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2012年10月

「就職偏差値」が異様に高い2つの地方大学

 -就職超氷河期が続く当今、入学偏差値より就職偏差値が重要らしい-

 例えば東大、京大、北大、東北大などの旧帝大系や早慶などの有名私大。受験生たちの大学のブランド志向は依然根強いものがあります。しかし就職超氷河期の今日、これらの名門大学ですら希望の企業に就職できないのが現状です。

 そんな中、有名大学ほど「入学偏差値」は高くないものの、一流企業に抜群の就職実績を誇る“お買い得”大学が地方に存在するといいます。その好例として今年4月、秋田国際教養大学(AIU)について記事にしました。
 つい先週どこかのテレビ番組でこの大学を取り上げたのか、その夜の10時台から『「秋田国際教養大」急成長の秘密』へのアクセスが急増し、翌日の「検索フレーズランキング」で1位以下を関連フレーズが占めました。受験生を中心にその父兄たちなのか、「就職率のいい大学」への関心がいかに高いかを如実に示す一つの指標だろうと思われます。

 今回『日刊ゲンダイ』紙に、またまた地方の2つの“お買い得”大学が紹介されましたので、早速当ブログでも取り上げてみたいと思います。

立命館アジア太平洋大学(APU)

 この大学があるのは大分県。2000年に開校しました。入学偏差値は50~55と中堅校レベルにも関わらず、就職率は95%を超え、国内学生の1部上場企業への就職率は約36%を誇るといいます。
 ちなみに、入学偏差値が65~70の慶応大学の1部上場企業への就職率は約43%とさして大差なく、偏差値を超えたAPUの人気も分かろうというものです。

 今年は三菱重工業に6人の内定者を出しました。同社の事務系採用数では、東大、一橋大、早慶といった名門大学を抜いてトップだそうです。
 また11年度の就職先でも、新日本製鉄、旭化成、コマツ、住友化成、東芝、三菱商事、野村證券、三井住友銀行、武田薬品工業といった一流企業がズラリと並びます。

 立命館アジア太平洋大学の強さの秘密は何なのでしょうか?
 これは秋田国際教養大学にも言えたことですが、ズバリ「グローバルな人材育成」を主眼に置いていることにありそうです。
 5800人いる学生の約半数が世界83カ国からの外国人留学生で、日本の大学とは思えない雰囲気だといいます。1年次の講義は日本人と留学生が一緒の少人数、学生寮では日本人と外国人との同室が必須なのです。互いに理解し合えないと、寝食すら共にできないハードな環境です。

 とは言っても、人種や国籍が違う以上、摩擦や軋轢(あつれき)が当然のように起こります。実は大学側の狙いはそこにあるのです。企業が重視するコミュニケーション能力を身につけさせるために、人種や国境の壁を乗り越える体験を多く積ませるわけです。そういう体験の繰り返しで、日本人学生の意識も変わるといいます。
 その結果、企業の採用面接で「海外で働けますか?」と聞かれ、「途上国はちょっと…」という(他大学の)学生もいる中、<自分から手を挙げて、「どこでもいいから行かせてほしい」と言うのがうちの学生の特徴だ>と、就職担当者も誇らしげに語っています。

小樽商科大学

 北海道小樽市にあるのが小樽商科大学です。この大学は国立にしては珍しい社会学科系単科大学です。上のAIU、APUのような新興大学ではなく、戦前の小樽高等商業学校を前身としています。小樽高商時代は文科系の教育機関だったため、『蟹工船』(戦前)の小林多喜二や「チャタレイ裁判」(戦後)で有名な伊藤整などの作家を輩出しました。
 それはともかく。同大学も一流企業への就職実績では、知る人ぞ知る名門国立大だというのです。

 入学偏差値はこちらも55と、他の地方の国立大学と変わりません。が、就職先の平均年収から算出される就職偏差値は60を超え、これは北大や東北大より上なのです。
 11年度は、メガバンクをはじめ日本生命、東京海上火災保険など、保険や金融業界を中心に実績を残しています。
 「毎年1人は必ず採用している。学生のレベルは旧商校の一橋大学と遜色はない。先輩で活躍している人が多く、役員になった人もいる」と、ある財閥系総合商社の人事部長も、同校の実力にこう太鼓判を押しています。

 小樽商大の抜群の就職実績の秘密は何なのでしょうか?
 「企業の評価が高いのは、同校の実践的キャリア教育です。地域企業の課題解決に取り組むインターンシップは、連携している高校生や卒業生まで巻き込んで長期間行います。こうした幅広いネットワークが就職活動の強みになるし、高校生への人気も続く。大学には一石二鳥です」(ジャーナりストの溝上憲文氏)

 東大が今年になって「グローバル化に対応できる学生の育成」などと言い始めています。我が国トップとされる東大が、秋田国際教育大などの教育方式の右倣えを始めたのです。
 灘校の橋本武先生の教え子の濱田純一総長殿、「遅いでしょ、それでは」。しかしこれは学長個人の責任というより、教授会などを含めた旧弊かつ硬直化したシステムの問題と言うべきなのでしょう。

 いずれにせよ大学の選択は、もはや名門云々ではなく、教育や就職支援の中身を吟味する時代になったといえそうです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』-「就職偏差値が異様に高い立命館アジア太平洋大学と小樽商科大学(10月30日9面)
関連記事
『「秋田国際教養大」急成長の秘密』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-c7ce.html
『「銀の匙」と灘校名物国語教師』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-762a.html

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バーンズ『アフトン川の流れ』

-私にとっての大発見 ! 『アフトン川』は「ハイランドのメリー」を讃える歌だった -

   アフトンの流れ (Flow Gently Sweet Afton)

                    ロバート・バーンズ

  静かに流れよ、佳(よ)きアフトンよ、お前の緑なす丘の間を、
  静かに流れよ、私はお前にお前を讃(ほ)めて歌を歌はう。
  私のメーリイは眠ってゐる、お前の呟く流(ながれ)の辺りで。
  静かに流れよ、佳きアフトンよ、彼女の夢を妨(さまた)ぐな。

  其(そ)の反響の谷中(たにじゅう)に響き渡る河原鳩よ、
  彼処(かしこ)なる山櫨(さんざし)の峡谷(たに)に囀(さえず)る
    野の声高き鶫(つぐみ)よ、
  又緑の冠毛(かざり)戴くなべげりよ、お前の叫び声を慎め、
  私は私の眠れる乙女を覚(さま)す勿(なか)れと堅く命ずるのだ。

  何と高い哉(かな)、佳きアフトンよ、お前の隣(とな)れる山々は、
  峰近くまで奇麗な紆(うね)れる小川の川筋に跡付けられ、
  其処(そこ)に日々私は彷徨(さまよ)ふのだ、太陽高く登る頃、
  群とメーリイの住家とを私の眠(ねむり)の下に眺めつつ。

  何と楽しい哉、お前の堤(つつみ)、又その下なる緑の谷は、
  其処に森地の中に桜草は咲き乱れ、
  其処で幾度(いくたび)か穏かな夕暮の草原の上に泣く時、
  香馨(かおりかぐ)はしい樺(かば)の木は
    私のメーリイと私とを覆ふのだ。

  お前の水晶の流(ながれ)は、アフトン、何と愛すべく流るる哉、
  其(そ)は私のメーリイの住む家の傍らで向きを変へる。
  何と夢中にお前の水は彼女の真白の足を洗ふ哉、
  奇麗な花を集めつつ彼女の川を渡る時。

  静かに流れよ、佳きアフトンよ、お前の緑なす丘の間を、
  静かに流れよ、佳き川よ、私の歌の題目よ。
  私のメーリイは眠ってゐる、お前の呟く流の辺りで、
  静かに流れよ、佳きアフトンよ、彼女の夢を妨ぐな。

                       (中村為治訳)
…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 ロバート・バーンズ(1759年~1796年)については、『ハイランドのメリイ』などで既に述べました。ごく簡単に繰り返せば、バーンズは『蛍の光』(Auld Lang Syne)の原詩者として世界的に知られたスコットランドの国民的詩人です。

 27日夕方当市中央図書館に行き、たまたま見つけた『バーンズ詩集』(岩波文庫)を借りてきました。借りる前ページをめくると、訳詩者・中村為治の序文が昭和3年と、元々はかなり古い訳業だったようです。
 なおパラパラとめくっていると、途中にやはりありました、『ハイランドのメーリイ』が。それだけではありません。ハイランドのメリー関係の詩が、それ以外に数編あったことを知りました。それで俄然『これは借りてじっくり読むべきだ !』となったのです。

 最初の詩は『メーリイ モリソン』、続いて『我が戀人(こいびと)は紅き薔薇(ばら)』、最後が『天上のメーリイ』となっています。
 そして三番目に冒頭に掲げた『アフトンの流れ』があったのです。えっ、アフトン?高校の音楽の時間に習ったあの『アフトン川の流れ』と同じ川?意外なことに、バーンズとアフトン川がつながったわけです。
 しかしこの時はまだ、バーンズのこの詩と歌の『アフトン川の流れ』がダイレクトに結びつくことに気がついていませんでした。

 「♪流れやさしいアフトンの ……」
 『アフトン川の流れ』。タイトルと少しメロディを思い浮かべただけで、懐かしさで涙がこぼれそうになりました。以前『フォレスタの「花の街」』で触れましたように、私の最も多感だった高校時代に教わった歌だからです。
 あの頃は、鈍磨した今の感受性の何倍もの鋭敏さで、美しい歌、美しい詩に感動していましたから。

 『アフトン川の流れ』は、このバーンズの詩に曲がつけられた歌であることを知ったのは、家に帰ってネット検索してからのことでした。(作曲はジョナサン・スピルマン。)
 しかも原詩で詠まれているのは、ハイランドのメリー。こうして今の今まで知らなかったのに、たった何時間かで、ロバート・バーンズ、ハイランドのメリー、アフトン川の流れが一直線につながったのです。

 それにしてもこの原詩そして昔私が習った『アフトン川の流れ』は、若くて美しいメアリー・モリソンを讃える詩であり歌だったとは ! そして既にみたように、この詩のすぐあとの『ハイランドのメーリイ』は、急逝してしまったメアリーを悼む悲痛の詩なのでした。
 『ハイランドのメーリイ』など一連の詩と『アフトン川の流れ』の歌によって、夭折したハイランド(スコットランド高地地方)の、無名に近かった一人の娘の名前は世界中に知られることになったのです。

 その証拠の一つを意外なところで見つけました。
 それは、19世紀後半のアメリカの作家マーク・トウェインの『ハックルベリ・フィンの冒険』の中でです。
 「宿無しハック」(ハックルベリ・フィン)と逃亡黒人奴隷ジムは、筏(いかだ)に乗ってミシシッピ川を下っていきます。途中でジムとはぐれてしまったハックは、同川中流域の土地に上陸し、近くの旧家にしばらく滞在させてもらいます。その旧家の立派な居間の壁に、何と「ハイランドのメリー」の絵がかけられていたのです。

 この小説の時代背景は1830年代頃。まだ電話もラジオもない時代に、ハイランドのメリーの名前はアメリカ深南部にまで達していたのです。「文化の伝播力」というようなことを考えてしまいます。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『バーンズ詩集』(岩波文庫、中村為治訳)
『アフトン川の流れ(Flow Gently Sweet Afton)』(YouTube動画、ロジェ・ワグナー合唱団)http://www.youtube.com/watch?v=ab166Dx-vyg
 (寸評:素晴らしい混声合唱です ! さながら賛美歌のようです。ただ歌っている言語は英語ではなくドイツ語?のようです。動画は実際のアフトン川なのかどうか、豊かな自然の中を流れる川の動画です。)
『アフトン川の流れ(Flow Gently Sweet Afton)』(同動画、歌:Jo Stfford)
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=N8g_NCIdeRE&feature=endscreen
 (寸評:こちらは、ジョー・スタフォードという女性歌手による独唱です。しっとり聴かせる歌唱です。言語はもちろん英語、バーンズの原詩そのままです。)
関連記事
『ハイランドのメリイ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-bcb5.html
『フォレスタの「花の街」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-6dd3.html
『「ハックルベリ・フィンの冒険」読みました』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-fef7.html

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街灯は何のためにある?

