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「奇想天外の巨人」南方熊楠(1)

 「南方熊楠は日本人の可能性の極限だ」  (柳田國男)

はじめに

 5月18日のグーグルトップ、「南方熊楠生誕145周年」ロゴでした。
 明治以降の近代日本において、各分野で「知の巨人」と讃えられた人物が多く現われました。一般的な知名度はないものの、南方熊楠(みなかた・くまぐす)はその中でもずば抜けた知の巨人、タイトルのように桁違いな「奇想天外の巨人」と形容してもいい人物です。

 私は20代後半の頃、ある人から「南方熊楠は凄いぞ」と初めて聞かされました。以来その名前はしっかり刻まれたものの、(熊楠と交流のあった)民俗学の柳田國男(やなぎた・くにお)ほどポピュラーな人物ではないだけに、これまで南方の人物像や業績に深く迫ったことはありませんでした。
 グーグル“変わりロゴ”の良さは、これによって日ごろさぼど関心のない優れた先人、偉人たちについて見直すきっかけを与えてくれることです。

 というわけで、今回は南方熊楠を取り上げてみたいと思います。ただ限られた記事内で、この型破り、破天荒かつ業績が多方面に及ぶ天才の全貌を明らかにすることはとてできません。ほんの“さわり”にすぎませんが、これを契機として私自身の「南方熊楠探求」のとっかかりになれば、と考えます。

 南方熊楠は今回のロゴ図案にあったように、キノコなどの粘菌の世界的研究者として知られていますが、南方の業績は単なる菌類学者にとどまるものではありません。ざっと列挙してみれば、博物学者、民俗学者、細菌学者、天文学者、人類学者、考古学者、生物学者…。
 とにかく熊楠の場合、学問上の敷居などやすやすと飛び越えた驚くべき「学際人」だったのです。そんな熊楠についた呼称は「歩く百科辞典」です。

神童と呼ばれた幼少期。上京、大学予備門入学そして中退

 南方熊楠は明治維新前夜の1867年5月18日(慶応3年4月15日)、和歌山城下の金物・雑貨商の次男として生まれました。子どもの頃から驚異的な記憶力を持つ神童だったようです。またその頃から常軌を逸した読書家で、興味のあることには神がかり的な集中力を発揮したといいます。
 その一例として、小学生の時近所の蔵書家を訪ね、当時の百科辞典『和漢三才図絵』(全105冊)を見せてもらい、内容を記憶して、家に帰ってから書写し、5年がかりで全冊を図入りで写本してしまったというのです。
 その他12歳までに、『本草綱目』『諸国名所図絵』『大和本草』などを書写し終えています。

 和歌山中学(現和歌山県立桐蔭高校)時代、教師の鳥山啓(後に行進曲『軍艦』-『軍艦マーチ』を作詞)から博物学を勧められ、薫陶を受けています。
 1883年(明治16年)同中学校を卒業し上京、神田の共立学校(現開成高校)に入学しました。当時の同学校のようすは、NHKドラマスペシャル『坂の上の雲』で活写されていました。だから熊楠は、当時ここで英語の教師をしていた後の「ダルマ宰相」高橋是清の名物授業も受けたのです。
 この頃、世界的な植物学者バークレーが菌類6000点を集めたことを知り、それ以上の標本を採集し、図譜を作ることを思い立ちます。

 翌1884年(明治17年)大学予備門(現東京大学)に入学。何と夏目漱石、正岡子規、秋山真之らとは同期だったというのです。
 (おそらく漱石や子規以上の)天才児だった熊楠は、級友たちが血反吐を吐いて猛勉強しているのを尻目に「こんな事で、一度だけの命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい」とうそぶき、学業そっちのけで遺跡発掘や菌類の標本採集などに明け暮れます。また上野の国立博物館、動物園、植物園に大感激し、大学そっちのけで通っています。
 結局それらがたたって成績は急降下、1886年(明治19年)中間試験に落第し「ちょうどいい機会だ」と予備門を中退し、和歌山へ帰郷し両親をびっくりさせました。

渡米を決意し、大反対の父親を説得

 実家に戻った熊楠は、「学問はアメリカの方が先を行っています」と父に渡米の意義を力説しました。しかし当時は海外渡航は永遠の別れも同然と思われていた時代です。「無茶を言うな」と大反対されます。
 それでも熊楠はあきらめず、8ヶ月にわたって熱弁を奮い説得し続け、遂に父親も根負けして「ならば行って来い !」と言うしかなくなりました。

 後に予備門の学友だった秋山真之は海軍士官として米国や英国などに、また夏目漱石は英国に官費留学していきました。しかし当時19歳だった南方熊楠は、国家の援助も、何の成算もなしの無手勝流で、1887年(明治20年)1月神戸港から単身出航していったのです。
 何とも恐れ入った行動力、旺盛な知的探究心、米国人顔負けの「明治の群像の一人」のフロンティア・スピリットではないでしょうか。  (以下次回につづく)

 (注記)本記事は1回だけでまとめようと思っていましたが、とてもまとめ切れません。そこで今後何回かのシリーズとします。ご了承ください。

 (大場光太郎・記)

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『「坂の上の雲・第2回」を観て』
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