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洞庭湖三詩(1)-孟浩然

【注記】
 本記事は2012年10年3日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。
『洞庭湖と鄱陽湖』でも述べました。洞庭湖を詠んだ名詩として李白と杜甫の二詩は同記事作成の時点でいずれ『名詩・名訳詩』で取り上げるつもりでした。が、孟浩然のこの詩を原漢詩と訓読みを一字一字たどって綴っていくうち、『なんと良い詩なんだろう』と感激を新たにしたのです。漢詩に限らず「詩」というもの、今の人たちはひと頃よりは読みません。が、感性を磨き研ぎ澄ますのに詩は欠かせません。ということで、簡略ながら「名詩のすすめ」まで。


   臨洞庭上張丞相  (洞庭に臨み、張丞相に上-たてまつ-る)

                 孟浩然

   八月湖水平   八月 湖水は平らかに
   涵虚混太清   虚を涵(ひた)して太清(たいせい)に混ず
   気蒸雲夢澤   気は蒸す 雲夢(うんぼう)の沢
   波撼岳陽城   波は撼(ゆる)がす 岳陽城 
   欲済無舟楫   済(わた)らんと欲するも舟楫(しゅうしゅう)無し
   端居恥聖明   端居して聖明に恥ず
   座観垂釣者   座(そぞろ)に釣を垂るる者を観て
   徒有羨魚情   徒らに魚を羨むの情あり

 …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
 孟浩然(もうこうねん) 689年~740年。襄州襄陽の人。字(あざな)も浩然。若い頃は科挙に及第できず、諸国を放浪した末、郷里の鹿門山に隠棲した。40歳のとき都へ出て、名士の屋敷に出入りし、王維らと親交を結んだが、官職は得られなかった。その後、張九齢が荊州長史に流されたとき、浩然を招いて部下に加えたが、まもなく辞任して去り、江南を放浪した末、郷里に帰った。そして隠棲中に王昌齢の訪問を受け、病後にもかかわらず喜んで酒宴を開いたため、病気を悪化させて没した。『孟浩然集』四巻が残っている。(岩波文庫『唐詩選(下)』巻末略伝より)

《私の鑑賞ノート》
 昨年6月の『洞庭湖と鄱陽湖』で、中国史上、洞庭湖が「文の湖」なら鄱陽湖の方は「武の湖」だと述べました。そして同記事では鄱陽湖が、三国志中の呉国の周瑜の指揮のもと呉水軍の修練場であったこと、遥か時代が下って朱元璋が明(ミン)の建国を賭けて陳友諒と大決戦をした「鄱陽湖の戦い」があったことなどを紹介しました。
 翻って洞庭湖の方は、唐の時代など多くの文人墨客が訪れた風光明媚な湖であることを述べ、一例として孟浩然のこの詩を紹介したのでした。

 同記事で、孟浩然のこの詩と李白と杜甫の詩をいずれ取り上げると言いましたが、1年以上経って今回『洞庭湖三詩』として見ていきたいと思います。

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 その前に洞庭湖とは、同記事の説明をそのまま使えば、
 「洞庭湖(どうていこ)は湖北省北東部にある淡水湖で、中国の淡水湖としては鄱陽湖(はようこ)に次いで2番目に大きな湖です。全体的に浅く、長江と連なっており、「湖北省」「湖南省」の省名はこの湖の北と南にあることからつけられたものです。」

 孟浩然のこの『臨洞庭上張丞相』は、杜甫の『登岳陽楼』と並んで、洞庭湖を詠んだ二大名詩として古来人口に膾炙されてきました。詩の大意は以下のとおりです。

 「秋八月、洞庭の水は平らに、どこまでも続き、はるかな水平線では大空をその中にひたして、空と水とが一つにまざりあっている。雲夢の沼沢地から雲霧が立ちのぼり、湖の波は岳陽の町もゆらぐかと思うばかりに打ち寄せる。この湖をわたりたいと思えば、舟は一つもない。だがここにじっとしているだけでは、天子の明らかな徳に対して、申しわけない次第だ。何とかして仕官の道を求め、天子をたすけて太平の政治に参与したい。そう思いながら、ふと湖のふちに釣糸を垂れている人の姿を見ては、私の心にも、むなしい望みではあるが、魚ー仕官を求めようとする気持ちがおこってくる。」(岩波文庫『唐詩選(中)』より)

 少し注釈を加えればー。
 張丞相とは張九齢のことらしく、略歴でみたとおり、作者は一時その部下となったことがありました。この五言律詩は、全体を通して雄大な洞庭湖の叙景詩のようですが、上の大意のように、後半は孟浩然の鬱勃たる士官への想いが吐露されているわけです。
 「秋八月」とは旧暦八月のことで、今の十月頃にあたります。

 孟浩然は盛唐の詩人ですから、約千三百年ほども前の人です。それに本場中国の漢字を用いた詩なのですから、私たち今の日本人には意味が分からない字だらけです。しかし一々注釈を加えていくわけにもいきませんので、ここでは特に解釈が難しいと思われる二句目についてだけ説明しておきます。

  涵虚混太清   虚を涵(ひた)して太清(たいせい)に混ず

 「涵虚」とは虚空を水中に浸すことです。どういうことかと言うと、遥かに広がる湖水の果てが空(太清)に連なり、水と空(太清)の境界が明らかには見定めがたいありさまの形容なのです。

 このように、この詩は一読「雄渾の気」が湧いてくるような詩です。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『唐詩選(中)(下)』(岩波文庫、前野直彬注解)
関連記事
『洞庭湖と鄱陽湖』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-deab.html
『春暁(しゅんぎょう)』(孟浩然の最も有名な詩)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-b234.html

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 本記事は2012年10年3日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。
『洞庭湖と鄱陽湖』でも述べました。洞庭湖を詠んだ名詩として李白と杜甫の二詩は同記事作成の時点でいずれ『名詩・名訳詩』で取り上げるつもりでした。が、孟浩然のこの詩を原漢詩と訓読みを一字一字たどって綴っていくうち、『なんと良い詩なんだろう』と感激を新たにしたのです。漢詩に限らず「詩」というもの、今の人たちはひと頃よりは読みません。が、感性を磨き研ぎ澄ますのに詩は欠かせません。ということで、簡略ながら「名詩のすすめ」まで。

投稿: 時遊人 | 2018年10月13日 (土) 04時23分

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