« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

日々雑感(12)

   片蔭に女の白き顔ありて   (拙句)

 今月9日あたり気象庁は、「関東甲信地方が梅雨入りしたとみられる」と発表しました。しかし、だからといって雨ばかりが続くわけではありません。まして今年は春先から雨がちの日が多く、既に梅雨の時期までの雨量を使い果し、“天の雨倉”にはほんの少ししか雨の貯蔵がないのかもしれません。
 今年は梅雨晴れ間の日がけっこう多いようです。

 そんな晴れた日は、ギラギラまぶしい日差しが町並みに容赦なく照りつけます。梅雨の最中であることを忘れてしまうような、夏本番さながらの暑さです。もちろん夏のピークは梅雨明け後の7月半ばから8月の旧盆過ぎ頃までです。
 お互い、梅雨のうっとうしさにも酷暑にも負けず、「快適なサマーライフ」といきたいものです。

 と、ここまで何事もなかったように、すらすら時候挨拶文を綴ってくることができました。マイブログの不具合により、直近の『フォレスタの「高原の宿」』からまる4日空いての更新ということになりました。

 不具合に至った経緯を簡単に述べてみたいと思います。
 それは『フォレスタの「高原の宿」』公開直後に起きました。2カ月ほど前の『春の椿事でネット接続不可に』と同じことがまた起きてしまったのです。パソコンが完全硬直状態になってしまったのです。
 既にウィルスソフトも入れていますし、大雷による建物全体を統括するブレーカー遮断などでもありません。

 私は「パソコンに負荷をかけ過ぎていることが原因だ」と検討をつけました。何しろ当ブログ記事だけで既に1500記事にも達しています。1記事あたり400字原稿用紙数枚分としても相当膨大な文字量です。それに最近は画像や動画を頻繁に挿入しているわけですから。
 それ以外にも業務用ワード文書、どれが本当の「お気に入り」か分からないほどのブックマーク、削除していない大量の受信メール、保存画像などなど。
 「メモリー保存容量が足りません。不要な保存データは処分してください」というような表示が頻繁に出てきます。

 早速東芝PCサポートセンターに電話を入れ、オペレーターの指示どおり普段やり慣れない操作を、都合1時間ほどあれこれ試みました。しかし思うように動きません。
 しびれを切らした男性オペレーターは、「パソコンに差し込んであるプラグ類を全部抜いて、裏のバッテリーも外してみてください」と言います。プラグ類はすぐ抜いて、「よっこいしょ」と裏返してもバッテリーのある位置、位置が分かっても外し方、まるでメカに弱い私には電話による指示がピンときません。バッテリー外しだけで15分ほどかかってしまいました。

 その状態での操作がうまくいかないのでオペレーターは、「こうなったら後は初期化しかありません」と言い放ちます。「早速それをやりましょう」。ついに来たかぁ~。「初期化となると保存データは全部パーですよね」「はい、残念ながら」。その間の所要時間は1時間ほどだと言います。
 嫌だよ、初期化してデータが全部パーになるなんて。私は「これから出かける用事がありますので…」と方便を使い、「それでは今回の記録は残しておき、次回誰が応対しても分かるようにしておきますから。本日は○○が承りました」。やれやれ。

 という事で危うく「初期化の難」を逃れました。私には初期化などしなくても、何とか復旧できそうな予感があったのです。
 途中経過は省きますが、その日から私なりにトライし、案の定マイパソコンは徐々に回復の方向に向かいました。決して“死後硬直”ではなかったのです。それが証拠に、今こうして記事更新までたどり着いているわけなのです。

 「病み上がり」のため、今回はこれくらいにしておきます。

【追記】 今回分かったのは、Youtube動画の「埋め込み」は意外なほど負荷がかかることです。特にフォレスタ動画は残念ですが、今後は動画アドレスの表記のみ、以前の動画も徐々に削除していくことになるかもしれません。あしからずご了承ください。

 (大場光太郎・記) 

| | コメント (2)
|

フォレスタの「高原の宿」

 -戦前の名曲『湖畔の宿』にならいつつ、それと比肩し得る名曲かもしれない-

     (「フォレスタ 高原の宿」YouTube動画)
      https://www.youtube.com/watch?v=vOcnouzxzvI

 『高原の宿』は前から知っていましたが、さほど関心のある歌ではありませんでした。しかし、たまたまフォレスタコーラスが歌っているのを聴いて、この歌の良さを再認識しました(ので今回取り上げます)。
 この歌のように「忘れられていた良い歌を今に蘇えさせること」、それがフォレスタコーラスの存在意義の一つであるように思われます。

 「高原旅情歌」というジャンルがあったかどうか。「高原」はイメージ的に独特のロマンチシズムを有しています。このイメージが定着するのには、高原を舞台にした堀辰雄の小説『美しい村』『風立ちぬ』、立原道造の詩『のちのおもひに』などの戦前の文学作品が大きく影響したのかも知れません。
 『高原の旅愁』(昭和15年-歌:伊藤久男)『湖畔の宿』(昭和16年-歌:高峰三枝子)など、「高原」は戦前から好んで流行歌の題材になってきました。

 しかし「高原旅情歌」が大ブレークしたのは、何といっても戦後すぐの昭和20年代です。終戦による開放感、それと人々が一斉に目を向け始めた欧米のハイカラ文化と、高原のロマンチシズムが結びつくところがあったからなのではないでしょうか。
 代表的な歌として、『山小舎の灯』(昭和22年)『高原の駅よさようなら』(昭和26年)『高原列車は行く』(昭和29年-歌:岡本敦郎)などがあります。

 この『高原の宿』が発表されたのは昭和30年、何やら高原旅情歌の締めくくりの歌であるようです。というのもこの歌と、翌年同じく高橋掬太郎が作詞した同じような曲想の『山蔭の道』以降「高原旅情歌」はばったり作られなくなったからです。(強いて挙げれば、昭和36年松島あきらが歌ってヒットした『湖愁』くらいなものでしょうか。)
 「望郷演歌」もそうですが、徐々に人々の意識が故郷や高原の叙情性から離れて、「街」や「都会」により強い関心が向かい始めたことと無縁ではないように思われます。

 『高原の宿』の作詞は高橋掬太郎、作曲は林伊佐緒です。ユニークなことに、歌を作曲した林伊佐緒自らが歌いヒットさせました。林伊佐緒の歌もYouTube動画にはあり、聴いてみましたが声量豊かなテノールでなかなか良い歌唱です。
 タイトルの「宿」からしてそうですが、この歌の15年前の名曲『湖畔の宿』をかなり意識しているようです。『湖畔の宿』の3番の歌詞に出てくる「ランプ」が、『高原の宿』のラストでも使われていることからもそれがうかがえます。
 歌詞・曲ともに、『湖畔の宿』に勝るとも劣らない名叙情歌だと思います。

【追記】
 この歌をフォレスタ混声コーラスが歌ってくれています。男声は今井俊輔さん、横山慎吾さんの2人、女声は吉田静さん、中安千晶さん、白石佐和子さん、矢野聡子さんの4人です。
 冒頭の今井俊輔さんの独唱は意外でした。今井さんの独唱自体めったに聴いたことがありませんが、重厚な低音でそれ以降のコーラスにうまくつなげてくれていると思います。

 この歌は次世代女声フォレスタの吉田さん、中安さんが前面に出ています。2人は、吉田さんいわく「疑惑の同い年」だそうです(共に推定年齢28歳)。代わって年長の白石さん、矢野さんは後ろからバックアップしている形です。
 高原の宿にあって遠い都の「君」を想う切ない心情を、6人の混声フォレスタが情感込めて歌い上げていると思います。

 (大場光太郎・記)

| | コメント (0)
|

「消費税増税大政局」-小沢氏新党結成、民主党分裂へ

 -亡国的な増税3党野合に、体を張って「ノー」と言ったのは小沢派だけだった-

 小沢一郎民主党元代表が、消費税増税法案への反対を正式に表明し、新党結成も視野に入れていることを言明しました。

 マスコミは小沢元代表ら増税反対者に対して、一様に「造反」と書き立てています。しかしちょっと待ってもらいたい。2009年夏の総選挙において民主党は「4年間は消費税増税論議はしない」ことを国民と約束して政権交代を果したのです。
 再三強調しますが「シロアリ」野田は、その原理原則を誰よりも熱心に説いて回っていたのです。だから一番重要な国民との約束の「造反者」は、野田佳彦であり現民社党幹部連中の方なのです。このポイントはしっかり抑えておく必要があります。

 消費税増税反対の小沢クループこそ、政権交代時のマニフェストの精神を律儀にも守り通している「真正民主党」であり「民主党A」と言うべきなのです。方やマニフェスト(国民との公約)を平気で破り続け、増税一直線で突っ走っている野田民主党は「偽民主党」であり「民主党B」と呼ぶべきです。
 当ブログでも度々言及してきたとおり、小沢民主党Aと野田らの民主党Bはしょせん水と油です。菅前政権の時から衝突を繰り返してきたのであり、いつか分裂するのは避けられない情勢だったのです。

 天の道理から言えば、民主党を去るべきは野田ら現幹部の方です。
 しかし「悪盛んにして天に勝つ」当今、ユダ金・イルミナティ支配のIMFなど国際機関から、財務省など霞ヶ関官僚、自民・公明両党、財界、マスコミなど国内の悪徳勢力が総がかりで野田民主党の支援に回っています。
 どうにも道理の通じない勢力がはびこっている世の中では、このタイミングで小沢グループが離党するのも仕方ない仕儀と言わねばなりません。

 小沢一郎にとって、自身が裁判で上告されたり、消費税増税論議が山場のタイミングで三流週刊誌『週刊文春』に下らないガセ中傷記事が掲載されたりと四面楚歌、孤軍奮闘といった趣きです。
 そんな厳しい状況下での離党、新党結成の船出になるわけですが、小沢元代表本人は来るべき解散・総選挙を見据えて「かえって争点がはっきりしていて、こっちは戦いやすい」と、春風駘蕩・泰然自若の大人(たいじん)の風格です。

 確かに野田「偽民主党」それに3党密室談合の自民党、公明党と、小沢元代表を中心として結成される「真正民主党」は、消費税増税だけではなく主要政策が際立って対照的です。

