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(覆された宝石)のやうな朝

     天 気  

           西脇順三郎


  (覆された宝石)のやうな朝

  何人か戸口にて誰かとさゝやく

  それは神の生誕の日。

… * …… * …… * …… * …
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 西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう、1894年(明治27年)1月20日 - 1982年(昭和57年)6月5日)は日本の詩人、英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。
 代表作は『Ambarvalia』(1933年)、『旅人かへらず』(1947年)、『古代文学序説』(1948年)、『第三の神話』(1956年)。1957年「読売文学賞」受賞。 (『ウィキペディア』より)

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《私の鑑賞ノート》
 先日帰りの小田急線に乗っていて、車内の中吊り広告をぼんやり眺めていました。すると「ひとりを光らせる-和光大学」の広告文に目が止まりました。それは、
  地図に
  のってない世界が
  ことばの中にあった
というタイトルで始まる、縦書きの少し長い文章です。

 そのシャレたタイトルに惹かれ本文もざっと目で追ってみました。どうやら「詩のことば」について述べた一文のようです。これを作成したのは同大学文学部教授でもあるのか、さすがはキラッと光った「ことば」が散りばめてあります。
 私は感心してメモ用紙を取り出して、走り書きでメモしました。しかし降車する本厚木駅に間もなく、それが気になってメチャクチャななぐり書きです。後であらためて読み返してみましたが、ところどころ判読不能の箇所がありました。

 この一文の核心部は、(今回取り上げている)西脇順三郎の詩『天気』に関することのようです。冒頭の西脇順三郎の同詩を同じく掲げながらこの文の作者は続けるのです。

  “覆された宝石”ということばが、
  組み合わさったことで
  今まで知らなかった世界が見えてきませんか
  そこに詩の面白さがあります
  ぜひ詩のことばにふれてください
  あなたの世界がちょっと違って
  見えてくるかもしれません

 私がこの一文に興味を抱いたのは、他でもない詩『天気』が引用してあったためです。私もいつかこの詩を取り上げるつもりでいたのです。
 この文の作者があらためて提示するまでもなく、『天気』は学校の国語教科書にも採用されている西脇順三郎の代表的な詩ですから、ご存知の方が多いことでしょう。
 ちなみに私は昭和40年代前半、高校2年の現代国語の教科書によってこの詩を知りました。ほうぼうで述べたように、私の高校時代は“超多感”な時期で、見る詩、読む文学作品、聴く音楽など、そのつど心がうち震えるような感動を覚えました。

 この詩を教わったのは5月のある日だったかと記憶しています。この詩を読むにはうってつけの「天気」の午前中でした。たった3行だけの詩ですが、この詩からは特に強いインパクトを受けました。

  (覆された宝石)のやうな朝
 冒頭のこのことばが、何と言っても衝撃的で鮮烈でした。それまでおよそ出会ったことのない詩のことばなのでした。これによって、私の中の固定化していた世界観が(覆された)ような感じがしました。きらきら輝く朝の光の中、爽やかな朝風が私の心の中を吹き抜けるような、得も言われぬ清涼感があったのです。
 つかの間ではあっても、私の世界は「大いに違って見え」たのでした。

  何人か戸口にて誰かとさゝやく
 そのささやきのことばは、「初めにことば(ロゴス)ありき」(ヨハネ福音書冒頭)という原初のことば(ロゴス)のようでもある、とその時漠然とでも感じたのだったかどうか。

  それは神の生誕の日。
 これにはとどめをさされた感じがしました。つまりは、この朝「神」が生まれたというのですから。当時も今も、この朝生誕した「神」はギリシャ神話的な神ではないかと思っています。
 まるで1行目と2行目に秘められた「ことばエネルギー」の累乗的起爆力によって、「神」は生誕したかのようなのです。

 (大場光太郎・記)

参考
 以下のサイトが、(覆された宝石)そして2行目について、私などまったく知らなかった事実を提示しておられます。
『【補説】ギリシア詩から西脇順三郎を読む 西脇順三郎の「天気」』
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ancients/nishiwaki8.html
関連記事
『ある外国人女性と間伐の必要性について』(車内中吊り広告に関する記事)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-4d39.html

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コメント

 本記事は2012年6月15日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。
 普段ならそんなにアクセスのないこの記事に、13日午前9時過ぎからアクセスが集中し、同日の当ブログ記事全体のアクセス数で3位になっていました。理由は不明ですが、例によって西脇順三郎のこの詩がテレビで取り上げられたりしたものなのでしょうか。
 なお今回関連画像を新たに挿入しました。

投稿: 時遊人 | 2018年4月15日 (日) 02時39分

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