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2012年9月

小沢控訴審「無罪確定」結審

 -小沢代表に対し執拗な「人格破壊キャンペーン」を展開した大マスコミにまったく反省の色なし。堕落・劣化マスコミは今後厳しく断罪されなければならない-

 26日、小沢一郎「国民の生活が第一」代表に対する東京高裁控訴審が、たった1日でスピード結審しました。詳細は、以下に転載する『日刊ゲンダイ』記事に譲るとして、指定弁護士の証拠採用は悉く却下され、10月末に予定されている同判決は「無罪」に限りなく近づいたとみられています。

 心ある“ネット市民”には常識ですが、西松建設にからむ大久保元秘書逮捕事件、小沢氏の政治資金管理団体「陸山会」に係る土地購入事件は、幾重にも張り巡らされた世紀の「国家的大謀略捜査」であったことは明らかです。
 東京地検特捜部(検察)、旧自民党麻生政権、同党長老議員、右系団体、検察審査会、現民主党幹部、最高裁事務総局、日弁連…。小沢首相となって大改革を断行されては困る旧勢力総がかりによる「小沢潰し」謀略の全貌は、今後明らかになっていくことでしょう。

 今回の『日刊ゲンダイ』記事では、大マスコミと民主党を厳しく批判しています。
 政権交代の立役者の小沢を封じ込め、消費税増税、原発再稼動、ТPP推進など、国民の約束と真逆のことを強引に進めている現民主党政権は、長くて後1年の寿命です。こんな“体たらく”政党など批判する価値もありません。

 私が特に問題にしたいのは、新聞・テレビです。
 細川連立政権の仕掛け人だった小沢一郎を要注意人物とマークし、以来「政官業」旧勢力の代弁者である新聞・テレビは「20年戦争」の真っ最中です。
 検察幹部がでっち上げた一連の小沢事件に対して、大マスコミは、オランダ人ジャーナリストのウォフォーレン氏が指摘した「先進国では類を見ない人格破壊キャンペーン」を連日繰り広げました。

 特に陸山会事件では、例えばТBSでは、問題となった水谷建設からの「裏金1億円授受」の都内有名ホテルの現場に立ち会ったという人物まで登場させました。これはまったくの作り話で、そもそも裏金の授受自体存在しなかったのです。
 一政治家の政治生命に影響しかねない決定的誤報道をしながら、ТBSは今日に至るまで一切謝罪していません。陸山会事件では、NHKをはじめ民放各局も新聞各社も似たり寄ったりです。

 長期にわたる「小沢ネガティヴキャンペーン」によって、国民の大多数に、小沢一郎への悪印象がしっかり刷り込まれています。1ヵ月後例え小沢代表の「無罪」判決が出たとしても、国民の「小沢一郎 = 悪人」のイメージは今後も長く残り続けることでしょう。
 しかし大マスコミに反省や検証の試みはまったく見られず、「小沢無罪」結審をスルーして知らんぷり。消費増税ヨイショ報道といい、大政翼賛報道といい、新聞・テレビの劣化、堕落極まれり。「社会の木鐸」の看板が泣いているぞ !

 それでは『日刊ゲンダイ』記事の転載です。  (大場光太郎・記)

                                                    *

そりゃないだろう ! 無罪“確定” 小沢結審をシカトした大マスコミと民主党

 「いずれも却下します」ー。26日開かれた「国民の生活が第一」の小沢一郎代表(70)に対する政治資金規正法違反事件の控訴審。開廷からわずか1時間後、小川正持裁判長が下した判断に、東京高裁102号法廷に張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
 案の定というか、検察官役の指定弁護士側が請求していた元秘書の証人尋問など計12点の証拠採用は一蹴され、ジ・エンド。指定弁護士がもくろむ逆転有罪の目は完全に消えたとみていい。

 指定弁護士の大室俊三弁護士は閉廷後、「裁判所は証拠として調べる必要がないと判断しただけで、我々にとって特に不利になったは思っていない」と強気だったが、だったら、なぜ証拠請求したのか。カラ元気というのか、どこまでデタラメを続ければ気がすむのか、と言いたくなる。
 東京高裁が即日結審したのは、これ以上、審理を長引かせても「意味なし」と判断したためだ。事実上の無罪確定。そんなことは司法のプロならば、誰でも分かることだ。

 「小川裁判長は判決日について、当初、1ヵ月後の10月31日を予定し、指定弁護士、弁護人双方に打診しました。普通は結審から判決まで2~3カ月かかります。それが1ヵ月ということは判決文の原案が出来上がっている可能性が高い。ズバリ、控訴棄却ですよ」(傍聴した弁護士)

彼らに「人権」を語る資格はない

 こうなった以上、検察は小沢にわびるべきだ。大マスコミも総ザンゲが当たり前だ。民主党も落とし前をつけるべきだ。検察が捏造した疑惑に乗っかり、小沢を党員資格停止にして、追放。その政治活動を封じ込めたのは野田を中心とした民主党の現執行部のメンメンだ。アタマを丸めるくらい当然なのに、コイツらは本当に腐っている。きのうの結審をどう受け止めたのかというと、誰もコメントひとつ出しゃしない。それどころか、ある若手議員は「小沢氏に政局を左右する力はもうない。裁判の行方の結果が大きな影響を与えることはない」とか言って涼しい顔だ。

 彼らに良心があるのか。人間としてどうなのか。「シカト」はないだろう、いくらなんでも。しかし、マスコミも同罪だから、もちろん、一緒になって、判決無視。ヒドイ社会だ。ジャーナリストの魚住昭氏はこうした新聞テレビの報道姿勢について「病理なんですよ。だから、何度も繰り返している」と言った。いつも自分たちは正義漢ヅラ。今後、彼らに人権を語らせたら絶対にダメだ。  (転載終わり)

転載元
『日刊ゲンダイ』(9月28日5面)       

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フォレスタの「雨降りお月さん」

-晴れの嫁入りなのになぜ雨の夜更けに一人で?この歌に隠された悲話とは-

      フォレスタの「雨降りお月さん」
      https://www.youtube.com/watch?v=f9ZQJYqQzLQ

   1番 (雨降りお月さん)
    
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
    ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
    傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
    シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
    お馬にゆられて 濡れてゆく    

  2番 (雲の蔭)                                                 
    いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
    手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
    お袖でお顔を 隠してる
    お袖は濡れても 干しゃ乾く
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お馬にゆられて 濡れてゆく
       (著作権消滅曲のため歌詞掲載す。)

 年配の方ならどなたもご存知の昔懐かしい、作詞:野口雨情、作曲:中山晋平の童謡です。1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月創刊号で楽譜付きで発表されました。野口雨情は初め題名を『雨降りお月』としていましたが、中山晋平のすすめで『雨降りお月さん』にしたという経緯がありました。
 
 『雨降りお月さん』が好評だったため、同年の『コドモノクニ』3月号では『雲の蔭』という続編が発表されました。このように両者はもともと別の歌であり、中山晋平がつけたメロディも若干異なっています。
 それが昭和に入ってからレコードが普及しだし、この歌もレコード化されることになった際『雨降りお月さん』だけでは短いので、中山晋平の提案により『雲の蔭』と合せて一つの歌とすることにしたという経緯もまたありました。  (以上、フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 この歌は、『雨』『花嫁人形』などとともに好きな童謡の一つです。以前の『雨-哀愁ただう童謡」』で述べましたように、こういう昔の童謡は「時代が違うから」「暗い歌だから」などの理由から、今の小学校教育ではあまり教えられないようです。ただこの歌は、2007年文化庁と日本PTA全国協議会の選定で『日本の歌百選』に選ばれました。

 さてこの歌は、文句なしで叙情性溢れる名童謡です。何より私はこの歌の基調をなすものは、「寂しさ」「哀しさ」だと思います。晴れのお嫁入りに、どうして「雨の夜更け」に「ひとりで」「夜が明ける前」に行かなければならないのでしょうか?何かのっぴきならない、隠された事情がありそうです。

 通り一遍に歌っているだけでは事情は皆目分かりません。その辺のことを論考した優れたサイトがあります。
   フナハシ学習塾その他23 童謡のなぞ14
 ご興味のある方は同サイトの全文をお読みいただくとして。その核心と思われるものを、以下にかいつまんでご紹介してみたいと思います。

 数多くの童謡などの作詞家として名高い野口雨情は、この歌が作られるまで二人の娘を亡くしているのです。まず長女みどりを、明治41年3月に生まれてすぐの8日目で。ここで思い起こされるのが、雨情の童謡『しゃぼん玉』の
   ♪ しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
     生まれてすぐに こわれて消えた…
という歌詞です。

 したがって『しゃぼん玉』は、「生まれてすぐに」亡くなってしまった長女みどりへの鎮魂歌であるとともに、合せて大正10年に授かった次女恒子ばかりは、せめて健やかに育ってもらいたいという願いを込めた歌だったのです。

 ところが悲劇は続きます。次女恒子も、『雨降りお月さん』を発表する直前の大正12年(1924年)9月23日にわずか2歳で亡くなってしまったのです。ですからこの『雨降りお月さん』は、人生を謳歌することなく亡くなってしまった恒子へのせめてもの手向けに、父・雨情の親心として、恒子が成人して嫁入りする姿を想い描いて作った歌だったのではないだろうかと推察されるのです。

 既に死んでしまった我が子に対して、いくら親でも連れ添ってあげるわけにはいきません。死者の嫁入りは、月も出ない雨の夜更けに「ひとりで傘 さしてゆく」しかないのです。それではあまりにも可哀想だから、「シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた お馬にゆられて 濡れてゆく」…。

 そういう悲しい事情が野口雨情にあったとすると、この歌の「寂しさ」「哀しさ」が理解されてきます。またもしそうだとすると、この歌を通り一遍に聞き流したり口ずさんだりしては、野口雨情に申し訳ないのかなとも。
  - 雲がち、雨がちの今年の十三夜に

                        *

 本記事は2010年10月20日(十三夜)に『雨降りお月さん』として公開しましたが、今回『フォレスタの「雨降りお月さん」』としてリニューアル公開することとしました。
 そこでここからは、この歌を歌っている女声フォレスタについて述べていきたいと思います。

 この歌を歌っているのは、白石佐和子さん、吉田静さん、矢野聡子さんの3人です。ほかに何曲もこの女声トリオで歌っていたかと思いますが、お3人は武蔵野音楽大学卒業です。そういうこともあってか、どの歌も息ピッタリのコーラスだと思います。
 1番独唱は白石佐和子さん。こういう叙情的名童謡は白石さんお手のもののようで、のびのび独唱しているように見受けられます。

 そして2番独唱は矢野聡子さん。『夏は来ぬ』の矢野さんの4番独唱の時もそうでしたが、この人のこういう歌を聴くとなぜかジ~ンときてしまいます。『夏は来ぬ』の時は、「楝(おうち)散る 川辺の宿の …」という佐佐木信綱の歌詞のせいかな?と思っていましたが、『雨降りお月さん』でもやはりそうでした。
 なぜなのでしょう?矢野さんは不思議な高い声の持ち主です。

 今回真ん中のポジションに位置しているのが吉田静さんです。この歌の動画で、ある人は「三者三様の歌い方で素晴らしかったです、今回は裏方に徹した「吉田静」さんのソロも是非聴いてみたいです。」とコメントしておられます。
 私はそこまでは言わずとも、やはりこの歌でも、吉田さんの“低音の魅力”がしっかり効いていると思います。

 このコーラスから受ける印象では、お3人は野口雨情の悲話の事はご存知ないようです。しかし彼女たちの感性できちんととらえた『雨降りお月さん』になっており、このコーラスはこれでオッケーです。
 別の人のコメントに「涙が止まりません。」とありました。白石さん、矢野さん、吉田さんのコーラスが、聴く人の心の琴線にしっかりと触れていることの証明のようなコメントです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『雨降りお月さん』(『名曲-所感、所見』カテゴリー)
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『フォレスタの「夏は来ぬ」』
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『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
 

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火車婆・考

 -「カシャババ」は我が郷里だけかと思っていたが、「火車婆」は全国区らしい-

 当ブログのアクセス検索フレーズの中には、ハッとさせられるフレーズに時折りぶつかります。今回の記事もそういう検索フレーズに基づいて作成するものです。
 今月上旬のある日、期せずして2人の方が以前の『続・乞食さんの思い出』記事に、ある共通の検索フレーズでアクセスしてこられました。一人の方は「カシャ婆」もう一人の方は「カシャ婆さん」です。

 『続・乞食さんの思い出』の中で、私の郷里町である山形県東置賜郡宮内町(現・南陽市宮内)での思い出として、近所で時折り噂になる「カモダのカシャババ(婆)」について触れたのでした。
 ですから私はてっきり、このお2人は郷里の人か、その名前を知っている郷里出身の人かと思いました。

 それにしても、超ローカルな地方でだけ語られている「カモダのカシャ婆」について、2人同時にアクセスしてくるものだろうか?奇妙といえば奇妙です。そこで私は「物は試し」と、「カシャ婆」についてネット検索してみることにしました。すると驚いたことに『ウィキペディア』をはじめとして「火車」「火車婆」がズラッとあるではありませんか。
 私は同記事の末尾で、「カモダのカシャババは、蒲生田の火車婆か?」とイメージからあてづっぽうな表記をしましたが、ズバリそのとおりだったわけです。

 中でも『ウィキペディア』が一番よくまとめられています。そこで「火車(妖怪)」の項を、以下にざっと紹介してみたいと思います。

火車化車(かしゃ)は、悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる日本の妖怪。葬式や墓場から死体を奪う妖怪とされ、伝承地は特定されておらず、全国に事例がある。正体は猫の妖怪とされることが多く、年老いた猫がこの妖怪に変化するとも言われ、猫又(注 これも老猫の妖怪)が正体だともいう。