 以下に違いをざっと比べてみます。
 小沢勢力-「国民の生活が第一」「消費税増税反対」「日米対等」「東アジア重視」「地方主権委譲」「ТPP慎重」「原発再稼動反対」「辺野古建設反対」…。
 野田民主・自公勢力-「米官業の利益が第一」「消費税増税推進」「対米従属」「東アジア軽視」「中央官庁主導」「ТPP推進」「原発再稼動実施」「辺野古建設推進」…。
 なるほどこうして比較してみると、両勢力の争点の違いは明確です。

 やはり問題となるのが小沢新党に加わる衆院議員の数です。仮に野田官邸筋の読みのように「せいぜい40人台だから恐るるに足らず。出て行ってくれた方がすっきりする」というレベルでは大いにもの足りません。
 与党が、参院に続いて衆院でも過半数割れを生じる「54人」は何としても超えてもらいたいものです。そうしたら、新党結成表明の21日の時事通信は「新党参加者60人超か」という記事を出していました。

 どうやら核となる小沢グループの他に、20日夜の党内論議を途中で打ち切り勝手に「一任」を宣言した前原誠司政調会長らの強引なやり方に、反発を強めている中間派からの参加もかなりありそうなのです。
 衆参とも過半数に達しない与党なら、3党合意の相手の自公も思い切って足元を見てきます。早期の解散・総選挙圧力が強まり、内閣不信任案提出も覚悟すべきです。ただでさえ足腰の弱い野田政権が窮地に追い込まれるのは明らかです。

 「(21日の採決に)命を賭ける」とほざいていた野田でしたが、結局この日の採決には至らず来週の26日(火)にズレ込む見通しです。つまり「転び増税論者」の野田の覚悟とはこの程度のもの、採決先延ばしによって離党覚悟の“造反者”は増えこそすれ減りはしないことでしょう。

 まとめとして。一昨年6月の菅政権発足以来、今の梅雨どきのようにうっとうしい、澱んでドンヨリした閉塞政界にほとほと嫌気がさしていました。今回の「小沢新党」のニュースは、久々に差し込んだ陽光、清涼な薫風のようです。
 小沢新党には、ゆくゆくは二大政党制の対立軸政党に大成長し、民主・自民・公明が画策している危険な大連立の動きを蹴散らしてもらいたいものです。

 (大場光太郎・記)

| | コメント (0)
|

消費税増税法案は成立するらしい

 -3党合意は今後に悪しき先例を残すから、増税法が成立しても実施させるな-

 3党密室談合により、消費税増税法案は野田佳彦ら現執行部の思惑通り、会期末の21日衆院で成立が確実な情勢です。その手腕を英国エコノミスト誌も「歴代の首相がやりたくてもできなかった消費税増税に道筋をつけた野田首相は日本の優れた指導者だ」というように絶賛しているそうです。
 米英の一流紙誌の論評ともなると、我が国では無条件で信じる向きも多いことでしょう。しかし同誌の野田評は話半分どころか、話十分の一くらいに受け止めた方が賢明です。

 おそらく英エコノミスト誌は、ユダ金(ユダヤ金融資本)ロスチャイルド子飼いの報道誌であるに違いありません。我が国の消費税が3%、5%アップすることによって、特別会計その他の裏ルートによって、米英のユダ金に還流される金もそれだけ増えるわけです。その道筋をつけてくれた野田佳彦を悪く言うはずがないのです。
 昨年の『真実の近現代概略史』シリーズで見ましたように、明治維新前夜以来戦前までは欧州ロスチャイルドに、戦後は米国ロックフェラーに、どれだけ我が国の資産がむしり取られてきたことか、おそらく天文学的数字となることでしょう。

 野田佳彦とてそんなカラクリを知らないはずはないでしょう。もし知らずに消費税増税(によってユダ金への上納金を増やすこと)を「国際公約」したとしたら、一国の指導者として完全に失格です。もし知っていて国際公約したとしたら、野田はユダ金に魂を売り渡した売国奴ということになります。
 野田は今回の業績によって「後世に名を残す」そうですが、(もしこの国がこのままのシステムで後世まで続いていると仮定して)今よりは「真実」を知る立場にある後世の人たちによる相当シビアな評価を覚悟すべきです。

 いずれにしても、この国と国民にとって幾重にもためにならない、消費税増税の大悪法が成立しそうな見通しです。すべては民主党、自民党、公明党の「3党合意」という悪巧みによって可能となったのです。
 現在の衆院過半数は(横路議長と欠員を除く)「240」です。与党の民主党、国民新党に自民、公明両党が加われば430人となり、これをひっくり返すには190人もの大量造反者が必要です。だから約80人いる小沢グループ全員が反対票を投じても、衆院可決は動かない情勢なのです。

 3党合意前は小沢グループを中心として中間派を巻き込んだ大反対勢力となり、「増税法案成立は難しい」と言われていました。しかし先週の3党合意以降形勢逆転、反対派の勢いはしぼむ一方です。
 野田は谷垣総裁に「造反者は46人止まり。除名するので安心してください」と伝えたそうです。これくらいでは、野田民主党として除名しようが痛くもかゆくもないわけです。

 ただ18日の読売新聞ネットによりますと、その時点で小沢グループから「反対に回る数は50人を越えた」と微妙な数字を伝えていました。なぜ微妙かというと、造反者が54人に達すると与党として過半数割れを起こし、うかつには除名できなくなるからです。
 小沢元代表としては、何としても54人確保を目指したいところです。しかし中間派と呼ばれる日和見連中はしょせん当てになりません。皆そそくさと増税賛成に寝返っています。一時は「離党も辞さない」と息巻いていた鳩山元首相ですらいつもの通りグラグラし、19日夜の小沢・鳩山会談で改めて反対に回るよう説得している状態です。

 今回の「3党合意」はこれから先悪しき先例となりそうです。有力与野党がこういう形で「野合」してしまえば、どんな危険な事でも可能となります。
 例えば国民への監視をさらに強めること、集団的自衛権を認めること、米国と一体化した軍事行動が行えること、憲法改正という名の憲法改悪をすること、今の自衛隊を国軍にすること、徴兵制を導入すること、日本の核武装を可能にすることなどなど。

 野合と言われるのを避けるため「大連立」という究極の手法もあり得ます。こうなるともう完全に戦時中の大政翼賛体制に先祖返りです。おそらく当時と同じく、今の朝日、読売などが消費税増税と同じくそのつど「協賛キャンペーン」を繰り広げることでしょう。
 国民の望むことは何一つなされず、消費税増税や原発再稼動のように、まったく望んでいないことがどんどん進んでいく嫌な世の中に確実になってきているのです。
 野田佳彦はまるで国民に引導を渡す地獄からの使者のようです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『真実の近現代概略史』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat43851635/index.html
『3党密室談合により消費税増税法案は成立か』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-66fe.html

| | コメント (2)
|

3党密室談合により消費税増税法案は成立か

 -近年のこの国の番頭(指導者)は、本当に「日に日に悪くなり」劣化している-

 今国会会期末となる21日(木)、衆院において焦眉の急の消費税増税法案が採決される見通しです。同法案の行方は、我が国の今後の命運にとって極めて重大な問題をはらんでいます。仮に法案成立となったら、長引くデフレ不況下、さらに過重な消費税が国民生活に重くのしかかり多くの中小零細企業を直撃するのは必至です。
 死活問題ですから、同法案の行方について私たちは注視していく必要があります。よって今週は「消費税増税」を中心とした政局記事を取り上げていきたいと思います。

 やっぱりと言うべきか。フタを開けてみると、民主党、自民党、公明党という衆院多数を占める与野党3党の「密室談合」によって、大増税はあっさり決しそうな情勢になってきました。ずい分面妖な話です。戦時中の大政翼賛体制下でもあるまいし、本来敵同士として重要法案について侃々諤々の白熱した議論を戦わすべき与野党が、互いの党利党略だけでいとも簡単に同法案修正合意に至るのです。
 これは、戦後67年間曲りなりにも続いてきた議会制民主主義の否定にも等しい暴挙と言うべきです。

 百歩譲って、国民生活に必要不可欠で、国民世論がその法案の成立を切に願っている、それで「国民の生活が第一」を慮(おもんばか)ってのやむにやまれぬ心情から、各党とも小異を捨てて大同についた、というのなら少しは理解もできます。
 しかし財界・大企業をスポンサーとする新聞・テレビが、(消費税増税によって戻ってくる莫大な還付金欲しさの)スポンサーたちが泣いて喜ぶ「消費税増税キャンペーン」を連日繰り広げようが、国民世論の「増税反対 60%」は微動だにしません。大マスコミの世論操作報道でこれですから、もしマスコミが本当に中立報道をしていれば、この数字は70~80%になっていてもおかしくはないのです。

 財務省のパペットに過ぎない野田佳彦(私はこの者を首相とは認めないので以下もこれで通します)率いる民主党は、2009年夏の総選挙において、国民との公約であるマニフェストにおいて「4年間は消費税は上げない」と約束して政権交代を果したのです。
 同選挙中有名な「シロアリ演説」をかましていたように、野田はその時点では熱心な消費税反対論者だったのです。国民に増税を強いる前に、米国への上納金&財務省など霞ヶ関官僚たちの利権の温床である、毎年200兆円以上の特別会計にメスを入れること、天下りを厳しく規制することなど、もっともらしいことを滔々とぶっていたのです。

 それが今や百八十度宗旨替えして、「消費税増税法案成立に命を賭ける」というのです。これが野田佳彦の薄汚い正体です。政権延命のためなら、国民無視、マニフェスト違反も平気でやるとんでない政治屋です。
 だったら、増税法案を通す前に選挙で国民に信を問うのが、「憲政の常道」というものではないでしょうか。

 3党合意以前は、「消費税増税反対」の小沢一郎元代表率いるグループの動向が気になって仕方なかったものの、3党密室談合でまたしても「小沢抜き」で法案成立に目途がついたとして、野田は意気揚々とG20に向かっていきました。
 消費税増税を野田は「国際公約」にしてしまっていたので、目途がついたことをオバマ大統領ら各国首脳への今回の“顔見せ興業”のお土産にしたかったのです。

 野田佳彦が「国民公約」を踏みにじってまで果したい「国際公約」とは、突きつめて考えれば一体「どことの公約」なのでしょうか。
 それは今や知る人ぞ知る、すべての国際機関を陰で操る「ユダヤ国際金融資本」(「ユダ金」)ということです。または、ユダ金と密接に絡まっている暗黒結社「イルミナティ」ということもできます。

 これが野田佳彦をはじめとした民主党現幹部、谷垣禎一総裁ら自民・公明党幹部、財務省、外務省、防衛省などの霞ヶ関官僚、それに電通・大マスコミを含めた財界首脳らがひれ伏すものの正体です。

