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2012年8月

醜悪で非道い野田民主党政権

 -問責可決「国政脳死」どうなる政局 『日刊ゲンダイ』(8月31日)1面大見出し-

 29日夕、野田首相に対する問責決議が参院で可決されたようです。「ようです」というのは、現在無テレビ生活で最新ニュースに疎い私は、それを記した『日刊ゲンダイ』1面記事冒頭を読むまで知らなかったからです。

 昨今の私は、現下の政治状況があまりにもバカバカしくて、「政治」に対する関心をすっかりなくしてしまったようです。最近は(マイパソコンの不調もありますが)『阿修羅掲示板』も『ネットニュース』もあまり開かず、『植草一秀の「知られざる真実」』など政治的ブログへの訪問もめっきり減ってしまいました。

 「自分の政権延命が第一」の野田民主党政権は、問責決議などどこ吹く風のようです。野田、岡田、仙谷ら政権幹部は、「今国会会期中の審議はもうストップだ」「これで自民党との“早期解散”の約束も反故(ほご)にできる」「今年はもう(解散に直結しかねない)臨時国会を開くな」などと、国民無視のフザケタ延命策の放言をし放題だそうです。
 
 確かに臨時国会を開かなければ、来年の1月まで延命はできるわけです。
 しかし、外交や経済の問題は山積している上、震災復興や福島原発事故収束も道半ばです。また国会長期空転となれば、赤字国債発行のための特例公債法案などの重要法案はたなざらしとなり、秋以降国民生活にも影響が出てきます。
 なのに、自分たちの保身のためだけに臨時国会を開かないなど言語道断というべきです。

 これほど醜悪で低レベルな非道(ひど)い政権は、戦後初めてではないでしょうか。

 それでなくても、民自公与野党3党による密室談合政治によって、ただただ「米官業の利益が第一」で「国民の生活破壊が第一」の消費増税法案は可決成立するわ、毎週末官邸に数万人以上の反対デモが押しかけるというのに原発再稼動はするわ…。

 この国の政治は一体全体どうなっちゃってるんだ?「国民の生活が第一」新代表の小沢一郎が一昨年秋いみじくも指摘したとおり、「今この国はあらゆる分野で“劣化”が著しく進行中」です。
 その中でも、本来なら、この国の将来のグランドデザインを国民に明確に示すべき「政治の劣化」がもっとも激しいのですから事態は深刻なのです。

 思い起こせば2009年9月の政権交代時、超有名ブログ『きっこのブログ』のきっこさんは、「皆さ~ん、日本の本当の夜明けがやってきましたよ !」と、民主党(+社民、国民新)新政権誕生を手放しで喜んでいました。
 きっこさんだけではありません。同選挙では選挙区・比例区ともに民主党に投票した私も、心底そう思いました。民主党に投票した多くの有権者も少なからずそう期待したはずです。

 しかし一昨年6月政変により政権を得た菅直人内閣は、発足当初の「国民の生活が第一」「脱官僚」「政治主導」の理念は後退に次ぐ後退。現野田佳彦政権に至っては、初心は見る影もなく、完全に国民との政権公約の真逆を行っています。
 そんな民主党に対して多くの国民が失望し、強い怒りすら感じています。解散すれば「民主大惨敗」が分かりきっているから、現民主党議員の総意は「とにかく選挙から逃げまくること」なのです。

 だが姑息で卑怯な手段を使って逃げれば逃げるほど、国民の審判は余計厳しくなります。「なめるなよ、民主党 !」。国民の怒りは、噴出の時期をうかがうマグマのようにたまりにたまっているノダ !
 次期総選挙では、今や自民党以上に堕落した民主党に大鉄槌を下し、一弱小政党に追い込んでやろうではありませんか。

 「最近政治に関心がない」と言いつつ、私の物言い、少し長くなってしました(苦笑)。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』(8月31日1、2面)
『きっこのブログ』
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

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フォレスタの「恋のバカンス」

-これは驚いた ! なななんと、優子りん&しぃちゃん、軽快に踊りながら歌ってる !-

     (「フォレスタ 恋のバカンス」YouTube動画)
      http://www.youtube.com/watch?v=QUP-8xSps40

 つい最近、YouTube動画のフォレスタの『四季の雨』を聴いて、終了画面の「注目動画」に目がいきました。『恋のバカンス』とあり、2人の女性フォレスタが映っています。右手前が小笠原優子さんであることはすぐ分かりましたが、画面が小さくて左手奥が誰だかよく分かりません。
 興味を持った私は、取りあえずその歌を聴いてみることにしました。そうしたら、奥の女性は吉田静さんであることが分かりました。

 歌が進むほどに驚くべきことが起こりました。小笠原さん&吉田さん、何とダンスを踊るように軽快に体を動かしながら歌っているではありませんか !
 フォレスタコーラスでこんな事は初めてです。女声メンバーによっては、マイクを持っていない左手を前に上げたりする動作はまゝあるけれど。特に吉田さんは、その手さえまったく動かさず、不動の姿勢で歌唱力だけで勝負しているふうでしたから。

 ところがところが。この歌では、小笠原優子さんも吉田静さんも、思いっきりはじけちゃっています。右に左に体をくねらせるわ、左手を「ほほよせ」ちゃうわ、体を何度も上下に屈伸させちゃうわ。爽やかなお色気溢れる、何ともご機嫌なコーラスです。
 とにかくこの歌では、小笠原さん&吉田さんの意外な側面と、新しい可能性を見る思いがしました。
 特に吉田静さん。彼女にはダンサーとしての素質もありそうで、この歌の一つ一つの動作がなめらかでさまになっていて、とっても“キュート”です。

 純粋に歌だけで見ればー。吉田静さんは日頃から小笠原優子先輩を尊敬しているのか、『四季の雨』でもそうでしたが、この歌でも声量を絞って小笠原さんの引き立て役に徹しているようです。
 結果、この歌は「小笠原優子の恋のバカンス」になっているように思われます。

 「恋の歌」らしく、お2人の薄いピンクのドレスがよくお似合いです。
 それと、斜め後ろからしか映っていないのでよく分かりませんが、この歌のピアノ伴奏は南雲彩さんでしょうか。この歌にふさわしい、軽快で歯切れよい演奏です。

 以前『フォレスタの「アカシヤの雨がやむとき」』で触れたとおり、私は『女声フォレスタで、“恋の歌”は小笠原優子さんか吉田静さんだろう』と、密かに思っていたのでした。お2人が特別恋愛経験が豊富なのかどうかは分かりません。が、艶っぽい声質を含めた全体の雰囲気から、何となくそう感じられるのです。
 『恋のバカンス』で、小笠原優子&吉田静という超レアなデュオが実現しました。と言うことは、BS日テレ『BS日本 こころの歌』のディレクターか誰かが、やはりその辺のことを見抜いていたということなのかもしれません。

                        *
 『恋のバカンス』は、姉妹デュオのザ・ピーナッツが歌って大ヒットした曲でした。もう半世紀も前の事になりますが、今でもこの歌を聴くと思い出す、私自身の甘酸っぱく、ほろ苦い思い出があります。

 私は当時中学2年生。この学年時私は、山形県内陸部の田舎町の電器店でアルバイト店員をしていました。何せ電器店ですから、この年(昭和38年)の夏中、店内のテレビからかステレオからか、この歌がガンガン流れていました。

 夏休みのある日の昼過ぎ。私が一人で店番をしていると、何と同じクラスの女の子が店に入ってきたではありませんか。(初めて見る)父親と一緒にです。
 その子はその年の新学期が始まると共に転校してきて、私と同じクラスに編入となったのです。小柄ながら可愛くて、その上勉強もよく出来て。当時の私の理想のタイプだったらしく、私が初めて恋心を抱いた(つまり初恋の)相手だったのです。

 私はその一学期級長を務めたのですから、「ようござったなっす(「いらっしゃいませ」の意)」とか何とかきちんと挨拶し、しっかりした応対をすべきでした。しかしその時の私は、予期せぬハプニングにすっかりドギマギしてしまって。父親とその子が店内に陳列してある製品を見て回っているのをそっちのけで外に出てしまい、裏で何かを片付けるフリをして時間を潰したのです。とんだ「逆・恋のバカンス」です。

 その子は行ってしまいました。それだけではありません。2学年が修了した翌年の早春、やはり父親の仕事の都合で、九州のある県に引っ越して行ってしまったのです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタの「四季の雨」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-e737.html
『フォレスタの「アカシヤの雨がやむとき」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-4e86.html
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html

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あれっ、蝉の死骸が・・・

 -今回述べようとするテーマについて、とうの昔に触れていた人たちがいた-

 寒い春だったことにより、案の定今年もまた初蝉の声が例年よりだいぶ遅くなりました。蝉は、脱皮して成虫になる時期を春先からの「積算温度」で決めているらしいことを、昨年の『蝉鳴きました !』や今月初旬の『早や8月になりにけり』で述べました。

 残暑厳しい折りから、一たん鳴き出すやいなや、いつもと変わらぬ「ミンミン」「ジージー」の大合唱です。夜が白みかける早朝4時過ぎには、朝告鳥よりも先に、いずこからともなくミンミン蝉の声が聞こえてきたりします。日中は言うまでもないこと、ちょっとの木立でもあれば耳をつんざくようなけたたましい蝉声です。
 さらに真夜中でも遠くの木立の方から、ジージーとアブラ蝉の鳴き声が絶え間なく聞こえてきたりします。「夜蝉(よぜみ)」です。いかに厳しい「代ゼミ(よぜみ)」とて、いくら何でもそんな夜更けまで受験生をしごきはするまいに…。

 冗談はさておきー。“生類憐れみ”の想いが人一倍強い私(?)は、今年三度ほど蝉の死骸を、近くの遊歩道隅っこの草むらの中に移し変えてやりました。
 『早や8月になりにけり』で触れた蝉の死骸がきっかけでした。その後二度ほど、やはり当居住ビル付近で蝉の死骸を発見したのです。蝉の死に方とはすべてそうしたものなのか、どれもアブラ蝉でしたが、そのいずれもが仰向けになって死んでいたのです。やはりその姿が、成虫化してからわずか1週間くらいの儚い蝉の大往生の姿なのでしょうか。

 いずれもコンクリート床面やアスファルト路面で見かけたものです。自然から生まれた蝉の死に場所として、本来はふさわしい場所ではないはずです。
 それで私は、くだんの蝉の死骸をそっと持ち上げて、近くの遊歩道の人目につかない安全そうな草地の蔭に、「ごくろうさま」と小声で言って、同じく仰向けの姿勢にそっと置いてくるのです。

 そういうことを二度、三度と繰り返すうち、奇妙なことに気がつきました。二匹目を手の中にくるんでその場所に行った時でした。その蝉の死骸を置く前に、『前の蝉はきちんと置かれているか?』と思って、その辺を探ってみました。
 すると、あれれれっ、前の蝉の死骸がどこにも見当たらない !?
 三匹目の時も、二匹目が。そして『三匹目のは?』と気になって見に行くと、三匹目もやはり同じこと。
 三匹が三匹とも、死骸がいつの間にか消えてしまっていた !