日本古来では猫は魔性の持ち主とされ、「猫を死人に近づけてはならない」「棺桶の上を猫が飛び越えると、棺桶の中の亡骸が起き上がる」といった伝承がある。また中世日本の説話物語集『宇治拾遺物語』では、獄卒(地獄で亡者を責める悪鬼)が燃え盛る火の車を引き、罪人の亡骸、もしくは生きている罪人を奪い去ることが語られている。火車の伝承は、これらのような猫と死人に関する伝承、罪人を奪う火の車の伝承が組み合わさった結果、生まれたものとされる。

 このように「火車」は全国的に分布している伝承で、その正体は老いた猫で、死んだ者の亡骸(なきがら)を奪う恐ろしい妖怪だったのです。
 ただ、昔話「猫檀家」などでも火車の話があり、播磨国(現・兵庫県)でも山崎町(現・宍粟市)牧谷の「火車婆」に類話があるといいます。これなどは、この昔話が各地に伝播していく過程で、老猫が人間の老婆に変化した可能性が考えられます。

 火車と同種のもの、または火車の別名と考えられているものに、以下のものがあります。

 「民話の宝庫」岩手県遠野では「キャシャ」といって、上閉伊郡綾織村から宮守村(二つとも現・遠野市)に続く峠の傍らの山に前帯に巾着を着けた女の姿をしたものが住んでおり、葬式の棺桶から死体を奪い、墓場から死体を掘りこして食べてしまうといわれました。
 長野県南御牧村(現・佐久市)でもキャシャといい、やはり葬列から死体を奪うとされました。

 私の出身県である山形県にも「火車の話」があります。
 同県では昔、ある裕福な男が死んだときにカシャ猫(火車)が現れて亡骸を奪おうとしたが、清源寺の和尚により追い払われたと伝えられています。そのとき残された尻尾とされるものが魔除けとして長谷観音堂に奉納されており、毎年正月に公開される、というものです。

 ここまで『ウィキペディア』をかなり引用しながら記してきました。しかしここにきて『何となく聞いたことがあるけど、長谷観音堂ってどこにあるんだ?』と思ったのです。そこでこれもネット検索で調べることにしました。
 すると驚いたことに、「長谷観音堂」とは何と私の郷里町である宮内にあるお堂ではありませんか ! おらが郷里町の観音様のお堂に、カシャ猫の尻尾が奉納されている?(なお「清源寺」は、山形市大字長谷堂地内にあるお寺のようです。地名が「長谷堂」、宮内町の観音堂が本家だったということなのでしょうか?)

 いやいや、「カシャ婆」一つに興味をもって調べていくうちに、思いがけない他の興味ある事につながっていくものです。
 そう言えば思い出しました。私が通った小学校に隣接して熊野神社があり、境内沿いの道を北の方向に真直ぐ行くと野道になり、しばらく行ったその先に同観音堂があったのです。小学校4年生の頃、その近くで同学年による秋の「芋煮会」をしたことを覚えています。
 懐かしいあの芋煮汁の旨い味。その時亡母が持たしてくれた弁当のおかずは、醤油で煮たイナゴでした。

 私は今回初めて知りましたが、長谷観音堂境内には、近代俳句の創始者の一人である俳人・高浜虚子の
   雪の暮花の朝の観世音
の句碑が建っているというのです。
 さらには『夏は来ぬ』の作詞者で歌人の佐佐木信綱の
   国のため玉と砕けし
   ますらをとはに守りませ 長谷のミ仏
の歌碑もあるのです。

 そろそろ「カシャ婆」のまとめに入りたいと思います。

 私は『続・乞食さんの思い出』で、近隣で噂されていた「カモダのカシャ婆」を女乞食になぞらえました。しかしこれはとんでもない誤りだったことになります。何かあるとその名を聞くだけで、子供だった私は興味半分に一度その姿を見たいものだと思っていましたが、ついぞ見たことはありませんでした。
 それもそのはずです。相手は妖怪なのですから、そうやすやすと姿を現わすはずがないのです。また私は同記事で「あるいは山姥(やまんば)のたぐいか?」とも述べましたが、そちらの方がイメージとしては近かったことになります。

 蒲生田(カモダ)は、町の東外れを流れる吉野川(最上川の上流の一つ)の川向こうの、ずっと先にある蒲生田山のたもとの集落です。あるいは昔、その辺にある種の凄味を持った老婆が実在していて、先ほどの長谷観音堂の「カシャ猫の尻尾」の言い伝えと習合して「カモダのカシャ婆」と呼ばれるようになったのかもしれません。

 「カモダの」というからには、そう呼んだのは町場の人たちだったのに違いありません。宮内町の西北には、「日本三熊野の一つ」とされる熊野神社(現・熊野大社)があります。そうでありながら、その反対の東南方向にカモダのカシャ婆をこしらえてしまう。大変面白い庶民の精神構造というべきです。
 今回記してきて気がつきましたが、「カモダのカシャ婆」は我が郷里のレッキとした「民話」の一つであると思います。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』「火車(妖怪)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%BB%8A_(%E5%A6%96%E6%80%AA)
『山形県南陽市/赤湯温泉協同組合』公式サイト「高浜虚子 句碑(長谷観音堂内)」
http://samidare.jp/akayu/lavo?p=log&lid=46175
同サイト「佐佐木信綱 歌碑(長谷観音堂」)
http://samidare.jp/akayu/note.php?p=log&lid=46174
関連記事
『続・乞食さんの思い出』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-013b.html
『秋の蔭』(高浜虚子句鑑賞)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-5e92.html
『フォレスタの「夏は来ぬ」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-efdc.html
『川向こう・考』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-0d36.html

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のりピー&レディー・ガガの近況

 のりピーはかつてのアイドル歌手、かたや一方のレディー・ガガは昨年末の紅白歌合戦にNYから中継生出演し日本での知名度を一段と高めた世界のトップシンガー。ともに女性シンガーであるという共通点があります(ただしのりピーは今は女優)。
 また両者には“裏の顔”を持つという共通点もあります。すなわちのりピーの方は、2009年秋覚せい剤事件で逮捕・起訴され現在執行猶予中の身であるということ。片やレディー・ガガの方は、「伝道師」を自認するほどのサタニストであるということ。

 いえ、実際はこの2人に共通点などあまりないのです。
 たまたま『日刊ゲンダイ』で2人の話題を見つけ、取り上げてみたくなったため無理やりこじつけて、共通点を探したたまでです。ただ本当の共通点は、2人ともかつて当ブログで取り上げたことがある、ということでしょうか??

(1)のりピー 12月主演舞台で復帰

 かつての『薬物汚染の拡がりを憂う』大シリーズ以来、のりピーこと酒井法子(41)については十幾つもの記事にしてきました。直前は今年5月の『のりピーの後見人急逝』でした。そこでは、のりピー失踪(隠れ家となった箱根の別荘を提供)から保釈後(長男と暮らす都内マンションを提供など)まで後見人だった建設会社会長の富永保雄氏(享年74)が急逝したことによって、酒井法子自身の今後の芸能界復帰に暗雲か?と述べました。

 しかし酒井法子は、3年4ヶ月ぶりで芸能界に復帰する見通しとなったようです。
 一部報道(21日)によると、11月下旬に執行猶予が明けるのを念頭に復帰を模索し、映画などの出演依頼が寄せられていた中、舞台での復帰を選んだというのです。
 復帰作は戦国時代を描いた舞台劇で、主演は当然のりピーです。12月の上演を目指して詰めの作業に入っているとのことです。

 一時は介護の勉強をし将来はそちらの道へとか、今でも根強い「のりピー人気」の中国から3億円ともいうAV出演のオファーがあったとか、台湾映画で1億円のギャラで復帰計画が進められているとか…。
 さまざまな観測があった中で、最も堅実な芸能界復帰の道を選んだといえます。

 酒井法子はシングルマザー(同じく逮捕・起訴された元夫の高相祐一とは離婚成立)で、しかも事件によるCM中止などで何億円もの損害賠償を抱えているとみられています。
 その点では中国AV出演が一番手っ取り早いとはいえ、長男はもう中1(13)だそうです。有名芸能人の例に漏れず名門校に通わせているのでしょうから、その面からも堅実な道を選ばざるを得なかったのでしょうか?
 とにかく「復帰のりピー」には頑張っていってもらいたいものです。

(2)レディー・ガガ オランダ公演中に大麻を一服 !

 今や、かつてのマドンナを凌駕するほどの世界的人気を誇っているのがレディー・ガガ(26)です。ガガについては、昨年の『きゃりぱみゅ「PONPONPON」は呪いの動画 !?』などで「サタニスト」として取り上げました。

 そのレディー・ガガ。オランダ・アムステルダムで行った公演中、ステージで大麻を吸引したというのです。その様子を客席のファンが撮影し、YouTubeに投稿して物議をかもしているのです。
 
 曲の合間に、ファンがステージに投げ込んだプレゼントの中に大麻のジョイントとライターがあったそうです。
 「これ本物かしら?」とつぶやいたガガは、その香りを嗅ぎ「あゝ本物だわ。実はまだハイになってないの」とまたつぶやいて、大麻に火をつけたというのです。
 日本なら、その時点で即現行犯逮捕です。ガガの本拠地アメリカでもアウトです。しかしオランダは合法で問題はないのです。

 レディー・ガガはうまそうに吸いながら、「大麻で人生が完全に変わったの。酒量がずいぶん減った。音楽を聴きながら大麻をやるのって、私にとっては完全にスピリュアルな経験よ」と観客に語りかけ、やんやの大喝采を浴びたというのです。
 おいおい。それって、ガガ自身「大麻常習を認めた」ということじゃん。米国当局はYouТube動画を動かぬ証拠として、今すぐガガを逮捕すべきだ !
 しかし「サタニスト・ガガ」にとっては、大麻吸引など朝飯前ということなのでしょう。

 ところで我が国の大麻汚染は、今や一般市民レベルにまで拡がっています。一サラリーマンや一主婦がベランダで大麻を栽培して逮捕されたり、高校生や挙句は中学生までが大麻吸引で捕まえられた、というようなことは日常茶飯事です。
 船井総研会長の船井幸雄氏ですら最近、「大麻を合法にせよ」という持論を展開しているようです。船井氏は我が国の主なスピリチュアルリーダーであり、当ブログでも何度か取り上げましたが、これだけは異議を申し立てたいと思います。

 以下は米カリフォルニア州の聖山・シャスタ山の地下都市テロスの神官・アダマメッセージの要約です。
 ○超太古のレムリア時代には聖なる麻薬の原料となる植物は存在した。
 ○しかし波動が低下した現地球上にはそのような植物は一つもない。
 ○覚せい剤や大麻を常習していると、肉体を含めた「諸体」に深刻な悪影響を及ぼす。
 ○その影響を完全に取り除くには幾つもの転生が必要となる。

 レディー・ガガが大麻を吸って「完全にスピリチュアルな経験」というのは、「低波動で歪んだアストラル界」とつながったことを意味するものと思われます。だから異次元のサタン的生命体に取り憑かれ、ステージでサタニズムの主要シンボルである「一つ目(プロビデンスの目)」のポーズなどを連発することになるのです。

 最後に余談ですがー。スリムなセクシーさが売りだったレディー・ガガですが、アムステルダム公演では激太りの姿で登場し、観客をびっくりさせたそうです。
 欧米ではサタニスト・ガガを毛嫌いする層がけっこういます。その点「神」もいなければ「サタン」もいない日本では熱狂的ファンが多く、ガガ自身大の親日家です。ファンの多さを考慮し、『何だよ、この醜いサタニストぶりは。どう見ても20㎏以上増えただろ』と思うような衝撃画像、公開しません。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』
「のりピー篇」9月22日4面
「レディー・ガガ篇」9月22日10面
関連記事
『のりピーの後見人急逝』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-197b.html
『きゃりぱみゅ「PONPONPON」は呪いの動画 !?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-537c.html
『地底都市テロス・空洞地球』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat43851721/index.html

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尖閣・日中対立とユダ金米国のシナリオ

-ユダ金アメリカのシナリオは強力。国民は近未来の「日中戦争」を覚悟せよ-

 中国が言うところの「国恥日9・18」の反日暴動をピークに、中国全土に拡大していた反日デモは一先ず収束の方向に向かいつつあるようです。
 なお中国が7・7とともに「国恥の日」としている9・18は、1931年(昭和6年)9月18日、旧日本軍による旧満州(中国東北部)進出の発端となった柳条溝事件のあった日です。
 このように、今の日本国民の多くが覚えていない柳条溝事件など遠い過去の出来事を、中国国民はしっかり記憶して(教育されて)いて、それと尖閣問題などが直結してしまうところが厄介なのです。

 私有地であろうが、日本の領土として我が国が尖閣諸島を実効支配していることに変わりないわけです。石原慎太郎東京都知事(79)の「都が尖閣を買います」宣言は、後期高齢者石原固有のボケ発言だから仕方ありません。
 問題はそれに乗っかった野田首相の「尖閣国有化」宣言です。国民の命運を握る一国の首相が、ナーバスな尖閣問題への配慮なしの不用意「国有化」宣言によって、日中外交、日中経済関係にどれだけのデメリットが生じるか、という想像力が決定的に欠如していたと言わざるを得ません。

 たとえ反日デモが下火になったとしても、いったん火がついてしまったこの問題はそう簡単に収束することはないでしょう。野田首相はただでさえ難しい尖閣問題解決をさらに困難なものにしたのです。

 さらに事態を深刻なものにしているのが、アメリカの「奥の院」ユダヤ国際金融資本(略して「ユダ金」)による、「日中戦争シナリオ」です。それこそが今回転載する阿修羅記事コメントのテーマとなるものです。
 昨年の『真実の近現代概略史』シリーズで見ましたように、ロスチャイルドがヨーロッパ金融を掌握した19世紀以降9・11、イラク戦争(また3・11も?)に至るまでの世界史的大イベントには、必ず裏にロスチャイルド・ロックフェラーなどユダ金によるアジェンダがあったのでした。