 悪の仕組みは、日本魂をネコソギ抜いて了(しも)うて、日本を邪神界(がいこく)同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の人民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか。上からやり方改(か)えて貰わねば、下ばかりでは何(ど)うにもならんぞ。上にたちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。  (昭和二十一年一月十二日-『日月神示』より)

【注記】
 心ある人にはお分かりかと思いますが、消費税増税問題一つ取っても、日本(と日本国民)は今後何年かのうちに、本当に「生きる死ぬる」の正念場を迎えようとしています。日本が世界に誇るべき「救世の」大神典、大預言『日月神示』(ひつくしんじ)を、今後折りに触れて取り上げていきたいと思います。

 なお本記事をまとめるにあたり、最近の『日刊ゲンダイ』記事(複数)を参考にしました。

 (大場光太郎・記)

| | コメント (0)
|

フォレスタの「アカシヤの雨がやむとき」

 -60年安保闘争は挫折し、巷には『アカシヤの雨がやむとき』が流れていた-

     (「フォレスタ アカシヤの雨がやむとき」YouTube動画)
      http://www.youtube.com/watch?v=nPuBt5mUb8k

 6月は雨の季節です。そこで「雨の歌」の一曲として、この歌を取り上げてみました。はじめに、『二木紘三のうた物語』のこの歌への私のコメント(2008年4月26日)の概要を以下に転載させていただきます。
                        *

 『アカシヤの雨がやむとき』は、女の情念を切々と歌いながらも、1番から3番へと歌が進むにつれて、その情念が少しずつ漂白されてゆき、ついにはこの世の粗雑感、重量感からするりと抜け出して、不思議な透明感に到るように思われます。私は、およそ非現実的な、この歌のそこに惹かれます。
 また、1番から3番の冒頭に置かれている「アカシヤの雨」というフレーズが、この歌全体の叙情性を、しっかり担保していると思います。曲がまた素晴らしいですね。
 私は小学6年の頃、西田佐知子さんがこの歌を歌っているのを(白黒)テレビで見ましたが、その清楚な美しさに、子供ながらにしびれました。手に白い(と思われる)ハンカチを握りしめながら、ひたむきにマイクに向かっていたその姿が、今でも目に浮かびます。

 3番は少し難解です。
 (と、3番の歌詞に括弧で挿入した言葉を加えたりして私流の解釈をしています。著作権法の関係で歌詞の引用ができないのが残念です。端的に言えば「鳩」は、ベンチの片隅の「私のぬけがら」から抜け出した「たましいの化身」という捉え方です。)

 ところで私は、西田演歌の双璧はこの歌と、『東京ブルース』だと思うのですが。
 こちらは、女の情念オンリー。『星の流れに』が焼け跡ただ中の女の恨み節なら、『東京ブルース』は高度成長が離陸し始めた頃の女の恨み節。
 (『東京ブルース』2番の歌詞-省略) (転載終わり)
                        *
 
 「4年前の私」を越えられず残念ですが、『アカシヤの雨がやむとき』に関してこれにつけ加えることはあまりなさそうです。
 ただ強いて挙げれば、この歌が流行していた当時の時代背景についてです。しかし実はこれについても、一昨年6月の『「60年安保」から半世紀(4)』で既に述べています。以下は同シリーズ全体の結びとなるものです。

 (1960年6月15日の樺美智子さんの死からほどなく、日米安保新条約が発効し)騒乱が収まり平穏を取り戻した街に、西田佐知子が歌う『アカシヤの雨がやむとき』(作詞:水木かおる 作曲:藤原秀行)が流れていました。若者たちの挫折感に、どこか厭世的でデカダンなこの歌が共感を呼び、若者たちの間で好んで歌われ広まっていった経緯があるようです。今あらためて聴いてみますと、この歌はあの頃の時代の空気を何と代弁していたことか。感慨深いものがあります。 (転載終わり)                      

 『フォレスタのアカシヤの雨がやむとき』。小笠原優子さんの独唱で、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さんという初代女声メンバーによるコーラスです。アカシヤの白い花に見立てたか、皆さん白いドレスです。
 このコーラスのピアノ伴奏、素晴らしい。(私が勝手に思いこんでいるだけですが)演奏は「しっとり系」がお得意な南雲彩さんでしょうか。

 特に小笠原優子さんの高く澄んだ歌声の独唱、いいですね。しっかりと「小笠原優子のアカシヤの雨のやむとき」になっています。大人の女性の恋の歌に小笠原さんはうってつけのようです。(多分)年齢的に最年長という理由のほかに、小笠原さんはこういう切々と歌い上げる歌にふさわしい雰囲気をお持ちです。

 なお『二木うた物語』の私のコメント末尾でも触れましたが、個人的には西田演歌の代表曲として、この歌と『東京ブルース』が双璧だと思っています。残念ながらフォレスタ曲として『東京ブルース』はまだのようです。女声フォレスタに今後是非歌っていただきたい一曲です。
 その際独唱は、是非「平成のブルースの女王」吉田静さんでお願いします。(この称号は、削除された以前の『フォレスタのフランチェスカの鐘』のある人のコメントにあったものです。)

【補足】
 この歌の歌詞をよく読みますと、ヒロインは本当に死んでしまったわけではなく、アカシヤの雨にうたれての「死の夢想」をしている歌であるようです。ただ2番で暗示されているように、「このまま死んでしまいたい」とまで思いつめさせている苦しい恋がその背景にありそうです。

 (大場光太郎・記)

『フォレスタ-アカシヤの雨がやむとき』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=zdhm9MQ8BC8
関連記事
『「星の流れに」から「東京ブルース」へ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-47e7.html
『「60年安保」から半世紀(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-4c2e.html

| | コメント (4)
|

(覆された宝石)のやうな朝

     天 気  

           西脇順三郎


  (覆された宝石)のやうな朝

  何人か戸口にて誰かとさゝやく

  それは神の生誕の日。

… * …… * …… * …… * …

 西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう、1894年(明治27年)1月20日 - 1982年(昭和57年)6月5日)は日本の詩人、英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。
 代表作は『Ambarvalia』(1933年)、『旅人かへらず』(1947年)、『古代文学序説』(1948年)、『第三の神話』(1956年)。1957年「読売文学賞」受賞。 (『ウィキペディア』より)

《私の鑑賞ノート》
 先日帰りの小田急線に乗っていて、車内の中吊り広告をぼんやり眺めていました。すると「ひとりを光らせる-和光大学」の広告文に目が止まりました。それは、
  地図に
  のってない世界が
  ことばの中にあった
というタイトルで始まる、縦書きの少し長い文章です。

 そのシャレたタイトルに惹かれ本文もざっと目で追ってみました。どうやら「詩のことば」について述べた一文のようです。これを作成したのは同大学文学部教授でもあるのか、さすがはキラッと光った「ことば」が散りばめてあります。
 私は感心してメモ用紙を取り出して、走り書きでメモしました。しかし降車する本厚木駅に間もなく、それが気になってメチャクチャななぐり書きです。後であらためて読み返してみましたが、ところどころ判読不能の箇所がありました。

 この一文の核心部は、(今回取り上げている)西脇順三郎の詩『天気』に関することのようです。冒頭の西脇順三郎の同詩を同じく掲げながらこの文の作者は続けるのです。

  “覆された宝石”ということばが、
  組み合わさったことで
  今まで知らなかった世界が見えてきませんか
  そこに詩の面白さがあります
  ぜひ詩のことばにふれてください
  あなたの世界がちょっと違って
  見えてくるかもしれません

 私がこの一文に興味を抱いたのは、他でもない詩『天気』が引用してあったためです。私もいつかこの詩を取り上げるつもりでいたのです。
 この文の作者があらためて提示するまでもなく、『天気』は学校の国語教科書にも採用されている西脇順三郎の代表的な詩ですから、ご存知の方が多いことでしょう。
 ちなみに私は昭和40年代前半、高校2年の現代国語の教科書によってこの詩を知りました。ほうぼうで述べたように、私の高校時代は“超多感”な時期で、見る詩、読む文学作品、聴く音楽など、そのつど心がうち震えるような感動を覚えました。

 この詩を教わったのは5月のある日だったかと記憶しています。この詩を読むにはうってつけの「天気」の午前中でした。たった3行だけの詩ですが、この詩からは特に強いインパクトを受けました。

  (覆された宝石)のやうな朝
 冒頭のこのことばが、何と言っても衝撃的で鮮烈でした。それまでおよそ出会ったことのない詩のことばなのでした。これによって、私の中の固定化していた世界観が(覆された)ような感じがしました。きらきら輝く朝の光の中、爽やかな朝風が私の心の中を吹き抜けるような、得も言われぬ清涼感があったのです。
 つかの間ではあっても、私の世界は「大いに違って見え」たのでした。

  何人か戸口にて誰かとさゝやく
 そのささやきのことばは、「初めにことばありき」という原初のことば(ロゴス)のようでもある、とその時漠然とでも感じたのだったかどうか。

  それは神の生誕の日。
 これにはとどめをさされた感じがしました。つまりは、この朝「神」が生まれたというのですから。当時も今も、この朝生誕した「神」はギリシャ神話的な神ではないかと思っています。
 まるで1行目と2行目に秘められた「ことばエネルギー」の累乗的起爆力によって、「神」は生誕したかのようなのです。

 (大場光太郎・記)

参考
 以下のサイトが、(覆された宝石)そして2行目について、私などまったく知らなかった事実を提示しておられます。
『【補説】ギリシア詩から西脇順三郎を読む 西脇順三郎の「天気」』
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/nishiwaki8.html
関連記事
『ある外国人女性と間伐の必要性について』(車内中吊り広告に関する記事)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-4d39.html

| | コメント (0)
|

四方位への祈り

 つい先日の『昔は一本の木を伐るにさえ・・・』の中で、昔ある地方の樵(きこり)の人が、山に分け入り一本の木を伐る直前、その木の周りをぐるっと一回りして南西北東の四方位の一つ一つに深々と頭を下げていた事例を見ました。

 頭を下げながら四方位を一回りするこの行為は、一種の「祈り」とみなしてよいように思われます。それではこのような一風変わった「四方位への祈り」は、この樵の人が住んでいた地方だけの独特な習俗だったのでしょうか。
 しかしどうもそうではないようなのです。上古の飛鳥時代あたりからの「官製」日本神道ではとうに失われたものの、それ以前の縄文・弥生時代には広く知られた一般的な祈りだった可能性があるように思われるのです。

