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赤壁

        杜牧

 折戟沈沙鉄未錆  折戟(せつげき)沙(すな)に沈んで鉄未だ錆(しょう)せず
 自将磨洗認前朝  自(みずか)ら磨洗(ません)を将(も)って前朝を認む
 東風不与周郎便  東風(とうふう)周郎の与(た)めに便(よ)からずんば
 銅雀春深鎖二喬  銅雀(どうじゃく)春深くして二喬(にきょう)を鎖(とざ)さん

…* …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …

 杜牧(とぼく)、803年~853年は中国晩唐期の詩人。晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と剛健の両面を持つ。七言絶句に優れた作品が多い。杜甫の「老杜」に対し「小杜」と呼ばれ、また同時代の李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称される。 (『ウィキペディア』-「杜牧」の項より)

《私の鑑賞ノート》
 作者の杜牧が長江沿いの赤壁を訪れ、三国時代の「赤壁の戦い」に想いを馳せて詠んだ七言絶句です。北宋の文人・蘇東坡(そとうば)の名詩文『前赤壁賦』『後赤壁賦』とともに、古来広く人口に膾炙されてきた詩です。

 杜牧がこの詩を詠んだ晩唐期と、赤壁の戦い(西暦208年旧十月)のあった三国時代とでは、約六百数十年もの隔たりがあります。我が国で言えば、鎌倉幕府滅亡、建武の中興のあった南北朝期の事跡を今日詠むようなものです。
 ただ「赤壁」は古来有名な史実でしたから、時代を超えて伝えられてきた事跡に、杜牧の詩人としての想像力を縦横に飛翔させて、この名詩となったわけです。

 赤壁という名だたる古戦場を訪れ歩いてみるに、折れた戟が砂に埋もれているのが認められた。それは錆びてはいても未だ完全に溶け切ってはいない(そこに何とも言えない哀切さが感じられる)。実際長江のほとりの水でそれを洗ってみるに、確かに魏か呉かいずれかの古(いにし)えの武人のものに違いないようだ。
 と、発句、二句ではたまたま眼前に認められた遺物を詠じています。

 三句で詩はガラっと転じて、遠い赤壁の戦い当時の事に想いを巡らせます。
 深い夜霧に紛れて、呉艦隊が魏の大艦隊を急襲し一斉に火を放ちました。折りからの東風に、予め「連環の計」で艦船同士が互いに鎖で繋がれていたため火は次々に燃え広がり、魏の大艦隊はあっと言う間に大炎上したのです。
 もし戦いの当夜、「(天が)東風を周郎に与えなかったとしたら、戦局はどうなっていたことだろうか?」。この夜たまたま吹き募った「東風」こそは、まこと呉にとって天与の神風のようなものだったのです。
 「周郎」とは、美丈夫で「美周郎」と言われた呉軍大都督(総指令官)の周瑜(しゅうゆ)のことです。

 もし東風吹かずば、周瑜が練りに練った作戦は失敗に終わり、逆に呉・荊州連合軍に数倍する魏軍が勝利していたことでしょう。そこで結句です。
 「銅雀」とは、魏の首都である許都に直前に造営された壮麗な銅雀台という高殿のことです。戦い済んだ翌年の晩春、二喬は囲いものとなって銅雀台に幽閉されたことだろう、というのです。

 「二喬」とは呉の名家・喬家の2人の姉妹を指します。姉の大喬は先王孫策(孫権の兄)の妻となり、妹の小喬は周瑜の妻となりました。いずれも絶世の美女の誉れ高く、それは遠く魏にまで聞こえ、曹操が二喬を欲して南征を試みた、というのが『三国志演義』の通説なのです。
 ついでに。『演義』では、はじめは降伏に傾いていた周瑜に、何としても魏と呉を開戦させたい諸葛孔明が「曹操は二喬を欲しがっておりますぞ」と言い、それを聞いて激怒した周瑜が一気に開戦に傾いたことになっています。
 『レッドクリフ』では、周瑜の妻の小喬を、アジアナンバーワン美姫(これは私個人の評価)のリン・チーリンが演じました。

 ただお断りしておかなければならないのは、杜牧が訪れた赤壁は有名な「偽の赤壁」らしいことです。
 直前の『赤壁は長江の右岸か、左岸か?』で見ましたように、現在実際の古戦場として有力視されているのは、湖北省赤壁市西南の「赤壁山」です。対して杜牧や後代の蘇東坡が訪れたのは、湖北省黄州市西北の長江北岸の「赤鼻山」だったというのです。

 この赤鼻山は実際の古戦場ではなかったものの、杜牧がこの地でこの詩を詠んだために赤壁の古戦場とみなされるようになった、という経緯があるようです。さらに後の蘇東坡の名詩文『赤壁賦』によって、この地は実際の古戦場より有名になり、「東坡赤壁(別名、文赤壁)」と呼ばれるようになりました。

 一説では、杜牧と蘇東坡の両詩人とも、ここが実際の戦場ではなかったことを承知の上でそれぞれの作品を作ったとも言われています。
 しかしいずれも真に迫った赤壁の名描写であり、それこそが優れた詩人の想像力の賜物と言うべきです。

 (大場光太郎・記)

参考
蘇東坡『前赤壁賦』『後赤壁賦』
http://www.geocities.jp/sybrma/115zensekihekinohu.html
関連記事
『「赤壁」は長江の右岸か、左岸か?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-3ec0.html

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