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フォレスタの「かなりや」

 -「歌を忘れたかなりや」とは何か?ある事に思い至って涙がどっと溢れてきた-

     (「フォレスタ かなりや」YouTube動画)
      http://www.youtube.com/watch?v=Uf3fOYl-X6k

 この歌は大正7年10月童話雑誌『赤い鳥』に発表された作品です。作詞したのは詩人の西條八十(さいじょう・やそ)。この年の7月『赤い鳥』は鈴木三重吉によって創刊されたばかりでした。
 『かなりや』を作詞した時、西條八十は26歳の気鋭の詩人でした。西條がなぜ創刊間もない『赤い鳥』に童謡を発表することになったのか。その辺のいきさつを後に西條自身が述べています。

 「私は今更のようにあの(大正7年の)夏の日の午后、鈴木三重吉氏が突然未見の私を神田の裏街の仮寓に訪れられて、熱心な言葉を以って、『赤い鳥』のために童謡を書くことを慫慂(しょうよう)された時の印象をまざまざしく懐かしく想い起こす。」(大正10年1月刊童謡集『鸚鵡と時計』序より)

 「子どものために、子どもの言葉で、文学的な童謡を書く」という発想が、『赤い鳥』創刊者の鈴木三重吉自身にまずあったのです。その目的のために三重吉は、「新しい童謡の創作者」として、当時最も才能豊かな詩人だった北原白秋、西條八十の二人に白羽の矢を立て慫慂(協力要請)したのです。

 以上は『赤い鳥傑作集』(新潮文庫)巻末の、與田準一による『「赤い鳥」の童謡について』という一文に拠(よ)るものです。自身も童謡作家だった與田準一は続けて、
 「もっとも素質的な詩人、北原白秋と西條八十に、その制作を慫慂したことを、わたくしは、貴重な史的事件として、特記したい。」と述べています。

 鈴木三重吉の慫慂に同意して、『赤い鳥』三号に早速北原白秋の『雨』と西條八十の『忘れた薔薇』が載ることになりました。そして同誌五号に、記念碑的童謡『かなりや』が発表されたのです。

 以前の『「赤い鳥」運動について』でも触れましたが、当初は三重吉にも北原、西條にも、これらの童謡に旋律をつけるという考えはありませんでした。しかし翌年の五月号に成田為三が作曲した楽譜付きの『かなりや』を再掲載したところ大反響を呼び、同誌は音楽運動としての様相さえみせるようになっていったのです。

 ほどなく『雨』にも旋律が付けられ(大正8年10月、作曲:成田為三)、こちらも大変な反響を呼びました。思えば『かなりや』と『雨』の二つの童謡が、その後の童謡作家たちに与えた影響は測り知れないものがあります。
 極論すれば、仮にこの二大童謡無かりせば、今日私たちが親しんでいる数々の名童謡もまた生まれていなかったかもしれないのです。

 ここで、あるサイトで見つけた、『かなりや』が生まれるきっかけとなったエピソードをほぼそのままご紹介します。

 東京牛込生まれ(明治25年)の西條八十は幼い日、教会のクリスマスに連れて行かれた夜のことを思い出して『かなりや』の着想を得たというのです。
 会堂内に華やかに灯されていた電灯の中で、彼の頭上の電灯が一つだけポツンと消えていたのだそうです。その時、幼き心に「百禽(ももどり)がそろって楽しげに囀っている中に、ただ一羽だけ囀ることを忘れた小鳥であるような感じがしみじみとしてきた」と言います。(引用終わり)

 西條八十は、幼時から常人離れした連想力の持ち主だったことをうかがわせるエピソードです。幼時の思い出の「ポツンと消えた一個の電灯」が、「金糸雀(かなりや)」というメルヘンチックな小鳥に見事に姿を変えたのです。
 西條八十という才能豊かな詩人の「発想の秘密」を垣間見る思いです。

 『忘れた薔薇』『かなりや』という二つの童謡を創刊間もない『赤い鳥』に発表したことについて、西條は前掲書序でまた次のように述べています。

 「(二つの童謡は)偶然にも自分が真の詩の精神へ復帰する機縁を作ることになった。この意味に於(おい)て鈴木三重吉氏は私の恩人である。尠(すくな)くとも『歌を忘れた』この哀れなかなりやを優しい繊手に労(いたわ)って、象牙の舟と銀の櫂(かい)を添え、月夜の海に浮かべてくれた忘(ぼう)じ難き恩人である。」

 『赤い鳥傑作集』収録の『かなりや』は、一聯から四聯まではっきり分かれています。だから童謡『かなりや』も、短いながら一番から四番までの歌とみていいのでしょう。
 歌を歌うことが“本職”であるはずのかなりやが歌を忘れてしまったからには、もう役立たずな無用の長物にすぎません。だから一番から三番までは、世間一般が為すであろう仕打ちを詩的に誇張して表現しています。
 しかし優しい心の持ち主である詩人は、それぞれの後に「いえいえ、それはなりませぬ」「それはかわいそう」と付け加えることを忘れません。

 「それじゃあ、役立たずのかなりや、どうすればいいの?」
 「銀の櫂がついた象牙の舟に乗せて、月夜の海に浮かべよ」。そうすればきっと「忘れた歌を思い出す」と言うのです。
 この童謡の生命線は実にこの四番にあると思われます。これあるがゆえ、不朽の名童謡たり得てたのではないでしょうか。

 「歌を忘れたかなりや」とは一体何の象徴でしょうか。まずもって「真の詩精神」を忘れていた西條八十自身です。
 しかしそれは同時に、近年のヒット曲を借りて言えば「♪翼の折れたエンジェル みんな飛べないエンジェル」ではないけれど、これをお読みのお一人お一人そしてこれを書いている私、つまり人間全体を指すとみていいのではないでしょうか。

 「歌を忘れた」ように至らぬことの多いのが私たち人間です。なのにもったいなくも、象牙の舟に銀の櫂で月夜の海に浮かべて荘厳(しょうごん)してくださる、というのです。何と言う「救いの童謡」なのでしょうか。

【追記】
 肝心の「女声フォレスタ」について述べるスペースがなくなりました。小笠原優子さん、矢野聡子さん、中安千晶さん、白石佐和子さん。一言で言って素晴らしいハーモニーの『かなりや』です。特に美貌の小笠原さんの2番独唱がいいですね。
 彼女たちが今こうして歌ってくれたことによって、この歌、さらにこの先もずっと歌い継がれていくことを切に望みたいものです。

 (大場光太郎・記)

『フォレスタ-かなりや』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=aPOX4zBUqPI
参考・引用
『赤い鳥傑作集』(新潮文庫-現在は絶版)
サイト『心に響く聖書の言葉』-「歌を忘れたカナリア」
http://www2.plala.or.jp/Arakawa/kokoro312.htm
関連記事
『「赤い鳥」運動について
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-4908.html
『「雨」-哀愁ただよう童謡』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_d860.html
『「浜千鳥」-この歌の悲しさの源泉とは?』(『かなりや』の強い影響が感じられます。)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_e448.html

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