 というより、太古の世界に共通する祈りだった可能性すらあります。私は同記事のその部分を作成しながら、スピリチュアル関係のある本を思い出していました。それは『プレアデス 銀河の夜明け』という本です。この本については、以前の『ニビル、アブラハム、ユダヤ→ウラニウム』シリーズでも参考・引用しましたので、あるいはご記憶の方もおられるかもしれません。
 この本の「第2章 フォトン・ベルト」の中の「神聖な祭壇と「カー」」の項で、四方位の祈りについて触れているのです。

 後にその該当箇所を引用しますが、その前に我が国の一地方(残念ながらそこがどの地方だったかは記憶にありません)に残る「四方位への祈り」との関係についてです。
 『プレアデス 銀河の夜明け』という本は、タイトルの通りプレアデスの中心星アルシオネの女神の体現者サティアからのチャネリングによって、著者のバーバラ・ハンド・クロウ女史にもたらされた情報です。そしてサティアは、プレアデス人の大集団を指揮し、プレアデスの中央図書館のアルシオネの記録の守り手でもあるといいます。

 したがってこの本における「四方位への祈り」は、プレアデス情報の一部といえます。しかし同時に、チャネラーで著者のバーバラ・ハンド・クロウは世界的に知られた占星学者・儀式指導者ですが、ネイティヴ・アメリカン(いわゆる「インディアン」)の末裔であります。
 だからこの祈りはプレアデス情報以前に、ネイティヴ・アメリカンの各部族が太古から受け継いできた祈りである可能性があります。別の本でも確か同部族が、何かの儀式を「四方位への祈り」で始めたという記述があったように記憶しているのです。

 太平洋を挟んだ「環太平洋の弧」の真反対に位置する、我が国と北米ネイティヴ・アメリカン文化圏。さらには中米のマヤ民族や南米のインカ民族の文化圏。
 元は中央アジア辺りに発する同一民族で、超太古氷河期その他の原因により、方や日本列島に南下し原縄文人に、方やベーリング海を越えてアメリカ大陸を南下し…。そんな壮大な移動説を考えたくなります。

 それでは少し長いですが、同書の当該箇所を以下に引用します。

神聖な祭壇と「カー」

 どこにいようと、たとえ刑務所の独房であっても「故郷をつくる」ことはできます。非常にパワフルな方法が二つあります。四方位をまつる神聖な祭壇と、神聖なポーズの実践です。まず祭壇については、四つの方角の性質とエネルギーの知識はひろく教えられていますから、知ることができるでしょう。東西南北それぞれの方角のエネルギーを調べ、確認する必要があります。そうしたら小さな空間を選んで(縦横2・5メートルなら完璧です)中心を決め、各方角にひとつずつ祭壇を作ります。その中心は、あなたの現実をガイアの中核のクリスタルに直接つなぐ点になり、四つの方角はあらゆる方向から意識を引き入れます。中心にすわって各方角への理解を深めていくにつれて、石や骨、工芸品、愛のこもった贈り物、クリスタルなど、聖なる物たちがあなたの人生にやってくるでしょう。(中略)

 聖なる物を特定の方角の祭壇にそなえ、中心で祈るたびにその教えを思い出すことによって、あなた自身の多次元的知性とのつながりがどんどん強まっていきます。あなたの下に位置する諸元素は、ガイアの知性を送り込んできます。やがて、他人や自分を癒す必要があるとき、祭壇に向かうようになるでしょう。なにか疑問がわいたときも指針をもとめにいき、自分の領域に導きいれた知性たちに相談するため、くりかえし訪れるでしょう。祭壇の中心でセンタリングを学ぶにつれて、九次元の軸がさまざまな存在をあなたの空間にひき寄せます。
 やがて、あなたの祭壇はすべてを包含する宇宙になるでしょう。 (以下省略)(引用終わり)

 (大場光太郎・記)

引用
『プレアデス 銀河の夜明け』(著者バーバラ・ハンド・クロウ、訳者高橋裕子、太陽出版刊)
関連記事
『昔は一本の木を伐るにさえ・・・』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-762a-1.html
『ニビル、アブラハム、ユダヤ→ウラニウム(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-d480.html

| | コメント (0)
|

小沢元代表、増税採決なら離党・新党結成か

 -「小沢真民主党」よ。財務省に乗っかった野田の増税悪法案を粉砕してくれ !-

小沢元代表 増税採決なら離党、新党結成 鈴木宗男大表に可能性伝える

(06/10 10:47、06/10 12:01 更新)

 民主党の小沢一郎元代表が新党大地・真民主の鈴木宗男代表に対し、野田佳彦首相が消費税増税関連法案の衆院採決を強行した場合、法案に反対した上で離党し、新党結成に踏み切る可能性を伝えていたことが9日、分かった。小沢氏は採決後の対応について、「当然、何らかの決断はしなければならない。その時は新組織だ」と鈴木氏に述べた。<北海道新聞6月10日朝刊掲載> 

(『北海道新聞』ネット版より)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/379066.html

                       *

 さしもの忍耐強い小沢一郎元代表もとうとう腹をくくったようです。
 それはそうでしょう。野田佳彦首相は、ただでさえ出口の見えない長期的デフレ不況、加えて昨年の東日本大震災、福島第一原発事故という大災厄の収束もロクに進まない中、国民にさらに過酷な負担を強いる消費税増税法案を今国会で成立させることに「政治生命を賭け」て、この国を奈落に突き落とそうとしているのですから。

 財務省と財界の代弁報道機関に成り下がった新聞・テレビが、いくら増税賛成の大キャンペーンを繰り返しても、「消費税増税反対 60%」の国民世論は微動だにしません。さすがの国民も、まずやるべき「政治改革」「霞ヶ関改革」をほとんどやらず国民だけに痛みを押し付ける野田(注 私はこの者を首相とは認めませんので、以下「野田佳彦」「野田」で通します)の悪手法を見抜いているのです。
 加えて専門家も「増税より減税、緊縮財政ではなく積極財政をやるべし」と、増税賛成の学者を探す方が難しいくらいです。

 消費税増税の是非は別として、野田佳彦が前々からの「増税論者」だったのなら一応筋を通している、と見ることもできます。しかし野田は、09年夏の(政権交代がかかった)総選挙の際は、今やすっかり有名になった「シロアリ演説」で、マニフェストは民主党の一丁目一番地であること、特別会計に徹底的にメスを入れること、天下りを厳しく規制することなどを強烈にぶっていたのです。
 鳩山由紀夫首相も就任当初から「次の衆院選まで消費税は上げない」と言明していたとおり、あの時点での野田の「シロアリ演説」は政権交代当時の民主党の政権公約に沿ったものだったのです。

 なのに財務相を経て総理になった途端、百八十度の豹変ぶりです。野田佳彦の正体は、大ウソつき、二枚舌、ペテン師的政治屋だということです。
 野田のこの変節ぶりは、ただただ自分の政権を延命させたいだけの薄汚い打算によるものです。そんな野田を陰で操っているのが、財務省です。延命のためには、本来禁じ手であるはずの自民党との連携・連立を視野に、自公の修正案丸呑み、マニフェスト放棄も平気でやらかそうとしています。

 とにかく「消費税増税」は、政権交代時の国民との約束とは百八十度違います。先の総選挙前から、「国民の生活が第一」を一貫して言い続けているのが小沢一郎です。あらゆる面から見て筋が通っているし、正論です。小沢元代表グループの方が「正統民主党」「民社党A」なのです。
 だから本来、小沢元代表側に「大政奉還」して民主党を出ていくべきは、野田佳彦をはじめとした岡田克也、仙谷由人、前原誠司ら「邪道民主党」「民主党B」であるべきです。

 しかしそうは言っても。オール霞ヶ関の謀略によって、無罪の小沢元代表がまたもや東京高裁に上告されたことからも分かるとおり、野田佳彦の「民主党B」を財務省をはじめとした霞ヶ関、財界、大マスコミという悪徳旧勢力が総力で支えています。まさに「悪盛んにして天に勝つ」状況なのです。
 悪に「道理」など通じやしません。だからここで小沢元代表が、新党結成を視野に入れた離党を決断しているというのも致し方ないことです。民主党AとBとでは水と油。いつかこうなることは分かりきっていたことで、「遂に来るべき時がきた」ということです。

 小沢元代表離党、新党結成は、民主党衆参合わせて70人くらいの規模になると見られています。亀井静香、鈴木宗男、田中康夫、鳩山邦夫、枡添要一、松木謙公、石川知裕らとも、何らかの形で連携していくことになるのでしょう。
 小沢元代表に近い鳩山グループはどうするのか。今年秋にも予想される総選挙では、「増税民主党」にいたのでは落選必至ですから、中間派もグラグラ揺れ動いています。
 加えて政権誕生の立役者でありながら、直前の内閣改造で割りを食った鹿野道彦前農水相のグループや長妻昭元厚労相のグループにも「増税反対」の動きが顕著です。
 たとえ自公が賛成しようが、すんなり法案成立とはいかない雲行きなのです。

 それにしても。1993年の細川連立政権樹立以来、大政局のキーマンとして要の位置にはいつも小沢一郎がいました。それだけ今の時代の稀有な政治家ということの証明ですが、「米官業政電」旧勢力にとって、小沢はとにかく目障りで仕方ないのです。
 旧勢力の一翼の新聞・テレビが仕掛けている「20年戦争」。大マスコミの「小沢攻撃」が止まないゆえんです。

 (大場光太郎・記)

参考
ペテン師野田かく語りき-『シロアリ演説』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=xhs-oAbukjg
関連記事
『会談決裂、「6月政局」に突入か !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-ecb5.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

『銀の匙』と灘校名物国語教師

-文部省(当時)指導要綱などくそくらえ。名物先生の「銀の匙」教室について-

 中勘助(なか・かんすけ)という作家の『銀の匙』という作品をご存知でしょうか。ためしに私が持っている岩波文庫カバーの、『銀の匙』紹介文は以下のとおりです。

 - 古い玩具に混じって大切にとっておかれた銀の匙。少年時代の思い出を自伝的に綴ったこの作品には、大人が追想した子どもの世界ではなく、子ども自身の感情世界が、子どもが感じ、体験したままに描き出されている。漱石が未曾有の秀作として絶賛した名作。-