 これにはいささか考え込んでしまいました。これを現実的に考えてみるとー。
 すぐ近くには、「Sハイツ」という団地タイプの住宅群が十何棟か立ち並んでいます。同ハイツ内には、当然子供たちも大勢いるはずです。その遊歩道には何本かの大きな桜の木があり、日中“現役の蝉”がガンガン鳴いています。

 ちょうど夏休みなのですから、虫採りアミと虫カゴを持った子供たちが、木の上の蝉を捕まえようとやってきた。しかし現役の蝉はすばしっこくて、なかなか捕まえられない。するうち誰かが、隅っこの草の中にくだんの蝉の死骸を見つけた。
 そこで死骸でも何でも「セミはセミだい」とばかりに、それを虫カゴに放り込んで帰っていった…。

 しかし二度も三度もそんなことをするものでしょうか?
 いや実際そうしたのかもしれません。しかし「オカルト好き」の私は、まったく別の可能性についても考えが及んだのです。

 これは、今から20年以上前、江本勝(えもと・まさる)という人の本の中にあった内容です。江本氏は「水の波動の研究家」として世界的に知られた人物ですが、同氏の研究は水の波動から発展して、この現象世界を超えた目に見えない潜象世界(つまりあの世)への考察にまで及んでいます。
 その結果江本氏は、その本の中で、先人の『カラスの死骸はなぜ見つからないか』を例に引き、カラスのみならずネズミでもゴキブリでも大量に死んでいるはずなのに、それにしては死骸がなかなか見つからない、と述べています。

 なぜなのか?その裏づけの一つとして江本勝氏は、大本(教)の出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)が語ったという次の話を紹介しています。(何せ、だいぶ前に読んだ記憶ですから、一言一句このとおりということではありませんが、大筋では違っていないはずです。)
 
 「動物や昆虫はなあ、人間のように邪(よこし)まな考えは持たず、悪い事も何一つせえへんやろ。自然の摂理に従って、素直に生きているだけなんや。だが死んでしまうと、誰も葬ってくれるもんがおらんやろ。そこで神さん(神様)が憐れんで、死骸を解(ほど)いてあの世に連れてってくださるんや。犬や猫など人に飼われているのはまた別や。死んでも飼い主がちゃんと面倒見てくれるさかい、安心して死骸を置いていくんや。」

 その昔、修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)とその一統は、奥吉野の急峻な山嶽でそれ以上ない凄まじい修行をしました。その結果、役行者と何人かの弟子たちは「屍解仙」(しげせん)となって、身体ごとあちらの世界に持っていくことに成功したのです。
 屍解仙とは、今の言葉で言えば「アセンション」ということです。しかし出口聖師の言うことが事実なら、今世界中の多くの人たちの大関心事であるアセンションを、動物や昆虫たちはいとも簡単に達成していることになるわけです。

 くだんの蝉たちも「神様のお計らい」によって、いつの間にかスーッとあちらの世界に丸ごと移行していったのでしょうか。それともただ単に、近所の子供たちがそのつど持ち去っただけなのでしょうか。
 皆様はいかがお考えになりますでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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叙情歌とは何か(5)

「叙情歌」まとめ

 これまで見てきたことを踏まえて、以下に「叙情歌は何か」についてのまとめをしてみます。

 * 「叙情歌」は「抒情詩」にメロディをつけたものである。
 * 「抒情詩」に歌いこまれる題材は、バラード、エレジー、ソネット、パストラル、賛歌など、どの範疇に属するものでもかまわない。
 * 表現はあくまで優雅で品位の高い詞が要求される。たとえ、それが恋の苦しみ、恨みつらみを歌った歌であったとしても、「骨まで愛して」というような直接表現は許されない。
 * 「叙情歌」は、以上の諸条件を満たした抒情詩に、美しく優雅でかつ上品なメロディがつけられた歌の総称である。
 * 「叙情歌」の場合は、詩を読む場合と違って、瞬間に歌詞が通過してしまうので、できるだけ平易で分かりやすく、歌詞の意味も理解しやすいものが理想である。
 * メロディは哀愁の中にも明るさ、明朗な中にも淋しさが感じられるような、深みのある作品がいい。
 * 「叙情歌」だから遅いテンポの曲がいいとも限らない。冗長で貧弱なメロディの歌ほど、どうしようもないものはない。美しいメロディとテンポの遅さはまったく別のことである。

 以上は、喜早哲(きそう・てつ)氏の「叙情歌・まとめ」をほぼそのまま引用させていただいたものです。

 ところで、喜早哲氏が監修した『美しき歌 こころの歌-新・叙情歌ベスト選集』では、同CDコレクション製作にあたり、1万人の人たちからアンケートを取り、その集計を基に選曲したのだそうです。
 その結果、喜早氏が予想していた曲目はほとんど上位に並んでいたそうです。そこから同氏は、「これは、多くの方が美しいと感じることができる素晴らしい感性をおもちであることに他ならない」と述べています。

 これは同コレクション選曲の場合だけではなく、またいずれ取り上げてみようと考えていますが、2006年(平成18年)に制定された『日本の歌百選』(主催:文化庁、日本PТA全国協議会)の中の歌を見てもそう感じます。
 これも一般から応募した曲の中から選定したものですが、私が『あの歌は入っているだろうな』と思った歌はやはりほとんど入っていました。(ただ「百選」限定のため、選に漏れた“名曲”もあります。)
 
 我が国で近代音楽教育が始まって百有余年。唱歌、童謡、歌謡曲などジャンルを問わず、数多くの名曲、叙情歌が生まれ、愛唱されてきました。幾多の優れた作詞家、優れた作曲家たちがいてくれた賜物です。
 そのおかげで、私たちは数多くの名曲に触れる機会に恵まれ、優れた歌に対して「耳が肥えている」国民になれたのだ、といえると思います。

 今私たちが聴くことのできる名叙情歌群は、立派な「文化遺産」です。これを失うことなく、絶やすことなく、のちの世代に継承していくことができるのでしょうか。
 『名曲-所感、所見』の歌の中で何度か述べたことですが、昔の優れた童謡などでも「悲しい歌だから」「暗い歌だから」「時代がそぐわないから」などという理由で、学校で教えなくなって久しいようです。

 その成果なのか。同コレクションの別冊『鑑賞アルバム 私の好きなうた』の喜早氏との対談の中で、声楽家の鮫島有美子氏は、「今の若い人たちにとって叙情歌は“重い”と感じるかもしれない」と述べています。これは今の話ではなく、15年も前の発言です。

 でも今日、若い「フォレスタコーラス」が「重い」はずの数々の叙情歌を歌ってくれています。また「坂入姉妹」さん(東京音楽大学卒業)は、童謡を専門として歌ってくれています。「時代遅れ」の私には、こういう試みが嬉しくもあり、ありがたくも感じられるのです。
 彼ら、彼女らの歌声を日々視聴している私たちも、叙情歌という文化遺産を後世に引き継ぐために、身近なところからでも、何かできることをしていこうではありませんか。  -  完  -

【注記】
 本シリーズは、最初にお断りしたとおり、喜早哲氏の「叙情歌とは?」と題した「叙情歌論」のエッセンスを丸写し的に要約したにすぎません。喜早哲氏及びご関係の皆様方に深く感謝申し上げます。
 喜早氏の一文は、今回取り上げることができませんでしたが、「日本の叙情歌の歴史」へとなお続きます。また機会があればご紹介したいと思います。

『新・叙情歌ベスト選集』(10枚組CD集 200曲以上の名曲を収録)
日本音楽教育センター
 〒169-0073 東京都新宿区百人町2-1-11
 TEL 03-3205-2400(代)
喜早哲『叙情歌とは?』 同選集別冊『鑑賞アルバム 私の好きなうた』より  

 (大場光太郎・記)

関連記事
『名曲所感、所見』カテゴリー(『叙情歌とは何か』シリーズを収録)
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『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
『坂入姉妹と童謡「ないしょ話」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-74c6.html

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続・トリックスター考

-C・G・ユングの『元型論』によると、誰もが奥深くにトリックスターを隠し持っている-

 神話という大上段の視点から人間世界へと視点を移し、「物語」に表れたトリックスターの例をみてみたいと思います。

 物語中のトリックスターとしてすぐに思い浮かぶのは、『三国志演義』『水滸伝』とともに中国三大奇書の一つである『西遊記』のヒーローの孫悟空です。何百年もの仙道修行の結果、分身の術や変化(へんげ)の術などさまざまな通力を得、その上一飛び何千里の金斗雲と伸縮自在の如意棒まで得た孫悟空は鬼に金棒、金斗雲にひょいと乗っかり遂に天上界に乗り込んでいきます。
 天女たちが驚き騒ぐのを面白がったり、立ち入り禁止の桃園に侵入し不老長寿の桃を片っ端から食い放題…。さんざん天帝を困らせます。

 その結果悟空は、お釈迦様の前に引き出され裁きを受けることになります。が、「宇宙の涯(はて)まで飛んで行けるオレ様だ。アンタに指図されるいわれはないわい」と大見得を切ります。「ならば行ってきなさい」。「お安い御用だい」とばかり、金斗雲に乗って時空間を巧みにワープしながら飛ぶこと無量辺涯、『ここが宇宙の涯に違いない』と思われた処に、都合よく大きな塔が聳え立っているではありませんか。

 孫悟空はその塔に「○○大聖」という自らの法号を大書し、ついでに小便を引っかけて意気揚々と帰ってきます。
 この次第はどなたもご存知でしょうが、孫悟空が大塔と思ったのは実はお釈迦様の一本の指なのでした。結局悟空は、お釈迦様の掌(たなごころ)の中を一生懸命飛び回っていたにすぎなかったのです。

 さすがに己の浅はかさと、釈迦如来の広大無辺の智慧と慈悲を悟った悟空は、心の底から改心します。そうして折りよく、尊い経典を得るために天竺に旅立とうとしていた三蔵法師のお供の一人(他に沙悟浄と猪八戒)となります。
 道中さまざまな妖怪変化の妨害に遭いますが、そのつど化け物どもを蹴散らして、遂に宿願の天竺に三蔵法師を着かせることができたのでした。

 そのほか物語中のトリックスターとしては、西洋文学ではセルバンテスの『ドン・キホーテ』がその代表例でしょうか。ドン・キホーテはサンチョ・パンサを供とし、誇張された騎士道を求めて諸国を遍歴し、各地で珍騒動を巻き起こします。敵軍と勘違いして、大きな水車に突進していくユーモラスなシーンはあまりにも有名です。
 また前回少し触れた月光仮面もトリックスター的です。さらに月光仮面とともに昭和30年代前半少年たちのヒーローだった、怪人二十面相も典型的なトリックスターといえます。ならば19世紀末フランスが生んだ怪盗ルパンも、その孫を自称するルパン三世もそうに違いありません。

 以前取り上げた杉浦茂の漫画『ぼくらの西遊記』の中の、愛くるしくお茶目な孫悟空のように、さんざん破天荒な悪さはしても、後にそれを補ってあまりある大善行を行うなど、どこか憎めない魅力を有するのがトリックスターです。
 しかしトリックスターには、この命名の元となったインディアン民話がそうであるように、同時に狡猾さや残忍さも併せ持っています。掴み所のない得体の知れないのがトリックスターなのです。
 だからトリックスターのアンビバレント性(二律背反性)について、ある研究家は次のように定義しています。
 「創造者にして破壊者、贈与者であって反対者、他を騙し、自分が騙される存在である」

 「トリックスター」という概念が広く知られる上で、精神分析家のC・G・ユングの果した役割は大きなものがあります。ユングは先人の研究を踏まえて、有名な『元型論』で「トリックスター元型」を打ち出したのです。
 ユングの言う「元型」とは人間の無意識層に潜む性格類型ということですが、そうするとほかのアーキタイプとともに、トリックスターも一人一人の人間の中に元型として存在しているということになります。

 心の奥深くに隠しているから普段は出てこないだけなのです。これが比較的出やすい分野があります。芸能界やスポーツ界です。常人離れした異能を持つ彼らには、一般人より余分に羽目を外すことが暗黙のうちに許容されているところがあるからです。
 例えば当ブログの事件モノで以前取り上げた、押尾学、酒井法子、朝青龍、市川海老蔵などは十分トリックスター的といえます。
 余談ながら。朝青龍、またやっちゃったようですね。つい最近母国で、モンゴル国営放送社長を殴る暴行を働き、顔などに怪我を負わせたというのです。やれやれ。孫悟空のようにいい加減改心して、母国の発展に一途に貢献したらどうなんだい。

 ともあれ。私たちも「内なるトリックスター」を隠し持っている以上、この諸刃の剣の取り扱いには要注意です。と言って、ただ押し込めておくだけでは最後に大暴発しかねません。普段から、「茶目っ気」「好奇心」「悪気のないいたずら」などで、小出しにうまく発散させておくことが必要なのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『トリックスター考』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-8930.html
『懐かしき「西遊記」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9394-1.html

