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67回目の終戦記念日に

 8月15日「終戦記念日」。2008年のブログ開設以来、唯一この日だけは毎年所感を述べてきました。あらためて「平和の尊さ」を再認識するためにも、5回目となる今年もそうしようと思います。

 それにしても1945年(昭和20年)8月15日。もう67年も昔のことです。毎度言うことですが、この一文を記している私自身まだ生まれていませんでした。
 仮にこの日生まれた人は満67歳となるわけですが、当然ながら「戦争の記憶」などあるはずがありません。この日10歳だった人は現在77歳、当時「小国民」と言われた小学生ですから、戦時中の空気は敏感に感じ取っていたとしても、(空襲、広島・長崎の方は別として)戦争の生の実態に接することはあまりなかったことでしょう。

 現在87歳の人なら当時20歳です。2年ほど前のNHKの感動ドラマ『15歳の志願兵』がつい最近再放送されたようですが、徴兵による各戦地での転戦、内地での勤労奉仕など、この世代に至ってようやく生の戦争の現実と向き合っていたといえます。
 このように現在85歳以上のご高齢の方でなければ、戦争を真の意味でリアルに体験したとはいえないところがあります。このような方々こそが貴重な戦争体験の“語り部”であるはずですが、全人口に占める比率はわずか2%未満です。
 戦争の本当の恐ろしさや悲惨さなどよく知らない国民が98%にも上っている、ということになるのです。

 それでも私が子供だった昭和30年代半ば頃は、戦争を想起させられるような人や事物を目にしたり、戦争の悲惨さを伝え「平和の尊さ」を訴える先生がいました。
 たとえば中学1年時(昭和37年)の担任だったТ先生。この先生は国語の授業で、同じ文庫本を生徒全員に配り、先生自らが何授業もかけて初めから終わりまで音読してくれたのです。そうして自動的に読了することとなった『ビルマの竪琴』や『二十四の瞳』など。
 戦争の悲惨さを描ききったそれらの名作の影響は深く、今に至るも「平和の尊さ」が私の心にしっかりと息づいているのです。

 問題は今の各界の指導者群です。日本全体の舵取り役である野田佳彦首相がそうであるように、私ら団塊の世代より10歳ほど若い、50代前半が社会各分野の主導権を握り始めています。
 彼らは昭和40年代に、人格形成上もっとも重要と考えられる小・中学時代を送っています。その頃には高度経済成長が離陸し、街の中に戦争を想起させる事物はほとんど消えてしまっていました。戦争そのもの、戦争体験の風化に拍車がかかっていったのです。

 また60年安保闘争を経て発効した新日米安保条約は一層強固なものになり、今日に至る日米軍事同盟の基礎がしっかり形成されつつありました。また当時は今では考えられないほど「自衛隊は違憲か合憲か」、与野党間で侃々諤々の議論が交わされたものの結論を得ないまま存続し、防衛予算がどんどん肥大化し続けました。
 現日本国憲法の軽視、形骸化がその頃から進んでいったのです。それに伴って、「平和の尊さ」を熱意を込めて教える教師も少なくなっていったことは容易に推察できます。

 その結果、野田佳彦世代の中で「先の戦争は自尊自衛のやむを得ざる戦争だった」とする「太平洋戦争肯定論」、果ては「核保有論」を主張する連中が存在するのです。
 いつの時代もこういう連中が一番恐いのです。生の戦争の悲惨さを思い描く想像力を欠き、戦争を観念的にいじくり回し、時に美化し、「同じ過ちを繰り返し」かねないからです。

 先に挙げた80代後半の本当の意味で戦争を体験した人たちは、口をそろえて「あんなヒドイ戦争、もう二度としちゃダメだ」といいます。
 しかし戦争の何たるかを知らない若い世代は違うのです。変なナショナリズムに凝り固まり、「時と場合によっては戦争もやむを得ない」と腹の中では考えているのです。それが証拠に、国民の意見を集約することなく、日本を一気に大変な危機に陥れかねない「集団的自衛権行使容認」の報告書が野田政権下でまとめられたではありませんか。世界のどこででも米軍と一体化した軍事行動が可能となる、集団的自衛権を既成事実化するためのプロセスが着実に進行中なのです。

 それでなくても国民無視の政治状況がどんどん進行しています。直近の大悪法・消費増税法案が成立したように、議会制民主主義否定の民自公談合政治、それをまったく批判せずむしろ翼賛報道するだけの新聞・テレビ…。消費増税のみならず、ТPP推進、オスプレイ配備、原発再稼動すべてがこの調子です。近い将来「憲法改悪」もシャンシャンでしょう。
 忌まわしい時代を思い返しませんか?「戦前、戦時中と今の状況が酷似している」と指摘する識者は多いのです。

 「同じ事二度くり返す仕組みざぞ。この事よく腹に入れておいて下されよ。同じ事二度」(昭和21年8月2日『日月神示』)

 気がついたら「この道はいつか来た道」とならぬよう。私たち国民一人一人がよほどしっかり目を覚まして、危険な兆候の芽を未然に摘み取るくらいでないといけないのですが。多くの国民が「悪の仕組み」に騙されていて…。

 (大場光太郎・記)

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コメント

『二十四の瞳』が、また読みたくなりました。今日は終戦記念日ですね。

投稿: 一休み | 2012年8月15日 (水) 05時22分

 私の場合も、T先生が読んでくださったのはもう50年以上前のこと、以来『二十四の瞳』は一度も読んでいません。たまにテレビで、故・高峰秀子が大石先生を好演した映画を観て、感動を新たにしたこはありましたが…。
 今この年になってあらためて読み返せば、新たな気づきや感動が得られるかもしれませんね。

投稿: 時遊人 | 2012年8月15日 (水) 19時38分

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