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雲雀の短歌三首

                      寺山 修司

  空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る
                      (昭和33年『空には本』所収)

                      藤井 常世

  よぢれつつのぼる心のかたちかと見るまに消えし一羽の雲雀
                      (昭和51年『紫苑幻野』所収)

                      高野 公彦

  ふかぶかとあげひばり容れ淡青(たんじょう)の空は暗きまで光の器
                      (昭和57年『淡青』所収)

… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……* …
《私の鑑賞ノート》

 春の鳥としての「雲雀(ひばり)」の近代短歌を三首並べてみました。

 このうち寺山修司(てらやま・しゅうじ)の短歌については、昨年4月の『空は本』で既に取り上げました。なのに再びこれを掲げたのには訳があります。これに続く二人の短歌は、寺山の短歌を意識したものだと思われるからです。

 そもそも和歌の世界で「本歌取り」は、古今集の昔から当たり前の手法として用いられてきました。敬愛する先人によって詠まれた新しいモチーフの優れた歌を、後の歌人たちがそれにならって類似の歌を詠もうとするのは至極当然のことです。
 ただその場合、元の歌人の単なる二番煎じ、三番煎じではつまりません。元の歌を超えないまでも、何かしら新鮮味を加えることが要求されるわけです。
 寺山の後の二人はどうでしょうか。その辺を見ていきたいと思います。

  よぢれつつのぼる心のかたちかと見るまに消えし一羽の雲雀

 藤井常世(ふじい・とこよ)のこの歌にも「心」が出てきますから、寺山短歌の影響は明らかです。
 しかし藤井短歌の新しい発見は、雲雀の「心のかたち」を捉えたことです。捕まえどころのない心に果たして「かたち」があるのかどうか、仔細には知らねども。藤井はこの短歌で「心にかたちがある」と表現しているのです。

 さてそれでは、それはどんなかたちか。空の高みを目指して「よぢれつつのぼる」雲雀の姿こそ、まさにその象徴なのだと言うのです。
 藤井の短歌では、寺山短歌の「にがき心」は露わにはなっていません。けれども、確かに空の高みを目指す雲雀はにがき心を抱いているに違いない、それは「よぢれつつ」のぼっていくことに暗示されていると思われるのです。
 そしてその心のかたちは、寺山の場合と同じく、実は作者自身の心のかたちに他ならないのです。

  ふかぶかとあげひばり容れ淡青の空は暗きまで光の器

 寺山修司の短歌が「起」であるとするなら、前の藤井常世の短歌はそれを受けた「承」ということになるのでしょう。
 対して高野公彦(たかの・きみひこ)のこの短歌は、寺山、藤井という先人どおりに「雲雀がのぼる姿」を踏襲していません。どう詠んだか。雲雀が既に空の高みにのぼりきったさまを詠んだのです。三首の中でこれは「転」にあたると思われます。
 この短歌にある「淡青」を歌集のタイトルにしているところを見ると、高野にとってこれは会心の作品だったことでしょう。

 この短歌の秀逸さは、後半の「淡青の空は暗きまで光の器」にあると思われます。
  淡青の空 = 暗きまで光の器
という図式です。しかし通常の数式では、こんな等式が成立することはありません。ただ単純に、
  淡青の空 = 光の器
なら、あるいは成立するかもしれませんが。そこに「暗きまで」というファクターが入り込んでいることによって、不等式とみなさざるを得ないのです。

 そもそも「淡青(ライトブルー)の空」が「暗きまで」ということがあるのだろうか。とてもあり得なさそうですが、高野公彦にとってはあり得るのです。
 作者の深い意図は分かりかねますが、「声はすれども姿は見えず」で、雲雀の姿を深々と隠し去った空を「暗きまで」と形容したのではないだろうか、と推察されます。さらには、淡青の奥に広がる宇宙の闇にまで想いが至っていたのかもしれません。

 だとすると、この短歌のこの部分は、物理世界の数式では不成立でも、詩的世界の数式としては見事に成立していることが了解されてくるのです。

 (大場光太郎・記)

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『空は本』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-95df.html

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