高い詩また音楽に、強い衝撃を受けたのです。

 以後毎号、歌としての童謡を掲載することになります。この後多くの童謡雑誌が出版されたことで、大人の作った子供のための芸術的な童謡普及運動、あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となっていったのです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「赤い鳥」「鈴木三重吉」の項
参考
『フォレスタのかなりやHD』(YouTube)
http://www.youtube.com/watch?v=aPOX4zBUqPI
関連記事
『近代童謡の創始者、本居長世』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-f269.html

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