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トリックスター考

 -「トリックスター」という大変興味深いテーマに、少しだけアプローチを試みる-

 直前の『フォレスタの「北帰行」』で、この歌にまつわる私自身の子供時代の思い出をご紹介しました。冒頭述べましたが、その一文は『二木紘三のうた物語』のこの歌にコメントしたものを、後に当ブログに移し替えさせていただいたものです。その際新たに『少年時代のトリックスター』というタイトルをつけたのでした。
 少し回りくどい説明になりましたが、今回はこの「トリックスター」について少し考えてみたいと思います。

 そもそもあの一文のタイトルをなぜ『少年時代のトリックスター』としたのでしょうか?これには二つの意味を含めたつもりです。

 まず一つ目はー。
 一文の主人公は、東京から山形県の田舎町(旧・宮内町)の母子寮にやってきて、その夜手品をやってくれた興行師です。つまり文字通り、手品というトリックをやる(子供の私にとっての)スターであったわけです。

 その人は東京からやってきた、ダンディな感じの40代くらいの人なのでした。さしたる変化のない私たち寮生活者の日常生活に何の前触れもなく現われ、つかの間鬼面人を驚かせ、その晩のうちにいなくなってしまったのです。
 その人は子供の私にとって、民俗学で言うところの「異人(いじん」)であり「稀人(まれびと)」のような存在でした。

 ♪ 疾風のように現れて 
    疾風のように去っていく 
    月光仮面は誰でしょう
 これは当時の全国の少年にとってのヒーロー、月光仮面の歌の一節です。当時小学校5年生だった私にとってその人は、まさにトリック(手品)をする「スター」のような存在として強い印象を残したのでした。

 それともう一つー。
 こちらが本少考のメーンですが、トリックスターは文化人類学上の重要な概念の一つであるのです。くだんの興行師には、こちらの意味でのトリックスター的要素も認められるように思われます。

 文化人類学でいう「トリックスター」(trickster)とは、「神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、または物語を引っかき回すいたずら好きとして描かれる人物のこと」です。(フリー百科事典『ウィキペディア』-「トリックスター」の項より)

 たとえばギリシャ神話で言えば、ある時天上界に昇ってこっそり「天上の火」を盗み出したプロメテウスなどはそれに当たることでしょう。さらにはギリシャ神話の主神であるゼウスそのものが大トリックスターであるとも言えます。
 なにせゼウス自らが、美しい女を目にとめると歯止めが利かず暴走するのです。白鳥に化けて人妻レダと交わったり、金の雨滴になって塔に幽閉された美女ダナエと交わったり、牡牛に化けて王女エウロパと交わったり…。
 「主神自らそんな“掟破り”をしていいのかよ」と言いたくなるほどのご乱行です。

 我が国神話中最大のトリックスターはスサノオノミコト(須佐之男命)です。姉神のアマテラスオオミカミ(天照大神)の制止も聞かず、高天原に昇ってきて乱暴狼藉の限りを尽くします。アマテラスは怒り、天の岩戸に籠ってしまいます。
 
 「ここに高天の原皆暗く、葦原中国(あしはらのなかつくに)悉(こと)に闇(くら)し。これによりて常夜(とこよ)往(ゆ)きき。ここに萬(よろず)の神の声は、さ蝿なす満ち、萬の妖(わざわい)悉に発(おこ)りき。」(岩波文庫版『古事記』より)

 キリスト教における最大のトリックスターは、何と言っても堕天使「ルシファー」でしょう。と言うより、欧米主導の今日の世界にあってルシファーは、「悪魔」「サタン」「666の獣」など禍々しい負のイメージで捉えられことが多いかもしれません。
 以前は私もそういう捉え方でした。これは別のところで論ずべきテーマですが、今ではまた違う捉え方をしています。ユダヤ教の旧約聖書におけるルシファーは堕天使ではあっても、悪魔・サタンとはみなされていませんでした。そういう性格を賦与したのはキリスト教会なのです。

 そう言えば、乱暴者のスサノオも我が国神話中の悪神です。いずれ述べる機会があるかもしれませんが、高天原を追放された須佐之男命と、天界から堕とされたルシファーには共通性があるのです。  (以下「続」に続く)

 (大場光太郎・記)

参考
『月光仮面 主題歌』(YouTube動画)
http://www.youtube.com/watch?v=oHpN4QuGc-U
関連記事
『フォレスタの「北帰行」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-3955.html
『プロメテウスの火』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-df01.html
『ゼウスはなぜ好色なのか』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-fc1b.html

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フォレスタの「北帰行」

 -北の故郷へ「帰りたい、でも帰れない」。そんな私は心の中でだけ「北帰行」-

  (この歌のYouTube動画はURL表示のみ。)
   http://www.youtube.com/watch?v=hTm7kuhyMys

 まず『北帰行』にまつわる、私自身の子供時代の思い出を記した一文を以下に転載します。この一文は、当初『二木紘三のうた物語』のこの歌のコメントとして出し(2008年4月22日)、のちに二木紘三(ふたつぎ・こうぞう)先生にお願いして、『少年時代のトリックスター』(同年8月20日)というタイトルで当ブログ『名曲-所感、所見』カテゴリーに移し替えさせていただいたものです。

                        *

 昭和35年、私が小学5年の初秋頃。お世話になっていた母子寮に、一人の男が訪れました。(『北帰行』が一般に広まる前でしたから、確かその年だったと思いますが、あるいは翌年だったかもしれません。)

 東京から来た人ということでした。今思えば、流れの興行師といった人だったでしょうか。40代くらいの中肉中背、ダンディな感じの人だったと記憶しています。その人が、集会室でその夜手品をしてくれるというのです。私たちは、楽しみに待ちました。
 その人が、夕方寮の玄関近くで遊んでいた私たち小学生何人かに、「町内を一回りしてくるけど、一緒に行かないか」と誘ったのです。滅多に乗れない車ですから,一も二もなく乗せてもらいました。途中ある店で停まって、お菓子を買ってもらったりして、帰りました。
 
 その夜寮内のお母さん方、子供たちが集会室に勢ぞろいして、その人が繰り出す手品に熱狂しました。特に度肝を抜かれたのは、探していたトランプが、指名されて立った友人の、あるはずのない、ワイシャツの胸ポケットから出てきた時でした。一同びっくり拍手喝さいでした。

 その人は去っていきました。その後、拍手喝さいした手品のトリックが、ばれてしまいました。友人があっさりばらしたのです。車で町内を回って、途中で車を降りた時、その友人はいくらかの小遣い銭をもらって、ポケットにトランプを忍ばせるのを引き受けたというのです。それ以外にも、寮内のあるお母さんを口説いた…。
 その人が去った後の評判は、あまりいいものではありませんでした。

 しかし、良いものを一つだけ残していってくれました。『北帰行』の歌です。
 手品が終わって子供たちが引き上げてから、その興行師とお母さんたちによる懇親会が催されたそうです。その時、「こういういい歌があるんだが」といって黒板に歌詞を書いて、お母さんたちが覚えるまで、指導してくれた…。
 おかげで、この歌は寮内全部に広まりました。私も、母からか先輩からか教わって、すぐ覚えました。素直に良い歌だと思いました。子供のくせして、「♪さらば祖国愛しき人よ 明日はいずこの町か」などと口ずさんでおりました。

 だが、これにも裏話があります。その人は、「この歌は、私が作った歌だ」と言ったというのです。これにはまんまと騙されました。私も『違う』と分かったのは、ずっと後になってからのことです。
 その人にしてみれば、『どうせこんなとこ、二度と来ないんだ。その場さえうまく取りつくろえりゃあそれでいいんだ』てなもんだったのでしょう。
 
 しかし、二木先生の『星影のワルツ』での解説のように、この人も東北の片田舎町を転々とどさ回りしている我が身の境遇を、『北帰行』に重ねて、本当に歌と同化していたのかも知れず。表向きの口八丁、手八丁は世を渡るペルソナ(仮面)で、実は夜宿屋で寂しく独り酒を呑んでこの歌を口ずさんでは、「涙流れてやまず」だったのかも知れず…。

 今改めて聴いてみて、『本当に良い歌だなあ』と再認識致しました。
 私にとって、北は「望郷の方位」です。  (転載終わり)

                         *
 次に『北帰行』にまつわるエピソードを、二木先生のこの歌の《蛇足》を中心にご紹介します。

 この歌を小林旭が歌って大ヒットしたのは昭和36年のことです。が、実際に歌が作られたのは意外と古く昭和16年5月のことでした。作者は宇田博(うだ・ひろし)。宇田は当時、旧制旅順高等学校の2年生でした。
 宇田は旧制一高を受験するも失敗し、満州は奉天(現瀋陽)の親元に帰り、結局新設されたばかりの旅順高校に入学したのです。

 宇田はあるとき、市内の文房具屋の娘と親しくなります。このヤッチャン(女の子)は背は低いもののとびきりの美人だったそうです(女声フォレスタで例えれば、さわちゃん<白石佐和子さん>かさとちゃん<矢野聡子さん>か)。宇田自身校則を破るのに喜びを感じるような「鬱勃たる反抗心」の持ち主で、この娘を連れ回して一緒に酒を飲んだり映画を観たりしました。
 深夜二人でいるところを高校の教官に目撃され、宇田は素行不良のトガで放校処分をくらってしまいます。

 宇田博は再び親元の奉天に戻ることになりました。が、その直前旅館で「敗北と流離の思い」を込めて一気に書き上げたのが、五聯からなる元々の『北帰行』の歌詞だったのです。宇田は旅館に友人たちを呼び、曲をつけて出来上がったばかりの歌を披露しました。
 友人たちは涙を流して聞き入り、口伝えに覚え、歌詞を書き写しました。なおこの歌は、正式ではないものの旅順高校の応援歌として(終戦によって同校が廃校となるまで)歌い継がれました。

 宇田は再度内地に行き一高に再挑戦し合格、戦後東京大学に入学しました。東大卒業後東京放送(ТBS)に入社、後に同社常務、監査役を歴任しました。(1995年8月9日没)

 この歌は昭和30年代半ば頃、東京都内の「歌声喫茶」で若者たちによって好んで歌われていました。宇田博の母校となった、一高、東大から徐々に広まっていったという説が有力です。
 ある時敏腕歌謡曲プロデューサーがこの歌を発見し、小林旭に歌わせたところ、昭和36年秋以降の大ヒットとなったのです。
 その折り作詞者捜しが行われ、宇田自身の名乗り出と、友人の一人が持っていた写しが決め手となって「作詞、作曲:宇田博」が確定したという経緯があったようです。

【追記】
 肝心のフォレスタコーラスについて述べるスペースがあまりなくなってしました。
 男声フォレスタ6人(右から、大野隆、川村章仁、今井俊輔、榛葉樹人、横山慎吾、澤田薫)による堂々のコーラスです。大変珍しいことに始めから終わりまでピアノ伴奏なしのアカペラです。
 男声陣は「声という最も基本的な楽器」だけを頼りに、この難しいコーラス法に果敢に取り組んでいます。
 結果、アカペラであることによってかえって、この歌の、北へと追放されて行かんとする落魄の悲愴調を重厚に表現し得たと思われます。

 二木先生は、「小林旭の歌はちょっと違うんじゃないか」と感想を述べておられます。日活映画「渡り鳥シリーズ」の印象が強すぎて、小林旭が歌うと「流れ者のさすらい歌」のようになってしまうというのです。(ただし、宇田博自身は小林旭の歌が大変気に入り、「オレが死んだら、お経も何もいらない、この歌を流してくれ」と、親族や友人たちに言っていたそうです。)
 その点男声フォレスタ6人によるコーラスでは、原曲のもつ「知的無頼を気取る青年の挫折のようなもの」(二木先生の表現)が、見事に再現されていると思われるのです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『少年時代のトリックスター』
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『私は「山形へ帰りたい」か?』
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『フォレスタコーラス』カテゴリー
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私は「山形へ帰りたい」か?

