『銀の匙』と灘校名物国語教師
-文部省(当時)指導要綱などくそくらえ。名物先生の「銀の匙」教室について-
中勘助(なか・かんすけ)という作家の『銀の匙』という作品をご存知でしょうか。ためしに私が持っている岩波文庫カバーの、『銀の匙』紹介文は以下のとおりです。
- 古い玩具に混じって大切にとっておかれた銀の匙。少年時代の思い出を自伝的に綴ったこの作品には、大人が追想した子どもの世界ではなく、子ども自身の感情世界が、子どもが感じ、体験したままに描き出されている。漱石が未曾有の秀作として絶賛した名作。-
音に聞こえたあの灘校で、かつてこの『銀の匙』の文庫本(多分私のと同じ岩波文庫かと)一冊だけを、3年間かけて読み込む国語の授業を行っていた名物先生がいたというのです。
おそらくそれ以前もそれ以後も、全国どこの高校でも行われなかったであろう極めてユニークな授業を進めたのは、今年で百歳をお迎えになる橋本武先生です。灘校で50年間教鞭を執り、昭和59年に同校を去りました。
橋本先生が退職して28年ほど経過したことになります。しかし今でも「銀の匙」教室は、伝説の授業として語り草になっているというのです。
「生涯心の糧となるような教材で授業がしたい」。橋本先生のその思いは、当時公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を、全国トップレベルの進学校に導き、数多くのリーダーを生み出してきたのです。
2010年12月には、この「究極のスロー・リーディング」授業の誕生と実践を描いた『奇跡の教室』(伊藤氏貴著、小学館刊)が刊行されベストセラーとなり、「偏差値教育」「脱ゆとり教育」で揺れ動いている昨今の教育界に大きな反響を呼びました。
戦前の東京高等師範学校を卒業した橋本武先生は、担当教員から灘校への赴任を命じられます。当時私立は公立の格下扱いでしたが、橋本先生は「公立ではできない面白いことが、ここではできる」と、逆転の発想で臨みました。
そんな新米教師の希望を打ち砕いたのが太平洋戦争です。名作アニメ『火垂るの墓』でもリアルに描かれていたように、灘校のある神戸市は大空襲の被害に遭いました。終戦とともに巷には闇市が広がり、進駐軍のトラックが行きかう日常が続きました。
「毎日、地獄絵図を目の当たりにした。GHQの指導(検閲)で、教科書は黒塗りになり、ぺらぺらですよ」(橋本先生談)
こんな劣悪な環境で育つ子どもに、どんな授業をすればいいのか。思い悩んで行き着いたのが『銀の匙』だったのです。橋本先生自身、東京高師時代『銀の匙』と運命的な出会いをし、その作品世界に心酔していたのです。こういう経緯があって伝説の「銀の匙」教室が生まれたわけです。
文科省指導要綱、日教組、教育委員会、PТAがかまびすしい今日では考えられませんが、教科書は一切使わず、文庫本『銀の匙』1冊を横道に逸れながら3年間かけて読み込んでいく国語の授業法です。
しかし橋本先生の型破りで画期的な授業法の感化力は凄まじく、灘校がかつて東大合格数日本一に輝いた原動力になったと評価されています。それに巣立った教え子たちの社会的活躍も見逃せません。
例えば、戦後生まれ初の(現)東大総長になった濱田純一氏。現日弁連事務総長の海渡雄一氏。元フジテレビキャスターで現神奈川県知事の黒岩祐治氏。
『奇跡の教室』の中で、彼らは橋本先生を次のように懐かしんでいます。
「いつも言葉に真実味があった。ただ、真剣だというのとも違って核心を押さえているというか」(濱田氏)
「橋本先生からは“センス”を学んだ。気づくセンスこそが国語力って」(海渡氏)
一々ご紹介できませんが、文庫本の中の言葉一つで授業は、日本の伝記伝承からアラビアンナイト、中国の故事にまで話は及んだといいます。
2011年6月8日、25日、98歳にして灘校の特別授業「土曜講座」で27年ぶりで「銀の匙」授業を行ったそうです。
数十年を経ても色あせない「銀の匙」教室。橋本先生自身は、こう語っています。
「普通に読むだけでは、なあんにも残りませんから。自分が中学生のときに何を読んだかおぼえていますか?私は愕然としたんですよ。何も覚えていないって。先生への親しみはあっても授業の印象はゼロに近い……なんとかして、子どもたちの生活の糧になるようなテキストで授業がしたい、そう思ったんです」
今回焦点の名作『銀の匙』。私は20余年前に同文庫のを求めながら、実はまだ読了したことがないのです。なかなか読めない本として、外国文学ではトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』でしたが昨年読了し、いつか記事にするため今再読中です。
『銀の匙』も。これを機会にじっくり最後まで読み通してみようと思っています。
【追記】
本記事は昨年3月上旬頃、たまたま買った『週刊ポスト』の中の記事を参考・引用してまとめたものです。その頃まとめるつもりでしたが、直後の3・11の発生、同週刊誌の紛失などにより諦めていました。それがつい先日同記事のコピーが見つかりましたので、今回こうして記事にできました。
(大場光太郎・記)
関連記事
『全国高校偏差値ランキングから』(灘校の偏差値や東大進学者数など)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-4cfd.html
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