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フォレスタの「若葉」

 -戦時中の昭和17年にこんな爽やかな歌が…。ここにこの時代の秘密があった-

     (「フォレスタ 若葉」YouTube動画)
      http://www.youtube.com/watch?v=C7v6RmSVi3g

 風薫る若葉の季節にうってつけの歌です。
 『若葉』。当ブログの現在の背景が「若葉」であることもあり、今回取り上げます。

 古い叙情歌好きの私は、人並み以上に昔の歌を知っているつもりです。しかしこの『若葉』や『四季の雨』は、フォレスタコーラスを聴くまでまったく知りませんでした。
 今年1月『フォレスタの「若葉」』を初めて聴いた感想は、何と気持ちの良い清々しい歌なんだろう、というものでした。以来この歌を折りに触れて聴いてきました。

 この歌は昭和17年発表とのことです。軍歌一色に紛れてこんな名叙情歌があったとは ! と言うことで、この歌でも以前の『フォレスタの「花言葉の唄」』と同じようなことを述べないといけないのかもしれません。すなわち、
 「時局は戦時色一色に染まりつつあった世相の中で、よくもこんな明るい清新な歌が生まれたものです」
 しかしこの感想は今回少し修正が必要であるようです。

 「暗い時局」というのは、当時の事情を知らずに、近代日本史の重要な出来事として、結果的に敗戦、米国占領という最悪の事態を迎えてしまったことを、学校の教科書で習い戦後通念化した者から見た視点なのです。

 そのことに気づかされたのが、作家の五木寛之氏の最近のエッセイです。五木氏は以前の記事で述べたように、『日刊ゲンダイ』紙で「流されゆく日々」という長寿コラムを連載しています。
 最近の同コラムで、五木氏が戦争中のことを回顧しているシリーズがありました。当時同氏は両親と共に満州に住んでいた少年でしたが、当時は今の私たちには信じられないことに「国民誰しもが、不思議な高揚感に包まれていた」というのです。
 国家主義、全体主義としての恐さがそこにはあるにせよ、自分という小さな個人が、国全体という大きな命にまで広がった確かな実感があったというのです。

 昭和17年はこの年6月のミッドウェー海戦や同年8月のガダルカナル島の戦いで日本軍の敗色が決定的になった年でした。がしかし不利な戦局は国民には知らされず、我が国の勝利を信じて疑わなかった時期です。まだ国民全体が奇妙な高揚感に包まれていたとしてもおかしくはないわけです。
 そういう時代背景を念頭にこの歌を味わってみますと、「あざやかな」「明るい」「さわやかな」ばかりの歌で、暗い影などどこにも見出せない秘密が分かるような気がするのです。(ただし当時の「神州不滅」の幻想は、やがて木っ端微塵に吹き飛ぶことになります。)

 もちろんこの歌を歌っている女声フォレスタメンバーは、そんな時代背景などあまり知らないことでしょう。むしろそれでいいのです。良い歌は掛け値なしに良い歌として歌ってくれていますから。
 画面左から中安千晶さん、矢野聡子さん、白石佐和子さん、吉田静さんの4人です。メンバーも緑のドレスも『別れのブルース』と同じですから、両曲は同日の収録と推察されます。そう言えばピアノ演奏の南雲彩さんも同じ黒いドレスです。

 澄んだソプラノの矢野聡子さんの一番独唱が、このコーラスの清々しさを決定づけてくれています。「新婚ニュース」効果もあいまって、矢野さんのお顔輝くばかりです。結婚生活の末永き幸せをお祈りし、早いフォレスタ復帰を望みたいものです。

 この歌を鑑賞する場合忘れてならないのは、当時と今の「若葉の豊かさの違い」です。当時の日本は農耕型社会、戦後の国土開発という名の国土破壊はまだなかった時代です。
 中安さん、矢野さん、白石さんのソプラノ、吉田さんのメゾソプラノ。4人の重層的なコーラスが、豊かに繁りあった若葉のさまを見事に歌い上げてくれています。

 (大場光太郎・記)

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『フォレスタの「花言葉の唄」』
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『美しすぎる「フォレスタ」』(冒頭に『別れのブルース』動画があります。)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-1920.html                       

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