« ニールス・ボーア生誕127年 | トップページ | オルフェウスの冥府下り(3) »

山中教授のノーベル賞受賞に思うこと

-ノーベル賞熱狂も、女子サッカー“なでしこフィーバー”も根っこは一緒では?-

 iPS細胞(人工多能性細胞)を開発した山中伸弥京大教授(50)が、ノーベル医学・生理賞を受賞しました。1949年に湯川秀樹が初めて受賞(物理学賞)して以来、日本人として19人目となります。
 昨年の3・11大震災&福島原発事故、世界的金融危機、不毛の政治状況下出口の見えないデフレ不況、庶民をさらに苦しめる大増税法案成立…。現状もお先も真っ暗な我が国にあって、久々の大朗報といえます。

 受賞理由となった「iPS細胞」については、既にニュース等でおおよその概念は把握されていることでしょうから、ここでは詳細には述べません。ただ最近よく耳にするこの“現代基礎用語”について、そもそもこの分野での研究開発は純粋に国内で誕生した技術で、世界が後を追いかけている段階なのだそうです。
 かつては日本が世界で圧倒的なシェアを誇っていた車でも電化製品でも、新興国の技術発展は目覚しく、特に韓国などに追いつき追い越される状況で、最早「技術立国ニッポン」のブランドは落日の様相です。
 そんな中での「iPS細胞」の先駆的研究開発。余計期待が高まろうというものです。

 通常ノーベル医学賞は、その技術が医療の現場で実用化されてから受賞されるケースが多いのだそうです。その点今回の山中教授の受賞は異例中の異例といえます。iPS細胞はまだまだ実用化の段階ではないからです。
 それでも受賞が決まったということは、それだけ「iPS細胞に未来がある」ということの証明です。特に新薬開発の分野では、認知症薬などの研究が進められており、世界中の製薬会社、研究機関が実用化にしのぎを削っていて、「いずれ数兆円規模の市場になる」といわれています。

 iPS細胞は一般的に「万能細胞」といわれ、そこから神経や内臓、骨などを作り出すことができ、実用化されれば病気の臓器は交換でき「あらゆる病気に効くのではないか」と期待されています。
 しかし山中教授自身「万能細胞といわれることもあって、きょうあすにも病気が治るという誤解を与えてしまっている」と慎重な発言をしています。理論上は臓器丸ごとの交換も可能ですが、その実現は数十年先の話なのです。

 実際生活習慣病など複雑な要素が絡んでいる病気への応用は難しい上、高血圧症の場合臓器の一部を取り換えれば治るというのでもありません。また移植した細胞がガン化する危険性も指摘されているなど、十分な安全性が確保されるまでは相当の歳月が必要とみられています。
 しかしそれらの難問がすべてクリアーされた暁には、数兆円どころか数十兆円、数百兆円規模の巨大市場となるのではないでしょうか。

 そのキーマンである受賞者の山中教授は、1962年東大阪市の町工場に生まれ、決して恵まれた研究者人生ではなかったようです。経歴の詳細は省きますが、現在は京大教授です。そうするとどうしても、京大と東大のノーベル賞受賞者数を比較したくなります。
 結果は、京大(ОB、在籍者含む)の7人に対して東大は4人と、「京大の勝ち」なのです。それに東大4人のうち、文学賞の川端康成と平和賞の佐藤栄作を除けば、理系分野はたったの2人だけ。
 世界基準では京大の研究実績の方が圧倒的に上なのです。

 国と結びついてステップアップしていく東大に対して、研究者の個性を大切にしてくれるのが京大です。また国や民間から湯水のように研究費が流れ、昨年大問題になった「原子力ムラ」ではないけれど、それらと癒着してしまう「権威の象徴」のような東大に対して、「反骨」「在野の精神」の自由な気風のもと、基礎研究と創造性を重視してきたのが京大です。
 要は「権力」との距離の取り方の違いです。権威におもねることなく地道な研究を重ねる京大が、東大より優れた業績を挙げるのは当然ともいえるのです。

 尖閣諸島を巡る中国との対立、竹島問題での韓国との対立など、東アジアの近隣関係がぎくしゃくしていますが、中国・韓国と我が国のノーベル賞受賞者数ではどうでしょうか。お察しのとおり、我が国の19人は両国を圧倒しています。中国は平和運動家の劉暁波(平和賞)の1人だけ、韓国も金大中元大統領(平和賞)の1人だけです。
 彼我の差から日本人は中韓より図抜けて優秀なのでしょうか。領土対立激化によりナショナリズムが高まる中、そう思いたい国民は多いはずです。

 しかしこれはそうとばかりもいえません。そもそもノーベル賞創設者のノーベルはユダヤ人で、ダイナマイトで巨万の富を得た“ユダ商”です。それとノーベル財団は他の国際機関同様、ユダヤ国際金融資本&イルミナティによる世界統一政府樹立のための一奉仕機関であるのです。ユダヤ人や欧米人の受賞者が圧倒的なのはそのためです。
 戦後日本は、技術分野でも研究分野でも米国追随を一貫してきました。佐藤栄作の平和賞受賞には当時の国民誰もがびっくりしましたが、「19人」は欧米ユダ金に尻尾を振り続けてきたご褒美のようなところがあるとみた方がいいのです。

 今年は、ここ何年もノミネートされながら受賞できなかった村上春樹の文学賞受賞も有力視されています。仮にそうなったら、さらに「ノーベル賞狂想曲」が高まることは必至です。それを例によって新聞・テレビが煽りに煽るのです。
 国力が落ち目の国ほど、反比例してナショナリズムが高まる.ものです。マスコミに乗せられて「ノーベル賞 = 日本の力」と勘違いして、国威発揚的な変な高揚感、中国・韓国への変な優越感は抱かないことです。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『日刊ゲンダイ』(10月10日1~3面)

|

« ニールス・ボーア生誕127年 | トップページ | オルフェウスの冥府下り(3) »

時事問題」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。