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オルフェウスの冥府下り(2)

 オルフェウスは、死んだ新妻エウリュディケを返してもらうべく、冥府へ下ってそこの王ハデスと直談判することを決意しました。

 タイナロン岬のどこかの冥府の門をくぐり抜け、暗黒の隧道をどこまでも下っていきました。やがて地の底に行き着くと、地界の王ハデスの館を取り囲むように五つの川が流れています。どの川を渡ったかまでは分かっていませんが、オルフェウスはとにかくその中のどれかを渡って死者の地にたどり着きました。

 周囲には、得体の知れない蒸気のような亡者たちがゆらゆらと揺らめき動いています。無明(むみょう)の闇のみが辺り一帯を領し、魂を凍らすほどの冷たさ、気味の悪さです。漂う空気には名にやら名状しがたい怨嗟(えんさ)の気配が漂っています。
 オルフェウスを前に進めるものは、ただただ愛するエウリュディケを取り返したい一念だけ。彼はなおも奥深くに進んでいきます。最深部はタルタロスと呼ばれる地域で、地上の極悪人たち、例えばシシュポス、タンタロス、イクシオンなどが無限に続く刑罰を受けている所です。

 上の三悪人の刑罰を簡単にみてみます。
 シシュポスは大きな石を山の頂上まで運びますが、あと一歩のところで石もろとも下に落とされ、それを無限に繰り返す刑罰。タンタロスは果実がたわわに実った果樹に吊るされ、食べたい果実が永劫に食べられない刑罰。イクシオンは、火が燃えさかる車に縛り付けられたまま空中を絶え間なく回転しているという刑罰。
 特にシシュポスの場合は、『異邦人』の作家・カミュに『シシュポスの神話』という作品があるように、なぜそういう刑罰を受ける羽目になったのかなど興味深いものがあります。(いずれ取り上げられたらと思います。)

 どうして生身のオルフェウスがここまでたどり着くことができたのでしょうか。
 それは、彼の奏でる竪琴と彼の歌う歌声が、冥府の番人たちを感動させたからにほかなりません。地獄の番犬ケルベロスですら美しい音色に魅せられて、凶暴な唸り声を出すのを忘れたほどなのです。

 オルフェウスは遂に冥王ハデスの館に到着しました。館に入るやハデスの前に進み出て、
 「どうか私の妻を地上にお戻しください」
と、涙ながらに願い出ました。

 ハデスもその妻ペルセポネも、オルフェウスの歌に深く心を動かされていました。そこでハデスは、
 「よかろう。特別の計らいで返してやろう。だが、よいな、太陽の光を仰ぐその時まで決して汝(なんじ)の妻の方へ振り返ってはならぬぞ。これが掟じゃ」
 そう告げて、エウリュディケの手をオルフェウスに握らせました。
 オルフェウスの喜びは例えようもありませんでした。

          妻の手を引くオルフェウス(注 実際は漆黒の闇)

 オルフェウスは、エウリュディケの手を引いて冥府の道を引き返しました。
 だが道のりは長いのです。周囲は漆黒の闇。心細さが少しずつ彼の胸に募ってきます。後ろからついてくるのは本当にエウリュディケだろうか。もしやハデスが騙したのではあるまいか。
 それに妻の手の感触は何と頼りないのだろう。何と冷たいのだろう。さぞや痩せ衰えて情けない姿になっているのではあるまいか……。
 闇の深さに誘われるように、次から次へと疑念が湧いてきます。

 せめてエウリュディケのため息なりとも、衣擦れの音なりとも聞かんものと耳を澄ましても、それすらも聞こえません。
 「エウリュディケ」
 呼びかけても、もちろん返事はありません。

 オルフェウスの不安はもう極限にまで達しました。
 『後ろを振り向いて一目妻の姿を見たい』。
 掟破りの願望ながら、もう我慢できなくなりました。
 ハデスにあれほど固く止められたのに、オルフェウスはちらっと振り向いてしまったのです。  (以下次回につづく)

 (大場光太郎・記)

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『オルフェウスの冥府下り(1)』
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『ギリシャ神話選』カテゴリー
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