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ゼウスはなぜ好色なのか

 -ゼウスの好色性にみられる、周辺各地神話吸収・合併のプロセスについて-

 『ギリシャ神話選』カテゴリーで、長かった一連の「クレタ島物語」を何とかまとめ終えました。その作成過程でふと考えたことがあります。それは他でもない、「ゼウスの好色性」についてです。

 以前の「ペルセウス冒険譚」では、青銅の塔の中に幽閉されていたその母ダナエを、ゼウスは黄金の雨となって交った結果ペルセウスが生まれたのでした。そしてクレタ島のミノス王は、フェニキア王の娘のエウロパが侍女たちと海辺で遊んでいるのを見計らって、美しい牡牛に化けたゼウスによってクレタに連れ去られて生まれたのでした。

 このように、何かに化身した主神ゼウスのご乱行によって生まれた神話中の人物は枚挙にいとまがありません。それで私は、ギリシャ神話中の最高神に対して、「好色神」「エロ大神」「歩く種馬神」などと面白おかしい表現を用いてきました。
 これは例えば、「汝姦淫するなかれ」と諭すユダヤ教(そしてキリスト教)の唯一神「ヤハウェ」とは著しい対比を見せるものです。
 ギリシャ神話のゼウスはなぜこうも良い女を見てはムラムラときて、人妻だろうが誰だろうが見境なく次々と思いを遂げていったのでしょうか。
 そのことに関して作成過程で気がついたことは以下のとおりです。

 エーゲ文明、ミノア文明はシリーズ中で見たとおり、紀元前20世紀以前から栄えた文明なのでした。そしてミノス王の紀元前15世紀頃絶頂期を迎えたわけですが、方やギリシャ文明はその頃ようやく曙光期を迎えたばかりなのでした。
 その後ミノア文明の方は衰退していき、代わってギリシャ本土はもとよりエーゲ海一帯を広く勢力範囲に収めていったのがギリシャ文明です。いわば後進の文明の信仰的、精神的基盤となったのが、ゼウスをはじめとするオリュンポス山の神々だったのです。

 それ以前のオリュンポスの神々は、ギリシャの一地方の神々に過ぎなかったと考えられます。それがアテネやスパルタなど都市国家の隆盛による勢力拡大に伴い、オリュンポスの神々の稜威(みいつ)も勢いを増していったのだと考えられます。
 これはキリスト教が世界宗教化していく中で、それ以前はユダヤという小国の神に過ぎなかったヤハウェが「世界的な神」になっていったことと似たところがあるように思われます。

 その過程で、クレタ神話のように本来はギリシャ神話とはまったく別体系の各地の神話を、吸収・合併してギリシャ神話中に取り込む必要があったと考えられるのです。
 我が国上古の天武天皇治世下で行われた古事記編纂などに見るまでもなく、「神話」は権力の根拠を示す強力な基盤であるのです。

 吸収・合併は、オリュンポスの神々の慈愛性を示す形にしなければいけません。穏やかな方法で周辺神話の神々がオリュンポスの神々にまつろった体裁でないと、後々具合が悪いわけです。
 それには、各地の王家の血統は遡れば皆々オリュンポス山の神々の系譜にたどりつくことにすればいいわけです。そのために、各時代のギリシャ神話の作り手たちが伝統的に用いた手法が「血の交わり」です。
 そこで好色な主神ゼウスの登場です。ゼウスが各地の美しい王家の女たちを次々に手ごめにし、その血統にゼウスの神的DNAを注ぎこませる形にしたのではないでしょうか。

 しかしその際、異国の美しい娘や人妻たちと最高神ゼウスが生身で交わったのでは、いくら何でも露骨過ぎて不具合です。そこでギリシャ神話の作り手たちが編み出した“苦肉の策”が、ゼウスが白鳥や黄金の雨や牡牛に化身して交わるという手法だったのではないでしょうか。
 もしゼウスがオリュンポス神界に実在しているのなら、「私はあんな好色な神ではないのじゃがのう」と、苦笑もしくは嘆いておられるかもしれません。

【注記】
 本拙考は、私の単なる思いつきをまとめたもので、何の学術的裏づけのあるものではありません。もしどなたかギリシャ神話通の方がおられましたら、その辺の事情についてご教示いただければ幸いです。
 なお本考に関わらず、今後ともゼウスの好色ぶりを面白おかしく描いていきますので、ご了承ください。

 (大場光太郎・記)

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