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フォレスタの「雨降りお月さん」

-晴れの嫁入りなのになぜ雨の夜更けに一人で?この歌に隠された悲話とは-

      フォレスタの「雨降りお月さん」
      https://www.youtube.com/watch?v=f9ZQJYqQzLQ

   1番 (雨降りお月さん)
    
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
    ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
    傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
    シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
    お馬にゆられて 濡れてゆく    

  2番 (雲の蔭)                                                 
    いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
    手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
    お袖でお顔を 隠してる
    お袖は濡れても 干しゃ乾く
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お馬にゆられて 濡れてゆく
       (著作権消滅曲のため歌詞掲載す。)

 年配の方ならどなたもご存知の昔懐かしい、作詞:野口雨情、作曲:中山晋平の童謡です。1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月創刊号で楽譜付きで発表されました。野口雨情は初め題名を『雨降りお月』としていましたが、中山晋平のすすめで『雨降りお月さん』にしたという経緯がありました。
 
 『雨降りお月さん』が好評だったため、同年の『コドモノクニ』3月号では『雲の蔭』という続編が発表されました。このように両者はもともと別の歌であり、中山晋平がつけたメロディも若干異なっています。
 それが昭和に入ってからレコードが普及しだし、この歌もレコード化されることになった際『雨降りお月さん』だけでは短いので、中山晋平の提案により『雲の蔭』と合せて一つの歌とすることにしたという経緯もまたありました。  (以上、フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 この歌は、『雨』『花嫁人形』などとともに好きな童謡の一つです。以前の『雨-哀愁ただう童謡」』で述べましたように、こういう昔の童謡は「時代が違うから」「暗い歌だから」などの理由から、今の小学校教育ではあまり教えられないようです。ただこの歌は、2007年文化庁と日本PTA全国協議会の選定で『日本の歌百選』に選ばれました。

 さてこの歌は、文句なしで叙情性溢れる名童謡です。何より私はこの歌の基調をなすものは、「寂しさ」「哀しさ」だと思います。晴れのお嫁入りに、どうして「雨の夜更け」に「ひとりで」「夜が明ける前」に行かなければならないのでしょうか?何かのっぴきならない、隠された事情がありそうです。

 通り一遍に歌っているだけでは事情は皆目分かりません。その辺のことを論考した優れたサイトがあります。
   フナハシ学習塾その他23 童謡のなぞ14
 ご興味のある方は同サイトの全文をお読みいただくとして。その核心と思われるものを、以下にかいつまんでご紹介してみたいと思います。

 数多くの童謡などの作詞家として名高い野口雨情は、この歌が作られるまで二人の娘を亡くしているのです。まず長女みどりを、明治41年3月に生まれてすぐの8日目で。ここで思い起こされるのが、雨情の童謡『しゃぼん玉』の
   ♪ しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
     生まれてすぐに こわれて消えた…
という歌詞です。

 したがって『しゃぼん玉』は、「生まれてすぐに」亡くなってしまった長女みどりへの鎮魂歌であるとともに、合せて大正10年に授かった次女恒子ばかりは、せめて健やかに育ってもらいたいという願いを込めた歌だったのです。

 ところが悲劇は続きます。次女恒子も、『雨降りお月さん』を発表する直前の大正12年(1924年)9月23日にわずか2歳で亡くなってしまったのです。ですからこの『雨降りお月さん』は、人生を謳歌することなく亡くなってしまった恒子へのせめてもの手向けに、父・雨情の親心として、恒子が成人して嫁入りする姿を想い描いて作った歌だったのではないだろうかと推察されるのです。

 既に死んでしまった我が子に対して、いくら親でも連れ添ってあげるわけにはいきません。死者の嫁入りは、月も出ない雨の夜更けに「ひとりで傘 さしてゆく」しかないのです。それではあまりにも可哀想だから、「シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた お馬にゆられて 濡れてゆく」…。

 そういう悲しい事情が野口雨情にあったとすると、この歌の「寂しさ」「哀しさ」が理解されてきます。またもしそうだとすると、この歌を通り一遍に聞き流したり口ずさんだりしては、野口雨情に申し訳ないのかなとも。
  - 雲がち、雨がちの今年の十三夜に

                        *

 本記事は2010年10月20日(十三夜)に『雨降りお月さん』として公開しましたが、今回『フォレスタの「雨降りお月さん」』としてリニューアル公開することとしました。
 そこでここからは、この歌を歌っている女声フォレスタについて述べていきたいと思います。

 この歌を歌っているのは、白石佐和子さん、吉田静さん、矢野聡子さんの3人です。ほかに何曲もこの女声トリオで歌っていたかと思いますが、お3人は武蔵野音楽大学卒業です。そういうこともあってか、どの歌も息ピッタリのコーラスだと思います。
 1番独唱は白石佐和子さん。こういう叙情的名童謡は白石さんお手のもののようで、のびのび独唱しているように見受けられます。

 そして2番独唱は矢野聡子さん。『夏は来ぬ』の矢野さんの4番独唱の時もそうでしたが、この人のこういう歌を聴くとなぜかジ~ンときてしまいます。『夏は来ぬ』の時は、「楝(おうち)散る 川辺の宿の …」という佐佐木信綱の歌詞のせいかな?と思っていましたが、『雨降りお月さん』でもやはりそうでした。
 なぜなのでしょう?矢野さんは不思議な高い声の持ち主です。

 今回真ん中のポジションに位置しているのが吉田静さんです。この歌の動画で、ある人は「三者三様の歌い方で素晴らしかったです、今回は裏方に徹した「吉田静」さんのソロも是非聴いてみたいです。」とコメントしておられます。
 私はそこまでは言わずとも、やはりこの歌でも、吉田さんの“低音の魅力”がしっかり効いていると思います。

 このコーラスから受ける印象では、お3人は野口雨情の悲話の事はご存知ないようです。しかし彼女たちの感性できちんととらえた『雨降りお月さん』になっており、このコーラスはこれでオッケーです。
 別の人のコメントに「涙が止まりません。」とありました。白石さん、矢野さん、吉田さんのコーラスが、聴く人の心の琴線にしっかりと触れていることの証明のようなコメントです。

 (大場光太郎・記)

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『雨降りお月さん』(『名曲-所感、所見』カテゴリー)
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『フォレスタの「夏は来ぬ」』
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コメント

 14日いよいよ混声合唱団「歌輪」で
「雨降りお月さん」青島広志編、「ひめゆりの塔」山本和夫作詞
岩崎三郎 作曲を歌います。
「雨降りーー」のブログ、コピーして団員に紹介させてもらいます。いいですか?
 こんな悲壮な話があるとは思いませんでした。今日のフォレスタ
は「麗」女声コーラスですね。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

投稿: 1947LEO | 2012年10月 8日 (月) 19時19分

1947LEO様
 返信遅くなり、大変申し訳ございませんでした。実は貴コメント、どうしてなのか「スパム扱い」に入っており、私はスパム欄など滅多に覗きませんので、発見がきょうになってしまった次第です。
 もうタイミングを逸したかも知れませんが、本記事もしお役に立つのでしたら、いつでもご自由にお使いください。それに私も、この名童謡の隠された悲話を一人でも多くの人に知っていただきたいと思いますし。
 8日『BS日本 こころの歌-麗』は、いろんな意味で大注目だったようですね。早速当ブログでも『フォレスタ個人情報(2)』としてまとめました。

投稿: 時遊人 | 2012年10月16日 (火) 18時29分

この記事へのコメントは終了しました。

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