 少し前、当ブログのアクセス状況をたどっていましたら、『あれっ?』と思うような検索フレーズが目に飛び込んできました。それは、

   「山形へ帰りたい 大場光太郎」

というフレーズです。

 この検索フレーズで『フォレスタコーラス』カテゴリーを訪問されたのは山形の人です。なぜ「山形」と分かるのか?
 多分ココログブログだけではなく、ヤフーやアメーバなど他のブログでも同じだと思いますが、各ブログにはアクセス解析機能があり、訪問した方のIDナンバー、訪問時刻、訪問先記事など必要最低限のデータがブログ管理者に分かるようになっています。

 そして訪問者によっては、居住している都道府県名が表示されることがあるのです。それによって、「あっ、北海道の人だ」「おやまあ、遥々沖縄から…」「おっ、珍しいことに徳島の人だ」などと思いながらチェックできる楽しみがあるわけです。
 仔細に確かめたことはありませんが、ユニークアクセス(純訪問者)の半数以上は都道府県名表示がされているのではないでしょうか。

 上記検索フレーズでご訪問の山形の人の件は、考えてみれば少し奇妙です。『フォレスタコーラス』の中には、特別私が出身県である山形県への望郷の想いを吐露した記事はなかったはずですから。
 強いて挙げれば、『フォレスタの「赤い夕陽の故郷」』の中で、子供の頃「山形県内陸部の田舎町」に住んでいたと述べ、またラストで、

 私が特にグッと来るのは、澤田さんが歌っている3番です。私の「おふくろさん」は既にこの世に無く、今は遠い故郷の土の下です。

と述べた一文くらいです。どうもこの人は、以前この記事を読んで、ということではないようなのです。

 そこで私が考えたのには、おそらく山形のこの人は音楽サイト『二木紘三のうた物語』のファンで、同サイトの各曲の中で、以前の私のコメントをお読みになり興味を持たれたのではないだろうか?ということです。
 確かに『二木うた物語』には、さまざまな曲で故郷の思い出、望郷の想いを述べさせていただきました。思い出すだけでも、『帰ろかな』『里の秋』『赤んぼ』『谷間のともしび』『赤い靴』『母さんの歌』『北帰行』『故郷を離るる歌』『スワニー川』など。
 その中で出身地をアピールするため、「山形県」「宮内町」「太郎村」などという実際の地名をどんどん出しています。

 そこからその人は「山形県出身の大場光太郎」なる者に興味をお持ちになった。しかし2008年に大場のコメントは集中していて、それ以後はバッタリだ。(実際はその後「Lemuria」というHNで2009年冬頃までコメントしている。)
 そこで「大場はその後どこで何をしてるんだ?」となりネット検索してみた、ということなのではないでしょうか。

 「山形へ帰りたい 大場光太郎」
 これに対する私の答えは、「帰りたい、でも帰れない」です。

 『故郷を離るる歌』で述べましたが、高校卒業間もない昭和43年3月10日夜、私は郷里町の駅から夜汽車に乗って当地(厚木市)へと向かいました。一人で汽車を待つ間、私は駅周辺に斑(はだ)らに残る雪を見たりしながら、
 『この町に住むことはもう二度とないんだろうな』
という想いがふとよぎったのです。

 その後首都圏周縁部の当地に居住して、“どこの馬の骨”とも知れない不如意な生活をずっと続けてきました。今に至るもそれは変わっていないと思っています。
  ♪ 志を果てして いつの日にか帰らん
 私とて「故郷に錦を」という想いが、心のどこかにあることはあります。そこで、一時帰郷ならともかく、こんな状態で「故郷にUターン」など出来るものではありません。(実際30代半ば頃、「今なら安い物件があるから帰って来い」という田舎の親戚の申し出を断ったことがあります。)

 それに『二木紘三のうた物語』の『帰ろかな』コメントでも述べたことですがー。
 私がかつて住んでいた宮内町(現・南陽市宮内)の町並みは、私が離郷して40余年、あまりにも大きく変貌してしまいました。
 たまに帰郷してみると、まるで他所の土地に来たような違和感を感じ、言い知れぬ寂しさ、虚しさに襲われるのです。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  よしや
  うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとおもひ涙ぐむ
  そのこころもて
  遠きみやこにかへらばや
  遠きみやこにかへらばや
     
   (室生犀星『ふるさとは遠きにありて』)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタの「赤い夕陽の故郷」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-6d8d.html
『故郷を離るる歌』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-d5d3.html

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秋の字に永久に棲む火

                  三橋 敏雄

  秋の字に永久(とわ)に棲む火やきのこぐも

…… * …… * …… * …… * …… * ……

 三橋敏雄(みつはし・としお) 大正9年、八王子市生まれ。実践商業学校卒。昭和10年、当時の新興俳句運動に共鳴して作句開始。渡辺白泉、西東三鬼に師事し、当初より無季俳句を推進。「風」を経て「京大俳句」に参加、弾圧に遭う。戦後「断崖」「天狼」「面」「俳句評論」同人。42年第14回現代俳句協会賞、平成元年飯田蛇笏賞受賞。『三橋敏雄全句集』(平成3年刊)がある。平成13年12月1日没。 (講談社学術文庫、平井照敏編『現代の俳句』など)

《私の鑑賞ノート》
 つい最近、余った時間に『角川版-季語・用語必携』をパラパラめくって拾い読みしていました。この本の両端に先人たちの秀句が載っています。それらを見るともなしに見ていて、ハッとなった句がこの句です。

 「秋の字に永久に棲む火や」。意表を衝いた表現です。というより、初めは何を意味しているのかピンと来ないほどでした。
 二、三度たどってみて、なるほど「秋」という字の右は紛れもなく「火」であるわけです。私たちが秋という漢字を使い続けるかぎり、火もついて回ります。
 しかし、今の今まで気がつかなかったなぁ。

 意外な盲点というべきかもしれません。秋といえば「秋色」「秋思」など、物思うロマンチックな連想が働き、「秋の字にある火」などつい見逃しがちです。
 それにしても。炎帝(夏の季語)が領する燃えるような夏には火がなく、なぜ秋にはあるのか。春夏秋冬などの漢字を生み出したのは古代中国です。漢字は表意文字ですから、ほとんどの漢字には深い謂れがあるものです。だから「秋に永久に棲む火」にも、しかるべき根拠があったのでしょうが…。

 そして結句の「きのこぐも」。
 その時私の頭はよほどボンヤリしていたようです。『きのこぐもって何だっけ?』と思ってしまったのです。秋の雲としてはうろこ雲、すじ雲くらいは知っていたけれど、「きのこぐも」なんてあったか?あまり聞かない雲の名だぞ。

 私の関心はすぐに別のところに向かい、ほどなくこの句からもこの本からも離れました。しかし妙にひっかかる句ではあったようです。
 次の日の昼頃、ある所で広く開けた南の空を眺めていました。晴れてはいても雲が多く、うろこ雲くずれのような雲がいっぱい広がっています。とっさに「きのこぐも」のことが思い浮かび、『あっ、そうだった !』と、ようやく思い出したのです。

 きのこぐもとは、「原子爆弾による雲」のことではないですか。もちろんそれを思い出したからには、広島原爆の際のあのきのこ雲も、現前にしている南空の雲に重なるように、まざまざとイメージとして脳裏に蘇えってきました。
 
 「きのこぐも」が分かったことによって、「秋の字に永久に棲む火や」で三橋敏雄が言わんとしているものも何となく分かってきました。この火は原子爆弾の暗喩なのではないでしょうか。昨年6月の『「プロメテウスの火」と原子力』でみたとおり、「原子爆弾は火」に違いないのですから。

 広島への原爆投下は昭和20年8月6日、暦の上でのちょうど立秋にあたります。また続く長崎への投下は同年8月9日。両方とも暦の上の初秋の候にあたり、「広島原爆忌」「長崎原爆忌」はいずれも秋の季語なのです。

 広島、長崎への原爆投下は、原子爆弾の人類初の使用となりました。原爆がいかに恐ろしい破壊力を有するものか。広島、長崎の町が広範囲に壊滅し、一瞬にして数万人もの人が亡くなるほどの凄まじさです。その後、白血病などの後遺症に苦しみながら亡くなった人も数知れません。

 原子爆弾、核兵器こそは、人類が作り出した究極の「業(ごう)兵器」です。「秋の字に永久に棲む火」のように、「ヒロシマ、ナガサキ」は人類最大の業行為の行われた地として永遠に残り続けることでしょう。
 「きのこぐも」の忌まわしい姿を忘れ去り風化させてはいけない、とこの句をとおして三橋敏雄は訴えているようです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『「プロメテウスの火」と原子力』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat30301552/index.html

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叙情歌とは何か(4)

歌における、喜早流「縦割り分類法」「横割り分類法」

 一概に「歌」とは言ってもさまざまな種類があります。一般的によく聞かれるのは、
 <クラシック><オペラ><軍歌><演歌><唱歌><童謡>などです。
 さらに分けるとすると、<歌曲><歌謡曲><ラジオ歌謡><フォークソング><軽音楽><Jポップ>などもあります。

 他にもさまざまな呼び方があるかもしれませんが、(「ダークダックス」メンバーの一人の)喜早哲(きそう・てつ)氏は、このように歌をジャンル別に分ける分類法を「縦割り分類法」と名づけています。
 喜早氏は、「縦割り」があるからには「横割り分類法もあるはず」として、それこそが「叙情歌だ」というのです。ジャンル別に割った中の軍歌にも童謡にも演歌にも叙情歌はあることになるわけです。

 つまりさまざまなジャンルの歌の中で、前回までみてきた“叙情歌の定義”である「美しい詩」「それにふさわしいメロディ」のついた作品ならば、どの曲をも叙情歌と呼ぶことができるのです。

 かつての音楽教科書でおなじみで、日本の音楽界の重鎮だった堀内敬三という人がいました。この人が「叙情歌の例」として次のような曲をあげているそうです。

  『旅愁』『アラビアの歌』                           (外国曲)
  『故郷』                                     (唱歌)
  『戦友』『麦と兵隊』                              (軍歌)
  『赤とんぼ』                                  (童謡)
  『荒城の月』『宵待草』『浜辺の歌』『城ヶ島の雨』『雪の降る街を』  (歌曲)
  『ゴンドラの唄』                                (劇中歌)
  『波浮の港』                                  (新民謡)
  『椰子の実』                                  (ラジオ歌謡)
  『人生劇場』『知床旅情』                           (歌謡曲)
    
 上記各曲の右()内は、喜早哲氏の分類によるものですが、こうしてみると堀内敬三が叙情歌として挙げた曲目はあらゆるジャンルから選ばれていることが分かります。
 これらの曲はほんの一例というべきで、そのほかにも数多くの曲が叙情歌に入ってくるはずです。

叙情歌の演奏家、歌い手に喜早氏が望むこと

 叙情歌を演奏したり歌ったりする場合、演奏家や歌手の問題が別に生じてきます。
 マズイ例もずい分見てきた喜早哲氏は、(希望も込めて)叙情歌の演奏家や歌手は、「まず叙情の何たるかを理解できる、暖かく優しい心の持ち主であってほしい」と述べています。
 その上で「花を愛(め)で、月に哀れを感じ、素晴らしい芸術を、胸一杯に染み込ませることのできる感受性が大切です」というのです。いわゆる“ガサツ”な心では叙情歌は歌えないということです。

 さらに喜早氏は、プロの演奏家や歌手に向かってでしょうが、「歌の内容をしっかり把握することはいうまでもなく、できれば、その歌がつくられた背景まで知ってほしいのです」と、厳しい注文をつけています。
 例えばとして『さくら貝の歌』を例にとり、この歌を作曲した八洲秀章の悲恋が歌の背景にあることを述べています。(詳細は『フォレスタの「さくら貝の歌」』を公開する機会があればその時に。)

 このように、名叙情歌と言われる歌には、作詞家・作曲家それぞれに深い想いがあったはずです。ですから、できればそこまで掘り下げて、その歌に秘められた心を十分に噛みしめてから演奏なり歌うことが必要だ、と訴えるのです。

 そして歌手の場合大切なのは「歌唱力」です。いくら心の準備が整っていても、それを表現する力なりテクニックなりがなければどうしようもないわけです。
 これには「声の質」も加味されてきますが、まるで応援歌を歌うような調子で歌ったのでは、どんな素晴らしい叙情歌も台無しです。あくまで「叙情」の根本である「リリック(叙情詩)」を見失ってはいけないということです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『名曲-所感、所見』カテゴリー(『叙情歌とは何か(1)~(3)を収録』)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat30301552/index.html

