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三島由紀夫『卒塔婆小町』

 -謡曲に題材を借りた、現実と幻想が妖しく交錯する三島一流の虚構世界-

  見よ卒塔婆小町が春を食ひに出る   (拙句)

 最近の『遠野物語第22話-有り得ざる怪異譚』の中で、三島由紀夫の「近代能楽集」の『卒塔婆小町』に少し触れました。「近代能楽集」は三島20代の代表的戯曲集で、同タイトルの新潮文庫版には『邯鄲(かんたん)』『綾の鼓(あやのつづみ)』『卒塔婆小町(そとばこまち)』『葵上(あおいのうえ)』『斑女(はんじょ)』『道成寺(どうじょうじ)』『熊野(ゆや)』『弱法師(よろぼし)』の8編が収められています。

 タイトルからも分かるとおり、「近代能楽集」は能の謡曲に題材を得た戯曲作品集であり、「ギリシャ古典劇にも通じる」と海外での評価も高く、「能」を世界に紹介したという点において大きな功績を残しました。
 中でも『卒塔婆小町』は、国内外で最も評価の高い作品です。

 私が「近代能楽集」を初めて読んだのは20代はじめの頃、続いて読んだのが30代後半の頃でした。今回の同記事に自ら触発されて、我が家の本棚で眠っていた新潮文庫をあらためて引っ張り出して読んでみました。
 私の印象に強く残っていたのは『卒塔婆小町』で、やはり出色の作品のように思われます。(冒頭の拙句は、この作品をふと思い出して10年余前に詠んだ句です。)

 この作品の元となったのは、「卒塔婆小町」という謡曲です。他のサイトの借用で申し訳ありませんが、あらすじは以下のとおりです。

高野山の高僧が都へ上る道すがら、道端の朽ちた卒都婆に腰をおろしている乞食のような老婆を見て、卒都婆は仏体そのものを現しているので、他の場所で休むように諭します。ところが老婆は僧の言葉に一つ一つ反論を加え、迷悟は心の問題で、世界は本来無一文と気付けば仏も衆生も隔たりはないのだと論破するので、僧は悟り深い乞食だと恐れ敬います。
名を尋ねると、実は小野小町だと言います。才色兼備で世の男性たちを魅了した小町も今は乱れた白髪に破れ笠を頂き、汚れた袋を首に掛けて人に物を乞う身の上です。
そのうち小町の様子が変わり、自分で「小町のもとに通おう」と叫びます。小町に殊更心深かった深草四位少将の怨霊が乗り移ったのでした。少将の怨霊は生前の百夜通いの様を繰り返し、その怨みに苦しめられて心を狂わせるといいます。やがて我に返り、後生を願いつつ仏道に入りたいと願います。(「宝生の能」平成10年8・9月号より)

 鬼才・三島由紀夫は、もちろん上のあらすじをそのまま現代風に置き換えただけ、というような下手な翻案はしていません。
 古い謡曲の世界を、「現代的なあまりに現代的な」舞台の一つと言える、とある夜の公園の一角に持ってくるのです。
 舞台は、五つのベンチ、街灯、棕櫚(しゅろ)の木などありふれたものであり、後ろは黒幕を垂れただけという、豪華絢爛好みの三島らしからぬ簡素さです。

 「能楽の自由な空間と時間の処理方法に着目」(新潮文庫より)した三島は、そんな場所で一体どんな「卒塔婆小町物語」を紡ごうというのでしょうか。

 …五つのベンチでは五組の男女が恍惚として相抱擁しています。にも関わらず一人のオジャマ虫老婆がのこのこやってきて、一組の男女を追い出し、中央のベンチを乗っ取り、新聞紙を広げながら拾ってきたモク(吸ガラ)を「ちゅうちゅうたこかいな…」と数え始めます。
 それを見ていた酔った若い詩人が近づいてきます。乞食老婆は一本のモクを与えながら、若い詩人の顔をジッとのぞき込み、「若いのに寿命はもう永くない。死相が出ている」と、縁起でもないことを言い放ちます。