 我が国だけで言っても、明治維新、日露戦争、日米戦争、日本占領などは皆悉くユダ金が陰で糸を引いていたのです。
 前記事の「アーミテージレポート」で見たように、今ユダ金アメリカは中東ではイラン戦争を、東アジアでは日中戦争を画策しているとみられています。日中戦争はやはり今回の尖閣問題が発端となるのでしょう。いざそうなっても米国はずっと以前から「尖閣問題では中立」を表明していますから、米軍が守るのは米軍基地だけ、日本の国土や日本国民を守ることはしません。「日米安保があるじゃないか」というのは甘い幻想です。
 米国は最終的に日中交戦を高見の見物し、漁夫の利を得るシナリオなのです。

 ひょっとして、石原も野田もそのシナリオの手駒として使われているのかもしれません。どうも近未来確実にそうなると覚悟しておいた方がよさそうです。    (大場光太郎・記)

以下記事の転載元『阿修羅掲示板』
http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/867.html
「中国の反日デモの真の仕掛け人は誰か(五十嵐仁 法政大学教授)」コメントより

                                                     *

93. 2012年9月19日 19:13:57 : 98YmDjcsxQ

着々とシナリオ通り進んでいるようだ。
日本人は下記の内容を頭の隅に置いて世の中の出来事をウォッチして下さい。

日本と中国の戦争を画策する者達
以下、過去記事の再録。

ジョセフ・ナイ著「対日超党派報告書」
― Bipartisan report concerning Japan ―

 この米国政府の戦略文書は、かつてCIAを統括する米国大統領直属の国家安全保障会議NSCの議長で、同時に東アジア担当者であり(クリントン政権)、後に安全保障担当の国防次官補であったジョセフ・ナイが、米国上院下院の200名以上の国会議員を集め作成した、対日本への戦略会議の報告書である。

 ナイは現在、米国の政治家養成スクール、高級官僚養成スクールであるハーバード大学ケネディ行政大学院の院長であり、そこから輩出された無数の政治家・行政マンの司令塔となっている人物である。この人物が「事実上」、米国の政策を起草している。

 その内容は以下の通り。

1、東シナ海、日本海近辺には未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければならない。

2、そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。中国軍は、米・日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を「本土攻撃」するであろう。本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。

3、米軍は戦争が進行するに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。

4、日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO(平和維持活動)を米軍が中心となって行う。

5、東シナ海と日本海での軍事的・政治的主導権を米国が入手する事で、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手する事が出来る。

6、この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「軍事活動」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。

 以上のように、米国は日本海の「パレスチナ化」計画を策定しており、米国は日本を使い捨てにする計画である。そして、この計画の下に自衛隊の海外活動が「自由化」され始めている。

 上記の米国エネルギー産業とは、もちろんロックフェラー=ロスチャイルドの事を指している。

 このロックフェラー=ロスチャイルドの利権のために日本軍と中国軍に「殺し合いを行わせる」、これが米国政権中枢の戦略文書に明確に書かれている。  (以上転載終わり)

関連記事
『尖閣を巡って日中対立激化』
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『真実の近現代概略史』カテゴリー
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『えっ。311は「第3次世界大戦」の始まり !?』
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尖閣を巡って日中対立激化

-尖閣問題がこじれ日中もし戦わば、高みの見物で一番得するのはどの国か-

 野田首相の尖閣諸島「国有化」宣言によって、日中関係が尋常ならざる様相を呈してきています。

 同宣言をキッカケに中国全土でかつてないほどの反日デモが連日繰り広げられ、ジャスコ、イズミヤといった日系企業はグチャグチャに壊され、トヨタ、ホンダの販売店は放火されて焼け落ちてしまいました。
 中国紙『環球時報』による(中国人を対象とした)世論調査では、「戦争が起こり得る」が52.3%に達し、「中国側は対抗措置を取るべきだ」が89.7%に上っています。中国人は戦争も辞さないつもりなのです。
 過去に反日デモは何度もありましたが、ここまで激化したのは初めてです。

 この問題に最初に火をつけたのは、石原慎太郎東京都知事の、今年4月上旬訪米時の「東京都は尖閣諸島を買います」宣言でした。突如出てきた石原“老害”都知事のこの宣言も確かに大問題でした。しかしこの段階では、石原都知事の中国刺激発言は今に始まったことではなく、中国政府も「またか」とばかり、努めて抑制し国レベルの対立を避けたい構えでした。

 アメリカの意を汲んだと思しき石原都知事の奸智にまんまとはまってしまったのは、むしろ野田首相の方だったのです。
 菅前政権時、同諸島沖での中国漁船衝突事件がこじれにこじれたように、尖閣問題は日中間の極めて難しい領土問題です。

 野田首相は同衝突事件から何も学ばなかったのか、東京都に買われては国の面子丸つぶれと単純に考えたのか、中国政府と何ら事前の外交折衝を行なうことなく国有化を閣議決定してしまったのです。
 さあ中国側の怒るまいことか。政府の意を受けた私服警官たちが煽って、反日デモを拡大させたという一部情報すらあります。いずれにせよ拙劣な野田首相の尖閣国有化宣言は、日本国民にとって著しい不利益となることは明らかです。

 幸い中国船団1000隻が尖閣諸島に向かっているというのはデマだったようです。がしかし、日中戦争などという大事に至らずに収束の方向に向かうのか、なお予断を許さないものがあります。
 この問題について、阿修羅掲示板に掲載された記事の中に『おっ、面白い捉え方だぞ』というコメントがありましたので、以下に転載します。少々表現は荒っぽいですが、核心を衝いていると思います。

 なお文中、「アーミテージレポート」というのが出てきますが、フリージャーナリストの岩上安身氏によると次のような内容です。

 「(第2次までと違い、第3次アーミテージレポートでは)中国に対する脅威をどこまでも煽ってます。突然のアーミテージレポートと尖閣の盛り上がりは、ピッタリ、タイミングが合っています。
 中国ともめることになるから、憲法9条を「取り除け」と。そしてアメリカと集団的自衛権を結べと。そして何をするのかと言うと、ホルムズ海峡に掃海艇を出せと。今、イランの問題でアメリカは戦争しようとしてますね。それに早くくっついてこいと。…エネルギー同盟を結ぼうと。10年で20兆円払えと…」  (大場光太郎・記)

参考・引用『日刊ゲンダイ』(9月19日1、2面)
以下記事の転載元『阿修羅掲示板』
http://www.asyura2.com/12/senkyo135/msg/867.html
「中国の反日デモの真の仕掛け人は誰か(五十嵐仁 法政大学教授)」コメントより

                         *

30. 2012年9月18日 16:30:41 : lRYfivAqeo
野田ブ~タ無能くーデター一派、自滅、憎下、クズマスコミ、妖怪既得権益組織、
全員グルになって国民を騙す猿芝居中です。要注意!!!!

尖閣問題で中国国内のデモの映像を流し続け、我が国民に恐怖心を与え、だから沖縄に基地が必要と思いこませているが、米軍は日本国民を守りません!!!

野田ブタは、山口県からオスプレイを飛ばす事も秘かに決定させました。
10月の沖縄嘉手納基地からオスプレイを飛ばす事も、確約してます。

韓国、中国領有権問題、沖縄基地問題、オスプレイ問題=高江ヘリパッド建設中
TPP問題全て、ダメリカ側と売国政治家、無能官僚共と結託しています。

アーミテェージ・レポートに書かれている事と、現在起きて居る事が符号している
と、岩上安見さんがラジオ番組で、警鐘を鳴らしています。拡散して下さい!!

我が国の屑マスゴミは、肝心の事を全て隠してどうでもいい自滅、民主代表選で、話題をそらし続けています。国民の知らない間に我々の税金がダメリカに吸い取られ様としています。

最近小泉珍次郎を、やたらに褒めちぎっているが、小泉ペテン師変態爺の愚息も、ダメリカ側で手なずけられた、売国ポチ2号です。

こんな時に代表選選挙してる場合か??情けないアホ共!!それに輪を掛けて、屑マスゴミ全社の無能振りに壁壁とする。国民騙すよりダメリカ、中国、韓国に、抗議してみろよ!!!!

自滅盗よ!!民主盗よ!!最低無能共に怒り心頭だ!!!

軽量政府には手に負えない。早く退け!与野党超党派で日本国を立て直せ!!
小沢さん他、政策通の議員結集させて有識者集めて、会議が必要。時間が無いぞ。
 (以上転載終わり)

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フォレスタの「船頭小唄」

 -歌謡曲の先駆的一曲が混声フォレスタの名唱によって今日に蘇えった !-

    (「フォレスタ 船頭小唄」YouTube動画)
     https://www.youtube.com/watch?v=0hHkHB2Xgt8


 「枯れすすぎ」にはまだ早いですが、秋も仲秋の候ともなるとこういう心に沁みる歌が聴きたくなります。
 私はフォレスタによるこの歌を初めて聴いた時(今春)、『えっ、船頭小唄ってこんなにいい歌だったか?』と思ってしまいました。それほど見事なコーラスです。大正時代の古い歌が、かつての森繁節とはまた違った味わいで、平成の「今この時」に新たに蘇えった感じがします。

 『船頭小唄』は、(島村抱月ともに芸術座を立ち上げた)松井須磨子が劇中歌として歌って一世を風靡した『カチューシャの唄』(大正3年)や『ゴンドラの唄』(大正4年)とともに、我が国歌謡曲の先駆けとなった感のある歌です。
 注目すべきは、『船頭小唄』をはじめとした我が国初歌謡曲のこれらの歌が、今日に至る歌謡曲としての要件をほぼ完璧に備えていたということです。だからこそこれらの歌は、時代を超えて今日まで歌い継がれてきたわけです。

 『船頭小唄』は大正10年(1921年)1月、新民謡の『枯れ芒(かれすすき)』として野口雨情が作詞し、同年中山晋平が作曲した歌です。
 大正11年に、『新作小唄』に『船頭小唄』と改題して掲載、翌大正12年ヒコーキレコードから女優の中山歌子によって初めて吹き込まれ、それを契機として各レコード会社から何人もの歌手がこの歌をレコード化しました。さらに同年松竹で映画化もされています。

 この歌で特筆すべきは、この歌の大流行の最中の大正12年(1923年)9月1日関東大震災が起こり、野口雨情の暗い歌詞、中山晋平の悲しい曲調から「この地震を予知していた歌だったのでは?」という説が流布されたことです。(注 この現象世界のすべての事象は、まず“視えざる次元”で型として出来てから現れるのですから、この説はあながち間違いとも言い切れない。)
 さらに街道演歌師の添田唖蝉坊は、
 「俺は東京の焼け出され 同じお前も焼け出され どうせ二人はこの世では 何も持たない焼け出され」
と替え歌で歌って喝采を浴びました。

 時代は下った昭和32年(1957年)、映画『雨情物語』の主題歌として森繁久彌が歌い、「枯すすき」に人生の哀愁に共感するとして大ヒットとなりました。
 また、昭和49年(1974年)には類似の哀愁を持つ曲『昭和枯れすすき』(作詞:山田孝雄、作曲:むつひろし、唄:さくらと一郎)がヒットし、翌年同名の映画も作られたことは記憶に新しいところです。 (以上3項『ウィキペディア』-「船頭小唄」の項参考・引用)

                     *
 このコーラスは男声2人、女声2人計4人による混声コーラスです。
 男声は横山慎吾さんと川村章仁さん、女声は中安千晶さんと吉田静さんです。男声、女声ともに珍しいユニットといっていいかもしれません。
 まずテノールの横山さん、バリトンの川村さんの男声コーラスで始まります。重厚ないい歌い出しです。

 他の歌でも思うのですが、横山慎吾さんの声質は包み込むような柔らかいテノールで、こんな魅力的なセクシーボイスで「死ぬも生きるも ねえお前」などと耳元で囁かれたら、女性はイチコロなのではないでしょうか?
 そんな事を言えば、川村章仁さんの低音も女性にとってはしびれるほどの魅力でしょうから、どちらとも「甲乙つけがたし」としておきます。

 画面が引いてワイドになるとともに、後ろの吉田静さんの姿が。しかし次に、あれれれっ ! 利根川の“世捨て人船頭”の歌に、何と美少女・中安千晶ちゃんが。私はてっきり『これはミスキャストだぞ』と思いました。
 ところが3番前半の中安さんの独唱を聴いて、そんな疑念は払拭されてしまいました。このフレーズは潮来出島を照らすお月さんを描いて、この歌で最も詩的ですが、これを中安さんは高くて澄んだ、まるで玉を転がすような佳(よ)い声で歌い切っています。彼女の新境地を開いた歌唱であるように思います。

 ここでこの歌のピアノ伴奏に触れておきます。
 『船頭小唄』にピアノの音色(ねいろ)がこれほどまでピッタリ合うとは、思いもよりませんでした。演奏は南雲彩さんか吉野翠さんか、とうとう最後まで分かりませんでしたが、とにかく名演奏です !

