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続・トリックスター考

-C・G・ユングの『元型論』によると、誰もが奥深くにトリックスターを隠し持っている-

 神話という大上段の視点から人間世界へと視点を移し、「物語」に表れたトリックスターの例をみてみたいと思います。

 物語中のトリックスターとしてすぐに思い浮かぶのは、『三国志演義』『水滸伝』とともに中国三大奇書の一つである『西遊記』のヒーローの孫悟空です。何百年もの仙道修行の結果、分身の術や変化(へんげ)の術などさまざまな通力を得、その上一飛び何千里の金斗雲と伸縮自在の如意棒まで得た孫悟空は鬼に金棒、金斗雲にひょいと乗っかり遂に天上界に乗り込んでいきます。
 天女たちが驚き騒ぐのを面白がったり、立ち入り禁止の桃園に侵入し不老長寿の桃を片っ端から食い放題…。さんざん天帝を困らせます。

 その結果悟空は、お釈迦様の前に引き出され裁きを受けることになります。が、「宇宙の涯(はて)まで飛んで行けるオレ様だ。アンタに指図されるいわれはないわい」と大見得を切ります。「ならば行ってきなさい」。「お安い御用だい」とばかり、金斗雲に乗って時空間を巧みにワープしながら飛ぶこと無量辺涯、『ここが宇宙の涯に違いない』と思われた処に、都合よく大きな塔が聳え立っているではありませんか。

 孫悟空はその塔に「○○大聖」という自らの法号を大書し、ついでに小便を引っかけて意気揚々と帰ってきます。
 この次第はどなたもご存知でしょうが、孫悟空が大塔と思ったのは実はお釈迦様の一本の指なのでした。結局悟空は、お釈迦様の掌(たなごころ)の中を一生懸命飛び回っていたにすぎなかったのです。

 さすがに己の浅はかさと、釈迦如来の広大無辺の智慧と慈悲を悟った悟空は、心の底から改心します。そうして折りよく、尊い経典を得るために天竺に旅立とうとしていた三蔵法師のお供の一人(他に沙悟浄と猪八戒)となります。
 道中さまざまな妖怪変化の妨害に遭いますが、そのつど化け物どもを蹴散らして、遂に宿願の天竺に三蔵法師を着かせることができたのでした。

 そのほか物語中のトリックスターとしては、西洋文学ではセルバンテスの『ドン・キホーテ』がその代表例でしょうか。ドン・キホーテはサンチョ・パンサを供とし、誇張された騎士道を求めて諸国を遍歴し、各地で珍騒動を巻き起こします。敵軍と勘違いして、大きな水車に突進していくユーモラスなシーンはあまりにも有名です。
 また前回少し触れた月光仮面もトリックスター的です。さらに月光仮面とともに昭和30年代前半少年たちのヒーローだった、怪人二十面相も典型的なトリックスターといえます。ならば19世紀末フランスが生んだ怪盗ルパンも、その孫を自称するルパン三世もそうに違いありません。

 以前取り上げた杉浦茂の漫画『ぼくらの西遊記』の中の、愛くるしくお茶目な孫悟空のように、さんざん破天荒な悪さはしても、後にそれを補ってあまりある大善行を行うなど、どこか憎めない魅力を有するのがトリックスターです。
 しかしトリックスターには、この命名の元となったインディアン民話がそうであるように、同時に狡猾さや残忍さも併せ持っています。掴み所のない得体の知れないのがトリックスターなのです。
 だからトリックスターのアンビバレント性(二律背反性)について、ある研究家は次のように定義しています。
 「創造者にして破壊者、贈与者であって反対者、他を騙し、自分が騙される存在である」

 「トリックスター」という概念が広く知られる上で、精神分析家のC・G・ユングの果した役割は大きなものがあります。ユングは先人の研究を踏まえて、有名な『元型論』で「トリックスター元型」を打ち出したのです。
 ユングの言う「元型」とは人間の無意識層に潜む性格類型ということですが、そうするとほかのアーキタイプとともに、トリックスターも一人一人の人間の中に元型として存在しているということになります。

 心の奥深くに隠しているから普段は出てこないだけなのです。これが比較的出やすい分野があります。芸能界やスポーツ界です。常人離れした異能を持つ彼らには、一般人より余分に羽目を外すことが暗黙のうちに許容されているところがあるからです。
 例えば当ブログの事件モノで以前取り上げた、押尾学、酒井法子、朝青龍、市川海老蔵などは十分トリックスター的といえます。
 余談ながら。朝青龍、またやっちゃったようですね。つい最近母国で、モンゴル国営放送社長を殴る暴行を働き、顔などに怪我を負わせたというのです。やれやれ。孫悟空のようにいい加減改心して、母国の発展に一途に貢献したらどうなんだい。

 ともあれ。私たちも「内なるトリックスター」を隠し持っている以上、この諸刃の剣の取り扱いには要注意です。と言って、ただ押し込めておくだけでは最後に大暴発しかねません。普段から、「茶目っ気」「好奇心」「悪気のないいたずら」などで、小出しにうまく発散させておくことが必要なのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

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