杜甫『登岳陽楼』
【注記】
本記事は2012年10月15日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。
杜甫の名詩『登岳陽楼』はどなたもご存知のことでしょう。今回のこの機会に味読していただき、さらにこの詩を深く味わっていただければと思います。
ここまで洞庭湖に関する有名な三詩を再掲載してきましたが、今回は杜甫からも洞庭湖からも中国からも離れ、西洋の湖や水に関する物語について余談的に2、3紹介してみたいと思います。
仮に「湖文学」というのがあるとするなら、その世界的名作として、19世紀ドイツの作家・シュトルムの『みずうみ』を挙げなければなりません。私は高校時代この名作を読んで深い感動を覚えました。「インメン湖(みつばち湖)」という架空の湖を舞台とした悲恋物語ですが、近年何十年かぶりで読み返し、新たな感動のもと当ブログでその感想文を書きました。
シューベルトの歌曲集『湖上の美人』中の「エレンの歌 第3番」と聞いてすぐピンと来た人は相当のクラシック音楽通といえましょう。一般的に『シューベルトのアヴェマリア』として世界的に知られている名曲です。そう言われれば、曲を聴くまでもなくメロディが浮かんだことでしょう。この名曲の詳しいことは『フォレスタのアヴェ・マリア(シューベルト)』で述べました。
エレン・ダグラスというスコットランドはハイランド(高地地方)の若い女性がヒロインです。エレンは父親とともに、城主である王の仇討ちから逃げるためにとある洞穴の近くに身を隠していました。その頃、ロッホ・カトリーン(カトリーン湖)のほとりの聖母像に助けを求めて祈りの言葉を囗ずさんだのが、この歌曲の原詩なのです。
カトリーン湖に浮かぶ「エレンの小島」
湖とは直接関係ありませんが。ドイツには『水妖記』(原題:ウンディーネ)という水の妖精ウンディーネをヒロインとする幻想的な悲恋物語もあります。19世紀初期頃のフリードリッヒ・フーケの中編小説ですが、中世以来の古伝承を題材にしており、ゲーテも絶賛したとのことです。妖しい水の精としてはライン川の崖上に佇み、美しい姿で川を上り下りする船人を誘惑して川底に引きずり込む「ローレライ」の歌(原詩:ハインリッヒ・ハイネ)と物語も有名ですね。
登岳陽楼 (岳陽楼に登る)
杜甫
昔聞洞庭水 昔聞く 洞庭の水
今上岳陽樓 今上る岳陽楼(がくようろう)
呉楚東南坼 呉楚(ごそ) 東南に坼(さ)け
乾坤日夜浮 乾坤(けんこん) 日夜浮かぶ
親朋無一字 親朋(しんぽう) 一字無く
老病有孤舟 老病(ろうびょう) 孤舟(こしゅう)有り
戎馬關山北 戎馬(じゅうば) 関山(かんざん)の北
憑軒涕泗流 軒に憑(よ)れば 涕泗(ていし)流る
《私の鑑賞ノート》
杜甫の晩年にあたる57歳の時の古今有名な詩です。この詩をより深く味わうには、この地に至るまでのことを簡単に見ておいた方がいいと思います。
杜甫の運命に激変をもたらしたのは、天宝14年(755年)盛唐を震撼させた「安禄山の乱」の勃発です。これによって首都・長安は大混乱に陥り、玄宗皇帝は都を捨てて蜀(しょく)へと落ちのび、途中民衆の怨嗟の声を静めるため、愛する絶世の美女・楊貴妃に死を与えるという大痛恨事があったのでした。
仕官して天下国家に尽くす願望の強かった杜甫もまた長安にいました。そのためもろに難を受け、妻子とともに疎開地を求めて放浪する旅が始まったのです。杜甫43歳の時のことです。
以来岳陽楼に登ったこの時までの十数年、安住の地を求めて、中国中を西に東に、北に南にと放浪し続けます。時に人が踏み入ったことのない山道に分け入ったり、厳冬の高山の麓の道を飢えと寒さに震えながら歩いたり。時には有名な“蜀の桟道”を辿って蜀に入り、成都や蜀中を転々としたり。長江に舟を浮かべて三峡(さんきょう)を下って、今の四川省の各州に短期間滞在したり。
定まったねぐらを持たない杜甫一家ですから、どこに行ってもそのつど困窮を極めました。
そのような長期にわたる過酷な放浪生活から、国を憂える気持ち、民衆の困窮に対する同情、自身の悲嘆の想いなどを強め、その迸りが幾多の詩となって結実していくことになります。だから杜甫の詩は、それまでの宮廷詩人のお遊びの詩ではなく、厳しい生の現実に直面した鋭い透徹した社会詩としての方向性を帯びていきます。
これはまさに古今独歩の、それまでに見られない新たな詩境だったのです。
長江をまたも舟で下り、洞庭湖の東北岸に当たる岳州に入ったのは大暦4年(769年)旧正月、杜甫57歳の時のことでした。今でいえば75歳過ぎの後期高齢者に相当するような老境とみるべきです。実際その頃の杜甫は、片方の耳は聴こえなくなり、歩行不自由な身になっていたのです。
洞庭湖東北岸に面した丘の上に岳陽楼はあり、この時杜甫はこの楼に登りました。岳陽楼から望む洞庭湖は、遥か彼方に水と空とが連なり心も遠くなるような眺めです。