 そしてもう一人の女声は吉田静さんです。
 吉田さんと中安さんは、推定年齢「28+α歳」の同い年です。そこでこの2人を対比すれば、昔のプロ野球のうたい文句をもじって言えば「人気の中安千晶、実力の吉田静」となりそうです。「フォレスタ大躍進」のためには、人気も実力もどちらも欠かすことができません。
 気の合うお2人のようですが次世代フォレスタとして、今後とも女声フォレスタを大いに盛り上げていってもらいたいものです。

 吉田静さんに戻ります。
 この歌の吉田さん、後ろのポジションに“姐さん(あねさん)然”と構えていますが、一度もズームアップされていません。しかしこの歌全体を通して「メッツォ・ソプラノ吉田静」が実によく効(き)いています。
 と言うより、4人の合唱フレーズになると他の3人の歌声は霞んでしまい、吉田さん一人の歌声に収斂(しゅうれん)されてしまうようなのです。
 恐るべし「吉田静の力」 !
 途中の横山さんや中安さんの独唱もさりながら、聴き終わってみると『これは「吉田静の船頭小唄」だよな』と思ってしまいます。

 (大場光太郎・記)

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『フォレスタコーラス』カテゴリー
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「昭和天皇の戦争責任」-読者とのやりとり

 -「昭和天皇の戦争責任」とは言え現国民一人一人が考えるべき問題である-

 きょうは特別更新すべき題材が見つからず、かと言って何か記事にしたくあれこれ考えていたところ、直近の「愛国者」様からの『昭和天皇の戦争責任(1)』コメントが私のアンテナに引っかかってきました。
 愛国者様のコメント自体は(不穏当な表現を含む)短いものです。しかし以前のこの記事への「ルミちゃん」様の秀逸なコメント及び私(時遊人)の返信も含め、さらに今書いている私の一文を加えれば『一記事として十分な分量にはなるな』と考えたのです。

 この際の大テーマは「昭和天皇に戦争責任はあったのか?」です。
 この『昭和天皇の戦争責任(1)~(3)』(昨年8月2日~8日)は、阿修羅掲示板に掲載されたある記事の「コメント」を転載したものですが、元記事そして転載したコメントともに「昭和天皇の戦争責任は確実にあった」としているのです。
 阿修羅掲示板は、時としてコメントレベルでこんな堂々の論説が登場するところが「凄い」のです。

 以下のルミちゃん様と私とのコメントのやりとりだけでも、昭和天皇の戦争責任の一端はうかがえるかと思いますが、出来れば『昭和天皇の戦争責任(1)~(3)』をお読みいただき全容を把握の上、ご判断いただければと思います。
 要点の何点かをざっと列記すると以下のとおりです。

 ○若い頃の昭和天皇は、「ナポレオン狂」の戦争大好き人間だった
 ○昭和天皇は重要な御前会議には全て出席し、一々の作戦を自ら発していた
 ○戦後、日米戦争は陸軍主導によるというのが定説だが実は海軍主導だった
 ○一々の海戦の作戦に天皇が深く関与していることを隠す必要があった
 ○広島原爆投下は事前に、米側から吉田茂ら(売国奴)「ヨハンセングループ」を通して天皇に伝えられていた。
 ○のみならず米側は、天皇に「投下する場所と日時を決めるよう」促している
 ○戦後の昭和天皇の「呆けた姿」や「平和主義者」は、国民を欺くポーズだった…

 今上(明仁)天皇は、父・裕仁天皇の戦争責任をよく分かってらっしゃるのではないでしょうか?平成天皇の一々の行動は、その贖罪の意味があるように思われてならないのです。
 私たちが現在享受している豊かさは、元はと言えば、先の戦争の(戦闘員・非戦闘員含めて)310万人もの尊い犠牲の上に成り立っています。私たち国民一人ひとりにとって、この問題を避けて通ってはいけないと思われるのです。  (大場光太郎・記)

                        *

昭和天皇は、天皇の命令によって動く軍隊を望んだのではなく、天皇の希望に沿って動く軍隊を望みました.
1941年9月6日の御前会議で、明治天皇の歌を読んだことに対して、多くの方が天皇の気持ちに背いて、軍部は戦争を行ったと非難しますが、これはその典型だと言えます.
天皇の気持ちにそって、軍隊が動くことが良いことなのでしょうか?

昭和天皇は1937年8月18日、閑院宮参謀総長に下問した。(陸軍参謀総長)
「いろいろな方面に兵を用いても戦局は長期化するばかりである。重点方面に兵を集中し大打撃を加え、我々の公明なる態度を以って和平に導き、速やかに時局を収拾する方策はないか」
この時の天皇は『方策はないか』と聞いただけなのでしょうか.現実には天皇の希望に沿って、蒋介石に大打撃を与える戦争に進展して行きました.
--------------------------------
昭和天皇の戦争に対する考え方は、
『勝てる戦争ならやろう.負ける戦争はやめよう』ではなく、
『勝てる戦争ならやろう.戦争に負けるのは嫌だから、勝てる様に考えてやれ』なのです.
昭和天皇には戦争をやめるという考え方はありません.昭和天皇の考え方では、どんな戦争でも勝てることになる.
つまり、こと戦争に限って言えば、昭和天皇の辞書に不可能はないのです.

投稿: ルミちゃん | 2011年9月18日 (日) 15時49分

 ルミちゃん様
 大変貴重なコメントをいただきありがとうございます。
 それにしても「昭和天皇の戦争責任」というか、昭和史に関してかなりお詳しいですね。

  四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらん

 開戦決定の御前会議で昭和天皇が引用した明治天皇の歌はこれでしたよね。この記事を公開するにあたり引っかかったのが、この故事だったのです。『平和主義者の天皇と戦争好きという天皇と、どっちが実像なのだろうか?』と。
 しかしこの歌の引用すらもが国民を欺く一種の戦術だったとしたら、話はまったく違ってきますね。

 どうやら昭和天皇の「ナポレオン狂」はかなりのレベルだったということなのでしょうか。平時の一般国民のナポレオン狂なら、その人間の人生上のモチベーションを高めこそすれさほど害にはなりません。しかしこれが戦時下の“大元帥”がそうだったとなると大問題です。
 近年保守系(右系)知識人や国会議員などから言われている「自虐史観を見直せ」論より先に、昭和天皇の戦争責任見直しの方が必要だと思います。

投稿: 時遊人 | 2011年9月18日 (日) 23時49分

最近になってやっと裕仁や吉田茂らの売国奴が世に晒されてきて嬉しい限りです。

コイツらとコイツらを礼讃してきた取り巻き連中には厳重な天罰を望みます。

投稿: 愛国者 | 2012年9月16日 (日) 11時02分

愛国者様
 「愛国者」と名乗っておられるので熱烈な天皇崇拝者、したがってこの記事への猛烈な反論か?と、かなり身構えて貴コメントに臨みました。しかし実際はそうではなく、むしろ共感されているのでホッと一安堵しました。
 考えてみれば。「神聖にして侵すべからず」という戦前、戦時中の天皇とその取り巻きに関して、極めて重大な情報隠匿がこれまで為されてきたとなれば、それを白日の下に晒すことこそが「真の愛国者」というものですね。
投稿: 時遊人 | 2012年9月16日 (日) 14時25分

 (転載終わり) (なお、適宜行空けをした箇所があります。)

関連記事
『昭和天皇の戦争責任(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html
『昭和天皇の戦争責任(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-ea45-1.html
『昭和天皇の戦争責任(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-362f.html

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続・日本の歌百選

 -結論として、「古き良き正統叙情歌」の守り手としてのフォレスタに期待する-

 当ブログの『名曲-所感、所見』『フォレスタコーラス』カテゴリーで過去に取り上げた歌の中で、『仰げば尊し』『蛍の光』『早春賦』『朧月夜』『浜千鳥』『雨降りお月さん』『どこかで春が』『花の街』『夏は来ぬ』などが「日本の歌百選」に選定されていることは嬉しいことです。

 ただ「日本の歌百選」は101曲限定であるため、残念ながら選に漏れた名曲も多くあります。例えば、フォレスタコーラス曲で取り上げた『かなりや』や『花かげ』や『四季の雨』は、できれば選定してほしかったと思います。
 個人的見解ながら。喜納昌吉の『花』もいい歌には違いないけれど、同じ“花の歌”なら『花かげ』の方がレベルは上でしょ。また『四季の歌』は私も好きな歌なんだけど、同じ“四季の歌”ならやはり『四季の雨』の方がレベルは上でしょ。
 「レベルが上」とは、歌詞・メロディとも優れているということです。

 これは私のブログですから、何でもかでも私に引きつけた話をしてしまいます。
 「日本の歌百選」の中で私が一番嬉しいのは、『ないしょ話』(作詞:結城よしを、作曲:山口保治)が選定されていることです。
 昨年からの読者の方は既にご存知かと思いますが、『ないしょ話』を作詞した結城よしをは、私の郷里町の山形県東置賜郡宮内町(現・南陽市宮内)の出身なのです。近年、JR宮内町駅頭に立派な「ないしょ話の碑」が建てられました。

 「神様が、わたしにいいことを教えてくれた。-それは童謡」
と書き残した結城よしをは驚くべき早熟の才能を発揮し、10代にして多くの童謡を作りました。代表作となった『ないしょ話』は19歳の時の作品です。
 ただ惜しむらくは。戦時中応召され、戦地で病を得、九州の小倉陸軍病院で24歳という短い生涯を閉じたのでした。

 『童謡「ないしょ話」秘話』では、あるご親族の方の私へのメールによって結城よしをを初めて知ったこと、(その方の了承を得て)同メールの当該部分、彼のもう少し詳しい事績などを紹介しています。
 後に同記事に童謡歌手の「坂入姉妹」さんがコメントされ、その内容を中心に『坂入姉妹と童謡「ないしょ話」』として公開しました。

 郷里町が出たついでに申せばー。
 「日本の歌百選」に選定された、『朧月夜』『春が来た』『春の小川』『故郷』の作詞・作曲コンビである高野辰之、岡野貞一は、私が通った宮内小学校の校歌の作詞者、作曲者でもあります。そのせいでは決してありませんが、この4曲はいずれも大好きな歌です。

 さらに続けさせていただきますがー。
 私の現在住地である厚木市にはかつて、『夕焼小焼』の作詞者の中村雨虹(なかむら・うこう)が住んでいました。戦前から同市内の女子高(現・厚木東高校)の教師として奉職し、昭和47年同市で75歳で亡くなったのです。
 『厚木市と♪夕焼け小焼け♪』シリーズで紹介しましたが、厚木市の防災無線スピーカーによる夕刻を知らせるメロディは、当然のことながら『夕焼け小焼け』です。同シリーズでは、この歌にまつわる関東大震災直後の感動秘話にも触れましたが、『フォレスタの「夕焼け小焼け」』公開の時にあらためてご紹介したいと思います。

 「私に引きつけた話」が終わったところで、そろそろ「まとめ」に入りたいと思います(笑)。

 繰り返しますが、「日本の歌百選」を選定することは大いに意義のあることです。しかしいくらこのような選定をしても、知らない人は知らないのです。現に人一倍「古い歌好き」の私でさえ、この試みをたまたま知ったのは今年の夏なのですから。
 その意味で、「日本の歌百選」の浸透力は少し弱いのではないでしょうか?
 
 幸いこの百選の(うち、昔懐かしい歌の)大部分をフォレスタコーラスがカバーしてくれています。当ブログアクセスの推移からも、フォレスタファンが増えつつあることが実感されます。
 学校でしっかり教えてくれない以上、それらの歌を生の歌声で直接届けてくれるグループの存在が不可欠なのです。昔はその役割をダーク・ダックスなどが果していましたが、今はフォレスタコーラスとなるわけです。

 ただこれにも難点があります。いえ、難点というのは、届け手のフォレスタコーラスにあるのではなく、受け手側にあるのです。
 一例として。時折りフォレスタコーラスの生のステージでの動画を聴いて、いつも感じることがあります。ステージを離れて、会場の観客席が映し出されることがあります。コンサート会場にいらした人たちをけなすつもりは毛頭ありませんが、全員がオールドボーイ、オールドガールばかりなのです。若くて50代でしょう。

 フォレスタが歌ってくれているのは、どちらかというと昔の「正統な叙情歌」です。つまりこういう歌を聴きにこられるのは、それなりの年配世代だけ。10代、20代、30代は、AKB48や「何とか」というニューミュージック系グループに熱狂し、フォレスタコーラスなど見向きもしないのです。 
 「古き良き正統な叙情歌」の20年後、30年後が心配です。歌の世代間断絶とともに、愛すべきこれらの歌が消えてしまいやしないか?

 何かのフォレスタ曲動画へのどなたかのコメントのように、フォレスタが紅白歌合戦にでも出場すれば、世の中の雰囲気はガラッと変わるのでしょうが…。
 結論が出ました ! 超ド派手衣装の小林幸子ですら、事務所問題がこじれて出場に危険信号が灯っているくらいですから、今年はとても無理としても。「フォレスタの来年以降の紅白出場」を目指して、全国のフォレスタファンの皆さん、今後もっともっと後押ししていこうではありませんか !!  -  完  - 

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「日本の歌百選」の項(作詞者・作曲者付きの選定曲一覧表があります。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%8C%E7%99%BE%E9%81%B8
関連記事
『名曲-所感、所見』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat30301552/index.html
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
『童謡「ないしょ話」秘話』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-0d40.html
『坂入姉妹と童謡「ないしょ話」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-74c6.html

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日本の歌百選

 -昔の名叙情歌が消えかねない現状、一定の評価のできる「百選」と言える-

 少し前のことになりますが、『フォレスタの「夏は来ぬ」』作成のためネット検索で調べているうち、「日本の歌百選」というのが選定されていることを知りました。
 そういえば当今は「何とか百選」流行(ばや)りです。当ブログでも以前、「かながわの木百選」というのがあり、近所の名刹・妻田薬師の大クスノキがその一本に選定されていることをご紹介しました。

 「日本の歌百選」は2006年、文化庁と日本PТA全国協議会によって選定され、翌2007年1月14日発表されたものですが、多分に「百選ブーム」にあやかろうとしたことは否めないのでしょう。
 ただこのまま腕をこまねいていれば、昔の童謡、唱歌、歌謡曲などの名叙情歌が歌われなくなっていく一方ですから、私のような「古い歌好き」人間には大歓迎の百選です。

 この企画は、まず一般から募った895曲から選考委員が選出したものです。応募条件は「日本語の歌詞」の歌であったため、例えば『埴生の宿』のように元々は日本国外で作られたものの日本で日本語の訳詞によって親しまれている歌も数曲含まれています。
 また「百選」という名称ですが、選考の結果100曲に絞り切れなかったため「101曲」が選定されました。

 どんな歌が選ばれたのでしょうか?まずは曲名だけですが「50音順」で以下に列記してみます。(ただし『花』は2曲あるなどの理由で、特に作詞者・作曲者名を記したものがあります。)

