« 「奇想天外の巨人」南方熊楠(5) | トップページ | エーゲ海の由来&イカロスの翼 »

フォレスタの「夏は来ぬ」

 -かつてはこんな良い歌、この歌のような美しい風景がこの国にはあったのだ-

     (「フォレスタ 夏は来ぬ」YouTube動画)
      http://www.youtube.com/watch?v=6joKC0XA6jI


 『夏は来ぬ』。風薫る初夏の諸々の風物を描いていて、すっきり爽快な気分にさせてくれる歌です。

 この歌は明治29年(1896年)発表の文部省唱歌です。「文部省唱歌」については、大正時代の「赤い鳥運動」の中心者・鈴木三重吉らによって、「陳腐だ」「低俗だ」「教訓的過ぎる」などと厳しい批判にさらされました。
 文部省唱歌の中にはそう批判されても仕方ない歌が多かったのも確かでしょう。しかし幾つもの唱歌が今でも歌われています。そういう唱歌は「時」という最も厳しいアンパイヤーの淘汰をくぐり抜けて今日まで残ってきたのです。

 中でも『夏は来ぬ』は、文部省唱歌中の名曲の一つと言ってよさそうです。この歌の一部には「蛍の光 窓の雪」式のやや教訓がかった歌詞がないでもありません。しかし作詞した佐佐木信綱の歌人としての力量が、そんな教訓的なものも叙情的な情景の中に見事に霞ませています。
 この歌は2007年(平成19年)、「日本の歌百選」の一曲に選曲されました。文部省唱歌という名が冠せられた名叙情歌です。

 『夏は来ぬ』は曲がまず出来て、後で歌詞がついた歌だそうです。作曲は「日本教育音楽の父」と言われた小山作之助(こやま・さくのすけ)、作詞は歌人で第1回文化勲章受賞者の佐佐木信綱(ささき・のぶつな)です。
 「この曲に、夏の到来にふさわしい5番までの歌詞を作っていただきたい」と小山から曲を渡された信綱は、「先曲後詞」の難しさに悪戦苦闘しながら作詞したと伝えられています。

 佐佐木信綱は、かつての中学の国語教科書に代表的な短歌が載っていたように「近代短歌の父」的な有名歌人です。当然古典文学にも精通していました。だから『夏は来ぬ』は文語体の格調高い歌詞となっています。
 タイトルの「夏は来ぬ」とは。「来(き)」はカ行変格活用助詞「来(く)」の連用形で、「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形で、全体では「夏は来た」という意味になります。

 1番から5番までの歌詞の内容をざっと簡単に見ていきたいと思います。
 「卯の花」「時鳥」「五月雨」「早乙女」「橘(の花)のかおる」「楝(の花)ちる」「水鶏」「五月闇」「早苗」。これらはすべて「夏の季語」で初夏を彩る風物です。これらの季語を歌全体に巧みに織り込んで一歌としたのは、見事な手腕と言うべきです。

 1番の「卯の花」と「時鳥」については、そもそも万葉集の昔から「夏は卯の花と時鳥とともに訪れる」という観念があったようです。直接的には、江戸時代の歌人、加納諸平(かのう・もろひら)の次の和歌の焼き直しと見られます。
   山里は卯の花垣のひまをあらみしのび音洩らす時鳥かな

 2番は、平安時代の『栄華物語』の中の次の歌をモチーフとして作られたようです。
   五月雨に裳裾濡らして植うる田を君が千歳のみまくさにせむ
 「五月雨」は本来は旧暦五月の雨つまり梅雨時の雨で、初夏の後の候になりますが、まあ固いこと言わないで、この歌では「(新暦)5月の雨」ということにしておきましょう。「早乙女」は早苗乙女が縮まったものと考えられ、「田植えをする女性」の美称です。

 3番は、先ほど見たように、中国故事の「蛍雪の功」を踏まえて作られたものです。
 4番は、拠典が何か不明です。あるいは信綱の独創だった可能性も考えられます。この中の「楝」は、センダン科の落葉高木で、5月、6月頃白または淡紫色の小花を円錐花序に開きます。「水鶏」は、クイナ科の鳥の総称で、沼や沢などの湿地に好んで生息する夏鳥です。

 5番は、1番から4番までの総集編といった趣きです。と言うより、つい思いあまって、それまでの代表的風物をこの中に詰め込んだ、半ばやけっぱちの感がしないでもありません。佐佐木信綱の悪戦苦闘ぶりが伝わってくるようです。

 この歌はハ長調で、C(4分の4拍子)の明るい感じのメロディです。しかし聴くほどに、ジーンとくる哀切な調べがこの歌の底流にあるように感じられてなりません。曲がそういう感じを抱かせるのか、それとも歌詞からそう感じるのか…。
 一つ思い当たるのは。この歌で歌われている田園風景は、昔なら全国どこでも見られました。しかし以前の『「朧月夜」-私たちが失ってしまった原風景』でも述べたことですが、それらの多くは失われ、今では「歌だけに存在している風景」となってしまった地域がずい分あります。
 この歌を聴いてジーンとくるのはそのせいなのかもしれません。

【追記】
 この名曲を、吉田静さん、白石佐和子さん、中安千晶さん、矢野聡子さんの4人の女声フォレスタが見事に歌い上げてくれています。
 1番、2番の前半部はそれぞれ、メゾソプラノの吉田さん、ソプラノの白石さんが独唱し、後半部を2人でコーラスしています。3番と4番も、ハイソプラノの中安さん、矢野さんが同様に歌い継いでいきます。そして5番を全員のコーラスで締めるという構成です。

 4人とも、それぞれ声の特徴を生かした個性的な良い独唱です。中でも1番(前半部)独唱の吉田さんの歌唱力はさすがです。伸びのある豊かな声量に魅せられながら、安心して聴いていられます。

【追記2】
 これまでの「フォレスタ記事」に、日々多くのフォレスタファンの方がアクセスしてくださっています。そこで今回から『フォレスタコーラス』カテゴリーを新たに設けることと致しました。今後ともご訪問いただき、時に各歌へのコメントや、取っておきの「フォレスタ情報」などをお寄せいただれば幸いです。

 (大場光太郎・記)

『夏は来ぬ』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=cF3RYoeWf-E
関連記事
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
『「朧月夜」-私たちが失ってしまった原風景』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_925a.html

|

« 「奇想天外の巨人」南方熊楠(5) | トップページ | エーゲ海の由来&イカロスの翼 »

フォレスタコーラス」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。