叙情歌とは何か(4)
歌における、喜早流「縦割り分類法」「横割り分類法」
一概に「歌」とは言ってもさまざまな種類があります。一般的によく聞かれるのは、
<クラシック><オペラ><軍歌><演歌><唱歌><童謡>などです。
さらに分けるとすると、<歌曲><歌謡曲><ラジオ歌謡><フォークソング><軽音楽><Jポップ>などもあります。
他にもさまざまな呼び方があるかもしれませんが、(「ダークダックス」メンバーの一人の)喜早哲(きそう・てつ)氏は、このように歌をジャンル別に分ける分類法を「縦割り分類法」と名づけています。
喜早氏は、「縦割り」があるからには「横割り分類法もあるはず」として、それこそが「叙情歌だ」というのです。ジャンル別に割った中の軍歌にも童謡にも演歌にも叙情歌はあることになるわけです。
つまりさまざまなジャンルの歌の中で、前回までみてきた“叙情歌の定義”である「美しい詩」「それにふさわしいメロディ」のついた作品ならば、どの曲をも叙情歌と呼ぶことができるのです。
かつての音楽教科書でおなじみで、日本の音楽界の重鎮だった堀内敬三という人がいました。この人が「叙情歌の例」として次のような曲をあげているそうです。
『旅愁』『アラビアの歌』 (外国曲)
『故郷』 (唱歌)
『戦友』『麦と兵隊』 (軍歌)
『赤とんぼ』 (童謡)
『荒城の月』『宵待草』『浜辺の歌』『城ヶ島の雨』『雪の降る街を』 (歌曲)
『ゴンドラの唄』 (劇中歌)
『波浮の港』 (新民謡)
『椰子の実』 (ラジオ歌謡)
『人生劇場』『知床旅情』 (歌謡曲)
上記各曲の右()内は、喜早哲氏の分類によるものですが、こうしてみると堀内敬三が叙情歌として挙げた曲目はあらゆるジャンルから選ばれていることが分かります。
これらの曲はほんの一例というべきで、そのほかにも数多くの曲が叙情歌に入ってくるはずです。
叙情歌の演奏家、歌い手に喜早氏が望むこと
叙情歌を演奏したり歌ったりする場合、演奏家や歌手の問題が別に生じてきます。
マズイ例もずい分見てきた喜早哲氏は、(希望も込めて)叙情歌の演奏家や歌手は、「まず叙情の何たるかを理解できる、暖かく優しい心の持ち主であってほしい」と述べています。
その上で「花を愛(め)で、月に哀れを感じ、素晴らしい芸術を、胸一杯に染み込ませることのできる感受性が大切です」というのです。いわゆる“ガサツ”な心では叙情歌は歌えないということです。
さらに喜早氏は、プロの演奏家や歌手に向かってでしょうが、「歌の内容をしっかり把握することはいうまでもなく、できれば、その歌がつくられた背景まで知ってほしいのです」と、厳しい注文をつけています。
例えばとして『さくら貝の歌』を例にとり、この歌を作曲した八洲秀章の悲恋が歌の背景にあることを述べています。(詳細は『フォレスタの「さくら貝の歌」』を公開する機会があればその時に。)
このように、名叙情歌と言われる歌には、作詞家・作曲家それぞれに深い想いがあったはずです。ですから、できればそこまで掘り下げて、その歌に秘められた心を十分に噛みしめてから演奏なり歌うことが必要だ、と訴えるのです。
そして歌手の場合大切なのは「歌唱力」です。いくら心の準備が整っていても、それを表現する力なりテクニックなりがなければどうしようもないわけです。
これには「声の質」も加味されてきますが、まるで応援歌を歌うような調子で歌ったのでは、どんな素晴らしい叙情歌も台無しです。あくまで「叙情」の根本である「リリック(叙情詩)」を見失ってはいけないということです。
(大場光太郎・記)
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『名曲-所感、所見』カテゴリー(『叙情歌とは何か(1)~(3)を収録』)
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