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早や8月になりにけり

 暑中お見舞い申し上げます

 皆様への暑中ご挨拶、少しばかり遅くなってしまいました。気がついたらもう8月なんですね。あと1週間もすれば暦の上では立秋です。
 しかし立秋など二十四節気は旧暦の上、元々は古代中国における文化の中心であった、黄河流域の気候を基に定められたものと言われています。中国北部における気候をデータベースとした暦を輸入して翻案したところで、どうしても我が国の現実の気候とのギャップが出てくるのは致し方ないことです。

 実際の暑さのピークは、梅雨明けから8月旧盆過ぎ頃までの約1ヵ月くらいです。気象庁は梅雨明け間もない頃、「ペルー沖でエルニーニョ現象が発生したとみられ、その影響から今夏の我が国は例年の平均気温をやや下回るものと思われる」などと発表していました。
 だったらもう少し涼しくしのぎやすいはずですが、どうしてどうして。ここのところ真夏の太陽ギンギラギンの酷暑が連日続いています。

 つい先日など、夕方帰宅のためのバスの車中で熱中症によるものなのか、人が倒れるのを初めて目撃しました。バスの前部で立って乗っていた二人の若者のうちの一人が、ミネラルウォーターを一口飲んだと思ったら、急にふらふらし出してそのまま失神してしまったのです。
 背が高く痩せぎすの彼の顔は血の気が引いた土気色、もう一人の若者に背中を支えられながら、たまたま私が座っていた4人がけのシルバーシートの辺りの通路に頭を向けながら倒れこんできたのです。それまでは二人で他愛もないことを話していたのに、急にです。

 とんだハプニングに乗客たちはびっくりです。次のバス停で少し長く停車し、運転手さんも事態の推移を見極め「場合によっては救急車の出動も」、という態勢のようでした。
 友人に支えられ、私のちょうどまん前に頭がきたので私も腕を伸ばして左肩を支えてやり。仰向けのまま人事不省だったくだんの若者。しかし少しすると意識を取り戻し、友人に支えられて「やっとこさ」とばかりに起き上がりました。そしてふらついた足取りながら、友人に手を添えられて自分で歩いて降りていきました。

 何事もなかったようにバスはまた走り出しました。「なんでかしらねぇ」「なんでですかねぇ。お年寄りじゃなくて、いい若いもんがねぇ」「そうよねぇ」「熱中症って怖いわねぇ」などと、しばし隣の二人の年配のご婦人方と顔を見合わせその話でもちきりになりました。
 皆様ご自身や身近な人でこんなケースはないことと思いますが、あらためまして「暑中お見舞い申し上げます」

 「暑中お見舞い」といえば、つい忙しさにかまけて、私はまだ現実的な暑中見舞いも出していません。
 気にはなっていましたが、つい忙しさにかまけて。そこで本夕郵便局に行ったついでに、日本郵政発売の暑中はがきは買ってきました。ただ私の場合年賀状もそうですが、買うと出すとは大違い。「1日延ばし」の悪習慣で、ぎりぎりになって慌てて、となりがちです。いつぞやの年は立秋を過ぎてしまい「残暑見舞い」に切り替えて出したこともあります。今年はそうならぬよう、早めに(だから早くはないんだって)出したいと思います。

 ところでここのところ、昨年今頃の『今年は蝉が鳴かない?』記事へのアクセスが増えています。確かに昨年は全国的に初蝉の声はずい分遅かったようです。3・11直後でもあり、「巨大地震の前兆らしい」「放射能の影響で幼虫が全滅したからじゃないか?」などと憶測を呼び、大騒ぎになったのでした。

 私は5月の連休前から、『あゝこの分だと今年も蝉の鳴くのが遅れるな』と予想がつきました。
 その後の『蝉、鳴きました !』で種明かしをしましたように、蝉の初鳴きは地震や放射能とは何の関係もなく、その年の夏に至るまでの「積算温度]によるものなのでした。
 思い起こせば今春は、3月頃から5月連休あたりまで、雨がちのぐづついた寒い春でした。だから成虫に脱皮する時期をその春の積算温度で決めているらしい蝉は、脱皮したくてうずうずしながらも、地中かどこかでじっとタイミングを待つしかないわけです。

 しかし当地では数日前蝉の姿を確認しました。午後帰宅してみると、我が家のドアの前で油蝉が仰向けになっているのを発見したのです。そろりと手に取ってみますと既に死んでいました。可哀想にドアか何かに衝突したものでしょうか。近くの草むらにそっと戻してやりました。
 
 そして遅ればせながら、7月31日蝉の声をしかと聞きました。夕方隣市の海老名市の市庁舎に向かう道すがらです。
 本厚木駅などたじたじの大規模開発によって、今や海老名駅周辺は大ショッピングセンターに変貌しました。しかしそのエリアを抜けると昔ながらの田園風景が広がっています。同庁舎は駅からだいぶ離れて、元は一帯が田んぼだった所にあるのです。途中から田んぼ伝いに庁舎に続く、洒落た一直線の遊歩道が続いています。途中東屋風の休憩スポットがあります。遊歩道に沿った田んぼとの間には、小さな渓流を模した細(ささ)流れもあります。

 遊歩道には当然、手ごろな大きさの植樹もされていて、今時分は格好の緑陰となっています。その一本の木のどこからか、「ジー、ジー」と油蝉か何かの鳴き声が聞こえてきたのです。
 初蝉の威勢の良い声を聞きながら田んぼの方に目をやりますと、一面の青田が広がっています。もうだいぶ伸びていて、そよ吹く風にさやさや揺れていたり、にわかな風に田中の穂群れが大きく揺れたりします。つかの間涼を感じる、何ともすがしい風景です。
 遥か遠くには薄墨色のシルエットの、雄大な大山の姿が望まれました。

 (大場光太郎・記)

(追記)本当は当ブログ背景の『若葉』、とうに夏バージョンに切り替えてもいいはずですがあとしばらく続けます。当ブログ自体重くなり、3月に『若葉』に切り替えた時えらく難儀したためです。ご了承ください。

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