 音に聞こえたあの灘校で、かつてこの『銀の匙』の文庫本(多分私のと同じ岩波文庫かと)一冊だけを、3年間かけて読み込む国語の授業を行っていた名物先生がいたというのです。
 おそらくそれ以前もそれ以後も、全国どこの高校でも行われなかったであろう極めてユニークな授業を進めたのは、今年で百歳をお迎えになる橋本武先生です。灘校で50年間教鞭を執り、昭和59年に同校を去りました。
 橋本先生が退職して28年ほど経過したことになります。しかし今でも「銀の匙」教室は、伝説の授業として語り草になっているというのです。

 「生涯心の糧となるような教材で授業がしたい」。橋本先生のその思いは、当時公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を、全国トップレベルの進学校に導き、数多くのリーダーを生み出してきたのです。
 2010年12月には、この「究極のスロー・リーディング」授業の誕生と実践を描いた『奇跡の教室』(伊藤氏貴著、小学館刊)が刊行されベストセラーとなり、「偏差値教育」「脱ゆとり教育」で揺れ動いている昨今の教育界に大きな反響を呼びました。

 戦前の東京高等師範学校を卒業した橋本武先生は、担当教員から灘校への赴任を命じられます。当時私立は公立の格下扱いでしたが、橋本先生は「公立ではできない面白いことが、ここではできる」と、逆転の発想で臨みました。
 そんな新米教師の希望を打ち砕いたのが太平洋戦争です。名作アニメ『火垂るの墓』でもリアルに描かれていたように、灘校のある神戸市は大空襲の被害に遭いました。終戦とともに巷には闇市が広がり、進駐軍のトラックが行きかう日常が続きました。

 「毎日、地獄絵図を目の当たりにした。GHQの指導(検閲)で、教科書は黒塗りになり、ぺらぺらですよ」(橋本先生談)
 こんな劣悪な環境で育つ子どもに、どんな授業をすればいいのか。思い悩んで行き着いたのが『銀の匙』だったのです。橋本先生自身、東京高師時代『銀の匙』と運命的な出会いをし、その作品世界に心酔していたのです。こういう経緯があって伝説の「銀の匙」教室が生まれたわけです。

 文科省指導要綱、日教組、教育委員会、PТAがかまびすしい今日では考えられませんが、教科書は一切使わず、文庫本『銀の匙』1冊を横道に逸れながら3年間かけて読み込んでいく国語の授業法です。
 しかし橋本先生の型破りで画期的な授業法の感化力は凄まじく、灘校がかつて東大合格数日本一に輝いた原動力になったと評価されています。それに巣立った教え子たちの社会的活躍も見逃せません。
 例えば、戦後生まれ初の(現)東大総長になった濱田純一氏。現日弁連事務総長の海渡雄一氏。元フジテレビキャスターで現神奈川県知事の黒岩祐治氏。

 『奇跡の教室』の中で、彼らは橋本先生を次のように懐かしんでいます。
 「いつも言葉に真実味があった。ただ、真剣だというのとも違って核心を押さえているというか」(濱田氏)
 「橋本先生からは“センス”を学んだ。気づくセンスこそが国語力って」(海渡氏)

 一々ご紹介できませんが、文庫本の中の言葉一つで授業は、日本の伝記伝承からアラビアンナイト、中国の故事にまで話は及んだといいます。
 2011年6月8日、25日、98歳にして灘校の特別授業「土曜講座」で27年ぶりで「銀の匙」授業を行ったそうです。

 数十年を経ても色あせない「銀の匙」教室。橋本先生自身は、こう語っています。
 「普通に読むだけでは、なあんにも残りませんから。自分が中学生のときに何を読んだかおぼえていますか?私は愕然としたんですよ。何も覚えていないって。先生への親しみはあっても授業の印象はゼロに近い……なんとかして、子どもたちの生活の糧になるようなテキストで授業がしたい、そう思ったんです」

 今回焦点の名作『銀の匙』。私は20余年前に同文庫のを求めながら、実はまだ読了したことがないのです。なかなか読めない本として、外国文学ではトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』でしたが昨年読了し、いつか記事にするため今再読中です。
 『銀の匙』も。これを機会にじっくり最後まで読み通してみようと思っています。

【追記】
 本記事は昨年3月上旬頃、たまたま買った『週刊ポスト』の中の記事を参考・引用してまとめたものです。その頃まとめるつもりでしたが、直後の3・11の発生、同週刊誌の紛失などにより諦めていました。それがつい先日同記事のコピーが見つかりましたので、今回こうして記事にできました。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『全国高校偏差値ランキングから』(灘校の偏差値や東大進学者数など)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-4cfd.html

| | コメント (0)
|

昔は一本の木を伐るにさえ・・・

 昨年暮れの『今年行く』で、当厚木市内の寺院境内の巨木の幹や枝、街路樹、遊歩道の桜の木などが容赦なく伐られている現実があることをお伝えしました。

 つい先月下旬のある晴れた日も、同記事で問題にした妻田薬師の楠の枝が幾つも、高所作業車によって伐り取られていました。その枝葉は確かに道路にはみ出していました。しかしかなり高いので、車の通行の邪魔にはならなかったはずです。
 以前の『妻田薬師逍遥記』でも述べたとおり、同薬師境内には樹齢何百年かの見事な大楠が何本もあります。それらが思うさま高々と葉を繁らせ、薬師の堂々を覆い隠しているさまは遠くからでも望まれ、いかにも由緒ある古刹(こさつ)といった趣きがありました。

 そんな風景に風穴を開ける事態が起きたのは昨年初夏のことです。同薬師北側の裏道との境にある楠が、7、8メートルの所から幹ごとすっぽり伐られてしまったのです。
 おそらく「この木を中途から伐ってしまえば、その奥の本堂の威容が遠くからでも見えるはずだ」というような考えによるものだと思われます。そんな浅知恵を出したのは、厚木市なのか同寺院関係者なのか町内会なのか、あるいはこれらが雁首そろえた協議によるものなのか、よくは分かりません。

 妻田薬師には「神奈川県100木選」にも指定されている「大クスノキ」があります。それさえ保護すれば、あとはどう処分しても構わないという発想のようです。
 しかしくだんの楠を伐った結果は無残です。伐られた木の繁りがごっそり抜け落ちたことによって、薬師全体の景観が妙にチンチクリン、何とも殺風景で変な感じなのです。だが一度伐ってしまった木は二度と元に戻すことはできません。

 何より問題なのは、何百年もの樹齢の木でも、今どきの人間様のご都合で幹や枝々が片っ端から伐られている現実です。「オレたちは、すべての動植物の生殺与奪の権を握っているんだ」と言わんばかりです。
 「何が自然保護だ、エコロジーだ」。我が国において自然万物に対してこれほど傲慢な振舞いをした時代がかつてあったでしょうか。
 『今年行く』記事にも書きましたが、私は次々に樹木が伐られていく現状を目の当たりにすると、まるで自分の体の一部が伐り取られたような心の痛みを覚えてしまうのです。

 かつての日本はこうではありませんでした。
 もう20年ほど前だったかと思いますが、当時のNHK教育テレビで、ある地方の樵(きこり)を生業(なりわい)とする人の一日を追ったドキュメンタリー番組を放映したことがあります。それはその時点で既にアーカイブな番組で、元は昭和40年代頃の映像だったかもしれません。
 とにかくそれを観た私は、「昔は木を一本伐るにもこんなに慎重だったのか」と、えらく驚いたのでした。

 細かいことは忘れましたが、おおよそ以下のとおりです。
 小高い山々に囲まれた自然豊かな山間の集落に一人の樵がいました。見るからに頑健そうな60代くらいの人です。
 この人がある日山に入って木を伐るのを追っかけた番組でした。その人は目指す山のたもとにまでやってきます。山の登り口には山の神だか道の神だかの、小さな石の祠(ほこら)が祀ってあります。その人は持参した酒と穀類をそこに供えて、頭を下げ「これから山に入り、木を伐らせていただきます」というような内容のことを唱えたのです。

 そうして山に登っていき、中腹のなだらかな場所に手頃な太さの木を見つけました。その人は直ちに木の伐採にかかるかと思いきや。その前に、やはり何事かを宣り上げて、何と東西南北の四方にいちいち深々と頭を下げたのです。
 四方位をぐるっと一回りして、「山の神」とのすべての手続きは終わったようです。そこで初めて、樵の人は木の根元に斧やのこぎりを入れて伐り始めたのでした。

 その映像は感動的ですらありました。自然に対してこれだけ敬虔さのある世では、自然破壊など容易には起こらないことでしょう。このような共生的自然観が我が国では、縄文時代から数千年も脈々と受け継がれてきたのです。
 だからこそ我が国の豊かな自然は守られてきたわけです。これが滅茶苦茶になったのは明治維新以降です。「自然は人間によって征服されるべきもの」としか捉えない西洋近代原理が導入されたからです。

 少し前の『「奇想天外の巨人」南方熊楠(4)』で見たとおり、明治42年(1909年)、鎮守の森の破壊につながる「神社合祀令」が発布され、「日本最初のエコロジスト」南方熊楠が猛然と反対運動に立ち上がる事態が起きました。(結果、例えば熊野古道の老杉が大量に残された。)
 特に自然破壊に拍車がかかったのは、戦後、特に昭和30年代半ばの高度経済成長期以降です。それからこの国の国土全体がどれだけ大きく変貌してしまったことか、これをお読みのすべての方がよく認識されていることと思います。

 国土交通省を頂点とした各県、各市町村のお役人たちは、口先ではやれ「エコロジーだ」「自然保護だ」と唱え、さかんにキャンペーンを張っています。しかしその捉え方は大変皮相的と断ぜざるを得ません。
 自然界は目に見える事象から見えざる神秘の深みに至るまで、霊妙玄々な不可思議世界です。人間が勝手気ままに切り刻んでいいものでは断じてありません。自然界は「天」にも通じます。天に唾する者はやがて本人に戻ってくることを弁え知るべきです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『今年行く』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-307c.html
『妻田薬師逍遥記』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-463f.html
『「奇想天外の巨人」南方熊楠』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-5caf.html

| | コメント (0)
|

フォレスタの「赤い夕陽の故郷」

-昔故郷で聴いていたこの歌。今異郷に在りてしみじみ聴き直している-

 