              渡辺 白泉

  街灯は夜露にぬれるためにある

…… * …… * …… * …… * ……
 渡辺白泉(わたなべ・はくせん) 大正2年、東京赤坂生まれ。慶大経済学部卒。学生時代「馬酔木」「句と評論」に投句。鋭峰をあらわすが、「京大俳句」「天香」に加わり、新興俳句弾圧に巻き込まれ検挙された。当時三省堂に勤務、「俳句叢刊」編集中であった。以後執筆を禁じられたが、戦後も俳壇に関わりをもたず、中学、高校の教師として過ごした。諷刺と批評性をもつ俳詩人だった。『白泉句集』『全句集』がある。昭和44年没。 (講談社学芸文庫、平井照敏編『現代の俳句』より)

《私の鑑賞ノート》
 最初にお断りしておきますが、街灯は「夜露にぬれるためにある」ものではありません。今のセチ辛い世の中、そんな理由で高いお金を出して街灯を設置する酔狂人などおりません。
 では、街灯は何のためにあるのでしょう。ずばり、
 「街灯は夜道を照らすためにある」
のです。

 真っ暗闇の夜道を照らし出し、通行人が安全に歩けるよう、また痴漢防止など防犯上の面から、街灯は設置されるのです。それでは、
 「街灯は夜道を照らすためにある」
は、何の言葉でしょう。もっと街灯設置を呼びかけるための標語でしょうか。いや、あまりにも常識的で、陳腐すぎて標語にすらなりそうにありません。

 もちろん詩の言葉でもありません。
 土台、この世の常識に密着した言葉を並べただけでは、「詩」にはなり得ないのです。そういう一般常識、社会通念、固定観念の位相を、少しばかり(大いに)ずらしたところに「詩」は生まれるものです。

  街灯は夜露にぬれるためにある

 そうするとこういう句ができるわけです。一見するとまるでナンセンスなギャグのようです。しかし俳句は元々は「俳諧(はいかい)」。諧謔味(かいぎゃくみ)、面白み、つまり今で言う「ギャグっぽさ」を含むものなのです。

 なお「夜露」は、秋に出来やすいことをもって、秋の季語となっています。夜露が発生するメカニズムを調べてみるのも面白いかもしれませんが、ここでは「風のない晴れた夜に発生する」(角川文庫『俳句歳時記 秋の部』)とだけしておきます。

 「窓は夜露に濡れて 都すでに遠のく …」 (『北帰行』より)
 諧謔味とともに、この句にはそんなストーリーにも発展しそうな叙情味もまたありそうです。

 一般常識、社会通念、固定観念…。がちがちの管理社会では、使う言葉の意味すら厳しく規制され、制限されてしまいがちです。「言葉の自由度」がなくなるのです。(典型的なのが官庁通達文や法律文書。)
 「自由」こそ私たちが求める根源的欲求ですから、がんじがらめの不自由な社会は「生き苦しい(息苦しい)社会」です。

 渡辺白泉のこの句の真意がなへんにあるのか、作者ならぬ身には分かりません。しかしこの句には、そんな社会へのアンチテーゼ、そんな社会を笑い飛ばす視点が潜んでいるようです。
 
 (大場光太郎・記)

関連記事
『名句鑑賞』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat32263708/index.html

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女声フォレスタコーラス論

 -「論」などとはおこがましい。ただ単に日頃感じている事を述べるだけです-

    

 矢野聡子さんと小笠原優子さん、ともにご結婚によりフォレスタ活動休止のようです。代わって10月新編成の『BS日本 こころの歌』に、新メンバーとして上沼純子さんと内海万里子さんが加わりました。
 女性の場合、結婚、出産、育児という大事な“お仕事”がありますから、女声メンバーはある程度多い方がいいと思います。誰かに何かあった場合すぐに補充が効きますし、歌う歌によって組み合わせ自在のユニットが組めるわけですから。

 以前から述べましたとおり、私はフォレスタをもっぱらユーチューブ動画で聴いています。私の聴き方は少し偏っていて、その時聴きたい歌を繰り返し聴く方式です。最近は直近に『雨のブルース』を公開したこともあり、この歌が一番多いです。次いで『雨のブルース』終了画面に現れる最新ヴァージョン『さくら貝の歌』です。
 この歌の所感は既に『フォレスタの「さくら貝の歌」』で述べました。ここでは、この歌動画へのある人のコメントが少し引っかかりましたので、それについて述べさせていただきます。
 そのコメントとは以下のとおりです。

                         *
最近フォレスタはソロを中心にして他の歌手はバックコーラス的な­曲が

多いように思われる。

フォレスタは本来コーラスを主体としたグループではないだろうか­。

そういう意味では久々のハーモニーを重視した曲だ。本来フォレス­タが

有るべき姿だと思うすばらしいハーモニーだ。

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三島由紀夫『卒塔婆小町』

 -謡曲に題材を借りた、現実と幻想が妖しく交錯する三島一流の虚構世界-

  見よ卒塔婆小町が春を食ひに出る   (拙句)

 最近の『遠野物語第22話-有り得ざる怪異譚』の中で、三島由紀夫の「近代能楽集」の『卒塔婆小町』に少し触れました。「近代能楽集」は三島20代の代表的戯曲集で、同タイトルの新潮文庫版には『邯鄲(かんたん)』『綾の鼓(あやのつづみ)』『卒塔婆小町(そとばこまち)』『葵上(あおいのうえ)』『斑女(はんじょ)』『道成寺(どうじょうじ)』『熊野(ゆや)』『弱法師(よろぼし)』の8編が収められています。

 タイトルからも分かるとおり、「近代能楽集」は能の謡曲に題材を得た戯曲作品集であり、「ギリシャ古典劇にも通じる」と海外での評価も高く、「能」を世界に紹介したという点において大きな功績を残しました。
 中でも『卒塔婆小町』は、国内外で最も評価の高い作品です。

 私が「近代能楽集」を初めて読んだのは20代はじめの頃、続いて読んだのが30代後半の頃でした。今回の同記事に自ら触発されて、我が家の本棚で眠っていた新潮文庫をあらためて引っ張り出して読んでみました。
 私の印象に強く残っていたのは『卒塔婆小町』で、やはり出色の作品のように思われます。(冒頭の拙句は、この作品をふと思い出して10年余前に詠んだ句です。)

 この作品の元となったのは、「卒塔婆小町」という謡曲です。他のサイトの借用で申し訳ありませんが、あらすじは以下のとおりです。

高野山の高僧が都へ上る道すがら、道端の朽ちた卒都婆に腰をおろしている乞食のような老婆を見て、卒都婆は仏体そのものを現しているので、他の場所で休むように諭します。ところが老婆は僧の言葉に一つ一つ反論を加え、迷悟は心の問題で、世界は本来無一文と気付けば仏も衆生も隔たりはないのだと論破するので、僧は悟り深い乞食だと恐れ敬います。
名を尋ねると、実は小野小町だと言います。才色兼備で世の男性たちを魅了した小町も今は乱れた白髪に破れ笠を頂き、汚れた袋を首に掛けて人に物を乞う身の上です。
そのうち小町の様子が変わり、自分で「小町のもとに通おう」と叫びます。小町に殊更心深かった深草四位少将の怨霊が乗り移ったのでした。少将の怨霊は生前の百夜通いの様を繰り返し、その怨みに苦しめられて心を狂わせるといいます。やがて我に返り、後生を願いつつ仏道に入りたいと願います。(「宝生の能」平成10年8・9月号より)

 鬼才・三島由紀夫は、もちろん上のあらすじをそのまま現代風に置き換えただけ、というような下手な翻案はしていません。
 古い謡曲の世界を、「現代的なあまりに現代的な」舞台の一つと言える、とある夜の公園の一角に持ってくるのです。
 舞台は、五つのベンチ、街灯、棕櫚(しゅろ)の木などありふれたものであり、後ろは黒幕を垂れただけという、豪華絢爛好みの三島らしからぬ簡素さです。

 「能楽の自由な空間と時間の処理方法に着目」(新潮文庫より)した三島は、そんな場所で一体どんな「卒塔婆小町物語」を紡ごうというのでしょうか。

 …五つのベンチでは五組の男女が恍惚として相抱擁しています。にも関わらず一人のオジャマ虫老婆がのこのこやってきて、一組の男女を追い出し、中央のベンチを乗っ取り、新聞紙を広げながら拾ってきたモク(吸ガラ)を「ちゅうちゅうたこかいな…」と数え始めます。
 それを見ていた酔った若い詩人が近づいてきます。乞食老婆は一本のモクを与えながら、若い詩人の顔をジッとのぞき込み、「若いのに寿命はもう永くない。死相が出ている」と、縁起でもないことを言い放ちます。

 しかしそこは“腐っても詩人”、平然と受け流し、詩人はベンチで抱擁し合っている若い男女たちを「みんなお星様の高さまでのぼっているんだ」と賛美し、返す刀で「お婆さんが座っているベンチは卒塔婆みたいで、僕にはたまらないんだ」と言います。
 と老婆は、そんな根性だから甘ったるい売れない詩しか書けないんだとクサシながら、「あいつらは死んでいるんだ」「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と負けずに言い返すのです。

 俄然興味を覚えた詩人が聞いてみると、老婆は「99年生きている」といい、そして昔「小町」と呼ばれた女だと言うのです。そして続けて「私を美しいと云った男はみんな死んでしまった」とも言うのです。
 『こんな皺(しわ)だらけの老婆を誰が美しいなどと言うもんか』と詩人は内心笑います。が構わず、老婆は80年前、参謀本部の深草少将が自分のところに百夜通いをしてきたこと、鹿鳴館のことなどを話します。

 そして舞台急転。深草少将のちょうど満願となる百日目の夜の鹿鳴館に。
 詩人は老婆に促されて一緒にワルツを踊ると、若い男女が老婆の周りに集まってきて、口々に小町の美貌を褒めそやすのです。
 何という幻惑か、公園での皺だらけの老婆ではなく、今や深草少将になりきった詩人もまた小町に皺一つない類い稀れな美しさをそこに見たのです。詩人はなおもワルツを躍りながら、「それを言ったら命がないわ」という小町(老婆)の制止も聞かず、「君は美しい」という禁句を言ってしまったのです。
 
 「僕は又きっと君に会うだろう。百年もすれば、おんなじところで…」
 詩人絶命。

 「もう百年 !」と老婆が言うや、舞台は元の公園に。
 息絶えた詩人は警官たちに運ばれ、皺だらけの老婆は、またモクの数を数え始めるのでした。  (幕)

 以上は、三島の「言葉の精華」を抜いた『卒塔婆小町』のあらすじです。

 昭和45年11月25日の三島事件なかりせば、三島由紀夫がノーベル文学賞を受賞したのは確実です。私は『サド侯爵夫人』や『鹿鳴館』などの他の戯曲を読んでみて思うのです。三島がもし小説を一つも書かず、戯曲作家だったとしてもその分野だけでノーベル賞が取れたのではないかと。
 それほど戯曲家・三島の技量は冴えていて、他の追随を許さないものがあります。

 『卒塔婆小町』の中で、一つだけ指摘しておきたいと思います。
 夜の公園のベンチで抱擁し合う若い男女たちを、老婆が「あいつらは死んでいるんだ」「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と言う下りです。
 これは三島一流のレトリックと言うべきです。が、このレトリックは、このままではないものの、他の三島作品に形を変えて繰り返し現れているように思われます。

 端的なのは、(純然たる文学作品ではない)『葉隠入門』においてです。
 そこで三島は「葉隠」の一節の「恋の至極(しごく)は忍ぶ恋と見立てそうろう。会いてより後は身の丈小さく…」を引用しながら、「現在東京の街には、身の丈の小さな“小人の恋”が氾濫している」と述べているのです。
 それに引き換え、この作品で三島は「身の丈の大きな恋」を描きたかったのだ、と推察されます。

 三島が『葉隠入門』でこう述べたのは昭和40年代前半のこと。以来40余年、この国の男女の即物的な「恋の身の丈」はどのくらいのものなのでしょうか。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『近代能楽集』(新潮文庫)
『ウィキペディア』「近代能楽集」の項
サイト『謡蹟めぐり 卒塔婆小町 そとばこまち』(謡曲「卒塔婆小町」のあらすじをそのまま借用させていただきました。)
http://www.harusan1925.net/0314.html
関連記事
『遠野物語第22話-有り得ざる怪異譚』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/--9ef6.html

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寺嶋眞一先生とのやりとり

 直近の『小沢代表、ドイツで「原発ゼロ」宣言』に「noga」様がコメントされました。
 noga様がコメントされるのは今回が初めてではなく、一昨年から政治記事に時折りコメントしていただいているのです。

 一読してお分かりのとおり、深くて考えさせられる内容です。ただ者ではありません。それもそのはずで、「noga」はもちろんハンドルネームで、本名は寺嶋眞一という元琉球大学教授だった人なのです。
 寺嶋先生コメントの末尾に、ご自身の2つのURLを付されています。一つはホームページ、もう一つはブログです。私も時折り訪問し、一学生(私は高卒なので単なる「一聴講生」か?)のつもりになって拝読させていただいております。

 いつか寺嶋先生のコメントを記事としてご紹介しようと考えていましたが、取り急ぎまとめた私の返信を含めて今回ご紹介することにしました。
 先生のご持論の「日本語には時制がない」。完全に理解できたら所感としてまとめようと思いつつ、まだ理解しきれておりません。  (大場光太郎)

                         *

それでも日本人は、原発の再稼働を選んだ。
一億総ざんげへの道。動き出したら止まらない。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way).
意思のないところに解決法はない。
意思は未来時制の内容であり、日本語には時制がない。
それで、日本人には意思がなく、解決法が見つけられない。
自然鎮火を待つのみか。

耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もって万世のために太平を開かんと欲す。
不自由を常と思えば不足なし。
座して死を待つか、それとも腹切りするか。
私の父は、玉砕した。何のお役に立てたのかしら。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから、、、、

わかっている、わかっている。皆、わかっている。
ああしてこうすりゃこうなると、わかっていながらこうなった、、、、、
十二歳のメンタリィティには、知恵の深さが見られない。教養がない。
わかっちゃいるけど やめられない。ア、ホレ、スイスイ、、、、