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67回目の終戦記念日に

 8月15日「終戦記念日」。2008年のブログ開設以来、唯一この日だけは毎年所感を述べてきました。あらためて「平和の尊さ」を再認識するためにも、5回目となる今年もそうしようと思います。

 それにしても1945年(昭和20年)8月15日。もう67年も昔のことです。毎度言うことですが、この一文を記している私自身まだ生まれていませんでした。
 仮にこの日生まれた人は満67歳となるわけですが、当然ながら「戦争の記憶」などあるはずがありません。この日10歳だった人は現在77歳、当時「小国民」と言われた小学生ですから、戦時中の空気は敏感に感じ取っていたとしても、(空襲、広島・長崎の方は別として)戦争の生の実態に接することはあまりなかったことでしょう。

 現在87歳の人なら当時20歳です。2年ほど前のNHKの感動ドラマ『15歳の志願兵』がつい最近再放送されたようですが、徴兵による各戦地での転戦、内地での勤労奉仕など、この世代に至ってようやく生の戦争の現実と向き合っていたといえます。
 このように現在85歳以上のご高齢の方でなければ、戦争を真の意味でリアルに体験したとはいえないところがあります。このような方々こそが貴重な戦争体験の“語り部”であるはずですが、全人口に占める比率はわずか2%未満です。
 戦争の本当の恐ろしさや悲惨さなどよく知らない国民が98%にも上っている、ということになるのです。

 それでも私が子供だった昭和30年代半ば頃は、戦争を想起させられるような人や事物を目にしたり、戦争の悲惨さを伝え「平和の尊さ」を訴える先生がいました。
 たとえば中学1年時(昭和37年)の担任だったТ先生。この先生は国語の授業で、同じ文庫本を生徒全員に配り、先生自らが何授業もかけて初めから終わりまで音読してくれたのです。そうして自動的に読了することとなった『ビルマの竪琴』や『二十四の瞳』など。
 戦争の悲惨さを描ききったそれらの名作の影響は深く、今に至るも「平和の尊さ」が私の心にしっかりと息づいているのです。

 問題は今の各界の指導者群です。日本全体の舵取り役である野田佳彦首相がそうであるように、私ら団塊の世代より10歳ほど若い、50代前半が社会各分野の主導権を握り始めています。
 彼らは昭和40年代に、人格形成上もっとも重要と考えられる小・中学時代を送っています。その頃には高度経済成長が離陸し、街の中に戦争を想起させる事物はほとんど消えてしまっていました。戦争そのもの、戦争体験の風化に拍車がかかっていったのです。

 また60年安保闘争を経て発効した新日米安保条約は一層強固なものになり、今日に至る日米軍事同盟の基礎がしっかり形成されつつありました。また当時は今では考えられないほど「自衛隊は違憲か合憲か」、与野党間で侃々諤々の議論が交わされたものの結論を得ないまま存続し、防衛予算がどんどん肥大化し続けました。
 現日本国憲法の軽視、形骸化がその頃から進んでいったのです。それに伴って、「平和の尊さ」を熱意を込めて教える教師も少なくなっていったことは容易に推察できます。

 その結果、野田佳彦世代の中で「先の戦争は自尊自衛のやむを得ざる戦争だった」とする「太平洋戦争肯定論」、果ては「核保有論」を主張する連中が存在するのです。
 いつの時代もこういう連中が一番恐いのです。生の戦争の悲惨さを思い描く想像力を欠き、戦争を観念的にいじくり回し、時に美化し、「同じ過ちを繰り返し」かねないからです。

 先に挙げた80代後半の本当の意味で戦争を体験した人たちは、口をそろえて「あんなヒドイ戦争、もう二度としちゃダメだ」といいます。
 しかし戦争の何たるかを知らない若い世代は違うのです。変なナショナリズムに凝り固まり、「時と場合によっては戦争もやむを得ない」と腹の中では考えているのです。それが証拠に、国民の意見を集約することなく、日本を一気に大変な危機に陥れかねない「集団的自衛権行使容認」の報告書が野田政権下でまとめられたではありませんか。世界のどこででも米軍と一体化した軍事行動が可能となる、集団的自衛権を既成事実化するためのプロセスが着実に進行中なのです。

 それでなくても国民無視の政治状況がどんどん進行しています。直近の大悪法・消費増税法案が成立したように、議会制民主主義否定の民自公談合政治、それをまったく批判せずむしろ翼賛報道するだけの新聞・テレビ…。消費増税のみならず、ТPP推進、オスプレイ配備、原発再稼動すべてがこの調子です。近い将来「憲法改悪」もシャンシャンでしょう。
 忌まわしい時代を思い返しませんか?「戦前、戦時中と今の状況が酷似している」と指摘する識者は多いのです。

 「同じ事二度くり返す仕組みざぞ。この事よく腹に入れておいて下されよ。同じ事二度」(昭和21年8月2日『日月神示』)

 気がついたら「この道はいつか来た道」とならぬよう。私たち国民一人一人がよほどしっかり目を覚まして、危険な兆候の芽を未然に摘み取るくらいでないといけないのですが。多くの国民が「悪の仕組み」に騙されていて…。

 (大場光太郎・記)

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『66回目の終戦記念日に』(昭和天皇の実像、その戦争責任、ヨハンセングループ等)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-4b5e.html
『65回目の終戦記念日に』(子供の頃、夏祭りで見かけた戦争にまつわる思い出等)
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『64回目の終戦記念日に』(「終結時点」を決めずに始めた戦争、現在の虚無的風景)http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-be7c.html
『終戦記念日に思うこと』(戦闘員・非戦闘員合わせて310万人もの戦争犠牲者数等)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_1b11.html
『ドラマ「15歳の志願兵」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-19b5.html

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吉田静さん、「プライベートレッスン」開始 !

-日頃「吉田静ファン」を自認している私からも、以下にご紹介させていただきます-

 先ずは、吉田静さんのブログ『メッツォ・ソプラノ吉田静のビタミンCちゃん日記』(8月10日)の「ご案内」を転載させていただきます。

                        *
                        
☆プライベート(個人)レッスン開始のご案内☆

2012年08月10日
テーマ:

みなさまこんにちはスマイル


今年に入ってから、

自分に出来る何か新しいことを始めたいとずっと考えておりましたカエル


そこでプライベート(個人)レッスン(ピアノ伴奏付き)を

開始することが決定いたしましたのでお知らせさせていただきます音符


場所は東京都内になります地球


歌が大好きで本格的に歌を習いたい方、

歌が得意ではないけれど歌が大好きという方などなど、

歌がお好きな方でしたらどなたでもOKですおんぷ

もちろん年齢や性別も問いませんカップルきらーん


日本歌曲や唱歌や昭和の名曲などの日本の歌から、

ミュージカルソングやクラシックなどの外国の音楽まで、

私と一緒にマンツーマンで楽しみなから歌をうたいませんか?


レッスンは1回ずつの更新で1回のみでも大歓迎ですひらめき

お日にちはもちろん、

お時間も午前中から深夜までご相談いただけますくもとにじ


ご興味がおありでしたら、


shizuka.yoshida.0501@hotmail.co.jp


上記のアドレスまで詳細をお気軽にお問い合わせくださいませメール


みなさまからのご連絡お待ちしておりますハート


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆

   (以下省略)
                        *
【私からも一言、二言】
 女声フォレスタの一員である吉田静さんが、新しい試みをスタートさせようしています。吉田さんご自身による「プライベートレッスン」。 何と画期的ではないでしょうか !
 普段はテレビ画面やコンサート会場でしかお目にかかれない吉田静さんが、一人ひとりにマンツーマンで歌のレッスンをしてくださる、というのですから。

 音楽でも絵画でもバレエでも各スポーツでも…。ある特定分野について一流の技術を習得しようとするのなら、その道の最高の指導者から直接教わるに限ります。
 その点吉田静さんは、女声フォレスタの代表曲の一つといっていい『別れのブルース』独唱をはじめ、『フランチェスカの鐘』『異邦人』『桑港のチャイナ街』などの独唱によって、歌手としての力量と実力は既に折り紙つきです。

 吉田静さんは静岡県浜北市(現浜松市)のご出身ですが、ご自身が歌を習い始めたのは小学校1年生の時からだそうです。その時の担任だった男の先生の勧めによるものだそうです。フォレスタメンバーの中で、最も長い歌唱歴なのではないでしょうか。
 さらに吉田さんは武蔵野音楽大学大学院(声楽科)修了です。歌唱の基礎から声楽理論まで申し分ないキャリアといえます。

 吉田静さんは優しいお人柄のようですし、その上意外と「教え好き」「教え上手」なのかもしれません。教わる人間の隠された才能を引き出すには、教える側の愛情や情熱が欠かせません。その点でも「吉田静先生なら !」と思われるのです。

 首都圏にお住まいで「私も、オレも…」とお考えのフォレスタファンの方はもとより。
 特に、「この子の“歌の才能”をもっと大きく伸ばしてあげたい」とお思いの子供さんが近親や身近なところにおられましたら、是非吉田先生のプライベートレッスン教室に通わせてみてはいかがでしょうか。(単なる一ファンが言うのも何ですが)口コミでのPRも是非お願い致します。
 吉田静先生の指導のもと、「第二、第三の吉田静」が育っていくことを心待ちにしたいと思います。

 とは言え、「吉田静の前に吉田静なく、吉田静の後に吉田静なし」。吉田さんご自身の歌手としての活動のステージも今後さらに大きく広がることをお祈りしつつ、本紹介文を終えさせていただきます。  (大場光太郎・記)


吉田静さん関連記事
『美しすぎるフォレスタ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-1920.html
『フォレスタの「汽車・三部作」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-e894.html

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平山三紀「真夏の出来事」

-久しぶりに聴いても熱いものがこみ上げてくる、鮮烈な我が青春ソングの一つ-

  (この歌のYouTube動画は、著作権侵害により削除されました。)
    



 私を含めた“団塊の世代”やその前後の世代の人たちにとっては、何とも懐かしい青春ソングなのではないでしょうか。この歌が発表されたのは昭和46年のこと。歌ったのは当時新人歌手だった平山三紀(現在は「平山みき」と改名)。歌自体の良さに加え、平山の鼻にかかったハスキーな歌声が強烈なインパクトを与えました。
 当初この歌は、デビューしたての平山三紀にとって2枚目となるシングルレコードのB面の曲にすぎなかったようです。しかし発売とともにこの歌がバカ受けし、オリコンヒットチャート5位という大ヒットとなりました。

 今聴いても平山三紀の歌声は十分「個性的だ」と感じられます。ハスキーボイスで、小悪魔的でちょっぴりプレイガール風な歌い方で…。その上、この歌の動画である人は次のようにコメントしています。

間違いない、名曲です。こんなエロイ歌声が通用していた時代って­一体・・・。昭和って最高な時代でした、ってことを再確認しまし­た。(引用終わり)

 なるほど「エロイ」ねぇ。言われてみれば確かに。今日“セクシーさ”は人にとって重要なアピール要素です。だから「エロイ」は立派なホメ言葉、これ以上ない賛辞なのかもしれません。

 冒頭掲げたシングルレコードジャケットでも分かるとおり、平山三紀はなかなかの美形でした。私などは当時、この歌のヒロインとして、歌った平山自身をイメージしながら聴いたものです。
 余談ながら。その大人びた雰囲気から、平山三紀は(当時22歳だった)私などより年上なのだろうと思っていました。しかし今回調べたところ、彼女は私と同じ1949年(東京都大田区)生まれ。中勘助『銀の匙』の言葉を援用させてもらえば、しかも彼女は私より「年弱(としよわ)」(何ヶ月か遅い)の8月生まれだったのです。

 「♪彼の車に乗って~」と、軽快なアップテンポの歌い出し。何とも心にくい出だしです。「筒美京平は偉大でしたね」というコメントがありましたが、本当にこの歌のメロディは素晴らしい !
 いわゆる彼と彼女の夜のドライブ。ならば行き先は、(当時お決まりのドライブコースになりかけていた)湘南の海かと思いきや。何と、着いた先は「さいはての町」。
 結末の伏線のように、「悲しい出来事が 起こらないように 祈りの気持ちをこめて ……」。

