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「奇想天外の巨人」南方熊楠(2)

アメリカ各地を転々とし植物採集に没頭

 年が明けた1887年1月7日、南方熊楠は桑港(サンフフランシスコ)に到着しました。19歳の東洋の自由児が、「自由の国」に単身乗り込んできたのです。熊楠は当今のアメリカ事情を知るため、早速同市内にあったパシフィック・ビジネス・カレッジに入学しています。
 日常の英会話については、共立学校で、米国生活が長かった高橋是清から「生きた米語」を特訓されていただけに何とかなりました。それに後に触れることになると思いますが、熊楠は「語学の天才」でもあったのです。

 「頃合はよし」と同年8月にはミシガン州に移り住み、ミシガン州農業大学(同州ランシング市、現ミシガン州立大学)を受験し入学しました。 しかし天性の自由児の熊楠のこと、21歳になった翌年問題を起こします。学生5人で酒を飲み、泥酔した熊楠が寄宿舎の廊下で爆睡しているところを校長に発見され、放校処分を食らってしまうのです。

 これによって「どうもオレは学校生活向きじゃないな」と悟ったか、以後は独学を貫くことになります。同州アナーバー市に移り、山野に頻繁に出かけ、動植物の観察、採集などのフィールドワークに汗を流し、また読書に勤しみます。この過程で「粘菌」の魅力にとりつかれていくことになりました。
 この間、シカゴの地衣学者カルキンズに師事し、標本作製を学んでいます。


      1891年アメリカにて

 1891年(明治24年)春、24歳になった南方熊楠は、知人の研究者から「フロリダは新種の植物の宝庫だ」と聞いて矢も盾もたまらず、顕微鏡など研究道具一式と護身用ピストルを携帯してフロリダへと向かい、同州ジャクソンヴィル市に移り、早速生物の調査に取り掛かります。
 この地で食品店を営む親切な中国人(江聖聡)と知り合い、そこの店の住み込み店員をしながら、ひと夏植物採集に没頭しました。その結果新発見した緑藻を英国の科学雑誌『ネイチャー』に発表し、ワンントン・DCの米国立博物館から譲渡してほしい旨の連絡が入ります。

北米だけでは飽き足らず、キューバから中南米へ

 同年秋には、フロリダ州南端のキーウエストからキューバに採取旅行に出かけます。この地では石灰岩生地衣を発見し、「グァレクタ・クバーナ」と命名しています。
 熊楠は「キューバにはさすがに日本人はいないだろう」と思っていましたが、実はいたのです。首都ハバナでたまたま見たサーカス公演の団員の中に同胞を見つけてびっくりします。二人はすっかり息投合しました。

 それだけで済まないのが破天荒な行動家、南方熊楠です。何と彼はサーカスの一座に加わってしまったのです。
 熊楠は象使いの補助をしながら、ハイチ、ベネズエラ、ジャマイカなど3カ月ほど中南米の巡業を共にしています。もちろんこの間も、各地での植物採集はしっかりしていました。いな実はそれこそが一座に加わった目的だったのです。  (以下次回につづく)

 (注記) 本シリーズには、読みやすいよう「見出し」をつけることにしました。(1)にも見出しを加えました。

 (大場光太郎・記)

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