白く塗られた黒いオオカミの足を見破ることは難しい。
だます人は悪い人。だまされる人は善良な人。おとり捜査は難しい。
この調子では、人の命はいくつあっても足りるものではない。
我々は、自らは望むことなく危機に陥る民族なのか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年10月22日 (月) 00時52分

寺嶋眞一先生
 いつもながらの先生の深遠なるご講義、傾聴ならぬ傾読させていただきました。
 先生の「いつか来た道」とのご憂慮、私も常々そう感じている次第です。「この国の民主主義は12歳」(マッカーサー)は戦後すぐだけのことではなく、今日でもまったくそのとおり、いなむしろテレビなどによって「1億総白痴化」(大宅壮一)が推進された分かえって後退しているかもしれません。

 それをいいことに肝心の政治は、好き勝手し放題です。直近の消費増税にみられるように、きちんとした国会論戦のプロセス抜きの民自公3党による密室談合政治で、民意無視の悪法がいとも簡単に成立してしまうのです。こんな議会制民主主義否定の暴挙を、「社会の木鐸」たるべき大マスコミは無批判でむしろ「大政翼賛」報道に終始しています。
 これだと原発再稼働・推進をはじめ、TPP推進から米軍基地強化、集団的自衛権行使、憲法改正(改悪)まで、基本的に3党密室談合政治で決まってしまいかねません。

 何やら戦前と相似形のような社会状況に思われてきます。大政翼賛体制が、かつてどういう悲惨な体験をこの国にもたらしたか、マスコミも国民も学習が足りないように思われます。

投稿: 時遊人 | 2012年10月22日 (月) 02時47分

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小沢代表、ドイツで「原発ゼロ」宣言

-今の政治家の中で正々堂々「原発ゼロ」を言えるのは小沢一郎しかいない !-

 小沢一郎「国民の生活が第一」代表一行がドイツを視察しました。ドイツと言えば昨年の我が国の福島第一原発事故を“他山の石”として、いち早くメルケル首相の決断で「10年後の脱原発」を決定した国です。
 他所の国がこうなのに、肝心の「放射能を地球全体にバラまいた当事国」であるおらがニッポンはどうでしょうか?脱原発どころか、“ダメナ”ノダ首相は昨年暮れ「原発事故収束宣言」でチョロマカし、今年大飯原発再稼働に踏み切りました。

 ドイツでは出来て当事国である我が国ではなぜ「脱原発」が出来ないのでしょうか?大きな理由が2つあります。
 経済産業省など霞ヶ関官僚、東大閥学者からなる「原子力ムラ」の面々や東電など既得権益保守勢力の存在です。彼らには「脱原発」という選択肢は最初からないのです。

 官僚のさらに奥には、すべての官僚機構がひれ伏す米国がいます。これが2番目の理由です。
 世界中のウラン鉱山はどこが握っているのか?ユダ金ロスチャイルドです。事故を起こした福島原発各号機はどこが設計・施工したのか?これまたユダ金ロックフェラー系企業です。さらに同原発はどこの会社が管理していたのか?イスラエルの某企業ではありませんか。

 福島原発で明らかになったとおり、地震多発国で活断層も多い狭い国土の我が国にとって、現在50基以上もの原発があるのは極めて異常です。この状況は例えてみれば、1億2千万全国民一人ひとりの頭上に、いつ落ちて頭頂に突き刺さるかも知れない“ダモクレスの剣”が吊り下げられているのと一緒なのです。
 そもそも我が国への原発建設は、米国の指令によって、PODAM(正力松太郎の米CIAコードネーム)による「原子力の平和利用」の美名のもとに始められたのでした。それを中曽根康弘などが中心となって、自民党全体が積極的に推進してきたのです。

 消費増税やТPP推進などで明らかなとおり、現民主党野田政権は完全に霞ヶ関官僚の言いなりです。政権延命のため、「米官業の利益が第一」と、政権交代時とは魔逆の方向に進んで恥じることがありません。
 数万人とも十数万人とも言われる原発反対デモが毎週官邸を取り囲んでも、野田首相は“カエルの面に何とか”でどこ吹く風です。

 霞ヶ関官僚群と“奥の院”米国と。この2つの妨害を突破して「脱原発」を果たすには相当の覚悟と突破力が必要です。下手すれば「小沢事件の二の舞」さえ覚悟しなければならないのに、小沢代表はそれをあえてやるというのです。
 いませんよ、今どき、こんな政治家は。

 来るべき総選挙後はどの党も多数を得られず、民主・自民・公明による“密室談合”3党連立政権になる可能性が大とみられています。そうなると原発問題に限ってみても、民意無視の「原発推進」の方向性がより鮮明になるのは明らかです。
 そうさせないためにも、「脱原発」で一致している小沢新党を中心とした第3極政党を躍進させ、議会制民主主義否定の密室談合3党連立を阻止することが必要です。

 以下は『日刊ゲンダイ』(10月19日3面)の転載です。                   

                        *

小沢「原発ゼロ」政策の総仕上げ ドイツ環境相と会談

 「日本は率先して脱原発に取り組むべきだ」-「国民の生活が第一」の小沢一郎代表がドイツで吠えた。アルトマイアー環境相とベルリンで会談。「風力や水力、地熱を活用すれば、ドイツ以上に代替エネルギーの確保が可能」と強調した。「10年後の脱原発」を掲げる小沢新党は、「看板政策」の総仕上げに取りかかっている。
 
 
小沢新党は基本政策で「3つの緊急課題」を挙げている。第1の項目は「原発ゼロ」だ。「10年後をめどに全ての原発を廃止する」と主張している。
 「3つの基本政策を決める際に、党内は①反消費増税②地域主権③脱原発でまとまろうとしていた。それをひっくり返したのが、ほかならぬ小沢です。『原発は国民の命の問題に関わる』と指摘。イの一番に掲げることになったのです」(新党関係者)

 小沢は自民党時代に、過渡的エネルギーとしての原発を認めている。それだけに後悔の念は強い。与党の政治家だった者として、原発事故に対する責任を感じているし、代替エネルギーへの思い入れも強い。「脱原発」は生半可な気持ちではないのだ。

民主、自民にはできない

 国民の声にも耳を傾けている。政府が実施した討論型世論調査は圧倒的多数が「2030年に原発0%」を支持した。官邸デモも続いている。それなのに民主党は、米国や役人に推し戻され、脱原発の閣議決定すらできなかった。財界ベッタリの自民党は、もともと原発推進だ。少数政党を除けば、本気で原発を止めようとしているのは、小沢新党ぐらいである。

 政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏が言う。
 「小沢さんは訪独で原発ゼロ政策の総仕上げに取りかかったのです。ドイツでは、政治が『2022年に原発を止める』と決めた。経済界の反対も押し切っている。政治が決断すれば、やれるのです。日本も例外ではありません。自分の先を行くドイツの現状を確認し、着々と理論武装を進めていくことが、脱原発の実現に必要だと考えているのです。加えて、政治家としての勘も働いている。次の選挙は原発が大きなテーマになる可能性が大きい。進めるのか、止めるのか。各政党は二者択一を迫られるのです。こうなると、民主党も自民党もグズグスとなる。小沢さんにとって脱原発は、戦略的にも大きな意味を持っているのです」

 小沢嫌いのメディアは訪独を軽く捉えている。単なるパフォーマンスぐらいに思っているようだが、小沢は本気だ。国民と一緒に原発を止めるつもりだし、剛腕に期待する国民は増えていく。
 第三極のキーマンは、小沢である。  (転載終わり)

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横浜外国人墓地のこと

-「墓地に歴史あり」などとは変な話だが、同墓地には興味深い歴史があった-

 有隣堂書店の広報紙『有鄰』の9月10日号2面に、斎藤多喜夫という人の『「横浜外国人墓地に眠る人々」にみる居留地社会の主役たち』という一文が掲載されています。繰り返しますが有隣堂とは、主に神奈川県内を中心に多数の店舗を持つ大手書店です。同書店広報紙記事はこれまでも何度か取り上げてきました。
 斎藤多喜夫氏は横浜開港資料館等調査委員で、『横浜外国人墓地に眠る人々』(有隣堂書店刊)は斎藤氏が著わした本です。

 この一文では、横浜港を見下ろす高台(横浜市中区山手地区)にある横浜外国人墓地(単に「外人墓地」とも)の歴史やそこに眠っている著名だった人たちなどについて述べているのです。これを読んで同墓地の意外な事実を知り、目からウロコの感じがしました。
 同文はかなり長文ですが、それに『ウィキペティア』の記述も加えて、今回は同墓地について簡単に見ていきたいと思います。

                        *
 横浜外国人墓地のそもそもは、ご存知のペリー来航に端を発します。
 1854年(嘉永7年)ペリー率いる米艦隊が横浜港に寄港していた際、ある若い水兵がフリゲート艦「ミシシッピ」のマスト上から誤って転落死したのです。「海の見えるところに墓地を設置してほしい」というペリー提督の意向を受けて、横浜村(当時)の真言宗増徳院の境内墓地の一部に墓地が設置され埋葬されたことに始まります。
 同墓地はキリスト教形式の墓石が多い外国人の墓地なのに、元々は仏教寺院墓地だったというのは面白い話です。

 その後も外国人死者がその付近に葬られ、1861年(文久元年)に外国人専用の墓地が定められました。以来四十数ヵ国、約4,870人が眠っています。

Gaijin bochi.JPG

 それではかつて横浜に居留し(外国人墓地に葬られ)た外国人社会の主役とはどんな人たちだったのでしょうか。
 それは「ビジネスに励み、生活を楽しんだ人々」が中心であり、そして彼らは「居留地の貿易と産業を担った人々」でもあったのです。
 国籍別となると、当時の世界の超大国だったイギリスが一番でした。数が多いだけではなく、彼らの生活規範が外国人社会全体をリードもしていたのです。
 その規範を一言で言えば「英国紳士」となりますが、その「理念型」としてキルビーという人物が挙げられます。

 キルビーは1873年に来日し、1884年に独立してキルビー商会を興しました。ヴィクトリア・パブリック・スクールの設立に尽力し、外国人商業会議所、クライスト・チャーチ、山手病院、居留地消防隊の委員を務めました。
 スポーツマンでもあり、横浜クリケット&アスレチック・クラブの会長も務めています。日本アジア協会の創立時からの会員であり、フリーメーソンの重鎮でもありました。

 キルビーの人物像から浮かび上がってくる「英国紳士」とは、しっかりした経済的な基盤を持ち、公共事業に尽くし、スポーツマンであり、教養人であり、社交性に富んだ人のことというような理想的人物像です。
 キルビーのようにすべての要素を兼ね備えた人物を「ゼネラリスト」とすれば、ほかにも元英国領事館員で弁護士のラウダー、貿易商のキングドンやモリスン、医師のウィラーら多士済々の英国人が横浜居留地にはいました。

 ゼネラリストとは別に、スポーツや音楽など特定の分野に秀でた「スペシャリスト」たちもいました。

 スポーツ関係としては、競馬の日本レース・クラブや陸上競技の横浜クリケット&アスレチック・クラブ、水上スポーツの横浜ヨット・クラブなどがありました。
 また日本アジア協会という専門性の高い日本研究団体があり、外国人が研究の中心だったものの、横浜の貿易商も会員として運営を支えました。
 さらに音楽も盛んでした。パットン夫人はプロの音楽家でしたが、横浜児童トニック・ソルファ合唱団を組織しました。セミプロのカイルは横浜アマチュア管弦楽団を指揮し、アマチュアのグリフィンは横浜フィルハーモニック協会を指揮しました。

 社交団体としては、横浜ユナイテッド・クラブとフリーメーソンがありました。前者の会長は外国人社会の名士の指定席でした。前者が会員でなくても利用できる「開かれた団体」だったのに対して、後者は入会資格に制限があり、奇妙な儀式や教義を持ち、非公開を原則とする「閉ざされた団体」です。
 (ここで詳述はしませんがー。近代フリーメーソンは表向きの友愛団体とは裏腹に、イルミナティ結社とともに、現世界システムや世界的出来事を奥の奥からコントロールしている謎の秘密結社です。)

 ご存知かと思いますが、現在外国人墓地に葬られる外国人はいません。その意味で同墓地は、横浜開港史中の重要な遺構の一つなのです。
 そうなってしまった最大の出来事は、1923年(大正12年)の関東大震災でした。同震災は東京のみならず横浜市街地にも激甚な被害をもたらしました。これによって、それまで親密に結ばれていた居留地社会は、日本を離れて地球上の四方八方へと散っていってしまったのです。

 「破滅以前の横浜」は、異質な価値観や生活様式を持つ人々が共存し、民族と文化の多様性を許容する、日本の歴史においては稀有な国際都市でした。
 だがそれもノスタルジックな遠い「過去の思い出」であり、残されたのは外国人墓地だけになってしまったのです。
 (なおあまり知られていませんが、横浜にはここのほかにあと3ヶ所、外国人墓地があります。)

 (大場光太郎・記)

参考・引用
有隣堂広報紙『有鄰』(9月10日号2面)
『ウィキペディア』-「横浜外国人墓地」の項
有隣堂広報紙の関連記事
『神奈川県の米軍基地(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-cc89.html
『神奈川県の米軍基地(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post.html
『ほんとうの横浜』(文:藤原帰一氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b57f.html
『歴史を知れば横浜はもっとおもしろい』(文:山崎洋子氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-9cbf.html
『本屋さんに行く』(文:伊東潤氏)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-0f79.html

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政治記事への阿修羅読者のコメント

 -ご自身の「政治的意識レベルはどのくらいか」を測りながらお読みください-

 少し前のことになりますが、当ブログの2つの政治記事が、久しぶりで「阿修羅掲示板」に投稿されました。
 一つ目の『小沢控訴審「無罪確定」結審』の方が「拍手ランキング」でも「コメント数」でもずっと上位でしたが、ここでは『安倍晋三、自民党総裁再就任の危うさ』に寄せられた阿修羅読者のコメントを以下に転載します。

『阿修羅掲示板』-「安倍晋三、自民党総裁再就任の危うさ-戦争を始めかねない安倍の首相再登板を許すな-」(投稿者「純一」氏)
http://www.asyura2.com/12/senkyo136/msg/593.html

                        *

01. siawaseno keizaigaku 2012年10月02日 14:13:31 : 7/VCwC4qBO6lc : flJY0qS0ZI
 いくら世の中、右振れとはいえ、なぜ自民党は安倍氏を選んでしまったのか?
自民党の自民党たる所以は、良きにつけ悪しきにつけ、「非イデオロギッシュ」であったところだ。

 例えば、リベラルだとはいえ、じゃ共産党も?となるとゴメンナサイとなるように、保守だとはいえ、じゃ超国家主義?となるとゴメンナサイ、の人々が支持をしてきたのが、自民党の保守本流。だから自民党は「国民政党」として安定感を与えてきた。

 安倍さん登場を喜ぶ余り、街頭で大騒ぎしている諸君を見ると、どこか胡散臭い世界を見てしまう。それが、特定の宗教団体であったとするならば、右翼の褒め殺しと同じ効果になってしまうこと請け合いだ。

 角を矯めて牛を殺すがごとき所行を見るにつけ、恐らく次の衆院選では、余り浮動票も稼げず、保守票+右ブレ浮動票を自民・維新・みんなの3党で取り合う結果に陥るだろう。

 では、中道+リベラル+左ブレ浮動票+保守だけれど反原発・反消費増税・反TPP票をどこが分けるか、が衆院選の本当の勝負所となる、というのが小沢氏の読みだ。

 自民党は、どうもどこかで梯子を踏み外してしまったのではないか?が、偽らざるところ。そうです。圧倒的な党員は党員投票で国民政党(穏健保守)を求めていたにもかかわらず、議員諸氏は、石破憎しの余り統一教会御用達を選んでしまった。なにか悲劇の予感がするのは私だけではないだろう。

02. 2012年10月02日 17:20:37 : WGLBA728E6
こんなヘタレに戦争に引きずりこまれる愚民の集団が日本なら衰退してもやむ得ない。

未だに「大本営発表」を信じる多くの人を見ると哀れさをかんじないでもない。

03. 2012年10月02日 17:32:23 : Q6X8vVQBf2
>リベラルだとはいえ、じゃ共産党も?となるとゴメンナサイとなるように、保守だとはいえ、じゃ超国家主義?となるとゴメンナサイ、の人々が支持をしてきたのが、自民党の保守本流。だから自民党は「国民政党」として安定感を与えてきた。

全く以てその通り。それを今の「新しい自民党」を標榜する連中はすっかり忘れてしまっている。新自由主義・新保守主義を掲げる「新しい自民党」など百害あって一利なし。自民党が真剣に国民の支持を再び集めたいなら、小泉安倍が創り上げた「新しい自民党」を捨て、それ以前の「古い自民党」に回帰すべきだ。

04. 2012年10月03日 03:13:57 : WzGThV19hY
自民党が比較第一党になるなどあり得ない。
マスゴミの洗脳報道を鵜呑みにするのもいい加減にしろ。
靖国神社に参拝すらできない男に戦争などできる訳がないだろう。
自分が投じる一票に消費税そして原発の行く末が懸かっているのである。
国民の生活が第一を中心とした『国民連合』以外投票先などある訳がないではないか。
05. 2012年10月03日 08:47:25 : glol9xWTY2
このままでは、安倍“統一狂会”政権が誕生するよ。
なぜか。

◆仮にいま、衆議院選挙の投票をするとしたら、比例区ではどの政党に投票したいと思いますか。
民主17(15)▽自民30(23)▽国民の生活が第一1(1)▽公明4(2)▽共産2(2)
▽新党きづな0(0)▽社民1(0)▽みんな2(2)▽国民新0(0)▽新党大地・真民主0(0)
▽減税日本0(0)▽たちあがれ日本0(0)▽新党日本0(0)▽新党改革0(0)
▽日本維新の会4(-)▽その他の政党1(2)▽答えない・分からない38(48)
http://www.asahi.com/politics/update2/1002/TKY201210020586.html

この世論調査は予想通り。
国民の大半は残念ながらB層だからこうなる。

政策を理解できるほど賢くはなく、
政策よりも雰囲気やイメージで投票してしまう層。

小泉進次郎が現れれば、「きゃー進次郎く~ん(≧▽≦) 」「俺たちの進次郎!」と熱狂し、何も考えずに自民党に投票する層。

わけもわからずに、消費税20%引き上げ、
年金支給年齢70歳引き上げ、
年金保険料や健康保険料引き上げ、失業手当など雇用のセーフティネット削減、
シロアリ官僚天国維持、そして原発利権村維持の自民党に投票してしまうのがB層だ。

その結果、自民党政権が誕生。
国民生活は完全に破壊されるだろう。

野党に転落した反省ゼロで、自分たちの方が政治のプロみたいにカン違いしている自民党が政権を握れば最後、元の木阿弥。
政官業癒着の不公平政治で庶民はいつも煮え湯を飲まされる悪政が永続化する。地獄へと一直線だ。

自民党は既得権益を保守することしか頭にない。
自民党政権が復活すれば、官僚の敷いたレールに乗った政治をやるだけ。
庶民の不満は、古来からの常套手段、ナショナリズムを煽って、目をそらせることでごまかそうとするだろう。

自民党政権の政策は、
従来の仕組みを変えず、
・消費税率20%引き上げ
・年金支給年齢70歳引き上げ
・歳入庁創設など年金制度の抜本改革は反対
・社会保険料大幅引き上げ
・東電救済、原発推進=「原発利権村」温存
・「政府や役人の恣意性を可能な限りなくした再分配」の縮小
・他方で、官僚の裁量や官僚の天下り利権は温存・拡大。。。
・土建業者から票とカネを提供してもらうのが主目的の無駄な公共事業推進(官僚が天下るだけのハコモノなど)
・シロアリ官僚による“税金横領システム”の温存
ということになるだろう。

自民党は年金支給年齢について、
官僚に言われたとおりに70歳くらいに引き上げるだろう。

60歳未満の国民は、悲惨だよ。
60歳以上の貧困老人も悲惨。

一般庶民にとって、自民党政権は地獄だ。

民主党政権がゼロ点なら、次に来る自民党政権はマイナス100点の政権になるだろう。

(転載終わり)

関連記事
『安倍晋三、自民党総裁再就任の危うさ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-e0bf.html

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フォレスタの「雨のブルース」

-出ました !「平成のブルースの女王」を決定づける『吉田静の雨のブルース』 !-

    (この歌のYouTube動画のURLのみ表記。)
     http://www.youtube.com/watch?v=M9MUiU-Wjmk


  雨のブルース  (昭和13年、作詞:野川香文、作曲:服部良一)

  1. 雨よふれふれ
    なやみを 流すまで
    どうせ涙に 濡れつゝ
    夜毎なげく身は
    あゝ かえり来ぬ
    心の青空
    すゝり泣く 夜の雨よ
  2. くらい運命に
    うらぶれ果てし 身は
    雨の夜路を とぼとぼ
    ひとりさまよえど
    あゝ 帰り来ぬ
    心の青空
    ふりしきる 夜の雨よ

      (※ 著作権消滅曲)

 最近の当ブログアクセス検索フレーズに、「フォレスタ 雨のブルース」がちらほら見受けられました。『んっ?フォレスタは雨のブルースなんて歌ってないぞ』と思っていました。
 ところでつい先日everstone04さんが、直近の『BS日本 こころの歌』収録の動画をまとめて投稿して下さり、その中に『雨のブルース』を見つけ、これだったのか、と納得しました。

 淡谷のり子の同じブルースであれば、『歌うは“あの人”しかいないでしょ』と思いながらも、聴いてみるまでは誰が歌っているのか分かりません。取るものも取りあえず聴いてみたところ、やっぱり“あの人”-吉田静さんなのでした。
 一言で言えば、圧倒されるような堂々の「吉田静の雨のブルース」です。

 「くらい運命に うらぶれ果てし身は 雨の夜路を とぼとぼ ひとりさまよえど」

 『雨のブルース』は歌詞をたどってみても分かるとおり、一見すると「暗い歌」です。しかし格調高い野川香文の歌詞と服部良一の曲が、救いようのない“引かれ女の小唄”に堕すことなく、かえって戦前歌謡曲の名叙情歌にまで高めています。

 この歌が発表された昭和13年(1938年)は、日本がいよいよ戦争へとのめり込みつつあった時代でした。今日の私たちはその後、泥沼の日中戦争、日米戦争、広島・長崎への原爆投下、敗戦、米進駐軍による占領という痛ましい出来事が起こったことを知っています。
 これは戦後の『星の流れに』(菊池章子)や『東京ブルース』(西田佐知子)にも共通することですが、この歌のヒロインは、何やら「その時代の負(ふ)の側面」を一身に背負って耐えている女性の姿にさえ思えてくるのです。

 同じく吉田静さんが独唱した『別れのブルース』が、女声フォレスタを代表する一曲であることは今さら言うまでもありません。あの時は若々しい吉田さんでしたが、今回の『雨のブルース』はさらに歌の心に入りきった、円熟味を増した吉田さんの名唱であるように思われます。
 それにこの歌の吉田さん、女声フォレスタ中の「プリマドンナ」のような堂々たる風格すら漂わせています。

 上掲の2番目の歌詞の吉田さんの独唱にかぶさるような、「アーアーアー」の高音のスキャット。白石さんや中安さんの声ではないようです。新メンバーの内海万里子さん?印象的な声質です。
 ピアノ演奏は吉野翠さん。ショパンのプレリュードの名曲『雨だれ』に迫るなどと大げさなことは言いませんが、「ふりしきる夜の雨」の感じをよく表わし得た演奏です。

 女声フォレスタのレパートリーは『雨のブルース』にまで広がりました。『星の流れに』や『東京ブルース』まであと一歩です。もうここまで来たら、この二つの名ブルース、是非吉田さんに歌ってもらいたいものです。

 (大場光太郎・記)

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杜甫『登岳陽楼』

  登岳陽楼   (岳陽楼に登る)

       杜甫

  昔聞洞庭水  昔聞く 洞庭の水
  今上岳陽樓  今上る岳陽楼(がくようろう)
  呉楚東南坼  呉楚(ごそ) 東南に坼(さ)け
  乾坤日夜浮  乾坤(けんこん) 日夜浮かぶ
  親朋無一字  親朋(しんぽう) 一字無く
  老病有孤舟  老病(ろうびょう) 孤舟(こしゅう)有り
  戎馬關山北  戎馬(じゅうば) 関山(かんざん)の北
  憑軒涕泗流  軒に憑(よ)れば 涕泗(ていし)流る

…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… 
《私の鑑賞ノート》

 杜甫の晩年にあたる57歳の時の古今有名な詩です。この詩をより深く味わうには、この地に至るまでのことを簡単に見ておいた方がいいと思います。

 杜甫の運命に激変をもたらしたのは、天宝14年(755年)盛唐を震撼させた「安禄山の乱」の勃発です。これによって首都・長安は大混乱に陥り、玄宗皇帝は都を捨てて蜀(しょく)へと落ちのび、途中民衆の怨嗟の声を静めるため、愛する絶世の美女・楊貴妃に死を与えるという大痛恨事があったのでした。
 仕官して天下国家に尽くす願望の強かった杜甫もまた長安にいました。そのためもろに難を受け、妻子とともに疎開地を求めて放浪する旅が始まったのです。杜甫43歳の時のことです。

 以来岳陽楼に登ったこの時までの十数年、安住の地を求めて、中国中を西に東に、北に南にと放浪し続けます。時に人が踏み入ったことのない山道に分け入ったり、厳冬の高山の麓の道を飢えと寒さに震えながら歩いたり。時には有名な“蜀の桟道”を辿って蜀に入り、成都や蜀中を転々としたり。長江に舟を浮かべて三峡(さんきょう)を下って、今の四川省の各州に短期間滞在したり。
 定まったねぐらを持たない杜甫一家ですから、どこに行ってもそのつど困窮を極めました。

 そのような長期にわたる過酷な放浪生活から、国を憂える気持ち、民衆の困窮に対する同情、自身の悲嘆の想いなどを強め、その迸りが幾多の詩となって結実していくことになります。だから杜甫の詩は、それまでの宮廷詩人のお遊びの詩ではなく、厳しい生の現実に直面した鋭い透徹した社会詩としての方向性を帯びていきます。
 これはまさに古今独歩の、それまでに見られない新たな詩境だったのです。

 長江をまたも舟で下り、洞庭湖の東北岸に当たる岳州に入ったのは大暦4年(769年)旧正月、杜甫57歳の時のことでした。今でいえば75歳過ぎの後期高齢者に相当するような老境とみるべきです。実際その頃の杜甫は、片方の耳は聴こえなくなり、歩行不自由な身になっていたのです。

 洞庭湖東北岸に面した丘の上に岳陽楼はあり、この時杜甫はこの楼に登りました。岳陽楼から望む洞庭湖は、遥か彼方に水と空とが連なり心も遠くなるような眺めです。
 洞庭湖や岳陽楼には古来多くの文人墨客が訪れ、多くの詩文を遺しています。しかし先の孟浩然の『洞庭湖に臨む』と杜甫のこの詩の二つの五言律詩が双璧とされています。



 この詩の大意は以下のとおりです。

 「洞庭の水を、名にのみ聞いていたのは昔のこと。いま私は、(漂泊の旅のさなかに)岳陽楼にのぼって、目(ま)のあたりその湖を眺めている。東南、呉楚の地方は二つに裂けて、この湖水がたたえられ、はても知らぬ水面は、昼も夜も、全宇宙を浮かべているかと見えるほど。-思えば親しい人たちからは一字のたよりさえなく、老病のわが身につれだつものは、ただ一そうの小舟あるばかり。目を転ずれば境をへだてる山々の北では、軍馬の足音がひびいているとか。楼の手すりによりかかりながら見わたすとき、私の目からは涙があふれ出る。」(岩波文庫『唐詩選(中)』より)

  呉楚東南坼  呉楚 東南に坼け
  乾坤日夜浮  乾坤 日夜浮かぶ

 孟浩然の『臨洞庭湖』も雄大な詩でしたが、杜甫のこの詩はそれよりさらにスケールの大きな詩です。
 「万物乎備我(万物我に備わる)」(孟子)。詩の前半は、放浪生活にさいなまれ、さまざまな病気に苦しめられていたとは思われないほど気宇広大で、老いてなお盛んな詩魂が感じられます。

  親朋無一字  親朋 一字無く
  老病有孤舟  老病 孤舟有り

 雄大な洞庭湖を眺めて、悠久の昔から変わらぬ大きな自然、それに引きかえ小さく不自由なわが身よ、と自(おの)ずから湧き上がった感情からなのか。詩の後半では一転、現在のわが身の不遇を嘆く詩句となっています。
 「国破れて山河在り」の『春望』もそうでしたが、このような心情の吐露こそが杜甫詩の真骨頂と言えるものです。

 この詩全編は、「漂泊の詩人」杜甫が漂泊の果てにたどり着いた詩境の精華といえるかと思います。

 これから2年後の冬、杜甫は舟の中で漂泊の生涯を終えることになるのです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『唐詩選(中)』(岩波文庫、前野直彬注解)
『杜甫物語-詩と生涯』(社会思想社-現代教養文庫、目加田誠著)
関連記事
『洞庭湖三詩(1)-孟浩然』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-4fa1.html
『洞庭湖三詩(2)-李白』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-f1e5.html
『絶句』(杜甫の詩)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-eb8b.html

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フォレスタ個人情報(2)

 -「知らぬが花」とは言いつつも、関心のあることはつい知りたくなるもので…-

 先日の『フォレスタの「さくら貝の歌」』に、satoru、ジョイナスご両人のコメントが多数寄せられました。都合により同コメント群は削除させていただきましたが、関心が集中したのは特定の女声フォレスタメンバーの動向についてでした。
 その件に関しては多くのフォレスタファンの関心が高いらしく、以前から当ブログフォレスタ記事へその件でのアクセスがかなりありました。

 以前の『フォレスタ個人情報』で述べましたように、本来は歌っているメンバー各個人のプライバシーなどあまり気にせず、一つひとつの歌を純粋に楽しむのが一番いいはずです。
 「誰それがどうした、こうした」と詮索し、余計な情報をインプットしてしまうと、それが邪魔して歌を純粋に味わうことが出来にくくなりがちです。

 さはさりながら。これだけファンの皆さんの関心が高いとなると、これまで多くのフォレスタ記事を公開してきた私としても無視できなくなります。
 毎度言うように、『BS日本 こころの歌』の番組内や『フォレスタ通信』などで、メンバーの特に「冠婚情報」などをもっとオープンにしてくれれば、ファンもやきもきせずに済むわけです。しかしなにせ、「フォレスタ個人情報」についてはガードが固そうなので、未確認なのを承知の上で、代わって私が知り得たところを出させていただく次第です。

 当ブログのフォレスタ関連記事、おかげ様でとみに好調です。そんな中特に「びっくり現象」が、今週月曜の8日夜に起こりました。同夜は既にご存知のとおり、従前の夜10時を1時間繰り上げた9時に、しかも女声新メンバーでの番組だったようです。
 異変は放送直後の9時過ぎから起こりました。フォレスタ関係のアクセスが急伸したのです。中でも目を引いたのが[矢野聡子」検索フレーズの多さです。9時台から11時台まで(翌零時を過ぎても)「矢野聡子」「矢野聡子」「矢野聡子」…。翌日の「検索フレーズランキング」で「矢野聡子」がぶっちぎりの1位だったように、フォレスタフレーズとしてはかつてない検索数を記録しました。

 最近「テレビ」というものを見ていない私には、何でそうなったのかさっぱり検討がつきません。すると翌日のsatoruさんコメントで、「『こころの歌』番組のエンドロールに、どうしてか矢野さんの名前がなかった」とありました。原因はどうもこれだったようです。
 今年3月頃の『フォレスタ通信』で「矢野聡子は結婚のため、活動を一時休止します」というお知らせが出ました。引退ではなく「休止」なのですから、やがては復帰すると誰しも思っていたわけです。

 しかし番組のメンバー名表示から「矢野さんの名前が消えた」となると、事情はかなり違ってくるのではないでしょうか。当初は上沼純子さん一人だけとみられていたのに、今回内海万里子さんも加わって新メンバー2名となったのはどうしてなのでしょう?
 これはあくまで私の個人的見解ですが、(多分矢野さん側のご意思として)このままフォレスタ卒業となる可能性が高いのではないでしょうか?そうではなく、「あれっ、矢野さんだ。さとちゃんが帰ってきた !」となることを願うばかりですが。

 それにしても、8日の「矢野聡子」フレーズの多さには本当に驚きました。矢野さんがいかに全国の多くのファンに愛されているか、認識を新たにさせられました。

 同日から現在にかけて、矢野さんに次いで検索数が多かったのが小笠原優子さんです。これもジョイナスさんコメントなどで知ったのですが、小笠原さん、8日の番組に久しぶりに出演したもようです。
 『いい日旅立ち』と『なごり雪』と。everstone04さんがそのもようを早速ユーチューブ動画に投稿してくれました。それを観ますと、新メンバーを含めた5人が前面一列で、小笠原さんは一人後ろで、2曲ともソロを担当しています。5人はピンクの新ドレスなのに小笠原さんだけ裾が広い純白のドレス、そしてお見受けしたところスリムだったお腹がだいぶふっくらしている感じです。

 小笠原さんへのファンの関心はその一点に集中しているのです。当ブログ検索フレーズでも「小笠原優子 結婚」「小笠原優子 妊娠」「小笠原優子さんおめでたか」などなど。

 小笠原優子さんは青森県上北郡○○町(?)の出身。津軽海峡を越えた函館北高校(?)を卒業後、青森が生んだ大歌手・淡谷のり子さんと同じく東京音楽大学に入学。「ミス東京音大」に選ばれ、在学中からNHK教育テレビ『ふえはうたう』で4年間“うたのお姉さん”を務めました。ホリプロに所属し、2006年の女声フォレスタ初代メンバーに加わる以前から幅広い活動をしてこられたようです。

 女声フォレスタきっての美貌ですから、私は小笠原さんはとうに結婚していてもおかしくはない、と思っていました。しかし今まで独身だったのでしょうか。「小笠原優子さんの結婚相手は誰?」。皆さんこれも是非知りたいところでしょう。そこで未確認ながらズバリ、
 「小笠原優子 大野隆 結婚」「小笠原優子 大野隆 夫妻」
 もし違っていたら、ご関係の皆様本当にごめんなさい。仮に本当なら、大野隆さんは男声フォレスタの最年長でリーダー格、2歳ほど年下の小笠原さんとは、仕事上でも年齢的にもふさわしいカップル誕生となるわけです。

 一方の矢野聡子さんは、武蔵野音楽大学卒業からフォレスタメンバーになるまでの経歴、「矢野聡子さんの結婚相手は誰?」に至るまで、完全に秘密のヴェールに包まれていてミステリアスです。

 (大場光太郎・記)

『フォレスタ-いい日旅立ち(撮り直しヴァージョン)』
http://www.youtube.com/watch?v=855or6uieBo&feature=plcp
『フォレスタ-なごり雪(撮り直しヴァージョン)』
http://www.youtube.com/watch?v=iFdz0LLPza0&feature=plcp
関連記事
『フォレスタ個人情報』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-da5e-1.html
『ある人の「フォレスタ個人情報」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-3afb.html

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オルフェウスの冥府下り(3)

 オルフェウスは、エウリュディケの手を引きながら長い漆黒の冥府の道を歩いているうち、さまざまな疑念が湧いてきました。それが極限に達し、たまらずエウリュディケをチラッと振り返ったのでした。

 エウリュディケは確かにそこにいたのです。しかし彼が一瞬垣間見たものは、妻のこの上ない悲しげな表情でした。次の瞬間、彼女はまるで実態を持たないホログラフィーのように薄くなり、ふらふらと吸い込まれるように地の底へと落ちて行ったのです。
 「待ってくれ。エウリュディケ。待ってくれ」

 オルフェウスは必死に手を伸ばして、落ちて行く妻の手を求めましたが、何の甲斐もありませんでした。
 「さ・よ・う・な・ら~ オルフェウス~」
 悲痛な声は次第にか細くなり、遂には闇の底へと消えていってしまったのです。

 オルフェウスは悲嘆のあまり、しばらく立ち尽くすのみでした。が、気を取り直してもう一度地の底へと向かいました。
 「頼む。川を渡らせてくれ」
 冥府の川の渡し守に頼んでも、今度は頑として応じてはくれません。
 諦めきれないオルフェウスは川のほとりに腰を落とし、7日7晩飲みもせず食べもせず泣き明かしました。しかし冥府全体が寂(せき)として声なし。
 神々の憐れみを得られず、彼は仕方なく冥府を出てトラキア地方の深い山の奥に赴き、身を隠したのでした。

 このエピソードは、文化人類学的かつエソテリック(秘教)的に言えば、一種の「イニシエーション」だったと見ることができます。それもかなり高度な。アセンションを達成するには第六イニシエーションをクリアーしなければならず、それをクリアーできればその人間を呪縛する死を克服し、不死のマスターになれると言われています。
 そこまではいかずとも、オルフェウスのこのケースは第四か第五かのイニシエーションに相当したものと思われます。極度の疑念を克服するまでの「信じる心」。いずれにせよオルフェウスは、その人生では失敗したのです。

 既にお気づきの方がおありかもしれませんが、我が国神話の中にもこれと同じようなモチーフの物語があります。イザナギノミコト(伊邪那岐命)の「黄泉(よみ)下り」です。
 イザナギも亡くなった妻神のイザナミノミコト(伊邪那美命)を取り返すべく、黄泉の国に赴きます。もっともイザナギはイザナミと共に、日本国土の国生みをしたほどの力ある大神です。だからオルフェウスのように冥府の王への執りなしなど必要なく、黄泉にいるイザナミと差しで話をしています。

 「ちょっとお待ちください。でも待っている間に決してこの部屋の中を見てはいけません」
 イザナミは、「鶴の恩返し」のような「見るなの座敷」の原型となる言葉を言います。しかし「見るな」と言われればなおなお見たくなるのが人情というもの。いやイザナギは神様でしたが、大神とて同じらしく、“ゆつつま櫛”に火を灯してやっぱり覗いてしまうのです。
 そうしたらそこには、いと醜いイザナミの姿があったのです。

 「♪あら、見てたのね~」どころの騒ぎではありません。イザナミの怒るまいことか。イザナミも、エウリュディケのようなたおやかな死者ではありません。「よくも私の恥ずかしい姿を見たわね」と言いながら、黄泉醜女(よもつしこめ)たちを遣わして逃げるイザナギを追わせたのです。
 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂下まで来て、そこにあった桃の実三個を取って撃ち返したところ、黄泉醜女たちは皆退散していきました。

 最後にはイザナミ自らがやってきました。そこでイザナギは千引(ちびき)の石を引き塞いで、黄泉比良坂をこの世とあの世の境にして、夫婦最後の「事戸(ことど)」を言い合います。
 「我が愛しき夫神よ、かくなる上はあなたの国の民草千人を殺しましょうぞ」
 「なんのなんの。我が愛しき妻神よ、それなら私は妊婦たちに一日千五百人の子を産ませてみせるわ」

 こうしてイザナギは、祝詞(のりと)にもなっている「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」(つくしのひむかのたちばなのおどのあはぎはら)で黄泉の国の穢れを祓うべく、禊(みそぎ)をしました。その結果生まれたのが、アマテラス、ツキヨミ、スサノオの「三貴子」なのでした。

 その後のオルフェウスに話を戻します。
 トラキアの山奥に隠棲した失意のオルフェウスは、妻エウリュディケを偲びながら、竪琴を奏で歌を歌って過ごしました。それに引き寄せられるように妖精や人間の女たちが集まってきました。オルフェウスに言い寄る女たちもずい分いました。しかしオルフェウスには亡き妻の姿しか眼中にありません。
 ディオニュソスの祭りの晩のこと。頑としてなびこうとしない彼に憎悪の念を抱いていた女たちは、酒の勢いも手伝って、オルフェウスに石を投げあいました。

 まさかアマゾネス軍団ではなかったでしょうが、いくら女とはいえ多勢に無勢。その一つがオルフェウスのこめかみに命中し、彼は絶命していまいます。元々生きる気力を失っていた彼にはかえって良かったのかもしれません。今度は本当に冥府の住人として、愛しいエウリュディケに会い、共に永く暮らすことができるのですから。

 魂はそうでも、地上には彼の体が残っています。死体は凶暴な女たちによって八つ裂きにされてしまいました。憐れに思ったへブロス川の神が、その首と竪琴だけを拾い上げ、海に流してやりました。
 オルフェウスの首と竪琴はレスボス島にまで運ばれ、この島で手厚く葬られたのです。その功徳(くどく)なのか、レスボス島はその後素晴らしい詩人と歌手を輩出することとなります。代表的なのは、古代ギリシャきっての女流詩人サッフォーです。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『ギリシャ神話を知っていますか』(阿刀田高、新潮文庫)
『ウィキペディア』-「オルぺウス」の項
関連記事
『オルフェウスの冥府下り(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-583e.html
『オルフェウスの冥府下り(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-fa85.html
『ギリシャ神話選』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html
『夕星(ゆうずつ)の歌』(サッフォーの詩)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-7dd8.html

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山中教授のノーベル賞受賞に思うこと

-ノーベル賞熱狂も、女子サッカー“なでしこフィーバー”も根っこは一緒では?-

 iPS細胞(人工多能性細胞)を開発した山中伸弥京大教授(50)が、ノーベル医学・生理賞を受賞しました。1949年に湯川秀樹が初めて受賞(物理学賞)して以来、日本人として19人目となります。
 昨年の3・11大震災&福島原発事故、世界的金融危機、不毛の政治状況下出口の見えないデフレ不況、庶民をさらに苦しめる大増税法案成立…。現状もお先も真っ暗な我が国にあって、久々の大朗報といえます。

 受賞理由となった「iPS細胞」については、既にニュース等でおおよその概念は把握されていることでしょうから、ここでは詳細には述べません。ただ最近よく耳にするこの“現代基礎用語”について、そもそもこの分野での研究開発は純粋に国内で誕生した技術で、世界が後を追いかけている段階なのだそうです。
 かつては日本が世界で圧倒的なシェアを誇っていた車でも電化製品でも、新興国の技術発展は目覚しく、特に韓国などに追いつき追い越される状況で、最早「技術立国ニッポン」のブランドは落日の様相です。
 そんな中での「iPS細胞」の先駆的研究開発。余計期待が高まろうというものです。

 通常ノーベル医学賞は、その技術が医療の現場で実用化されてから受賞されるケースが多いのだそうです。その点今回の山中教授の受賞は異例中の異例といえます。iPS細胞はまだまだ実用化の段階ではないからです。
 それでも受賞が決まったということは、それだけ「iPS細胞に未来がある」ということの証明です。特に新薬開発の分野では、認知症薬などの研究が進められており、世界中の製薬会社、研究機関が実用化にしのぎを削っていて、「いずれ数兆円規模の市場になる」といわれています。

 iPS細胞は一般的に「万能細胞」といわれ、そこから神経や内臓、骨などを作り出すことができ、実用化されれば病気の臓器は交換でき「あらゆる病気に効くのではないか」と期待されています。
 しかし山中教授自身「万能細胞といわれることもあって、きょうあすにも病気が治るという誤解を与えてしまっている」と慎重な発言をしています。理論上は臓器丸ごとの交換も可能ですが、その実現は数十年先の話なのです。

 実際生活習慣病など複雑な要素が絡んでいる病気への応用は難しい上、高血圧症の場合臓器の一部を取り換えれば治るというのでもありません。また移植した細胞がガン化する危険性も指摘されているなど、十分な安全性が確保されるまでは相当の歳月が必要とみられています。
 しかしそれらの難問がすべてクリアーされた暁には、数兆円どころか数十兆円、数百兆円規模の巨大市場となるのではないでしょうか。

 そのキーマンである受賞者の山中教授は、1962年東大阪市の町工場に生まれ、決して恵まれた研究者人生ではなかったようです。経歴の詳細は省きますが、現在は京大教授です。そうするとどうしても、京大と東大のノーベル賞受賞者数を比較したくなります。
 結果は、京大(ОB、在籍者含む)の7人に対して東大は4人と、「京大の勝ち」なのです。それに東大4人のうち、文学賞の川端康成と平和賞の佐藤栄作を除けば、理系分野はたったの2人だけ。
 世界基準では京大の研究実績の方が圧倒的に上なのです。

 国と結びついてステップアップしていく東大に対して、研究者の個性を大切にしてくれるのが京大です。また国や民間から湯水のように研究費が流れ、昨年大問題になった「原子力ムラ」ではないけれど、それらと癒着してしまう「権威の象徴」のような東大に対して、「反骨」「在野の精神」の自由な気風のもと、基礎研究と創造性を重視してきたのが京大です。
 要は「権力」との距離の取り方の違いです。権威におもねることなく地道な研究を重ねる京大が、東大より優れた業績を挙げるのは当然ともいえるのです。

 尖閣諸島を巡る中国との対立、竹島問題での韓国との対立など、東アジアの近隣関係がぎくしゃくしていますが、中国・韓国と我が国のノーベル賞受賞者数ではどうでしょうか。お察しのとおり、我が国の19人は両国を圧倒しています。中国は平和運動家の劉暁波(平和賞)の1人だけ、韓国も金大中元大統領(平和賞)の1人だけです。
 彼我の差から日本人は中韓より図抜けて優秀なのでしょうか。領土対立激化によりナショナリズムが高まる中、そう思いたい国民は多いはずです。

 しかしこれはそうとばかりもいえません。そもそもノーベル賞創設者のノーベルはユダヤ人で、ダイナマイトで巨万の富を得た“ユダ商”です。それとノーベル財団は他の国際機関同様、ユダヤ国際金融資本&イルミナティによる世界統一政府樹立のための一奉仕機関であるのです。ユダヤ人や欧米人の受賞者が圧倒的なのはそのためです。
 戦後日本は、技術分野でも研究分野でも米国追随を一貫してきました。佐藤栄作の平和賞受賞には当時の国民誰もがびっくりしましたが、「19人」は欧米ユダ金に尻尾を振り続けてきたご褒美のようなところがあるとみた方がいいのです。

 今年は、ここ何年もノミネートされながら受賞できなかった村上春樹の文学賞受賞も有力視されています。仮にそうなったら、さらに「ノーベル賞狂想曲」が高まることは必至です。それを例によって新聞・テレビが煽りに煽るのです。
 国力が落ち目の国ほど、反比例してナショナリズムが高まる.ものです。マスコミに乗せられて「ノーベル賞 = 日本の力」と勘違いして、国威発揚的な変な高揚感、中国・韓国への変な優越感は抱かないことです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』(10月10日1~3面)

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ニールス・ボーア生誕127年

 -量子力学などよく分からない。ただ素人考えで極言すれば、ボーア最大の功績とは、この世とあの世に理論的な橋を架けた事ではないだろうか-

 久しぶりでグーグルの「変わりロゴ」の話題です。7日付けで表示された今回のグーグルロゴは以下のようなものでした。



 まずアトミックな図案に真っ先に目がいきます。それと赤いギザギザの波長のような線、右上の難しそうな数式。この変わりロゴを見た私は、何の根拠もなしに『もしかしてボーアか?』と直感しました。
 図案の上にカーソルを当ててみると、「ニールス ボーア生誕127周年」とあり、まぐれ当たりの「ビンゴ !」だったのです。

 ニールス・ボーアについては、今年1月の『ニュートン世界と量子世界』シリーズの中で少し触れたことがありました。とは言っても私自身、ボーアについて詳しく知っているわけではありません。折角のいい機会ですから、「知らない時のウィキペディア頼み」によって、簡単にみていきたいと思います。

ニールス・ボーア

ヨーロッパ時代

 ニールス・ボーア(1885年10月7日 - 192年11月18日)はデンマーク出身の物理学者で、前量子理論の確立者、量子力学の父と言われる人です。1913年マックス・プランクの量子仮説に基づいた「ボーアの原子模型」を確立しました。
 1921年にコペンハーゲンに理論物理学研究所(ニールス・ボーア研究所)を開き、外国から多くの物理学者を招いてコペンハーゲン学派を形成しました。原子物理学への貢献により1922年にノーベル物理学賞を受賞しています。

 アルベルト・アインシュタインが量子力学に反対するようになると、尊敬するアインシュタインとも論争を続けて説得しようと試みます。有名なエピソードにマックス・ボルン宛にアインシュタインが書いた手紙("Der Alte würfelt nicht."神はサイコロを振らない)に反論した名言("Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat."アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、注文をつけるべきではない)があります。ボーアは社交的な人柄だったので、多くの物理学者から慕われ、量子力学の形成に指導的役割を果たしました。又、彼は実験をせず科学的発見を行ったといわれています。

アメリカ時代

 第二次世界大戦が始まり、ナチス・ドイツがヨーロッパでの侵略を始めると、ユダヤ人を母に持つボーアはイギリスを経由してアメリカに渡りました。1939年に発表されたボーアの原子核分裂の予想(ウラン同位元素235は分裂しやすい)は、原子爆弾開発への重要な理論根拠にされました。しかし、ボーアは軍拡競争を憂慮し、西側諸国にソ連も含めた原子爆弾の管理及び使用に関する国際協定の締結に奔走しましたが、結局ボーアの願いは叶いませんでした。 

 以上、ニールス・ボーアについて簡単にみてきました。ボーアはアインシュタインほどには知られていませんが、勝るとも劣らない天才だったと思われます。

 ボーアが切り拓いた量子力学で画期的なのは、物質を極限まで突きつめていくと「物質が非物質になる」という大発見です。すなわち、物質性を保障している粒子がミクロでは波(波動)に変わってしまうのです。波動は不可視のエネルギーで非物質です。
 後にボーアは、粒子までの世界を「明在系」、それよりも奥の極微の波動の世界を「暗在系」と呼びました。これは『ニュートン世界と量子世界(3)』で述べたとおり、「明在系(ニュートン世界) = この世」「暗在系(量子世界) = あの世」と置き換えても何ら差し支えない概念です。

 しかし実はこの概念は、東洋思想では何千年も前から唱えられてきたことです。例えば仏教で説く「色即是空」「空即是色」の「空観(くうかん)」。この場合「色」が明在系で「空」は暗在系となります。
 つまり我が国で言えば、空海、法然、道元といった宗教的天才がとうの昔に悟得していた境地を、20世紀になってようやく量子力学の確立によって理論的に追認したということなのです。

 仔細には分かりませんが、量子力学がアプローチしたミクロの世界は「10のマイナス20乗」くらいまででしょうか。
 しかし(「世界人類が平和でありますように」の提唱者の)故・五井昌久先生が言うように、「空の空のまた空の、そのまた空の空空の」というように、空には深い精妙・霊妙な段階が無限にありそうなのです。「10のマイナス50乗」「10のマイナス100乗」「10のマイナス何百乗」というような…。

 と言うことは、量子力学を契機として、科学はようやくあの世の三途の川をチラッと一瞥したに過ぎないとも言えるのです。

 ただ私たちとしては、この物質世界が宇宙の孤児のように単独でポツンと存在しているのではない、という認識と自覚が重要だと思われます。
 「万物は波動なり」。波動はすなわち「スピリュアル」ですから、この物質世界を取り巻くすべてのモノも、私たちの身体も、物質であると同時に霊的存在なのです。「すべては密接に分かちがたく繋がっている」というこです。
 そして明在系のこの世は結果次元(従)であり、暗在系のあちらの世界こそが原因次元(主)であるのです。

 そのことを人類にあらためて指し示してくれた、ニールス・ボーアの業績に深い敬意と感謝を捧げたいと思います。

 (大場光太郎・記)

参考・引用(肖像画像も含めて)『ウィキペディア』-「ニールス・ボーア」の項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A2
関連記事
『ニュートン世界と量子世界(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-6068.html
『ニュートン世界と量子世界(2)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-bfea.html
『ニュートン世界と量子世界(3)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-0c99.html
『ニュートン世界と量子世界(4)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-bfea-1.html
『人間はあの世にも同時に存在している』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7a9b.html
『続・人間はあの世にも同時に存在している』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-a641.html

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フォレスタの「さくら貝の歌」

-八州秀章自身の初恋の人との死別が、この美しい不朽の名叙情歌を生んだ-

  (この歌のYouTube動画はURL表記。)
   元の収録版 http://www.dailymotion.com/video/x26c0vv_%E3%81%95%E3%81%8F%E3%82%89%E8%B2%9D%E3%81%AE-%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%BF_music
    新収録版 http://www.youtube.com/watch?v=Erwi81fygRM

 直前の『雨降りお月さん』もそうでしたが、名曲として後々まで歌い継がれる歌には知られざる秘話がある場合が少なくないものです。そのエピソードあればこそ、後の世まで残る名曲にまで昇華し得たと言えるような…。
 この歌の場合、それは作曲した八州秀章(やしま・ひであき)にまつわる悲話です。

 八州秀章は、「男が音楽など勉強するとは何事か !」という親の反対を押し切って、故郷である北海道から上京しました。しかしその直前、初恋の人が胸の病で亡くなっていたのです。だから八州にとっては、失意に胸を痛めての上京でもあったわけです。
 ちなみに八州秀章はペンネームで、本名は鈴木義光です。ペンネームは、初恋の人の名前の横山八重子から「八」を取り、彼女の戒名の<誓願院釋秀満大姉>から「秀」を取ってつけたものです。

 時が経った昭和14年秋、親しかった土屋花情と新人歌手の小笠原光子と三人で鎌倉の海岸を、由比ガ浜から七里ガ浜に向かって散歩していました。その時、海辺に散るさくら貝を見た八州秀章が、土屋花情に「どうだ君、『さくら貝の歌』というのはいいタイトルだと思うが作ってみないか」と言い、自分で書いたモチーフの短歌を口ずさんだそうです。
 こうして数ヵ月後に出来たのが『さくら貝の歌』だったのです。(ただ実際発表されたのは、戦後の昭和24年のこと。)



 鎌倉の海岸でたまたま見つけた「うるわしきさくら貝ひとつ」に、八州秀章は亡くなった初恋の人の面影をダブらせていたことは明らかです。八州の想いに深く感応(かんのう)したのか、土屋花情の一つひとつの詩の言葉に心打たれます。
 八州秀章は戦後も次々にラジオ歌謡から名曲を生み出しました。『あざみの歌』(昭和25年)『山のけむり』(昭和26年)『チャペルの鐘』(昭和27年)『毬藻の歌』(昭和28年)…。八州作品としては、この『さくら貝の歌』が「日本の歌百選」(2006年)に選定されました。

 あらためて言うまでもないと思いますが、この歌の最後のフレーズに出てくる「うつし世」とは「この世」ということです。この歌のみならず、「現し世(うつしよ)」は歌を作るにあたって使い勝手のよい言葉なのか、流行歌・演歌にしばしば用いられます。
 それではなぜこの世を「うつし世」と言うのでしょうか?これにつきましては、既に『「現し世」考』(2008年7月)という一文で突っ込んだ考察をしていますので、興味がおありの方はご一読ください。

 八州秀章はこのうつし世に残され、そして大切な初恋の人はかの世に。互いに顕幽を隔てて、最早合い見ることは適わないのです。それゆえこの歌詞の「うつし世」は、そんじょそこらの安直な用い方とはわけが違うのです。

 土屋花情の優れた歌詞をベースとして、八州秀章のメロディは切ないまでの哀切な叙情性を、いやが上にも高めています。
 詞と曲があいまって、亡き横山八重子への最高の手向けの歌、鎮魂歌であり、さらには個人的な事情を超えた不朽の名曲であるように思われます。

                        *

 今回は『フォレスタの「さくら貝の歌」』として、特に2つのYouTube動画を表記しました。

 まず一つ目は、小笠原優子さん、白石佐和子さん、矢野聡子さん、中安千晶さんという初代女声コーラスメンバーによるスタジオ収録版です。叙情性溢れるこういう歌は、このメンバーお手のものといった感じがします。
 このうつし世の私たちは、よほど進化しませんと肉体の死を免れることは出来ません。よってこの先もまだまだ恋人のみならず、伴侶や親子といった愛する人との死別は避け難いわけです。
 さくら貝に仮託した普遍的な哀しみを、4人の女声コーラスは見事に歌い上げています。

 次の動画は、上の4人に吉田静さんが加わった、ステージ収録版です。
 他の歌のステージ版では、会場が広いため歌声が拡散してしまうからなのか、同じ歌のスタジオ版に比べて『どうも違うなあ』と感じることがまゝあります。
 その点この『さくら貝の歌』ステージ版は、スタジオ版と遜色ない出来ばえだと思います。吉田さんが加わったことによって、コーラスがより厚みを増したように感じられます。

 ピアノ伴奏はどなたかよく分かりませんが、初めに映し出された手の感じでは南雲彩さんでしょうか。詩的な演奏でとてもいいですね。
 何の関係もありませんが、このステージ版を聴いていて、どうしてか、純朴・純情だった私自身の高校時代のことが懐かしく思い出されました。
 それからこれは余談ですがー。たいがいのステージ版では女声メンバーのカメラ映りがイマイチのようですが、このステージはそんなことはなく、皆さんとっても綺麗です !

 (大場光太郎・記)

『フォレスタの「さくら貝の歌」(撮り直しヴァージョン)』
http://www.youtube.com/watch?v=6ukWfLXWY4s&feature=plcp

参考・引用
日本音楽教育センター編『美しき歌 こころの歌 新・叙情歌ベスト選集』別冊
『鑑賞アルバム 私の好きなうた』-「叙情歌とは?(喜早哲)
関連記事
『フォレスタの「雨降りお月さん」』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-1d4b.html
『日本の歌百選』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-f43b.html
『フォレスタコーラス』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat49069329/index.html
『「現し世」考』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_425a.html

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オルフェウスの冥府下り(2)

 オルフェウスは、死んだ新妻エウリュディケを返してもらうべく、冥府へ下ってそこの王ハデスと直談判することを決意しました。

 タイナロン岬のどこかの冥府の門をくぐり抜け、暗黒の隧道をどこまでも下っていきました。やがて地の底に行き着くと、地界の王ハデスの館を取り囲むように五つの川が流れています。どの川を渡ったかまでは分かっていませんが、オルフェウスはとにかくその中のどれかを渡って死者の地にたどり着きました。

 周囲には、得体の知れない蒸気のような亡者たちがゆらゆらと揺らめき動いています。無明(むみょう)の闇のみが辺り一帯を領し、魂を凍らすほどの冷たさ、気味の悪さです。漂う空気には名にやら名状しがたい怨嗟(えんさ)の気配が漂っています。
 オルフェウスを前に進めるものは、ただただ愛するエウリュディケを取り返したい一念だけ。彼はなおも奥深くに進んでいきます。最深部はタルタロスと呼ばれる地域で、地上の極悪人たち、例えばシシュポス、タンタロス、イクシオンなどが無限に続く刑罰を受けている所です。

 上の三悪人の刑罰を簡単にみてみます。
 シシュポスは大きな石を山の頂上まで運びますが、あと一歩のところで石もろとも下に落とされ、それを無限に繰り返す刑罰。タンタロスは果実がたわわに実った果樹に吊るされ、食べたい果実が永劫に食べられない刑罰。イクシオンは、火が燃えさかる車に縛り付けられたまま空中を絶え間なく回転しているという刑罰。
 特にシシュポスの場合は、『異邦人』の作家・カミュに『シシュポスの神話』という作品があるように、なぜそういう刑罰を受ける羽目になったのかなど興味深いものがあります。(いずれ取り上げられたらと思います。)

 どうして生身のオルフェウスがここまでたどり着くことができたのでしょうか。
 それは、彼の奏でる竪琴と彼の歌う歌声が、冥府の番人たちを感動させたからにほかなりません。地獄の番犬ケルベロスですら美しい音色に魅せられて、凶暴な唸り声を出すのを忘れたほどなのです。

 オルフェウスは遂に冥王ハデスの館に到着しました。館に入るやハデスの前に進み出て、
 「どうか私の妻を地上にお戻しください」
と、涙ながらに願い出ました。

 ハデスもその妻ペルセポネも、オルフェウスの歌に深く心を動かされていました。そこでハデスは、
 「よかろう。特別の計らいで返してやろう。だが、よいな、太陽の光を仰ぐその時まで決して汝(なんじ)の妻の方へ振り返ってはならぬぞ。これが掟じゃ」
 そう告げて、エウリュディケの手をオルフェウスに握らせました。
 オルフェウスの喜びは例えようもありませんでした。

          妻の手を引くオルフェウス(注 実際は漆黒の闇)

 オルフェウスは、エウリュディケの手を引いて冥府の道を引き返しました。
 だが道のりは長いのです。周囲は漆黒の闇。心細さが少しずつ彼の胸に募ってきます。後ろからついてくるのは本当にエウリュディケだろうか。もしやハデスが騙したのではあるまいか。
 それに妻の手の感触は何と頼りないのだろう。何と冷たいのだろう。さぞや痩せ衰えて情けない姿になっているのではあるまいか……。
 闇の深さに誘われるように、次から次へと疑念が湧いてきます。

 せめてエウリュディケのため息なりとも、衣擦れの音なりとも聞かんものと耳を澄ましても、それすらも聞こえません。
 「エウリュディケ」
 呼びかけても、もちろん返事はありません。

 オルフェウスの不安はもう極限にまで達しました。
 『後ろを振り向いて一目妻の姿を見たい』。
 掟破りの願望ながら、もう我慢できなくなりました。
 ハデスにあれほど固く止められたのに、オルフェウスはちらっと振り向いてしまったのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『オルフェウスの冥府下り(1)』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-583e.html
『ギリシャ神話選』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html

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洞庭湖三詩(2)-李白

  陪族叔刑部侍郎皣及中書賈舎人遊洞庭
  (族叔の刑部侍郎皣及び中書賈舎人に陪して洞庭に遊ぶ)

         李白

  洞庭西望楚江分  洞庭 西に望めば楚江(そこう)分(わか)る
  水盡南天不見雲  水尽きて南天 雲を見ず
  日落長沙秋色遠  日は落ちて長沙(ちょうさ) 秋色(しゅうしょく)遠し
  不知何處弔湘君  知らず 何れの処にか湘君(しょうくん)を弔(とむら)わん

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……



《私の鑑賞ノート》

 本来なら『遊洞庭(「洞庭に遊ぶ」)』という短いタイトルの方がすっきりしてよかったはずですが、さしもの李白(りはく)も縦の人間関係に気をつかったものか、長い注釈つきのタイトルになっています。
 このタイトルを見ていくとこの詩を作ったときの背景が見えてきますので、以下に説明してみます。

 「族叔」とは李白と直系の親族ではないものの、同族であり、世代的に李白の父の弟に当たることを示す言葉です。「皣」とは李皣(りよう)という人物のことで、唐の皇族の子孫だといいます。
 言われてみればなるほど、後に李白自身が宮廷で仕えた玄宗皇帝の名は李隆基。唐は李氏が建てた国なのです。と言うことは、今回初めて知ったことですが、李白自身も唐の皇族に連なる詩人だったのでしょうか。

 李皣の職名である「刑部侍郎」とは、法律・刑罰を管掌する刑部庁次官といった官職です。
 また「中書舎人」とは詔勅などを起草する職名です。その職にあった「賈」とは詩人の賈至(かし)のことで、賈至の詩は『唐詩選』にも採られています。

 この詩は賈至と李皣が洞庭湖に舟を浮かべて遊んだ折り、李白が同行して作ったもので、五首の連作のうち第一首です。年齢も官位も、李白は二人より低かったので、「陪」といったのです。
 この詩の大意は以下のとおりです。

 「洞庭湖から西方を望めば、楚江の流れは幾筋にも分かれている。湖水の尽きるところ、南の空には、一点の雲もない。日は落ちかかり、長沙のかなたまでも、秋の気配ははるかに続く。悲劇の女神、湘君を、どこでとむらうことにしようか。」 (岩波文庫『唐詩選(下)』より)

 ここで「楚江」とは長江(ちょうこう)の洞庭湖付近における別名で、「長沙」とは同湖の南にある町の名です。

 「湘君」とは長沙を通って洞庭湖に流れ入る湘江(しょうこう)の女神で、洞庭湖の女神ともされています。元は、中国開闢の王朝の初代天子の尭(ぎょう)の娘で、次の天子となった舜(しゅん)の妃となりました。あるとき舜が南方を巡察中に死んだのを悲しみ、湘江に身を投げて神となったと伝えられているのです。
 自身も洞庭湖に流入する川である汨羅江(べきらこう)に入水自殺した、戦国時代の憂国の詩人・屈原(くつげん)の『九歌』の中にも、その故事が謳われています。

 七言絶句のこの詩の結句で、「不知何處弔湘君」と詠んだのが、何といっても出色です。現前する広大な洞庭湖に、太古の女神を描いたことでさらに時間的な広がりも与えているようです。

 この詩は、李白による湘君の「魂呼び歌(たまよびうた)」であるようにも思われます。湘君の御霊(みたま)よ、今何処(いずこ)におわすか。
 黄昏(たそがれ)迫る洞庭湖に、秋の気配がいよいよ増し加わるばかりです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『唐詩選(下)』(岩波文庫、前野直彬注解)
関連記事(李白の詩)
『静夜思』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-755c.html
『蛾眉山月歌』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-33a2.html

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洞庭湖三詩(1)-孟浩然

   臨洞庭上張丞相  (洞庭に臨み、張丞相に上-たてまつ-る)

                 孟浩然

   八月湖水平   八月 湖水は平らかに
   涵虚混太清   虚を涵(ひた)して太清(たいせい)に混ず
   気蒸雲夢澤   気は蒸す 雲夢(うんぼう)の沢
   波撼岳陽城   波は撼(ゆる)がす 岳陽城 
   欲済無舟楫   済(わた)らんと欲するも舟楫(しゅうしゅう)無し
   端居恥聖明   端居して聖明に恥ず
   座観垂釣者   座(そぞろ)に釣を垂るる者を観て
   徒有羨魚情   徒らに魚を羨むの情あり

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
 孟浩然(もうこうねん) 689年~740年。襄州襄陽の人。字(あざな)も浩然。若い頃は科挙に及第できず、諸国を放浪した末、郷里の鹿門山に隠棲した。40歳のとき都へ出て、名士の屋敷に出入りし、王維らと親交を結んだが、官職は得られなかった。その後、張九齢が荊州長史に流されたとき、浩然を招いて部下に加えたが、まもなく辞任して去り、江南を放浪した末、郷里に帰った。そして隠棲中に王昌齢の訪問を受け、病後にもかかわらず喜んで酒宴を開いたため、病気を悪化させて没した。『孟浩然集』四巻が残っている。(岩波文庫『唐詩選(下)』巻末略伝より)

《私の鑑賞ノート》
 昨年6月の『洞庭湖と鄱陽湖』で、中国史上、洞庭湖が「文の湖」なら鄱陽湖の方は「武の湖」だと述べました。そして同記事では鄱陽湖が、三国志中の呉国の周瑜の指揮のもと呉水軍の修練場であったこと、遥か時代が下って朱元璋が明(ミン)の建国を賭けて陳友諒と大決戦をした「鄱陽湖の戦い」があったことなどを紹介しました。
 翻って洞庭湖の方は、唐の時代など多くの文人墨客が訪れた風光明媚な湖であることを述べ、一例として孟浩然のこの詩を紹介したのでした。

 同記事で、孟浩然のこの詩と李白と杜甫の詩をいずれ取り上げると言いましたが、1年以上経って今回『洞庭湖三詩』として見ていきたいと思います。



 その前に洞庭湖とは、同記事の説明をそのまま使えば、
 「洞庭湖(どうていこ)は湖北省北東部にある淡水湖で、中国の淡水湖としては鄱陽湖(はようこ)に次いで2番目に大きな湖です。全体的に浅く、長江と連なっており、「湖北省」「湖南省」の省名はこの湖の北と南にあることからつけられたものです。」

 孟浩然のこの『臨洞庭上張丞相』は、杜甫の『登岳陽楼』と並んで、洞庭湖を詠んだ二大名詩として古来人口に膾炙されてきました。詩の大意は以下のとおりです。

 「秋八月、洞庭の水は平らに、どこまでも続き、はるかな水平線では大空をその中にひたして、空と水とが一つにまざりあっている。雲夢の沼沢地から雲霧が立ちのぼり、湖の波は岳陽の町もゆらぐかと思うばかりに打ち寄せる。この湖をわたりたいと思えば、舟は一つもない。だがここにじっとしているだけでは、天子の明らかな徳に対して、申しわけない次第だ。何とかして仕官の道を求め、天子をたすけて太平の政治に参与したい。そう思いながら、ふと湖のふちに釣糸を垂れている人の姿を見ては、私の心にも、むなしい望みではあるが、魚ー仕官を求めようとする気持ちがおこってくる。」(岩波文庫『唐詩選(中)』より)

 少し注釈を加えればー。
 張丞相とは張九齢のことらしく、略歴でみたとおり、作者は一時その部下となったことがありました。この五言律詩は、全体を通して雄大な洞庭湖の叙景詩のようですが、上の大意のように、後半は孟浩然の鬱勃たる士官への想いが吐露されているわけです。
 「秋八月」とは旧暦八月のことで、今の10月頃にあたります。

 孟浩然は盛唐の詩人ですから、約千三百年ほども前の人です。それに本場中国の漢字を用いた詩なのですから、私たち今の日本人には意味が分からない字だらけです。しかし一々注釈を加えていくわけにもいきませんので、ここでは特に解釈が難しいと思われる二句目についてだけ説明しておきます。

  涵虚混太清   虚を涵(ひた)して太清(たいせい)に混ず

 「涵虚」とは虚空を水中に浸すことです。どういうことかと言うと、遥かに広がる湖水の果てが空(太清)に連なり、水と空(太清)の境界が明らかには見定めがたいありさまの形容なのです。

 このように、この詩は一読「雄渾の気」が湧いてくるような詩です。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『唐詩選(中)(下)』(岩波文庫、前野直彬注解)
関連記事
『洞庭湖と鄱陽湖』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-deab.html
『春暁(しゅんぎょう)』(孟浩然の最も有名な詩)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-b234.html

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安倍晋三、自民党総裁再就任の危うさ

 -国民の生活そっちのけで戦争を始めかねない安倍の首相再登板を許すな-

 またまたアナクロな人物が政治の表舞台に戻ってきたものです。先月26日に行われた自民党総裁選で安倍晋三が新総裁に選出されたのです。

 まだ記憶に新しいところですが、安倍晋三は2007年9月「お腹が痛い」と中途で政権をほっぽり投げた御仁です。それが5年後の今日何食わぬ顔で総裁選に名乗りを挙げ、とどのつまりは総裁に返り咲いてしまったのです。
 今回の総裁選1回目の投票で安倍が獲得した全国の党員票はわずかに29%のみ。国会議員だけによる石破茂との2回目投票の結果、石破を僅差で抑えて総裁になったのです。のこのこ出てきた安倍本人と自民党国会議員の見識が疑われます。

 自民党が万年野党でいてくれるのなら何の問題もありません。しかし“ダメナノダ”を再選させるしかない民主党の体たらくで、次の総選挙を経て自民党は比較第一党になる、つまり安倍総裁が首相になる可能性が高いから問題なのです。

 安倍晋三が首相として再登板してもらっては困ることが大きく三つあります。

 第一は、やはり前回の政権ぶん投げの直接の原因となった健康不安です。
 安倍の40年来の持病という「潰瘍性大腸炎」は、難病指定されている厄介な病気で、いまだ原因不明、治療法もないそうです。それが2年前新薬が承認され、安倍もそれを服用することによって「劇的に改善した」ことをアピールしています。

 仮にそうだったとしても、内政・外交ともに多事多難な今日の我が国、首相としての激務に本当に耐えられるのか、大いに疑問と言わなければなりません。
 リーマンショック、3・11大震災&福島原発事故、世界的金融危機…。国内外ともに5年前とは比較にならないほど厳しい情勢下、症状が悪化しクスリに頼る、副作用で症状がさらに悪化しまたぞろ政権をぶん投げる、そんな懸念を持たざるを得ないのです。

 第二は、前回の辞任の本当の理由は、国民から「首相失格」の烙印を押されたことによるということです。
 安倍政権で戦った2007年7月の参院選で大惨敗し、国民が「安倍政権ノー」を突きつけたにも関わらず、安倍は政権にしがみつきました。実は安倍にとってこれが致命傷となったのです。なお安倍の往生際の悪さを、政権交代後民主党の菅直人が3年後の参院選大惨敗後、悪しき手本としてしっかり受け継いだのでした。

 かつての国政選挙で「安倍ノー」は既に結果が出ているのです。そのことを国民は潜在的に覚えています。だから安倍総裁誕生を「支持しない 49%」「支持する 38%」という世論調査の数字となって表れるのです。

 第三は、これが最大の大問題ですが、安倍は「ウルトラ右翼」であることです。
 安倍は以前の政権でも、「美しい国」「戦後レジームからの脱却」などという戦前回帰的スローガンを掲げ、実際それまでの自民党政権でもなかったような右傾化政策を次々に推進しました。
 もっとも今回総裁選に立候補した他の4人も、「日米同盟強化」「集団的自衛権行使容認」「憲法改正(改悪)」で共通する総右傾の面々ばかりでしたが。

 中でも1、2を争うのが、現実的に決選投票で争った安倍と石破です。結果ウルトラ最右翼の安倍が総裁に、軍事オタクの石破が幹事長にという、“超アブナイ”自民新執行部体制となったのです。
 安倍は早速「次の総選挙は憲法改正が大きな争点になる」などと、国民が頼みもしない血迷ったことを口走っています。

 安倍晋三の方向性は言わずと知れた「親米反中」です。これは祖父の岸信介以来安倍家の伝統です。戦時中の内務官僚でA級戦犯指定を受けた岸は、米国のお情けでそれを解いてもらい、吉田茂などとともに、我が国の米CIAエージェント政治家の一人として以来米国に忠義を尽くしたのでした。米国への最大の貢献は、60年安保時の日米新安保条約発効における働きです。
 そんな岸信介を何かと言うと引き合いに出すのが安倍晋三なのです。

 安倍再登場を最も警戒しているのが中国です。野田首相の尖閣「国有化」宣言によってただでさえ険悪化している日中関係です。もし安倍首相が現実のものとなった場合、日中対立はどこまでエスカレートしてしまうのでしょうか。

 小泉元首相の靖国参拝問題で日中関係がやはり険悪だった頃、官房長官だった安倍晋三は都内某所で、当時の米ブッシュ政権高官と「日中戦争開始の是非」について密議をしたと噂されています。
 安倍は今度こそ、ユダ金米国の「日中戦争シナリオ」に乗っかってしまいかねない危険性が大有りです。
 安倍晋三の首相再登板を許してはいけない最大の理由はそこにあるのです。

 (大場光太郎・記)

関連記事
『尖閣・日中対立とユダ金米国のシナリオ』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0d40-1.html

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オルフェウスの冥府下り(1)

  オルフェウスの竪琴をふと星月夜  (俳句の国三重「音の一句」採用の拙句)

 この句は2008年9月公開の『星月夜』の冒頭にも掲げました。今から7、8年前三重県(が毎年「○○の一句」で募集している)の「音の一句」に応募し佳作となった句です。これは角川学芸出版から出されている『音の一句』にも収録され、私が作った句ではあっても、著作権法上はもう私の手を離れています(ので冒頭の但し書きをしました)。

 この句のようにオルフェウス(ギリシャ語読みではオルぺウス)は、ギリシャ神話中随一の竪琴の名手です。また『イリアス』『オデッセイア』などで名高いホメロスなど、後世の吟遊詩人の先駆的存在とされることもあります。
 歴史家のアポロドーロスによれば、ムーサイのひとりカリオペーとオイアグロスの子として、ただし名義上の父親は(太陽神)アポロン神として、オルフェウスは生まれたとされます。またオルフェウスの父はトラーキア王であったともされ、グレイヴズはオイアグロスをトラーキア王としています。彼の竪琴の技はアポロンより伝授されたともいわれます。

 オルフェウスが奏でる竪琴がどれほど素晴らしいものだったか。
 その技は非常に巧みで、彼が竪琴を弾くと、神々も妖精も聴き惚れ、森の動物たちも集まって耳を傾けたといわれています。それのみか、自然界の樹木や、果ては命なきはずの岩石までもが感動せずにいられなかったというのです。(注 実際は樹木や草花には感情があり、宝石など岩石にも意識がある。)

 『ギリシャ神話選』としていずれシリーズ化するかもしれませんが、オルフェウスは、イアソン率いる往路だけでも2千kmという「アルゴー船探検隊」にもヘラクレスらとともに加わっています。
 オルフェウスはその折り、人間を歌で誘惑し殺害する女魔物セイレーンに歌合戦を挑み一座を鼓舞し、無事に海峡を渡ることができたのです。

 さてここからが本シリーズのプロローグです。
 オルフェウスは森の妖精エウリュディケを深く愛し、結婚しました。しかし幸福はあまりにも儚く、婚礼の歌がまだ終わらないうちに死が花嫁を奪い去ってしまいました。エウリュディケは毒蛇に足を噛まれ、あっと言う間に死んでしまったのです。

 最愛の新妻を失ったオルフェウスの悲しみはたとえようもありませんでした。
 オルフェウスはまた歌の名手でもありましたが、彼の悲歌は四方に流れ、かつ溢れ、ために野も山も泣き叫ぶほどでした。鳥たちは声をからして泣き、花々は花弁から涙を落としました。

 「愛しいエウリュディケよ。お前はどこに言ってしまったのだ !」
 とうしても諦めきれないオルフェウスは、身の毛もよだつ黄泉(よみ)の国に行き、冥府の王ハデスに哀願してエウリュディケを返してもらう決心をしたのです。

 ギリシャ神話における冥府の入り口はどこにあったのでしょうか?
 それは、ペロポネソス半島の最南端・タイナロン岬にあったといわれています。
 


 ペロポネソス半島は上の地図のオリンピア、コリントス、スパルタなどがある半島です。確信があるわけではありませんが、タイナロン岬は、スパルタから真南(真下)に地中海に突き出た最先端部だと思われます。
 この辺りの岸壁は洞穴が多く、そこから地界(冥府)への道が通じていると考えられていたのです。事実古代ギリシャ時代、タイナロン岬付近一帯に広く、死者たちが冥府に向かう道しるべとして、ネクロマンテア(石像)が立っていたようです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

関連記事
『ギリシャ神話選』カテゴリー
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat41440534/index.html
『星月夜』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post_e7aa.html

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