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ものの種

             日野 草城

  ものの種にぎればいのちひしめける

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 日野草城(ひの・そうじょう) 明治34年、東京上野生まれ。京大法科卒。二十歳で「ホトトギス」巻頭、課題句選者になるが、新興俳句運動を推進、「ホトトギス」同人を除籍された。俳句を中断。戦後、病床にあり俳句再開。昭和24年「青玄」を創刊主宰。才気ある感覚的な前期の句風と、重厚真摯な後期の句風とが接続する。句集に『花氷』『青芝』『昨日の花』『転轍手』『旦暮』『人生の午後』『銀』など。昭和31年没。 (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

《私の鑑賞ノート》
 「ものの種」「物種」「種物」などは春の季語です。春は五穀・野菜・草花の種まきの季節であるためそう決められたようです。

  ものの種にぎればいのちひしめける
 この句にあって「種」以外はすべて平がなです。そのため種がより強調されている効果が感じられます。詠まれていることはいたって平易です。
 「ものの種を手で握りしめてみた。すると、手の中で種の中の命がひしめきあっている気配が伝わってきた」というのです。

 もしそのことを本当に実感したのなら、日野草城は種の中に宿る生命すら感じられる稀れなエスパーということになるでしょう。しかしそんなことではなく、草城が「いのちひしめける」と感じたのは想像(イマジネーション)の中でのことだったと推察されます。
 そこが日野草城という俳人の非凡なところです。凡人が朝顔の種でも何でもいいから“ものの種”を手で握ってみても、黒っぽい小さなただの塊りとしか感じられません。「いのち」の片鱗すら思い浮かんでは来ないものです。

 何の変哲もない殻に覆われた小さな一粒の種。それでも実際その種を地に蒔けば、米や麦などの小さな双葉が生え出て、茎を伸ばし花を咲かせ、たくさんの実を結ばせるのです。さらにはその実を刈り取っていただくことにより、人の命を支えてくれるのです。

 かつて我が国の古い暦には「一粒万倍日」というのがありました。地に蒔いた一粒の種が万倍もの実を実らせるように、この日たった一つの善行でもすれば、それがやがて複利がついて万倍にもなって天がご褒美を返してくれるのだよ、という庶民への善行の勧めのようなものだったのでしょうか。
 これなどは、私たちの先祖が今よりずっと大地や農耕と密着していた時代だからこそのように思われます。

 一見すると種は、死んだように動かない小さなかけらのような物体にすぎません。しかし種は日野草城が観照したように、その中に玄妙不可思議な「いのちのひしめき」を宿しているわけです。ものの種は、真言密教で説くところの「胎蔵界曼荼羅」を蔵(ぞう)しているミクロコスモス(少宇宙)と言っていいのかもしれません。

 もし今後ものの種に接する機会があれば、私たちもそれをまざまざと見、手で握りしめてみて「いのちひしめける」さまをイメージし得るようでありたいものです。

 (大場光太郎・記)

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