 初めて男声フォレスタによるコーラス曲を取り上げます。

 『赤い夕陽の故郷(ふるさと)』。いやあ、懐かしい。昭和33年(1958年)11月発表。当時(白黒)テレビやラジオからガンガン流れていた歌でした。歌ったのは三橋美智也(みはし・みちや)。あの頃の三橋美智也(1930年~1999年)は脂の乗り切った全盛期で、国民的大人気の歌手でした。
 私は当時山形県内陸部の田舎町の小学校三年生でしたが、子供ながらに『なんてええうだ(良い歌)なんだべ』と思いながら聴いていました。

 今思えばこの歌は、戦後日本の歩みとリンクしていた歌ではなかったと思われます。戦後10年が経過した昭和30年、政府は経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言しました。復興が順調に進み、経済成長がその端緒につき始めたのです。
 首都東京など大都市は絶えず労働力の補給に迫られ、需要に応えて全国各地から中卒者、高卒者が東京などに続々と集まってきていました。

 そんな社会状況を背景に、この歌に代表される「望郷演歌」が昭和30年代前半大流行したのです。例えば同じ三橋美智也の『リンゴ村から』(昭和31年)『夕焼けとんび』(昭和33年)、春日八郎の『別れの一本杉』(昭和30年)『山の吊橋』(昭和34年)、青木光一の『柿の木坂の家』(昭和33年)など。

 その中でも『赤い夕陽の故郷』は、望郷演歌の代表的名曲といっていいと思います。
 第一タイトルが何ともたまりません。「♪兎追いしかの山 小鮒つりしかの川」からはじまって、故郷に対するイメージは時代によっても個々人によってもさまざまだと思います。が言われてみれば、「赤い夕陽の故郷」はなるほどのイメージです。
 タイトルそのものから、横井弘の作詞家としての技量の冴えが感じられます。

 今回懐かしさのあまり、フォレスタコーラスとは別に、YouTubeで三橋美智也の元の歌も併せて聴いてみました。最初聴いたのは今から50年以上前の子供時代ですから、三橋の細かい歌い方など覚えていようはずがありません。冒頭「お~~」という大きな呼び声から始まるのにはびっくりしました。
 しかし改めて聴いてみて、三橋美智也の少し甲高い歌声に「あゝこんな感じだったよな」と思い、当時の思い出が蘇えり、思わずジ~ンと来てしまいました。

 ところでこの三橋動画に、ある人が次のようなコメントをしています。
 「哀愁のある三橋さん­の高音とウェスタンソングの哀愁がどこか通じあうところがあるからでしょうか。」(同コメントの後半部)
 「えっ、ウェスタンソング?」。それに注意しながら聴き直してみますと、間のギターの爪弾きがなるほどウェスタン調なのです。(それにイントロも。)
 当時は『駅馬車』『シェーン』『荒野の決闘』など西部劇映画の名作の影響により、我が国でもウェスタンの焼き直しとして、小林旭や宍戸錠などの日活ニューフェースによる「渡り鳥シリーズ」がスタートした頃だったのではないでしょうか。

 だから作曲家の中野忠晴は、ただ泥臭いだけの望郷演歌ではなく、流行を敏感に察知して、さりげなくウェスタン調をこの歌に取り入れたのだと考えられます。
 歌詞の中にも「渡り鳥」が1番と3番に出てきます。しかし実際のところ、流れのギター弾きやサーカス一座や寅さんならいざ知らず、全国各地を流れ歩く渡り鳥人生など当時もそう多くはなかったはずです。

 この歌における「渡り鳥」とは、故郷を離れて大都会で苦労しながら生きている地方出身者そのものの比喩であると考えられます。そんな渡り鳥がある日夕陽を目にして、故郷の赤い夕陽を懐かしくも思い出したのです。
 当時、都会の片隅でこの歌を聴いて、人知れず涙した多くの人たちがいたに違いありません。

【追記】
 この望郷演歌の名曲を、男声フォレスタが熱唱してくれています。1番を横山慎吾さんが、2番を榛葉樹人(しんば・しげと)さんが、3番を澤田薫さんが独唱しています。3人はいずれもテノールですが、三人三様、それぞれの個性を生かした良い歌い方だと思います。
 3人のテノール独唱を後ろで支えているのが、画面右からバスの大野隆さん、バリトンの川村章仁さん、同じくバリトンの今井俊輔さんです。この3人の低音によるハーモニーが、コーラスに重厚な味わいを醸し出しています。

 参考まで6人の出身県をご紹介します。大野さんは島根県、川村さんは長野県、今井さんは群馬県、横山さんは埼玉県、榛葉さんは静岡県、澤田さんは岩手県。6人とも“地方出身者”であり、それぞれに故郷への思いをひそめながら歌っていることでしょう。
 ともかく6人による男声フルコーラスは圧巻です。三橋美智也の元の歌は捨てがたいとしても、フォレスタによるリバイバル版『赤い夕陽の故郷』という感じがします。

 私が特にグッと来るのは、澤田さんが歌っている3番です。私の「おふくろさん」は既にこの世に無く、今は遠い故郷の土の下です。

 (大場光太郎・記)

『フォレスタ - 赤い夕陽の故郷』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=WXJJPvKPJKY
参考動画
三橋美智也『赤い夕陽の故郷』(上記動画)
http://www.youtube.com/watch?v=hhf1dZUDh90
関連記事
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html

| | コメント (2)
|

ゼウスはなぜ好色なのか

 -ゼウスの好色性にみられる、周辺各地神話吸収・合併のプロセスについて-

 『ギリシャ神話選』カテゴリーで、長かった一連の「クレタ島物語」を何とかまとめ終えました。その作成過程でふと考えたことがあります。それは他でもない、「ゼウスの好色性」についてです。

 以前の「ペルセウス冒険譚」では、青銅の塔の中に幽閉されていたその母ダナエを、ゼウスは黄金の雨となって交った結果ペルセウスが生まれたのでした。そしてクレタ島のミノス王は、フェニキア王の娘のエウロパが侍女たちと海辺で遊んでいるのを見計らって、美しい牡牛に化けたゼウスによってクレタに連れ去られて生まれたのでした。

 このように、何かに化身した主神ゼウスのご乱行によって生まれた神話中の人物は枚挙にいとまがありません。それで私は、ギリシャ神話中の最高神に対して、「好色神」「エロ大神」「歩く種馬神」などと面白おかしい表現を用いてきました。
 これは例えば、「汝姦淫するなかれ」と諭すユダヤ教(そしてキリスト教)の唯一神「ヤハウェ」とは著しい対比を見せるものです。
 ギリシャ神話のゼウスはなぜこうも良い女を見てはムラムラときて、人妻だろうが誰だろうが見境なく次々と思いを遂げていったのでしょうか。
 そのことに関して作成過程で気がついたことは以下のとおりです。

 エーゲ文明、ミノア文明はシリーズ中で見たとおり、紀元前20世紀以前から栄えた文明なのでした。そしてミノス王の紀元前15世紀頃絶頂期を迎えたわけですが、方やギリシャ文明はその頃ようやく曙光期を迎えたばかりなのでした。
 その後ミノア文明の方は衰退していき、代わってギリシャ本土はもとよりエーゲ海一帯を広く勢力範囲に収めていったのがギリシャ文明です。いわば後進の文明の信仰的、精神的基盤となったのが、ゼウスをはじめとするオリュンポス山の神々だったのです。

 それ以前のオリュンポスの神々は、ギリシャの一地方の神々に過ぎなかったと考えられます。それがアテネやスパルタなど都市国家の隆盛による勢力拡大に伴い、オリュンポスの神々の稜威(みいつ)も勢いを増していったのだと考えられます。
 これはキリスト教が世界宗教化していく中で、それ以前はユダヤという小国の神に過ぎなかったヤハウェが「世界的な神」になっていったことと似たところがあるように思われます。

 その過程で、クレタ神話のように本来はギリシャ神話とはまったく別体系の各地の神話を、吸収・合併してギリシャ神話中に取り込む必要があったと考えられるのです。
 我が国上古の天武天皇治世下で行われた古事記編纂などに見るまでもなく、「神話」は権力の根拠を示す強力な基盤であるのです。

 吸収・合併は、オリュンポスの神々の慈愛性を示す形にしなければいけません。穏やかな方法で周辺神話の神々がオリュンポスの神々にまつろった体裁でないと、後々具合が悪いわけです。
 それには、各地の王家の血統は遡れば皆々オリュンポス山の神々の系譜にたどりつくことにすればいいわけです。そのために、各時代のギリシャ神話の作り手たちが伝統的に用いた手法が「血の交わり」です。
 そこで好色な主神ゼウスの登場です。ゼウスが各地の美しい王家の女たちを次々に手ごめにし、その血統にゼウスの神的DNAを注ぎこませる形にしたのではないでしょうか。

 しかしその際、異国の美しい娘や人妻たちと最高神ゼウスが生身で交わったのでは、いくら何でも露骨過ぎて不具合です。そこでギリシャ神話の作り手たちが編み出した“苦肉の策”が、ゼウスが白鳥や黄金の雨や牡牛に化身して交わるという手法だったのではないでしょうか。
 もしゼウスがオリュンポス神界に実在しているのなら、「私はあんな好色な神ではないのじゃがのう」と、苦笑もしくは嘆いておられるかもしれません。

【注記】
 本拙考は、私の単なる思いつきをまとめたもので、何の学術的裏づけのあるものではありません。もしどなたかギリシャ神話通の方がおられましたら、その辺の事情についてご教示いただければ幸いです。
 なお本考に関わらず、今後ともゼウスの好色ぶりを面白おかしく描いていきますので、ご了承ください。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『ギリシャ神話選』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html

| | コメント (0)
|

本屋さんに行く

 神奈川県内を中心とした、大手書店・有隣堂(ゆうりんどう)の広報紙『有鄰』の記事をこれまでも何回か取り上げてきました。中でも2面右上部のコラム『「海辺」の創造力』は、主に横浜市在住の著名人による一文で、過去に藤原帰一氏の名エッセイなどを紹介してきました。
 今回も、今年5月20日号の同コラムから、『本屋さんに行く』という伊東潤氏の余韻の残る一文を転載します。

 伊東潤(いとう・じゅん)氏は、1960年横浜生まれの歴史小説家です。早稲田大学卒業後長くIТ業界に身を置いた後、2003年北条氏照の生涯を描いた『戦国関東血風録』でマイナーデビュー。2007年甲斐武田家の滅亡を多視点の群衆小説として描いた『武田家滅亡』(角川書店)でメジャーデビューしました。2012年『城を噛ませた男』で第146回直木賞候補となりました。