1.仰げば尊し 2.赤い靴 3.赤とんぼ 4.朝はどこから 5.あの町この町 6.あめふり 7.雨降りお月さん 8.あめふりくまのこ 9.いい日旅立ち 10.いつでも夢を 11.犬のおまわりさん 12.上を向いて歩こう 13.海 14.うれしいひなまつり 15.江戸小唄 16.おうま 17.大きな栗の木の下で 18.大きな古時計 19.おかあさん 20.お正月 21.おはなしゆびさん 22.朧月夜 23.思い出のアルバム 24.おもちゃのチャチャチャ 25.かあさんの歌 26.風(西條八十訳詞、草川信作曲) 27.肩たたき 28.かもめの水兵さん 29.からたちの花 30.川の流れのように 31.汽車 32.汽車ポッポ(富原薫作詞、草川信作曲) 33.今日の日はさようなら 34.靴が鳴る 35.こいのぼり 36.高校三年生 37.荒城の月 38.秋桜 39.この道 40.こんにちは赤ちゃん 41.さくら貝の歌 42.さくらさくら 43.サッちゃん 44.里の秋 45.幸せなら手をたたこう 46.叱られて 47.四季の歌 48.時代 49.シャボン玉 50.ずいずいずっころばし

51.スキー 52.背くらべ 53.世界に一つだけの花 54.ぞうさん 55.早春賦 56.たきび 57.ちいさい秋みつけた 58.茶摘み 59.チューリップ 60.月の沙漠 61.翼をください 62.手のひらを太陽に 63.通りゃんせ 64.どこかで春が 65.ドレミの歌 66.どんぐりころころ 67.とんぼのめがね 68.ないしょ話 69.涙そうそう 70.夏の思い出 71.夏は来ぬ 72.七つの子 73.花(喜納昌吉作詞、作曲) 74.花(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲) 75.花の街 76.埴生の宿 77.浜千鳥 78.浜辺の歌 79.春が来た 80.春の小川 81.ふじの山 82.冬景色 83.冬の星座 84.故郷(ふるさと) 85.蛍の光 86.牧場の朝 87.見上げてごらん夜の星を 88.みかんの花咲く丘 89.虫の声 90.むすんでひらいて 91.村祭 92.めだかの学校 93.もみじ 94.椰子の実 95.夕日 96.夕焼小焼 97.雪 98.揺籃(ゆりかご)のうた 99.旅愁 100.リンゴの歌 101.われは海の子

 以上見てみますと、『はて、こんな歌あったか?』と思うのはわずかで、ほとんどの歌は歌詞とメロディがすらすら出てくるおなじみの歌ばかりです。
 少し前『叙情歌とは何か』シリーズを公開しましたが、選定された101曲のすべてが「叙情歌の条件」をクリアーしそうです。

 「日本の歌百選」について、時代区分として「戦前の歌」「戦後の歌」という分け方が一番分かりやすいかと思います。そこでざっと数えてみたところ、「戦前の歌 7割」「戦後の歌 3割」くらいの比率となりました。
 戦前の歌がこれだけ多く今日でも支持されている(歌い継がれている)ということは、それまでの時代、いかに優れた歌が多かったかという証明であるように思われます。

 対して、『時代』『世界に一つだけの花』『花』などが選定されているのは、最近中島みゆきやSMAPや喜納昌吉が歌って大ヒットして印象が強かったせいだと考えられます。(個人的には、昭和5、60年代一世を風靡した荒井由美(松任谷由美)の歌が一曲もないのは意外です。)
 時代を超えて歌い継がれてきた古い歌は、今日では評価が定まっています。が、最近の歌ほど(今後とも残るか、消えていくか)流動的な要素が多分にあるように思われます。 (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタの「夏は来ぬ」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-efdc.html
『叙情歌とは何か(5)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-f8de.html 

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『遠野物語』第27話-若き女から託された手紙

 -池の端先代主人に手紙を託し、受け取った二人の「若き女の正体」とは?-

 先日の『「遠野物語」第22話-有り得ざる怪異譚』に、お二人の方が期せずして「遠野物語 27話」という検索フレーズでアクセスしてこられました。興味を覚えた私は、早速『遠野物語』のその話を開いて読んでみました。

 第27話。あゝこの説話なら私もよく知っています。第8話、第22話などとともに、この話の冒頭の「二七」の数字を丸で囲み、その上しっかりと赤く塗りつぶしてします。これは『遠野物語』全説話中でも、特に「お気に入りの説話である」という私なりの印(しるし)なのです。
 これもなかなか面白い説話です。それで今回一記事設けることにしました。例によってまず、第27話原文、少し長めですが以下に転載します。

二七 早池峯(はやちね)より出(い)でて東北の方宮古の海に流れ入る川を閉伊川(へいがわ)という。その流域はすなわち下閉伊郡なり。遠野の町の中にて今は池の端(いけのはた)という家の先代の主人、宮古に行きての帰るさ、この川の原台の淵(はらだいのふち)というあたりを通りしに、若き女ありて一枚の手紙を託す。遠野の町の後なる物見山の中腹にある沼に行き、手を叩けば宛名(あてな)の人いて来(く)べしとなり。この人請け合いはしたれども路々(みちみち)心に掛りてとつおいつせしに、一人の六部(ろくぶ)に行き逢えり。この手紙を開きよみて曰(いわ)く、これを持ち行かば汝(なんじ)の身に大なる災(わざわい)あるべし。書き換えて取らすべしとて更に別の手紙を与えたり。これを持ちて沼に行き教えのごとく手を叩きしに、果して若き女いでて手紙を受け取り、その礼なりとてきわめて小さな石臼(しいうす)をくれたり。米を一粒入れて回せば下より黄金出ず。この宝物の力にてその家やや富有になりしに、妻なる者慾(よく)深くして一度にたくさんの米をつかみ入れしかば、石臼はしきりに自ら回りて、ついには朝ごとに主人がこの石臼に供えたりし水の、小さき窪(くぼ)みの中に溜(たま)りてありし中へ滑り入りて見えずなりたり。その水溜りはのちに小さき池となりて、今も家の旁(かたわら)にあり。家の名を池の端というもその為(ため)なりという。
 ○この話に似たる物語西洋にもあり。偶合にや。  (引用終わり)(岩波文庫『遠野物語・山の人生』より)

 99話の「福二の亡妻との遭遇」や22話の「亡くなりし老女の有り得ざる出現」などと趣きは少し違いますが、この話もやはり「怪異譚」に分類していいのでしょう。そんなことを言えば、『遠野物語』のほとんどすべての説話は何がしかの怪異性を帯びているものですが…。

 私がこの物語の岩波文庫版を読んだのは30代後半の頃ですが、この説話の余白に次のような書き込みをしています。
 「岩波文庫『日本の昔話(Ⅱ)』中の「沼の主のつかい」は岩手県江刺郡の話だが、良く似ている。若き女とは「原台の主」の化身か?」
 今手元に『日本の昔話(Ⅱ)』が見つからないのが残念ですが、そういえば『沼の主のつかい』の話ボンヤリと覚えています。「沼の主」の正体は確か大蛇だったのではないでしょうか。水神系としての蛇や龍は、日本のみならず中国など世界各地に広く見られる伝承です。

 この説話には二人の「若き女」が登場します。一人目が池の端の先代の主人に手紙を託した「原台の淵の若き女」、そして二人目は同人からその手紙を受け取った「物見山の中腹の沼の若き女」。
 この二人の女は、距離は離れていても、以心伝心的に通じ合っていると見るべきです。「手を叩けば」宛名の人現れんというのは、いかにも呪術的です。そしてこの女たちは、二人目の女がお礼にと言って黄金を生む小さな石臼をくれたように、以前の私が書き記したとおり「淵や沼の主の化身」のようなただならぬ霊力の持ち主です。

 二人の若き女の間に割って入った形の存在が「六部」です。六部は『ウィキペディア』では次のように説明されています。

 「六部とは、六十六部の略で、六十六回写経した法華経を持って六十六箇所の霊場をめぐり、一部ずつ奉納して回る巡礼僧のこと。六部ではなく修験者や托鉢僧、あるいは単なる旅人とされている場合もある。」

 この説話での六部は、先の原台の淵の若き女の「手紙を受け取り次第、男は食べておしまい」というような邪悪な意図を見抜き、その先代主人の災いを「幸変え(さちがえ)」するほどの法力のある巡礼僧ということになりそうです。

 「石臼からもっと黄金を出そう」とした欲深妻は、昔話の花咲か爺さん、こぶとり爺さんなどに登場する性悪爺さんと同工異曲であるように思われます。
 以上見たとおり、この説話はこれまで紹介した各説話と違って実話そのままではなく、昔話的な要素が多分に加味されていそうです。長い歳月の伝承によって練り上げられ、話としてもしっかりしたストーリー性が感じられます。

【追記】
 『遠野物語』関連記事、決して多くはありませんが、嬉しいことにコンスタントにアクセスがあります。同物語では「座敷わらし」「オシラサマ」「馬に恋した美女」「河童」などは“定番”ですが、まだ取り上げていません。
 そこで今回『遠野物語・昔話・民話』カテゴリーを新たに設け、同物語を中心としたテーマを今後とも取り上げていくことにしました。このカテゴリーを機縁として、『遠野物語』や民俗学に興味を持たれる方が少しでも増えていただければ幸いです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『遠野物語・昔話・民話』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat51045525/index.html

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中勘助『銀の匙』

 -老若男女を問わず、一度は『銀の匙』をお読みになることをお奨めします-

 小説家の中勘助(なか・かんすけ)の『銀の匙(ぎんのさじ)』は10代の頃から知っていて、私の中では「いつか読んでみるべき必読の一冊」になっていました。しかしなかなか読む機会が得られず、同作品の岩波文庫版を求めたのはずっと後年、平成に入った40歳頃のことでした。
 そして私にとって『銀の匙』は読み通せない一冊でもあったのです。以来20余年の間に何度かトライしてみたものの、「前篇」の10ページほどを読んだところで、いつ投げ出してしまっていたのです。

 なぜなのでしょう?私たち“大人”の「精神体(メンタルボディ)」は、テレビドラマがもてはやされているのを見ても分かるとおり、とても「ドラマや事件が大好き」です。だから小説を読む場合でも、ついついスリルとサスペンスに富んだストーリー展開のものを求めがちです。
 しかし『銀の匙』の場合冒頭から、作者の中勘助自身と思われる主人公の、東京下町の神田界隈の幼年時代の細密な日常体験が延々と綴られていて、読んでいて飽きてしまうのです。

 今思えば、それはつくづく浅はかな読み方だったと言うべきです。今回とにかく最後まで読み終えることができました。これを後押ししてくれたのは、灘校の国語教師だった橋本武先生です。
 『「銀の匙」と灘校名物国語教師(正・続)』でご紹介しましたように、橋本先生は灘校在職中、国語の授業で3年間を通して『銀の匙』だけを唯一の教材として教えるという甚だユニークな教育手法を貫かれたのでした。

 同記事を公開したのに、私自身が冒頭の何ページかでほっぽり放しではお話になりません。
 それと橋本先生の「銀の匙教室」における指導法の一端を紹介しながら、『一冊の作品にこれだけ情熱を注げるということは、この本自体に何かあるんだろうな』と興味が湧き、最後まで読み通すパワーのようなものをもらったのです。

 この作品の「前篇」が発表されたのは明治44年の夏、中勘助27歳の時のことでした。前篇は、この世の記憶が始まった幼年期から10歳頃まで。大正2年に発表された「後篇」は、そこから17歳の夏まで。全篇が克明な自伝的物語で、時代的にはほぼ明治20年代ということになるのでしょう。

 発表当初文壇ではさほど注目されなかったようです。その価値をいち早く認めたのが夏目漱石だったのです。漱石が「未曾有の秀作」とまで絶賛したゆえんはどこにあるのか?私の下手な所見を述べるよりは、岩波文庫版の和辻哲郎の「解説(の結論部)」を引用する方が早そうです。
 なお和辻哲郎(わつじ・てつろう)は、『風土』などの名著で知られる戦前を代表する思想家です。少し長いですがズバリ核心に迫った名文です。

 「『銀の匙』には不思議なほどあざやかに子供の世界が描かれている。しかもそれは大人の見た子供の世界でもなければ、また大人の体験の内に回想せられた子供時代の記憶というごときものでもない。それはまさしく子供の体験した子供の世界である。子供の体験を子供の体験としてこれほど真実に描きうる人は、(漱石の語を借りて言えば)、実際他に「見たことがない」。大人は通例子供の時代のことを記憶しているつもりでいるが、実は子供として子供の立場で感じたことを忘れ去っているのである。大人が子供をしかる時などには、しばしば彼がいかに子供の心に対して無理解であるかを暴露している。そういう大人にとっては、人の背におぶさっているような幼い子供の細かい陰影の描写などは、実際驚嘆に価(あたい)する。ああいうことは、大人の複雑な心理を描くよりもよほど困難なのである。こうなると描かれているのはなるほど子供の世界には過ぎないが、しかしその表現しているのは深い人生の神秘だと言わざるを得ない。 昭和十年 和辻哲郎」 (引用終わり)

 これで、今まで何度か読もうとして、いつも10ページ以下くらいでそれ以上読み進められなかった大きな理由が分かりました。
 私は「子供の体験した子供の世界」を描いたこの作品を、「子供として子供の立場で感じたことを忘れ去った」大人の立場の意識で捉えすぎていたのです。『銀の匙』を読了できなかったこれまでの我が20余年は、(この国の「失われた20余年」同様)振り返ってみてロクなものではありません。
 和辻哲郎にあらためて指摘されてみると、「大人」とはつくづく「子供の哀れな成れの果て」のような気がしてきます。