洞庭湖や岳陽楼には古来多くの文人墨客が訪れ、多くの詩文を遺しています。しかし先の孟浩然の『洞庭湖に臨む』と杜甫のこの詩の二つの五言律詩が双璧とされています。
この詩の大意は以下のとおりです。
「洞庭の水を、名にのみ聞いていたのは昔のこと。いま私は、(漂泊の旅のさなかに)岳陽楼にのぼって、目(ま)のあたりその湖を眺めている。東南、呉楚の地方は二つに裂けて、この湖水がたたえられ、はても知らぬ水面は、昼も夜も、全宇宙を浮かべているかと見えるほど。-思えば親しい人たちからは一字のたよりさえなく、老病のわが身につれだつものは、ただ一そうの小舟あるばかり。目を転ずれば境をへだてる山々の北では、軍馬の足音がひびいているとか。楼の手すりによりかかりながら見わたすとき、私の目からは涙があふれ出る。」(岩波文庫『唐詩選(中)』より)
呉楚東南坼 呉楚 東南に坼け
乾坤日夜浮 乾坤 日夜浮かぶ
孟浩然の『臨洞庭湖』も雄大な詩でしたが、杜甫のこの詩はそれよりさらにスケールの大きな詩です。
「万物乎備我(万物我に備わる)」(孟子)。詩の前半は、放浪生活にさいなまれ、さまざまな病気に苦しめられていたとは思われないほど気宇広大で、老いてなお盛んな詩魂が感じられます。
親朋無一字 親朋 一字無く
老病有孤舟 老病 孤舟有り
雄大な洞庭湖を眺めて、悠久の昔から変わらぬ大きな自然、それに引きかえ小さく不自由なわが身よ、と自(おの)ずから湧き上がった感情からなのか。詩の後半では一転、現在のわが身の不遇を嘆く詩句となっています。
「国破れて山河在り」の『春望』もそうでしたが、このような心情の吐露こそが杜甫詩の真骨頂と言えるものです。
この詩全編は、「漂泊の詩人」杜甫が漂泊の果てにたどり着いた詩境の精華といえるかと思います。
これから2年後の冬、杜甫は舟の中で漂泊の生涯を終えることになるのです。
(大場光太郎・記)
参考・引用
『唐詩選(中)』(岩波文庫、前野直彬注解)
『杜甫物語-詩と生涯』(社会思想社-現代教養文庫、目加田誠著)
関連記事
『洞庭湖三詩(1)-孟浩然』
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-4fa1.html
『洞庭湖三詩(2)-李白』
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『絶句』(杜甫の詩)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-eb8b.html
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コメント
本記事は2012年10月15日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。
杜甫の名詩『登岳陽楼』はどなたもご存知のことでしょう。今回のこの機会に味読していただき、さらにこの詩を深く味わっていただければと思います。
ここまで洞庭湖に関する有名な三詩を再掲載してきましたが、今回は杜甫からも洞庭湖からも中国からも離れ、西洋の湖や水に関する物語について余談的に2、3紹介してみたいと思います。
仮に「湖文学」というのがあるとするなら、その世界的名作として、19世紀ドイツの作家・シュトルムの『みずうみ』を挙げなければなりません。私は高校時代この名作を読んで深い感動を覚えました。「インメン湖(みつばち湖)」という架空の湖を舞台とした悲恋物語ですが、近年何十年かぶりで読み返し、新たな感動のもと当ブログでその感想文を書きました。
シューベルトの歌曲集『湖上の美人』中の「エレンの歌 第3番」と聞いてすぐピンと来た人は相当のクラシック音楽通といえましょう。一般的に『シューベルトのアヴェマリア』として世界的に知られている名曲です。そう言われれば、曲を聴くまでもなくメロディが浮かんだことでしょう。この名曲の詳しいことは『フォレスタのアヴェ・マリア(シューベルト)』で述べました。
エレン・ダグラスというスコットランドはハイランド(高地地方)の若い女性がヒロインです。エレンは父親とともに、城主である王の仇討ちから逃げるためにとある洞穴の近くに身を隠していました。その頃、ロッホ・カトリーン(カトリーン湖)のほとりの聖母像に助けを求めて祈りの言葉を囗ずさんだのが、この歌曲の原詩なのです。
湖とは直接関係ありませんが。ドイツには『水妖記』(原題:ウンディーネ)という水の妖精ウンディーネをヒロインとする幻想的な悲恋物語もあります。19世紀初期頃のフリードリッヒ・フーケの中編小説ですが、中世以来の古伝承を題材にしており、ゲーテも絶賛したとのことです。妖しい水の精としてはライン川の崖上に佇み、美しい姿で川を上り下りする船人を誘惑して川底に引きずり込む「ローレライ」の歌(原詩:ハインリッヒ・ハイネ)と物語も有名ですね。
投稿: 時遊人 | 2018年10月15日 (月) 01時43分