フォレスタの「船頭小唄」
-歌謡曲の先駆的一曲が混声フォレスタの名唱によって今日に蘇えった !-
(「フォレスタ 船頭小唄」YouTube動画)
https://www.youtube.com/watch?v=0hHkHB2Xgt8
「枯れすすぎ」にはまだ早いですが、秋も仲秋の候ともなるとこういう心に沁みる歌が聴きたくなります。
私はフォレスタによるこの歌を初めて聴いた時(今春)、『えっ、船頭小唄ってこんなにいい歌だったか?』と思ってしまいました。それほど見事なコーラスです。大正時代の古い歌が、かつての森繁節とはまた違った味わいで、平成の「今この時」に新たに蘇えった感じがします。
『船頭小唄』は、(島村抱月ともに芸術座を立ち上げた)松井須磨子が劇中歌として歌って一世を風靡した『カチューシャの唄』(大正3年)や『ゴンドラの唄』(大正4年)とともに、我が国歌謡曲の先駆けとなった感のある歌です。
注目すべきは、『船頭小唄』をはじめとした我が国初歌謡曲のこれらの歌が、今日に至る歌謡曲としての要件をほぼ完璧に備えていたということです。だからこそこれらの歌は、時代を超えて今日まで歌い継がれてきたわけです。
『船頭小唄』は大正10年(1921年)1月、新民謡の『枯れ芒(かれすすき)』として野口雨情が作詞し、同年中山晋平が作曲した歌です。
大正11年に、『新作小唄』に『船頭小唄』と改題して掲載、翌大正12年ヒコーキレコードから女優の中山歌子によって初めて吹き込まれ、それを契機として各レコード会社から何人もの歌手がこの歌をレコード化しました。さらに同年松竹で映画化もされています。
この歌で特筆すべきは、この歌の大流行の最中の大正12年(1923年)9月1日関東大震災が起こり、野口雨情の暗い歌詞、中山晋平の悲しい曲調から「この地震を予知していた歌だったのでは?」という説が流布されたことです。(注 この現象世界のすべての事象は、まず“視えざる次元”で型として出来てから現れるのですから、この説はあながち間違いとも言い切れない。)
さらに街道演歌師の添田唖蝉坊は、
「俺は東京の焼け出され 同じお前も焼け出され どうせ二人はこの世では 何も持たない焼け出され」
と替え歌で歌って喝采を浴びました。
時代は下った昭和32年(1957年)、映画『雨情物語』の主題歌として森繁久彌が歌い、「枯すすき」に人生の哀愁に共感するとして大ヒットとなりました。
また、昭和49年(1974年)には類似の哀愁を持つ曲『昭和枯れすすき』(作詞:山田孝雄、作曲:むつひろし、唄:さくらと一郎)がヒットし、翌年同名の映画も作られたことは記憶に新しいところです。 (以上3項『ウィキペディア』-「船頭小唄」の項参考・引用)
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このコーラスは男声2人、女声2人計4人による混声コーラスです。
男声は横山慎吾さんと川村章仁さん、女声は中安千晶さんと吉田静さんです。男声、女声ともに珍しいユニットといっていいかもしれません。
まずテノールの横山さん、バリトンの川村さんの男声コーラスで始まります。重厚ないい歌い出しです。
他の歌でも思うのですが、横山慎吾さんの声質は包み込むような柔らかいテノールで、こんな魅力的なセクシーボイスで「死ぬも生きるも ねえお前」などと耳元で囁かれたら、女性はイチコロなのではないでしょうか?
そんな事を言えば、川村章仁さんの低音も女性にとってはしびれるほどの魅力でしょうから、どちらとも「甲乙つけがたし」としておきます。
画面が引いてワイドになるとともに、後ろの吉田静さんの姿が。しかし次に、あれれれっ ! 利根川の“世捨て人船頭”の歌に、何と美少女・中安千晶ちゃんが。私はてっきり『これはミスキャストだぞ』と思いました。
ところが3番前半の中安さんの独唱を聴いて、そんな疑念は払拭されてしまいました。このフレーズは潮来出島を照らすお月さんを描いて、この歌で最も詩的ですが、これを中安さんは高くて澄んだ、まるで玉を転がすような佳(よ)い声で歌い切っています。彼女の新境地を開いた歌唱であるように思います。
ここでこの歌のピアノ伴奏に触れておきます。
『船頭小唄』にピアノの音色(ねいろ)がこれほどまでピッタリ合うとは、思いもよりませんでした。演奏は南雲彩さんか吉野翠さんか、とうとう最後まで分かりませんでしたが、とにかく名演奏です !
そしてもう一人の女声は吉田静さんです。
吉田さんと中安さんは、推定年齢「28+α歳」の同い年です。そこでこの2人を対比すれば、昔のプロ野球のうたい文句をもじって言えば「人気の中安千晶、実力の吉田静」となりそうです。「フォレスタ大躍進」のためには、人気も実力もどちらも欠かすことができません。
気の合うお2人のようですが次世代フォレスタとして、今後とも女声フォレスタを大いに盛り上げていってもらいたいものです。
吉田静さんに戻ります。
この歌の吉田さん、後ろのポジションに“姐さん(あねさん)然”と構えていますが、一度もズームアップされていません。しかしこの歌全体を通して「メッツォ・ソプラノ吉田静」が実によく効(き)いています。
と言うより、4人の合唱フレーズになると他の3人の歌声は霞んでしまい、吉田さん一人の歌声に収斂(しゅうれん)されてしまうようなのです。
恐るべし「吉田静の力」 !
途中の横山さんや中安さんの独唱もさりながら、聴き終わってみると『これは「吉田静の船頭小唄」だよな』と思ってしまいます。
(大場光太郎・記)
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