 しかし、独り中勘助だけは違っていたのです。まさに「子供の体験を子供の体験として」真実描き得た稀有の作家と言うべきです。
 当ブログ開設当初『インナーチャイルド』という拙詩で、私は「内なる子供の開放の重要性」を暗に示したつもりでした。しかしこうしてみると、先ずもって「インナーチャイルドの解放」が必要なのは、他ならぬ私自身なのかもしれません。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
中勘助『銀の匙』(岩波文庫)
関連記事
『「銀の匙」と灘校名物国語教師』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-762a.html
『続・「銀の匙」と灘校名物国語教師』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-7a08.html
『(拙詩)インナーチャイルド』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_0b57.html

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日々雑感(14)

  風来れば風のままなる赤とんぼ  (拙句)

 今年は残暑が事のほか厳しいものとなりました。東京の8月の平均気温は沖縄よりも高かったというように、年々ヒートアイランド化が顕著となってきています。こうなると東京をはじめとした首都圏は、もう立派な亜熱帯気候と言うべきなのかもしれません。
 五木寛之など、暑過ぎる残暑をこぼしている年配の著名人のエッセイをちらほら見かけました。夏本番の酷暑よりも、立秋過ぎの残暑の方がご老体にはこたえるいうのです。

 幸い「年齢という概念を放棄」することにしている私は、そんな暑さを大過なく乗り切ることができそうですが、皆様はいかがお過ごしだったでしょうか。 

 9月も中旬にさしかかり、さしもの暑さも和らぎ、だいぶ秋めいてきました。それが証拠に、近所の何十坪(古い表現ながら、「何百平米」換算もおかしなものなので)かの空き地の上を、今年初の赤とんぼの群れがすいすい飛んでいました。
 時刻は夕方4時前頃。本日(10日)は空の低い四辺に雲が少しある程度の快晴で、早や日は西に傾き強い返照を投げかけている頃合い。思わぬ発見に子供の頃の思い出が懐かしく、少しの間その飛ぶさまを眺めていました。

 小さな小さな赤とんぼです。西日を浴びて羽(はね)を光らせながら、一面の草むらの上を2、30匹くらい前後になったり上下になったりと、思い思いに気持ち良さ気に飛び交っているのです。これだけ多くの数は最近では珍しいくらいです。
 赤とんぼは、本格的な秋の到来を告げる風物詩の一つと言えます。

  秋蝶のふわりゆらりと孤遊かな  (拙句)

 それとともに、その空き地の東側の何本かの潅木の辺りで、いつ来たのか、これも小さな一羽の白い蝶がひらひら飛んでいるのが認められました。赤とんぼ同様、人間にはまるで推し量れない定めなき軌跡です。
 空き地の向こうの立派なお屋敷の一階の少し窓を開けた辺りに風鈴があり、折りからの少し強い夕風にリーン、リーンと「秋の風鈴鳴りにけり」の風情を送って寄越しました。
 もう少し夕闇迫れば、あちこちの草むらから涼し気な虫の音(ね)も聴かれることでしょう。

 話は急変してー。
 本日の当ブログ、予期せず「秋のお祭」状態となりました。最近の『美しすぎる地震学者』がバカ受けとなったのです。
 急増は午前11時台で、当ブログとしてはめったにない「(1時間)純訪問者数 500人」。続く12時台は540人と、この2時間だけで軽く1000人超となりました。(結局この日は、「純訪問者数 3,256人」「アクセス総数 4,440件」)

 『美しすぎる地震学者』とは、東大地震研所員&東大助教授の大木聖子さん(33)です。「時の人」でもあり、ある程度のヒットは予想していましたが「まさかこれほどとは !」、想定外です。
 今の時代当然の事ながら、やはり大木さんをテレビ番組の『情熱大陸』(ТBS系-日曜夜11時)で取り上げた事が一番大きかったのでしょう。良きにつけ悪しきにつけ、テレビの影響力は絶大ですから。
 それと、ネットの2ちゃんねるですぐさま大木さんの件を取り上げ、「かわいい」「美人すぎる」「結婚して欲しい」などと“お祭”状態になった効果もあったことでしょう。

 私も同記事を公開した手前、2日の日の該当2ちゃんねると思しきものを当たってみました。(1テーマの)1スレは1000コメントまでです。なるほど始めから終わりまでざっと流し読みしてみましたが、確かに例に引いたようなホメ言葉も多くありました。
 しかしそこは2ちゃんの持つ品性と言うもの、お下劣な書き込みも相当目立ちます。例によって末尾に当該2ちゃんアドレスを表記しようかとも考えましたが、止めておきます。どうしても読みたい方は、自己責任で検索してみてください。

 末尾になりましたがー。今回ブログ背景替えました。秋の本格的到来を記したのに、いつまでも「若葉」もないものです。新しい背景(とは言っても、これを使うのは3年目になりますが)は「十五夜」です。
 今は深夜に東から上る下弦の半月です。それが少しずつ細って三日月となり、遂には新月に。しかしそこから反転し、今度は夕方西の空に眉月が見え始め西の上弦の半月に。なおなお膨らんで遂には真ん丸い「十五夜」となります。
 ちなみに今年の十五夜は、今月30日です。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『美しすぎる地震学者』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-ee4a.html

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フォレスタの「からたちの花」

-最近、中安千晶人気急上昇 ! そこで今回は少しばかり「中安千晶論」(?)を-

   (「フォレスタ からたちの花」YouTube動画)
    http://www.youtube.com/watch?v=8tXzLtbe6TA


 当ブログを定期訪問され、トップ面左サイト中ほどの「検索フレーズランキング」をご覧の方はお気づきのことでしょう。同ランキングに、ここ1ヵ月ほど前から「中安千晶」が頻繁に登場するようになったのです。
 改めて言うまでもなく、中安千晶(なかやす・ちあき)さんは女声フォレスタコーラスメンバーのお一人です。

 女声フォレスタで以前からダントツの人気を誇っていたのが、矢野聡子さんです。今や中安千晶さんは、同ランキングでその矢野さんと並び、追い越す勢いなのです。矢野聡子さんが結婚し、フォレスタ活動も休止中なのをこれ幸いと、あわよくばこの機会に女声フォレスタでトップスターとしての地位を不動のものにしようという魂胆のようです。
 ウソです、ウソです、冗談です。おっとりタイプで、周りへの気配りがきく心優しい(血液型)A型女性である中安さんには、そんなつもりはまったくありません。(冗談ついでの余談ながら、かく言う私もA型ですからよく分かります・笑)

 そうではなく、これは全国のフォレスタファンの間で「中安千晶人気」が高まっていることの証明なのです。もっともランキングに登場する以前から、「中安千晶」「フォレスタ中安千晶」などの検索フレーズがけっこうあり(同じフレーズが相当数集まらないとランキングには反映されない)、『おっ、中安さん、なかなかの人気だぞ』とは思っていました。

 それにしても、どうしてここにきて「中安千晶人気」がこれほどまで急上昇しているのでしょうか?
 それを解析するデータを持ち合わせていない私にはまるで分かりません。ただここ2、3週間ほど、BS日テレのフォレスタ出演番組『BS日本 こころの歌』が放送される月曜夜10時台に、特に「中安千晶」フレーズが集中する傾向があります。
 同番組を観ていない私にはよく分かりませんが、あるいは矢野聡子さん・小笠原優子さんの活動休止、上沼純子さんの新加入などで新編成の女声フォレスタにあって、中安さんは従前より注目されるポジションを占めるに至ったものなのでしょうか?(ご存知の方がおられましたらご教示ください。)

 中安千晶さんは、2006年に結成された初代女声フォレスタメンバー4人の一人です。中安さんはスラッとした長身(一説では169cm)でスタイル抜群、その上(正確な年齢は不明ですが)女声フォレスタきっての「美少女」です。
 しかしながら中安さんはコーラスパート担当が多く、女声フォレスタ曲を陰で支える役割に徹してこられました。最も人気の高い矢野聡子さんとともに、中安さんも「縁の下の力持ち」的存在だったのです。その辺のことも、全国のフォレスタファンはよく見ておられるのかもしれません。

 中安千晶さんが、今あらためて脚光を浴びているとしたら、何とも慶ばしいことです。

                         *
 中安千晶さんの独唱曲として『からたちの花』を取り上げてみました。

 『からたちの花』は、作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰で、大正14年(1922年)に雑誌『女性』に発表された童謡です。のちに文部省唱歌にもなりました。
 2007年選定の『日本の歌百選』にも選ばれています。

 この歌をはじめ『赤とんぼ』『この道』など多くの名曲を作曲した山田耕筰ですが、幼時に父親を亡くし養子に出され、活版工場で勤労しながら夜学で学びました。苦学して日本を代表する作曲家となった山田耕筰は、後に自伝で、同工場でつらい目に遭うと、からたちの垣根まで逃げ出して泣いたと述懐しています。
 以前から親交のあった詩人の北原白秋がその思い出を聞いて歌詞を作り、童話雑誌『赤い鳥』に発表し、後に山田耕筰があらためてその詞に作曲したのです。

 山田耕筰一個人の体験を超えて、誰しもが懐かしい日本的郷愁を呼び起こされる名童謡です。



 からたちの花のように、女声フォレスタの皆さん、清潔感溢れる純白のドレスです。特に独唱している中安さん、清らかな“聖女”のようです。
 この歌は音域がかなり高音にまで及んでいるため、「ハイソプラノ」の中安さんでも歌うのは難しかったはずですが、そこを見事にクリアーして「中安千晶のからたちの花」としています。
 童謡は高く澄んだ中安さんの声質に合うのでしょうか、「童謡なら中安千晶さん」と思ってしまいます。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『フォレスタコーラス』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
 

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美しすぎる地震学者

-『情熱大陸』で取り上げられて人気に火がついた、東大地震研の大木聖子さん-

 2010年7月、美貌の女スパイのアンナ・チャップマンに興味を持ち『美しすぎる女スパイ』という記事を出しました。これがその後シリーズ化した『美しすぎる…』のスタートでした。(少し自慢しますが、同記事は朝日新聞系『web論座』でURL紹介されました。)
 直近では今年1月の『美しすぎる「フォレスタ」』。これは、その時初めて聴いた『フォレスタの「別れのブルース」』に大感激し、しかもこの歌を独唱している吉田静さんをはじめ女声メンバー全員が美女ぞろいなのに驚嘆して取り上げたものです。

 フォレスタ女声コーラスを見出したことをもって、「私の美女探求」は目的を達したと思い、以来『美しすぎる』シリーズは途絶えていました。しかし今回旬の話題性に富む美女を発見しましたので、特別に取り上げたいと思います。
 あるいは既にご存知の方がおありかもしれませんが、今回ご紹介するのは地震学者の大木聖子さんです。



 大木聖子さん(33)は、東大地震研究所所員にして東大助教授という“超才媛”です。「天は二物を与えず」とは古来からの言い習わしですが、大木さんの場合はこの華麗なる肩書きに加え、上の画像どおりの広末涼子似という「可愛い系美貌」の持ち主です。何という才色兼備。時として「天は二物を与える」という典型例というべきです。

 大木さんは東京都出身です。“お嬢さま学校”として知られている頌栄女子学院高校から北海道大学理学部地球惑星科学科(と言う、門外漢には頭がクラクラしそうな学科)に進み、何と仕上げは東大大学院の博士課程修了なのです。
 そもそも大木さんが地震学者になったキッカケは、1995年1月17日の阪神・淡路大震災だったといいます。同震災は今から17年前の出来事ですから、年齢から逆算するとその時大木さんは16歳、頌栄女子学院の女子高生だったことになります。

 テレビ画像を通して伝えられた同震災の大惨状から、強い衝撃を受けるとともに「よしっ。もう二度とあんな大地震被害を起こさないために役に立つ仕事をしたい !」と考えた同世代の若者は多かったのではないでしょうか?
 しかし大木さんのように、その後地震学者として大成したというような話は寡聞にして聞きません。“お嬢さま”の大木聖子ただ一人、初志貫徹して夢を実現させたのです。大木さんの「志(こころざし)の高さ」と、可愛い系に似合わぬ芯の強さを感じます。

 昨年3月11日には、阪神・淡路をはるかに上回る被害規模の東日本大震災が発生しました。当時は多くの地震学者がテレビに出ずっぱりでしたが、大木さんも何度かメディアに登場し、地震のメカニズムや防災について解説し、当時から一部マニアの間では「カワイイ」と評判だったといいます。
 それが今月2日の『情熱大陸』(ТBS系)で「注目の地震学者」として取り上げられたことで、人気に火がついたのです。

 「同番組では、広報業務で忙しい毎日を送る姿や、『地震の犠牲者を減らしたい』と力強く語る表情が映りました。『苦しいことばっか』と涙ぐむシーンもある。本人は話もうまいし、まるで女子アナを取り上げるような作りでした」(アイドルウォッチャー)

 放送直後からネットの掲示板には書き込みが殺到しました。
 「かわいい」「結婚して欲しい」「美人すぎる」「可愛いすぎて生きるのがつらい」…など、“祭り”状態になったといいます。
 2ちゃんねる・ネット掲示板は知る人ぞ知る、世の中で一番辛らつな「毒舌メディア」です。これにかかれば時の総理だってボロクソです。その2ちゃんねるが「美人すぎる」などと誉めそやすとは !

