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みづいろの風

   みづいろの風

             大手 拓次

 かぜよ、 
 松林をぬけてくる 五月の風よ、 
 うすみどりの風よ、 
 そよかぜよ、そよかぜよ、ねむりの風よ、 
 わたしの髪を なよなよとする風よ、 
 わたしの手を わたしの足を 
 そして夢におぼれるわたしの心を 
 みづいろの ひかりのなかに 覚まさせる風よ、 
 かなしみとさびしさを 
 ひとつひとつに消してゆく風よ、 
 やはらかい うまれたばかりの銀色の風よ、 
 かぜよ、かぜよ、 
 かろくうづまく さやさやとした海辺の風よ、 
 風はおまへの手のやうに しろく つめたく 
 薔薇の花びらのかげのやうに ふくよかに 
 ゆれてゐる ゆれてゐる、 
 わたしの あはいまどろみのうへに。

…… * …… * …… * …… * …… * ……

 大手拓次(おおて・たくじ) 1887年(明治20年)群馬県碓氷郡上磯部村(現安中市)生まれの詩人。1907年早稲田大学文学部英文科に入学、この頃より詩作を始める。1912年同大学卒業。その後しばらくは詩作のほかこれといった仕事をせず、貧窮に甘んじる。1916年ライオン歯磨本舗に就職し、以後サラリーマンと詩人の二重生活を続けた。さまざまな病気で通院、入院を繰り返し、1933年(昭和8年)結核で亡くなった。享年46歳。
 詩集『藍色の蟇』、詩画集『蛇の花嫁』、訳詩集『異国の香』。1943年遺稿集『日記と手紙』が刊行され、戦後角川書店、岩波書店など多くの出版社から『大手拓次詩集』が刊行された。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

《私の鑑賞ノート》
 風薫る五月、吹く風は一年中で一番爽やかで心地よい風です。私が知る限りでは、そんな「五月の風」の代表的な詩がこの詩だと思います。五月の風が、大手拓次という詩人によって見事に詩化され、この詩全体に吹きわたっているような印象です。

 この「みづいろの風」は海辺をわたる風です。さて詩人は海辺でどんな態勢でこの風を受け止めているのか。一箇所に佇んでいるのか、歩いているのか、座っているのか、仔細には分かりません。
 ただ「ねむりの風よ」「夢におぼれるわたしの心を…覚まさせる風よ」「わたしの あはいまどろみ」などの詩句から、海辺のどこかに座って心地よい風を受けているのではないかと思われます。

 この詩は処女詩集『藍色の蟇』に収録されています。同詩集は1912年刊ですから、大学卒業前後定職についていなかった時期に当たります。そういうモラトリアムな気分がこの詩にも反映されている、といっていいのかもしれません。

 この時の詩人は、まさに「まどろみ」の状態にあるようです。今風の用語では脳波が「ミッドアルファ波状態」ということになるのでしょうか。世間の煩わしさは一切シャットアウトされ、海辺の景観と一体化し、五月の「みづいろの風」と直(じか)に触れ合っている心的状態と形容してよさそうです。

 そよ吹く風の幽(かす)かな音、松林のざわめき、潮の音(しおのね)…。自然界のすべては「1/f ゆらぎ」となって、詩人をゆったりやわらかく包み込んでいます。このようなまったき受容状態にある時、優れた詩は生まれるのでしょう。
 全編に散りばめられている卓抜な修飾語や比喩が、そのことを物語っているようです。

 (大場光太郎・記)

参考
大手拓次『藍色の蟇』の各詩
http://2style.net/misa/fuguruma/ote/ote.html

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