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「赤壁」は長江の右岸か、左岸か?

-「赤壁がどっち岸でもどうでもいいじゃん」。でも壮大な歴史ロマンの一こまとして-

 9日、当ブログアクセス状況をチェックしていて、以前の記事への興味深い検索フレーズが目に止まりました。それは、
  「中国 赤壁は長江の右岸ですか 教えてください」
というものです。

 ご存知の方も多いかと思いますが、「赤壁(せきへき)」とは中国「三国志」の時代、百万を号する魏の曹操の大軍と呉の孫権と荊州の劉備の連合軍との間で、天下分け目の大戦が行われた長江沿いの地名として古来有名です。
 「大変良い質問です」。というのも、ブログの格好の記事ネタを提供していただいたのですから(笑)。

 先日の『本屋さんに行く』でも触れましたように、中学2年の夏吉川英治の『三国志』を一気通貫に読了して以来、私は大の「三国志ファン」です。
 ですから08年秋に本邦公開された『レッドクリフpartⅠ』については、『レッドクリフ&三国志』という7回シリーズその他、翌09年春のバートⅡ公開時には『レッドクリフpartⅡを観て』という正・続記事を出しました。
 それだけに、どなたかのこの質問に余計興味を惹きつけられたわけなのです。

 「赤壁が長江の右岸かって?そりゃ右岸じゃなくて左岸だよ」。私は瞬間的にそう判断を下しました。と言うより、今の今までそう信じて疑わなかったのです。
 なぜなら。曹操率いる魏の大軍は、諸葛亮(孔明)を軍師に迎えたばかりの劉備のいる荊州をあっという間に制圧し劉備軍を夏口に追いやり、長江左岸に大陣地を構えて、長江を挟んで、右岸から南に広がる広大な呉と対峙したはずだと考えていたからです。

 なお一般的に河川における「右岸」「左岸」とは、川上から川下を見て右側を右岸、左側を左岸と呼びます。念のため、神奈川県厚木土木事務所の担当部署に電話で確かめましたから間違いありません。当地の一級河川・相模川で言えば、「下流の相模湾の方向を見て立って右手の厚木市側が右岸、左手の海老名市側が左岸」となるわけです。
 この区分は、全国的というより万国共通だと思われます。

 その後、肝心の「赤壁は長江の右岸か左岸か」についても調べてみました。その結果、私の見当は「大外れ」だったことが判明したのです。ネットで赤壁付近の概略図を確かめたところ、何と「赤壁は右岸」だったのです !
 「赤壁は長江の右岸ですか」という質問は正鵠を得たものだったわけです。

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 いやあ、分からないものです。と言うことは、魏大軍の南征に当たり、「主戦か降伏か」で呉の国論が二分されていた隙に乗じて、魏軍は長江を渡り呉の領土に侵入し、長江右岸の一部(赤壁一帯)を占領していたことになるわけです。

 ただ「赤壁大戦」のあった西暦208年旧十月(新暦11月下旬)は、我が国て言えば卑弥呼の時代、弥生時代末期です。そんな大昔であるため、赤壁も一つに特定されておらず、長江・漢水沿いに数ヶ所存在しているようです。
 その中でも、現在の湖北省赤壁市西南の長江南岸に位置する「赤壁山」が実際の古戦場として最も有力視され、「三国赤壁(別名、武赤壁)」と呼ばれているといいます。この場合でも「長江南岸」とは、地勢的に「長江右岸」と同義となります。

 私はもう一つ勘違いをしていたことに気がつきました。川幅の広い長江を挟んで左岸の西北側に魏軍、目と鼻の先の斜め対岸となる右岸の東南側に呉軍が対峙しているとイメージしていたのです。
 しかしそうではなく、長江上流の赤壁に陣取った魏軍に対して、霧深い初冬のある晩「火計」を秘めて、呉の大都督・周瑜の号令により「数キロ下流」の呉の陣地から呉艦隊が攻め上った、というのが真相のようです。

 赤壁に陣取る上流の魏軍は西、対して下流に位置する呉軍は東。だから魏の大艦隊を火計によって一挙に焼き滅ぼすには、その季節には吹くはずのない川下から川上に吹きつける「東南(たつみ)の風」がどうしても必要だったのです。
 そこから『三国志演義』では、呉に派遣されていた天才軍師・諸葛孔明が、南屏山に築いた七星壇で「東南の風を祈る」という有名な物語となったわけです。

 「祈七星壇」そして「赤壁大戦」については『レッドクリフ&三国志(6)(7)』で活写再現(?)していますので、興味がおありの方は是非ご一読ください。
 それにしても、今回のご質問は私自身大変勉強になりました。それとともに、この件のみならず他の事でも固定観念的に誤って覚えていることが意外に多いのかもしれない、と反省させられました。

 (大場光太郎・記)

参考(引用地図も)
『ウィキペディア』-「赤壁の戦い」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A3%81%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
関連記事
『本屋さんに行く』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-0f79.html
『レッドクリフ&三国志(6)-祈七星壇』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-39cb.html
『レッドクリフ&三国志(7)-赤壁大戦』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-a907.html

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コメント

 数日前から、「長江 川幅」などという検索フレーズで、この記事へのアクセスが急増していました。これは2012年7月公開の記事ですが、『何で今頃?』といぶかしく思っていました。原因は、長江における中国観光船沈没事故のようです。死亡者数百人という大惨事だったようで、お亡くなりになった方々には深く哀悼の意を表させていただきます。

 なお。肝心の「長江 川幅」は残念ながらよく分かりません。河口では数キロあるそうですが、洞声湖のすぐ下流である赤壁付近は長江の中流域くらいなのでしょうが、さあ、それでも何百メートルくらいかの川幅があるのでしょうか?

投稿: 時遊人 | 2015年6月 8日 (月) 01時44分

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