 「ぼくは本が好きな子供だった」という書き出しで始まります。曲りなりに私もそうだったので、以下共感を覚えながらスンナリ読んでいけました。
 小学校五年で『坊ちゃん』(夏目漱石)『路傍の石』(山本有三)を読んだというのには驚かされます。都会と東北の田舎町では、同じ「本好き少年」でもレベルが違うのです。ちなみに私がその2冊を読んだのは、中学校3年の頃でした。

 続いて中一の頃に吉川英治の『三国志』を読んだとあります。私の場合は中二の時のことでした。その代わり中一の時は、吉川英治『宮本武蔵』を読了しました。
 吉川『三国志』を読み始めたのは、雨がそぼ降る梅雨時のことだったと記憶しています。伊東潤氏も「寝る間も惜しんで読んだ」とのことですが、とにかく私の乏しい読書人生の中で、吉川『三国志』ほど血湧き肉躍らせながら読んだ本はほかにありません。
 そうそう、同氏が述べておられるように、六興(ろっこう)出版の二十数冊のシリーズでしたね。それを町の図書館でせっせと借りて1ヶ月足らずで読み終えました。

 次に出てくる司馬遼太郎の『竜馬が行く』。私は世の人ほどには坂本龍馬に関心がなく、代わって30代半ば過ぎ『坂の上の雲』の方を読みました。  (大場光太郎・記)

                       *
本屋さんに行く    伊東 潤

 ぼくは本の好きな子供だった。小学校五年の頃、有隣堂伊勢佐木町店で、父に『坊ちゃん』と『路傍の石』の文庫本を買ってもらった。それが初めての文芸本の購入経験だった。
 中一の頃に買ってもらった吉川英治の『三国志』だけは、なぜか六興版のソフトカバーだった。今でも全巻、家にある。とにかく面白くて、寝る間も惜しんで読んだ。

 中三になると、部活のない休日は一人で伊勢佐木町に出かけ、テアトル横浜という名画座で二本立てを見たり、できたばかりの吉野家で牛丼を食べたりしていた。それでも有隣堂には、必ず顔を出していた。
 高一の時、『竜馬がゆく』と出会い、司馬遼太郎の虜になった。それ以来、自らの志を新たにするため、『竜馬がゆく』を十年に一度、読むようにしている。

 その頃、初めて彼女ができた。岡田奈々似の美人だった。ところが中学から男子校で、女性とデートしたことのないぼくは、どうしていいか分からない。当時はマニュアル本などなく、友人にもそんなことを知る者はいない。
 初デートの日、とりあえず映画を観ることにした。テアトル横浜というわけにはいかないので横浜東宝に行った。たまたまやっていたのがジェームス・コバーンの『スカイライダース』という何ともな映画だった。

 緊張を引きずったまま喫茶店に入ろうということになったが、当時の純喫茶は暗くて不良の集まりのような雰囲気で、いかにも敷居が高い。そこで思い出したのが、有隣堂の地下にあったレストランである。ぼくは、そこで生まれて初めて砂糖とミルクなしのコーヒーを飲んだ。コーヒーは苦かったが、ようやくホームグランドに来たという安心感が広がった。

 先日、長男が古語辞典を買うというので有隣堂に行ってみた。辞書類は地下で売っていると聞き、あの時の甘酸っぱい気持ちを思い出しながら、三十五年ぶりに地下に行ってみた。言うまでもなく当時の残り香はなかったが、この辺りに座って、彼女とコーヒーを飲んだかと思うと、感慨深いものがあった。
 彼女が今、どうしているかなど知らないが、幸せな家庭を築いていると信じたい。

 人の一生などあっという間だ。時間だけがどんどん流れていく中で、人は人に出会い、本に出会う。何気なく出会った人が生涯の伴侶になったり、何気なく手に取った本が生涯を決したりする。
 すでに家庭を持ち、素敵な女性との出会いがなくなった今、ぼくは新たな刺激を求め、本屋さんに行く。  (転載終わり)

転載元
有隣堂広報紙『有鄰』(第520号-平成24年5月10日発行)
 2面コラム『「海辺」の創造力』
関連記事
『ほんとうの横浜』(文:藤原帰一氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b57f.html
『歴史を知れば横浜はもっとおもしろい』(文:山崎洋子氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9cbf.html

| | コメント (0)
|

采女の袖吹きかへす明日香風

                          志貴皇子

  采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたずらに吹く

                       (『万葉集』1-51)
 (読み方)
  うねめの/そでふきかえす/あすかかぜ/みやこをとおみ/いたずらにふく

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》

 先月下旬のある晴れた午後、私は当市街地の国道沿いの舗道を歩いていました。先ほどの信号の所から、何メートルか先を名門厚木高校の女生徒4人が歩いています。
 見るともなしに見ていると、互いに他愛もない話をし合っているようです。そよ吹く心地良い風に、彼女らの長い髪が少しなびいたりしています。もちろんチャカチャカ茶髪などではなく、皆艶々(つやつや)しい黒髪です。

 彼女らは信号から数十メートル先を左折していきましたが、その姿を見ながら私は「采女らの袖吹きかえす…」と、ふと口をついて出たのです。

 「采女」とは、上古の時代の“宮廷女官”の官名です。当時の地方豪族が天皇へ恭順の意を示すため、その娘または姉妹を天皇に献上したのです。一種の人質ですが、これには幾つかの“審査基準”がありました。13歳以上から30歳以下であること、一定以上の教養があること、そして何よりも容姿端麗であること。
 高偏差値の厚高女生徒の後姿から、古えの高貴な身分の女官の姿がつい連想されたのでした。

  采女(ら)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたずらに吹く

 「采女らの…」とつい口ずさんだように、私がかつて読んだ歌人斎藤茂吉の名著『万葉秀歌上』中のこの歌では、上のように「(ら)」を入れた読み方が示されていました。
 ただし冒頭に掲げたように、志貴皇子(しきのみこ)の元々の歌は「采女の」であるようです。そうすると采女は単数形であり、「さて誰なのか」となりそうです。

 皇子の“想い人”だったということも考えられますが、一説では、皇子の母の越道君娘(こしのみちのきみのいらつめ)も采女だったと言われ、美しかった母を偲んで詠んだのではないか、と言われています。
 それはそれとして。やはり「ら」を加えて伝統的な五七五七七の形に整えた方が、音読にはなじみます。それに「ら」を入れた複数形だったからこその、あの時の4人の女子高生からのこの歌の連想だったわけです。

 この歌前半の「采女の袖吹きかへす明日香風」と、後半の「都を遠みいたずらに吹く(風)」は、どちらも志貴皇子自身にも吹いた風であるとしても、時制的にも場所的にも違う風です。
 「明日香風」は追憶の中の風、そして「いたずらに吹く風」は今現在吹いている風ということになります。

 「明日香風」は「明日の香りを運ぶ風」とも解釈できそうな詩的な名の風ですが、思うに志貴皇子の造語なのではないでしょうか。後の世の何人もの歌人が「明日香風」を詠んでいます。
 ここで明日香は「飛鳥」の意であり、672年から694年まで飛鳥の地に「飛鳥宮(あすかのみや)」(「明日香宮」とも)が置かれていたのです。

 672年と言えば、古代日本を揺るがした「壬申(じんしん)の乱」が起きた年です。それまでの天智天皇系政権に対して、クーデターでこの乱に勝利した大海人皇子が、天智天皇造営のそれまでの近江大津宮から飛鳥に都を戻すべくこの宮を造営しました。
 翌673年に大海人は、この都で天武天皇として即位します。その後飛鳥宮は妃の持統天皇に引き継がれ、20年以上にわたってこの宮で律令国家の基礎を築く事業が進められたのです。

 上古に燦(さん)たる飛鳥宮も、持統八年(694年)十二月に藤原宮に遷都され廃都となってしまいました。この歌には「明日香の宮より藤原の宮に遷居せし後に、志貴皇子の作らす歌」との前詞があります。

 志貴皇子(生年未詳~716年)は天智天皇の第七皇子(第三皇子とも)です。ですから壬申の乱以後は肩身の狭い思いもしたことでしょう。しかし飛鳥宮から藤原宮まで、一貫して天武・持統天皇に仕えています。
 柿本人麻呂、額田王、山部赤人らとともに万葉集を代表する歌人です。推察するに、皇子にはあまり政治的野心はなかったのではないでしょうか。それが幸いしたのか、身辺にさしたる波風が立つこともなく順調に官位を上っていきました。

 この歌の「二つの風」は同じ季節の風なのか、違うのか、どの季節なのか、よくは分かりません。しかし「采女の袖吹きかへす明日香風」の方は、受ける印象から、初夏の頃の風がふさわしいのではないかと思われるのです。
 明日香宮を背景に、爽やかな薫風に吹かれながら立っている飛鳥美人の姿が目に浮かぶようです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『さわらびの萌えいずる春』(志貴皇子の最も有名な歌)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-3bb5.html
『全国高校偏差値ランキングから』(厚木高校紹介あり)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-4cfd.html

| | コメント (0)
|

のりピーの後見人急逝

-久しぶりののりピー情報、やはり酒井・押尾事件に触れないわけにはいかない-

 2009年の『薬物汚染の拡がりを憂う』シリーズ、同年8月に起きた押尾学事件・酒井法子事件により、40回以上もの大シリーズとなったのでした。今回は久しぶりに、両事件のこと、一方の主役だったのりピーこと酒井法子の近況など関連情報を取り上げてみたいと思います。

 09年8月上旬の事件発生以来、のりピーの後見人として公私ともに支えてきた建設会社会長の富永保雄氏(享年74歳)が、5月下旬急逝しました。
 23日の都内中野区で執り行われた通夜にはのりピーも参列しました。「脱覚せい剤」効果なのか、以前よりふっくらした顔ののりピーは親族席に座り、囲み取材では「お父さんのような無償の愛情でいつも支えてくださる方でした」と、故人を偲んでいたそうです。

 富永保雄氏は、のりピー失踪後の逃走時の箱根の別荘を用意し、取り調べ後、都内に長男と暮らすマンションを提供するなど、酒井親子の面倒を見てきました。また10年秋には、酒井法子の自叙伝『贖罪』の出版を実現させるなど、仕事の面でものりピーを支えてきた人物です。
 まさに至れり尽せりの献身ぶりです。なぜなのか?私は当時、富永氏とのりピーの事件前からの関係を調べたことがありますが、あまり深いことは分かりませんでした。

