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火車婆・考

 -「カシャババ」は我が郷里だけかと思っていたが、「火車婆」は全国区らしい-

 当ブログのアクセス検索フレーズの中には、ハッとさせられるフレーズに時折りぶつかります。今回の記事もそういう検索フレーズに基づいて作成するものです。
 今月上旬のある日、期せずして2人の方が以前の『続・乞食さんの思い出』記事に、ある共通の検索フレーズでアクセスしてこられました。一人の方は「カシャ婆」もう一人の方は「カシャ婆さん」です。

 『続・乞食さんの思い出』の中で、私の郷里町である山形県東置賜郡宮内町(現・南陽市宮内)での思い出として、近所で時折り噂になる「カモダのカシャババ(婆)」について触れたのでした。
 ですから私はてっきり、このお2人は郷里の人か、その名前を知っている郷里出身の人かと思いました。

 それにしても、超ローカルな地方でだけ語られている「カモダのカシャ婆」について、2人同時にアクセスしてくるものだろうか?奇妙といえば奇妙です。そこで私は「物は試し」と、「カシャ婆」についてネット検索してみることにしました。すると驚いたことに『ウィキペディア』をはじめとして「火車」「火車婆」がズラッとあるではありませんか。
 私は同記事の末尾で、「カモダのカシャババは、蒲生田の火車婆か?」とイメージからあてづっぽうな表記をしましたが、ズバリそのとおりだったわけです。

 中でも『ウィキペディア』が一番よくまとめられています。そこで「火車(妖怪)」の項を、以下にざっと紹介してみたいと思います。

火車化車(かしゃ)は、悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる日本の妖怪。葬式や墓場から死体を奪う妖怪とされ、伝承地は特定されておらず、全国に事例がある。正体は猫の妖怪とされることが多く、年老いた猫がこの妖怪に変化するとも言われ、猫又(注 これも老猫の妖怪)が正体だともいう。

日本古来では猫は魔性の持ち主とされ、「猫を死人に近づけてはならない」「棺桶の上を猫が飛び越えると、棺桶の中の亡骸が起き上がる」といった伝承がある。また中世日本の説話物語集『宇治拾遺物語』では、獄卒(地獄で亡者を責める悪鬼)が燃え盛る火の車を引き、罪人の亡骸、もしくは生きている罪人を奪い去ることが語られている。火車の伝承は、これらのような猫と死人に関する伝承、罪人を奪う火の車の伝承が組み合わさった結果、生まれたものとされる。

 このように「火車」は全国的に分布している伝承で、その正体は老いた猫で、死んだ者の亡骸(なきがら)を奪う恐ろしい妖怪だったのです。
 ただ、昔話「猫檀家」などでも火車の話があり、播磨国(現・兵庫県)でも山崎町(現・宍粟市)牧谷の「火車婆」に類話があるといいます。これなどは、この昔話が各地に伝播していく過程で、老猫が人間の老婆に変化した可能性が考えられます。

 火車と同種のもの、または火車の別名と考えられているものに、以下のものがあります。

 「民話の宝庫」岩手県遠野では「キャシャ」といって、上閉伊郡綾織村から宮守村(二つとも現・遠野市)に続く峠の傍らの山に前帯に巾着を着けた女の姿をしたものが住んでおり、葬式の棺桶から死体を奪い、墓場から死体を掘りこして食べてしまうといわれました。
 長野県南御牧村(現・佐久市)でもキャシャといい、やはり葬列から死体を奪うとされました。

 私の出身県である山形県にも「火車の話」があります。
 同県では昔、ある裕福な男が死んだときにカシャ猫(火車)が現れて亡骸を奪おうとしたが、清源寺の和尚により追い払われたと伝えられています。そのとき残された尻尾とされるものが魔除けとして長谷観音堂に奉納されており、毎年正月に公開される、というものです。

 ここまで『ウィキペディア』をかなり引用しながら記してきました。しかしここにきて『何となく聞いたことがあるけど、長谷観音堂ってどこにあるんだ?』と思ったのです。そこでこれもネット検索で調べることにしました。
 すると驚いたことに、「長谷観音堂」とは何と私の郷里町である宮内にあるお堂ではありませんか ! おらが郷里町の観音様のお堂に、カシャ猫の尻尾が奉納されている?(なお「清源寺」は、山形市大字長谷堂地内にあるお寺のようです。地名が「長谷堂」、宮内町の観音堂が本家だったということなのでしょうか?)

 いやいや、「カシャ婆」一つに興味をもって調べていくうちに、思いがけない他の興味ある事につながっていくものです。
 そう言えば思い出しました。私が通った小学校に隣接して熊野神社があり、境内沿いの道を北の方向に真直ぐ行くと野道になり、しばらく行ったその先に同観音堂があったのです。小学校4年生の頃、その近くで同学年による秋の「芋煮会」をしたことを覚えています。
 懐かしいあの芋煮汁の旨い味。その時亡母が持たしてくれた弁当のおかずは、醤油で煮たイナゴでした。

 私は今回初めて知りましたが、長谷観音堂境内には、近代俳句の創始者の一人である俳人・高浜虚子の
   雪の暮花の朝の観世音
の句碑が建っているというのです。
 さらには『夏は来ぬ』の作詞者で歌人の佐佐木信綱の
   国のため玉と砕けし
   ますらをとはに守りませ 長谷のミ仏
の歌碑もあるのです。

 そろそろ「カシャ婆」のまとめに入りたいと思います。

 私は『続・乞食さんの思い出』で、近隣で噂されていた「カモダのカシャ婆」を女乞食になぞらえました。しかしこれはとんでもない誤りだったことになります。何かあるとその名を聞くだけで、子供だった私は興味半分に一度その姿を見たいものだと思っていましたが、ついぞ見たことはありませんでした。
 それもそのはずです。相手は妖怪なのですから、そうやすやすと姿を現わすはずがないのです。また私は同記事で「あるいは山姥(やまんば)のたぐいか?」とも述べましたが、そちらの方がイメージとしては近かったことになります。

 蒲生田(カモダ)は、町の東外れを流れる吉野川(最上川の上流の一つ)の川向こうの、ずっと先にある蒲生田山のたもとの集落です。あるいは昔、その辺にある種の凄味を持った老婆が実在していて、先ほどの長谷観音堂の「カシャ猫の尻尾」の言い伝えと習合して「カモダのカシャ婆」と呼ばれるようになったのかもしれません。

 「カモダの」というからには、そう呼んだのは町場の人たちだったのに違いありません。宮内町の西北には、「日本三熊野の一つ」とされる熊野神社(現・熊野大社)があります。そうでありながら、その反対の東南方向にカモダのカシャ婆をこしらえてしまう。大変面白い庶民の精神構造というべきです。
 今回記してきて気がつきましたが、「カモダのカシャ婆」は我が郷里のレッキとした「民話」の一つであると思います。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』「火車(妖怪)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%BB%8A_(%E5%A6%96%E6%80%AA)
『山形県南陽市/赤湯温泉協同組合』公式サイト「高浜虚子 句碑(長谷観音堂内)」
http://samidare.jp/akayu/lavo?p=log&lid=46175
同サイト「佐佐木信綱 歌碑(長谷観音堂」)
http://samidare.jp/akayu/note.php?p=log&lid=46174
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