 この記事は『日刊ゲンダイ』(9月8日7面)を参考・引用してまとめていますが、同紙記者は、「ひょっとして、このままキャスターなどに転職を図るつもりだったりして。」と結んでいます。
 人様の今後の進路など分かりませんが、もしこのまま地震学者を続けるおつもりなら、大木聖子さん。東大閥による悪しき「原子力ムラ」ではないけれど、「地震学者ムラ」の悪しき一員にだけはなりませんように。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『美しすぎる女スパイ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-499f.html
『美しすぎる女スパイのその後』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-0adc.html
『美しすぎる「フォレスタ」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-1920.html

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シュトルム『みずうみ』

 -「灯下親しむの候」の手始めとして、かねてお約束の『みずうみ』の感想文を-

 『「みずうみ」を読んだ若き日のこと』で述べたように、20歳で『みずうみ』を読んだのが2回目。以来40余年も経って、今回3回目を読みました。
 男女の愛と別れを詩情豊かに描いた『みずうみ』は、世界的に広く読まれている「青春の文学」の一冊と言っていいのでしょう。それをまさか「夢見る頃を遠く過ぎた」この年になって読み返すなど、思いもしませんでした。
 しかし長い歳月、経験というこの上ない厳しい教師のおかげでさしもの私も少しは成熟したのか、今回初めてきちんとこの名作を読めたような気がします。

 『みずうみ』は、老人となった主人公のラインハルトが、夜を迎えようとして一条の月の光が射し込み照らし出した、部屋の壁に掛けられた少女の絵に向かって「エリーザベト !」とつぶやくところから始まります。
 そこからこの短編は、エリーザベトが5歳の頃に遡った回想シーンへと続いていきます。エリーザベトは5歳年上のラインハルトを慕い、彼もまたエリーザベトを愛しく思い、二人はいつも一緒に楽しい時間を過ごしていたのです。

 「かわいらしくて小さな女の子」だったエリーザベトは年とともに美しく成長し、二人の間にはいつしか恋が芽生え、将来を誓い合います。
 しかし長ずるに及んで、ラインハルトは“エリーザベトの町”を離れて他郷の町の上の学校に入ることになります。初めて味わう愛別離苦の苦しみですが、ラインハルトは詩を書いて送ったり、エリーザベトはそれに返事を書いてよこしたりと、二人は手紙のやり取りで互いの愛を確かめ合っていました。

 ある年の復活祭にラインハルトは久しぶりの帰郷をします。すると真っ先に会ったエリーザベトにどこかよそよそしさを感じます。実はラインハルトの郷里での学友で資産家の息子のエーリヒがエリーザベトを見初め、彼女の母親を通して熱心に自分を売り込んでいたのです。
 その2年後、学業に励むラインハルトのもとに彼の母親から、「エリーザベトがエーリヒから結婚申し込みを受け、2度断ったものの、母親の説得に折れ3度目に受諾した」という手紙が届きます。

 数年後、ラインハルトはエーリヒの招待を受け「インメン湖畔」の邸宅を訪れ、エリーザベトと久しぶりの再会をします。その折りの印象的な一つのシーンを、『叙情歌とは何か(3)』で引用しました。
 数日を夫妻の「インメン湖荘」で過ごしたラインハルトは、ある早朝夫妻に別れを告げずに邸宅を出て行こうとしますが、そこに彼の旅立ちを予感したエリーザベトが…。

 以上が『みずうみ』のあらすじです。しかし単にあらすじを読むのと、リリシズム(叙情性)が全編にみなぎる本文を読むのとは、まったく別物であることをくれぐれもご了承ください。

 この物語において、「インメン湖」以前のストーリーは同湖から離れた土地が舞台です。ですから、タイトルの『みずうみ』が示すとおりシュトルムは、物語後半部のインメン湖荘におけるラインハルトとエリーザベトの再会を描きたかったのだ、と推察されます。
 所用でエーリヒとエリーザベトの母親が他所に行き、ラインハルトはエリーザベトと二人だけでインメン湖の向こう岸の森などを散歩するシーンがあります。その折りラインハルトは言います。
 「エリーザベト、あの青い山々の向こうに、ぼくらの青春はあるんだね。あれはどこへ行ってしまったんだろう?」
 40余年ぶりに読み返してみて、この言葉だけは何となく覚えていました。

 なお我が国では『みずうみ』のタイトルで通っていますが、(私も今回初めて知りましたが)シュトルムの原題は『インメン湖(Immensee)』だそうです。インメン湖はいかにもドイツのどこかの地方にありそうな湖なのでネット検索してみたところ、架空の湖で「みつばち湖」の意味だということです。
 シュトルムの故郷フームズのある地方には大小数多くの湖沼があり、その風土をモチーフに設定した湖のようです。

 『みずうみ』は1849年、シュトルム(1817年~1888年)32歳の時の作品です。ただしその初稿をある友人に読んでもらったところ、鋭く批判され、根本的に書き直し新稿として『夏の物語の歌』(1851年)という短編集に収録されたものが、今日私たちが読むことのできる『みずうみ』なのです。
 シュトルムは短編(単一の事件を扱うノヴェレ形式)を好み、これを「最高の芸術」として尊重しました。中でも『みずうみ』は叙情的傾向が色濃い初期作品中の代表作といってよさそうです。シュトルム自身、10年後両親に宛てた手紙の中で「この短編はドイツ文学の珠玉だと思います」と述べています。

 回想は終わり、エピローグは、とある町の屋敷の部屋にいる老ラインハルトに戻ります。夜のとばりがおりて暗くなった部屋の中を、暗い湖面として描写しているくだりは見事です。
 さて絵の中に描かれたエリーザベトは、生きているのか、既に死んでしまったのか。直接的に示してはいません。が、多分もうこの世にはいないのだろうな、と思わせられます。

 このように、この物語でシュトルムは、愛別離苦の哀しみなどの直接的表現を抑制した、リリシズム溢れる筆致で描いています。それゆえかえって、読後の余韻が長く残るように思われるのです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「みずうみ(シュトルム)」の項
『みずうみ・三色すみれ』(旺文社文庫、石丸静雄訳)
関連記事
『「みずうみ」を読んだ若き日のこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-0d40-1.html
『叙情歌とは何か(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-e5bb-1.html

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『遠野物語』第22話-「有り得ざる怪異譚」

 -死者がこの世に出てくるのはいい。しかし物を動かしたりしてはいけないのに…-

 2009年8月13日の『寒戸の婆』以来、柳田國男の『遠野物語』を何度か取り上げました。昨年10月には『鎮魂の物語の成立』で、民俗学者で東日本大震災復興会議のメンバーでもある赤坂憲雄の含蓄に富む一文も紹介しました。
 同文のメーンは、大震災の被災地となった「田の浜」を舞台とした第99話なのでした。この話は、先年妻を大津波で亡くした福二という漁師が、ある晩浜の方から男とともに歩いてくる亡き妻と遭遇した怪異譚なのでした。(連れの男は以前海の遭難で亡くなった、妻のかつての想い人。)

 今回取り上げるのは、数多くある『遠野物語』の説話の中でも、「寒戸の婆」の第8話などとともに、私が取り分け好きな説話の一つである「第22話」です。この話もまた怪異譚です。まずはその原文を以下に掲載します。

二二 佐々木氏の曾祖母年よりて死去せし時、棺に取り納め親族集まりてきてその夜は一同座敷にて寝たり。死者の娘にて乱心のため離縁せられたる婦人もまたその中にありき。喪の間は火の気を絶やすことを忌むがところの風(ふう)なれば、祖母と母との二人のみは、大なる囲炉裏の両側に座り、母人(ははびと)は旁(かたわら)に炭籠を置き、おりおり炭を継ぎてありしに、ふと裏口より足音してくる者あるを見れば、亡くなりし老女なり。平生腰かがみて衣物(きもの)の裾を引きずるを、三角に取り上げて前に縫いつけてありしが、まざまざとその通りにて、縞目にも見覚えあり。あなやと思う間もなく、二人の女の座れる炉の脇を通り行くとて、裾にて炭取(すみとり)にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり。母人は気丈の人なれば振り返りあとを見送りたれば、親縁の人々の打ち臥したる座敷の方へ近より行くと思うほどに、かの狂女のけたたましき声にて、おばあさんが来たと叫びたり。その余の人々はこの声に睡(ねむり)を覚ましただ打ち驚くばかりなりしといえり。
 
○マーテルリンクの『侵入者』を想い起こさしむ。 (岩波文庫『遠野物語・山の人生』より)

 冒頭「佐々木氏」とあるのは、岩手県遠野郷出身の民話収集家・研究家の佐々木喜善(佐々木鏡石)のことです。柳田國男は、佐々木喜善から遠野地方に伝わる伝承、民話、説話を聞き書きしたことにより、名著『遠野物語』が生まれたのです。

 この話は、佐々木喜善自身がその晩実際その家にいた一人だったのか、あるいは佐々木が生まれる前の話だったのか。いずれにせよ、第99話もそうでしたがずっと以前の昔話ではなく、この名著が上梓された明治43年(1910年)に近接した頃の話で、登場人物の多くは実在した人物です。そこが他の民話、伝承とは違う『遠野物語』の持つ実話的リアリティです。
 死者の娘で乱心のため実家に帰されていた狂女が、この話の怪異効果を高めるのに一役かっています。

 『遠野物語』が発刊された当初、泉鏡花や芥川龍之介といった才能溢れる気鋭の作家が高い評価を寄せたことは『「遠野物語」発刊100周年』で触れました。まだ我が国で「民俗学」という分野が確立されていなかった当時ですから、泉鏡花も芥川も文学作品として高く評価したのです。(注 この『遠野物語』によって日本民俗学がスタートした。)

 ずっと後年(戦後)のことになりますが、三島由紀夫がこの第22話を激賞しています。三島の場合も文学的側面としての評価でしょうが、戦前の日本浪漫派から出発した耽美主義的な三島が「土俗的なこの話をなぜ?」と思ってしまいます。
 ただ三島自身の20代の代表作の一つに、『近代能楽集』という未だに海外で高い評価を得ている作品があります。「能」は死者と生者の交流が大きなテーマです。この作品の中の『卒塔婆小町(そとばこまち)』では、現代に巧みに設定を変えながら、99歳の老いさらばえた小野小町を登場させています。

 そんな三島が(三島一流の逆説で)「この話はいけません」というのです。どこがいけないのでしょうか?
 「死んだはずの老女が出てくるのはまあいい」、許容範囲である。しかし「裾にて炭取にさわりしに、丸き炭取なればくるくるとまわりたり」という、「ここがいけない」というのです。
 確かに幽霊となってこの世に現れることはままあることです。しかしいくら何でも、死者は不文律的に、生者たちの物質を動かしたりしてはいけないのです。
 もしそうでなければ、この世とあの世の截然(せつぜん)と区分された秩序が根底から揺らぐことになるではありませんか。

 しかし、およそ有り得ざる怪異が当然のように語られるのが『遠野物語』の大きな魅力の一つです。この話でも、亡くなった老女は顕界、幽界の秩序など何のその、そんな結界などいとも簡単に踏み破り、親族たちへの何のメッセージなのか炭取をくるくる回し、平然と去って行ってしまうのです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『寒戸の婆』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-54a5.html
『「遠野物語」発刊100周年』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-8193.html
『鎮魂の物語の成立』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-d2d3.html

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統一教会の文鮮明教祖死去

 -統一の「日本支配計画」も頓挫か?ただ別の勢力の台頭も考えられ予断許さず-

                        *

統一教会の文鮮明教祖死去にあたって   有田芳生

 (出典)『BLOGOS(ブロゴス)』  http://blogos.com/article/46100/

(1)    統一教会(正式名称は世界基督教統一神霊協会)の文鮮明教祖が9月3日に92歳で亡くなった。私は四半世紀を超えて統一教会と闘ってきた。拉致問題解決に取り組むひとりとして、文鮮明氏が朝鮮戦争の動乱をきっかけに北朝鮮から韓国に移動し、そこで宗教団体を設立、反共産主義の立場から行動しつつ、生地(平安北道定州)に郷愁を覚えていたことに、南北朝鮮に生きる人たちの歴史の重みを感じている。

(2)    1954年に韓国で設立された統一教会は「混淫教」の流れをくみ、当初からスキャンダルにまみれていた。教祖の女性問題などが社会問題となったからである。密入国した信者が日本で布教をはじめ教団が設立されたのは1959年。東京都の認証をえて宗教法人となったのは1964年。そのころから強引な布教とマインドコントロールで社会問題となっていく。「親泣かせの原理運動」と報じられたのは1965年である。

(3)    60年代は親子問題として、70年代は早稲田大学、青山学院大学など全国の学園問題として、80年代は霊感商法として社会問題となり、90年代にはタレントなどの合同結婚式参加をきっかけとして霊感商法、珍味売り、花売りなど「すべて」の行動の問題点が社会に明らかとなっていった。その起動力は文鮮明教祖のカリスマ性にあった。日本の信者に大きな傷跡をつけるきっかけは1975年に文鮮明教祖から発せられた送金命令である。統一教会幹部の証言によると、それからの10年間に毎月20億円、合計2000億円が教祖のもとに届けられた。「先祖の因縁」話などを利用した霊感商法など詐欺的行為による。警視庁の厳正捜査により、いまは公然と行うことはできないが、長年にわたって獲得したノウハウがあり、いつ再開するかは予断を許さない。ちなみに被害相談額は2001年までの25年間に1100億円を超えている。

(4)    日本の政治を歪めたのも統一教会である。冷戦時代に韓国に続き日本でも国際勝共連合が結成され、最高時には衆議院、参議院で150人を超える「勝共推進議員」が生まれた。統一教会信者は公設、私設秘書としていまでも永田町に送り込まれている。文鮮明教祖が「竹島」に上陸しただけでなく、天皇陛下が拝跪する儀式があることも幹部によって明らかにされた。基本的に民族宗教といえる側面がある。北朝鮮の平壌にある普通江ホテルの経営、合弁事業の平和自動車の経営や香港を経由しての送金など、「アジアプロジェクト」と呼ばれていた経済行為には今後も注目する必要がある。

(5)    信者たちはいたって真面目な人たちが多い。矛盾あるこの日本社会にあって精神の拠り所に統一教会を求めたのだろう。だが日本が朝鮮半島を植民地支配したことへの贖罪意識や「万物復帰の教え」などを通じて霊感商法などの反社会的行為にかき立てられてきた。自己破産や自殺者も生んだ矛盾を解決しなければならないとの思いを抱く信者も多い。生まれたときから信者として育てられた二世のなかには矛盾を抱える者もいる。「信教の自由」(憲法20条)の視点からも捉えていかなければならない。