 ただ富永保雄氏は、押尾・酒井両事件の接点となる人物であるようです。元々は同氏が立ち上げた建設会社は産廃業界では知られた会社でした。そして産廃業界に隠然たる勢力を誇っていたのが、自民党長老の森喜朗元首相です。
 そこで当時ネットなどで噂されたのが、森元首相と富永氏との裏のつながりです。

 森元首相といえば、押尾事件発覚当初から、昨年7月急逝した長男の森祐喜氏が「事件の陰の主役なのでは?」と囁かれ続けてきたのです。六本木ヒルズレジデンスB棟2307号室で、薬物中毒による変死体で発見された銀座ホステス田中香織さん(当時30)の体内外からは、複数の男性の体液が検出されたと言われています。
 田中さんとの薬物プレー中押尾学は別室におり、同室にいて田中さんの異変に気がついた森祐喜氏と某大物アスリートに呼び出されて現場に向かい、押尾は二人から「身代わり」を頼まれた(二人は直後現場から立ち去り、残った押尾のその後の顛末は報道どおり)とする説です。

 09年8月と言えば総選挙真っ最中のことでした。もし総理経験者の身内の大スキャンダルが発覚すれば、それでなくても凋落自民党に与えるダメージは測り知れません。そこで森サイドから、押尾のパトロンだったパチンコ業界のドンY氏仲介で押尾側に2億円が渡され、当時の妻の矢田亜希子の口座に振り込まれた、という作り話にしては真に迫った怪情報も流れました。

 何の偶然か、押尾事件の直後に発覚したのがのりピー失踪事件でした。深夜の渋谷道玄坂で売人から薬物を入手しようとした酒井の夫(当時)高相祐一が現行犯逮捕され、高相の連絡で駆けつけたのりピーがその後現場から逃走したのです。
 『薬物汚染』シリーズで繰り返し検証したとおり、押尾学事件は政界、官界(警視庁、検察など)、財界、芸能界、スポーツ界、裏社会を巻き込んだ巨大な闇が背景にありそうです。病根どっさりの今の日本社会の縮図というべきで、酒井事件などよりはるかに根が深く深刻です。

 大マスコミも含めた各方面上層部は、押尾事件の真相が表に出るのを徹底的に隠蔽する必要があったのです。そのために利用されたのが、酒井法子夫妻だとみられているのです。「清純派女優」のブランドを背負っているのりピーが、実は「覚せい剤常習者」だったとなれば、世間に与えるインパクトは、三流タレントの押尾学の比ではありません。

 酒井夫婦の薬物歴を事前に把握していた“何者か”の周到な計画によって、二人は深夜の渋谷道玄坂におびき寄せられた。そして次の瞬間、のりピーは「逃走→失踪」という何者からが思い描いていた以上の予期せぬ行動に出てくれた…。
 最近沢尻エリカに「大麻疑惑」が持ち上がっており、当時何十人もの芸能人の名前が出たように、芸能界の薬物汚染は酒井法子だけではありません。のりピーはスケープゴートにされた格好です。

 その件に富永氏は関与していたのではないか?森祐喜氏それに富永保雄氏という両事件のキーマンたちが死去し、のりピーも、特に押尾学も「事件の真相」については黙して何も語りません。だから以上のことは推論の域を出ないわけですが、今でも私はそういう疑念が拭いきれないのです。

 のりピーは今年11月に執行猶予が明けることから、「その前後に芸能界に復帰するのでは?」と見られていました。しかし富永会長の急逝によって一部では「白紙か?」とも言われています。実際のところどうなのでしょうか?

 「のりピー復帰」は2ルートで進められているといいます。
 一つは富永会長のルートです。日中の政財界に太いパイプを持つ中国の芸能プロオーナーのマネジメントで、のりピーを台湾映画で復帰させる計画だったというのです。のりピーは今でも中国・台湾では絶大な人気を誇っています。富永氏死去に関わりなく、中国人芸能プロオーナーによって台湾映画の話は進んでいくようです。

 もう一つは、日本テレビと古巣のサンミュージックのルートです。日テレは台湾のТV局と共同で、のりピーの出世作『星の金貨』のリメークドラマ『白色の恋』を制作。これに合わせて日テレが“本家”を再放送し、台湾でリメーク作を放送する際はのりピーにPRを頼むと言われているそうです。しかし困った事情もあるといいます。
 「2つの“台湾ルート”ですが、バラバラで動いています。いずれのりピーをめぐってブツかる可能性もあるのでは」(事情通)

 以前見たように酒井法子サイドには、事件によるCM中止などで億単位の損害賠償が発生しています。のりピーとしては、1日も早く芸能界に復帰して稼ぎ返済したいところでしょう。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』(5月25日付記事)

| | コメント (0)
|

会談決裂、「6月政局」に突入か !?

 -政権交代時の国民との約束に照らせば、小沢元代表の主張は悉く正論だ-

 30日、野田佳彦首相と小沢一郎元代表との会談が、民主党本部で輿石東幹事長同席のもと行われました。事前の大方の予想どおり、消費税増税をめぐる話し合いは折り合いがつかず、会談は物別れに終わりました。

 こういう結果に終わるのは目に見えていたにも関わらず、野田首相が小沢元代表との会談を強く要望していたのは、「会談決裂」を見越してその先の自民党との(野合的)連携、「小沢切り」を見据えてのことでした。
 そのため、会談に応じることによって小沢元代表は一気に窮地に陥る、との観測がなされていました。

 考えてみれば小沢元代表は、今月上旬党員資格停止を解除されたとはいえ無役の一党員にすぎません。その上、指定弁護士から東京高裁に上告されてもいます。
 一国の首相が、一兵卒にすぎない“刑事被告人”党員との会談を周到に根回しすることは異例です。また新聞・テレビが同会談を大きな政治的話題として取り上げることも、これまた異例といえます。
 これは改めて言うまでなく、小沢元代表の政治的力量がいかに傑出していて無視できないかを示してあまりあるものです。

 「小沢氏不利」の予想に反して、会談は終始小沢元代表のペースで進められたようです。一応今は首相という最高権力ポストにあるとはいえ、野田氏と小沢氏とでは土台政治家としての器(うつわ)が違いすぎるのです。
 それに、「今国会での増税法案の成立に命をかける」という「財務省の回し者」野田首相には、元々「大義」が存在しません。政権交代時の大公約違反であり、国民の6割は増税反対なのですから。

 どう考えても、大義は小沢元代表にあります。政官業旧勢力が束になっての、戦後最大の「政治弾圧」によって刑事被告人にされても、「マニフェストによる国民との約束は守る」という小沢元代表の信念は揺るぎません。

 野田首相にとっては、自民党にとことんすり寄ってでも増税法案を成立させること。対して小沢元代表にとっては、「増税命」の野田首相を退陣に追い込むこと。いざとなったら、70人規模の集団離党も辞さない構えとみられます。
 2年前の鳩山元首相退陣、古くは1993年の自民党の野党転落など。6月は「政変」が起こりやすい月です。この大勝負がどっちに転ぶのか、2週間後の6月15日頃が山場とみられています。

 「6月政局」を伝える『日刊ゲンダイ』(6月1日3面)記事を以下に転載します。
 なお文中の「NHKキャスター」とは、同局夜の『news Watch 9』の大越健介のことです。大越キャスターは、朝日新聞の星浩、毎日新聞の岸井成格とともに「反小沢三羽ガラス」の一人です。一連の小沢事件では、事あるごとに小沢元代表への“毒ガス口撃”を続けてきた人物です。  (大場光太郎・記)
                      * 

会談決裂 小沢一郎いよいよ「6月政局」突入

 「このままいくと6月政局だ」ー。
 野田首相との会談後、小沢元代表は周辺にこう語ったという。会談が平行線に終わった野田は、自民党との連携にカジを切り、6月中に消費税増税法案の採決と“小沢切り”を一気に進めるつもりだ。さっそく、6月21日までの衆院採決を党幹部に指示したという。だが、小沢に焦りの色はまったくない。野田が何をしようが、小沢のハラは固まっているからだ。

「消費税アップ」への賛成を迫るNHKキャスター軽く論破

 昨夜(30日)出演したNHKもそうだった。政治部出身のキャスターが「消費税法案は党議決定したことだ」と迫っても、小沢は「消費税アップの前にやることがある。選挙で約束した通り、まずは国の仕組みを変えて無駄を省くことだ。マニフェストも党で決めたこと。選挙で約束したことの方が重い」と一蹴。
 さらに、「財政再建は待ったなしだ」という問いにも、「日本は買われているし、円高も進んでいる」と、危機に陥っている欧州とは違うと強調した。

 「決められない政治からの脱却には妥協が必要だ」「原理原則を大事にすると妥協の余地がなくなる」と、首相と妥協すべきだと注文をつけられても、「もちろん政治に妥協はある。だけど、民主党は半世紀ぶりの政権交代で政権についた。国民との約束を忘れたら、民主主義の根本に関わる」と正論をつきつけた。キャスターはグーの音も出なかった。

 小沢グループの1期生議員がこう言う。
 「もはや小沢さんが首相に妥協することはない。『来るなら来い』というところまで腰が据わっている。僕らも決断する時はする。原点を忘れたら政権交代の意味がないじゃないですか」

いざとなれば70人で新党結成

 野田が6月採決に踏み切ろうが、除名で脅かそうが、グループの結束は固い。いざとなれば新党を結成するつもりだ。
 「グループの1年生でつくる北辰会50人のうち、最近姿を見ない5人に加え、4、5人はこぼれる可能性がありますが、40人は付いていきますよ。いまの民主党で選挙を戦っても、どうせ国民の支持を得られていないのですから」(別の小沢グループ1期生) 

 2期生以上や参院を加えれば、新党が60~70人の規模になるのは間違いない。
 大マスコミは、野田が自民党との連携にカジを切り「小沢は追い込まれた」と解説しているが、会談が決裂して苦しいのは、むしろ野田の方だ。政治評論家の野上忠興氏がこう言う。
 「会談後の野田首相のぶら下がり会見は、かなり不機嫌でした。小沢さんを説得するのはムリだと分かったのでしょう。しかし、野田首相は本当に消費税増税法案の採決に突っ込めるんでしょうかねえ。民主党内は中間派だってまとまっていない。このまま採決なら中間派からも50人は反対すると思う。輿石幹事長も簡単に採決させないでしょう」

 実際、党分裂や解散・総選挙を避けようとしている輿石執行部や中間派を、野田はバッサリ切れるのか。小沢も、野田の足元を見透かしているのではないか。  (転載終わり)            

| | コメント (0)
|

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »