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シュトルム『みずうみ』

 -「灯下親しむの候」の手始めとして、かねてお約束の『みずうみ』の感想文を-

 『「みずうみ」を読んだ若き日のこと』で述べたように、20歳で『みずうみ』を読んだのが2回目。以来40余年も経って、今回3回目を読みました。
 男女の愛と別れを詩情豊かに描いた『みずうみ』は、世界的に広く読まれている「青春の文学」の一冊と言っていいのでしょう。それをまさか「夢見る頃を遠く過ぎた」この年になって読み返すなど、思いもしませんでした。
 しかし長い歳月、経験というこの上ない厳しい教師のおかげでさしもの私も少しは成熟したのか、今回初めてきちんとこの名作を読めたような気がします。

 『みずうみ』は、老人となった主人公のラインハルトが、夜を迎えようとして一条の月の光が射し込み照らし出した、部屋の壁に掛けられた少女の絵に向かって「エリーザベト !」とつぶやくところから始まります。
 そこからこの短編は、エリーザベトが5歳の頃に遡った回想シーンへと続いていきます。エリーザベトは5歳年上のラインハルトを慕い、彼もまたエリーザベトを愛しく思い、二人はいつも一緒に楽しい時間を過ごしていたのです。

 「かわいらしくて小さな女の子」だったエリーザベトは年とともに美しく成長し、二人の間にはいつしか恋が芽生え、将来を誓い合います。
 しかし長ずるに及んで、ラインハルトは“エリーザベトの町”を離れて他郷の町の上の学校に入ることになります。初めて味わう愛別離苦の苦しみですが、ラインハルトは詩を書いて送ったり、エリーザベトはそれに返事を書いてよこしたりと、二人は手紙のやり取りで互いの愛を確かめ合っていました。

 ある年の復活祭にラインハルトは久しぶりの帰郷をします。すると真っ先に会ったエリーザベトにどこかよそよそしさを感じます。実はラインハルトの郷里での学友で資産家の息子のエーリヒがエリーザベトを見初め、彼女の母親を通して熱心に自分を売り込んでいたのです。
 その2年後、学業に励むラインハルトのもとに彼の母親から、「エリーザベトがエーリヒから結婚申し込みを受け、2度断ったものの、母親の説得に折れ3度目に受諾した」という手紙が届きます。

 数年後、ラインハルトはエーリヒの招待を受け「インメン湖畔」の邸宅を訪れ、エリーザベトと久しぶりの再会をします。その折りの印象的な一つのシーンを、『叙情歌とは何か(3)』で引用しました。
 数日を夫妻の「インメン湖荘」で過ごしたラインハルトは、ある早朝夫妻に別れを告げずに邸宅を出て行こうとしますが、そこに彼の旅立ちを予感したエリーザベトが…。

 以上が『みずうみ』のあらすじです。しかし単にあらすじを読むのと、リリシズム(叙情性)が全編にみなぎる本文を読むのとは、まったく別物であることをくれぐれもご了承ください。

 この物語において、「インメン湖」以前のストーリーは同湖から離れた土地が舞台です。ですから、タイトルの『みずうみ』が示すとおりシュトルムは、物語後半部のインメン湖荘におけるラインハルトとエリーザベトの再会を描きたかったのだ、と推察されます。
 所用でエーリヒとエリーザベトの母親が他所に行き、ラインハルトはエリーザベトと二人だけでインメン湖の向こう岸の森などを散歩するシーンがあります。その折りラインハルトは言います。
 「エリーザベト、あの青い山々の向こうに、ぼくらの青春はあるんだね。あれはどこへ行ってしまったんだろう?」
 40余年ぶりに読み返してみて、この言葉だけは何となく覚えていました。

 なお我が国では『みずうみ』のタイトルで通っていますが、(私も今回初めて知りましたが)シュトルムの原題は『インメン湖(Immensee)』だそうです。インメン湖はいかにもドイツのどこかの地方にありそうな湖なのでネット検索してみたところ、架空の湖で「みつばち湖」の意味だということです。
 シュトルムの故郷フームズのある地方には大小数多くの湖沼があり、その風土をモチーフに設定した湖のようです。

 『みずうみ』は1849年、シュトルム(1817年~1888年)32歳の時の作品です。ただしその初稿をある友人に読んでもらったところ、鋭く批判され、根本的に書き直し新稿として『夏の物語の歌』(1851年)という短編集に収録されたものが、今日私たちが読むことのできる『みずうみ』なのです。
 シュトルムは短編(単一の事件を扱うノヴェレ形式)を好み、これを「最高の芸術」として尊重しました。中でも『みずうみ』は叙情的傾向が色濃い初期作品中の代表作といってよさそうです。シュトルム自身、10年後両親に宛てた手紙の中で「この短編はドイツ文学の珠玉だと思います」と述べています。

 回想は終わり、エピローグは、とある町の屋敷の部屋にいる老ラインハルトに戻ります。夜のとばりがおりて暗くなった部屋の中を、暗い湖面として描写しているくだりは見事です。
 さて絵の中に描かれたエリーザベトは、生きているのか、既に死んでしまったのか。直接的に示してはいません。が、多分もうこの世にはいないのだろうな、と思わせられます。

 このように、この物語でシュトルムは、愛別離苦の哀しみなどの直接的表現を抑制した、リリシズム溢れる筆致で描いています。それゆえかえって、読後の余韻が長く残るように思われるのです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ウィキペディア』-「みずうみ(シュトルム)」の項
『みずうみ・三色すみれ』(旺文社文庫、石丸静雄訳)
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『「みずうみ」を読んだ若き日のこと』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-0d40-1.html
『叙情歌とは何か(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-e5bb-1.html

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