(6)    「教祖は一代かぎり」とはカルト理論の基本である。ポスト文鮮明をめぐっては数年前から親子、兄弟間の激しい対立が表面化している。教祖の逝去をきっかけに跡目争いはさらに激化していくだろう。なかでも教団の重要な資金源となってきた日本の教会でも対立は深化していくだろう。カリスマ教祖の逝去というこの機会に純粋な宗教団体として生まれ変わることを心から期待したい。そうでなく霊感商法などを再開し、日本社会にさらなる被害をもたらすなら、統一教会に反対する弁護士、ジャーナリスト、父母などの関係者は宗教法人格の剥奪をめざし行動していくだろう。私も国会議員として引き続き統一教会を監視、批判していく。  (以上転載終わり)

【私のコメント】
 韓国を拠点とする統一教会については、有田芳生氏の本文にもあるとおり、我が国でも、かつて人気歌手だった桜田淳子も参加して大きなニュースとなった合同結婚式や、高額な壷などを強引に買わせる霊感商法などが社会問題となりました。
 しかし私が思うに、そんな事は氷山の一角で、統一教会の本質はその「カルト性」にあると思われるのです。

 統一教会は、我が国の創価学会とともに、東アジアにおける二大カルト教団なのです。そして今もって生死不明な創価学会の池田大作氏は、本名は「成太作(ソン・テチャク)」という韓国名と言われているとおり、この二大カルト教団は朝鮮半島宗教という共通性がありそうです。
 共に一大宗教コンチェルンと言うべきで、両教団とも総資産は数兆円規模に上ることも共通しています。
 ここで詳述はできませんが、両教団はオウム真理教、オウム事件とも浅からぬつながりがあります。

 そして見過ごせないのは、統一教会も創価学会も、東アジアにおける重要な「イルミナティ奉仕機関」であるということです。先輩格の統一教会はイルミナティの「日本支配計画」の指令に基づき一足先に日本に進出し、創価が後からそれに倣って片棒を担いでいると思われるのです。
 なお最近自民党総裁選に立候補するとか、橋下新党と連携するとか、ゾンビのように復活しつつある安倍晋三元首相ですが、かつて統一教会の式典に祝電を送るなど、「米国CIAエージェント」の一人だった祖父・岸信介以来、安倍家は統一教会とは親密な関係です。  (大場光太郎・記)

関連記事
『池田大作氏死去?』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-d3f9.html

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えっ、モーツァルト『k448』を聴くと頭が良くなる !?

 -「頭が良くなる効果」も含めて。秋の夜長、たまには「モーツァルト」はどうでせう-

 先日、フォレスタコーラスピアノ担当の南雲彩さんのブログにお邪魔し、『おっ !』と思うような耳よりの情報を得ることができました。
 それはズバリ「モーツァルトの『k448』を聴くと頭が良くなる」というものです。
 『モーツァルトk448』とは、正式曲名は『モーツァルト 2台のピアノ・ソナタ ニ長調 k448』というのだそうです。(「k」は、ケッヘルという人が、数多くあるモーツァルト曲を分類するために編み出した記号。)

 南雲彩さんはこの曲を先月、大学(武蔵野音楽大学)の同期生と一緒に演奏発表されたようです。普段はフォレスタコーラスのピアノ担当として、陰で数々の名演奏をしてくれている南雲さんですが、当然ながら難しいクラシック曲もお弾きになるわけです。
 南雲さんのブログは『今日のつぶやき』ですが、このタイトルどおり、つぶやき(ツイート)のような短い文章を連ねていく方式です。南雲さんのピアノ演奏と同じく、歯切れよく、“才知”が感じられる文章です。

 折角良い事を聞いたからには“善は急げ”です。すぐに「モーツァルト k448」で検索し、YouTube動画のこの曲を聴いてみました。その結果のっけから、頭にとても刺激的であることが実感されました。

 http://www.youtube.com/watch?v=P_6K9ZW7qUs

 (イヤホーンで聴いていて)まるで頭のすぐ右と左にピアノが置かれていて、それぞれが奏でる旋律が互いに干渉し合い、響き合い、ちょうど我が脳内全体が「一大共鳴場」になるような具合なのです。「波動は干渉し、共鳴し合う」という波動の原理そのままの現象が、我が脳内で起きたような感じです。

 その結果どうなるのか。頭の前頭葉、両側頭葉、頭頂葉、後頭葉、つまり脳全体に何と言えばいいのか、まるでパルスが走るような名状しがたい現象が起きたのです。
 特に刺激が顕著だったのが後頭葉の左の部位です。“見えざる手”によって、後ろからそっとやさしく指圧でもされているような感じがしたのです。決して不快な感じではなく、むしろ心地良い刺激です。

 同動画は『k448』の第一楽章のみ、演奏時間は5分何十秒かです。
 受験生などと違って、直後の学習効果によって本当に頭が良くなったのかどうか、私の場合は確かめようがありません。が何となく、頭が活性化されたような実感はありました。ただし南雲彩さんによると、この曲を聴いての「頭が良くなる効果」は永久に続くわけではなく2、3時間くらいとのことのようです。
 実際に視聴してみた私の実感からしますと、普段使っていない大脳の微細な血管にドッと血が流れ、未開通のニューロン、シナプス回路が新たに開かれたかのような実感がありました。

 ただ私の場合一番脳のショックが大きかったのは、やはり最初に聴いた時のようです。何回か繰り返し聴いているうち、我が脳は「k448刺激」に慣れっこになってしまったのか、当初の脳全体の“ビリビリ感”は減少していきました。

 「k448を聴けば頭が良くなる」というような効果を総称して「モーツァルト効果」というのだそうです。既に米国の大学では、被験者である学生たちにこの曲を聴かせたところIQの向上が見られた、という実験データもあるといいます。
 そういえば私もかなり前、「乳牛にモーツァルトを聴かせたところ、乳の出が良くなった」と述べてある本を読んだことがあります。

 私はクラシック愛好家でもクラシック通でもありません。だから「モーツァルト」をそれほど聴いてきたわけではありません。ただ私の乏しい「モーツァルト体験」から言っても、モーツァルトのほとんどすべての曲は、「天来の楽の音(がくのね)」と言っていいように思われます。
 以前ある記事でも触れましたが、モーツァルトは曲を譜面化せず演奏もしていない前から、既に頭の中で曲全体が完璧に完成していたと言われています。だからあとは、それをただ譜面に書き写していくだけでよかったのです。

 「西洋音楽史上最大の天才」ならではの霊感(インスピレーション)のなせる業(わざ)です。そのモーツァルトの霊感の源泉はまさしく「天上界」だったのではないでしょうか?そう思われるほど、モーツァルトの音楽は流麗で、明澄で、ピュアで、軽快で、変幻自在で、それでいてどこか哀調があったり神秘的だったりして…。
 もし本当にそれらの曲が「天界の音楽」の再現だったとしたら、頭が良くなるというような効果はもとより、「モーツァルト」には深い“ヒーリング効果”があるとしてもおかしくはないわけです。

 フォレスタコーラスはもとより。秋の夜長は、たまにはモーツァルトを初めとしたクラシック音楽を聴いて過ごすのもいいのではないでしょうか。副次的に「頭が良くなる」のなら、なおのこと。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
南雲彩ブログ『今日のつぶやき』
http://aya-nagumo-piano.blog.so-net.ne.jp/

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「竹島・小沢発言」&問責騒動またも小沢の勝ち

 -「国民の生活が第一」小沢一郎代表に関する、お得な二本立て特集です-

 今回の野田首相への問責騒動の勝者は小沢一郎だとする、大マスコミが伝えない裏真相を述べた『日刊ゲンダイ』を転載します。

 例によって、それに関連した私のコメントを先ず述べるつもりでいました。しかし一昨日から、幹事長時代の訪韓時、小沢氏が李明博大統領に語ったという「竹島領有権放棄発言」が波紋を広げているようです。
 竹島、尖閣諸島という二大領有権を巡って、日韓、日中間で、最近とみにギクシャクした関係が表面化しています。小沢氏のこの発言が事実なら、間近とされる総選挙を前にして大問題になりかねません。

 この「竹島・小沢発言」については、『MSN産経ニュース』がどこよりも熱心に(笑)伝えています。そこで同ニュースの、一連の報道の推移を以下見てみたいと思います。

小沢氏「韓国人の恨み慰める」「竹島領有権放棄」を李明博大統領に伝える 韓国紙報道
2012.8.30 11:22
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120830/kor12083011240003-n1.htm

 【ソウル=加藤達也】30日付の韓国紙、東亜日報は「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が2009年12月、民主党幹事長として訪韓した際、李明博大統領との会談で、自身が首相となれば竹島(韓国名・独島)の領有権を放棄すると発言していたと報じた。会談に携わった外交筋の話としている。

 報道によると小沢氏は李大統領に「日韓関係改善のためには韓国人の恨みを慰めなくてはいけない」として「(そのためには)竹島問題解決が最優先だ」と強調。そのうえで「日本が領有権主張を中断し、韓国の領有権を認めなければならない」との持論を展開。「(自身が)首相になればそうする」と明言したという。小沢氏はまた、日本側の竹島領有権主張の目的について「漁業に関連している」とし、竹島の領有権放棄の代わりに竹島周辺海域での日本漁船の活動の保障を要求したとしている。

小沢氏、韓国紙の「竹島領有権放棄発言」報道を否定
2012.8.30 12:48
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120830/stt12083012500005-n1.htm

 (記事内容省略) 要約すれば、小沢代表は30日、自らが主宰する勉強会で、韓国紙の同報道に触れ「私は、尖閣諸島と竹島はわが国固有の領土であるということを何度も申し上げている」と、自身が言ったとされる「放棄発言」を完全否定したものです。

小沢氏竹島放棄発言は「事実無根」 韓国大統領府、「生活」に伝える
2012.8.31 19:18
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120831/stt12083119200014-n1.htm

新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表が平成21年に訪韓した際、自身が首相になれば竹島の領有権を放棄するなどと発言したと韓国紙「東亜日報」が報じたことについて、韓国大統領府は31日、在京韓国大使館を通じ、同党の東祥三幹事長に「東亜日報の報道は誤りで事実無根である」と連絡した。東氏が産経新聞の取材に答えた。 (以上、転載終わり)

 やれやれ。結局は、韓国紙「東亜日報」及び(それに飛びついた)「産経新聞」などの勇み足だったんじゃん。我が国の暗黒司法による、一連の小沢“冤罪”裁判がダラダラ続いているのに引き換え、こちらはあっという間に真実が明らかになって何よりでした。
 それにしても、上記『MSN産経ニュース』の第一報は、「ツイート数 2,502」(9月1日未明)と突出しています。「デマ情報」が大量に拡散されたのです。大事な総選挙を前にして、東亜日報&産経さん、この落とし前どうつけてくれるんだい。

 それでは本題の『日刊ゲンダイ』(8月31日3面)記事の転載です。 (大場光太郎・記)

                         *

問責騒動 勝ったのは小沢だ ! 民主・自民のブザマさだけが浮き彫りに

 今回の問責騒ぎで、自民党も深い傷を負った。「無節操」「無責任」と大マスコミにも批判されている。そのウラで目立ったのは、やはり小沢一郎の政治力だった。民主党を問責で追い込み、返す刀で増税談合に加担した自民党をバッサリ切る。改めて思い知ったのは、「国民の生活が第一」の姿勢を崩さない小沢の凄みだ。

 <国民の多くは今も消費税増税に反対><最近の国会運営は民・自・公3党のみで協議し、合意をすれば一気呵成に法案を成立させる。議会制民主主義が守られていない>
 問責決議の提案理由には野田の政治姿勢だけでなく、3党合意への痛烈な批判も盛り込まれていた。それもそのはず。きのうの案は、今月7日に「国民の生活が第一」など野党7会派が出した問責案と何ひとつ変わらなかった。小沢の迫力が、そこまで追い込んだのだ。

 「谷垣総裁は自民が問責を出せば、7会派は同調すると見くびっていたのです。ところが、7会派側は先に出した問責案を自公両党がたなざらしにした経緯から『いまさら虫が良すぎる』と猛反発。驚くことに自民サイドは大事な問責カードを切るのに、7会派に何も根回しをしてこなかったのです」(政界関係者)

たった1日で腐敗政治をあぶり出す

 慌てた自民は、自分たちの問責案を引っ込める見返りに、問責理由から増税や3党合意批判を削るよう求めた。
 この泣き言に真っ向「ノー」を突きつけたのが小沢だ。結局、後に引けない自民は問責可決を最優先し、7会派案を丸のみ。反増税を貫く小沢に“降伏”した。谷垣は「小異にこだわっていたら、大きな目的は達成できない」とエラソーに言ったが、自らの甘さと調整力のなさを露呈しただけだ。

 加えて、亡国増税で手を組みながら、党利党略だけで野田に問責をぶつける節操のなさ。増税批判に屈しても国民に悪びれた様子も見せない厚顔無恥……。小沢の手により、たった1日でこの政党の腐敗要素があぶり出された形だ。公明の棄権で、自公共闘にもヒビが入るおまけ付きである。

 「小沢代表は7日の問責決議提出の時点から、きのうの事態を見据えていたのでしょう。いずれ谷垣総裁が追い込まれて起死回生の野田倒閣に打って出る、と。このまま、谷垣氏が不信任まで突っ走れば、成立には小沢新党の協力が不可欠。小沢氏が政局の主導権を握ります。谷垣氏の倒閣姿勢が崩れても平気です。すでに増税3党の醜悪な実態を有権者に見せつけることに成功しています。後は両にらみで、小沢氏は高みの見物でいいのです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

 この調子だと、早期解散になっても、民主党ばかりか、自民党も負けるだろう。ブレない小沢の輝きだけが増してくる。 (転載終わり)

関連記事
『不信任騒動の勝者は誰か』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-3e91.html
『韓国大統領、竹島に上陸』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-0468.html

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