 一つ一つのフレーズが、歯切れ良いセンテンスで。橋本淳によるこの歌の歌詞、コクのある一編の短編小説のようです。

 歌のタイトルの『真夏の出来事』。この歌が発表された(今から40年余前の)昭和40年代半ばは、高度経済成長が離陸し、さらに上昇すべく唸りを上げていた時代でした。ОNを擁する巨人軍がV9目指して驀進中だったことが端的に示すように、良くも悪しくも、世の中全体にエネルギーと活気が満ち溢れていました。
 戦後日本を“四季のサイクル”になぞらえるとするなら、昭和40年代半ばこそは、戦後日本にとっての「真夏の時代」だったように思われるのです。

 「世は歌につれ、歌は世につれ」と言われるけれど。この歌のタイトルも歌詞の内容も、何と予言的な歌だったのだろうか。当時誰もが輝かしい「湘南の海」を目指していたはずなのに、今日たどり着いてみれば実は冷たい「さいはての海」だった…。

 この歌は今のJポップの先駆けのようでもあります。今リバイバルで誰かが歌ったとしても、あまり違和感なく若者たちに受け入れられるのではないでしょうか。ただ平山三紀の個性的な歌い方だけは、誰にも真似できないことでしょうが。
 確かにこの歌は、戦後昭和の「隠れた名曲」といってよさそうです。

 (大場光太郎・記)

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不信任騒動の勝者は誰か

 -3党談合政治をヨイショする大新聞が伝えないことを『日刊ゲンダイ』紙が伝える-

不信任騒動 小沢の勝ち 民主、自民は大きな痛手

 やはり、日本の政局の中心は、いつだってこの男だ。腰砕けに終わった不信任騒ぎだが、「国民の生活が第一」の小沢代表に対しては、「さすが」と驚嘆する声が集まっている。

自分は表に出ず電工石火の政局を仕掛けた手腕

 
回り回って「3党合意」でシャンシャンー。今回の不信任騒動は、結局のところ元の木阿弥で、何も動かなかったように見えるが、「そうではない」と政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏がこう指摘する。

 「次の選挙は、間違いなく『談合既成政党VS改革政党』の戦いになります。今回の不信任案では、民主・自民・公明の談合3党と、その他の野党との対決構造が鮮明になった。と同時に、野党7党が協力し、中小政党の連携の芽が生まれたという成果もあります。オリーブの木構想の一端です。今回の政局を仕掛けたのは、間違いなく小沢さんですが、うまいのは、火をつけてスッと身を引いたところ。あとは自ら表に出なくても、勝手に政局が動き出したのです」

 実際、民主党の中でも「小沢ひとりに振り回された」「小沢にはかなわない」という声が上がっている。

次の選挙を見据えた一手

 「お盆前、しかもオリンピック期間中と完全にたるんでいたところに、降って湧いたような不信任政局。中小野党が共同で不信任案を提出するというので、自民党も不信任を出さざるを得ないような状況に追い込まれた。消費税増税法案はアッサリ成立すると踏んでいたのに、民主・自民は大きく揺さぶられ、一時は亀裂が入った。国民に醜態をさらしてしまった。このタイミングが絶妙なのは、どちらに転んでも小沢新党に損はないことです。不信任が可決されれば野田内閣を追い込める。否決でも、自民党を追い込むことができる。民主党も自民党もバタバタしている間、高みの見物を決め込んでいた。さすがの手腕だと、党内でも話題になりました」(民主党中堅議員)

 小沢が代表を務める「国民の生活が第一」の幹部も、「増税談合勢力の醜悪な実態をあぶり出すことができ、戦いやすくなった」「国民も3党合意のデタラメが分かったはずだ」と次の選挙に自信を見せる。

 「現役の政治家の中で、小沢さんは『解散』を知り尽くしている数少ない人物。法案を通すためにどうするかという通常の国対とは別次元で政局を組み立てることができる。この不信任騒動によって、今後は解散をめぐる攻防になります。またしても離党者を出した民主党は溶解が止まらず、解散から逃げ回ろうと防戦一方になる。自民党も不信任カードを封じられ、3党合意に縛られて身動きが取れなくなった。今回の不信任案はジワジワ効いてくるジャブみたいなもので、小沢さんにしてみれば、まだまだ階段を上る途中でしょうが、今回の政局は大成功。不信任案は否決されても、目的を達した小沢さんの勝利です」(鈴木哲夫氏=前出)

 小沢の手のひらの上で、民主も自民も右往左往。役者が違うということだ。  (転載終わり)

引用
『日刊ゲンダイ』(8月11日3面)

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韓国大統領、竹島に上陸

 -すべては菅政権下の尖閣諸島・中国漁船衝突事件収束の不手際にあり-

写真:二つの小島と数十の岩礁からなる竹島=2007年、ロイター
拡大
二つの小島と数十の岩礁からなる竹島=2007年、ロイター

図:竹島周辺の地図拡大
竹島周辺の地図

 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が10日午後、日韓がともに領有権を主張する竹島(韓国名・独島〈トクト〉)に上陸した。現役大統領の竹島訪問は初めて。日本政府は中止を求めていたが、訪問の強行で、日韓関係が急速に悪化するのは必至だ。

 関係者によると、李大統領は同日午前、ソウルから竹島の西方約90キロにある鬱陵島(ウルルンド)に到着。昼食をとった後、午後に竹島に向かった。文化体育観光相、環境相らも同行しているとみられる。

 日本軍慰安婦問題などをめぐって停滞している日韓の溝がさらに深まることは避けられない。軍事情報包括保護協定(GSOMIA)や経済連携協定(EPA)をめぐる日韓間の協議は当面望めなくなり、次期政権の対日政策にも影響を与えそうだ。

 李大統領の任期は来年2月までで、すでに求心力を失っている。この時期の訪問を決めたのは、歴史問題で積もった日本側への不信感に加え、大統領の周辺に金銭絡みの不祥事が相次いでいることも影響しているとみられる。大統領府内や側近からは、日本の植民地支配からの解放を祝う8月15日の前に、大統領が竹島を訪問すべきだとの声が今年初めごろから出ていた。(ソウル=箱田哲也)

   ◇

 韓国の李明博大統領が竹島に約1時間半滞在し、同島を後にした。  


※記事と画像は『朝日新聞デジタル』より転載。
http://www.asahi.com/international/update/0810/TKY201208100228.html

【私のコメント】
 四方を海に囲まれた我が国は、近隣国との微妙かつ深刻な領土問題を抱えています。今回問題の竹島もそのうちの一つです。同島を韓国では独島(トクト)と呼称しているとおり、韓国側も自国の領土と主張して譲らないのです。

 思えば一昨年秋の尖閣諸島沖における中国漁船衝突事件以来、現民主政権下の我が国の弱腰外交を近隣諸国からすっかり見透かされてしまっています。前原誠司国交相(当時)の指令の下、勇ましく中国漁船船長を逮捕したはいいけれど。中国政府の猛抗議にオロオロたじたじ、起訴もせず同船長を釈放するという“国際的赤っ恥”をかいたのでした。
 日本外交の足元を見たロシア政府は、それ以降ネドベージェフ大統領(当時)をはじめとした政府要人が次々に北方領土を訪問しました。またロシアは近年、北方領土を極東における軍事基地化すべく急ピッチで整備を進めています。

 上の朝日記事にもあるとおり、韓国には韓国なりの国内事情があるにせよ、今回の李明博大統領の竹島上陸はそういう流れの中で起きた出来事といえそうです。

 現実の国際関係、外交問題はキレイ事では済まされません。韓国がそういう対応に出ることは事前通告で分かっていたわけですから、我が国としても間髪を入れず野田首相が竹島を訪問し、同島で「竹島は我が国固有の領土である」と国際社会に向かってアピールするくらいの対応をしてもよかったのではないでしょうか。 
 玄葉外相が「(李大統領の竹島訪問は)我が国の立場と相容れない」などと抗議してみたところで、相手さんは何の痛痒も感じないことでしょう。

 ましてや森本敏防衛相の「韓国の内政上の要請によるものという印象を持っている。他の国の内政にほかの国がとやかくコメントするのは控えるべきだ」との見解に至っては何をか言わんや。この民間大臣になってから、オスプレイ配備問題や集団自衛権容認などきな臭い動きが急ですが、この問題ではえらく及び腰です。
 我が国の“軍拡路線”を懸念する声が高まっている韓国を、これ以上刺激したくないという防衛省の配慮なのかもしれませんが、この発言は「竹島問題 = 韓国の内政問題 = 竹島は韓国領土と認める」とも受け取られかねません。

 森本大臣は「そのような趣旨で言ったのではない」と釈明していますが、いかにも不用意な発言です。与党の国民新党からでさえ「森本防衛相には辞任してもらった方がいい」(下地幹事長)という辞任要求が挙がっているくらいです。
 自民党はすかさず、同防衛相への問責決議案の提出を検討する考えを示しています。
 ところで「だすだす詐欺」の谷垣自民党さん。「出す出す」と息巻いていた、肝心の内閣不信任案提出はどうなっちゃったの?  (大場光太郎・記)

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読者とのやり取りから

-多くの国民が抱く小沢氏への悪感情はマスコミの人格破壊キャンペーンの成果だ-

 こんな事を言うと世の良識ある方々の顰蹙を買うかもしれませんが、はっきり言って私は大の「政局好き」です。今回は特にそうです。消費増税、原発再稼動、オスプレイ配備、ТPP推進、集団自衛権容認…。国民の多くが望まない方向にこの国を持っていこうとしている野田政権を、終わりに出来るかもしれないのですから。

 あれほどのろまだった谷垣自民党も、遂に重い腰を上げざるを得なくなったようです。民主の8日増税法案採決の提案を蹴って、7日にも単独で不信任案を出す腹をようやく固めたようです。
 他の野党7党による「きつつき戦法」大成功という図式です。先に不信任案提出の構えを見せたことによって、まんまと自民が山を降りて川中島におびき寄せられた格好です。何やら、直前の『内閣不信任案可決が見えてきた !?』(正・続)で紹介した『日刊ゲンダイ』記事の予測通りの展開になりそうな気配です。

 後は権力亡者の野田佳彦&現民主執行部が、この窮地にどう対処するかです。今頃雁首そろえて、政権延命のための善後策を必死で模索している最中でしょう。と言っても、野田執行部の中でまあまあ知恵(悪智恵)が回るのは仙谷由人くらいなもの。内閣総辞職か民主惨敗必至の解散・総選挙か、二つに一つ。これを回避するため、仙谷軍師の計略やいかに。さだめし見ものです。

 さてこの重要な「政局週間」当職(私)は業務に追われ、残念ながら記事更新がままならないかもしれません。今回も私の文はこれくらいにするしかありません。そこで以下に、『内閣不信任案可決が見えてきた !?』の読者の方とのコメントのやり取りを転載したいと思います。
 テーマは「小沢一郎をどう思うか」ということです。「小沢嫌い」の方には、特にお読みいただきたいと思います。 (大場光太郎・記)

                        *

この間NHKの国会中継を見ていてあの安住財務大臣が五大新聞の世論調査では国民の過半数以上が消費増税に賛成していると言ってました。
  こんな大臣いるんだな~と感心してしまいました。
大方のメディアは明らかに誘導しています。 日本のメディアは全く信用できません。右から左全て小沢一郎を潰そうとしています。 と言うかそう感じられます。
一個人を長年にわたり追い詰める。 今回の陸山会事件での検察の証拠捏造を見れば明らかです。 そもそもこの事件では自民党議員の元首相、引退議員他多数の議員が献金を受けていました。 それら当初は報道されましたが(小さく!)その顛末は返金して終わり。
こんな不公平な操作がありますか。 本題ではないかもしれませんがあまりにも偏った報道からはマスコミの事は全く信用できません。 疑ってかからないといけません。

投稿: ecnarfjp | 2012年8月 6日 (月) 16時25分

ecnarfip様
 あゝそういえば、我が国の財務相は安住某だったのですね。あまりにも役立たずで影が薄いためつい忘れていました。あんな超軽量級大臣の言うことなど真に受けてはいけません。話半分以下で聞き流すべきです。
 大マスコミを裏でコントロールしている広告代理店の電通は別名「米国代理店」です。五大紙、それが資本投下している民放各テレビ局、NHKなど押して知るべしです。電波法によって各テレビ局に許認可を与えているのは総務省であり、同省に予算配分しているのが財務省…。テレビ業界は霞ヶ関には頭が上がらないのです。それに新聞・テレビはスポンサーである財界の意向も無視できません。かくて日本の大マスコミは「米官業の利益が第一」報道に終始せざるを得ないのです。
 かつて植草一秀氏が命名した、「米官業政電」という悪徳ペンタゴンが支配している我が国の旧構造を根本から改革しようとしているのが小沢一郎です。一連の小沢事件とは悪徳勢力が総かがりで仕掛けた「小沢抹殺」のための謀略なのです。 

投稿: 時遊人 | 2012年8月 6日 (月) 19時46分

 「小沢一郎」どう見ても悪人顔、いや極悪人か。
もう何十年になるだろう、スキャンダルだらけ。
しかしどれも???。 挙句の果ての検察の証拠捏造。 マスコミ、検察、政敵 余程小沢が怖いのであろう。
としか考えられない....。 要するに彼の輩は既得権益を根こそぎもぎ取られるのが余程恐ろしいらしい。それを如実に表しているのが検察の証拠捏造。 ここまでするか!既得権益、これしか考えられません。 他に小沢一郎を抹殺しないといけない理由はありますか? 
1%の支持しかない政党の党首に是非内閣総理大臣をやって貰いたいもんだ!

