私は「山形へ帰りたい」か?
少し前、当ブログのアクセス状況をたどっていましたら、『あれっ?』と思うような検索フレーズが目に飛び込んできました。それは、
「山形へ帰りたい 大場光太郎」
というフレーズです。
この検索フレーズで『フォレスタコーラス』カテゴリーを訪問されたのは山形の人です。なぜ「山形」と分かるのか?
多分ココログブログだけではなく、ヤフーやアメーバなど他のブログでも同じだと思いますが、各ブログにはアクセス解析機能があり、訪問した方のIDナンバー、訪問時刻、訪問先記事など必要最低限のデータがブログ管理者に分かるようになっています。
そして訪問者によっては、居住している都道府県名が表示されることがあるのです。それによって、「あっ、北海道の人だ」「おやまあ、遥々沖縄から…」「おっ、珍しいことに徳島の人だ」などと思いながらチェックできる楽しみがあるわけです。
仔細に確かめたことはありませんが、ユニークアクセス(純訪問者)の半数以上は都道府県名表示がされているのではないでしょうか。
上記検索フレーズでご訪問の山形の人の件は、考えてみれば少し奇妙です。『フォレスタコーラス』の中には、特別私が出身県である山形県への望郷の想いを吐露した記事はなかったはずですから。
強いて挙げれば、『フォレスタの「赤い夕陽の故郷」』の中で、子供の頃「山形県内陸部の田舎町」に住んでいたと述べ、またラストで、
私が特にグッと来るのは、澤田さんが歌っている3番です。私の「おふくろさん」は既にこの世に無く、今は遠い故郷の土の下です。
と述べた一文くらいです。どうもこの人は、以前この記事を読んで、ということではないようなのです。
そこで私が考えたのには、おそらく山形のこの人は音楽サイト『二木紘三のうた物語』のファンで、同サイトの各曲の中で、以前の私のコメントをお読みになり興味を持たれたのではないだろうか?ということです。
確かに『二木うた物語』には、さまざまな曲で故郷の思い出、望郷の想いを述べさせていただきました。思い出すだけでも、『帰ろかな』『里の秋』『赤んぼ』『谷間のともしび』『赤い靴』『母さんの歌』『北帰行』『故郷を離るる歌』『スワニー川』など。
その中で出身地をアピールするため、「山形県」「宮内町」「太郎村」などという実際の地名をどんどん出しています。
そこからその人は「山形県出身の大場光太郎」なる者に興味をお持ちになった。しかし2008年に大場のコメントは集中していて、それ以後はバッタリだ。(実際はその後「Lemuria」というHNで2009年冬頃までコメントしている。)
そこで「大場はその後どこで何をしてるんだ?」となりネット検索してみた、ということなのではないでしょうか。
「山形へ帰りたい 大場光太郎」
これに対する私の答えは、「帰りたい、でも帰れない」です。
『故郷を離るる歌』で述べましたが、高校卒業間もない昭和43年3月10日夜、私は郷里町の駅から夜汽車に乗って当地(厚木市)へと向かいました。一人で汽車を待つ間、私は駅周辺に斑(はだ)らに残る雪を見たりしながら、
『この町に住むことはもう二度とないんだろうな』
という想いがふとよぎったのです。
その後首都圏周縁部の当地に居住して、“どこの馬の骨”とも知れない不如意な生活をずっと続けてきました。今に至るもそれは変わっていないと思っています。
♪ 志を果てして いつの日にか帰らん
私とて「故郷に錦を」という想いが、心のどこかにあることはあります。そこで、一時帰郷ならともかく、こんな状態で「故郷にUターン」など出来るものではありません。(実際30代半ば頃、「今なら安い物件があるから帰って来い」という田舎の親戚の申し出を断ったことがあります。)
それに『二木紘三のうた物語』の『帰ろかな』コメントでも述べたことですがー。
私がかつて住んでいた宮内町(現・南陽市宮内)の町並みは、私が離郷して40余年、あまりにも大きく変貌してしまいました。
たまに帰郷してみると、まるで他所の土地に来たような違和感を感じ、言い知れぬ寂しさ、虚しさに襲われるのです。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
(室生犀星『ふるさとは遠きにありて』)
(大場光太郎・記)
関連記事
『フォレスタの「赤い夕陽の故郷」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-6d8d.html
『故郷を離るる歌』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-d5d3.html
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