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年齢という恐るべき共同幻想

  年齢(加齢)は幻想で美しさが現実なのです。 (高次元存在からのメッセージ)

 直前のフォレスタメンバーの年齢談義を進めていきながら、世間様より少しは進んだ考えをしていると日頃自認している私自身、「年齢という幻想」に囚われていることに気づかされました。
 いい機会ですから、今回はこのテーマについて述べてみたいと思います。

 言うまでもなく「年齢」は人間社会の重要な概念の一つです。「人生80年」の今日、ある人の年齢を知れば人生途上のどの辺にいる人なのか、どのくらいの人生経験を積んできた人なのかが分かります。
 少年、若者、壮年、老年。各年代、年齢によって社会的に、学校、職場、老人クラブなどといった棲み分けが為されます。

 今は端的に「差別社会」「階級社会」化が進行中の社会と言えます。社会的地位、金銭の所有高という差別基準が最たるものですが、年齢もレッキとした差別基準になり得ます。もちろん年が若ければ若いほど優位に立てるわけです。 
 この土台にあるのは、「人間は生まれて、成長・発展して、衰えて、死ぬ」という栄枯盛衰の考え方であり、仏教で説く「生老病死」という四苦のサイクルです。

 これは「考え方」というより、人間世界を取り巻く「動かしがたい法則」と言ってもいいほどのものです。なぜなら身の回りの誰一人として生老病死を免れた人は見当たらず、遅かれ早かれ皆この世からいなくなってしまうのですから。
 しかし古来、この生老病死のサイクルから解脱し、常人では信じられない長命を生きた人はいたのです。もちろん人類総体に比して極めて少数ですし、そういう人はめったに俗界には姿を現しません。

 たとえば昨年ご紹介しました、笹目秀和師を導いた白頭山のリョ・リンライ神仙は当時(大正、昭和初期)二百歳、崑崙山のシュロ神仙に至っては五百歳なのでした。
 不可侵の神山だった20世紀前半頃までのヒマラヤ山中には、三百歳くらいのヨギ(真実のヨガの実践者)が何人も隠棲していました。

 ヨギを束ねるババジ大聖は、アガスティアの指導により千八百年前に完全解脱を果し、以後こちらの世界とあちらの世界の往還が自由自在です。歴史上の人物であるパタンジャリをはじめ近年のパナマハンサ・ヨガナンダなど、古来ババジに会って教示を受けた人は多くいるのです。ババジは、解脱した時の20代の美しい若者の姿を保持していると言います。

 「一人にとって可能なことは万人に可能である」。ごく少数とは言え、このような「奇跡の人」が存在している以上、私たちの「加齢とともに老化し死に至る」というのは間違った社会通念と把えるべきです。
 社会通念というより、強固な固定観念、人類全体の共同幻想と言っていいものです。社会の隅々にまで「死の観念」は潜んでいるからです。
 各個人で言えば、先祖代々遺伝的に受け継がれ、体のすべての細胞、いなDNAにまで刻まれているのです。生半可な理解ではこの呪縛は断ち切れず、老化を止めることは出来ません。

 私は年齢という概念を放棄します。「わたし」は年齢のない永遠の存在なのです。

 これはあるアファーメーション(自己宣言文)の一節です。ここで言う「私」とは肉体を絶えず意識している自己(小我)、「わたし」とは肉体を超えた真実の聖なる自己(大我、真我)と言うことです。
 「不死の達成」にせよ何にせよ、「聖なる自己」(わたし)とのパイプを太くし通りを良くすることがすべての幸福生活実現のキーとなりそうです。

 各種の行法ももちろん大切です。しかしすべての出発点は「思考」です。深い理解と感情を込めた「不死の深層自己説得」は、細胞にも届きDNAすら変えてしまいます。
 こういう不死の信念体系に切り替わった人が増えれば増えるほど、「肉体は死ぬ」という共同幻想、人類全体の悪しき集合意識に風穴を開けることが出来るのです。

 (大場光太郎・記)

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