投稿: ecnarfjp | 2012年8月 6日 (月) 22時07分

 旧勢力の「小沢憎し」の始まりは、1993年の細川連立政権樹立によって自民党が野党に追いやられて以来のことですね。その立役者こそ豪腕・小沢一郎だったわけですからね。
 その極めつけが、小沢氏が代表で政権交代(小沢首相)が見え出した09年3月の西松建設事件以降です。今次の陸山会事件に至るまでの旧勢力総かがりの凄まじい「小沢潰し」を、オランダ人ジャーナリストのウォフォーレン氏は「先進国でも類を見ないほどの『人格破壊キャンペーン』だ」と指摘しています。
 大マスコミの世論調査で小沢支持が極端に低いのは、その成果でもあるのです。これだけ痛めつけられたら、他のどんな有力政治家でもとっくに政治生命が終わっていたはずです。しかし「小沢は死なず、蘇える」。何とも稀有な政治家です。
 この国の「真の再生」のために、小沢一郎に是非首相になって最後の働きをしてもらいたいものです。西松建設事件で、大久保元秘書の冤罪逮捕がなければ党代表辞任は必要なく、同年秋の政権交代では小沢首相になっていたはずなのですから当然の権利なのです。 (時遊人)  (転載終わり)

関連記事
『内閣不信任案可決が見えてきた !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-07cc.html
『続・内閣不信任案可決が見えてきた !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-8e6f.html

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続・内閣不信任案可決が見えてきた !?

 前記事に引き続き『日刊ゲンダイ』記事の転載です。

 とその前に、「小沢の生活が第一」を名乗る人が前記事にコメントを寄せられました。記事内容とは直接関係ない内容ながら、無視できない問題を含んでいます。そこで私の返信も含めて、まずそれを以下に転載してみます。

テレビ局の世論調査によれば、「国民の生活が第一」党の支持率はわずか1%。
これは人気がなく存在価値もない「社民党」の支持率1%と同じ。
小沢一郎にたいする人気がない上、守銭奴の福田衣里子などの小沢ガールズにたいする人気もない。
選挙後は社民党並みの弱小政党になることを望む。

投稿: 小沢の生活が第一 | 2012年8月 4日 (土) 12時06分

 ならばこの際はっきり言わせていただこう。あなたのように、「テレビ局の世論調査が第一」と信じて疑わない大衆を「B層」と言うのである。こういう度し難いマスコミマインドコントロール大衆がいるから、旧勢力は好き勝手が出来るのだ。
 いいかい、よく聞きなさい。テレビ局調査では1%かもしれないが、ネットのヤフー政治投票サイト「みんなの政治」の投票結果では、「国民の生活が第一」への支持率は41%にも跳ね上がるのだ。(有効投票数2982件)
 このあまりにも大きすぎるギャップをどうみるかね?政治的事象の真実を深く知っている、意識レベルの高い「ネット市民」による投票結果こそが、真の民意だととらえるべきなのだ。 (「時遊人」つまり私) (転載終わり)

 記事内容とはまったく関係ない、しかも特定政治家、政党への誹謗・中傷のたぐいなので無条件で削除しようかとも思いました。しかし考え直して反論を試みた結果、つい過激な返信となってしまいました。(補足すれば。大マスコミの世論調査には、世論操作・誘導質問が多分に含まれている。)
 私の立場は以前から鮮明にしてきたつもりです。「小沢一郎抜きでは日本の政治は決して良くならない」。今後の政局で、小沢一郎と「国民の生活が第一」新党がイニシアティヴを握ることを切に願うばかりです。

 それでは、本論である『日刊ゲンダイ』(8月6日3面)記事の転載です。  
(大場光太郎・記)

                        *

不信任案決議はあるのか 消費税は潰れるのか

野党7党が共同提出

 野党7党が7日にも共同で内閣不信任案を出すことで合意した。各党の思惑はともかく、消費増税法案成立前の提出は、一種の「政局」だが、果たしてこの動きは広がるのかどうか。
 焦点は3つだ。まず、自民、公明はどうするのか。

ここで谷垣が裏切ったら野田への批判は自民党へ向かう

 「自民党は、問責だ、不信任案だと騒いできたが、もちろん、ブラフ。増税法案採決をお盆前にさせ、早期解散を約束させるのが狙いです。そうやって野田政権を揺さぶって、来週中に消費増税を確定させ、お盆明けからは、ゆっくり解散政局をつくろうと考えていた。ただ、他の野党7党が不信任案提出を決めてしまったため、状況は変わった。不信任案に反対したら野田を『信任』したことになってしまうから、それはできない。党内では小泉進次郎など若手が3党合意を破棄しろと騒ぎ、それも無視できない。週明けくらいに野田首相がお盆前の採決と早期解散を約束しないと、自民党も提出に乗らざるを得ません」(政治ジャーナリスト)

 その場合、自民党は違う理由で不信任案を提出。それに野党7党が合流することになる。残る公明党はヌエだから、自民党が腹を決めればついていく。
 
民主党内造反派の動きは?

 第2の焦点は、民主党内の造反だ。仮に全野党が足並みそろえて不信任案に賛成しても、可決には15人足りない。そこで鳩山元首相など衆院の消費増税反対組の動きが問題となるのだが、民主党関係者はこう言った。
 「消費増税法案に反対しておいて、今度は野田首相を信任するのは難しい。それに総選挙に向けて、彼らは無所属で戦った方が有利と計算しているから、可決できるなら不信任案に乗る可能性が出てきます」
 ギリギリ、これもクリアしそうだ。

 野田が不信任される光景が迫ってきたのだが、そうなると、消費増税は潰れるのか。これが3番目の焦点だ。

 「来週にも不信任案が可決されたら、衆院解散か内閣総辞職なので、もちろん増税法案は廃案。パーです。それだけに、財務省や大マスコミがそんな状況を許すのか不透明。自公に圧力をかけることは十二分にあります。ただ、いったん廃案になっても自公が政権復帰すれば、増税法案は実現できるし、自公もそのつもりでいる。総選挙をクリアしたというメリットも生まれる。財務省や大マスコミにとって、不信任案可決は目をつむることができる選択肢なのです」(前出のジャーナリスト)

 不信任案可決も、消費増税の廃案も十分に見えてきた。要は、二枚舌のズルいだけの自民党がこの正念場で勝負に出られるかどうかだけだ。ここまで機が熟しながら、谷垣が来週、野田と手打ちして3党合意維持なんてなったら、永久に「裏切り政党」と呼ばれ、増税に反対する6割の批判は自民党に集中する。それだけは覚悟すべきだ。  (転載終わり)

関連記事
『内閣不信任案可決が見えてきた !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-07cc.html

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内閣不信任案可決が見えてきた !?

 -増税法案成立のためだけの国会審議など打ち切り、不信任案を早く提出せよ-

 気がついてみれば、海の向こうではロンドンオリンピックが始まっていたのでした。
 なでしこジャパンが好発進した、同じくサッカー日本男子代表が金メダル候補のスペインを完封した、体操男子の内村航平が28年ぶりとなる個人総合で金メダルを獲得したなど、オリンピック報道は連日大盛り上がりです。

 それに引き換え。消費税増税法案を成立させるべく、通常国会を大幅会期延長した参院審議は低調この上もありません。国民の迷惑などお構いなし、政官業(民自公、財務省、財界)+大マスコミ(+奥の院の米国)という旧勢力がこぞって協賛している増税法案です。
 「どうせ成立するのが分かりきっているんだから、さっさと成立させろよ。国民へのポーズのために、1日数億円もかけてダラダラ審議を続けてるんじゃない !」と、私などは怒り心頭なのでした。

 しかしここにきて増税法案成立に暗雲が漂い始めたようです。と言うことは裏を返せば、消費税増税実施によって一段と負担増を強いられることになる国民にとっては「大朗報」です。
 仮に増税法案不成立という事態になれば、それ以外にも原発再稼動、普天間基地へのオスプレイ配備推進など、今やはっきりと「国民の敵」である野田民主党政権の終焉を意味します。

 前途にわずかながらも、「米官業の利益が第一」の政治から「国民の生活が第一」の政治に本当に転換できる光明が見え出したのです。
 どう言うことか。『日刊ゲンダイ』(8月4日3面)記事を、以下に転載します。       (大場光太郎・記)

                         *

政局一気に緊迫 野田内閣不信任案可決が見えてきたゾ

 
野田官邸は泡を食っているのではないか。民自公の3党合意で「通った」とタカをくくっていた消費税増税法案の雲行きが一気に怪しくなってきたからだ。
 共産、社民、みんなの3党の幹事長はきのう(2日)、「国民の生活が第一」や「新党きずな」に増税法案の採決前の内閣不信任案提出に同調するよう要請。「国民の生活が第一」らは同調する方針を固めた。

自民党、さぁどうする

 これと呼応するように自民党内でも採決を引き延ばしている民主党に対し、不信感が増大。幹部らは民主党が自民党が要求している今月8日の採決に応じない場合、3党合意を破棄し、問責決議案を提出する方針で一致した。

 2つのグループの動きは、動機はねじれているものの、目的は一緒だ。つまり、社民、共産、国民の生活が第一らは増税法案を潰すために、野田政権を倒したい。自民党は増税法案は通したいが、それよりも何よりも野田に解散させて、民主党政権を潰したい。
 自民党の身勝手にも呆れるが、どっちにしたって野田は崖っぷちなのである。

 「小沢新党ら民自公以外の政党がこのタイミングで不信任案提出で合意したのは、民自公の国会答弁があまりにもいい加減で、増税の目的や社会保障のあり方、税収の使い道がバラバラであることが露呈したからです。社民、共産に小沢新党が加われば、内閣不信任案提出に必要な51人の衆院議員を確保できる。自民党は究極の判断を迫られることになります」(野党の衆院議員)

カギを握るのは民主党内の造反議員

 今後の政局の鍵を握るのは、衆院で不信任案が通るかどうかだ。中小政党が提出する不信任案に自公が同調しても現時点では過半数には届かず、潰されてしまう。だから自民党も慎重なのだが、民主党内から15人の造反者が出れば、不信任案は通る。そういう状況になれば、自民党も乗ってくる。野田と民主党は一巻の終わりだ。その可能性はどれくらいあるのか。