 しかしそこは“腐っても詩人”、平然と受け流し、詩人はベンチで抱擁し合っている若い男女たちを「みんなお星様の高さまでのぼっているんだ」と賛美し、返す刀で「お婆さんが座っているベンチは卒塔婆みたいで、僕にはたまらないんだ」と言います。
 と老婆は、そんな根性だから甘ったるい売れない詩しか書けないんだとクサシながら、「あいつらは死んでいるんだ」「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と負けずに言い返すのです。

 俄然興味を覚えた詩人が聞いてみると、老婆は「99年生きている」といい、そして昔「小町」と呼ばれた女だと言うのです。そして続けて「私を美しいと云った男はみんな死んでしまった」とも言うのです。
 『こんな皺(しわ)だらけの老婆を誰が美しいなどと言うもんか』と詩人は内心笑います。が構わず、老婆は80年前、参謀本部の深草少将が自分のところに百夜通いをしてきたこと、鹿鳴館のことなどを話します。

 そして舞台急転。深草少将のちょうど満願となる百日目の夜の鹿鳴館に。
 詩人は老婆に促されて一緒にワルツを踊ると、若い男女が老婆の周りに集まってきて、口々に小町の美貌を褒めそやすのです。
 何という幻惑か、公園での皺だらけの老婆ではなく、今や深草少将になりきった詩人もまた小町に皺一つない類い稀れな美しさをそこに見たのです。詩人はなおもワルツを躍りながら、「それを言ったら命がないわ」という小町(老婆)の制止も聞かず、「君は美しい」という禁句を言ってしまったのです。
 
 「僕は又きっと君に会うだろう。百年もすれば、おんなじところで…」
 詩人絶命。

 「もう百年 !」と老婆が言うや、舞台は元の公園に。
 息絶えた詩人は警官たちに運ばれ、皺だらけの老婆は、またモクの数を数え始めるのでした。  (幕)

 以上は、三島の「言葉の精華」を抜いた『卒塔婆小町』のあらすじです。

 昭和45年11月25日の三島事件なかりせば、三島由紀夫がノーベル文学賞を受賞したのは確実です。私は『サド侯爵夫人』や『鹿鳴館』などの他の戯曲を読んでみて思うのです。三島がもし小説を一つも書かず、戯曲作家だったとしてもその分野だけでノーベル賞が取れたのではないかと。
 それほど戯曲家・三島の技量は冴えていて、他の追随を許さないものがあります。

 『卒塔婆小町』の中で、一つだけ指摘しておきたいと思います。
 夜の公園のベンチで抱擁し合う若い男女たちを、老婆が「あいつらは死んでいるんだ」「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と言う下りです。
 これは三島一流のレトリックと言うべきです。が、このレトリックは、このままではないものの、他の三島作品に形を変えて繰り返し現れているように思われます。

 端的なのは、(純然たる文学作品ではない)『葉隠入門』においてです。
 そこで三島は「葉隠」の一節の「恋の至極(しごく)は忍ぶ恋と見立てそうろう。会いてより後は身の丈小さく…」を引用しながら、「現在東京の街には、身の丈の小さな“小人の恋”が氾濫している」と述べているのです。
 それに引き換え、この作品で三島は「身の丈の大きな恋」を描きたかったのだ、と推察されます。

 三島が『葉隠入門』でこう述べたのは昭和40年代前半のこと。以来40余年、この国の男女の即物的な「恋の身の丈」はどのくらいのものなのでしょうか。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『近代能楽集』(新潮文庫)
『ウィキペディア』「近代能楽集」の項
サイト『謡蹟めぐり 卒塔婆小町 そとばこまち』(謡曲「卒塔婆小町」のあらすじをそのまま借用させていただきました。)
http://www.harusan1925.net/0314.html
関連記事
『遠野物語第22話-有り得ざる怪異譚』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/--9ef6.html

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