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世紀の発見が「呪い」を呼んだ?

 
 先日5月9日、またグーグルトップが“変わりロゴ”になりました。小さな神殿に寄りかかるようにファラオの柩のような物があります。その近くにはトート神だかアヌピス神だかの神像も立っています。その手前でこちらに背を向けた外国人紳士がそれらを見ている、というような図柄です。
 一見して「エジプト探検」に関係があるらしいものの「誰の生誕記念」か全く分かりません。そこで同ロゴにカーソルを当ててみたところ、「ハワード・カーター生誕138年」と出ていました。

 『ウィキペディア』で、ハワード・カーター(1874年5月9日~1939年3月2日)はイギリス・ケンジントン出身のエジプト考古学者で、かの「ツタンカーメン王の墓」を発見した人物であることが分かりました。
 カーターは英国で高い教育を受けなかったものの、189年17歳で遺跡発掘現場のスケッチ担当としてエジプトに渡り、その詳細な模写や考古学への情熱が高い評価を受けたというのです。

 この辺の来歴は、トロイア遺跡発掘という歴史的偉業を成し遂げたかのシュリーマンと似たところがあるようです。カーターがシュリーマンの業績に迫るきっかけになったのは、1916年から、エジプト遺跡発掘の先人であるカーナヴォン卿(1866年6月26日~1923年4月6日)の援助でエジプトの「王家の谷」発掘を開始したことです。
 そして援助契約が切れる1922年、「世紀の発見」と言われるツタンカーメン王の墓を発見したのです。

ツタンカーメンの墓
ツタンカーメンの黄金のマスク

 

 ところでツタンカーメン王と言えば有名なのが「ツタンカーメンの呪い」です。これは、カーターのスポンサーであったカーナヴォン卿が同墓公開直後急死したことや、発見関係者数名が死亡したとされることによるものです。
 これを当時のマスメディアが「謎の不慮の死」として、「ファラオの墓の発見に関係した者には呪いがかかって死ぬ」とセンセーショナルに報道したため、「王家の呪い」「ツタンカーメンの呪い」伝説として世界中に広まったものです。
 格好のテレビネタとして我が国民放局でも過去に何度も取り上げていますから、これをお読みの多くの人もご存知のことでしょう。

 王家の呪いとの戦いを描いたハリウッド映画『ハムナプトラ』シリーズは、この伝説を下敷きに創られたものなのでしょう。歴史物好き、古代エジプト好きの私は、以前この映画のビデオを何度か観ましたが、「ツタンカーメンの呪い」はその前提として当然あり得ることと信じて疑いませんでした。
 しかし今回あるサイトを探訪して分かったことには、この伝説の大半はデッチ上げで単なる迷信に過ぎないということです。

 読み応えのある長文の論考ですが、ここでその詳細を検証する余裕はありません。興味をお持ちの方は末尾に記載した同サイトURLをご訪問いただくとして、ごく簡単にその概要だけご紹介してみます。

 ツタンカーメン王墓発見二大スターの一人のカーナヴォン卿は、確かに同墓の発見から半年後の1923年4月6日に死亡しました。同卿の死を愛犬が悼むように悲しげに吼え声を発し直後息絶えた、同卿の死の瞬間カイロ中の電気が消えたなどと、世界中の新聞がまことしかに喧伝し「呪いだ」と書きたてました。
 まず同卿の死そのものですが、以前からエジプト病にかかっておりカイロの病院で臥せっていて、満足な治療が受けられない劣悪な中でたまたまその時期に死亡したということのようです。またカイロ停電は、当時は電気が敷かれて間もない頃で、どの都市でも大規模停電は頻繁に起きていました。愛犬の死は本当なのか、またその因果関係などは確認すべくもありません。

 世界中の新聞によると「他に数名が不慮の死を遂げた」ことになっていますが、実はカーナヴォン卿以外で発見関係者が直後に死亡した事実はないようです。「死亡した」と報道された人たちはデッチ上げだったことが、既に当時の新聞で暴露されているというのです。
 デッチ上げの中にはハワード・カーター自身も含まれていました。同姓同名の別人の交通事故死をカーター自身の事故死のように書き立てられたのです。ちなみにカーターは「呪い」とは無縁に、1939年64歳まで恵まれた環境で健康な人生を送っています。

 今日にまで及ぶ「ツタンカーメンの呪い」について、なぜかくも広く流布してしまったのか。同サイトでは大まかに以下の3点を指摘しています。
 (1)情報が少なすぎたこと。(2)エジプトに対する興味と無知。(3)有名人の扇動
 その中でも、「大衆宣伝媒体」としてのマスメディアによる喧伝、扇動が最も大きなものでした。王墓発見関係は英国大手新聞『ロンドンタイムズ』が独占契約しており、真実情報が入手出来ない他の世界中の新聞は、また聞き、憶測、空想で王墓発見記事を書くしかなかったのです。今も昔も三度の飯より「デマ好き」のメディアは、格好の話の種として「ツタンカーメンの呪い」に飛びつき、あっと言う間に世界中に広まった、この辺が真相のようです。

 ちなみに古代エジプトでは、「死者が生きている者を呪う」という思想は無かったそうです。それに異端のファラオ・イクナトーン王系統のツタンカーメンは、後世の記録や王名表から名前を消され、王墓発見までは無名に近い存在でした。
 したがって、発見によって一躍歴史の表舞台に躍り出た感のある同王は、「喜びこそすれ呪いなどかけるはずがない」と、同サイトでは結んでいます。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』「ハワード・カーター」の項(画像も)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
『「ツタンカーメンの呪い」とは?』(サイト『無限∞空間』)
http://www.moonover.jp/bekkan/mania/thutan.htm

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