 「自民党の幹部会では増税法案の採決から逃げ回ってる野田政権に対する批判が噴出しています。小泉進次郎衆院議員ら11人が『3党合意を破棄せよ』という声明文を出したのに続き、町村信孝元官房長官も派閥の会合で『不信任案、あるいは問責をやろうというなら、大いに我々もバックアップしようじゃありませんか』と言い出している。3党合意をして増税法案を衆院通過させても、解散に追い込めていない執行部への怒りは日に日に強まっている。一方、民主党内は自民党が法案採決後に出す不信任案には乗れないが、7会派が法案採決前に出す不信任案であれば乗るという議員が少なくない。増税を潰すという大義があるからです。民主党内には処分覚悟で増税法案に造反した議員が35人残っている。不信任案が出れば可決の公算大です」(政界関係者)
 野田は首を洗っておいた方がいい。 (転載終わり)

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フォレスタの「四季の雨」

 -美しい日本の季節の移ろいにふさわしい、四季折々の雨の名風物歌である-

  (この歌のYouTubeフォレスタ動画はURL表記のみ。)
   http://www.youtube.com/watch?v=WOAE3o6z5oM

一、
  降るとも見えじ、春の雨、
  水に輪をかく波なくば、
  けぶるとばかり思はせて。
  降るとも見えじ、春の雨。
二、
  にはかに過ぐる夏の雨、
  物ほし竿に、白露を
  なごりとしばし走らせて。
  にはかに過ぐる夏の雨。
三、
  をりをりそそぐ秋の雨、
  木の葉、木の實を野に、山に、
  色さまざまに染めなして。
  をりをりそそぐ秋の雨。
四、
  聞くだに寒き冬の雨、
  窓の小笹にさやさやと、
  ふけ行く夜半をおとづれて。
  聞くだに寒き冬の雨。

 『フォレスタの「若葉」』で触れましたが、『若葉』とともにこの『四季の雨』もフォレスタ女声コーラスで初めて聴いた歌です。1番から4番までの歌詞とメロディをじっくり味わってみるに、四季折々の雨の情趣が陰翳細やかに表現されている歌だと思います。

 この歌は、尋常小学校六年生用唱歌として大正3年(1914年)に発表されました。残念ながら作詞・作曲とも不詳です。ただ作曲の方は、「村の鎮守の 神様の~」で懐かしい『村祭』の作曲者の南能衛(みなみ・よしえ)ではないか、とも言われてます。
 なお「六年唱歌」には他に、『故郷』『おぼろ月夜』『我は海の子』『鎌倉』などのおなじみの唱歌があります。

 改めて言うまでもなく、「雨」は一年中通してみられます。梅雨に代表されるように、高温多湿な我が国の風土では、雨はそれこそ日常ごくありふれた気象現象といえます。
 そういう事情もあってか、一言で「雨」と言っても、実に多彩な雨を表す言葉が我が国の歴史の中で形成されてきました。例えば私が所蔵している『俳句吟行用語集』(杉本直猪編、博友社刊)では以下のように出ています。

 「雨」 雨。小雨。細雨。糸雨。糠雨。小糠雨。霧雨。煙雨。大雨。豪雨。驟雨。急雨。沛雨。村雨。快雨。朝雨。暮雨。夜雨。俄雨。狐雨。日照雨(そばえ)。疎雨。山雨。降雨。風雨。春雨。五月雨。暖雨。涼雨。秋雨。寒雨。氷雨。御降。祈雨。慈雨。喜雨。長雨。霖雨。秋霖。雨季。
 
 その他にも「梅雨」「夕立」「時雨]「雨催」「雨籠」「雨青し」という項目があり、それぞれに関連した“雨語”がずらっと並ぶのです。
 それを、例えば「にはかに過ぐる夏の雨」(夕立)について、「チョー、スゲエ雨 !」などと若者言葉で片付けてしまえば、かくも微妙な襞(ひだ)を有する“雨の叙情”が台無しになってしまいます。それらの言葉は、伝統的な美しい日本語や日本的感性と断絶しているからです。(と言って、私は何も若者言葉やギャル語を全否定するつもりはありません。)

 先日久しぶりで『フォレスタの「四季の雨」』を聴きました。小笠原優子さんの1番独唱を聴いただけで、思わずジ~ンときてしまいました(実際は涙がこぼれてしまった)。
 小笠原さん独唱曲として、これまで『花言葉の唄』『かなりや』『アカシヤの雨がやむとき』を取り上げてきました。小笠原さんの高く澄んだ声質に、この曲はぴったり合ってるのか、彼女自身伸び伸びと声を出しきって歌っているようです。私には、「小笠原優子独唱曲」としてはこの歌が最高であるように思われます。

 2番では、小笠原さんの歌唱に吉田静さんが加わります。そう言えばこの歌における、小笠原さん、吉田さん、矢野さんという3人の女声ユニットは極めて珍しいのではないでしょうか。「この一曲だけ」と思うのですがどうでしょうか?

 2番の吉田静さんの歌唱には、小笠原さんの歌声を生かすための配慮があるように見受けられます。普段より声量を絞っているようなのです。しかし吉田さんの声質は天下一品で、抑制した事によって、かえって小笠原さんとの絶妙かつ芸術的なハーモニーが醸し出されているようです。
 4番もそうですが、この歌において、吉田静さんの“メッツォ・ソプラノ”が実に良く利いています。

 3番独唱は矢野聡子さんです。いつ聴いても、矢野さんのハイソプラノは独特だと思うのです。お年は30代半ばくらいのようですが、かなり高音で、(中安千晶さんにも感じることですが)矢野さんは“童女の歌声”が連想されてしまいます。
 その高音は彼女の頭頂を突き抜けて、まるで天上にまで届きそうです。

 4番については、『フォレスタ - 四季の雨』へのお二人の方のコメントが秀逸です。該当箇所を以下にご紹介します。
                        *

女声フォレスタの歌では好きな一曲です、

特に4番のアカペラでの冬の雨は絶品です。

                        *

4番 全員での重唱は、もはや天使の歌声・・・・ 

                        *

 1番から3番まで見事だったピアノ演奏がピタッと止まり、3人女声の歌唱のみ。寒雨で寂寥の気を伴って降る、冬の夜の雨の雰囲気が余すところなく表現されています。まさに「絶品」であり、「エンジェル・クレア(天使の歌声)」です。
 このコーラス曲は、女声フォレスタの「隠れた名唱」だと思います。

 (大場光太郎・記)

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早や8月になりにけり

 暑中お見舞い申し上げます

 皆様への暑中ご挨拶、少しばかり遅くなってしまいました。気がついたらもう8月なんですね。あと1週間もすれば暦の上では立秋です。
 しかし立秋など二十四節気は旧暦の上、元々は古代中国における文化の中心であった、黄河流域の気候を基に定められたものと言われています。中国北部における気候をデータベースとした暦を輸入して翻案したところで、どうしても我が国の現実の気候とのギャップが出てくるのは致し方ないことです。

 実際の暑さのピークは、梅雨明けから8月旧盆過ぎ頃までの約1ヵ月くらいです。気象庁は梅雨明け間もない頃、「ペルー沖でエルニーニョ現象が発生したとみられ、その影響から今夏の我が国は例年の平均気温をやや下回るものと思われる」などと発表していました。
 だったらもう少し涼しくしのぎやすいはずですが、どうしてどうして。ここのところ真夏の太陽ギンギラギンの酷暑が連日続いています。

 つい先日など、夕方帰宅のためのバスの車中で熱中症によるものなのか、人が倒れるのを初めて目撃しました。バスの前部で立って乗っていた二人の若者のうちの一人が、ミネラルウォーターを一口飲んだと思ったら、急にふらふらし出してそのまま失神してしまったのです。
 背が高く痩せぎすの彼の顔は血の気が引いた土気色、もう一人の若者に背中を支えられながら、たまたま私が座っていた4人がけのシルバーシートの辺りの通路に頭を向けながら倒れこんできたのです。それまでは二人で他愛もないことを話していたのに、急にです。

 とんだハプニングに乗客たちはびっくりです。次のバス停で少し長く停車し、運転手さんも事態の推移を見極め「場合によっては救急車の出動も」、という態勢のようでした。
 友人に支えられ、私のちょうどまん前に頭がきたので私も腕を伸ばして左肩を支えてやり。仰向けのまま人事不省だったくだんの若者。しかし少しすると意識を取り戻し、友人に支えられて「やっとこさ」とばかりに起き上がりました。そしてふらついた足取りながら、友人に手を添えられて自分で歩いて降りていきました。

 何事もなかったようにバスはまた走り出しました。「なんでかしらねぇ」「なんでですかねぇ。お年寄りじゃなくて、いい若いもんがねぇ」「そうよねぇ」「熱中症って怖いわねぇ」などと、しばし隣の二人の年配のご婦人方と顔を見合わせその話でもちきりになりました。
 皆様ご自身や身近な人でこんなケースはないことと思いますが、あらためまして「暑中お見舞い申し上げます」

 「暑中お見舞い」といえば、つい忙しさにかまけて、私はまだ現実的な暑中見舞いも出していません。
 気にはなっていましたが、つい忙しさにかまけて。そこで本夕郵便局に行ったついでに、日本郵政発売の暑中はがきは買ってきました。ただ私の場合年賀状もそうですが、買うと出すとは大違い。「1日延ばし」の悪習慣で、ぎりぎりになって慌てて、となりがちです。いつぞやの年は立秋を過ぎてしまい「残暑見舞い」に切り替えて出したこともあります。今年はそうならぬよう、早めに(だから早くはないんだって)出したいと思います。

 ところでここのところ、昨年今頃の『今年は蝉が鳴かない?』記事へのアクセスが増えています。確かに昨年は全国的に初蝉の声はずい分遅かったようです。3・11直後でもあり、「巨大地震の前兆らしい」「放射能の影響で幼虫が全滅したからじゃないか?」などと憶測を呼び、大騒ぎになったのでした。

 私は5月の連休前から、『あゝこの分だと今年も蝉の鳴くのが遅れるな』と予想がつきました。
 その後の『蝉、鳴きました !』で種明かしをしましたように、蝉の初鳴きは地震や放射能とは何の関係もなく、その年の夏に至るまでの「積算温度]によるものなのでした。
 思い起こせば今春は、3月頃から5月連休あたりまで、雨がちのぐづついた寒い春でした。だから成虫に脱皮する時期をその春の積算温度で決めているらしい蝉は、脱皮したくてうずうずしながらも、地中かどこかでじっとタイミングを待つしかないわけです。

 しかし当地では数日前蝉の姿を確認しました。午後帰宅してみると、我が家のドアの前で油蝉が仰向けになっているのを発見したのです。そろりと手に取ってみますと既に死んでいました。可哀想にドアか何かに衝突したものでしょうか。近くの草むらにそっと戻してやりました。
 
 そして遅ればせながら、7月31日蝉の声をしかと聞きました。夕方隣市の海老名市の市庁舎に向かう道すがらです。
 本厚木駅などたじたじの大規模開発によって、今や海老名駅周辺は大ショッピングセンターに変貌しました。しかしそのエリアを抜けると昔ながらの田園風景が広がっています。同庁舎は駅からだいぶ離れて、元は一帯が田んぼだった所にあるのです。途中から田んぼ伝いに庁舎に続く、洒落た一直線の遊歩道が続いています。途中東屋風の休憩スポットがあります。遊歩道に沿った田んぼとの間には、小さな渓流を模した細(ささ)流れもあります。

 遊歩道には当然、手ごろな大きさの植樹もされていて、今時分は格好の緑陰となっています。その一本の木のどこからか、「ジー、ジー」と油蝉か何かの鳴き声が聞こえてきたのです。
 初蝉の威勢の良い声を聞きながら田んぼの方に目をやりますと、一面の青田が広がっています。もうだいぶ伸びていて、そよ吹く風にさやさや揺れていたり、にわかな風に田中の穂群れが大きく揺れたりします。つかの間涼を感じる、何ともすがしい風景です。
 遥か遠くには薄墨色のシルエットの、雄大な大山の姿が望まれました。

 (大場光太郎・記)

(追記)本当は当ブログ背景の『若葉』、とうに夏バージョンに切り替えてもいいはずですがあとしばらく続けます。当ブログ自体重くなり、3月に『若葉』に切り替えた時えらく難儀したためです。ご了承ください。

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